陰陽道の幻想


多くの人を惹きつけてやまない陰陽道ですが、その姿は大きく誤解されています。酔生夢死でも何度か触れましたが、ここで、まとめておきたいと思います。

まず最初に、陰陽師は、払魔師つまりエクソシストではありません。呪術師でもありません。その実体は、ただの占星術師でしかありません。現在では、夢枕莫のイメージからか、呪術、魔法のスペシャリストと言うイメージが与えられている陰陽道ですが、全くの間違いと言えましょう。

陰陽道の本筋は、暦法と占星術にあります。もちろん、術法が存在しないわけではありません。本来、密教とは、各宗教の秘術、秘技の事を指すのであり、キリスト教の密教はエクソシストが、仏教の密教は、真言が、道教には呪禁があります。古い書物などでは、陰陽道は日本独自。としているものもありますが、明らかに、道教とその呪術である呪禁をベースに組み立てられています。

非道い言い方をすれば、陰陽道の呪術は、借り物ばかりです。式神の使役は、巫げき、呪禁(ナタクが有名)、密教(護法童子)など、霊的存在を使役するのは、陰陽道よりも優れたものが沢山あります。符術は言うまでもありませんね。道教がその先達です。ただし、神社やお寺でいただけるお守りの類は、実は陰陽道の符から始まっています。

陰陽道の呪術を分類するなら、マテリアルマジック、つまり術具を使用した魔術に分類されます。符や丹といった、道教、中国魔術ですね。しかし、その呪術も、迷信と恐怖心を利用した原始魔術の域を出ておらず、体系化されていった、密教や神道にかき消されていきます。

安倍晴明の事例を見ても、怨霊や霊的存在と直接対峙することはまずありません。彼のする事は、呪詛返しであり、託宣であり、相手のかけた呪いの儀式、もしくは呪術の焦点具(呪いの元になるもの)を見つけだすことです。しかし、これらの能力も晴明自身の能力に依存しており、陰陽道の呪術とは、ほぼ無縁と言っても良いほどです。

また、陰陽道には、祟りをやり過ごしたり、怨霊などを寄せ付けないようにする為の、いわば予防接種的呪術しか存在しません。風邪を引かないように、するための方法は存在していても、ひいてしまったら医者に行け。と言う、家庭の医学の様なものです。医者、つまり、密教や神道に、ですね。

そもそも、陰陽師の仕事は、大きくは、儀式に最適な日程を、天体の運行から算出します。小さくは、その日の縁起の良い方向、悪い方を取り決めます。方違えと言われる参内方式ですね。もっとも、大きな仕事は、暦の作成です。この事からも、分かるように、陰陽道とは日本における占星術師であり、呪い師なのです。

しかしながら、暦を読む。と言うことは、古代では世界を読む。と言うことに等しく、それはまた、世界の法則、自然の理を解明するという事なのです。陰陽五行説は、アジアで生まれた共通の自然法則基礎理論であり、呪術を使用する必要はなかったはずなのです。


日本オカルティズムの源流である陰陽道は、陰陽五行説をもって、他の宗派に多大な影響を与え、またその理論を応用した、技術/産物である呪術を逆輸入し、自らを変革していったのです。冥府や死後の世界を持たない陰陽道は、仏教の冥界観に間借りし、仏教や神道は、その論理体系を吸収していきます。宿曜(仏教系占星術)や亀卜(神祇官の占い)などにも、陰陽五行の思想が流入しています。

オカルティズム、すなわち神秘学は、安っぽいおまじないの事ではありません。実は、世界の理を探り、精神世界の法則を見つけだそうとする学問であり、神秘学に身を置くものは、精神世界の数学者でなければなりません。学問的であったが為に、民衆の支持を得られず、武家社会になると、陰陽道は、朝廷というパトロンを失った学者のごとく、消えていきました。陰陽道は、宗教ではありません。陰陽道にあるのは、世界の法則を読むと言う、学術的な探求でしかありません。

最後にもう一度繰り返します。陰陽師はエクソシストではありません。魔法使いですらありません。そもそも、陰陽道は、宗教ではありません。陰陽道には、死後観も、冥府観もありません。厳密には、泰山府君(密教では閻魔天)が現世と来世を支配し、生命の長短を支配しているわけで、死後観や冥府観が存在しないわけではありません。

神道や道教、エジプトの古代宗教のごとく、現世と幽世の区別が無く、死者の住む世界として存在していたのかも知れません。一条戻り橋の逸話や、泣き不動の逸話を考えれば、納得は出来ます。しかし、安倍晴明が、天皇の原因不明の頭痛が、前世に起因している。と託宣を告げ、見事平癒したと言う逸話もあり、矛盾します。

現世と幽世の差が明確でない死後観の世界では、輪廻は否定されます。現世と幽世の差が稀薄であるからこそ、死後の国でも、生前の姿で生活していると信じられたわけです。住む世界を幽界、冥界に移しただけと言うわけです。そのため、死後も個人であり続けると考えられており、それ故に、キリスト教では輪廻思想を否定しているわけです。

ただ、平安期の優れた験力をもつ者たちの逸話は、全て安倍晴明と言う虚像に集束されていた(もしくは、陰陽寮の人間が意図的に集束させていた)ので、各宗派の寄せ集めになっている感じも受けますので、ドコまで信用して良いのかは、各人の判断次第でしょう。

泣き不動の逸話として進化した、安部晴明が行った泰山府君への祭祀がありますが、重病にかかった高僧の平癒を、弟子たちが晴明に依頼したが「病は重く、自分の命と高僧の命を交換しても良いと言う人間がいれば改めて祈祷してみよう」と言い、師から見放されていた最下僧が、志願。師も回復し、最下僧は死を待ったが、その兆候なく、晴明は泰山府君の計らいで一命は取り留めたと告げた。と言うもの。

コレは、言ってなんですが、吉本新喜劇のネタのごとく『適切な後継者を選ぶために、晴明と高僧が一芝居うった』としか、私には解釈できません。高僧と謳われているからには、死への恐怖などあるわけもなく、命乞いとも言える延命を望むような人物が高僧と呼ばれるでしょうか。入滅に際し、泣き叫び、恐れおののくのでは、僧侶とは言えません。

また、泣き不動の逸話では「汝が師に変わるというなら、我は汝に変わって冥府へ行こう」と不動明王が泰山府君の前に行き、不動明王と気がついた泰山府君が、その無礼を詫び、師と弟子は無事に生き延びる。と言う話になります。

コレはコレで、不動明王の方が上位に設定されており、陰陽道の失権を如実に現していると言えます。


ともあれ、私を含めた殆どの日本人が想像する来世観や、死後観と言ったモノは、浄土系仏教の手によるもので、もともと、どの宗教も死後観は、それほど重視していなかったのかも知れません。

しかし、呪いによって人を殺したり、泰山府君への祭祀で延命を施したりする割には、魂を冥府へ送り届けたり、彷徨っている御霊を鎮めたりと言う記述は、確認できませんでした。あくまで防御措置であり、結界というバリアを張るに過ぎないのです。橋姫の逸話も、正体は見破りますが、結局神社を建てて祀ることで解決します。

御霊を鎮められない。と言うことは、葬送儀礼を持たないと言うことであり、それはつまり、魂の安息を認めない。と言うことです。陰陽道には、怨霊を解脱/退去させるべき世界を持っていません。異世界からの力を現世で具現化する方法は知っていても、魂の安息地は持っていないのです。現世利益を追求する呪い集団と言えましょう。

あれほど、陰陽道に傾注し、陰陽師によって権勢を得た藤原道長さえ、晩年の死の床で願ったのは、極楽往生でした。陰陽道の泰山府君のもとではなく、仏教の浄土へ行くことに頼り、阿弥陀如来像と自分の手を糸で結んでまで極楽往生を願ったのです。それを考えると、やはり呪力を買って重用していたのではなく、その情報収集能力や間諜としての能力を買っていたのかも知れません。

現代でも占い師には、悩みや相談を平気でうち明けるものです。そうした政敵の情報を道長に還元していたのかも知れません。暗殺者と言うより、現代で言うCIAや諜報部局だったのかも知れませんね。

ともあれ、エクソシストや払魔師では無い。と言う証拠事例の一つとして、平安京の遷都を上げましょう。平安京の前。長岡京は造営途中で放棄されました。それは、造営の責任者藤原種継の暗殺を発端とした一連の事件にあります。暗殺の黒幕に仕立て上げられた早良親王が、延暦四年に抗議の断食にて絶命。その後、桓武天皇の近親者に不幸が続発します。

このことを陰陽寮の陰陽師たちは、早良親王の祟りであると進言し、自らが良縁であると算定した平安京への遷都を促すのです。本当に払魔師や悪魔払い師ならば、早良親王の御霊を鎮めるはずではないでしょうか?。吉凶のみを占い、平安への遷都を促した陰陽師たちは、中世ヨーロッパの宮廷に巣くった、無責任な占いで貴族達から金を巻き上げた魔術師達と変わりません。

そして、陰陽寮の役人、つまり陰陽師たちは、長岡京を廃棄し、平安京へ移り、早良親王に崇道天皇を追号させました。こののち、平安京を安泰させることで、自分たちへの権勢は確保され、また、陰陽師が政治へ介入して行くことになるのです。この時代の政治家達は、多かれ少なかれ、政敵を謀殺した事があり、恨まれているはずですから。

平安京が安泰をもたらし、政治が安定することで、陰陽道への迷信、噂は真実となり、原始呪術のごとく伝説が一人歩きを始めていくのです。つまり、貴族、平民を問わず、怨霊の祟りに対する恐怖心をあおり、それを防ぐことが出来るのは陰陽道であると言う迷信を植え付けることに成功したわけです。怨霊とは、すなわち生き残った(加害)側の恐れがあって初めて成立する存在です。陰陽師たちは自分たちで、怨霊を作り出し、払う。安定した仕事の供給元を得たわけです。

逆説的な事を言えば、利休の一言が、ただの湯飲み茶碗を名器にしてしまうように、安倍晴明の一言であらゆるものが呪いの焦点具になったと言えます。安倍晴明は伝説が一人歩きをはじめてしまい、元の姿が無くなっていると言えるでしょう。名も無き術者の伝聞が、安倍晴明と言う実像に吸収、と言うよりは陰陽師たちの巧みな宣伝によって、かすめ取られていったと言えるでしょう。

その証拠に、死が当たり前になってしまった武家社会では、陰陽道は活躍できませんでした。斬り殺すことが商売の武士達は、いちいち殺した相手のことを気にしていられなかったのでしょう。首級(相手の首)を床の間に並べて、武勲の誇りとしていたぐらいですから。

権力者と結び、地相を見たりしていましたが、平安時代のような権勢は得られず、本来の暦法、天文に納まっていました。権力者を操るのではなく、権力者に良いように利用されるようになっていったのです。突き詰めるならば、陰陽道の占星術は、仏教や神道に吸収されており、独自性を保てなかったと言えます。

結局、戦乱の世では、救いの手である本質的な宗教、仏教や、神道が尊ばれたのです。斬られて死んだらどこへ行くのか。斬り合いを常とする武士はそう考えたのかも知れませんし、平民達も飢饉や戦乱で荒れた現世に利益を求める気にはなれなかったのでしょう。平安貴族達も、死を感じ始めると、陰陽寮から仏教へ乗り換えていったようですが。老い先が見えた者には、占いでは救えないようです。


最後に、最近、テレビに出てくる陰陽師は、皆、偽物と言って良いでしょう。一応の正統は天社土御門神道に継承され、あとは民間呪術へ埋没していきました。私はいざなぎ流は修験に属すると思いますので。ですから、現状での陰陽師は新興宗教と同じく自称でしかありません。土御門の系譜なら、神職ですのでね。ほとんどの陰陽師は、修験(と言うか雑密)の技を使います。修験者と言うよりは、陰陽師の方が世間受けが良いからでしょう。テレビ局の作為というのも感じられます。「最強陰陽師」と言うタイトルなのに、明らかに真言密教系の尼僧が主役だったり、していますから。

特に、狩衣を着て現れる人は詐欺師と言えますね。「お前は何物ぞ」って霊に怒鳴ってましたな。こうした恫喝によって、相手に自白させる手法は、修験で良く行われる方法です。また、文語を使う必然性は、まったくありません。陰陽師ならば、ビシッと相手の正体を占いや、なんかで暴露して欲しいですね。

まぁ、被験者に信用して貰うための第一歩なんでしょうけどね。民間術者は、昔から心理カウンセラーでしたから。心霊現象、特に憑依に関するものは、多重人格の発露です。心理学用語で言う、シャドウが発現した状態といえます。その民族、宗教、文化に依存した形で発現するのは、患者の意識と知識によるものです。西洋では悪魔が多く、日本で怨霊や、キツネなどになります。

まぁ、信頼関係さえ、成立できれば、ただの飲料水でも癌は治るのですから(いわゆるプラシーボ効果)、多重人格の発露も治るでしょう。各種流派のある心理療法も、同じ症状なのにある人は快癒したのに、もう一人はダメ。と言うことはざらにあり、つまるところ無条件で、無意識層まで信頼しているかどうかによるところが多いようです。イワシの頭も信心から。よく言ったものです。

ま、逆に日本の心理療法師とか、精神分析医たちには、憑き物落としの技法でも見て勉強して欲しいです。説得や、説法をすることで、その人格を認め、整合していくわけですから。りっぱな心理カウンセラーと言えましょう(笑)。初見の医者を信頼するよりも、同門の聖職者を信用する方が、壁は低いでしょうしね。

ただし、注意していただきたいのは、ここで述べたモノは、狭義の意味での陰陽道に関してです。広義で捕らえるとなると、その思想や技術は、各宗教、呪術に深く影響を相互に与え合っているため、捕らえることが出来なくなります。故に、理としてでなく、技術として、術を使うモノは、全て修験と呼んで良い。私は、そう考えます。

なお、天社神道は、その名の通り神道ですので別物と、考えております。陰陽道そのものを見る。と言う観点ですので。



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