最近のマスターも、プレイヤーも、少し曲解と誤解が入り混じっている感じがするので、ちょっと私の考えを述べさて貰いましょう。
MTを含めたPBMは、交流のゲームです。リプレイから情報を引き出し、他者の個別を集め情報の裏付けを取り、伏線とおぼしき情報を算定し、それに対処する。もしくは、能動的に仕掛けていく。と言うのが、PBMのプレイの基本スタイルだと思います。
もちろん、マスターから情報を引き出すだけのプレイングは、褒められたものではないのですが、マスターが、情景や状況を語ってくれなければ、どうしようもない。と言うのも事実ですから。条件(情報や状況)を引き出しつつ、プレイヤー自らも物語を生み出そうと努力する。と言うのが、理想的なスタイルなんでしょうかね。
で、話を戻しますと、当然、一人であれこれ行動するよりも、複数で手分けして事に当たった方が、手早く、能率良く処理できるのは、現実でも、ゲームでも同じ事。そこで、同じ行動主旨をもった人間が、効率を上げるために集団で行動するわけです。単独で行動しようとすると、条件と状況を整えるだけで、多重プレイングに陥りやすいですから。
本来、集団プレイングを、単独プレイングに比べて優先評価するのは、プレイヤー間のプレイングの調整を含めた、交流への努力に対する評価も含められていたのではないかと、思うのです。同一傾向のプレイングを束ねただけの、エントリー数による数の暴力だけではなかったはずだと思うのです。
最近は、単なる多数決の様に、詳細な調整や打ち合わせなど無くても、PC数さえそろえれば、なんとでもなる。と考えているような風潮さえ感じるのですが、私の杞憂でしょうか?。
MTは交流を基軸においたゲームでしょう?。ならば、きっちりと交流をこなし、各方面との調整をしたプレイングというモノは、例え、絵的に地味な行動だとしても評価すべきだし、そう言うプレイヤーも評価するべきだし、そうしたプレイヤーは、もっとマスターにアピールしても良いんじゃないかなぁ。
そもそもにおいて、「丹念に書き込まれ、練り上げられた単独プレイング」と、30キャラ分の「殴り書き程度の単調な集団プレイング」とでは、どちらを優先させるのか。各マスターに聞いてみたいところではあります。
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