昼間は賑やかな江戸の町。
夜になってやっと静かになった頃。
けたたましい呼子が響き渡る。
ピィィィィィィー
「あっちに逃げたぞ!」
「追え!逃がすな!」
町方の同心達が駆けずり回って、追っているのは、今をときめく大泥棒、雪影弥太郎。
夜目にも目立つ鮮やかな白装束を身にまとい、今夜も獲物を担いで、すたこらさっさと、人様の家の屋根を伝わり、しつこい町方振り切って、いつの間にか雲隠れ。
一晩明ければ、もう町中の噂。
瓦版は売切れ御免。
この雪影弥太郎、何を隠そう、実は江戸一番の人気者。
鼠小僧次郎吉の再来と称される義賊なのだ。
盗んだ金は貧乏人の家に投げ込んで、おまけに堅気の商人の店には踏み込まず、狙うのは悪徳商人の店ばかり。
江戸っ子としては、拍手喝采の的。
面白くないのは、面目丸つぶれの町方役人。
どこに行っても、弥太郎を誉め称える声を聞いて、腹の虫がおさまらない。
「まったく、何が義賊だ。たかが盗っ人じゃねえか。白狐の野郎なんか。」
北町の同心、滝川京之進は、そう毒づいた。
「まあまあ、滝川のだんな。そう、かりかりしないで。雪影が捕まらなくて、いらいらするのはわかりますけどね。」
この飯屋「あづま」のおかみ、お町がなだめた。
「ふん、雪影なんて御大層な名前付けやがって。白狐で十分だ。」
白狐というのは、雪影弥太郎の別名で、彼を快く思わない役人や他の人間が、そう呼んでいる。
「そうですよ。盗っ人は盗人だ。」
岡引の平吉が滝川に合わせた。
普段は人の良い若だんなだが、ここのところご機嫌斜めなので、少々困る。
お町や店の他の者達が呆れたように見ている。
そこへ、顔を出したのが、「あづま」が行きつけの常連客、小間物屋の助八。
せっかくおさまった火に油を注ぐように、
「また、雪影が出たってねえ。やるねえ、あいつも。」
「うるさい!」
「いたんですかい。滝川のだんな。」
滝川に一喝されて、助八は首をすくめた。
「何やってんだ、お前は。」
助八は、背中にしょった荷物を椅子に下ろして、自分も腰を落ち着けた。
「何って一休みしにきたんですよ。だんなこそ、どうしたんです?」
「聞き込みだ!」
「大変ですねえ。相手は何たって実体のねぇ、影ですからね。」
「違ぇねえ。」
一同が笑い出すのを聞いて、滝川は、がたん、と音を立てて立ち上がる。
「いくぞ、平吉。おかみ、邪魔したな。」
右手に大小を引っ掴んで、外に出て行く後姿を見送りながら、お町はさすがに見かねて、
「助八さん、それに皆もからかうんじゃないよ。滝川のだんなは真面目にお勤めしてるんだから。」
「ついつい、あの若だんなに会うと軽口ばかりでいけねえや。おかみさんの言うとおり、気ぃつけねえとな。」 助八は頭を掻いて、腕を組み直した。
「時にお町さん。昨夜、弥太郎が襲ったのは大野屋さんというじゃないか。あそこは結構羽振りはいいが、そうあくどい商売してたのかい。」
「嫌だねえ。あの店は表と裏があるってんで有名だよ。」