まず、基本的な大前提として、
マスターはリプレイに責任を持ち、責任を負い。プレイヤーはプレイングに責任を持ち、責任を負います。
マスターは、プレイングに対して、採用(リプレイ化)権と拒否(ボツにする)権を有し、行使できます。
プレイヤーには、リプレイに対する、権限は何一つ持ち合わせていません。拒否(リテイク要求)も出来ません。
このことから、リプレイ化された内容に関する、一切の責任は、マスターにある。と思います。どんなに理不尽で、横暴で、他のプレイヤーを無視し、踏みにじるようなプレイングであったとしても、それを拒否せず、採択した責任はマスターにあると思います。
また、そのプレイングを採用した事で、発生したイベント、事件に端を発する物語にも、マスターは責任を取らなくてはなりません。責任を持って、物語を進展、展開させ、物語として結末を与えなくてはなりません。それが、マスターの仕事であり、最大の責務であろうと考えます。
私は、リプレイを書く。と言うことは、記録の段階に過ぎず、マスターの主たる仕事や、責務は、プレイングを捌き、物語を構想し、構築することにある。と考えます。
無論、リプレイは、プレイングに端を発して誕生するのですから、上記のような横暴プレイングをかけたプレイヤーに、責任が全くないとは言えません。しかし、マスターが、拒否権を行使せず、採用したのですから、最終的な責任はマスターにあります。
また物語を進展、発展させる責務は、プレイヤーにも当然ながらあります。それをすることが、プレイヤーがプレイングに責任を持つ。と言うことでしょうし、プレイングを採択してくれたマスターへの礼節と言うものでしょう。事件を起こしておきながら、その後は、ただ逃亡することに終始するのでは、事件を起こしたままディヴ移動するのと変わらない、無責任な行為と思います。
ともあれ、リプレイ化された内容に関して、そのプレイングを書いたプレイヤーに抗議や苦情を言うことは、明らかに的はずれで、勘違いした行為であり、許されざるいじめ行為と言えましょう。プレイヤーに、なぜあんな行為をしたのか。と問いただす前に、なぜ採用したのか?。とマスターに聞くべきでしょう。
しかし、このことを逆手に取り「下手なプレイングは、マスターがボツにしてくれる」と考えるのは、間違えています。それは、自分のプレイングに責任が持てていない。と言うことであり、責任どうこう言う前の問題です。リプレイ化されて悔いるようなプレイングや、リプレイ化されて謝罪するようなプレイングなら、最初から書くべきではないのです。
そもそも、リプレイ化された内容に、プレイヤーが謝罪すると言うのも変な話です。プレイヤーにそれほどの権限は与えられていませんし、権威もありません。自意識過剰と言えましょうな。
誤解無きように言っておきますが、マスターが採用したプレイングに端を発する物語に責任を持たなくてはならないように、プレイヤーもまた、自分のプレイングで発生した物語に責任を持たなくてはなりません。
プレイヤーが、自分のプレイングに責任を持つと言うことは、自分の起こした行動が、そのシーンだけでなく、ディヴ全体に影響を与えたと思うならば、その責任の取り方は一つ。その行動に端を発する物語を、進展、発展させ、ディヴを盛り上げる。それだけでしょう。
権力と責任は、対のものです。マスターには、プレイングに採用と拒否に関する権限があり、責任があり、プレイヤーには物語に関与する権限と責務があります。つまりプレイングです。そして、PCにも権利と責任は付きまといます。作中で、役職(騎士団長や市長と言ったモノから、犯人や悪役といったものまで)を配分されたなら、その権利を行使し、また利益を配分せねばなりません。利益、つまりは情報のアドバンテージの還元であったり、物語を進行、発展させ、他の参加者にネタを提供すると言うこと。と考えます。
【戻る】