「そうかい、やっぱり商売は地道にやんなきゃなねえ。その点、あっしなんか身代はないが、 雪影弥太郎から表彰されるくらい手堅い商人だなあ。」
わざと、助八がおどけて見せる。
「馬鹿をお言いでない。助八さん程度で表彰されるんなら、江戸中、雪影のお墨付きで一杯になっちまうよ。この私なんか賞金まで貰わないと、割が合わないね。」
「お町さんも言うね。さて、そろそろ、一稼ぎしてくるかな。」
「頑張っといで。またつけとくからね。」
「いつもすまねえ。今度払うからよ。」
雪影弥太郎、町人達には、いい話題の種だが、町方役人には頭痛の種。
いくら、躍起になっても捕まらず、業を煮やしつくして、すっかり煮詰まっていた。
何せ、相手は神出鬼没。
加えて、町人は鼠小僧の再来だ、義賊だ、と持て囃す始末、当然弥太郎の味方。
取り調べさえ、ろくろく協力してもらえぬのが、現在の有様。
これでは、滝川でなくても、役人なら気も悪くなる。
「しかし、評判の悪い店はたくさんあるからな。押し入られた店の位置もばらばらだし、一体どうすりゃいいんだ。」
番屋では、滝川が平吉と共に地図を広げている。
今まで被害にあった店には赤い×印がついている。
両替商、呉服商、米問屋、回船問屋…、盗みに入られたのは、いずれも名の知れた大店ばかり。
おまけに、半分以上は抜荷に賄賂、乗っ取りと悪行三昧。
叩けば叩くほど、埃が出てくる。
脛に傷持つ商家やお偉方にとっては、まことに厄介者。
かと言って、下手に騒いでお調べなんて受けようものなら、隠している余罪や裏稼業がばれて身の破滅と知っているので、泣き寝入りの家もあるとかないとか。
被害にあったのは、五万両とも十万両とも言われ、実際はいくらなのか見当も付かない。
「評判の悪い店はあらかた、襲われているし、最近じゃ白狐を恐れて、どこもおとなしくしているからな。」
「しばらくは尻尾を掴めませんね。」
「いや、平吉。そんなことはない。丹波屋や和泉屋なんかは商売敵が減って、大分、儲けが増えたという話だ。怪しい店はまだある。」
その夜、滝川が材木問屋、紀州屋に目を付けたのは、何も、確証があったわけではなく、単に当てずっぽう。
平吉も仕方なしに付き合ったのだが、本当に雪影弥太郎が現れた。
いわゆる瓢箪から駒、双方共に、特に弥太郎には大誤算。
「あのだんなに、これほど先読みする力があったとはなあ。」
屋根の上を走りながら、つい、ぼやく。
「追え!逃がすな!」
平吉と血相変えて追いかけてくる滝川、その執念の凄い事、役人達があらかた見えなくなっても、まだくっついてくる。
弥太郎は振り切ろうとして、何を焦ったか、いつになく、得意の屋根渡りに失敗、何とか路地に降りたはいいが、その拍子に怪我をした。
滝川に見つかるまいと逃げようとしたら、物音に気付いたらしい人影が家の中へ引っ張り込んでくれた。
直後、大変な勢いで戸を叩く音。
「おい、開けろ!御用の向きだ。」
がたがたと、素知らぬ様子で、戸を開ける。
「なんです、だんな。こんな夜更けに。」
顔を出したのはお町。
ここは「あづま」の裏だった。
「すまんが、怪我をした奴が来なかったか。白狐がこの辺りで消えたんだ。」
「いいえ、一向に。」
「そうか、騒がせたな。物騒だから戸締りよくするんだぞ。」
滝川がそう言い残して、再び慌ただしく駆け去っていく。
「もう行っちまったよ。弥太郎さん。」
「すまねえ、おかみさん。」
「ここで、あんたを突き出したりしたら、江戸っ子の名が泣くからね。」
裏木戸から、こっそり出て行った弥太郎は、とうとう、今度も逃げ切った。