太陰族と太陽族:神話世界を二大トーテムの対立で分類する。


世界の神話を見ていると、どの神話にも少なからず共通項が存在することに気が付きます。その共通項の一つ、太陽族と太陰族(月)の対立構造で世界は成り立っている。と言う仮説を立ててみます。事例の収集が少ないため、論拠に乏しいところがありますので、反論など大歓迎です。

まず、太陽族とは、トーテム(ここでは、部族のシンボル程度の意味)を太陽に関連するモノを持つ部族です。そのトーテムとは、鳥(鷲や鷹が多い)、牛、菊の花、色として黄金、などがあげられます。日本に限定するならば、ご神体が鏡であることもあげられるでしょう。太陽はもちろん、風や雨の神とされることも多いのが特徴です。

続いて、太陰族は、トーテムに月に関するモノを持つ部族です。そのトーテムは、蛇、もしくは竜です。日本では、勾玉をご神体とする神です。水、銀と言ったものに関連する傾向があるようです。ただし、天から降る雨は、太陽神族のモノである。と言う認識なのか、雨は除外され、河川や海、湖と言った、地に貯まった水が支配領域となります。


さて、こうした対立構造を仮説するに至ったのは、各地で、鷲と蛇の対立の神話が存在することです。大筋は、よく似ていて、まず鷲の方がちょっかいをだし、蛇が反撃します。この後、蛇が勝つか、鷲が勝つかで、その神話を持っていた文化・文明が、太陰と太陽どちらよりの文明であったかを判断して見ようと言うものです。

また、直接的に、太陽神と月神の主従(どちらが年長であるかと言うこと)でも、例外が少なからず存在しますが、判断対象となるでしょう。

その一例に、バビロニアの「借り物の翼(世界最古の物語/H・ガスター/現代教養文庫805)」にも、見られます。蛇と鷲は仲が良かったが、鷲が裏切り、神の手助けをうけて蛇が逆襲すると言う粗筋です。「借り物の翼」では、この後エタナの物語と集合していくのですが、本来は、二編の物語だったのは明確です。

少し、東に移行して、インドでは、ガルーダ(鷲)とナーガ(蛇)の対立の物語があげられるでしょう。賭けに負けて、ナーガの母に隷属することになった、母を取り戻すためにガルーダは、ナーガと交渉。ナーガは、その身柄をアムリタ(不死の霊薬)と交換すると約束し、ガルーダは、ヴィシュヌの神殿に乗り込むのですが、捕らえられます。しかし、事情を話すと、ヴィシュヌの乗り物になるのならば、分けてやると言われ、ガルーダは承伏。ちゃんと交換するのですが、アムリタを飲む前に、沐浴した方が良い。と薦め、その隙にアムリタをももって逃げてしまう。

と言う筋書きです。ただし、アムリタは、葉っぱの上に数滴落ちており、それをナーガは嘗め続け、不死に近い力を得たと、となっています。また、葉っぱを嘗め続けたために、舌が切れ、二股になったとも説明しています。

インドでは、蛇(竜)は、トコトンいじめられています。ベルトにされたり、ロープ代わりにされるヴァスキ。ベッド代わりにされるアナンタなどです。

キリスト教は、もっと如実です。悪は蛇であり、竜なのは、実例を挙げるまでもないでしょう。ラハブ、サタン、リヴァイアサン、色々です。

カナアンでは、ヤムとバアルの戦いがあげられます。

日本では、天津神(大和朝廷)は太陽神の系譜であり、太陽鳥たる八咫ガラスを従えています。対して、出雲朝廷の神々(国津神)です。大国主が巨大な蛇とされることや(三輪山の神話)、出雲大社の神在祭の儀礼で、セグロウミヘビを神の使いとしているところからも、太陰族と認めて良いでしょう。


神話代の争いごとを列記していけば、鳥(鷲)と蛇(竜)の戦いであったことは、納得していただけるのではないでしょうか。神武東征にしても、八咫ガラスと言う鳥に導かれて勝利し、ティアマトを打ち倒して、マルドゥークは王となります。

ただし、これらの部族も、一枚岩ではありません。太陽神族には、鳥と牛、菊をトーテムにしていると書きましたが、おそらく、鳥ごとに異なる部族だったはずです。鷲や鷹、烏、と言った具合です。また、太陰神族も、蛇とまとめられていますが、数多くの支流が存在したはずです。

内部争いの様相を見せるモノもあります。例えば、モーゼの逸話では、モーゼがシナイ山で40日間の苦行(回峰行の様ですが)を終え、戻ってみると、黄金の牡牛像を祭るグループが、台頭しており、モーゼはそれを滅ぼします。コレは、菊花族と牛族の内部抗争だったはずです。モーゼの家紋は菊花紋ですので。

細かな派閥が存在していたモノの、二大勢力の対立構図であることは、御納得いただけたのではないでしょうか?。そもそもの設定、太陽神族が、鳥や牛、菊花をトーテムとする事を立証していないために、論拠は弱いですが。その辺りのことは、じっくりと煮詰めていきたいと思います。


余談ですが、不思議なことに、この蛇と鷲は、共通項目があります。この二つは、なぜか財貨の神とされることが多いのです。弁財天の象徴は、白蛇ですし、ナーガの出身地である地下世界も、宝石で彩られていると言われ、蛇の抜け殻を財布に入れておくと、財運がつく。と言う俗信もあります。

対して、鷲、鳥の方も、ヘルメスや毘沙門天など、財産の神とされるモノは、どこかに羽根、もしくは羽根をモチーフとしたモノを身につけている。とされます。

また、双方ともに、若返りや不死の象徴でもあり、蛇は脱皮を繰り返す事で、鷲もまた、羽根の抜け替わる事で、若さを保つ。と言われています。そのため、若返りの秘宝、「通常、魔法の草」を蛇が持っている。と言う設定になっていることが多いのです。

しかし、それでも財貨の神として崇拝される理由にはなりません。考えられることは、それらのトーテムを持っていた部族が、金持ちだったので、神話という物語にする際、揶揄されたのではないか、と言うことです。

また、蛇と薬草は切り離せません。薬草を不用意に摘もうとすると、蛇を驚かせて、噛まれてしまう、と言う警告かも知れませんし、ヘビ族が薬草に長けていたからかも知れません。

物語としての神話だけでなく、歴史書や教則本としての神話。と言う観点も忘れてはいけないでしょう。



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