オーパーツとしての鉄


教科書では、ヒッタイトが鉄器を発明。と、数行の記述で終わってしまっていますし、誰もが当たり前のように使用している鉄器。金属器と言い換えても良いのですが、これらをオーパーツとして、再検討してみたいと思います。

ほとんどの文献では、当然ですが、当時の絵や文献から、当時の鋳造方法を解析にするに止まっています。私が知りたいのは、その先です。

鉄鉱石をご覧になったことがあるでしょうか。一見すれば、ただの石です。
貴方が、古代人だったとして、ただの石に見える、もしくは、天然鉱石として鈍くとも光り輝く貴石を、千度以上の火の中に投入するでしょうか。火吹筒や「ふいご(エジプトでの初出は紀元前2500)」の原型があったとしても、基本的な火力の調節はひたすら、燃料を投入するだけと思われます。意図的に焚き続けない限り、鉄の融解する温度は得られないはずです。

よしんば、偶然にも、炉として組んでいた石が、偶然にも鉄鉱石であり、それが熔けだしたとしましょう。
それをどうやって、鋳型へ流し込んだのでしょうか。

メソポタミアでは、土を小高く盛り上げ、その頂点で鉄を溶かし、あらかじめ掘っておいた溝を使って、鋳型へ流し込んだ様です。しかしコレでは、片面は型が作られるでしょうが、反対側は粗悪な作りとなります。鉄剣や青銅剣の両面に血溝があり、それは全面が、型にすっぽりと納まっていた証拠です。

銅鐸を再現していた町工場を追ったドキュメンタリー番組を見たのですが、鋳型は砂を押し固めることで作り、青銅の銅鐸を作っていました。ちなみに、現代の鋳造技術は、古代に遠く及ばず、出土した銅鐸と同じ厚さにの物は、作れないそうです。歴史上、青銅の最高技術は、古代中国の殷だそうです。当然、現代でも再現できません。

さらに、るつぼを含めて、熔けた金属を鋳型に運ぶ柄杓は、ナニで出来ていたのか考えると、鶏と卵に陥ってしまいます。石でも削って作ったのでしょうか。

それもあるのですが、当初の疑問、鉄鉱石を溶かそうと、人間は思いつくのか。一番、簡潔で素人臭い答えは『知っていたのではないか』と言うことでしょう。超古代文明とかって話になってしまいますね(笑)。

しかし、人類の発展に、必ずしも鉄は必要な文明ではなかったようです。石器だけで、高水準の文明を築いたマヤ・アステカ系の文明が、その証明と言えましょう。カミソリ一枚、紙一枚、差し込むことの出来ないほど、ピッタリとくっついている石垣。レーザーか何かで、切り取ったかのような水路。そして、高地でありながら、豊富な水。とアステカだけが特例かも知れませんが。

しかし、よく言われる、たとえとして「最初にナマコを喰った奴は偉い」と言うのがありますが、実は、古代人は知っていたのかもしれません。ナマコは遺伝子操作された食用生物で、美味いと言うことを…私は嫌いですが(笑)。



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