WEEKLY INTERVIEW 再録
(毎週土曜or日曜更新)時々臨時休業
第22回 出典:「ヤングギター」誌1973年10
月号より、音楽のこと、デビューアルバム「扉の冬
」について話しています。
(提供:国立国会図書館さん。ありがとう!!)
☆女性アーティストシリーズ 1☆
「吉田美奈子」の色あい。 by 大川ガチコ
吉田美奈子と会うのは2度目である。確か初対面は2年前(1971
年)の大阪「春一番」コンサートだった。あの時は、東京在住のアー
ティストで「春一番ツアー」のバスを組み、新宿からワイワイ、ガヤ
と出発したっけな。その中に、吉田みな子がいた。彼女は小柄で、一
寸目立たない。静かな人だったせいか、その時は気がつかずにいた。
コンサートも終わり、また「春一番ツアー」バスに乗って帰る時、よ
うやく彼女を見つけだしたという記憶がある。コンサートでの歌いぷ
りは和製ローラニーロという風だった。こういうアーティストは大阪
人特有の「ヤレヤレ!!」ムードにはおよそ合わない。地味という感
じでステージを終わった。とは言っても、彼女自身「お客に受けなく
ても仕方ないわね」という開き直りの一寸、手前みたいな素振りに見
えたのだが、 あれから今日まで2年近く過ぎた訳だ。その後、彼女
がどんな風に変わってきたかも興味あるところだが、とにかく私流に
彼女の隠れたる音楽生活をあばきだしてみることにしよう。
Q 「あなたが音楽をやるきっかけになったのは、どの辺からですか?」
吉田(以下M)「4年前(1968年)、高校の時はよくエイプリルフールを見に行
ったの。新宿にある「パニック」という店で彼らと知り合って、細野(晴臣)
くんなんかと、よく音楽の話をしたり。たまたま、私が1曲歌ったんですが、
声がいいって言われてね、それから、彼が私にいろいろ教えてくれたんです。
こんなLPを聴けとか、歌を歌うんだったら、作曲もしてみなさい、とか。そ
れで私、詩を書いて曲もつけて彼にみせたら、彼。すごく誉めてくれて嬉しか
ったわ。
Q 「音楽的に何か勉強していたのですか?」
M 「兄(保さん?)がクラシックをやってて、私はフルートを習っていたの。でも
ピアノは全くの独学です。」
Q 「それで、本格的にやりだしたのは…?」
M 「東京キッドブラザーズの”東京キッド”の公演で一曲歌った時です。」
Q 「ピアノのスタイルになったのは何かきっかけがある訳でしょう?」
M 「私の音楽の先生は細野くんで、彼がローラニーロのアルバムで「イーライと
13番の懺悔」の入ってるのがあるでしょ?あれを耳にタコができるくらい聴
いて、そして分析してね…」
Q 「そして分析を自分流に置き換えた訳?」
M 「まあ、初めてオリジナルを作った時、細野くんに見てもらったんです。そして
ベース一人(野地義行)を加えて”ぱふ”を組んだの。”ぱふ”では2年くら
い演奏していたんですけど、結局ソロになって。」
Q 「今度のデビューアルバム”扉の冬”のプロデュースは誰ですか?」
M 「細野くんです。バックもキャラメルママです。アレンジは私がやりました」
Q 「出来上がりについてはだいたい満足しているの?」
M 「かなり苦労しました。このアルバムはすごく余韻を大切にしたい曲が多いんで
すけれど、スタジオではそれが出し切れなかったという事はあります。できれ
ば次のアルバムはホールでレコーディングしたい」
Q 「あなたが気に入ってる曲は何ですか?」
M 「”扉の部屋””かびん”それと”変奏”です。この”変奏”にはハープが入っ
ているんです。一度、ハープを使ってみたかったの。でも、あまり上手くゆか
なかった。歌としてはこの曲が一番いいと思うの。他には、ハープ以外、ブラ
ス、オーボエそれにストリングス等が入っているんです。それでアレンジにす
ごく苦労しちゃって」
Q 「どんな苦労?」
M 「ひとりでやっていれば自分のテンポで出来るんだけど、バックを入れると合わ
せるのが大変!”綱渡り”の曲は大変だったわ。私、よく”分裂ピアノ”って
言われるんです。分裂症でないと弾けないピアノなんですって…(笑)
例えば、カラオケだけ聞くと、メロディが全く考えられないんだって。それで
私のピアノと歌が入ると不思議に埋まるって具合なの」
Q 「じゃあ、アルバム全体の感想を… 」
M 「カッティングで音を絞られたけど、いい音が録れたと思っています。内容的に
はバックのキャラメルママの音になりそうになって苦労しましたが、どうやら
という感じでまとめました。皆の意見と私の意見が総合してうまく行ったと思
っています。」
Q 「余韻が大切と言ってたけれど、歌に何か意味でも持ってるんですか?」
M 「私はメッセージソング的なものは絶対書けないんです。私は私の事しか歌にな
らないので。でも、じっくりと聞いて欲しいということです。そこに余韻の意
味があるわけです。」
Q 「何のために歌を作っているんですか?」
M 「生活の中にあって、その時、その時の感情が湧くでしょう。それを歌にできた
らばと思って……それだけ」
Q 「有名になりたくないの?」
M 「……。よくみんなから”美奈子は欲がないな!”って言われるんだけど、余り
、そういう事は考えない」
Q 「女性フォークシンガーに友人は?」
M 「金延幸子さんとはずっと以前から親しくしているんです。今、アメリカにいる
んですけど、よく手紙がきますね。それとリリイ(”私は泣いています”がヒ
ット)とは、よくどうでもいい話をするわね。彼女。さっぱりしているから好
きです。」
Q 「現在、興味のある音楽は何ですか?」
M 「最近、ダニーハザウェイをよく聞くのね。この前、モードの話をしていたら、
ダニーハザウェイの新しいアルバムでやっているのね。スゴイな、って思っち
ゃった。それと、またジュディコリンズに戻ってきたみたい」
※このインタビューは本当に貴重ですね。美奈子さんが以前のアルバムにつ
いて話すことは今でもあまりないし、まして「扉の冬」についてとなると
他にあるんだろうか?それと気になったのは、当時、美奈子さんは自分の
こと”ボク”って言ってたはずなのに…。編集者の方で手を入れたんだろ
うが、なんとなく変です。
当時の日本の音楽シーンのこと思い返してみると、フォーク全盛って言っ
たって吉田拓郎はスターダムにのし上がっていたけど、井上陽水、かぐや
姫、キャロル、チューリップ、ガロ、サディスティックミカバンドあたり
がやっと頭角を現したくらい。荒井由実だってまだまだ。そんな当時、ハ
タチ(20歳)になったばかりの女性ソロシンガーが口にしたコメント
としては、すごくクールに感じる。レコードデビューしたばかりのシンガ
ーなら、もうちょっと「意欲」とか「希望」とかが感じられるものだけど
。編集した人もどんな風に読者に印象づけして紹介しようか 考えちゃっ
ただろうね。
〜 おしまい 〜