会員の皆さん、日本コリア協会・大阪第67回定期総会を2月22日に国労大阪会館で開催します。今年は戦後80年、日朝協会創立70年の節目の年です。
総会では、韓国での12・3非常戒厳宣布という、緊迫した状況から3カ月という韓国の状況や南北間の情勢、更には就任したトランプ大統領の動きなど、日本とコリアを取り巻く混沌とした状況を少しでも会員相互の意見交換で理解を深め友好運動に活かしたいと考えています。人でも多くの会員の参加で実りある総会にしましょう。
今年は記念講演に変えて、韓国の70年代後半から80年代の戒厳令下を克明に描いた映像を見ることにしました。年表や登場人物などの資料も用意しています。14時40分からの映像企画のみ参加も可能です。今回、韓国の市民社会を揺り動かした貴重な映像をぜひ一緒に観ましょう。
昨年12月、韓国では窮地に追い込まれたユン大統領が非常戒厳宣布の暴挙に出た。そして日本では自民裏金問題、岸田の政権投げ出し、総選挙、少数与党へ転落、米国はトランプ大統領が返り咲き、言いたい放題、やりたい放題。北朝鮮はロシア軍への派兵を強行…。この一年間北東アジアでは、目まぐるしく情勢は動き止まるところを知らない。
今年は、日朝協会創立70年、戦後80年の節目の年だ。歴史に向き合い、改めて日韓・日朝の関係、在日コリアンの立場の歴史的総括をすすめよう。各国の市民社会の連帯で北東アジアとコリア半島の平和構築へ一歩二歩と前進させよう。
1、ユン非常戒厳宣布、内乱を市民が止めた
24年春の総選挙で敗北したユン政権は、政治の責務を投げ捨てた。野党との対話を拒否し、野党の有力な大統領候補を司法的に責め立て、自身の家族を守るために法案拒否権を乱発した。そして、第22代国会の開会式を欠席したかと思えば、国会での施政方針演説まで拒否。
選挙不正、「議会独裁」、反共を振りかざし野党は反国家勢力という独善と妄想の世界を着々と構築し憲法と法律を破壊した。そして憲政秩序そのものを打ち壊す、非常戒厳宣布(24年12月3日深夜)に打って出た。しかし、この「窮極的」な内乱の企ては市民の機敏かつ継続的な行動と圧倒的な力の前に失敗した。
いっこうに出頭に応じようとしない、ユン大統領に昨年12月末には逮捕状が執行され、とうとう1月15日10時過ぎに逮捕された。この間、多くの市民は、雪降る中も官邸前に座り込み、その市民のパワーがユンを逮捕に追い込んだのだ。
12・3非常戒厳・内乱事態後、急激にユン大統領を熱狂的に支持する、極右ユーチューブ、保守キリスト教界、極右化された若い男性などを束ねる極右同盟の動きが活発化している。事態がファシズムの様相を帯び始めたことを示すと韓国市民社会は危機感を募らせている。
2、衝突の誘発画策に対して「北朝鮮は衝突を望まず」と、敵対から平和の南北へ
24年は南北の対立が一層鮮明となった。5月以降南北間で南からのビラ飛ばし、北のゴミ風船の応酬などと、対立は顕在化。韓国の無人機(ドローン)によるピョンヤン侵入の事態を「敵による重大な共和国の主権侵害挑発事件」だとして、10月には、北朝鮮は、統一への象徴であった、南北連結道路の京義(キョンウィ)線と東海(トンヘ)線を爆破した。「強硬な政治・軍事的立場」の表明後に取られた初の措置である。道路破壊に対して韓国軍が軍事境界線の南側の地域で北側に向けて「対応射撃」を行ない、軍事的緊張が高まった。北朝鮮は、この間大韓民国を敵対国家と規定した内容を盛り込むため、憲法を改定している。
韓国の12・3非常戒厳・内乱で、ユン大統領は北朝鮮を挑発し、軍事的衝突を戒厳の大義名分にと企てた。この行為に対し韓国国内では厳しく批判する声が上がっている。
専門家は、ユン政権が画策した境界地域で衝突の誘導に対し、北朝鮮が衝突を望んでおらず回避した点に、関係回復は容易ではないとしつつも、一縷の望みがあると語る。さらに、改めて南北が緊張緩和のための軍事合意をすることから一段階ずつすすめるべきだと指摘する。
また、平和の南北交流のために、韓国の積極的な「対米説得外交」を求める声も強い。
3、北朝鮮軍、ロシア海兵隊に、ウ戦争に派兵
韓国国家情報院は、「北朝鮮軍がロシア空輸旅団と海兵隊に配属され、戦闘に参加。北朝鮮が長射程砲をさらに輸出した事実も確認される」と明らかにした。その数は1万人を超えるという、ロシアに派兵された北朝鮮軍は、ウクライナ軍との交戦で、死亡300人余り、負傷2700人余りに達するとの情報があり人命被害は甚大である。
派兵は昨年6月にロシアと北朝鮮が締結した包括的戦略パートナーシップ条約にもとづく集団的自衛権であると主張。朝露が安全保障で相互に支え合うものだとしている。北朝鮮は派兵により、軍の実戦経験の獲得と共に、ロシアから軍事技術や経済的対価を得られると考えているもようだ。朝露の関係緊密化の一方で、中朝間の関係は微妙に変化がみられる。北東アジアの軍事バランスへの影響は大きい。
4、新トランプ政権、米国ファーストという名の植民地主義、北朝鮮と交渉か⁈
トランプ氏は就任初日に気候変動枠組み条約を再離脱すると公言。さらにユネスコ、国連人権理事会、世界保健機関(WHO)などにも「脱退」の脅しをかけ、西側諸国の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)加盟国や、東北アジアの安全保障の最前線にいる韓国や日本に対しても、過度な防衛費の引き上げを求めている。また、中国製品に60%、他の国の輸入商品には10~25%の普遍的基本関税も予告した(メキシコは2月4日から、カナダへの関税は1か月延期)。
またワシントンでの航空機事故をきっかけに多様性否定の攻撃に拍車がかかっている。露骨に外国人嫌悪を煽る発言も後を絶たない。
一方、トランプ大統領は政権の要職を自身に対する忠誠度が高い最側近と家族で固め、議会乱入・暴動事件の主導者を「大規模恩赦」した。
これらの独善的な動きは、民主主義と人権の価値を嘲弄し、国際的な多国間機関に対する信頼性の危機を悪化させる可能性がある。
トランプ政権は、今までの可能な限り国際紛争に介入しない孤立主義を捨て、国益のために軍事力の使用も排除しないという。この略奪的膨張主義の考え方、すなわちパナマ運河とデンマーク領グリーンランドを占領するという野心とカナダに「51番目の州になれ」という愚弄的な脅迫は、今日の世界史的到達点である植民地主義への反省に真っ向から対立するものだ。まさに19世紀への歴史の逆行である。さらにはパレスチナの民族自決を否定しイスラエル・ガザ地区の米国占有も主張。断じて許すことはできない。
またトランプ大統領は、北朝鮮の核兵器保有を認め、米朝交渉を再開する姿勢を示しているといわれており、外交も駆け引きの材料とするトランプ大統領の動きは日朝や南北の関係を無視する可能性が高く、北東アジアの平和に悪影響を与えないか、心配の声が上がっている。
5、行き詰まる自民政治、総選挙で敗北、変化する国会での力関係
総選挙では、裏金事件で自民党を追い詰めて、自公過半数割れという結果が生まれた。いよいよ自民党政治の行き詰まりと破綻は明らかとなった。一方でSNSでの情報の拡散により岩盤保守層の流動化はますます激しくなっている。国会内では躍進した国民民主が存在感を増し、反自民を謳いながら自民にすり寄る維新の会の動きに警戒が必要である。
しかし、与党過半数割れの状況により国会運営でも変化が生じている。選択的夫婦別姓の法制化など前進の兆しもある。不安定で流動的な政治情勢のもと、激動が予想され、有権者の声が現実に政治を動かしつつある。自公政権の悪政をストップさせるため、来る参議院選挙では市民社会と政党の連携強化がいっそう求められる。
6、北東アジアでの各国との対話の枠組みが求められる
北東アジアでは、この間、台中対立を利用した、軍事を含む大国間の対抗と分断が深刻化、コリア半島の南北間の緊張も高止まりしている。この緊張のスパイラルを止めるために、米中、米朝、南北、日朝が、対話のルートを開くあらゆる努力をつくすことが極めて重要である。
その中でも日朝関係は、米朝関係、南北関係とは異なり、戦争状態が続いている関係ではない。同時に、戦後80年たった今も日本は戦後処理、植民地支配の清算が行われていない唯一の国が北朝鮮であり、それを解決するという課題が存在する。独自に対話と交渉をすすめ段階的に合意形成を図る必要がある。
北東アジア、とりわけ朝鮮半島の不安定化の回避は、おおむね国内の与野党の合意形成が可能な課題だ。政府は不安定化回避への強力な外交を展開するべきであり、同時に現在存在しない平和構築のための北東アジアの国々を包括する対話の枠組みづくりの推進が求められる。
尹錫悦大統領は「12・13 非常戒厳」で何をしたかったのか。45年前のように、軍部による独裁政権をめざしたのか。けれど、その45年前の歴史が 今の韓国を救ったのだ。
『南山の部長たち』
制作:2020年
監督:ウ・ミンホ
出演:イ・ビョンホン
イ・ソンミン
クァク・ドウォン
「朴正煕暗殺事件(1979)」を事実をもとに書いた、金忠植の実録小説の映画化。側近のKCIA部長が なぜ大統領を暗殺したのか?「なぜ」を焦点に、事件までの40日間を描く。
『ソウルの春』
制作:2023年
監督:キム・ソンス
出演:ファン・ジョンミン、チョン・ウソン
朴正煕暗殺事件の混乱の中、全斗煥が 陸軍の秘密組織「ハナ会」を利用して軍事クーデター(1979)を起こした。ソウルに銃声が響いた12月12日、何があったのか知る人は少ない。
『タクシー運転手』
制作:2017
監督:チャン・フン
出演:ソン・ガンホ
トーマス・クレッチマンユ・ヘジン
韓国史上最大の悲劇「光州事件(1980)」を、ドイツ人記者と 光州まで乗せて行ったタクシー運転手の目を通して描く。全斗煥の命で 市民を惨殺する戒厳軍は、実話に基づく。
『1987、ある闘いの真実』
制作:2014年
監督:チャン・ジェナン
出演:キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、ユ・ヘジン、キム・テリ、カン・ドンウォン
反共の名目で戒厳軍を使い、民主化運動を弾圧した全斗煥政権は、「ソウル大生拷問致死事件」の抗議に集った大学生をも惨殺した。
歴史の流れを変えた「6月抗争(1987)」を描く。
レンタル.配信で見る事ができます。
会員、民主団体、全国の仲間のみなさん、あけましておめでとうございます。本年も日本とコリアの友好運動にお力添えをいただきますようお願いします。
昨年末、韓国ではユン大統領が非常戒厳を宣布。しかし、この窮極的な内乱の企ては市民の機敏かつ継続的な行動と圧倒的な力の前に失敗に終わりました(写真は国会前を埋め尽くす集会の様子)。多くの市民はこの間、雪降るソウルで「ユン逮捕」を求め、大統領官邸前での座り込みを続けています。
今回の市民の行動に影響を与えたのが映画「ソウルの春」だったといわれています。チョドファンのクーデターを描いた作品で、光州民主化闘運動の前夜、79年の戒厳令下の緊迫した状況が映し出されています。この映画を韓国国民の4人に1人が観たといいますから驚きです。
軍事独裁政権との戦い、民主化闘争を単に過去のものとせず、韓国の市民社会で世代を超え共有、さらには人類の経験として残していこうとする努力が韓国の民主主義には活きています。今回の事態で明らかになった、韓国の民主主義の確かな歩みを私たちも大いに学び、戦後80年という節目にふさわしい年とするように、みなさん!大奮闘しましょう。
☆キノシネマ心斎橋(アメ村ビッグステップ4階)
上映中
『市民捜査官ドッキ』
警察がダメなら ―自分で捕まえる。
実話が下の詐欺グループ逮捕劇。
『ソウルの春』
1979年 朴正煕大統領暗殺事件を利用し、自らが独裁者になる画策をした全斗煥の軍事クーデターを描く。
☆シアターセブン(十三サンポードシティビル5階)
上映中
『オン・ザ・ロード〜不屈の男、金大中〜』
民主化運動を貫いた 金大中氏の政治家人生に迫ったドキュメンタリー。
☆シネ・ヌーヴォX(九条)
上映 1月11日~24日
『1987、ある闘いの真実』
ソウル大生の拷問死を契機に、沸き上がったソウルの民主化運動を描く。
上映 1月18日~24日『光州5・18』
1980年 光州市民と学生による、命をかけた民主化運動の闘いを描く。
韓国・ユン大統領が、12月3日夜に突如、非常戒厳を宣言して、わずか6時間後に解除する事態となった。ユン大統領は、22時28分、龍山(ヨンサン)の大統領室で緊急談話を通じて「共に民主党の立法独裁は、大韓民国の憲政秩序を踏みにじり内乱をたくらむ自明な反国家行為」だとし、「破廉恥な従北反国家勢力を一挙に清算し、自由憲政秩序を守るため、非常戒厳を宣言する」と主張した。これを受け、特殊部隊である空挺部隊が国会に進入。市民・職員と対立する一触即発の状況が生じた。
与党「国民の力」のハン代表と野党「共に民主」のイ代表はいずれも、いち早くユン大統領の非常戒厳の試みを阻止すると表明。
国会には議員たちが市民の力を借り、塀を乗り越えて集まった。翌4日1時に在籍議員の過半数(野党議員172人 与党18人)の全議員の賛成で戒厳解除決議案を議決し、ユン大統領は午前4時30分頃、戒厳を解除すると発表した。国会議決が出ると、軍が大統領に従わず国会の決定を尊重したことが、大統領の企てを翻意させるのに影響を与えたとみられる。国会の迅速な戒厳解除要求と軍・警察の理性的な判断が、平和裏に事態を収束させた。「命を賭して」数千人の市民が国会議員を守れと国会前に集結している状況だっただけに、流血の事態が避けられたのはまさに奇跡。大統領の独裁的発想が合法的にコントロールされた点は、韓国の民主主義がそれだけ堅実に根を下ろしたことを示している。
韓国が民主化された以降で、今回のユン大統領の愚行は憲政上最上級の汚点。韓国のマスコミは「ユン大統領はもはや大統領の資格を喪失した。国会は国民と国家を裏切ったユン大統領には、相応の責任を問わなければならない」と厳しく批判する。いまこそ、国の主人は唯一国民だという事実を、我々も含め胸に刻まなければならないときだ。
制作 2023年
監督 イ・ウォンテ
出演 チョ・ジヌン、イ・ソンミン、キム・ムヨル
国家を揺るがす極秘文書をめぐる壮絶な権力闘争を描く予測不能サスペンスドラマ。
1990年代初頭の釜山、ヘウン(チョ・ジヌン)は、党の公認を受けて国会議員候補者になった。ところが 闇社会の権力者スンテ(イ・ソンミン)のゴリ押しで、公認候補を下ろされてしまう。腹の虫が治まらないヘウンは、ヤクザのピルド(キム・ムヨル)から選挙資金を借り無所属で出馬した。地元の人からの絶大な支持を集めて選挙は有利に見えたが、スンテの陰謀で事態は混沌として行く。
そんな中、国政を裏で動かしていたスンテのもとに、富と権力を保つための極秘文書の存在が浮上。
公認候補を外された政治家ヘウン、全てを支配する闇の権力者スンテ、一攫千金を狙うヤクザのピルド。三つ巴の騙し合いと裏切りの心理戦、襲撃と返り討ちの逆転につぐ逆転。極秘文書を最後に手にするのは誰なのか…。
先日惜しまれて閉館した「シネマート心斎橋」が、1月13日、装いも新たに「キノシネマ心斎橋」としてオープンします。韓国映画の初公開作品は「対外秘」と「市民捜査官ドッキ」。年末も韓国映画でお楽しみいただけます。
訂正:フィールドワークでお伝えした公開作品が変更になりました。ご迷惑をおかけした事、お詫び申し上げます。
公開12月13日(金)~
「キノシネマ心斎橋」
心斎橋アメ村・ビッグステップ4階
1965年、日韓基本条約が締結されました。
14年にわたる日韓交渉、国民の反対にもかかわらず交渉をすすめたのは朴正煕、岸信介。
日韓交渉をみていきます。(2010年制作)
朴正煕と岸信介
日本が韓国に支払った経済援助は無償3億㌦、有償2億㌦。朴正煕はその多くを製鉄所、ダム、高速道路の社会資本に投入します。「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げました。しかし日本植民地時代の被害の個人補償には使われませんでした。補償を求める人は、「日本に強制連行、強制動員させられたが、一銭も返してもらえなかった。その金で浦項(ポハン)製鉄が出来たんです」「第一に日本に裏切られ、第二に大韓民国に裏切られました」と訴えます。
14年間の日韓交渉で何が話され、何が積み残されたのか。あいまいにされ、先送りされる問題も多くあります。
植民地下の被害補償をめぐる交渉
1951年のサンフランシスコ講和条約、直後にアメリカの仲介で日韓予備会談が始まります。
会談では、韓国側は日本の植民地支配は不法として、植民地時代の被害補償を訴えます。日本側は、植民地支配は合法であり、日本は韓国に残した財産を請求できるという立場で激しく対立。日本側首席久保田貫一郎は第3次会談で、「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり農地を造成したりして、当時多い時で2千万円も持ち出していた。韓国側の請求権と相殺しよう」と語り、これによって会談が決裂。さらに日韓の間に李承晩ラインが一方的に決められ、これを越えた漁船を拉致しました。日本政府は反発し、日韓会談は再開のめどさえ立たなくなりました。
こうしたなか韓国との関係に意欲を見せたのは、A級戦犯容疑で逮捕され、その後山口県から復帰したばかりの岸信介でした。57年総理大臣に就任した岸は、積極的にアジア諸国を訪問し、賠償交渉をすすめました。李承晩は岸に応え、日韓会談の再開に応じます。韓国との正常化は反共防衛体制を強め、アジア諸国での日本の国際的地位を高めていくことになります。岸のアジア外交は共産勢力の拡大を抑えようとするアメリカの戦略と合致していました。
60年安保改定に反対する大規模なデモが国会を取り巻き、岸は混乱の責任をとって首相を辞任します。
韓国でも大統領選挙の不正をきっかけに反政府デモが起こり、李承晩は大統領を辞任し、ハワイに亡命します。国内の混乱状態を受け、61年5月朴正煕らは軍事クーデターによって、ソウル市内を制圧し、国家再建会議を招集します。
クーデターから6ケ月後、朴は日韓会談再開を打ち出します。いち早く応じたのは岸信介です。首相を退いた後にもアジア外交に力を持っていました。朴は水面下で岸との接触をはかります。
満州での朴正煕と岸信介
61年11月日本を訪れた朴正煕は、池田首相との交渉で「請求権と言わないで何か適当な名義でも結構」と日本に譲歩の姿勢を示しました。首相官邸での晩さん会に、岸は朴が在籍した元満州国陸軍軍官学校校長南雲親一郎を招いたのです。「校長先生のご指導と推薦のおかげで、陸軍士官学校を出てここまで来られました。韓国代表としてお目にかかれたことを感謝いたします」と朴が恩師に酒を注ぐ姿を見て、池田首相をはじめ全員が拍手しました。
商工省の官僚だった岸は、満州国総務庁次長に就任、国家主導による統制経済を試み、重工業の開発を一気にすすめます。満州から帰国後、東条英機内閣の商工大臣に就任します。
大東亜共栄圏の建設を目指した岸。その思想は戦後首相となってからも引き継ぎました。「大アジア主義の理想というものが実現されると思うんですよ。私が満州国へ行ったことと結びつき一貫している」そして「戦前の大アジア主義と総理になってからのアジア諸国に対する善隣外交というようなものに断絶はない」と問われ、「断絶はない」と答えます。
朴正煕は旧満州国陸軍軍官学校に入学し、「高木正雄」として軍人を目指します。陸軍士官学校への入学が認められ、その後満州国軍の中尉として国境警備につきました。
朴は満州時代の人脈や陸軍士官学校出身者を政権の中枢に登用していきます。特に岸信介が自ら満州国で行った統制経済、運営方法、関東軍による素早い国家建設、戦時下の社会動員体制を韓国での国家モデルにしようとしていました。それが北朝鮮の金日成との競争で勝ち残る最適の方法だと考えていたからです。
62年3月金額に大きな隔たりがあり、交渉は決裂します。いらだったアメリカが提示した3億を軸に、韓国が希望した6億に近づけるため、政府借款など有償があてられました。資金の名目について、日本側の請求権ではなく経済協力で差支えないと同意。これに対して韓国では植民地支配をあいまいにした屈辱外交として、デモが巻き起こりました。
植民地の下での被害について、償いではなくて純粋の経済協力だという日本ペースで決着し、個人の補償問題は、韓国政府が担うことになりました。
64年6月3日朴は非常戒厳令を布告。デモの鎮圧にふみきり、国民の反対を力で抑えてでも日韓交渉を妥結させようとしました。
韓国併合の法的正当性をめぐって
請求権交渉が妥結した後、64年佐藤政権に引き継がれました。
日韓基本条約第2条に韓国併合に至る条約については「もはや無効」としています。いつから無効とみるかは、韓国は当初から併合条約に先立つ様々な条約は無効だという立場、日本は48年の大韓民国建国後から無効で、それ以前の植民地支配は有効という立場です。その二つの考え方を合わせて玉虫色の決着をはかろうとしたのが、この「もはや」という言葉です。交渉がアメリカの主導で始まったという性格上、日本が過去の植民地支配と真正面から向き合うことなく、過去の清算を逃してしまい、後年になって日韓関係の様々なところから出て来ることになります。
竹島(ドクト)の領有権ついて
交渉で難航を極めたのは竹島の領有権です。秘密交渉がすすめていた自民党の河野一郎は「竹島問題は触れない方が良いと思う」と言い、解決を先送りしました。
条約調印の日、竹島を含め紛争の解決を求め交換公文を韓国側に提案します。交換公文に竹島の地名を入れるかどうか、2枚用意していました。佐藤首相と李外務部長官との最終協議で、佐藤首相は「竹島を含む」という文言を消して、李長官に見せたところ、「これで十分です」と応えたと当時の駐日代表部政務課長。これですべて解決です。
経済援助資金の使われ方については次号に。
5月最後の週、マスコミを賑わしたのは韓国ネタ。
まずは、世界3大映画祭の1つ、カンヌ映画祭授賞式が29日に行われ、是枝裕和監督の初の韓国映画「ベイビー・ブローカー」主演のソンガンホさん(「タクシー運転手~」等に出演)が男優賞を受賞した。さらに「人間の内面を豊かに描いた作品」に贈られるエキュメニカル審査員賞も獲得。「ベイビー・ブローカー」は、子どもを育てられない人が匿名で赤ちゃんを預けられる韓国の「ベビーボックス(赤ちゃんポスト)」を巡る人間模様を描く。カン・ドンウォン、ペ・ドゥナ、IU(アイユー)ら韓国を代表する俳優が出演している。
是枝監督は、ソンさんの受賞について「自分がほめられると疑ってかかりますけど、役者がほめられたときは本当にうれしいです。彼がこの作品の肝だったし、本当にムードメーカーだったし、チームリーダーだったし、その彼がこういう形で評価されたのは何よりでした」と話す。また韓国で製作した理由について「一緒に仕事したいと思う俳優が韓国にいた」と話し今後も日韓映画界の交流が必要と語った。
次は、1日から始まった韓国の観光ビザの発給。韓国大使館前には長蛇の列が…。コロナ禍で日本から韓国への旅行は2年2か月ストップ。やっと「ビザ有」だが観光目的で渡韓できることとなった。大使館はビザ発給まで3~4週間、1カ月先の航空券の予約をと告知している。コロナ以前の「ノービザ旅行」には少々時間がかかりそうだ。人的交流は溝を埋める、最も有効な手段だ。楽しみだ。
またしてもBTSが話題を提供。バイデン大統領は31日、ホワイトハウスにK-POPスターの防弾少年団(BTS)を招待。彼らが経験するヘイトクライムと差別、そして多様性と包容性について、意見交換したという。大統領が異例にも彼らを招いたのは、大統領の人種ヘイトクライムに対する格別な関心と警戒心のためという。
メンバーの一人、SUGA(シュガ)は、「 人と違うということは悪いことではありません。そして、全ての違いを受け入れてオープンになったとき、真の平等が始まるのです」とインタビューにこたえた。
今までありとあらゆるヘアーカラーにしてきたBTSだが今回登場したメンバー全員が黒髪。これもアジア系ヘイトクライムへの一つのメッセージか?
6月3日、事務所にコウチャニュウ(高賛侑)さんが訪問。ノンフィクション作家のコウさんが監督を務めたドキュメンタリー「ワタシタチハニンゲンダ!」の宣伝に来られた。映画は第七藝術劇場、京都シネマ、にて上映。 朝鮮学校差別をテーマとするドキュメンタリー「アイたちの学校」を製作したコウさんが、新たに在日外国人の実情を追った。在日コリアン・技能実習生など多様な立場の外国人、支援者、弁護士の証言、さらには入管の監視カメラなどで撮影された映像を駆使し、在日外国人が置かれている状況を映し出す。
多くの海外での取材を行ってきたコウさんは、日本は世界に例を見ない外国人差別の国家だという。日本社会で生きる皆さんが是非見なければならない映像だと…。どの外国人も安全・安心に生活できる社会にするためにぜひ見たい映画ではないか。自主上映も可能、相談は「日コリ・大阪」へ。
【問】韓国の映画やドラマでチャジャンミョンを食べている場面がよく出てきます。韓国では「国民食」といわれているくらいポピュラーなチャジャンミョンについて。
【答】韓国で人気のある麺料理です。19世紀末から華僑の移住がすすみ、華僑の多くが山東省出身で、山東省の家庭料理であった炸醤麺(ジャージャー麺)が手軽で味が好まれ、仁川(インチョン)から各地に広まったといわれている。解放後キャラメルが添加された甘味のあるチュンジャン(黒味噌)が使われ、さらに1960年代から70年代にかけて、アメリカから小麦粉が供給されるなか、政府が粉食を奨励する政策をとるなどして、一気に普及して国民的な料理になった。
作り方は豚肉、タマネギなどを刻んでチュンジャン(黒味噌)で炒め、とろみをつけた黒いソースを麺にかけたものです。付け合せには、生タマネギ、たくあん、チュンジャンが出てくる。
仁川のチャイナタウンにはチャジャンミョン博物館がある。
韓国では、4月14日はバレンタインデーやホワイトデーを経ても恋人がいない人が黒いチャジャンミョンをなぐさめ合って食べる「ブラックデー」とよばれている。
「ディア ピョンヤン」「かぞくのくに」で、自身の在日コリアン家族と 北朝鮮との関係を描いてきたヤン・ヨンヒ監督ですが、本作では初めて 母のルーツ韓国と向き合っています。
大阪に住む在日コリアンの約4割が、済州島をルーツに持っています。イデオロギーから国籍を「朝鮮」にしたヨンヒ監督のオンマも、実は「韓国」済州島出身者です。韓国近代史の最大のタブー「済州4・3事件」の体験者でもあったのです。
1948年4月3日に始まる 李承晩政権による島民大虐殺「済州4・3事件」とは…。当時アメリカ軍政下の南朝鮮で、アメリカの意向である南側のみの単独選挙が行われようとしていました。南北分断を決定づける単独選挙に反対する蜂起が、各地で起こりました。済州島は、その弾圧の見せしめにされたのです。「アカ狩り」の名の下で、島民の無差別虐殺が繰り返されます。1954年9月に至るまで、約3万人の島民が虐殺されました。
年老いアルツハイマー病を患うオンマと共に、母の記憶を紡ぐため、ヨンヒ監督は済州島への旅を決心します。そして明かされたオンマの秘密。韓国でも話題のヤン・ヨンヒ監督の最新作です。
アメ村「シネマート心斎橋」
十三「第七藝術劇場」
6月11日(土)公開
A.すべてユン氏の検察時代の仲間。独立性と民主性を前提とする組織すら検察出身者で埋めてしまうと、大統領の下で一糸乱れぬ指揮・命令系統が整えられてしまうのではないかとの心配声が上がっている。
韓国のユンソギョル次期大統領が日本に派遣した代表団は、4月24日からの5日間の日程を終え、日韓関係の改善に向けて外交当局間の対話を活発化させたい考えを示した。代表団は岸田総理などと会談を行った。政権交代を実現した保守派ユン氏は、選挙で公約した日韓のシャトル外交で、関係修復をできるのか。日本国内では保革問わず少なくない人が修復への期待感を高めている。そう簡単なものか、考えてみたい。
日本政府は今回の代表団の訪問を受け、松野官房長官が会見を通じて、15年の「慰安婦」問題での「日韓合意」は「両政府が多大な外交努力のすえに問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認したもの」、「国と国との約束を守ることは国家間の関係の基本」と、この間の主張を繰り返した。このことでわかるように、被害者の立場たった解決や植民地支配への反省、謝罪とはかけ離れた立ち位置に日本政府いる。
だが、現在の韓国の市民社会は被害者を置き去りにして国家間で解決などということを許すことはない。さらには遡って65年の日韓基本条約の意味を問い直そうとしているのだ。日本の植民地支配の反省、謝罪なし。補償とは無縁の「経済協力」という名で日本の物品と役務によってパクチョンヒは「漢江の奇跡」を起こした。ここに様々な問題が凝縮されている。
パクチョンヒの娘クネに訴追したことを謝罪したユン氏。彼が日韓関係を解きほぐすことは極めて困難か。もつれたままの「未来志向」は一層の混乱を招くことは想像に容易い。
韓国の民衆は、欺瞞に満ちた関係修復は許さない。さあ日本の民衆はどう応え、どう運動を展開するべきなのか。まずは負の歴史にしっかりと向き合いたい。