■ 砂礫の王国10
「もうもう…!あいつキライ!」 与えられた部屋に戻って来てからも、アリスの憤りは収まらないようで、着替えを終えると枕を抱えたまま広いベッドを転がった。 部屋のあちこちには、アリスが苛立ち紛れに放り投げたブーツやワンピースが転がっている。 天蓋付きのベッドから見上げた上部の模様は、何故か神殿の天井を思い起こさせて、アリスはまた渋い顔になった。 「アリス…もう落ち着きなさい。過ぎた事でしょう」 掛けられた声にがばりと体を起こす。 「だって!」 「こんなに散らかして……駄目よ?」 イライザがため息混じりに服を拾い上げるのを見、アリスが口を尖らせる。 「だってだって、あんなの横暴だよ!ぼく達が何したっていうのさ!」 「……理不尽かも知れないけれど、あの人が私達を信用しようとしないのは、当然の事ですもの」 口ではそう言いながらも、どこか淋しげなイライザの様子に、アリスは開きかけた口を噤んだ。 少しの間、少女達の間に沈黙が落ちる。 「それは、ぼくだって……」 ホントは分かってるもん。と小さく落ちた呟きに、イライザは栗色の頭を優しく撫でた。 元々、巫女とその家族の別宅だったこの館で彼女達に宛われたのは、巫女が使っていた部屋だった。 瀟洒な家具と天蓋付きのベッドが置かれた部屋は非常に居心地が良く、配されている家具ひとつを取っても、使用する人間の事を考え抜かれて選ばれたという事が分かる。 この部屋を使って良いと指示を出したのは、外ならぬ上級天使だった。 彼女達の世話係に配されたのも、元々巫女付きの使用人だった者達なのだそうだ。 それを考えると、上級天使の態度はどうであれ、大事な巫女の部屋を宛がわれたという事実だけで、自分達二人の待遇は破格と言わざるを得ないだろう。 それは十分に理解している。決して望み過ぎているのではない。 唯、館の主との距離感に、心のどこかがほんの少し痛くなるだけだ。 「今回は、ここに少し留まれるようですもの。話す機会もあるかも知れないわ」 ベッドの端に座り、袖の長いナイトガウンに着替えたイライザが、長い髪を梳かし始める。 「話になるかどうか分からないよぅ」 頬を膨らませて拗ねるアリスにイライザは苦笑した。 同じ人物から分かたれた筈なのに、どうしてこれだけ性格が違うのだろうと常々思う。 勿論、その真っすぐな気性も含めて、妹のような分身を愛している訳なのだけれども。 「……努力はしてみましょう?」 こう言われると、いつもは素直に頷くアリスだが、今は珍しく眉を寄せ、渋い顔を作る。 「ぼくはいつも努力してるもん。向こうが喧嘩腰なのが悪いんだもん」 自分を守ってくれる楯のように枕を抱きしめたまま、アリスが唇を尖らせる。 いつも努力している割には、先程は勝手に癇癪を爆発させたように思えたのだが、あえて指摘はしない事にした。 「……アリスなりに、頑張ってはいるのね」 「何その含みのある言い方」 じろりと睨まれてもイライザは泰然としたままだ。 「いいえ?あの人が仲介してくれるとはいえ、関係が悪化するのは好ましく無いと思うだけよ」 それを聞くと、アリスがむっつりとした顔になった。 「……べっつに!どうせあの人達と次に会うのは、どこかに飛ばされる時だもん!全然……」 語尾は急に細くなったが、それでも『全然、会いに来てなんかくれないんだから』と言う言葉が聞き取れた。 無理をしているのは誰が見ても分かる事なのに、それでも素直にはならない。 その様子に、髪をとかす手を止め、イライザがふう、とため息をついた。 「……アリスだって、あの人をずっと上級天使に独占されているのは嫌な癖に」 イライザのため息混じりの呟きに、アリスの顔が一瞬で真っ赤になった。 「なっ…!何言ってるのイライザ!全然、ぼくは、あんなヘタレの事なんか…!」 語るに落ちている事には、多分気付いていない。 少し可哀相な程慌てて口をぱくぱくさせるアリスを見、青い瞳が楽しげに緩められた。 「……じゃあ、そういう事にしておこうかしら」 「うう…イライザの意地悪」 恨めしそうに呟いて、アリスはベッドに倒れ込んだ。 「でも、少なくとも数日はここに居られる筈ですもの。少しのんびりしましょう」 「ああもう…なんか色々ややこしい」 櫛削られるイライザの長い髪をぼんやりと見ながらアリスがぽつりと呟いた。 「早く、母さまの中に戻れれば良いのに……」 「……そうね」 「そうしたらきっと、怖い事も無くなるんだもん」 自分に言い聞かせるように呟くと、甘えるようにイライザに擦り寄り、膝に頭を乗せた。そのまま猫のように丸くなって瞳を閉じる。 いつの間にか膝で寝息を立てはじめた少女を見、イライザの瞳が優しくなった。 就寝時に彼女の邪魔にならないようにと、梳かし終わった髪を編みながら、ふと先程の会話を思い返してみる。 『母様の中に戻りたい』とアリスは言ったが、本当にそれは可能な…いや、正しい事なのだろうか。 確かに少女達が存在しているのは、あの時降ろされた『神』ではなく『巫女』の意志だ。 ……だが、今の『巫女』はどう考えているのだろう。 ふ、とイライザの瞳が細くなる。 「要らないと、言われてしまうかしらね」 ――― だって、今の母様の側には、ずっと望んでいた人が居るのですもの。 自分達の根底の性格(=巫女の性格)を鑑みるに、腕の中に複数の人間を抱えていられる程の心の余裕は無い筈なのだ。 そして、もしあの混乱の中で青年の兄が命を落としているとすれば、現在の状況はまた全く違ったものになっているだろう。 今『母さま』の側には、片翼の青年が居る筈なのだ。 それなのに、何故こんな悪戯のような事を繰り返すのだろう。 ――― 満たされて、いないのかしら……それとも誘っているの? では、誰を……。 そこまで考えて、イライザは緩く頭を振る。 ――― いいえ。狂ってしまった神の事など、理解出来る者は誰も存在しないわ。 それは上級天使が発した言葉と全く同じという事は、彼女が知るよしも無い。 それに…… ふ、と下方に視線を移す。 安らかな寝息を立てている栗色の頭をそっと撫でた。 ――― 私はこの子が幸せなら、それで良いのですもの。 |
|
| |
>> back << | >> next << |