新庄郷愁/子供の遊び
テレビもラジオもない時代だったが、人と人の結びつきが多く、子供の世界は今よりはかえって豊かだったのかもしれない・・・思い出すままその頃の遊びを上げてみた。
喧嘩コマ
内側の丸い木コマを買い、それに鍛冶屋で芯棒と外側の鉄の輪を打ってもらってはめる。厚さ2〜3cm,直径7〜8cmくらい。麻で編んだヒモで巻いてほうり投げて回し、互いのコマをぶっつけあって相手のコマの息の根を止めたほうが勝ち。ぶっつかった瞬間火花が散る勇壮なものだった。余技として「ぶっ掛け」という名人の技があり、コマの芯にヒモを巻き両手でヒモをあやつりながら宙で回す。時に空中高くコマをほうり投げヒモで受け止める。あるいは左右の股くぐしなど町内には名人が何人もいたものだ。
釘差し
別名ネッキ差しと云ったらしい。雨の止んだ柔らかい地面に5寸釘をさして相手の釘を倒したほうが勝ち。最初は木の棒の先を削って雪に差したらしいが、私の頃は5寸釘だった。
タッタッタラツク 提灯をもって歌って歩く遊びらしい。小さかったのでとうとうこの遊びには参加しないでしまった。兄が出かけるのをうらやましく思っていた。歌だけは覚えている。「タッタッッタラツク、タタッタッ!デンビカッカホーホー、うっしょデンビ前デンビ、からがさいらずのおおデンビ、お空の提灯来年ござれ、」この歌の前半の言葉が何故提灯と結びつくのかいくら考えても未だに分からない。
凧揚げ
3月カタ雪になると凧揚げをやった。美濃紙の大きさ1枚凧、2枚凧といって大きさが自慢だった。尾っぽは蓑毛で祖父が編んでくれたものだ。口糸の取付けがポイントでよく飛ぶ凧はここの具合によって決まる。隣の町内に名人がいて風の具合を読みころ合いを見て両手で糸を素早く手繰り、手繰っては放す。微風でも名人の手にかかると凧は必ず揚がった。
キカン遊技
両チームに別れ、大将がそれぞれ赤、青、黄のリボンを渡す。メンバーはそれを胸につけ、両チームのメンバーがリボンを隠しながら一斉に向かいあう。キカン見せ!と叫び一斉にリボンを開示する。ジャンケンの要領でそれぞれの色の勝ち負けが決まっており、勝てる色の相手を追っかける鬼ごっこだ。作戦があり、負ける相手には勝てる味方と組んで駆け引きをする。単純な遊びだが面白かった。 逃げ回る、追っかけるの激しさから私が小学校の頃に禁止命令が出た。
ぶんぶんゴマ
竹とんぼみたいに竹を削ってつくり穴を2つ開けて糸を通し両手の親指に通して回す。ブンブンと音を立てて回る、ちょっと要領がいる。
下駄隠しちょんちょんめ
1人が鬼になり他は下駄を隠す。それを探すゲーム。始まる前の歌がある。「下駄隠しちょんちょん目、目がパカパカ痩せる痩せるはお方、ジン抜けろ、いやパかちょん、大黒様の云うとおり」これも意味がさっぱり分からないが、子供のことでもあり、または他の地方から伝わってくるうちに言葉が違ってきているのかもしれない。わらべ歌で「後ろの正面だーれ?」というのがあるが、わが町内の子供たちは「お寺のションベンたれ」と歌っていた(笑)
杉鉄砲
杉の実を弾にした細い竹で作る紙鉄砲の様なもの。芯棒は自転車のスポークや、竹ヒゴを使った。
たかちょ
竹馬である。これが流行ると物価高になると聞いていた。
豆からぶっつけ
枝豆の食べ殻をぶっつけあった。道路上でやっても捨てた豆からは自然淘汰で消えていき苦にならなかった。そう言えば当時の道路上には馬糞などもあちらこちらに落ちていた。
穴開けだんぽ
道路の両側の側溝にはきれいな水が流れており、そこから粘土を取り、皿のように延し、中心をややへこませ、それを勢いよくコンクリートの平面に打ち付ける。ポンと音がして破れる。音の高さを楽しんだ。
グーペーパー
1種のジャンケンだが、最初両手を2回叩いて両手でジャンケンをやり勝ったほうから、グーぺーパーの何れかの手の形を声を出して云い、釣られたほうが負け。決まるまで交互にやる。「赤上げて・・・」の要領。順番を決めるとき只のジャンケンではなく、このグーペーパーを使った。
フイルモニー
一種の草笛である。これが最初に現れたのは祭りの屋台店の商品だったが、それを無くしてしまってからは35m/mフイルムで代用した。フイルムを適当に丸く切って下唇と歯茎の間に挟み口をとがらせて吹く。ちょっとした要領があり、私はこれが得意だった。唱歌や流行歌など自由自在に演奏?出来た。今でも出来るかもしれない。秋の夜、静かに「旅愁」や前奏付きで「幌馬車の歌」などを奏でる。われながらいいと思っていた。フイルムは映画館で切れ端を拾ってきてはよくこれを作った。堅い常緑広葉樹の葉でも代用できる。