機動戦士と機動武闘伝


Gガンダムは、評価が大きく分かれる作品です。ただ、私に言わせれば、Gガンダムも、ガンダムWも大した違いはありません。どちらかと言えば、徹底的に壊した分、Gガンダムの方が好きです。

初代ガンダムの第1話「ガンダム大地に立つ」で、120oマシンガンを手のひらで受け止めながら、ザクへ迫り、動力パイプを引きちぎる有名なシーン。

あれって、『シャぁああああイニングぅ・フィンガーぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
と言いながら見ても、まったく違和感ないですよ(笑)。Gガンスタッフも意図的だったりして。誰か、MADムービー作らないかなぁ。

Gガンダムは、初代ガンダムから、スーパーロボットの遺伝子のみを抽出した作品なのだと思います。従来の戦争物としてのガンダムではなく、全くのオリジナルとしてみれば、同世代のアニメと比べても、珠玉の作だと思います。ガンダムという看板が付いた分、功罪が発生したのでしょう。

Gガン嫌いな人、先入観を取り払って、もう一度見て下さい。マスターとドモンの熱さ(濃さ)は、魂を揺さぶるはずです。そして、自分の期待通りの、そして無味乾燥な作品であるより、自分の想像を超えた作品であることを念頭に置いて、鑑賞しましょう。まさに、ガンダム・オブ・ザ・ガンダム(笑)。

私は、Vガンダムや、ガンダムWより、好きですけどね。

そういえば、アニメ誌の先取り情報かなんかで、ガンダムマックスターのイラストの解説に「ガンキャノンタイプの重装甲型ガンダム?」と言う記事があったのですが、ドコまでマジだったんだろう(笑)。


Gガンダムという解放(Gガンダムという解放)
(かにゃるダメ文字フォントにしてみた他の人化けてるかも)

さて、少し大まじめにGガンダムと言うモノを考えたいと思います。設定とかキャラクターとか、そう言うものではなく、事象としてのGを。

私は、Gガンダムは、ガンダムを破壊するべく生まれたと思っています。いや、ガンダムではなく「宇宙世紀」を。物語の土台は、絶対にキャパシティがあり、どんなに優れた世界設定であっても、何作か続ければ、絶対に飽和してしまいます。その一例が、アトラスの女神転生でしょう。真1と2で、完成した年表の隙間に、デビルサマナーや、ソウルハッカーズ、ストレンジジャーニーなどを書き込んできましたが、土台が飽和し、魅力が薄まっています。

ガンダムの宇宙世紀も、初代からゼータ、ZZ、F91からV、逆襲のシャアもか。と使い倒し、飽和にあったと考えられます(共通世界というか、同一年表の世界を、この数まで使ったのは、他にはヤマトぐらいでしょうか?)。飽和と言うよりも、養分が亡くなって、土が痩せた畑。と言うべきでしょうか。一度、耕し直し、再整地する必要を感じていたのではないかと。

Gガンダムを作らずに、WやXをリリースしていたなら、いくら世界設定が異なります。と言っても、「設定を壊すな」とか「ニュータイプはそんなんじゃない」とか、宇宙世紀を引きずったままのファンが暴徒と化すのは必定。

現にGガンダム放映時にも「東方不敗がソロモン攻略戦にいたら」と言うことを言っている人もいたぐらいですから。真面目に反論しておくと、Gガンダムは未来世紀であり、宇宙世紀ではありません。Gガンダムの歴史書に、コロニー落としも、一年戦争も、ザビ家もありません。ビグザム対東方不敗は、完全なクロスオーバーであり、マジンガーZ対デビルマンと同じです。

Gガンダムと東方不敗によって、跡形もなく、宇宙世紀を吹き飛ばしたあとだからこそ、WでもXでも、すんなりと受け入れられたとは考えられないでしょうか。もちろん、私は、Gどころか、アニメ業界にまったく縁がない人間ですから、完全な想像でしかありません。

もう一つ、Gが破壊したものに、リアル指向があります。皮肉なことですが、ファーストガンダムがもたらしたインパクトは、おもちゃの世界だったロボットアニメに、リアリティを持ち込んだことが大きく起因しています。しかし、その巨大なインパクトがトラウマのなったのか、ガンダム、MSに対するリアルさの追求に、異常なまでの拍車が掛かった気がします。

その結実が、ガンダムセンチネルと言えるのではないか。そのセンチネルにトラウマを感じた人ほど、Gガンへの拒絶率が非常に高いと思います。まぁ、なんといいますか、トイレにも行かないし、汗はフローラルの香りがすると信じていたアイドルの、二穴同時中出しファックみたいなAV見せられたような心境とは思いますけどね(なんちゅー例えだ)

しかし、それはまた、センチネルトラウマーの一方的な思いこみの押し付け。初代ガンダムは、随所にスーパーロボット要素があり(Gアーマーとの合体、胴体のトリコロールもザンボットやダイターンカラーだし)、いわゆるアニメ、まんがだった。

実際問題として、わたしにとってのガンダム破壊率は、ZZの方がよっぽど高く、ブライトの「アニメじゃない!」とか悶絶した人多いと思います(まぁ、この「アニメじゃない」は、コレはアニメなんだと言う裏返しとは思いますが)。漫画家のことぶきつかささんも、その口のようです。今見ても、完全に実物で戦争ごっこしているようにしか見えませんし (ビーチャの艦長とか)。Gは世界設定を破壊してましたが、ZZは、コレまで築き上げたキャラクターとか、モノその物を破壊 しようとしてた気がするんですよねぇ(そう言う意味ではZZで一度破壊を試み、失敗してたのかも 。だから、半端な壊し方ではダメだとなったのかも)。だからこそ、センチネルへの憧憬がより強まったのだと思いますけど。

要するに、リアル指向という呪縛で身動き取れなくなりつつあったし、CCAで使えるキャラも使っちゃったし、ガンダムどうすべぇとなった時に、一度全部 壊そう。と言う企画だったんじゃないかなぁと。ミノフスキー粒子とかニュータイプとか一切を洗い流す洪水。それがGガンダムだったのでは無いかと。

そして、機械工学的なリアリティと言うくさびを打ち込まれたMSにとどめを刺すべく、大河原先生のレッドバロン的ガンダム軍団を持ち出したのではないかと。あれが初代をデザインした大河原先生でなく、他の人がやっていたら、大暴動でしたでしょうし。そこら辺からしても、確信犯だった気がしてます。

その証拠になるか分かりませんが、cdドラマ3枚目の「新香港的武闘戯曲」の監督コメントで「そろそろ、ニュータイプやミノフスキー粒子のないガンダムに慣れてもらえたでしょうか」という感じのコメントがあったように記憶しています。

Gガンダムは、ガンダムをまんがアニメとして、ニュートラルな位置に戻すのが役割だったと思うわけです。そして、宇宙世紀という名のトミノ看板の影から飛び出して、自分たちの実力で獣道を書き進んだ「勢い」は、作品の中に熱さとして伝わっていると思います。実際に、ファーストガンダムのリアルタイム世代には、Gは好評だったりするわけです(まつうらまさふみ氏も「初代に燃えた世代ほどGに燃えている」と書かれてますし)。

キャプテンオカノが「設定崩すと保って二作。やっぱりXで限界だったし。」的なことを言われてたんですが、私は、上記の通り、崩すのが…いや、宇宙世紀を終わらせるのが目的だったと思ってますので、それは違うのではないかと思った次第です。



MSNか産経のエンタメニュースで安彦良和さんのロングインタビューがあって、その中で「ガンダム30周年ですけど」見たいな問いに「もういい加減解放して欲しいです」的な答えをしてらしたのを覚えてます。

その記事を見て、もしかしたら、Gガンダムは、宇宙世紀だけでなく、ガンダムその物を終わりにするために生み出されたのかも知れない。と思った のが記事にまとめるきっかけだった訳なんですが。

ちょくちょく書いてますけど、Wとかガンダムである必然性は全くない。オリジナルメカでも良かったはずです。仮面ライダーもそうですけど。看板に頼りすぎなんではないかと。受け手がブランド名が着いてないと許容してくれないってのもあるんでしょうけども。いいものだから見る。のではなく、ガンダムだから、ライダーシリーズだから見る。見たいな感じを受けるのです。

逆に、戦隊シリーズやタイムボカンって、シリーズだけど、それぞれ別個の作品じゃないですか。共通してるのはコンセプトだけですし 、世界や年表がつながってるわけじゃない(戦隊ヒーロー大集合とか、タイムレンジャーとかありますけども…)。最近の仮面ライダー見てると、うまく行ってるような…そうでないような…私には判断つきません。

平成ライダーのハシリはクウガでしたっけ?、ショッカー(と言うか悪の秘密結社スタイル)からの脱却は、もの凄い労力が必要だったと思います。Gガンダムも、宇宙世紀とミノフスキー粒子とニュータイプからの脱却は、もの凄いパワーが必要だったと思うんですよね。


で、ライダー(バイク乗らない奴をライダーと呼んで良いのかとかはありますが)のデザインがバッタベースってのから、脱却しましたが、ガンダムは、なーんにも脱却できてないんですよね。ターンAぐらいですか。

正直いって、ロボデザインって、どこ見ても、もうカトキ系ばっかりじゃないですか?。角付けたら、それガンダムじゃん。みたいなのばかり。そうでなければ、勇者系(口が動くロボ系)か、マクロス(河森?ぴえろ?)系か。ガンダムというトラウマは根深いのでしょうかねぇ?。ソコを脱却しないと、ロボットアニメって先細って行く気がします。もう通れないぐらい細くなってる気もしますが…

ホントに、ザクウォーリアで、「えぇー?」と思った身としては、ギラ・ズールで、すっころびました。なんの捻りもない、リデザイン ですし…むしろかっこ悪くなってるし…勘弁してよと。 あれなら、ネオジャパンのブッシのが格好いいよ…

Gガンは、意外とメカデザインには凝ってて、風雲再起の変形とか、マスターガンダムのマントとか、変形ギミックに、そつはないのね。あったとしても、DG細胞でとか、いくらでも理由が付いちゃう けど。

センチネルで、どれだけ頑張っても、やっぱり構造的な無理ってのは、出てくる。元来、人型は理にかなったスタイルじゃないしね。変形合体なんてやると、やっぱり無理が出てくる。でも、Gガン(クーロンガンダムからマスターガンダムとか)やゲッターの合体変形だと、無理はないんだよね。それが出来ちゃう世界だから。メカとしては成り立っていないけど、マンガとしては成り立つ世界。それが、Gガンダムのなかのガンダムだった気がする。

軍用MSであるブッシとかペスカトーレは、MFと比べて、結構なリアル路線だったしねぇ。 デスアーミーの伝達系にサブはないはず!とかも言ってましたねぇ…。


イデオンの敵メカ、子供の頃はかっこ悪いなぁと思っていたんですけど、今見ると、あれほど異星文明を象徴しているデザインもないですよね。絶対に地球系じゃないデザインでしたし。それをふまえると、ガンダムとザクのデザインがあれほど違うのも、地球から一番遠いコロニー、サイド3でジオンが生まれた。と言う意図が隠されていたのかも?。 兵器デザインってお国柄出ますし。

地球から最も遠く、宇宙に住むことで、地球人とは別の種となり、その理想型であったニュータイプと言う概念を生んだけど、そのニュータイプは連邦軍から生まれたと言う皮肉。結局、人類はドコまで行っても人類なのだと。考え過ぎか。



SEEDが1stガンダムの再解釈とかはよく言われるんですが、再解釈は、どうやっても、原典を超えることはないですしねぇ。
安彦さんのいう「解放してくれ」は、いい加減、ガンダムという看板に頼るのは止めてくれ。新しいムーヴメントを自力で生み出してくれ。と言うことだと思うんですが…未だ ガンダムUC (もう書いてしまおう。デストロイモードって、スーパーモード(F91かもだが)やんか?!。そしてまだ赤の王子に頼るか(仮面の金髪二枚目がいないとガンダムじゃないって感覚にすらなりつつ)…GでもZZでもシャアの呪縛には触れてないからなぁ…CCAから三年でネオジオンに新型とか無理あるわ)。なにかにつけて、トミノ監督ときたもんだ。

あまり、まとまってませんが、そう言うことで、Gガンダムが、宇宙世紀を洗い流したからこそ、SEEDや00が出来る土壌が作り出されたんじゃないかなと (良い出来とは思えないのが残念ですけど)。 ガンダムを大量に出せるようになったのはGからですし。MSで、ウルトラハイスペックマシンがガンダムで、その他が量産みたいなラインもGからですし。 MFとMSのスペック差は歴然でしたしねぇ。MFが一点もの故の整備の難しさとか(レインがネオドイツにつく回)。振り返ると、メカ的には、かなり、リアルかも知れないなぁ。

Gを抜いて、 WやXだったら…それでも、SEEDは受け入れられてますか(ガンダムって付いてると、やっぱ見ちゃうよね)。

とりあえず、ガオガイガーは好きだけど、Gガンダムは…と言う方は、センチネルへのトラウマとか、リアルなメカものへの固執と折り合いを付けてから、もう一度見ると、違って見えるのではないかと 思います。

ガンダムセンチネルのリアルさ。と言うものも、人型兵器が当たり前に存在する世界の中でのリアルさ。であったわけで、MF(モビルファイター)も、ガンダムファイトが当たり前に存在する世界でのリアルさなのではないかと…無理があるけど。ま、ゲーム同様、リアルなことが良いことだ。ってのは 間違った思いこみと思います。

私が可変MSに無粋なツッコミしてるのも、リアルだ、リアルだって言うけど、突き詰めたらコンだけ無理があるよって言うカウンターですし。公言したら余計無粋ですけど。 センチネルも、MSとしてのリアルさを追求してる裏側に「いくらリアリティがあるって騒いだところで、合体変形する時点で、おもちゃだよ、まんがだよ」って言う隠し刃が潜んでる気がするんですよね。



アニメとしてのG(アニメとしてのG)

アニメ単体で評価するとしても、少々ロジックが成立してなかったり、え、それで必殺技打てちゃうの?(アレンビーなんでSフィンガー撃てちゃうの?とか)みたいな、無茶な (ノリとその場の勢いだけの)演出はありますが、それを言ったらドラゴンボールとかって、ダメですね、常に上向いてないと。

脚本というか、演出というべきなのか、ランタオ島での四天王対シャッフル同盟で、仲間が死んだようなくどい過剰演出とか、鼻につきますけど。ちなみに、同じ事を次回作?のガオガイガーでもやってます。地上のGGG基地がゾンダーに破壊される時に、金色の光に飲み込まれながら「勇者よ…後を頼む…」どかーーーーーん。って演出は、「アニキ…あとは頼んだぜ」と言ったサイサイシー達と全く同じ。両方とも、全員生きてるンだよね…いるのか?遺言みたいな演出?。ちなみに、ガオガイガーが金色に染まるのも、スーパーモードで味締めましたね?と。

業界のことが全く分からないので、監督と脚本(ストーリー構成)とプロデューサーって、誰が一番強いんでしょうかね?。そのときのメンバー次第?。今川監督が悪いのか、脚本の五武大老が悪いのか。

「私は医者よ」と言いつつ、ミニスカナースに変装するレインとか。変な悪ノリも多々ありますしねぇ。

私が一番嫌いなのが、チャップマンの回。連続優勝したチャップマンへの、民衆の過度の期待に応えるために、反則をしていたわけですが「おまえもファイターなら分かる」とか言うんですが、私に言わせれば、おまえはファイターじゃない。おまえは、客に媚び、名声におぼれているだけだと。真のファイターなら、負けることは厭わない。心が負けねば、真の敗北ではない。今日の敗北から明日の勝機を見出し、今日の勝利から、明日の敗北の芽をつみ取る。それが真のファイター。

孤高のチャンピオンみたいな話があると、チャップマンみたいなキャラ出して、主人公に「おまえの未来だ」とか言わせる脚本家多いですけど…プロ選手なら人気商売だからそうかも知れませんけど、道を究めるのが目的の武道家に、それはないし、それをしてたら、山にこもって雑念捨ててこいって言われるよ。己のために戦うのであって、他の誰のためでもないし。命賭けた真剣勝負ならともかく、姑息に勝つより、価値ある敗北を選ぶと思う。道を究めんとするならば。

全体通すと、兄とデビルガンダムを追いつつも、そこにマスターアジアが絡み、兄の逃亡が軍部とミカムラ博士の陰謀だった。自分の父が、愛する人の家族をむちゃくちゃにした罪の意識とか。 リズム良く謎が進展していくので、飽きさせない展開と、目先の目的感(モチベーション?)を保っていると思うのですけども。

ラストでエコ話に走るの?と思ったんですが、ちょいちょい伏線張っているので、突拍子もないと言うわけでもないですし、環境を破壊する人間を排除しようとするマスターアジアに対して「人間も自然の一部だーー」と叫ぶドモン。そして、ウルベを倒したあとのカッシュ博士とカラトの会話「ガンダムファイトはどうなるんでしょう」「続いていくでしょう、これからも」というのは、諦めもしないし、絶望もしない、でも、よりよい方法を模索していく。

ですよね?。もののけ姫と同じく、発展と環境破壊の矛楯に、安易に絶望せず、諦めもせず、これからも模索していくってのは、同じと思うんですよ、キャプテン?。 第一話のイタリアの刑事の言葉「また、いやな一年がはじまりやがったぜ」と、最終回のカッシュ博士の「これからも続いていくでしょう」と言う対比とか…なにが対になってるか説明できませんけど(ダメじゃん)。

まぁ、セリフ一つ一つとか、ラストで一気にしゃべりすぎ(いわゆる、二時間サスペンスドラマの犯人自供モード)、マスターアジアとかありますけどね。……最後の最後がラヴだから、ダメなのかも……「おまえが欲しいぃぃぃぃ」「ラブ誅!!」て事っスか?……よく考えたら杉江と忍さん?。



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