ガンダムワールドの倫理観
「…ひどい毒ガスを使って…これが戦争。そしてボクは…兵士なんだ…」
フレデリック・ブラウン(MS戦記/近藤和久/高橋昌也/メディアワークス)
ガンダム世界において、人物設定に深みを持たせようとする試みなのか、「コロニーへの毒ガス注入にトラウマあり」の様な設定をもつ人物がいる。
一見、深みのある設定に見えるが、果たして本当にそうなのかと。と言う事を考えてみたい。
そもそも、コロニーへの毒ガス攻撃は、コロニー落としの前段階として設定された。本来ならば、コロニー落としというものは、未曽有の無差別大量破壊行為で、毒ガス攻撃など吹き飛んでしまってもおかしくないほど、非人道行為と言える。
一応、30キロのコロニーが丸のまま落ちたわけではなく、分解されて落着したが、オーストラリア大陸が変形するほどの衝撃は、おそらく、地球の自転速度にも影響を与えたであろうし、なによりも、核の冬に相当するような、粉塵が巻き上がったのではないか。
恐竜の絶滅原因の一つである隕石が、どんなサイズだったが記憶にないが、少なくとも、オーストラリア大陸を変形させた以上、同等規模の衝突があったと見ても支障はないのではないだろうか。 最大規模ならば、自転速度にすら影響を与えたかも知れない。
そう考えた場合、コロニー落着の一次被害と、粉塵による冬の到来という二次被害、作物や工業生産の停止という三次被害まで考えた場合、これほどの破壊は他に類を見ない。
それにもかかわらず、ジオン兵は、毒ガス攻撃を非人道的と悔い、かのシーマでさえ「知らなかった」と泣き叫ぶ。にもかかわらず、全長30キロのコロニーを悠然と見送る感覚は、今ひとつ理解できない。自分の手を汚さない殺人には、罪の実感がない。と言う事なのだろうか。
余りよい例えではないが、敵国の原発をメルトダウンさせるという作戦をとった国があるとして、原発の制圧に毒ガスで職員を殺害した事は悔いているが、原発のメルトダウンで、数十キロ四方を人が住めないほど汚染し、住んでいた人何十万、何百万を殺害してたことは、気に止めない。そんな感覚と言える。
まぁ、コロニー落としはせず、毒ガス攻撃だけした部隊。と言う設定なのかもしれないが。
また、倫理的に考えても、スペースノイドにとっては、コロニーは、故郷であり、守るべき世界であった。そもそも、戦争のきっかけは、連邦政府からの独立。自己を犠牲にして戦争に参加したのは、コロニーを守るためではなかったのか。そのコロニーを武器に変え、あまつさえ、地球に落とす。と言う行為は、アイデンティティを崩壊させないのか。
さらには、次ぎに落とされるコロニーは、自分の住んでいたコロニーになるかも。と考える兵士も出てくるだろう。
守るべき世界。帰るべき場所を、兵器に変えてしまった時点で、ジオン公国は、目的と手段が混交していたのかも知れない。ギレンの粛清計画は、開戦前から着々と進んでいたのかも知れない。思えば、ソーラレイも、コロニー改造した兵器。帰るべき場所、守るべき世界を武器に変え、和平交渉を妨害したソーラーレイは、ある意味、ギレン政権のジオンの象徴なのかも知れない。
ただし、スペースノイドにとって、コロニーはタダの入れ物であり、故郷とか、世界とは考えていない可能性もある。我々が、車を乗り換えるように、耐用年数を過ぎたコロニーは破棄され、新たなコロニーに住み替えるのだから。
まぁ、一番の問題は、毒ガス攻撃は、現実に行われた事のある非人道行為で、実感しやすいが、コロニー落としとなると、その影響を想像できてない。と言う事なんだろう。どちらも、無差別殺戮には違いないのだが。
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