一つの仮説として、お読みいただけると大変助かります。
日本版道教とも言える、陰陽道ですが、日本で流布している間なのか、意図的なのかは分かりませんが、道教の根幹とも言える神仙思想、それに伴う不老不死の探求と言ったモノがそぎ落とされています。なかでも、西洋で言う錬金術にあたる、仙丹についてまったく切り離されているのは、不思議でしかたありません。
密教僧空海が入山、開山した山々のほとんどから水銀が取れることは有名です。密教の本流を中国から、日本へ移した空海ですから、密教においても丹の製造は、重要だったといえます。陰陽道は、鉱脈を密教に押さえられたため、仙丹作りから手を引いたのでしょうか?。日本へ私渡してきた道士の目的は、蓬莱山の探索にあったと思われます。そんな道士が、仙丹作りを知らないわけがありません。
秘中の秘として、隠蔽されたか、本来の仙丹とは別の使用がされたのではないか。水銀を服用するコトは、人を死に至らしめることが出来る。そちらに目を付けたのではないか。と言うことです。マテリアルマジックである道教を色濃く継いだ陰陽道が、丹だけ使用しないのは不自然です。
日本において、修験道と陰陽道とは不可分です。道教における修行法、つまり神通力や超常能力の修得法に特化したのが、修験道であり(そもそも、修験道とは、験を修する。つまり、験力、超能力を手に入れる為の手段です)、道教の呪いや占星術をそのまま引き継いだのが、陰陽道といえましょう。つまり、伝播の初期段階に、山岳に入り、修行を続けた道士と、街に入り占いで生計を立て始めたか、その違いだとも言えます。まぁ、山岳には、雑密を初め、他宗教の修行者達もいて、ごちゃ混ぜになっていくのですが。
つまり、山岳修行を禁止していた密教に較べ(寺を出て、山にはいることは、出世コースから外れることを意味する)、陰陽道の方が、山人たちと密接なつながりがあったといえます。
また、修験者と忍者は同根であると言う説もあります。険しい山道を常とする彼らは、里人からすれば、驚異的な身体能力を持っていたとしても不思議ではありません。山には危険も多く、獣をはじめ、野盗や追い剥ぎなども居たでしょうから、護身の為に体術なども身につけていたでしょう。薬草類にも詳しかったはずです。つまり、薬となる草も、毒となる草も知っていたはずです。
式神とは、これら体術系の山人であったのではないかと言うことです。独特の山中他界観を持つ日本人にとって、自分の住む場所から一山越えた先は、異世界、つまり魑魅魍魎が跋扈する魔界だったのです。そのため、見慣れぬ風体をしていれば、それだけで、異界の住人扱いをされていたとしても、不思議ではありません。
現に、上代吉野川上流にすんでいた穴居の土着民を国栖(くず)と呼んでいたり、土蜘蛛と呼ばれた妖怪も、実は穴居にすむ土着民(山岳民族)では無かったという説が浸透し始めています。
晴明が使役した十二神将の式神を、晴明の妻が怖がるので橋の下に住まわせた。と言う裏付けにならないでしょうか。また、絵画に記された式神は、なぜか大陸様式の衣装を着ていることが多い。と言うのも理由になりましょう。
陰陽道の呪術が、厄よけや結界張りがメインで、晴明にしても、呪詛返しや、呪詛を逸らすことしかしていないコトは「陰陽道の幻想」で述べました。そして呪術のほとんどは、相手方の無知や、恐怖心を利用した暗示であるコトも述べました。
しかし、暗示にかけるためには、相手が無条件で信用する実例や伝説が必要となります。日本で唯一の天文機関であった陰陽道にしてみれば、月食、日食を言い当てるのはたやすく、その始まりと、終焉を預言して行くだけでも、多大な効果を持ったでしょう。そして、それを築き上げるのに、一役買ったのが、仙丹では無いか。と言うことです。
藤原道長が、愛犬に救われた話も、出てきたのは二つの土器を合わせたもの。中に揮発性の毒が入ってたトラップだったのでは無いでしょうか。犬はその嗅覚で、危険を察知したのではないでしょうか。仙丹は、主に水銀を原料に作られます。水銀は猛毒です。それらの鉱物系の毒の知識に加え、草木系の毒の知識もあったでしょう。それを組み合わせれば、多少の誤差は生じても、納得できる範囲で、相手の死を予見できたのではないでしょうか。
つまり、加持祈祷は、迷信、暗示を増長するためのパフォーマンスにすぎず、その実、暗殺実働部隊である式神、ひいては山人、つまり忍者によって毒を盛られていたのでは無いでしょうか。別に天井裏に潜み、直接毒を盛る必要はありません。忍びの草のごとく、下働きを抱き込んだり、色仕掛けでいくらでも、服用させられたはずです。
水銀の服毒による症状は、水俣病患者と同じです。幽鬼のごとくやせ衰えて行く様は、悪霊に取り憑かれ、生気を失っていると思われても無理無いでしょう。
陰陽道には、危険だからかも知れませんが、呪いに関して、具体的な術のかけ方は知られていません。片鱗すら覗かせません。むろん、修験や、民間呪術に埋没してしまったから。と言うこともあるでしょう。しかし、元来陰陽道の呪文や儀式はいい加減なものであり、暗殺部隊の実働によって支えられていた。と言う理由にならないでしょうか?。伝えようにも、伝えることが出来なかったのかも知れません。
陰陽師自らが呪殺、暗殺を一つの売りにしていたのか、天変地異を予見し、吉凶を占い、世界の理を探求する陰陽道ならば、生殺与奪は得意に違いない。と思いこんだ貴族達の依頼を断りきれなかったからかは、不明です。ですが、売りの一つにするならば、マニュアルとも言える書の一つも出来ているはずでしょうから、苦し紛れに始めた。とする方が有力ではないでしょうか。
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