ボリビア年表 その2

 

ゲバラのたたかい  あいつぐクーデター  ウーゴ・バンセルの独裁  ガルシア・メサの腐敗政治  民政復帰と空前のインフレ  ウーゴ・バンセルの政権復帰   第二次ガス戦争

 

ゲバラのたたかい

1966年

5 ゲバラの側近ハリー・ビジェガス,ゲリラ部隊の参謀となる.ビジェガスはシエラ・マエストラ以来のゲバラの副官.コンゴでの作戦にも参加.スワヒリ語の偽名「ポンボ・ポホ」をそのまま用いる.

8 ポンボがボリビアに到着.共産党のマリオ・モンヘ書記長と会談.共産党と共青から17人がゲリラに参加.他にボリビア人12人も加わる.ペルーのゲリラ幹部と意見交換.ポンボは,戦いが敗北に終わりつつあるペルーではなく,ボリビアであらたにゲリラ活動をはじめるべきと説明.ペルーのゲリラ3名はこれに同意し,ゲリラに加わる.

8 モイセス・ゲバラが兵士の組織にあたる.中央委員ロベルト・ペレドをはじめペレド4兄弟も共産党を離脱し参加.ココ・ペレード,ニャンカウアス州カミリ近郊に農園を購入.ゲバラの到着を待つ.

9 ゲバラ,第2週~11月第1週のあいだにボリビア入り.キューバ国籍を放棄し,ウルグアイ人ビジネスマンのラモン・ベニテスを名乗る.ボリビアを選んだ理由は(1)カリブ諸国に比べ米国の関心が低く,干渉の危険が少ない.(2)貧しい社会環境と52年革命の記憶は,キューバ革命の思想を受け入れるだろう.(3)ボリビアは五つの国と国境を接しており,もし革命が成功すればその影響はたちまち波及するだろう.

12 ゲバラ,ニャンカウアスでゲリラ戦の準備開始.ボリビア共産党のモンヘ書記長,キューバを訪問しカストロと会談.ゲバラへの協力を約束する.

12.31 帰国したモンヘは,ニャンカウアスに赴きゲバラと会見.国内における闘争の指揮権を要求する.

 

1967年:ゲバラの死

1.01 ゲリラ基地を訪れたモンヘ書記長とゲバラが会談.モンヘは闘いを支持する条件として,党の政治的指導性を要求.ゲバラは,この要求を拒絶。モンヘはボリビア人を集め,「共産党はゲリラ闘争には加わらない.党員・活動家は町に戻れ.そうしなければ除名する」と述べる.

1.01 ゲバラ,経過説明のために兵士を招集.「私は軍事顧問の立場にとどまることは出来ない.間違った謙虚さは何の益ももたらさない.軍事的にも政治的にも、私はモンヘより優れている.私には経験があるからだ.モンヘはボリビアの闘いだけを考えているが,私はボリビアのためだけではなく,大陸規模の闘いを望んでいる」

67年3月

3.17 ニャンカウアス農場,相次ぐ脱走者やスパイにより当局の摘発を受ける.部隊は準備不足のまま基地を放棄.

3.21 ゲバラ,44名の部隊でゲリラ活動開始.内ボリビア人22,キューバ人17名,他ゲバラを慕う外国人.レジス・ドブレ(Regis Debray)とアルゼンチンのジャーナリスト兼画家シロ・ブストス(Ciro Bustos)が,ニャンカウアスを訪れ,ゲリラ戦準備中のゲバラと会見.

3.23 ゲリラの二人,脱走して当局に通報.ニャンカウアスに接近した兵士7人が警備中のゲリラにより射殺.

3.28 陸軍,「ゲバラが国内でゲリラを組織している」と発表.捜索作戦を開始.戦闘機がゲリラ地域を空襲.グリーンベレーにより訓練された軍部隊が,包囲網を敷く.

67年4月

4.10 イリピティで軍と衝突.最初の犠牲者を出す.

4.11 軍,ゲリラ基地を捜索しゲバラの写真を発見.9県のうち4県に戒厳令公布.兵士2千名を動員.カミリに第四師団本部を置く。

4.12 米国軍事顧問団のマルトン・バッド大佐赴任.グリーンベレーを組織し,対ゲリラ作戦の指導を開始.

4.15 ゲリラ,敵の攻撃を避けるため二班に分かれる.

4.16 ゲバラ,民族解放軍(ELN)の結成とゲリラ戦開始を宣言.三大陸人民連帯機構書記局機関紙「トリコンチネンタル」にメッセージ発表.

4.20 ゲリラと会見したレジス・ドブレら,カミリ近郊のムユパンパで逮捕される.CIAはトマス・カラメッシネスをチーフとする秘密作戦チームをカミリに派遣,ゲバラがゲリラ戦を指導していることを確認.

4.25 ゲバラ班の副官でキューバ共産党中央委員のエリセオ・レイエス,敵の待ち伏せを受け戦死.

4.28 ボリビア陸軍のオバンド将軍と米軍,第二レンジャー大隊の創設で合意.CIAは対ゲリラ戦の軍事顧問としてロバート・シェルトン少佐(大尉?)を派遣.ニャンカウアスの製糖工場に対ゲリラ戦訓練センターを設立,ゲバラ捕獲を目的とする部隊を編成.ジョン・ウォゲルステインをチーフとし,ボリビア兵650名,米軍特殊部隊20名,キューバ人亡命者数名からなる.

5.11 ロストウ大統領補佐官,ジョンソンに「ゲバラが南米のどこかでゲリラ活動を開始した.場所については捜査中」と報告.

67年6月 鉱山労働者の虐殺

6 亡命キューバ人フェリックス・ロドリゲス,CIAより南米における対ゲリラ秘密作戦に参加するよう指示を受ける.任務は“エドワルド・ゴンサレス”とともにボリビア軍を助けて,ゲバラたちを追いつめ捕らえること.

6月 政府,全てのストライキを禁止,COBを非合法化し,労組の指導者を追放.民兵隊の武装解除に乗り出す.

6.24 オルロのカタビ鉱山でスト.これを支援し,ゲバラらのゲリラと連帯するため,シグロ・ベインテ(20世紀)鉱山で労働者総会開催.労働者反乱の再発を恐れる軍は,秘密裏にレンジャー部隊を派兵,サンフアン祭の夜に襲撃.この弾圧で公称21人,実際は70名近くの死者を出す(サンフアンの虐殺).

6.26 ウアヌニ鉱山にも同様の攻撃.軍によるカタビ鉱山労働者の虐殺は,鉱山労働者の軍に対する不信感を募らせる.

6.26 コスイギン首相,キューバを5日間にわたり訪問.ラテンアメリカ諸国共産党の合法的な活動を無視してゲリラ闘争を行うことについて批判.

7 LA連帯機構(OLAS)第1回大会,ハバナで開催.ゲバラからのメッセージが紹介され,「武装闘争が,LAにおける革命の基本」と宣言.カストロは閉会演説でベネズエラ共産党の路線を日和見主義ときめつける.ボリビア共産党はOLASの路線に反対し,ゲバラとの関係を絶つ.

8.31 ホアキンの率いる11人からなる別動隊,密告にあい,モロコス河畔の基地を奇襲攻撃される.女性ゲリラ,タニア・グチェレス、日系人フレディー前村などほぼ全員が待伏せにあい射殺.ホセ・カスティージョ・チャベス(パコ)が捕虜となる.この頃からゲバラの健康状態悪化.

タニア: 本名はHaydee Tamara Bunke Bider。アルゼンチンで生まれキューバに渡る。彼女の遺骸は1998年9月にVallegrandeで発見され、キューバに戻り埋葬される。
フレディー前村: 41年、ボリビアの日系人植民地生まれ。革命キューバに医学生として留学中にゲリラに参加した。07年に遺族らが著書を発表し知られるようになる。

67年9月

9.03 フェリックス・ロドリゲス,アルナルド・サウセド大佐とともにラパスからバジェ・グランデ入りし,パコの尋問を開始.

9.15 ボリビア政府,ゲバラを捕らえたものに4,200ドルを与えるとするビラを周辺に撒布.

9.18 ゲリラに物資を補給しようとした共産党系活動家15人が,東南部山岳地帯で捕らえられる.

9.22 ゲバラの部隊,アルト・セコ村にはいる.インティ・ペレドがゲリラの意義について演説した後,多量の食料を購入.夜半に村を後にする.

9.22 ボリビア外相ゲバラ・アルセ,OASにゲバラの活動の証拠を提出.押収された書類,筆跡鑑定,指紋照合,写真などから,部隊はキューバ,ペルー,アルゼンチン,ボリビアの活動家の混成であることを示す.

9.24 ゲバラの部隊,アルト・セコ近郊のロマ・ラルガ牧場に到着.事前に情報を知らされた村人はすべて逃走.ゲバラの病状は悪化し部隊は疲労.

9.26 部隊はラ・イグエラ村(La Higuera)へ移動.ここでも村人がすべて逃走.午後1時から追手との銃撃戦となり,ペレド4兄弟のひとりでボリビア人最高幹部のロベルト・ココ”・ペレドが死亡.他にアントニオ:キューバ人,フリオ:ボリビア人も死亡.ゲバラは村を出た後,道路沿いにリオ・グランデ川方向に向かうよう指示.ロドリゲスはレンジャー部隊をエスペランサ基地からバジェグランデ方面に出動させるよう要請.センテノは訓練が終了していないと出動を渋る.

9.26 ドブレに対する軍事裁判,カミリで開始.ドブレは全面自白.

9.27 レンジャー部隊,ゲリラの脱出を防ぐためサンアントニオ川に沿って包囲網を形成.部隊からはぐれ衰弱したゲリラ兵士ガンバが捕らえられる.

9.29 センテノ大佐,第二大隊の出動に同意.650人がバジェグランデに到着.

9.30 ゲバラの部隊,リオグランデ南方バジェ・セラノ渓谷で軍の包囲網にはいる.

67年10月

7日 ゲバラ部隊,ケブラダ・デル・ジューロ(デル・ジューロ? エル・エーロ? デル・フーロ? チューロ? Vado del Yesoとの文献もある)のravineに野営.(現地に行って写真撮影してきたbolivianitaさんのページにはチューロ渓谷と書かれています。これが間違いないでしょう)

10月8日

About 12 p.m.: ゲリラ17名がチューロに潜んでいるとの報告を受けたレンジャー部隊は,未明に現地に突入.プラド大尉配下の一部隊がゲリラと接触.この戦闘でアントニオとオルトゥーロ(いずれもキューバ人)が死亡.ゲバラとウィリーは包囲を突破しようと試みる.この時ゲバラは下腿に負傷.

1:30 p.m.: ゲバラ最後の闘いがケブラダ・デル・チューロで始まる.部隊の指揮はボリビア人鉱夫のシモン・クーバ・サラビア(ウィリー)がつとめる.彼の後ろについたゲバラは数度にわたり下肢に銃弾を受ける.サラビアはチェを担いで銃火を避けようとするが,ふたたび激しい銃火に見舞われ,ゲバラのベレーが吹き飛ばされる.サラビアはゲバラを置き,銃火に向かうが,包囲され大量の銃弾を撃ち込まれる(一説によればサラビアは生きたままゲバラとともに捕らえられたという).ゲバラは銃撃を続けるが,片腕が利かないため弾丸は地面に当たるのみ.間もなくふたたび右足を撃たれ,銃は右腕もろとも吹き飛ばされる.

3:30 p.m. 兵士が近づいたときゲバラは叫んだ.「撃つな,わたしはチェ・ゲバラだ.殺すより生かしておいたほうが役に立つ」ゲバラは逮捕され拘留される.

夕方 センテノ大佐の命を受けたプラド大尉,ゲバラを7キロ離れたラ・イゲーラに後送.まもなく捕らえられた5人のゲリラもラ・イゲーラに送られる.軍現地当局はゲバラが戦闘で死亡と発表.続報でもゲバラが死亡し遺体を軍が管理と発表.軍首脳はこの報道を確認せず.W.G.ボウドラー,ロストウあてに「8日の戦闘での死者にゲバラが含まれているか否かは不明.9日に二人の負傷者が確認されたが,その内の一人がゲバラである可能性もある」と報告.

10月9日

6:15 a.m.: フェリックスとホアキン・センテノ・アナヤ大佐とともにヘリでラ・イゲーラ入り.

10 am: 米政府とCIAはゲバラをパナマに連行し尋問することを強く主張するが,ボリビア政府はゲバラに宣伝の機会を与えることを恐れ,現地での処刑を指示.正午にゲバラはラ・イゲーラの小学校の教室内で射殺される.

5:30 p.m. チェの遺体はビジャグランデに運ばれ解剖される.ビジャグランデの二人の医師が「胸腔内の銃創からの出血による死亡」と診断.その後同志6人とともにバジェグランデの共同墓地に埋葬される。

  ビジェガス,残っている5人の戦闘員を集め,闘争継続を誓う.米軍顧問とボリビア軍部隊の追跡を逃れる.もう一人のキューバ人生存者はダリエル・アラルコン・ラミレス(通称ベニグノ).

 ロストウ,ボリビア人がゲバラを捕らえたと報告.逮捕にあたった部隊は米軍の訓練を受けた特殊部隊であったことも報告.オバンド将軍,ゲバラの死を公式発表.ゲバラの父は彼の死を明白な証拠なしとして否定.

10.10 チェ・ゲバラの遺体はバジェ・グランデのマルタ病院に移送される。翌日遺体は一般墓地に埋葬される。

10.11 ロストウ,ジョンソン大統領宛に報告.「ゲバラは99%死んだものと思われる.彼は生きて捕らえられ,短い尋問のあと,オバンド将軍の命により処刑された.彼を追いつめ捕らえたのは,グリーンベレーに指導された第二レンジャー大隊である.彼の死はラテンアメリカのゲリラたちに深い衝撃を与えるだろう.

10.13 ロストウ,ゲバラの死に関する一切の疑問は解消された,と報告.

10.14 アルゼンチン警察の職員,ボリビア当局の要請によりラパス入り.保管された指紋とホルマリン漬けにされた「ゲバラの手」の指紋とを照合.合致することを確認する.

10.15 カストロ,ゲバラの死を確認.バリエントス大統領,ゲバラの遺骸はバジェグランデの秘密の場所に埋葬されたと発言.

10.16 ボリビア陸軍,ゲバラの死に関するコミュニケを発表.「ゲバラは8日午後8時に負傷が元で死亡」とする.

10.18 フィデル・カストロ,革命広場に集まった百万近い民衆を前にゲバラへの弔辞を発表.「彼の生涯は歴史の輝かしい一ページであった」「たぐい稀な軍事的才能はかれをゲリラ戦の芸術家に押し上げた」

11.17 レジス・ドブレ、ボリビアの裁判所で懲役30年の宣告を受ける。

 

1968年

3 ビジェガス,逃走に成功しキューバに帰還.その後軍務を継続し,アンゴラ戦争にも指揮官として参加.准将に昇進.

6 ゲバラ暗殺時に内相をつとめたアントニオ・アルゲーダス,ゲバラの日記(原本ではなく,タイプ複写したもの)をキューバに売却.レネ・バリエントス政権を批判するとともに「ゲバラの動機は理解できる」と発言.さらにボリビア政府内におけるUSエージェントの役割を暴露.

7.2 ゲバラ日記,ハバナで刊行.アントニオ・アルゲーダスは,日記をキューバに渡したことが問題となり,この後,ラパスの街頭で暗殺される.

7.22 ゲバラ日記の出版とアルゲーダス暗殺をめぐり政情混乱.全土に非常事態宣言.

7.25 バリエントス内閣総辞職.軍は全政党,全政治組織を政府より排除.軍人のみによる新内閣.

7.28 ELNの生き残りギド・”インティ”・ペレドらペレド兄弟,チリで第2次ELNの結成を宣言.「グランマ」紙に「われわれはふたたび山に戻る」を発表.

8.21 バスケス前陸軍参謀長らによるクーデター,失敗に終わる.

 

相次ぐクーデター

1969年

1 ELN指導者インティ・ペレド,ゲリラ闘争再開と声明.

4.27 レネ・バリエントス,乗っていたヘリコプターの墜落により死亡.副大統領のルイス・アドルフォ・シレス・サリナスが大統領を代行.アルフレド・オバンド・カンディアによる暗殺とのうわさあり.

7 コチャバンバのELN基地,政府軍の襲撃を受け壊滅.ビクトル・ゲラ副司令官らが殺害.

8 大統領選.シレス・サリナス,久しぶりの文民大統領となる.

9.08 ELNのインティ・ペレド司令官,ラパス潜伏中を襲われ警察との交戦の末,射殺される.その後弟のオスワルド・チャト・ペレドがゲリラ闘争を継続.

9.26 バリエントスの後継のオバンド・カンディア軍司令官,クーデターにより政権掌握.みずからを「革命政権」と宣言,「軍による革命的統治」を発表し「革命的民族主義」を提唱.軍と市民の支持を訴える.「革命的民族主義とは過去の軍改革主義者の遺産を引き継ぎ,52年革命の精神を受け継ぐもの」とされる.

11 オバンド,ボリビア・ガルフ石油を接収.ソ連と復交するなど,ペルー型の民族主義的政策を掲げるが,軍内の対立を解消できず政治的不安定が増大.米国からの経済援助停止が追い討ち.

11 アルベルト・ナトゥシュ・ブッシュ大佐によるクーデターが発生.一時権力を掌握。

12 クーデターから2週間後にナトゥーシュは撤退.強力な市民の抵抗,軍内支持者の孤立,米国の非承認政策などが理由.臨時大統領にリディア・ゲイレル・テハダ上院議長(MNR)が就任.初の女性大統領となる.その後オバンドが大統領職に復帰。このクーデターをきっかけに軍内改革派の力が強まる。

12 チャド・ペレドの指揮するELN,現金輸送車を襲撃.

1970年

5 フアン・ホセ・トレス・ゴンサレス陸軍参謀総長,「左翼的言辞のため」解任.後任の参謀総長には右派のロヘリオ・ミランダ将軍が就任.

6 オバンド,予定されていた大統領選を停止.議会を解散し内閣を改造.閣僚にはバリエントス時代反対派だった改革主義者も入る.オバンドはCOBを合法化し,鉱山に駐在していた軍を引き揚げるが,カタビの悲劇を忘れない労働者は,オバンドにいぜん強い警戒感.

70年 ガルフ石油との補償額が折り合わず.米国は経済援助を停止しボリビア産原油を国際市場から排除.このため深刻な経済危機.バリエントス政権以降,軍部への国民の支持が低下したことに危機感を持つ改革派将校は,オバンドからさらに左翼のトレスにスタンスを移す.

7 ELN,西ドイツ人技術者を誘拐,政治犯釈放をかちとる.

10.05 軍の若手将校,オバンドとミランダの辞任を要求しクーデター.クーデターそのものは失敗に終わるが,オバンドの民族主義路線に反対するロヘリオ・ミランダ参謀総長ら軍部保守派はオバンド辞任を迫る.

10.06 オバンド,軍首脳の要求に屈し辞任.ミランダらによる三頭評議会が結成されるが,実効的支配を確立できず.COBは新政府に対しゼネストを宣言.内戦の危機を迎える.

10.07 トレスをかつぐ軍内左派は逆クーデターに成功.労働者の実力行動に支えられ右派政権の実現を阻止.トレスが大統領就任を宣言.副大統領には経済学者ウーゴ・トレスゴイティアがつく。新内閣には労組(COB)より8人が入閣.トレスの下で内相に任命されたホルヘ・ガジャルド・ロサダ,10カ月だけ政権を任せよと声明.

10 トレス,カタビ錫鉱山やマティルデ亜鉛鉱山の廃棄物処理施設など米資本の資産を国有化.米国の平和部隊に国外退去を求める.トレス,米国の影響を打破する一方,ソ連との経済的・技術的関係を強める.

12.23 トレス新政権,レジス・ドブレらゲバラ部隊の生き残りを釈放,チリに出国させる.チャド・ペレドも逮捕され国外追放処分を受ける.

 

1971年 ウーゴ・バンセルによる独裁

1 陸軍大学校長だったウーゴ・バンセル・スアレス大佐によるクーデター,未遂に終わる.トレスはバンセルをアルゼンチンに国外追放.

6 新たな人民権力の創出を求めるトレス政権,左翼統一戦線組織として「人民議会」を設立. 人民議会は労働者・農民の代表から構成され,社会の急進的変革の基礎として位置づけられる.民族左翼革命党(PRIN)のフアン・レチンが議長に就任.クーデターが起きればゼネストと武力で対決すると決議.実体はCOBのみで,共産党,トロツキスト,旧MNR左派の内部抗争により実効なし.MNRはトレスより離反.バンセルら軍保守派はこれに反発,国内は不穏状態となる.

8.19 サンタクルーズでの右翼のデモで30人が逮捕.これを引き金に全国で,三日間にわたる右翼の暴動.政府は「ファシストの陰謀」とし,大量逮捕でこたえる.

8.21 バンセルの率いる反乱軍,米国の指導,ブラジルの後援のもとにサンタクルーズ,コチャバンバを制圧.

8.22 トーレスは政権防衛のための決起を呼びかける.MNRとボリビア社会主義ファランヘ党からなる全国人民戦線(FPN)は,クーデター支持にまわる.

8.24 寝返った空軍がラパスを制圧.バンセルが権力を掌握.2日間の内戦で百人が死に2百人が負傷.トレス大統領はペルーを経由しチリに亡命.その後アルゼンチンで「民族左翼同盟」を組織,反バンセル抵抗戦線の先頭に立つ.

8月 新政権は,外資の導入に基づくブラジル型開発戦略をとる.パスら帰国し政治活動再開.

11.05 ボリビア政府、政治的誘拐に対して死刑を適用すると発表。

71年 ハイメ・パス・サモラ、オスカル・エイドら学生活動家はチリに亡命。サンチアゴでMIRを結成。ハイメ・パスの父、ネストル・パス提督は、ビクトル・パス・エステンソロの従兄弟に当たる(海軍があるのです!)。兄のネストル・パス二世もMIR活動家。70年にテオポンテで反乱。当局により殺害された。

72 ELNの大衆組織として,ボリビア労働者革命党(PTRB)結成.アントニオ・ペレドが指導.

1973年

1 ボリビアの教会関係者99人,「福音主義と暴力」と題する文書を発表.軍部が「自白を強要し,あるいはサディスティックな欲望を満足させる組織的な手段として女性囚数名に暴行を加えるなど,肉体的,精神的な屈辱を与えた」と非難.

5 トレス派のアンドレス・セリチェ大佐,刑務所内で虐殺される.内務長官はこの事実を認め辞任.

5 カトリック教会の正義と平和委員会,約20名が刑務所で虐待のために死亡したことを,実名とともに公表.国際民主法律家協会などの国際組織がボリビア軍部を非難.

1974年

1.09 ウーゴ・バンセル、全ての政治的活動を禁止。軍による反対派弾圧が続く.エステンソロ,パラグアイに亡命.

1.28 コチャバンバ農民連盟,食料品の値上げに抗議行動.軍の弾圧により死者百名を数える.政府は戒厳令を施行.これを機に新弾圧法を制定,すべてのストライキを禁止.鉱山労働者の三次にわたるストライキはいずれも敗北,鉱山に軍が常駐するにいたる.

6.05 反バンセル派によるクーデター,未遂に終わる.

7.08 バンセル,内閣を改造.MNRなど民間人を排除する事実上のアウトゴルペ.

8.06 バンセル,75年10月に総選挙を実施し,12月に民政復帰する計画を発表.

8.29 バンセル,いったん辞意を表明するが,まもなく撤回.

10.18 ボリビア,石油を1バーレルあたり14.65ドルに値下げ.この時期経済は急成長.

11.07 軍内極右派によるクーデター未遂事件.

11.09 バンセルはFPNを追放し軍事独裁体制に移行.全政党の政治活動を禁止,総選挙を無期延期.2千名が政治犯として拘留,5千名が亡命を余儀なくされる.犯罪捜査局(DIC)が拷問の先頭に立ち,アコカージャやサンタクルスの刑務所内で拷問と虐殺を繰り返す.

11.11  ボリビア労働者センター,反独裁の政治ゼネストを呼びかける.

12.11 ボリビア,国内潜伏中の元SS幹部アルトマンの引渡しを拒否.

1975年

1.07 トーレス派によるクーデター未遂事件発生.

1.16 ボリビア政府,左翼の政府転覆計画を未然に防止することに成功したと発表.

1.21 クーデター未遂事件に関してシレス元大統領らが逮捕される.

2.08 ボリビア領チャルナでチリ・ボリビア首脳会談.外交関係の復活に合意.

75年 バンセル政権、東部農業への支援を強化。政府信用の89%、地方開発基金の73%を東部に振り向ける。東部ではアメリカの技術支援により綿花、砂糖、大豆、コーヒーなど輸出用農産物の生産が振興。これに対しアルティプラノ農民への支援はほぼゼロに押さえ込まれる。

75年 チャパレ渓谷,ベニ高地でコカ葉の大規模な栽培が始まる.綿花の大暴落に伴い,ロベルト・スアレス・ゴメスを先頭とする綿生産者組合が転作したもの.

ボリビアでのコカの使用は、少なくとも紀元前3000年ころまでさかのぼるとされる。それは「聖なるパン」(hoja sagrada)と同じように神聖なものと考えられていた。

1976年

5.11 センテノ駐仏大使,パリで2人組に射殺される.

5.22 「ネイション」誌,CIAの提供した情報により,内務省が進歩的聖職者を弾圧.外国人聖職者を逮捕・追放したと暴露.

6.02 前大統領のフアン・ホセ・トレス将軍,亡命先のブエノスアイレスで拉致された後、郊外のサナンドレス・デ・ヒレスで射殺死体となって発見される.コンドル作戦の一環と言われる.

6.09 ボリビア政府,全土に非常事態宣言.

1977年

11.09 バンセル大統領,来年7月に総選挙実施と発表.

12.09 極右派によるクーデター計画が発覚する.

77年 バンセル大統領,米国の圧力を受け,コカの生産を制限する国連協定に調印.

1978年

1.10 政府,民政移管選挙の妨害を防ぐためとして非常警戒態勢を発令.

1.24 全国で一斉にハンガースト.政治囚の大赦を実現.

3.18 太平洋への回廊返還問題でのチリとの交渉,失敗に終わる.ボリビアはチリとの断交を宣言.この頃から経済困難が増大し,バンセル政権への不満高まる.

4月 選挙に向け亡命者がいっせいに帰国。ハイメ・パスらMIRのグループがボリビアに戻り旗揚げ。シレス・スアソの民族革命運動左派と人民民主連合 (UDP)を結成し選挙に参加。

7.09 民政移行を目指す大統領選挙と総選挙が実施される.シレス・スアソのMNRIが優勢に選挙を進めるが、バンセル派ナンバー2のフアン・ペレダ・アスブン内相(空軍大将)が勝利宣言。しかし不正投票と開票操作に対する糾弾が強まり,選挙結果は無効となる.

7.21 サンタクルスで反対派の蜂起.市内を確保する.フアン・ペレーダがクーデターを決行しバンセル大統領を解任する一方、全土に戒厳令を布告.各政党はクーデターに対し支持しないとの意向を表明。

7.22 ペレーダが三人からなる軍事評議会の議長に就任。公約を破り選挙を引き延ばす.

11.24 立憲派若手将校の無血クーデター.軍事評議会議長となったダビド・パディージャ・アランシビア陸軍総司令官は,いかなる候補者も推薦することなく79年の選挙を実施すると予告.

78年 この年ボリビア国内におけるコカの生産高は前年の約2倍,35千トンに急増.

78年 PCB(ML)、フロント組織として革命左翼戦線 (FRI) を結成。その後PCB(ML)は消滅し、FRIのみが組織として存続する。

1979年

2.01 アランシビア,8月6日に新文民政権を発足させると発表.選挙法改正により選挙人登録が簡単となり,9割の国民が8人の候補者の中から選択して投票できることになる.70の政党が選挙登録.MNRの分派だけで30におよぶ.バンセル派は民族民主行動党(ADN)を結成し選挙に臨む。PIRの残党は、バンセルのADNに吸収合併される。(あまりにも無惨です)

7.01 大統領選,第一次投票ではMNR左派のシレス・スアソが僅差で首位となるが,過半数に達せず。議会での決選投票に持ち込まれる。議会では優位に立つバンセル派とMNRとの調整ができず、スアソは就任を断念.

8.08 議会での投票でMNRA前総裁のワルテル・ゲバラ・アルセ上院議長が暫定大統領となる.副大統領には下院議長のリディア・ゲイレル女史(Lydia Gueiler Tejada)が就任。議会は翌年に再々選挙を行うことを決議。

10.11 陸軍の一部が軍政復帰を呼びかけて反乱.

11.01 陸軍バンセル派によるクーデター.アルベルト・ナトゥシュ(Natusch)陸軍大佐が権力を掌握.ゲバラ暫定大統領は地下へ潜伏.反対する市民数十人が軍により殺害.

11.02 ナトゥシュ大佐,軍民政府を組織して大統領就任を宣言.米国務省,対ボリビア経済・軍事援助停止を発表.

11.10 議会,ナトゥシュ政権に対する不承認決議を72対35で採決.

11.12 コロンビア・エクアドル・ペルー・ベネズエラ外相会議,ボリビアのクーデターを非難する共同声明.

11.15 ナトゥシュ,権力獲得後わずか2週間で大統領を辞任すると声明.

11.16 国会,リディア・ゲイレルを暫定大統領に指名.ゲイレルは半年後の再選挙を公約。

79年 政府系農民組合のいくつかが連合して「ボリビア農民統一労連」(CSUTCB: Confederación Sindical Única de Trabajadores Campesinos de Bolivia)を結成。その後トゥパク・カタリ運動の影響を受け急速に左翼化。

トゥパク・カタリ運動: ボリビアの社会を理解する新しい道として「両眼」の理論を提案。これまで左翼が主張してきた階級抑圧のみならず、人種的抑圧の解放も重要だと主張する。西部高地の農民・先住民を基盤とし、「多様な文化」と「多様性の中の連帯」を政治的な議題として掲げる。主な組織に、「トゥパク・カタリ革命運動」(MRTK)、「トゥパク・カタリ先住民運動」(MITKA)など。

79 70年以来初のCOB総会.IMFの指導する緊縮政策を激しく非難.

 

1980年  ガルシア・メサの腐敗政治

2 軍人の麻薬業者との癒着がいっそう進む.政府要人の麻薬への関与を糾弾した左翼系紙「アキ」編集者のルイス・エスピナール神父,テロ集団により誘拐され、拷問のうえ虐殺される.

5 COBとレイエス総司令官とのあいだに6月選挙の結果を尊重する合意成立.ガルシア・メサ陸軍司令官はこれを「たんなる対話に過ぎない」と批判.過激派シレス・スアソの大統領就任を決して許さないと脅迫。国内にクーデターへの警戒感広がる.

6.02 ハイメ・パス・サモラ副大統領候補の搭乗する飛行機,アルティプラノ近郊で爆破され墜落.ハイメ・パスは大火傷を負ったものの奇跡的に生存するが,4人の指導者が死亡.この飛行機はルイス・アルセ大佐の会社の所有であった。アルセは後にルイス・ガルシア・メサの軍事政権で内相を務める。

6.05 マービン・ワイスマン米大使の報告を受けた米国政府は、事件を非難する声明を発表するが,軍・政府はこれを拒否.

6.18 サンタクルスでワイスマン大使の追放を要求する右派勢力が騒乱.民主化グループと衝突し1人が死亡,2人が負傷.軍部はこれを機に大使を「好ましからざる人物」ときめつけ国外退去させる.

6.19 軍部,6月29日総選挙の1年延期を求める声明発表.「シレスは共産党員だ」と攻撃。

6.29 大統領選実施.民主人民連合(UDP)が38%の得票を獲得,UDPはシレス・スアソの全国革命運動左派(MNRI)を中心に共産党(PCB),革命左翼運動(MIR)などが結集.パス・エステンソロも立起し2位となる.軍部の押す候補は第三位にとどまる。

7.10 議会は選挙で相対多数を獲得したスアソの指名に同意.同時に麻薬やその他の非合法活動と結びついた軍部は文民政府の統制下にはいることとなる.大統領就任式は8月4日に予定される。

7.17 ガルシア・メサ・テハダ陸軍司令官、ルイス・アルセ・ゴメス大佐ら,大統領就任を前にクーデター。コカイン密輸と深く関係していたことから「コカイン・クーデター」と呼ばれる。(一説では陸軍司令官ではなく、第6師団長)

コカイン・クーデター: 首謀者はいずれもバンゼル政権の下での人権侵害や腐敗が問題とされていた人物。アルセ大佐は,ボリビアの麻薬王ロベルト・スアレスのいとこにあたる.麻薬業者がコカの「税金」を払う代わりに密輸を黙認した.メサの黒幕は元ナチ幹部のクラウス・バルビー、イタリアのネオファシストStefano Delle Chiaieとされる.資金はコカイン業者が提供、クーデターの段取りはアルゼンチン軍部が指導。実際の行動には、アルゼンチン軍の第601情報旅団とヨーロッパからの雇い兵が当たる。

7.17 メサのほか、Waldo Bernal空軍司令官、Ramiro Terraza海軍司令官よりなる軍事評議会が成立。自動小銃を構えた兵士20人がQuemado宮殿に乱入。Lydia Gueiler Tejada大統領に辞任をもとめる。彼らは「この国に選挙などやる自由はない」と叫んだという。

7.17 軍部、全政党と労組を非合法化、出版を停止。アルゼンチン軍の指導を受けた特別治安部隊(SES)や准軍事組織が反対者を次々に逮捕,拷問,暗殺.外国人記者も拘留される。シレス・スアソやハイメ・パスは国外に亡命。

7.17 カーター政権はガルシア・メサ将軍の新政権承認を拒否.対ボリビア軍事援助を即時停止すると発表.

7.19 COB労働者と農民が軍兵舎を攻撃するが、5時間の戦いの後撃退される。

7.19 ベネズエラ・コロンビア・ペルー・エクアドル4国外相,ボリビアのクーデターを遺憾とする共同声明発表.

8 軍事評議会,ルイス・ガルシア・メサ陸軍司令官を臨時大統領に指名.ルイス・アルセ・ゴメス大佐が内相となり弾圧を直接指揮.社会党委員長のマルセロ・キロガ・サンタ・クルス(Marcelo Quiroga Santa Cruz)など推定1千名が暗殺される。COB本部,米大使館を襲撃.

9.15 ソ連は反米の立場からクーデターを支持.新政権を承認.

9.18 ガルシア・メサ,大統領に就任.社会主義国との協調を声明.アルセ内相は「麻薬輸出が増大している責任は米国にある.彼らは援助を打ち切ることによって,米国内におけるコカイン消費を増大させた」 と述べる.

10.04 ゲイレル前大統領,フランスへ亡命.

12.15 メサ,ゲバラ日記を英国の書籍商エリック・ギャランティアに売却.

12.18 ボリビア,アンデス・グループからの脱退を発表.

1981年

1.15 SES,左翼革命運動(MIR)の青年活動家9名を拷問のすえ虐殺.この他5百名が殺害,千5百名が亡命,他にも多数が国内追放(レジデンシアード)されるなど反対勢力は総崩れとなる.

2 米CBSテレビ,ゴメス内相を麻薬取り引きへの直接関与の疑いで告発.ゴメスは内相を辞任し,士官学校校長に転任.

3 士官学校生徒百名,ゴメス就任に反対し反乱.

5.25 政権腐敗に抗議するランサ大佐率いる一部軍部の反乱.メサはバンセル,ナトゥシュが関与していると非難.

5.26 メサは7月末辞任を公約する.

6.27 バンセル派の陸軍総司令官が指揮するクーデターが失敗.これにより自信をつけたメサは、公約を破棄し大統領居座りをはかる。

8.03 サンタクルスで軍の一部が反乱。市内を制圧。

8.03 Celso Torrelio将軍(一説にナトゥシュやアネス陸軍前参謀総長ら)のクーデター。

8.04 ルイス・ガルシア・メサ、大統領を辞任し軍事評議会に政権をゆだねる。ナトゥシュとアネス陸軍前参謀総長は、大統領辞任が確定するまで、交渉を拒否すると発表。

8.04 軍事評議会成立.中央銀行のドル払底,外国銀行は信用停止.政府振出の小切手が不渡りとなる.いっぽうでメサ政権の下コカインの密輸出は8億5千万ドルに達する.これはボリビアの公式輸出総額の2倍に達する.これにより獲得された「コカ・ドル」は軍高官の懐にはいる.

8.06 サンタクルスの反乱軍は、新Juntaの承認を拒否し抵抗を続けると声明。フンタはカトリック教会に調停を依頼。

8.08 ナトゥシュ将軍と軍事評議会との間で衝突回避の合意成立.反メサ派軍人の帰国と職務復帰が許され、軍分裂の危機は回避される.不可解な妥協の影にはクレムリンが存在したとのうわさもある。

8.10 ボリビア中銀、外国銀行の信用供与拒否により現金1千万ドルの資金ショートをきたす。

8.12 軍内中間派のセルソ・トレリオ・ビジャ内相兼陸軍総司令官が暫定大統領となる.ボリビア新内閣発足.軍人10人と民間人7人よりなる.

8.15 政府、Leonidas Sanchez議員ら政治犯28人を釈放。釈放された人々の証言により、拷問の実態が明らかとなる。

8.15 鉱山労働者、組合指導者Julio Cossio Meruviaの逮捕と死亡に対し続けられていた無期限ストライキを解除。

8.24 ニューヨーク・タイムズ、メサ政権が麻薬取引から巨額の利益を得ていたと報道。一部の将校は、麻薬業者を保護する見返りに何百万ドルもの賄賂を受け取っていた。

9.02 セルソ・トレリオ(Celso Torrelio Villa)将軍が陸軍司令官に就任。メサを支持する軍事評議会との緊張した議論が続く。

9.04 セルソ・トレリオが大統領に就任.SES解散の公約は実行されず.トレリオはルイス・アルセが米国の圧力により退陣した後、内相を務めていた。

9.10 ボリビア南東部で錫鉱山労働者を載せたトラックが転覆。36人が死亡する。

9.24 ボリビア政府、危機に瀕した経済を立て直すため、国営企業の民営化をふくむ新たな経済計画を発表。政府によれば、累積対外債務は35億ドル、国際収支赤字は2億7千万ドル、今年度財政赤字は1億5千万ドルに達する。

10 ニカラグアの国連代表団,ガルシア・メサ政権の人権侵害を非難.セルソ・トレリオ政権を認めず、シレス・スアソの「亡命政権」を承認.

11.06 大統領選に勝利したレーガン,ボリビアとの国交を回復すると声明.エドエイン・コールを新大使に指名.ボリビアの麻薬産業発展を保障する.

11.10 錫鉱山労働者5万人が、労働基本権の回復を要求し13日間のストに入る。政府は交渉を拒否し弾圧を繰り返す。

11.10 人権侵害で知られたJorge Aguila Teran将軍が「極左分子」により狙撃される。

11.13 国連人権委員会,ボリビアを訪問・調査.ロムロ・メルカド内相,SESによる拷問の事実を否定.SESを解散し,国家情報部(DIE)を発足させるが,部員の多くはSESからの継続.

11.23 錫鉱山労働者のストライキが労働者の勝利に終わる。政府は労働者の雇用継続を保証。

11.26 労組の指導者7人が、労働基本権の回復を要求し、大司教区事務所と国連事務所前でハンストに入る。

12.29 ボリビア政府、ペソ切り下げを発表。同時に集会禁止令を発令。

81年 CSUTCB はCOBに加入。大規模な動員による道路封鎖やと交渉を通して要求を国家につきつける戦略をとった。

81年 エボ・モラレス、コチャバンバ県チャパレ地方「サン・フランシスコ」農業組合で農民活動を開始。

 

民政復帰と空前のインフレ

1982年

2.07 政府、「政府転覆を目指す陰謀組織」を摘発。前国会議員をふくむ8人を逮捕。

2.26 カタビ鉱山の労働者が賃上げを要求し24時間スト。

2.27 トレリオ大統領、来年度前半に制憲議会選挙を実施すると発表。これに向け政党活動の自由の復活を図ると述べる。

4.03 ボリビア政府,フォークランド諸島紛争が軍事衝突に発展すれば,同国はアルゼンチンに軍事支援をおこなうと発表.

4.22 パラミリタリー組織「主権」、Edwin G. Corr米大使がボリビア軍を侮辱したとし、3週間以内に出国しなければ殺すと脅迫。

5.22 トレリオ大統領、来年4月に総選挙を実施、8月には新大統領に権限を委譲すると発表。

7.16 トレリオ大統領、辞意を表明。Faustino Rico Toro大佐が大統領就任を狙うが、軍指導部により拒否される。メサがふたたびクーデターの動きを示したことが背景.

7.19 三軍司令官からなる軍事評議会がふたたび成立。トレリオ大統領の辞任を受理し,後任にキド・ビルドソ・カルデロン陸軍参謀長を任命.

7.21 ビルドソ,大統領に就任.民主主義体制への復活を指示.

8.15 ラパスを中心に民主主義の復活をもとめるゼネスト。

9.13 軍事政府に反対する全国ゼネストが開始される。政府は参加者全員を解雇すると脅迫。

9.15 ラパスで大統領退陣求める8万人の反政府デモ.国軍将官がビルドソ辞任と一週間以内の議会への権限委譲を求める決議を採択,内戦へ発展の動きを見せる.

9.17 ビルドソ大統領は民政移管のため辞任に同意と発表.80年議会の再開とその決定の尊重を打ち出す.シレス・スアソ、ハイメ・パスが帰国し政治活動を再開。

9.18 軍事評議会、10月10日までに、国会によって選ばれた大統領に権限を委譲すると述べる。

9.22 政府,5000万ドルの対外債務が返済不能になったと発表.

9.28 2年ぶりに国会が開催され、軍部との間で民政移管に関する話し合いを開始.

10.05 議会,圧倒的多数の支持で人民民主連合(UDP)のエルナン・シレス・スアソを大統領に選出.4年間にわたり5回のクーデターを繰り返したあと,軍部は政権放棄.

10.06 シレス・スアソ、錫鉱山を訪問しストライキ中の労働者と交渉。

鉱山労働者は、元大統領スアソとかつて対決したことを忘れてはいなかった。銃弾とダイナマイトの爆発音が彼を歓迎した。鉱夫は彼に点火されたダイナマイト棒を手渡した。スアソは火を消さなかった。鉱夫はダイナマイトをひったくり、放り投げた。それが爆発する寸前に。

10.08 シレス・スアソ(68歳)が大統領に就任。10万人以上がサンフランシスコ教会前の式典に参加。

10.09  レーガン政権、前政権時代に凍結した政府支援1億ドルを復活すると声明。

10.10 人民民主連合(UDP)政権が発足,共産党からも二人が入閣.GDPはこの年だけで10%の低下.シレス・スアソは物資欠乏と経済危機の中で民主化を進めるという難しい局面に立たされる.議会においてはUDPは常に少数会派であり,パス・エステンソロのMNRとバンゼルの民族民主行動(ADN)に多数を占められた.

10.12 シレス・スアソ、全ての軍最高司令部メンバーを更迭。

10.12 ボリビア政府、ニカラグアとの国交を回復。

10.24 シレス・スアソ、破産状態の国家経済を救済するため、ガソリン、公共運賃の値上げを発表。外貨に対する規制の強化にも乗り出す。

11.09 ボリビア最高軍事法廷、軍事評議会の前メンバー三人を宝石密輸へのかかわりで裁判にかけると発表。

11.18 マイアミ連邦地検、ボリビアのルイス・アルセ・ゴメス元内相を、コカイン密輸への関与の疑いで捜査中と発表。

11.19 ボリビア陸軍、「軍の名誉を傷つけた」とし、ガルシア・メサ他14人の上級将校を除隊処分に付す。

12.24 ハイメ・パスの率いるMIR、スアソの緊縮政策に反対し連立政権から離脱。

 

CTUSBのホームページから

 

82年 CSUTCB の総会、「農地改革問題」に関する決議を採択。①「農業の発展を基本とした経済政策への転換」を要求。②東部平原地帯における大土地所有者の農地強奪を非難、③農地の外国企業への売り渡しに反対し、土地保全をもとめる方針を採択する。

82年 「東部・チャコ・アマゾン地域ボリビア先住民連合(Confederación Indigena del Oriente, Chaco y Amazonia de Bolivia、以下CIDOB)が結成される。大規模農業の拡大や、資源開発から自らを守ることを目標とする。東部では「生産的な農業」というエクスキューズと土地接収の不徹底によって、ネオラティフンディオと呼ばれる新たな大土地所有制が生まれていた。

1983年

1.10 公民検察官、最高裁に対しクラウス・バルビー(69歳)の西ドイツへの身柄引き渡しを求める。バルビーは占領下のリヨンにおけるSS隊長で、ゲシュタポを仕切り「リヨンの屠殺人」の名で恐れられていた。51年にボリビアに潜入しクラウス・アルトマンを名乗り、57年には市民権を獲得した。

1.11 ボリビアとキューバ,20年ぶりに外交関係再開.外相がカストロと会見し革命の成果を賞賛.キューバは 医療用品を贈るなどボリビアとの関係強化.

1.16 大統領の権限をめぐり与党連合内に亀裂。

1.21 バルビー,身柄を拘束される.当局によればバルビーはコカイン密貿易にかかわって利益を受け、これにょり元ナチ、支持者を雇い兵に組織し、軍事政権を影の軍隊として支えたとされる。

2.04 バルビーを国外追放,フランスへ移送.終身刑を宣告される。

2.05 ナチ・ハンターのSerge Klarsfeld、「フランス当局はバルビーがボリビアにいることを察知していた」と語る。クラルスフェルドによれば、バルビーは少なくとも8年まえからCIAと西ドイツ情報筋のために働いていた。また、第二次大戦後の5年間、西ドイツの米占領軍当局はフランスがバルビーを逮捕しようとする試みを妨害していた。

2.16 公務員労働者が政府の緊縮政策に反対してストライキ。街頭行動に警察が介入し2人が死亡。警察は略奪に抵抗した商店主が射殺したと主張。

3.23 シレス・スアソがフランスを訪問。ミッテルランはバルビー引渡しに感謝し、「あらゆる可能な手段で」ボリビアを援助すると語る。

3.31 マリオ・ベラルデ外相が訪米しウィリアム・フレンチ・スミス司法長官と会談。麻薬根絶作戦の強化、代替作物の作付け振興で合意。千5百万ドルの援助を交換条件に,3年以内に4千ヘクタールのコカ畑を廃棄、ドラッグ産業と闘うための法整備を行うことを約束する.米国は,対マフィア特殊部隊として「地方警備機動部隊(UMOPAR)」の創設にかかわる.

4.14 米司法当局の捜査員がボリビアに入り、バルビーとCIAの関係についての調査を開始。

4.21 スアソ政権の緊縮政策に抗議し、左派閣僚三人が辞任。

5.06 アルゼンチン警察、米国のもとめに応じ亡命中のLuis Arce Gomezを逮捕。アルセ・ゴメス大佐は、アルゼンチン軍事政府によって政治亡命者としての保護を与えられていた。

5.17 ボリビア政府、「汚職および経済犯罪」により、メサ前大統領と29人の前政権幹部に対し逮捕を命令。

10  ボリビア,米国のグレナダ侵攻を非難する国連での決議に賛成.

11.17 国会議事堂で爆弾が爆発。

11.25 4日間の全国ゼネスト。緊縮財政の下、食料・ガソリン価格は5倍に跳ね上がる。

 

1984年

2.06 アルゼンチン政府,同国亡命中のボリビアのガルシア・メサ元大統領を追放.

4.12 政府、一段と厳しい財政再建計画を提示。ペソの75%切下げ(1ドル=500ペソ→2000ペソ)、基礎食料・石油・バス料金の1.1~6倍値上げを骨子とする。

4.13 COB,4日間にわたる物価値上げ反対スト.

4.15 ゼネストがいったん終了。労組は緊縮政策の修正が行われない限り、数日後に無期限ストを開始すると通告。

4.17 武装警官がラパス中央銀行を統制下におく。緊縮財政に反対する銀行員のストにより中銀の機能は停止していた。

4.30 37億ドルにのぼる債務の返済を無期限に中断.記録的なインフレと労働攻勢への対処に追われる.

5.19 アマゾンのジャングル内に大規模なコカ農場とコカイン工場が発見される。

5.27 イギリスに流出した「ゲバラ日記」がサザビーで競売にかけられる。ボリビア政府は「日記」の所有権を主張し、競売を阻止するための差止め請求。

5.30 ボリビア政府、外国商業銀行への総額10億5000万ドルの対外債務の支払いを一時停止。国際金融機関への返済も輸出額の25%までに抑えると発表。

6.03 経済危機のためロサンゼルス・オリンピック参加とりやめ.

6.30 軍内右派と警察部隊の約60名がクーデターを試みる。寝室にいたスアソ大統領が連れ去られ、一時拘留される。軍事最高司令部は大統領誘拐を非難、兵士に対し禁足令を発令。

6.30 10時間の交渉の末、スアソが解放される。首謀者たちはアルゼンチン大使館への亡命を許される。

7.01 政府当局、クーデター未遂事件の経過を発表。軍内保守派の一大佐が、複数の高級軍人、政治家そして、麻薬に汚染された警官を巻き込んで計画を立案したとされるが、詳細は不明のまま。

7.01 二人の元閣僚をふくむ右派軍人・警官・政治家100人が、クーデター加担の容疑で逮捕される。首謀者とみなされるロランド・サラビア大佐(Rolando Saravia)は依然として国内に潜伏。

7.05 COB,民主主義擁護をスローガンに,4日間にわたるゼネストを決行.

7.08 COB、政府との折衝により外国商業銀行への債務支払いを無期限に停止することで、政府と合意したと発表。ゼネストの中止を指令。

7.09 ラパス市の公務員が賃上げを求め無期限ストを開始する。

7.31 内務省部隊数百名、2週間にわたりチャパレで大規模なコカイン摘発作戦。二つの大規模な工場を摘発し、836ポンドのコカイン、航空機および武器を押収したと発表。

8.21 フェデリコ・アルバレス内相、拷問を行ったとの告発を受け辞意を表明。その後シレス・スアソの説得を受け辞意を撤回。

8.31 ボリビア当局、クーデターを計画したとしてロナルド・サラビア退役大佐を非難。

9.12 Zuazo大統領、「すべてのボリビア人が平和を回復するため」、コカ生産者との交渉に応じる。議会がに反対したことに抗議しハンガーストライキを開始。

10.27 トリニダーからサンタクルスに通じるハイウエイで、道路を封鎖した農民と、障害物を排除しようとしたトラック運転手が衝突。銃とマチェーテの応酬で少なくとも15人が死亡、45人が負傷。

10.28 スアソ大統領、「和平の雰囲気を作り上げることに成功した」としてハンガーストを解く。

10.30 ゼネストにより全土が麻痺する。COBは賃金統制の解除、失業者の救済、食料・必需品の確保が実現するまで無期限にストライキを続行すると声明。野党は政府の辞任と早期の選挙を求める。

11.15 政府、14日にわたるゼネストを回避するため、カトリック教会の斡旋を受け入れると表明。

11.16 政府、戦車をラパス市内に出動させ威嚇。スト参加者は市内にバリケードを築き、ダイナマイトで突撃するなど暴動状態に入る。軍は空砲と催涙ガス弾で応酬。

12 シレス・スアソ政権,IMFと交渉しながら経済再建計画を策定.COBの強力な反対とボリビア私企業経営者協会(CEPB)の抵抗にあい挫折.無政府状態の中で完全な手詰まり状況となる.3年間の在任期間を通じて,シレス・スアソはついに議会をコントロールすることができなかった.

12月 ハイメ・パスとMIR、シレス・スアソ政権を離脱。

12月 インフレは11,980%に達する。

 

1985年

1.02 Eastern Airlinesジェット機がラパス近くで墜落。29名が死亡。

1.06 全国34の工場で占拠スト。経営者・技術者ら200人を人質にして立てこもる。政府との交渉で3日後に解放。

2.10 ラテンアメリカの債務国11カ国が首脳会議。対外債務についての国際交渉を求める。

2.10 物価に上げに抗議するゼネスト。国内は麻痺状態に陥る。農民は都市に通じる道路を封鎖する動きを見せる。軍は、道路封鎖が行われれば軍が出動すると警告。政府はストが続けば軍事政権がふたたび成立すると警告。

3.07 全国ゼネストが開始される。国内は麻痺状態となる。

3.08 レチンとCOBは賃上げとシレス・スワソの退陣を要求し、ゼネストを繰り返す.国内産業活動は麻痺状態に陥る。

3.14 COB、政府の和解案を拒否。要求が認められなければ電力カットを強化すると声明。

3.19 全国から数万の労働者が首都に結集し、連日のデモ。一部は「労働者・人民国家」のスローガンを掲げる。

3.20 シレス・スアソ大統領、COBの要求は不当であり拒否すると声明。ラパス市内の秩序維持のため軍と機動隊に出動命令。

3.21 政府、カトリック教会の調停を受け入れると声明。

3.22 COB、政府の最低賃金引き上げ提案を受け入れ、16日間のゼネストを中止。

3.24 政府、パンの価格を75%引き上げ。COBは政府の裏切りと非難。

3 シレス政権,中国と国交回復,台湾との関係を断絶.

5.22 コチャバンバでゼネスト。参加者は政府が要求を認めなければ、鉱山へつながる電線を切断すると宣言。

5.29 政府、騒動が続けば大統領選挙を延期すると発表。

5 米議会,対外援助法を可決.麻薬がらみの国への援助を制限することが盛り込まれる.シレス,米国との関係を維持するための最後の努力として,広範な麻薬取り締まりに関する政令を布告.米国はもはやシレスに期待せず.

6.28 スクレで暴動が発生。デモ隊が公用車や行政幹部の家に火をつけるなど暴徒化。

6.29 選挙管理委員会、大統領選挙は予定通り行われると発表。アメリカ大使館は軍事クーデターの動きを封じ込めに動く。

7.14 任期を1年間短縮し繰上げ大統領選挙.バンセルが28.5%で相対首位を占める.MNRのビクトル・パス・エステンソロは26.4%で僅差の二位.三位にはMIRの一派を率いる前副大統領のハイメ・パス・サモーラ.MNRI候補の得票はわずか5%にとどまる.

8.05 国会で次期大統領決戦投票.二位=三位連合が成立しパス・エステンソロが大統領に選出.エステンソロの大統領就任はこれが4回目.シレス・スアソ政権終了.インフレは2万4千%にのぼり,債務支払いは輸出総額の7割に達する.租税収入はGNPの1.3%にまで下落.麻薬が最大の輸出産業となる。

8.06 パス・エ ステンソロ,大統領に就任.外交政策を右傾化.ニカラグア問題に関しても,米国との関係に配慮しアリアス提案を消極的に支持するにとどめる.経済企画相にはゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダが就任。

8.07 新政府、年間1万4千%のインフレを抑えるため、通貨を95%切り下げ、ガソリン価格を1000%引き上げ。年内いっぱいの賃金凍結を宣言する。

8.29 パス・エステンソロ,新経済政策を発表.債務国地域会議への参加を拒否,米国との関係修復に努める.

新経済政策(Nueva Politica Economica: NPE)の柱: 新自由主義的経済モデルを採用,ペソ切下げと経済自由化を柱とし,さらに国際通貨基金や世界銀行が進めた構造調整プログラムを受け入れる.これに伴い,公社の民営化と公営銀行の閉鎖、価格統制の撤廃、均一関税の採用と非関税障壁の撤廃、金利自由化などが実施される.

8.30 鉱山労働者が48時間のストライキを開始。Fernando Barthelemy内相は警察を非常事態体制に置き、対決姿勢を示す。

9.01 全国的なストライキが開始される。警察は大統領官邸周囲に突入を図ったデモ隊の一部に対し催涙弾を発射し追い散らす。

9.02 エステンソロ大統領、労働者の「自由契約」を許した政令を公布。この政令の下で、2年間に鉱山労働者3万人のうち2万3千人が解雇される。緊縮政策反対の1万人抗議デモ,鉱山,工場労働者5万人がスト突入.

9.19 政府,ゼネストに対抗して戒厳令を布告.労組指導者多数を逮捕.民衆の支持を失った労組に反発力はなし.

9月 コールにかわりエドワード・ローウェルが米国大使として着任.

9月 ボリビア政府,国際金融団との直接交渉にのり出す.

9 米下院麻薬対策特別委員会の委員がボリビア訪問.これまでの政府の対応に不信感を表明しパスに圧力をかける.

10月 錫の国際価格が暴落。

85年 ハイメ・パスとオスカル・エイド(Eid)の率いるMIR、大統領選挙の後から路線を右転換。マルクス主義と階級闘争を放棄し政権獲得を目指す。Antonio Aranibar派はこれに反対し離党。

85年 貿易自由化を受けて,小規模生産者からなる伝統的な農業部門は縮小.逆に東部サンタクルス県を中心に,輸出向けの大豆生産が大きく伸びるなど、大規模で近代的な商業農業が拡大.

新経済の象徴としての大豆生産
大豆生産は,栽培面積・生産量とも、約15年の間に10倍以上となり,加工品を含めたアンデス共同体諸国への輸出額は20倍近くに伸び,輸出全体の20%にのぼる(亜鉛は11.7%,天然ガスが8.3%).当初の生産主体は日系植民地やドイツ系メノニータ植民地.90年代初めにはブラジルを初めとした外国資本が参入.

 

1986年

1.13 COB指導者のフアン・レチン,武力闘争以外解決の道なしと言明.労働運動の孤立が明らかとなる。

6 米政府,麻薬対策に熱意がないとして7百万ドルの対ボリビア援助を凍結.82年からの3年間でコカの栽培面積は倍加.これと比例してコカの国外流出も増加.

7 ボリビア政府,議会の承認を経ずに「溶鉱炉作戦」を開始.これはベニ州のコカイン製造工場を破壊し,関係者を逮捕する米国との共同作戦.米兵150人も参加.

8.08 ボリビア訪問中のシュルツ国務長官、暗殺未遂事件に巻き込まれる。

8.20 米軍が北部国境付近に進駐したことに抗議して,COBがゼネスト.

8.28 政府,鉱山労働者の抗議行進に対し、ふたたび全土に戒厳令.

10 ボリビアのフェルナンド・ジャネス特使,米上院で溶鉱炉作戦の結果を報告.ひきつづき麻薬取締法の制定に力を注ぐと約束.パスは議会内でADN=MNR協定を結び,野党の攻撃に対応.

11.27 エステンソロ政権,サンチェス経済企画相の立案にもとづく「ショック療法」計画を実施.10万分の1のデノミと新通貨発行の通貨改革法が成立.85年度8,171%のハイパーインフレを抑制することに成功.86年度は66%,その後は年間20%前後の物価上昇率で推移.ボリビアにおける新自由主義政策は、IMF が成功例として持ち出すなど高く評価される。

サンチェス・デ・ロサダ: 米国で教育を受けた元実業家.英語はぺらぺらでスペイン語がうまく話せないという風変わりな人物。ただしこのうわさは、ボリビア人がこの位のデマは平気で口にするという証拠としてとるべきかもしれない。

1987年

7.27 COB,緊縮政策反対のゼネストを計画.バス政権は石油・天然ガス生産地域を軍の管理下におき,ストを押さえ込む.

12 レーガン政府,ボリビアが対外援助法の麻薬条項をクリアしたと認定.ボリビアの国際金融団との債務軽減交渉を支援.麻薬対策への追加支援など年間9千万ドルを援助.ボリビア政府は米国の意向に添い,これまでより厳しい内容をふくむ麻薬法改正の準備にはいる.AID資金に基づき,コカイン産業の中心地コチャバンバ州チャパレで,地方開発援助計画が発足.

87年 この年、GDPはプラスに転じる。いっぽうで、35,000 もの民間企業が廃業に追い込まれた。政府は民営化と不完全な税制改革により財源を失い、国際金融機関の援助に頼るようになる。

87年 失業者はコチャバンバ県チャパレに移動しコカ葉の不正栽培を開始する。この結果ボリビアは世界有数のコカ葉生産国となる。

1988年

1 米下院,レーガン政府のボリビア援助再開について反対の意志表示.

6 ウモパール部隊,ビジャ・トゥナリで麻薬取締り作戦展開.麻薬関係者と銃撃戦.左翼はウモパールの行動を行きすぎた反麻薬政策の帰結と非難.グアジャラメルに駐在するDEA捜査官の権限逸脱を指摘.

7 「コカおよび類似物質取締法」成立.

8 シュルツ国務長官,ボリビアを訪問.シュルツを狙う麻薬業者による爆弾テロ.

10 ゲルバード新大使赴任.ボリビアを麻薬撲滅のための「特別ケース」とし,援助を強化すると表明.

10.26 ウモパール部隊,ベニ州グアジャラメルで麻薬関係者数人を殺傷.

12 政府,米軍技術者の援助の下にポトシとスクレの空港が拡張・強化されると発表.国内で議論が巻き起こる.

12月 総選挙を前に、アイマラ族を中心とする政党CONDEPA(Conciencia de Patria)が創立される。党首にRemedios Loza(女性)が就任。エルアルト市を中心に「都市在住の先住民」(チョロ)を組織する。その後先住民全体を結集する政党に成長する。

1989年

1 米国とのあいだで,この後1年間でコカ畑5千~8千ヘクタールを破棄する協定締結.立法援助,司法業務などを援助・強化するプロジェクトが開始される.この年の米国からの援助はLA諸国中3位,南米では最高額となる.

5 大統領選挙.MNRは経済企画相のゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダを候補に立てる。ロサダは一位となるが、過半数を獲得できず.二位となった民族民主行動党(ADN)のバンセル将軍はハイメ・パスに二・三位連合を提起。当初、パスは決してバンセルと協力しないと誓ったが、結局支持を受け入れ、「愛国協定」を締結。

5月 ボリビア国会選挙。CONDEPAのレメディオス・ロサ議長が初の女性国会議員に当選。ビクトル・ウーゴ・カルデナスの率いるトゥパクカタリ解放革命運動(Movimiento Indio Tupaj Katari de Liberación、MRTKL)が高地先住民を基盤に1議席を獲得。先住民政党への投票率は、1985年の4パーセント未満から13.90パーセントまで増加。

5月 一斉地方選挙。アイマラ族出身でテレビタレントのカルロス・パレンケが、ラパス=エルアルトの市長に当選する。パレンケはCONDEPAから立起し、アイマラ族のシンボルを用い、アイマラ語で大衆に訴えた。

8.06 MIRのハイメ・パス・サモーラが大統領に就任.国会議長と主要閣僚ポストはADNがしめる.エステンソロの新自由主義経済改革を引き継ぐ。

ハイメ・パス政権: ハイメ・パスは政権基盤の弱さから、「汚職以外の成果をあげることがなかった」といわれる。彼の片腕オスカル・エイドは麻薬コネクションとの疑いで懲役4年の刑を受けた。しかし教育・医療をふくむ公共サービスは一定前進したとも言われる。

10.10 ペルー,ボリビア,コロンビアの3国大統領,米を加えた「麻薬サミット」の開催を提唱.

10.18 ハイメ・パス大統領,ペルーのガルシア大統領とチチカカ湖畔で会談.広範な経済協力で合意.

11.15 政府,戒厳令を発動.

89年 アルセ・ゴメス、ボリビア警察により逮捕される。政府の承認の下に米国に引き渡される。マイアミ連邦地裁は懲役30年を宣告。

1990年

4.02 米国の平和部隊,ボリビアで20年ぶりに活動再開.

12月 ハイメ・パス、左翼ゲリラ組織「ネストル・パス・サモラ委員会」への弾圧を指令。

90年 低地地方の十数の部族の約700人の男女が、サンタクルス県北部トリニダードの町からラパスまで行進を行った。35日間、700キロに及ぶこの歴史的な行進は、「領地と尊厳のための行進」と呼ばれた。

1991年

1.8 ボリビアの労働組合,パス・サモラ政権の緊縮政策に抗議し2日間の全国スト.

3月 ボリビア政府、「先住民族および種族の、国民としての権利」を定めたILO憲章の第169協定に署名。議会もこれに関連する国内法令を可決。政府は農地改革改正に先駆けて、200 万ヘクタールにおよぶ東部の先住民の土地と権利を認める。

3月 CIDOB の一部であるベニ民族連合(Cordinadora de Pueblos Indigena del Beni、CPIB)が、先住民の土地の回復を求め、東部のジャングルから首都ラパスまで700 キロに渡る「領土と尊厳のための行進」を敢行。国内外の関心を集める。

5.18 カラカスでアンデス5ヵ国首脳会談,来年1月1日からの域内貿易輸入関税原則撤廃を確認.1991年7月5日

7.05 「トゥパクカタリ・ゲリラ軍」 (EGTK)が破壊活動を開始、フェリペ・キスペらが指導。アルチプラノ高原の先住民を中核とし活動家総数は約100名とされる。石油油送管、送電設備の破壊を狙う。またモルモン教会へも攻撃。

7月 米国人がポトシのコロマ族の「神聖な織物」を盗む。コロマ族の抗議を受けたサンフランシスコ税関は、これを没収しコロマ族に返還する。

8.22 米政府,ボリビアの政府間債務の大幅減免に踏み切る.

11.24 「黒い手」と称する死の部隊,「社会から望ましくない要素を取り去るため」警察官,売春婦,ゲイなど12人を射殺.

1992年

1.24 ペルー南部海岸のイロでフジモリとパス・サモラ大統領が会談.アンドレス・デ・サンタクルス協力協定を締結.イロをフリーゾーンとし,50年間ボリビアに使用を認めることで合意.

5.13 パス・サモラ大統領は、100万ha.以上の土地をアンデス山脈地帯の先住民へ譲渡する法案に署名。

10.12 低地および高地の先住民が「抵抗の500年」を祝う。数千人が各地の主要都市で土地の要求を掲げ行進。ラパスでは5万人以上が政府庁舎を囲んで、「人間の鎖」をつくった。

10.12 先住民の代表が「諸民族会議」の創設を目指す集会を開催。自らを「先住民族」(pueblas originarios)と呼ぶことで合意。お互いの政治的スタンスの違いから常設機構の創設には至らず。

92 「トゥパクカタリ・ゲリラ軍」 (Ejercito Guerrillero Tupac Katari:EGTK)、11人の指導部が逮捕される。EGTKは80年代前半に30回の爆弾テロを実行したが、幹部の一斉逮捕で活動力を失い、93年には解散を声明。

1993年

1.20 国連開発計画(UNDP)、ボリビアで先住民を保護する計画に5100万ドルの資金を供給。持続可能な発展と、文化的な保護を目標とする。バイリンガル教育と新しい健康管理設備、手仕事などの職業訓練のプログラムが組まれる。

1 トゥパク・カタリ・ゲリラ軍の残党,USAIDSの駐車場を攻撃.その後活動は自然消滅。

3月 ラパス=エルアルトの市長パレンケ (CONDEPA)が大統領選に出馬。「何でもやります」と公約し、首都ラパス地区のアイマラ族移住者に支持を広げる。MNRはこれに対抗するため、MRTKLの指導者ビクトル・ウーゴ・カルデナスを担ぎ出し、副大統領候補にすえる。

4月 ボリビアとチリ,国交回復問題を棚上げして多くの品目の関税撤廃を定める経済補完協定を締結.道路などインフラ整備と入管施設改善,通関手続きの簡素化などで合意.

5月 政府、UNDPの資金提供を受け、「みんなのプラン」(Plan de Todos)を発表。共有地と部族の尊重、多元的民主主義、マルチリンガル教育などをうたう。一方で、外資による民営化、低地地方への直接投資を促す「地方分権」化も盛り込まれる。

6.04 大統領選の投票.報告によれば、100万人以上の先住民が投票カードを与えられず、選挙で投票することが出来なかった。先住民の多くは読み書きできないため、これも彼らに投票を思いとどまらせたという。

6.09 大統領選.MNRのゴンサロ・サンチェス元経済企画相が、インフレを押さえ込んだ実績を宣伝し、35.60%の得票で一位となる.MRTKLのウーゴ・カルデナスが副大統領となる。その後左派の「ボリビア自由運動」(MBL)、無党派市民層の「連帯市民連合」(UCS)との連立工作に成功したことから、対立候補があいついで撤退声明.

6.09 議会選挙では、先住民政党が議席の14.30%を獲得する。

7月 ハイメ・パス・サモラ大統領、「先住民開発基金」( Indigenous Peoples Development Fund)に参加すると発表。この基金の創設はイベロ‐アメリカ・サミットで合意された。

8.06 サンチェス,新大統領に就任.小党派を含む連立政権を発足させる。省庁再編をふくむ行政改革と、石油公社、国鉄、電話公社、電力公社など6大国営企業の民営化を推進する「資本化政策」を打ち出す。企業家に公企業資本の50%の所有と経営権を付与。

8.06 初の先住民副大統領カルデナスはアイマラ族の衣装に身を包み、アイマラ後、ケチュア語、グアラニー語で挨拶した。ノーベル賞受賞者のメンチュウも同席する。

10.05 軍上層部に麻薬関与の疑い.サンチェス大統領は前空軍司令官のフェルナンド・サンヒネス将軍を統合参謀本部議長にすえるなど,軍の機構改革に乗り出す.

11月 世界銀行の援助により「教育改革推進チーム」 (ETARE)が創立される。土着の言語を母語とする先住民を対象にバイリンガル教育を施そうとするもの。

1994年

1月 麻薬カルテルのイサアク・チャバリアとMIR副委員長オスカル・エイドワスとの関係が明らかになる。エイドワスは収監される(96年に懲役4年の実刑判決)。ハイメ・パス前大統領との関係についても議会が調査を開始するが、イサアクはまもなく刑務所内で死亡。

2月 ボリビア-ブラジル天然ガス・パイプラインのボリビアの側の敷設に、エンロン社が当たることになる。

3.11 ブラジル連邦警察,ブラジル亡命中のルイス・ガルシア・メサ元大統領を,公文書偽造容疑で逮捕したと発表.

4月 大衆参加法(Ley de Participacion Popular)が議会を通過。知事などの選挙を含め、地方自治が大幅に認められる。

7.07 教育改革法が成立。都市と農村でより良い基礎教育を保障するために、バイリンガルの多文化的な教育と各級レベルにおける教育顧問委員会の設立を打ち出す。当初教員組合は、教育への統制強化と見て反対の立場をとる。

9月 「連帯市民連合」(UCS)、サンチェスの新自由主義政策に反対し、連立を解消。

10.19 ブラジル最高裁,ルイス・ガルシア・メサ元大統領の国外追放処分を決定.

94年 「資本化」法が成立。国有企業の51%を政府が保持し、残りの49%を外資に売却することが提案される。政府持ち分の配当は国民の年金に充てることとなる。しかし「資本化」は期待した成長をもたらさず、資源の支配権を外国に譲渡しただけの結果に終わる。

94年 憲法の一部改正。修正第一条では、ボリビアを「多民族的な、多文化的な社会」と規定し、先住民による共有地の所有権を承認する。

94年 コチャバンバ県の熱帯低地地域におけるコカ生産者6団体が連合を結成。エボ・モラレスが代表に就任。

 

1995年

4.12 教育改革,市場自由化政策に反対する教員ゼネスト,3週間に及ぶ.各地で警官隊との衝突。

4.19 サンチェス大統領、「労組の指導者が挑発的な暴力を振るった」とし、非常事態を宣言.ラパスのCOB本部は憲兵により制圧される。

4.20 全てのデモンストレーション・抗議集会・会議が禁止される。教員ストの指導者千名以上が逮捕され,300人あまりの労組指導者は国内流刑に処せられる.

4.24 Chapareでコカ栽培者が指導者エボ・モラレスの釈放をもとめデモ。警察との間に暴力的な衝突が起こる。7人が負傷し100人が拘留される。

5.30 麻薬・コカインを栽培しているボリビアの農家団体,米国の麻薬追放政策からアンデスの伝統作物を守る名目で政党「人民主権会議」の創設を発表.

6.21 コカ葉の畑の削減を米国から要求されていたボリビア政府,米国の要求を上回る1,760ヘクタールのコカ畑を4月末までに潰したと発表.

7.16 ニューヨークタイムズ、「地方の町は“民衆参加プラン”にもとづき、道路、教育などのために国家予算(2億5500万ドル)の40%を受け取っている。彼らは直接予算を受けて、ローカル・プログラムを管理している」と報道。

7.19 コチャバンバの3000人のコカ栽培者が指導者の釈放をもとめデモ。警官隊によって追い散らされる。2000人の女性が抗議のハンストに入る。

7.21 政府は、非常事態を更に90日間延長する。これまで強力に反麻薬作戦を展開してきたChapareでの混乱継続を理由に掲げる。CSUTCBを含む主要な組合は、Chapareを支持するために、「政治行動強化週間」を提起する。

9.05 非常事態令にもとづく反麻薬の取締りは、軍隊に広い権力を与え、先住民の生活を悪化させる。何千もの人々が拘束され、強姦をふくむ権利虐待が常態化する。(各紙の報道による)

10.15 政府は、非常事態を解除。

11.01 オルロとポトシ県で、ケチュア系のLaimesとCachacas族が、土地問題をめぐり抗争。9回にわたる武装衝突で2人が死亡。

12.01 「チェ・ゲバラの遺体捜索のための政府合同委員会」,バジェ・グランテの飛行場で発掘作業を開始.10日後,成果が得られないまま中止.

12月 パリクラブ、ボリビアの対外債務の67%を帳消しにすることで合意。

12月 住民参加法にもとづき、各級地方自治体(県の下部機構)が創設され、議会・首長の選挙が行われる。地方を基盤とする先住民政党が大幅に進出を果たす。議席の28.6%を「先住民」、あるいは「農民」出身者が獲得。地方自治体311のうち73で、過半数を獲得する。

12月 アルティプラノでは先住民の進出は低調であったが、コチャバンバでは先住民の横断的政治組織、「Asamblea de la Soberania de los Pueblos」 (ASP)が結成され、40の自治体のうち16で勝利するなど前進。チュキサカでもASPに支援されたMBLが25の市長選挙のうちの15に勝った。

95年 エボ・モラレスら、ASPを基盤に社会主義運動(MAS)を創設。地方選挙で進出した各地の先住民運動の大同団結を図る。フェリペ・キスペはこれに加わらず、よりはっきりした、強硬なアイマラ族グループ「MIP」を結成し、代表となる。

95年 南東部のタリハ県に大量の天然ガスが発見される。埋蔵量は南米で2番目に多い量であると推定される。資源開発のためBritish Gas社とBritish Petroleum社、スペインのレプソル石油公社 (Repsol-YPF)による企業連合が、およそ60億米ドルを投資して「太平洋液化天然ガス社」(Pacific LNG)を立ち上げる。太平洋沿岸までパイプラインを敷設し、メキシコやアメリカ合衆国に船輸する計画。

95年 元独裁者ガルシア・メサ、ブラジルから送還される。殺人をふくむ複数の罪に問われ、30年の刑に服する。アルセ大佐は麻薬取引の罪でアメリカに引き渡され、懲役刑に服する。

1996年

1.17 Chapareの女性活動家200人が、1ヵ月をかけてラパスまで行進。高地の先住民女性を加え抗議キャンペーン。警察部隊の撤退、石油公社の民営化の撤回、警官に虐殺された5人のコカ栽培者の家族に対する補償をもとめる。

3月 サンチェス大統領,国営石油会社YPFBの民営化を提唱.新炭化水素法を議会に提出。この法案により、YPFBは二つの探査と生産機構、ひとつの輸送部門に分割される。この分割により民営化への道が開かれる。労働組合はゼネストで対抗.

5月 金鉱会社のインティ・ライミ社(ヒューストンのバトル・マウンテン・ゴールド社の系列)、金の採掘を活発化。ボリビアの輸出額の10%を占める。318人の工夫のほか、多数のボリビア人採掘人が従事。露天掘り工法をとったため、環境汚染が深刻となる。

7月 農地改革に関する新しい法律(INRA法)が議会に提出される.課税の義務付けにより土地資産の流動化を狙う。大土地所有者間の取引が促され、土地の集中化がさらに進む結果となる。一方で、共同体による共有地や零細農地を保護し、ミニフンディオを整理することをうたう.

共有地の復活: 先住民が伝統的に所有を主張する土地について、「先住民の領土」としての集団的な所有が認められるようになる。280万 ヘクタールが伝統的に先住民が使用してきた土地と認められ、7つの先住民コミュニティに分配される。世銀の強い指導によるもの。しかし事務の煩雑さと政治家の妨害により、実効はほとんどなし。

8月 COMSUR所有のダムが崩壊。鉛と砒素をふくむ23万トンのヘドロがリオ・ピラヤに流出する。その一部は本流のピルコマヨ川まで達する。今世紀ラテンアメリカ最悪の環境災害と呼ばれる。

8月 先住民と地方農民2万人による抗議行進がラパス市内にあふれる。抗議団は政府の農地改革案のうち、「地租を払えなければ土地が国家に没収される」条項に反対する。経済界も大統領の計画に批判的な意向を表明する。

8月 ポトシのケチュア族女性、Cerro Rico山の頂上を占拠。鉱山会社の民営化と多国籍企業への売却に抗議。ポトシはアンデス地帯で最も貧しい県とされ、鉱夫の平均の期待寿命は、50歳にとどまる。

10.02 ボリビア労働組合センターは、抗議団を支持し24時間のストライキを呼びかける。さまざまな労働組合が無期限ストに入り、地方の指導者は道路を封鎖し、先住民と地方農民など約2万人が、1ヶ月にわたりラパスに居座り、連日街頭での抗議行動を続ける。警察が催涙ガスを使い弾圧したためデモ参加者一人が死亡する。

10.10 政府は土地改革案に関して土地所有者、先住民の指導者との協定に達する。大土地所有者は土地譲渡に伴い50%の減税を受ける。

10.11 議会、土地の改革法を承認。土地の権利関係を整理して登記を行うために国家農地改革機関(INRA)が設立される.アマゾン地域の先住民組織「東ボリビア先住民総連合」(CIDOB)は、政府と裏取引して法案賛成に回る。

10.14 政府、米国とコカ畑破壊について協定を締結。年間1万ないし2万エーカーのコカ畑を破壊することを目標とする。計画に失敗すれば、世界銀行などからの援助が停止されるという条件をつけられる。

11.04 米州開発銀行、国連開発計画が報告を発表。「アンデス山脈の天然資源と先住民の多様性が保護されなければならない」とする。

11.29 高地地方のケチュア系Laime族、Capasirca山における金の採掘停止で鉱山会社と合意。Laime族は「Capasirca鉱山は先祖の土地にあり、外国の所有者は権利を持たない」と主張。

96年 ボリビアは、メルコスールにアソシエイト国として加入。

96年 スクレの町の近く、石灰岩石切り場で、恐竜足跡が発見される。

 

1997年 ウーゴ・バンセルの政権復帰

1.01 ボリビア,農業団体の反対を押し切りメルコスールに正式加盟.

2.10 30年来といわれる豪雨がボリビアを襲う。何万もの家が流出し、収穫は皆無となる。

3.10 「祖国の良心」党(CONDEPA)の指導者Carlos Palenqueが心臓発作で死亡。Remedios Loza(女性)が後継者となる。パレンケはアイマラ族の出身で大統領選にも立候補した。

4月 資本化法により、国営石油産業がアメリカのアモコ社、エンロン社などに譲渡される。ほか通信・交通・電気などの国営企業が次々に身売り。

5.10 ボリビア人の5分の1がシャガス病に感染していると報道される。この病気は、トリパノゾーマ・クルシという寄生虫が傷口など皮膚から侵入し、神経損害と心臓肥大を引き起こす。そして数年後に死に至る。

6.01 ボリビア大統領選.民族民主行動(ADN)のウーゴ・バンセルが25%を獲得,民族革命運動(MNR)のフアン・デュラン,MIRのハイメ・パスを抑え,第一位となる.過半数の獲得はならず,国会での決戦投票に持ちこまれる.

マリスカル・ド・セピタ: 主に退役軍人から成るマリスカル・ド・セピタが結成され、バンセルを支持して活動。バンセルの大統領就任後には、ルイス・へミオら主要メンバーが政府部門の要職に就く。

6.01 同時に行われた国会議員選挙では、エボ・モラレスがコチャバンバ選出の上院議員に初当選。

フアン・エボ・モラレス・アイマ (Juan Evo Morales Aima): オルロ県でアイマラ族の農家に生まれた。最終学歴は中学卒。17歳で兵役に就いた他、様々な職を転々とした後、コチャバンバ県チャパレに移住し、コカの栽培農家となる。コカ栽培農家の農民運動の中心人物となり、1997年には上院議員に当選するが、2002年に暴動を扇動したとして、上院議員を除名される。モラレスは先住民の伝統的な生活必需品としてのコカの栽培促進を主張するが、コカインの精製・密輸は許さない、としている。

7.02 キューバ調査団,バジェグランデでチェ・ゲバラの遺骨を発見したと発表.

8.04 退陣を間近に控えたサンチェス大統領,国営石油会社の民営化を秘密裏に決定.

8.05 特別国会での決選投票.MIR,「祖国の良心」党,連帯市民連合(UCS)、新共和勢力の支持をとりつけたバンセルが勝利.バンセルは行き過ぎた自由化を改め,国民の7割を占める貧困者を救済,民営化されたすべての企業を「取り戻す」と公約.

10.24 ラパスで、ボリビア最初のマクドナルドのレストランが開店する。

12.11 エルニーニョにより高地は記録破りの熱波。西部の高原地方では大雨が続く。

97年 「祖国の良心」党,バンセル支持をめぐり分裂。その後勢力は衰え、アイマラ族の主流はキスペ派に移る。

97年 この年、ボリビアの一人当たりの年収は1,024ドル。さらに98年には1,010ドル、01年950ドル、02年900ドルと減少していく。

 

1998年

3.03 米政府、ボリビアの麻薬作戦が進んでいないとし、経済援助を約3400万ドル(75%)減額。割当ては、部分的にコロンビアへ移される。

4.01 ボリビア労働者連合、賃上げとコカ根絶計画の中止を求め、無期限ストに入る。4日間にわたり各地で衝突が相次ぐ。コカ生産の中心地チャパレでは死者3人、負傷者数十人を出す。

4.06 CSUTCBを含む農民連合は、土地法の修正とより高い賃金をもとめラパス、コチャバンバ、サンタクルスにつながるハイウェイをふさいだ。軍との衝突で4人が死亡。

4.25 Chapareのコカ地帯でも反乱が発生し、「チャパレ民族解放軍」が創設されたとの報道。ギド・ナヤル内相はただちにこの報道を否定。

5.11 ウーゴ・バンセル大統領は、Chapare地域の約24,000エーカーのコカ畑をつぶすため、6000人の兵士を派遣。チャパレではすでに作戦に関連して4月以来9人が死亡。住民はカトリック教会の調停を要請するが、軍はこれを拒否。CONDEPA,バンセルの強権姿勢に抗議し、連立を離脱。

5.23 ボリビア中部山岳地帯で大規模な地震発生.何百もの家が破壊され、少なくとも60人の人々が死んだ。

8月 米国が資金援助したコカ根絶プログラム「尊厳のための行動計画」(Plan Dignidad)」が実施される。代替作物のために7億ドル、コカ収穫根絶のために1億800万ドル、麻薬密売人との闘いへの1億2900万ドル、中毒更正計画に1500万ドルの、合計9億5000万ドルが割当てられる。

9月 バンセル、国連で演説。02年までの任期のうちに、ボリビアの違法なコカ収穫のすべてを根絶し、ドラッグを追放すると宣言。ボリビア軍は、1年で約37,000エーカーのコカ現地を破壊。

9月 IMF、1億4千万ドルのボリビア融資を承認。インフレ抑制と経済成長の実現を目的とする。IMFの「構造改革」計画にもとづき、ボリビアは残されたすべての公共事業を売却することをもとめられる。これには国営精油施設、コチャバンバの水道局(SEPAMA)がふくまれる。

10.08 コチャバンバ、スクレ、Oruro、ポトシからの農民3000人がラパス市内でデモ。最低生活水準を無視した水道料金の値上げに抗議。

10.23 チェ・ゲバラが処刑埋葬されていたバジェグランデとキューバのサンタ・クララが姉妹都市提携.

10月30日 ボリビア人権常設会議(APDHB),ピノチェト訴追を進めていたガルソン予審判事に、バンセル大統領への喚問を求める.70年代の左翼弾圧に関してバンセルの役割を明らかにすることを要望。

98年 新炭化水素法に基づき、海外からの投資が活発化。探査・生産への投資が6億500万ドルに達する。

 

1999年

1.08 米政府、約12,000ヘクタールのコカ収穫が破棄されたとし、ボリビアの努力を賞賛。ボリビア向け援助が昨年度3500万ドルから今年5400万ドルまで増加すると発表。この「努力」は12人の農民と6人の警官の死をもたらした。しかし依然、700,000エーカーでコカが栽培され、年間3億ドルをもたらす。

1.11 コチャバンバでコカ生産者組合第五回総会が開かれる.全国から1500人の代表が参加.警察が取りしまり行動で農民を殺すなら,軍事行動に訴えても彼らの作物を守ると決議.

2.13 英「タイムズ」紙、ボリビアでコカイン輸出が50億ドルに達し、合法的な輸出額を上回ったと報道。ボリビア人の5人に1人が麻薬取引に依存していると述べる。

3.18 コチャバンバ地域で激しい氾濫。2000万ドル以上の農業の損失をもたらす。この地域は、昨年はエルニーニョによる旱魃に苦しめられた。

3.23 バンセル大統領,「太平洋戦争」で戦死した英雄エドアルド・アバロア追悼式で,ボリビアは太平洋岸のアクセス権を擁すると宣言.

5.26 ボリビア政府、全国コカ生産の90%を担うChapare地域で、麻薬廃棄作戦を強行。コカの葉の生産を半分以上破壊する。住民側の抵抗は弾圧により沈静化。収入のない先住民・農民はさらに貧困に陥り、コカ生産地帯の経済力は弱体化する。

5.26 Evo Morales、メキシコで開かれた米州先住民議会に参加。「国家に対する陰謀」の容疑で公共省から告発され、議員特権を失う可能性があると主張。チャパレのコカ農民を守ろうとする彼の努力が、政府を怒らせていると述べる。

6.01 国際金融公社、ボリビアのCaja Los Andesに200万ドルを供与すると発表。この法人は、先住民を中心とする「マイクロ企業家」にローンを提供する金融業務を担当する。

6月 世銀がボリビアの公共事業に関する報告を発表。「コチャバンバの水道料金値上げを代償するような公的援助は、財政健全化の方向に逆行するものであり、一切認められない」と述べる。

8.23 Ascencion de Guarayosの山火事。少なくとも500の家、350,000エーカーの農地を破壊。

9月 秘密交渉の末、水道公社(SEMAPA)が民間会社に25億ドルで売却される.コチャバンバでは民営化の受け皿としてTunari水道会社が設立される。

ツナリ水道会社(Aguas del Tunari): 米国の大手エンジニアリング会社「ベクテル」が、コチャバンバ地区の経営権を買い取り、英、西、ボリビアから出資を募り設立した企業体(consortium)。

10月 ツナリ社、40年契約でコチャバンバの上下水道の経営権を獲得したと公式発表。また水力発電と灌漑用水の供給にも乗り出すとする。

10月 ボリビア議会、「飲料水および下水道法」を可決。コチャバンバ市民に水道料の全額負担をもとめる。

11.19 ボリビアで米州軍事会議が開かれる。民主主義を守り、貧困と戦い、麻薬密輸を根絶することを共通の利益として確認。

11月 ツナリ社は水サービスを提供する契約をボリビア政府と結び、ただちに水道料金35%引き上げを提案。これによって水道料金は最低賃金(月60 ドル)の4 分の1 に達する。

11月 ツナリ社、水の安定供給のため、コチャバンバ近郊にダムを建設する計画を明らかにする。コチャバンバ水源地帯の農民は、ツナリ社の新たな井戸掘削計画を水利権侵害と抗議し立ち上がる.

11月 コチャバンバ労働者事務所のオスカル・オリベーラが中心となり,市民運動リーダー、労働組合、コカ栽培農民らが「水と生活を守る市民連合」(La Coordinadora)を結成.「水は生命だ」「水は神からの贈り物であり、商品ではない」をスローガンに掲げ、潅漑用水と、飲料水必需品を保証することを要求して抗議行動を開始.5千人を結集する。

99年 ウアムニ鉱山とビント・スズ精練所が、英国のAllied Dealsによって買収される。購入価格は2700万ドル。

99年 国際競争の激化の中で,大豆の国際価格が大暴落.販売価格はトンあたり220ドルから125ドル前後に下落,天候不順も重なったため,多くの大豆農場が借金漬けになる.メルコスールへの統合や米州自由貿易協定の交渉が進めば、輸出向け大豆生産は壊滅するとの見方が広がる.

 

 2000年

1.22 Laime族がオルロ県ChallapataでOaqachacan族の部落を襲撃。翌日、1000人のOaqachaca族が報復。Laime族の住むSora野村を襲撃。18人を殺害する。25日にはLaime族の反撃でさらに9人が死亡。Oruro知事は事態の複雑化を恐れ、軍・警察を出動させず。

1月 コチャバンバのツナリ水道会社,35%の大幅な料金引き上げを発表.直ちに料金引き上げを行う.補助金の廃止とあいまって、平均的な水道料金は2倍~3倍に上がり、利用者負担は最低賃金(月給60 ドル)の4 分の1 に達する.

2.02 約5,000バレルの石油が Desaguadero川に流出。チチカカ湖に入る。

2.04 コチャバンバで住民2千人が水道値上げに抗議し、政府ビルを目指し行進。これを阻止しようとした警察と衝突。行進者は警察に石を投げつけ、警察は催涙ガスを行進者に発砲した。少なくとも46人が負傷し、多数が拘束される。

2.05 コチャバンバ自動車・運輸労連が無期限ストに入る。警察のデモ参加者に対する暴力に抗議し、拘留者の釈放、全ての公安部隊の撤退、Tunariの水価格改訂の凍結を要求する。主要道路に妨害物が積み上げられ、コチャバンバの町は4日間にわたり連絡不能となる。

2.05 政府から派遣された代表が、教会の立会いの下、地元の市民のリーダーと会見。

2.05 バンセル大統領、コチャバンバ周辺に数箇所の軍事チェックポイントを建設、近在農民の抗議活動への参加を阻止。

2.07 コチャバンバ農業労働者連合、コチャバンバにつながる国道を封鎖すると声明。

2.08 Pacific News Serviceのジム・シュルツ記者、「水戦争」と題する現場報告を国際配信。事件の背後にベクテル社がいることを明らかにする。

3.22 コチャバンバでコーディナドーラが非公式の住民投票.5万人の投票者のうち96%が民営化反対.政府担当者は投票結果の受け入れを拒否。

00年4月 

4.01 チチカカ湖方面でアイマラ族を中心とする農民の蜂起.

4.03 コチャバンバ中央広場から始まった抗議運動が全国に展開。闘争課題も水道料だけでなく経済衰退や失業問題などに及ぶ。

4.04 Oruroの農民がラパスとを結ぶハイウェイの封鎖を開始。

4.04 コチャバンバの水確保共同委員会,指導者の釈放をもとめ,4日間のゼネストを提起.地方教員組合が無期限ストライキに入る.農民・都市在住の低所得者層を中心とするデモ隊と警官との衝突が繰り返される.

4.06 コーディナドーラ、コチャバンバ市内でコチャバンバ市長、市民団体代表、政府関係者などと交渉。交渉場所に官憲が押し入り、オリベーラらの指導者が逮捕される。

4.07 コチャバンバ警察当局,拘留していた水確保共同委員会の指導者を釈放.オリベーラはそのまま地下にもぐる。

4.08 バンセルは2週間にわたる非常事態令を発する。旅行、夜間外出および集会・デモが禁止され、令状なしの逮捕・拘留が可能となる.コチャバンバでは数千の軍を派遣.市長を更迭し,軍人を新市長に指名する.(一説に90日とされるが、これは憲法上認められた上限を指すようである)

4.08 デモ参加者数十人がこの日投獄される。オルロのハイウエイでは軍との衝突で教師一人が射殺される。コチャバンバでも17歳のビクトル・ウーゴ・ダサが何者かに撃たれ死亡。(犯人はボリビア軍大尉とされる。彼は群集の中からデモ隊にむけて発砲した。この大尉は、軍事裁判で無罪の判決を受けたあと、その功績で2002年3月に「米州学校」へ入学したといわれる)

4.09 コチャバンバでは非常事態令を無視して、数千の農民がセントロに結集。水道料値上げとコカ畑の破壊に抗議する。

4.09 サンタクルスで,一部警察官が非常事態に反対.数百人の警官が警察署と刑務所を占拠。「同志たちとともにたたかう」用意ができていると声明.50パーセントの賃上げを要求。数時間のうちに要求が認められ、ストは解除される。

4.09 ラパス市内でも多くの警官ガードマン,消防士などが反対運動に加わる.ラパスでは一時、鎮圧に向かった軍との間で銃撃戦となる。

4.09 高地地方では、アイマラ族農民数千が反乱。Achacachiでは数百人の農民が役所を襲撃。備品や文書を破壊し火を放つ。この衝突で、警察のJesus Omar Tellez大尉ほか2人の兵士と農民2人が殺される。Batallasでは道をふさいで、政府軍と衝突。

4.09 ホルヘ・キロガ(Quiroga)副大統領を長とする政府代表団、コチャバンバ訪問の予定を治安情勢の悪化により中止。

4.10 コチャバンバのセントロ、「ほうきの柄とマチェーテで武装した」数万の農民に占拠される。農民たちはQuillacollo村を出発し、コチャバンバまで行進してきた。行進の間に参加者が膨れ上がる。

4.10 農民リーダーのアルベルト・サパタ、水道の民営化を容認する根拠となった「水道基本法」の改正を要求。

4.10 コチャバンバ当局、抗議者の使用を防ぐため、地元のラジオ局を統制下におく。

4.10午後 水問題共闘委員会とコチャバンバ当局との交渉が合意に達する。ボリビア政府関係者がツナリ社の撤退を約束。公然活動に戻ったオリベーラが協定に署名。市民代表と教会代表は、政府に非常事態を終えるようもとめる。

4.10夕方 政府、水道料値上げを凍結すると発表。コチャバンバ現地の合意を受けたもの。農民たちはコチャバンバを離れ始めるが、残った1万人の農民は、政府との間の合意が成立するまで立ち退きを拒否する。

4.10 水問題でのコチャバンバ抗議行動.3日間で農民4人,警官1人の死者,175人以上の負傷者を出す.

4.10 国会議員3人がハンガーストライキを開始。ラパス市内ではサン・アンドレス大学の近辺で学生数百人と警察との衝突が続く.チチカカ湖周辺では道路が封鎖され,少年一人が射殺されるなどの弾圧.アチャカチでは道路を封鎖した農民2千人を軍が襲撃,2人を射殺.怒った農民は攻撃を命じた大尉を殴り殺す.

4.11 議会、水道法の緊急修正案を可決。コチャバンバの水問題共闘委員会を公式の交渉団体として承認。

4.11 Tunari社、総額2億ドルのコチャバンバ・ダム・プロジェクトを継続すると声明。(一説では前日に政府とのダム建設契約を破棄すると発表)

4.11 最大労働センターのCOB,ゼネストを呼びかけ.ボリビア地方労働者組合(CSUTCB)、公安部隊がFelipe Quispe Huancaを解放するまで道路封鎖を終えることを拒否。

4.12 政府と労組との交渉が最終的に決裂。COBの呼びかけで農民の「大虐殺」に抗議する全国スト。ポトシの鉱山労働者がスト入り。地方教員組合は無期限ゼネストに突入.学生と警察の衝突は、再びラパスで再燃。50人が拘束される。

4.12 ツナリ水道会社は事業からの撤退を発表(情報が錯綜している).政府は水道民営化を見直さざるを得なくなる.

4.12 世銀のウォルフェンソーン(James Wolfensohn)総裁、「ボリビアであれどこであれ、公共事業への補助は資源の浪費をもたらす。水資源に関する最大の問題は、とがめなく水を浪費することだ」と警告。

4.13 政府と農民組合との交渉が開始される.当局は各地で殺害された犠牲者の調査を約束.

4.14 政府と農民組合との交渉が進展.道路封鎖のほとんどが解除される.逆に学生の街頭行動は激しさを増す.

4.16 オリベーラ、ワシントンの反グローバリズム集会に参加。「民衆は彼らの尊厳を回復し、自らを組織する能力を獲得した。そしてもっとも大事なのは、人々はもはやおびえてはいないということだ」と述べる。

4.18 政府と農民連合、停戦協定で合意。しかし軍はAchacachiの周囲への包囲を継続。「農家を個別捜索し、容疑者を拷問」しているとの報道。

4.20 非常事態宣言が解除される.「市民社会の対話促進」を目的とするIMF・世界銀行の債務救済プログラムが、停止される危険があるとの判断。

4.20 農村労働者組合のFelipe Huanca、「今回の抗議はさらに多くのデモへと続く“始まり”にすぎない」と強調。アイマラ族指導者のMallkuは、政治権力を奪取するための最初のステップだとする。

4.20 二週間の衝突で、市民4人が死亡、88人が負傷、労組の指導者など21人が逮捕される。

4.22 第三次内閣が発足.

00年5月

5.01 エルアルトで独立した大学の創設を要求する学生デモ。エルアルトは主にアイマラ族先住民が住む。国立大学は存在しない。政府は、エルアルトでサン・アンドレス大学の分校を建設すると提案。

5.01 ライフルで武装したOaqachaca先住民千人が、Chocaya族の住むVilla Alcarapi の町を襲撃。

5.03 コカ栽培者同盟の農民は、コカ畑の駆除に抗議してShinahotaで道を封鎖した。統合作戦本部のVladivostoc Menacho Aguirre大佐は、「障害物撤去は行わない。なぜなら封鎖によって被害を受けるのは農民自身だから」と述べる。

5.11 Laime, Quaquachaca and Jucumani tribesの紛争。

5.30 全国パイロット協会のメンバー、TAM航空会社(ブラジル=パラグアイ資本)のボリビア進出に抗議し、24時間スト。国際線が全面ストップする。

5月 グランチャコでボリビアの土地なし農民運動(MST)が設立される。

00年6月

6.01 サンタクルスで住民が郊外と結ぶ主要道路を封鎖.住民は銀行への借金の返済と協同組合運営のため,1千万ドルの緊急援助を要求.資本家や農園主が行動を積極的に支持するが,労働者は慎重な態度を崩さず.

6.04 政府は道路確保のために軍事力行使も辞さないと表明.このあと市民は道路封鎖を解除.15日間の停戦を宣言.

6.09 COB,サンタクルスの市民ストに関連して,国民ゼネストを呼びかける.政府はCOBの対話呼びかけを拒否.

6.10 Evoモラレス、「ある退役将軍が軍民共同の反乱を持ちかけてきた」ことを明らかにする。

6.12 エルアルトから数万の学生・家族が大学創設を求めラパスまで行進。ラパス市内は交通麻痺状態に陥る。

6.14 Laime先住民、オルロ県南部のQ'uwachapi 村を襲撃。逆にQaqachacas族はポトシ県北部のPairumani を襲撃し、ライメ族5人を殺害。1999年1月からの紛争で、双方あわせ90人以上が殺される。

6月 第三回先住民行進。政府は「一年以内にグラン・チャコの土地所有の見直し(Saneamiento)と約束。

00年7月

7.10 ポトシでLaime and Qaqachacaが再び衝突。軍と警察280人が調停に入る一方、医薬品・食糧を現地に供給。政府は先住民の国内移民計画を立案。

8.05 政府、水民営化計画を中止。軍によって殺された抗議者の家族に補償すると発表。

00年9月

9.18 コカレーロスと教師など労働者が共同したストライキ.コカの強制廃棄に反対する農民は主要道路を封鎖,米国の援助でチャパレ地区に建設された二つの軍駐屯地に抗議した.教師たちは5割賃上げを要求して無期限ストに入った.

9.18 コチャバンバでは2万人規模の抗議集会が持たれ,バンセル大統領の辞任要求が決議された.

9.18 COBは25日からの無期限ストライキを呼びかける.

9.19 抗議活動に参加するコカ農民の数がおよそ15,000まで増加する。政府は、Chapareに公安部隊400人を派遣。道路封鎖の強行解除の動きを見せる。

9.19 水政策に抗議するアイマラ先住民100人が、ボリビア中部高原Achacachi and Huarinaでペルーへの道をふさぐ。

9.20 チャパレ地区の6つのコカレーロ組織に属する6万人が、ボリビア横断ハイウエーの封鎖を開始.政府軍兵士5千が封鎖解除に出動するが,イタチゴッコが続く.

9.20 議会、Chapare地域で地方の司法権を確立することに同意。

9.19 サンタクルス州サラの農民500人、Enron-Shellコンソーシアムが地域のインフラ整備計画に加わるようもとめ、BP・アモコ系のChaco石油会社に押し寄せる。

9.20 Chaco石油会社に属する3つの油田が襲撃され、職員が人質として監禁される.ブラジルへの送油管を管理するBolinter社と天然ガスのパイプラインも先住民により占拠された.

9.20 バンセル大統領「この混乱は麻薬業者の財政的支援によるものだ」と警告する一方,「それは民主化によって生み出されたものである.非常事態を敷くつもりはない」と言明.

9.21 兵士800人がチャパレ暴動の中心ビラ・トゥナリ(Villa Tunari)に突入。15,000人のコカ農民と衝突。3人が負傷。

9.21 ボリビア軍300人が、ペルーに続く山間のコパカバナ・ハイウェイで封鎖を撤去。

9.23 ビラ・トゥナリを軍と警察の合同部隊6千が包囲.エボ・モラレス議員らはコチャバンバで政府代表と交渉に入る.

9.23 政府,「尊厳計画」の達成が,チャパレの紛争により2ヶ月遅れる見込みと述べる.この「計画」は,米国の支援を受けて政府が制定した麻薬撲滅計画.コチャバンバ州の平原地帯におけるコカ栽培を,本年いっぱいで撲滅しようとするもの.

9.24 Cochabamba-Oruroをむすぶハイウェイの中間点Parotaniで、軍と農民が衝突。農民住人が撃たれ、うち二人が死亡。この日全国で少なくとも35人が負傷。

9.24 争議に参加する教員の数は13万人に達する。キスペ、「流血が続けば、それだけ戦列に加わる民衆は増えるだろう」と語る。

9.25 AFPによれば、過去3年に、政府は3万ヘクタールのコカ畑を破壊。これは収穫の90%に等しい。いっぽう約300,000人のケチュア族・アイマラ先住民が、主な収入としてコカに頼るとされる。

9.27 国内主要都市で、道路封鎖による物不足の影響が現れ始める。

9.29 24日以降の犠牲者は少なくとも9人、負傷者の数は95となる。

9.30 バンセル大統領、コカの生産禁止は今後も続けるとの意思表明。政府は教師数百人を解雇し、教職員組合のリーダーを逮捕。

00年10月

10.01 政府、紛争地域への三つの軍駐屯地の建設計画を中止すると発表。

10.01 政府とCSUTCBの交渉が破綻。ギテラス大統領府長官は、「Quispeは、400年前の意識で動いている。ボリビア人の将来目標は、彼らの気まぐれとは異なる。彼らに従う気はない」と非難。

10.02 ボリビアの人権団体「ボリビア人権問題恒久会議」、9月の衝突での死者は10人、負傷者数は128人と発表。

10.02 CSUTCB、政府との交渉再開の用意があると声明。Quispeは交渉がAchacachiで行われるなら、みずから会議に出席すると述べる。

10.02 教員組合、文部省との暫定協定に署名。

10.04 議会が臨時議会を開催。 「社会的危機の解決策」をもとめ議論。国内のすべてのセクターに対し社会的停戦の実現を呼びかける。野党議員は「危機を避けるのに必要な手段をとらなかった」とし、バンセル大統領を非難。

10.06 バンセル政権と農民、教師などの代表がいくつかの協定について合意。教師は賃上げ交渉を延期するのと引き換えに、今年50ドルのボーナスを受け取ることとなる。政府は土地法を撤回し、土地分配の中止、水利権の凍結を承認。コーン価格の引き上げと価格保障、森林法の修正にも応じる。そして損害に対する請求権を永久放棄すると確約。

10.06 Quispe、「政府の交渉相手は、我々とは異なる人々だった。我々のゴールはバンセルを辞任させ、親市場経済政策を翻すことだった。しかし合意が成立すれば、道路封鎖は撤去する」と語る。チャパレのコカ農民はブロックを継続。政府はブロックが撤去されない限り、コカ農民と話し合う余地はないと言明。

10.07午前 エボ・モラレス、政府が譲歩するまでコカ農民は行進と道路封鎖を続けると声明。

10.07午後 政府とコカ農民の交渉が合意に達する。政府はとうもろこし価格を支え、税の引き上げをふくめた土地所有法改正案を白紙に戻し、先住民に水利権を戻すと言明。

10.10 バンセル大統領は、コカ問題に関して不動の姿勢を明らかにする。任期終了までにコカ栽培を根絶するとふたたび強調。フォルトゥン内相も、「国際的責任からも、国家の発展のためにも、“1センチたりとも”コカの栽培は許されない」と断言する。

10.10 エボ・モラレス、「コカ栽培者は銃火に直面しようと引き下がることはない」と回答。軍は強制撤去に備え、3千の兵士を出動準備体制に置く。

10.13 コカ葉農民、道路封鎖の解除に合意。自ら障害物を撤去する。実際にすべての障害物が撤去されたのは10月末。この間の道路封鎖による経済的損失は、政府推計によれば2億5000万ドル以上に達する。

10.13 Chimoreの町で、フォルトゥン内相とエボ・モラレスが合意文書に署名。

10.14 政府は、経済発展計画にもとづく資金のうち8千万ドルをコカ栽培者の代替作物転換に当てると言明。バンセルは「個人的な利用のため」に小規模なコカ栽培を続けるのを黙認する決断。

10.18 コカ葉栽培者の1000名以上が、麻薬政策に抗議してヴィラTunariでハイウェイをふさぐ。Evo Morales、「我々はヤンキーに対する主権擁護の声をふたたび上げる」と声明。政府が代替作物の価格を保証すること、軍事前哨基地を撤廃すること、農業経済や環境の研究を行う大学を設置することを求める。

10.20 バンセル大統領、「ボリビアの驚異的な経済を復活させるため」に内閣を改造。農民・先住民担当大臣のポストを新設し、MIRのウーゴ・カルバハルを指名する。

10.20 キスペらはもはや在来の政党によっては政治変革は不可能とし、先住民政党の結成へ動く。

10.23 コカ栽培者のうち約2千家族が、頑強な抵抗を続ける。転作農家への脅迫、コカ畑破壊部隊への罠や待ち伏せなどにより、25人が逮捕される。

10.29 内務省、Chapare地域で42本のダイナマイトを輸送しているコカ農民リーダーを逮捕したと発表。米国製の戦闘ヘリコプターがコカ畑上空で撃たれる。

10.30 アルト・ウアジャガ地方でコカレーロ数万人による無期限ストが始まる.コカレーロの道路封鎖を解除しようとした警察と衝突.20人が負傷,7人が逮捕される.栽培者団体は,現在のコカ根絶計画を中止し,より効果的な代替作物政策を要求する.代表の話では,政府はコカ根絶のために枯葉剤を使っているという.

10.30 バンセル大統領、社会学者のWigberto Rivero Pintoを農相に指名。「彼の仕事はコカ根絶に関する50項目合意を実行することだ」と語る。

10.31 コカレーロ1万8千人がティンゴ・マリアの町に集結.前日逮捕された仲間の釈放を要求.

10.31 バンセル大統領、予定されていた訪日を中止.

00年11月

11.02 政府代表とコカレーロの合意成立.コカ根絶計画の見直しで合意.ストライキが解除される.

11.14 キスペ(Felipe Quispe)ら「ツパクカタリ」の生き残り,総選挙での勝利を目指す.アイマラ族1万人を結集し、「パチャクティ先住民運動」(MIP)の創設を宣言。「500年にわたり抑圧されてきた南米先住民の利益を代表する政党」となることを誓う。

 

2001年

1月 ボリビアを集中豪雨が襲う。政府は国土の半分が被災したと発表。

2.22 ボリビアに派遣された米国平和部隊のウォルター・ポイリエ、ラパスで失踪。

01年5月 

5.01 政府に抗議する行進団カラコージョを出発.このときの参加者は数百人にとどまるが,ラパス到着時には4千人に達した.さらに行進団を迎えるサンフランシスコ広場での集会には8千人が参加.

5.10 政府とボリビア労働者センター(COB),協定に調印.数週間にわたる抗議行動がいったん終結.労働者が要求した最賃150%,国有企業民営化の中止.雇用法改悪の中止については合意に達せず.

5.10 COBのアルベルト・カマチョ議長,無期限のゼネストを終えると宣言.政府はストライキに参加した教師や労働者に対して,どんな報復もとらないと約束.

5.15 アルト・ウアジャガ州プカルパと,ティンゴ・マリアのコカ栽培農民二万人による住民スト,いったん終了.カルロス・アマト・イ・レオン農相と反麻薬官ロドルフォ・サリナスとの会談で,強制根絶作戦を一時中止することで合意.

01年6月

6.05 ボリビアの鉱業公社労働者5千人が,オルロとポトシをそれぞれ出発.ラパスまでの行進(230キロ)を開始.イギリスの鉱山会社への営業権譲渡に抗議するもの.

6.07 Victor Paz Estensorroが波乱の人生を終える。93歳。

6.08 鉱山労働者の行進,ラパス入り.ラパス市の広場でダイナマイトを爆発させ,8人が逮捕される.警官隊の攻撃で二人が重傷.

6.09 ウアヌシ鉱山で民営化によりレイオフされた50人の労働者が坑内と教会内に立てこもり,ハンガー・ストを開始.

6.14 政府,ロス・ジュンガス地方に750名の合同機動部隊と警察部隊を派遣.コカイン根絶を図る.部隊はコカレーロスに対し催涙ガスやゴム弾を使用.住民20人以上が負傷.

6.18 ロス・ジュンガスの住民チュルマニのメヒリョネス陸軍基地を包囲.部隊への補給を妨害.さらに占拠行動の構えを見せる.

6.19 政府,ラパス州ロス・ジュンガスのコカイン根絶作戦を無期限に停止すると発表.750人の現地派遣部隊を撤退させる.

6.20 ウーゴ・バンセル大統領,国民的対話法の第7条を削除するよう指示.医療,教育サービスを地方自治体に移管しようとするもの.

6.22 ロス・ジュンガスのコカレーロスと政府が協定.伝統的な使用のためのコカ葉栽培・流通について定める.

01年7月

7.02 ウゴ・バンセル大統領,肺がんと肝臓がんにおかされ,ワシントンDCの病院で治療開始.

8.06 一時帰国したバンセル大統領,癌であることを明らかにし大統領を辞任すると発表.

8.07 ホルヘ・キロガ・ラミレス副大統領が後任大統領に就任.キロガはコチャバンバ生まれで41歳。副大統領となる前はIBMの重役を務めていた。

01年11月

11月9日 タリハ県グラン・チャコのパナンティで、954ヘクタールの農園を占拠した土地無し運動(MST)のメンバーを武装農民が襲撃。銃撃を受けた6人が死亡し、16人が負傷。グランチャコでは25家族が80%の土地を所有し、その一方でチュキサカやポトシなどから移ってきた先住民家族が3千に上るとされる。

11.27 オリベーラ、コチャバンバ市内で逮捕される。容疑は「扇動、陰謀、公共秩序の破壊、犯罪結社の組織」など。オリベーラは即日釈放されたが、72時間後との出頭を義務づけられる。

11.30 政府、多数の抗議を受けオリベーラへの容疑を取り下げると確約。

11月 ベクテル社、コチャバンバの水道会社失敗について,世銀の諮問機関である「投資紛争調停国際センター」(ICSID)に提訴、南米の最貧国ボリビア政府を相手どって2,500 万ドルの賠償金を要求.

12月 コカ農民組合、毎年900ドルの補償金を提供するという政府の提案を拒否。

01年 フェリペ・キスペ、CSUTBを基盤としてMIPを結成。大統領選挙出馬の意向を表明。「体制の諸機関を通じては、われわれが権力に到達することはない。アメリカの利益に奉仕する軍隊や警察や経済権力を、解体しなければならない」と語る。キスペは「大きなコンドル」 (El Mallku)と呼ばれ、期待を集める。

01年 ボリビア、拡大HIPC(重債務貧困国)の適用を受ける。IMFとの合意により、新税導入及び緊縮財政による財政赤字の削減をめざす。

01年 世銀統計によれば、ボリビア国民の平均年間収入は900ドルで4年間に13%減少。最富裕層が60.5% を占め、最貧困層は3.0% のシェアにすぎない。貧困ライン以下が60 %を占める。

01年 国勢調査によると、自身を先住民であると考える国民の割合は62%であった。

 

2002年

1月 エボ・モラレス、コチャバンバ県サカバ市でのコカ葉生産農民の暴動を扇動したとして、下院議会から除名処分を受ける。

2.02 サンフランシスコ・クロニクル紙、「年収140億ドルを越すベクテル社が、年間予算27億ドルのボリビア政府を相手に争うのは弱いものいじめでしかない」と批判。

2.25 ツナリ社とベクテル社の損害賠償要求は2500万ドルに上ることが、ICSID筋の情報として明らかになる。

02年4月

4.23 オリベーラと125人の仲間がサンフランシスコのベクテル本社に抗議行動。補償要求を取り下げるようもとめる。

4.24 オリベーラ、ゴールドマン環境賞を受け取る。受賞は昨年決定していたが、当局の迫害から逃れていたため、受け取ることが出来なかった。

4月 ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ元大統領、次期大統領選挙に再び出馬を宣言.「プラン・ボリビア」政策を掲げる.コカ栽培農民指導者のエボ・モラレスは,アメリカ主導のコカ撲滅政策を批判して地方農村部からの支持を集め,台風の目となる.

4月 国会議員選挙。30人の先住民や農民が国会議員に選出され、伝統政党による支配体制が一変。先住民の権利拡大を求める声が急速に高まる。

4月 キスペ,ボリビア農民労働者単一組合連合(CSUTB)の結成に加わり,委員長に選出される.

4月 ホルヘ・キロガ大統領、チリのメヒリョネス港(Mejillones)までのパイプラインを作る提案。この案に対し国内の反チリ派が反発。ガス採掘地からは260kmも遠くなるが、ペルーのイロ港(Ilo)にパイプラインを引くべきだと主張。ペルー政府も、ボリビアが管轄権を持つ「ガス輸出経済特別区」を設置するなどの条件を提示。

5.05 バンセル,肺ガンにて死亡.

02年6月

6.26 マニュエル・ロッチャ(Rocha)米国大使,「コカ党の候補は麻薬組織と結託している.モラレス氏が大統領になれば、米国は援助を打ち切り、経済封鎖を断行する」と宣言.全候補者から顰蹙を買う.

6.30 ボリビア大統領選挙.国民革命党(MNR)のサンチェス・デ・ロサダ元大統領、共和新勢力党(NFR)のマンフレード・レイェス・ビラ、社会主義運動党(MAS)のモラレス、左翼革命運動(MIR)のサモラ元大統領の4人の争いとなる.

02年7月

7.04 米大使館で独立記念日パーティー.ロッチャ大使にはモラレスから贈り物として一枚のコカ葉が届けられた.

7.11 中央選管が最終確定票を発表.MNRのサンチェスが22%で一位を占める.二位には社会主義行動運動(MAS)のエボ・モラレスが21%を獲得し食い込む.この選挙は実際にはエボの勝利であり、開票操作の疑いが濃厚といわれる。サンチェスの対抗馬と見られた元コチャバンバ市長のマンフレ・レジェスは,僅差で三位に終わる.

7.11 国会議員選挙。下院(定数130)に36名、上院(定数27名)に10人の先住民出身者が当選。MASは議会でも躍進し,野党第1党となる.先住民パチャクチ運動(MIP)のフェリペ・キスペは7%の得票を獲得し国会議員に当選.いっぽうMNRは下院130議席のうちわずか36議席を得るに留まる。

 

作った人もえらい!

 

7.19 ラパス行きの満員のバスがアンデス山脈の峡谷に転落。19人が死亡、15が負傷する。9月2日にはもうひとつのバス転落事故で20人が死亡。翌年1月には、コチャバンバのバス事故でさらに29人が死亡。

死のハイウエイel Camino de la Muerte): ボリビアには安全な道はないといっていいくらいだが、中でも有名なのがラパスとコロイコを結ぶ約40キロの道路。切り立った断崖の中ほどを削って、くねくねと続く山道は、年間150人の命が失われているとされ、世界でもっとも危険な「死のハイウエイ」と呼ばれている。http://www.ssqq.com/archive/vinlin27b.htmmo

02年8月

8.04 議会で大統領選決選投票.左翼革命運動(MIR)と連立したサンチェスが,84票対43票でモラレスに勝利.3位以下の候補はモラレスを嫌い,サンチェスに票を集中.パチャクチインディオ運動(MIP)のキスペはアイマラー語にてモラレスを支持する演説.

8.06 MNRのゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ,一期をおいてふたたび大統領に就任.副大統領には元テレビ解説者のガルシア・メサが就任。

8.29 コチャバンバの住民運動関係者や各国の市民運動グループ,ICSID の紛争審理と関係文書の公開を要求する陳情書を提出.このなかで「世界銀行は融資条件としてコチャバンバの水道事業民営化をボリビア政府に強制した当事者であり,ベクテル・ボリビア政府間の紛争に関与すべきではない」と主張.

10月 サンチェス大統領が訪米.ブッシュとの会談では,「コカ根絶作戦を続けるには,農民の衝撃を緩める措置が必要。その資金がなければ、来年また訪米しなければならない。ただしそのときは亡命者としてである」と予言.1.5億ドルの費用負担を要請するが,米国は1千万ドルの援助にとどめる.

11.01 MSTの参加家族に対して最初の土地分配が行われ、80家族が7600ヘクタールの土地を受け取る。

 

2003年

2.09 財政赤字をGDP比8.5%から5%へ削減するようにIMFから圧力。これに対応するため、サンチェス・デ・ロサーダ政権は所得税の増税を計画。発表と同時に各界から猛反発。

2.11 ロサダ大統領,勤労所得税の増税を含む予算案を国会へ上程.免税点を月給100ドルに引下げ,税率を7%から13%に引上げるもの.さらに消費者金融を閉鎖する措置もとられる.

2.11 警察の特別治安グループなどに所属する警察官が、増税反対と給与引き上げを求めて、国家機能が集中する大統領宮殿前のムリジョ広場に立てこもる。

2月12日 暗黒の水曜日

2.12午前 陸軍部隊が広場の反対側に展開。警官らと対峙する。首都の1万人の警官は増税措置の撤回、給料調整40%を要求して命令への不服従を決議.学生のデモに対する取締り出動を拒否.

2.12昼 COB労働者、支援の学生達はムリジョ広場に集り、政府の提出した所得税制の改正案を不服として大規模な抗議行動.

2.12午後 大統領の命令を受けた軍隊が出動.解放区と化したムリジョ広場へ突入.軍と警察とのあいだに銃撃戦が始まる。戦闘は3時間におよび、警官に10名、軍側に4名の死者を出す。

午後4時半 ロサダ大統領は増税案の撤回を表明。衝突の停止を呼びかける。

午後5時半 軍・警察の双方のトップが両者の撤退を要請。事態はいったん収束に向かう。しかし警察部隊はその後も職務へ復帰せず、警察保安特別隊の一部は大統領宮へ催涙弾を投げ込み,警察本部を銃撃.一部学生も警察不在を利用して、大統領宮へ投石するなどの挑発.

夜 騒乱はその後全市に拡大。労働省が略奪の上、火を放たれ、その後、副大統領府、持続的開発省、MNR党本部などが次々と略奪放火の餌食となる。群集は商店の扉を破壊し商品を略奪.テレビ局は危険を感じて放映を中止.

2.13午前 労働総盟の組織するデモが開始される。町中ではまだ略奪が続く。抗議参加者の救護活動にあたっていた看護婦と医者が狙撃され、看護婦1人が死亡。

正午 軍隊は、ムリージョ広場を囲む形で装甲車及び戦車を展開。広場へのデモ隊の侵入を阻む。

午後3時 警察が治安コントロールに復帰。警察反乱部隊の撤退により,事態が沈静化.その後町は平穏を取り戻す。2日間の衝突で22人(一説に33人)が死亡し,140人以上の負傷者が出る.そのほとんどが軍の狙撃兵によるもの.現在では「ブラックウエンズデー」として知られる.

2.13 暴動はラパスに隣接する諸都市へ拡大.エルアルト市では市民と軍隊が対決.COBはゼネストに入ると宣言.

2.13 野党のレイエス・ビラ,エボ・モラレスらは「今回の政治経済危機は大統領の責任であり、辞任すべきである」と主張.ロサダ政権は全閣僚の辞任に追い込まれる.

2.14 大統領府報道官,「数時間前に政府の転覆を図るクーデターの試みがあったが、幸いにして警察、軍隊の愛国勢力により避けることができた」と発表.

2.19 サンチェス大統領、8人の大臣を取り替え新内閣を組織。

3.31 熱帯低地にある金の鉱山町Chimaで, 地すべりによって300-400人が生き埋めとなる。

3月 エボ・モラレス,京都の第3回世界水フォーラムに出席.「世界の貧しい先住民の生活を守るためにも,水をIMFや企業の資産にしてはならない」と述べる.

4.02 国際通貨基金(IMF)との年内一杯のスタンドバイ協定が成立。「貧困削減・成長融資」(PRGF)への移行を目指す交渉が継続。クルーガーIMF理事は、「ボリビア経済は徐々に回復そつつあり、政府は財政目標達成に向け強い意志を示している」と述べる。

4 ボリビアで学生、先住民の農民、労働者リーダー、環境問題研究家、女性リーダーなど二百名以上が結集しワークショップを開催.FTAAに対する対抗策で協議.ボリビアのFTAA参加中止を政府に求めることで一致する.

5.13 ボリビアでのコカ根絶作戦が頓挫。コカ生産が増勢に転じる。

8.01 Bolivia警察は、2トンのコカインを押収。20人の人々を逮捕。押収量は過去十年で最大といわれる。

8.02 ボリビアの警察、さらに史上最大の3トンのコカインを押収。これはスペインに密輸されようとしていた。

8.05 ロサダ大統領,右翼のNFR(新共和勢力)と連立協約を締結し新内閣を組織.世論調査での支持率はわずか9%.

03年9月 農民の全国反乱

9.01 サンチェス大統領,LNGの対米輸出計画をめぐって,パイプラインをチリ側に敷設すると発表.これをきっかけに、野党勢力による政権批判が一気に拡大.

9.08 ラパス近郊エル・アルトの町が,24時間市民ストを決行.オルロ県ウアヌニでは鉱山労働者と市民2千が,コチャバンバとラパスを結ぶハイウエイを封鎖.暴動と道路封鎖により国内は広範囲に渡って麻痺状態になる。

エル・アルト: ラパス郊外の町。実質的にはその一部。人口は65万人。労働者街であったが、最近は産業も発達し「ボリビアの経済的首都」を自称する。8割がアイマラ系、2割がラテン系。他にケチュア系も5%程度。標高は4150米、夏の気温も17度までという想像を絶する町。(Wikipediaより)

9.10 ボリビア農村労働者単一組合連合(CSUTB)に指導されたアイマラ族のインディオ農民が,政府の農民・貧困対策が不十分として,アルチプラノ高原の幹線道路を封鎖.前政権とのあいだに交わした72項目の合意を実施するよう要求.また天然ガス輸出,米州自由貿易連合は外国企業を潤すだけと非難.

9.12 エル・アルトで農民2千がカトリック放送局に立てこもりハンストを開始.殺人罪で逮捕されたコタコタ農民連盟書記長エドウィン・ウアンポの釈放を要求.ハンスト参加者は一週間後に3千まで増加.

9.13 政府,農民の封鎖作戦に備え,ラパスと近郊を結ぶ主要道路を軍の管理下に置く.

9.15 数百人の観光客が道路封鎖によってラパス県アルティプラノ地区のソラタ村ワリサタ部落に閉じ込められる。(実際には軍のデマだった可能性もある)

9.19 天然ガス防衛全国同盟がコチャバンバで30,000人、ラパスで50,000人を動員して反パイプラインのデモを行なう。

9.20 ワリサタ村で,ヘリで観光客救出に向かった軍が、ボリビア農業労働者単一連合(CSUTSB)に率いられた農民と衝突.アイマラ族農民・教師ら7人が死亡.8歳の少女も含まれる。政府は「捕らえられた観光客を救出に向かった部隊が,包囲され待ち伏せ攻撃を受けたため,やむを得ず応戦した」とでっちあげ発表.

9.21 COBは、ワリサタの虐殺に抗議し、ゼネラル・ストライキと道路封鎖によって国を麻痺させるよう呼びかける。

9.22 新聞社の世論調査で52%がサンチェスの「改革」案に反対.これまでの経済開放は失業・賃下げ・公共料金引き上げを生んだだけだったと批判.

9.24 農民の道路封鎖により,ラパスでの生鮮食料不足が深刻となる.

9.25 COB,29日から農民闘争支援の全国ゼネストを決行することを決定.

9.25 世論調査で大統領支持率は9%まで低下.

9.26 コカレーロの指導者エボ・モラレス議員,10月はじめからボリビア低地での道路封鎖を再開すると声明.土地なし農民運動(MST)も土地占拠闘争を強化すると発表.

9.27 政府と農民との停戦交渉.農民代表アネスとケベード,対話開始の前提となる5条件を提示.①すべての道路からの軍隊の撤収,②道路封鎖行動で逮捕された人たちの釈放.③カルロス・サンチェス国防相の更迭.④ワリサタの犠牲者への補償など.

9.29 ラパス、コチャバンバ、オルロなど主要都市でゼネストに突入.アイマラ族の自衛組織は、国軍と警察をワリサタ部落とソラタ村、アチャカチ村から追放。指導者エウヘニオ・ロハス(Eugenio Rojas)は、政府が協定を拒否すればラパス市を包囲すると宣言。

9.30 エルアルトの住民部隊が首都へ続く主要な道路を封鎖。サンチェス・デ・ロサダ大統領、イエルコ・クコク (Yerko Kukoc)内相、カルロス・サンチェス・デ・ベルサイン (Carlos Sanchez de Berzain)国防相の辞任を要求。ラパスでは深刻な燃料不足と食料不足が起こる。

03年10月 第二次ボリビア革命

10.01 サンチェス・デ・ロサダ、BBCとのインタビューに応える。「彼らは議会と制度を無視して、道ばたで政治を動かそうとしている」と訴える。

10.08 エルアルトの住民が、地域の住民組織(隣組・フンタ・ベシナル)を中心に市民ストに入る。地域の交通は全面的に封鎖される。

10.09 鉱山労組がチリ経由の原油輸出に抗議し、チリ行きのタンクローリーを阻止。機動隊との衝突で2人が死亡し9人が負傷。その後4日間にわたりにらみ合いが続く。

11日 エルアルトでさらに2名のデモ参加者が殺害される。

10.12 ロサダ大統領の辞任を要求する数千人の群集がエルアルトに集合.首都に向けて出発、途中ビラ・エル・インへニオ地域で商店が略奪・放火される.さらに26名のデモ参加者が殺害される。

10.12 石油輸送のトラックを護衛するための戦車と重火器部隊が、バリケードを突破しエルアルト市内に突入。無差別発砲により17人が死亡し数十人の負傷者が出る。政府はエルアルト市に戒厳令を敷く。

10.13 ラパス市内に入った反対派,中心街にて警官と衝突.バリケードを作り対抗.この日だけで死者27人.鎮圧行動は最終的に67名の死者と約400名の負傷者を出す。

10.13 カルロス・メサ副大統領,エルアルトでの「行き過ぎた強権発動」に抗議。「辞任はしないが、大統領支持を取り止める」と述べる.

カルロス・メサ(Carlos Diego Mesa Gisbert): 歴史学者でありボリビア歴史学会の会員。同時にラジオ・テレビ・新聞のジャーナリストとしても活躍。国会の議長も務めていた。

10.13 連立するMIRのハイメ・トレス (Jaime Torres)経済開発相、新共和勢力党 (Nueva Fuerza Republicana :NFR)の閣僚3人も抗議の辞任.

10.13 サンチェス大統領、チリとつなぐパイプライン計画を、国民との合意が得られるまで白紙撤回すると発表.

10.14 ラパスで農民ら3万人がサンチェス大統領辞任をもとめるデモ。エル・アルトでは,道路封鎖中の農民らと治安部隊が衝突.50人近い死者が出る.

10.14 米国務省、「国際社会と合衆国は、法の秩序を妨害するものを許容せず、非民主的な政治体制を支持することもない」とし、サンチェス大統領の支持を明らかにする。

10.15 「七つの丘」の先住民約1万人がラパスに向けて行進.ほかに全国から約5万人の先住民がラパスに向かう.鉱山労組の労働者やコカレーロがラパス中心のサンパス広場に集合し,大統領の辞任を要求.

10.15 ガス管敷設を担当するパシフィックLNG,工事延期を決定.

10.15 ロサダ大統領,MIRのサモラ,NFRのレイエスが並び,当面の対応措置を公表.1)天然ガス輸出に関する国民投票、2)炭水化合物法を再検討、3)憲法議会召集の可能性を探るなど民主主義の再強化,を柱とする.社会主義運動(MAS)のイボ・モラレスは「発表された措置だけでは,大統領辞任の要求を撤回するに不充分」とし,受諾を拒否.

10.16 5万人以上の反政府デモがラパス市内になだれ込む.大統領宮と国会に近いムリジョ広場で反政府集会を開催.大統領を「殺人者」などと非難しながら、市中心部を行進.国軍部隊と衝突したデモ隊の4人が死亡.

10月17日 サンチェス・ロサダの退陣

10.17午前 連立与党の新共和勢力(NFR),反政府デモ鎮圧で死者が出たことに抗議して連立離脱を表明.レイエス党首がロサダと会談し辞任を勧告.ロサダは「私の辞任が危機解決の充分条件ならば辞表を出すが、事態はこれで解決するほど簡単なものではない」と反論.

10.17昼 サンチェス大統領(73)、カルロス・D・メサ・ジスベルト副大統領に議会あての辞表を提出.議会の承認を待たず,ヘリコプターでサンタクルスに脱出.18日には,民間機で米フロリダ州マイアミに到着.米国政府に対し長期滞在を求める.

10.17夕方 カルロス・メサ副大統領(50)が憲法の規定により繰り上がり大統領に就任した.就任演説でメサは,天然ガス輸出に関し国民投票を行ない、憲法議会を召集すると発表.「我が国は沈没の危機に頻している。大統領・議会・社会がこの事実を理解しなければ,この国は海中に沈んでしまう」とし,「皆さんの要求にすぐには応えられないが、対立を乗り越えよう」と訴えた.

10.17夜 CSUTCBのフェリペ・キスペは、「70項目要求が受諾されない限り、デモも道路封鎖も中止しない」と声明.闘いの目標は先住民の手に権力を握ることであると主張.これに対しMASのモラレスは,「メサ大統領に時間を与えたい.新政府がいかに我々の要請を受け入れるか見守る」と述べ,平穏を訴える.

10.17夜 アメリカ政府は「情勢を評価する目的で軍事スタッフをボリビアへ派遣する」と発表.

10.18 CSUTCBとメサ大統領との間に90日間の休戦協定が成立.キスペは「メサと同様、我々もボリビアをこれ以上沈降させない道を探している」と述べる.いっぽうで「モラレスはファシスト」とライバルを非難.

10.20 農業労働者組合連合(CSUTCB),ラパス中心部のサンフランシスコ広場で組合員約5,000人を集めた集会を開催.メサ新政権の政策動向を注視し、要望内容の交渉を開始するため90日間の”休戦”を宣言.ここまでの死者は80名以上.

10.20 銀行が14日振りに業務を再開.鉱夫も農民も地方へ引き上げ,ラパス市は平穏に戻る.

10.22 ボリビア全国商業会議所,街道封鎖などによる社会政治混乱により、商店の被害額が少なくとも7,000万ドル,さらに輸出入業務の停止による損害が1億2,300万ドル以上で、計2億ドル近い損失となった、と発表.

10.23 メキシコ訪問中のエボ・モラレス、「天然ガスの輸出そのものに反対しているわけではなく、まず埋蔵天然ガスに関する住民の権利を認め,しかるべき手段を講じた上で輸出すべき」と述べる.

11.03 ニューヨークタイムス,ボリビアにおける麻薬撲滅作戦を批判.「適切な代替策が提供されないまま,もっとも貧しい農民から収入が二億五千万ドル奪い取られた」と述べる.

11.06 グリンリー駐ラパス米大使,メサ大統領との会見後,「現時点では対ボリビア投資の関心はあまりない」と語る.

11.13 報告によれば、コカインはGDP85億ドルに対し、5億ドルを生み出しているとされる。農地のうち30,000エーカーがコカ畑となった。

11.21 サンタクルスで、米領事館員の家族ジェシカ・ニコル・ボルダ(22)が、車泥棒により射殺される。

12.23 中部ボリビアで洪水。バスが流され、乗客少なくとも19人が死亡40人が行方不明となる。

2003年 アルゼンチン国境に接するタリハ州(州内のグランチャコ自治区ヤクイバ)で、マルガリタ天然ガス油田が発見される。埋蔵量25兆立方フィートとされる。スペインとアルゼンチンの合弁会社Repsol-YPFが操業を開始する。

2003年 ボリビア共産党、党員数の減少から合法政党としての登録を抹消される。マルコスDomichを書記長とし、機関紙Unidad(統一)を発行。

 

2004年

04年1月

1.04 メサ大統領の施政方針演説。天然ガスに関する国民投票の実施をあらためて確認。国民投票の実施に先立ち、炭化水素エネルギー法の改正を行うことを明らかにする。この改正は、石油関連企業に対する課税率引き上げ、エネルギーに関する主権回復、ボリビア石油公社(YPFB )の強化の三つの柱からなる。

1月 米国、国際刑事裁判所に対する米国民及び軍人の免責特権を認めない限り、200万ドルに上る軍事援助を凍結すると警告。 グリンリー米国大使は、「我々は、断固とした措置をとることができる」と恐喝。

1月 国際刑事裁判所のレネ・ブラットマン判事(ボリビア人)、「免責協定は、03年3月11日に発効したローマ宣言と矛盾する。国際刑事裁判所のメンバー国でありながら、このような協定に署名することはおかしい」と語る。

04年2月

2.01 メサ政権が経済政策を発表。緊縮財政とそれに付随した新税導入、国内燃料価格の漸進的自由化、政府調達における国内中小生産者の優遇(Compro Boliviano)などが打ち出される。

2.10 全国運転手労組,ガソリンなど燃料価格の自由化政策に抗議して48時間のストライキに突入.メサ大統領は労組の”古い手法・体質”を批判,交渉のテーブルにつくよう求める.

2.20 憲法改正法が成立。政党による公職の独占を廃し、政党のみならず市民団体、先住民組織も、政治に参加できることとなる。また国民投票制度の導入と憲法改正会議召集への道が開かれる。

04年3月

3.02 天然ガスの輸出先として、メキシコおよびアルゼンチンが浮上。

3.06 メサ大統領がエル・アルトの市政19年記念式典に出席、市民の歓迎を受ける。

3.08 MASと石油企業との板挟みになったアルバロ・リオス鉱物・炭化水素大臣が、辞表を提出。アントニオ・アラニバル・キロガが後任に任命される。キロガがサンチェス政権の閣僚であったことから、MAS、NFR、MIR及びUCSは警戒を強める。

3.30 鉱夫が、国会内で彼の胸に結びつけたダイナマイトを爆発させる。ダイナマイトは2人の警官を殺害した。

04年4月

4.01 金融取引税法案が議会で成立。外貨建て1000ドル以上の口座を通じた取引に対し、1年目に0.3%、2年目に0.25%の税率が課せられる。個人資産税導入については国内の反発が強く、見送られる。

4.13 内閣改造。政府は民間企業との合意が得られなくとも法案成立を目指す強い姿勢を打ち出す。

4.21 メサ大統領、アルゼンチンを訪問。天然ガスの緊急輸出に関する二国間協定に署名。第三国(具体的にはチリ)への輸出は行わないことを条件に6カ月間で1日400万立方メートルの輸出が実現。

4.21 「ラ・プレンサ」紙による世論調査。国民の61%が天然ガスの輸出に賛成。特にタリハ、サンタクルス県で賛成が高率。いっぽうエルアルト市では46%、ラパス市では42%しか賛成がなかった。

04年5月

5.01 財政削減、新税導入に抗議しCOBの提起したゼネストが始まる。ストはメサ大統領の辞任を公然と求める。教職員組合がストライキを継続だけで実質的な敗北に終わる。

5.07 憲法裁判所、03年2月暴動における弾圧事件で、通常の裁判所における裁判のやり直しを指示する。当事者4人は軍事裁判所において無罪の判決を受けていた。軍は「憲法裁判所の判決は、国家の統一と安定を損なう」と抗議声明。

5.12 国際刑事裁判所への米国人の免責を定める法案が上院で成立。MAS、COB、エルアルト地区労連などは反発を強める。

5.18 ボリビア中央労連(COB)と労働・農業開発研究センター(CEDLA)が、「FTAAに反対するボリビア運動」を形成。米国との二国間FTA締結に反対の姿勢を示す。

04年6月

6.01 MIPのキスペ委員長、下院議員を辞職。米国人の国際刑事裁判所への訴追免責を定める法案が上院で可決されたことに対し、「嘘つきで、働かず、盗人である議会には留まりたくない」と述べる。MIP(パチャクティ先住民運動党)は、農業労働者組合連合(CSUTCB)を母体に作られた政党。

6.01 東部低地で、陸軍兵士がハイウェイをふさいでいる農民と衝突。兵士1人、農民1人が死亡。

6.10 クルーガーIMF理事、スタンドバイ協定の延長に同意。「ボリビア経済は徐々に回復の兆しを見せている。炭化水素政策を含めた成長及び貧困削減政策の強化が必要である」と述べ、中期融資である貧困削減・成長融資(PRGF)への移行を示唆。

6.22 サンタクルスの自治と雇用拡大を要求する集会が6万人を結集。「6月の行動計画」 (la agenda de junio) を採択。右派のサンタクルス州市民委員会が主催。

04年7月

7.06 議会において国民投票法が賛成74票、反対26票で成立。MIR(左派革命運動党),MAS,MNR(民族革命運動党),ADN(民族民主行動党),UCS(連帯市民連合)が賛成。NFR(新共和勢力党)とMIP(パチャクティ先住民運動党)が反対に回る。

7.08 ルーラがサンタクルスを訪れ、メサと会談。5千万ドルの債権放棄、道路整備への600百万ドル融資などで合意。

7.18 天然ガス輸出に関する国民投票.農民や労組が要求する外国企業の「即時国有化」と利権没収は拒否され,採掘権についてのみ国有化することが定められる.5つの質問に対し平均で、賛成70%、反対30%.棄権が40%に及ぶ.メサ大統領は「ボリビア国民全体の勝利」と述べ、国民投票に反対した労働組合のリーダーに新たな団結を呼びかける.

7.22 キルチネルがタリハ市を訪問しメサ大統領と会談。天然ガス輸出量を現在の一日当たり4百万立方米から6.5百万立方米に増大させることで合意。

7.27 全国選挙裁判所(CNE)は同国民投票の公式集計最終結果を発表。全5問において賛成が過半数を占めた。マンフレッド・レイエス・ビジャNFR党首、ハイメ・ソラレス・ボリビア労働総連(COB)代表、ロベルト・デ・ラ・クルス・エル・アルト地区労働組合(COR-ElAlto)代表、フェリペ・キスペMIP党首等は否定的な反応を示し、今後の反政府デモ等の可能性も示唆した。

04年8月

8.06 メサ大統領が独立記念日式典において演説。本年の経済成長率は4%に達する見込み。輸出は90年代の12億ドルから、本年20億ドルに届く見通し。炭化水素法案が成立すれば、輸出量を増やすことなく9000万ドルの収入増加が見込まれる。これを住宅助成金、企業再建、雇用創出などに用いたい。

8.16 サンタ・クルス県チャコ-アモコのガス田で,農民グループ約300人が,イギリスとボリビアの合弁天然ガス会社を占拠.

8.17 ボリビアの国会,国民投票にもとづき炭化水素法の審議を開始.社会主義運動(MAS)のエボ・モラレスは炭化水素の「真の国有化」を主張.

8.25 ラパス州運転手組合は、ガソリン価格の1年間凍結,外国コンソーシアムの手にある炭化水素の国有化を要求して、無期限ストを宣言、メサ大統領は冷却期間が必要として、2,3ヶ月の価格凍結を発表する一方,警察と軍の派遣を命じた。

8.26 組合と政府の間で、燃料価格の100日間の凍結を柱とする合意文書。道路封鎖及びストライキが解除される。

04年9月

9.16 ボリビアで天然ガスの採掘に当たるPetrobras(伯)とRepsol(西)、議会の委員会で新法への反対意見を表明。もしこの法案を変更しなければ、操業を続けるのは困難だとし、国際調停に持ち込むかボリビアから出て行くと脅迫。

9.19 プエルト・アルマでコカレーロと軍が衝突。ボリビアには2万3600ヘクタールのコカ畑があり、うち1万6千ヘクタールが首都近郊にある。

9.23 コチャバンバでコカレーロと軍が衝突。農民一人と兵士2人が負傷。

9.26 ボリビア駐在のチリ総領事エミリオ・ルイス・タグレ、「ラ・エポカ」紙によるインタビューに答える。「海への出口問題がチリとボリビアの二国間関係を永久的に縛ることは望ましくない。個人的には」ボリビアに海洋への出口を手に入れさせたらどうかと思う。04年に締結された二国間条約は、今後改正可能である」と語る。

9.28 チリ政府は「条約の尊重と変更不可能性は国際法の基本原則の一つであり例外は認められない」とし、直ちに総領事を解任。(両国はいまだ大使交換をしておらず、総領事が事実上の大使)

04年10月

10.01 チリのアリカ港が民営化され、港湾使用料が300%引き上げられる。ボリビア政府は、「ボリビアの輸出・輸入商品の自由な通行を保障する1904年の平和友好条約に違反する」として、チリ政府に対し抗議。

10.03 メサ大統領の支持率が4%下がり56%となった。サンタクルス市では14%下落し35%となったのが低下の原因。ラパス市では8%上昇し74%、また、エルアルト市では7%上昇し64%となった。

10.04 上下両院経済開発委員会の合同委員会、独自の炭化水素法を議会に提出。「ボリビア石油公社(YPFB)の権限を強化し、天然ガスの輸出・販売にあたっては、YPFBが事業の主たるパートナーとなる」というもの。合同委員会はMASが主導権を握っており、事実上MASによる対抗法案となる。

10.05 議員提出の炭化水素法に対し、政府・業界ともに強く反発。炭化水素協会は民間企業の接収を狙うものと反発。政府も、この法案は今後の国家運営を不可能にするものと非難。

10.09 下院エネルギー炭化水素委員会事務局長のナフタリ・メンドサ議員、石油企業などが「議員提出の炭化水素法を議会で取り上げないよう、複数の議員だけでなく、政府にも圧力をかけた」と述べ、国民の支援を要請する訴え。

10.14 メサ大統領、アルゼンチンのキルチネル大統領と会談。ガス輸入を一日当たり2000万立米増やす契約に調印。下院のNFR(共和新勢力)とMAS(社会主義運動)は大統領に対し、新しい炭化水素法が公布されていないこの時期は、いかなる国との契約も調印しないよう要請。

10.17 政府打倒1周年を記念するコカレーロ農民の行進がラパスに到着。炭化水素法の早期制定と一年前の事件に関する前大統領の責任追及を求める。アルティプラノからは2000人の鉱夫が徒歩で到着。

10.18 鉱夫、農民、労働者、学生1万5000人がラパスで一周年記念集会。炭化水素の採掘、販売を国の管理下に置くこと、サンチェス前大統領の逮捕を要求する。

10.21 チャールズ・シャピーロ米国国務省次官補がメサ大統領と会談。「各国は国内の投資を保護する義務を負っており、従って現行の契約が尊重されるべきである」とし、MAS法案が通れば今後の援助の供与にも影響を与えると恫喝。

10.21 ボリビア議会、サンチェス・デ・ロサーダ前大統領と15人の閣僚の責任を追及する裁判の開始を承認。メサ現大統領は国会の歴史的決定を歓迎。

10.25 ブラジル大統領特使マルコ・アウレリオ・ガルシアがラパスを訪問。メサ大統領、エボ・モラレスMAS党首、ハイメ・パス・サモラMIR党首、及びミルタ・ケベドMNR党首と会談。政府が収益の50%を収入とすることには理解を示す。しかし契約変更の義務づけに対しては、業界における不安感を増すとして反対の意を表明。

10.28 エボ・モラレス、「採掘権料を50%に引き上げることが国民投票で示された国民の意思である」として、それ以外の選択肢を拒否すると声明。

10月 メサ大統領、コカ栽培農民との間に栽培協定。3,200ヘクタールを最大限度とする。

04年11月

11.03 世論調査の結果、新炭化水素法案など諸政策が評価され、メサ大統領の支持率は前月の56%から68%に上昇した。

11.11 サンタクルス県及びタリハ県において自治に関する県民投票の実施を政府に求め、24時間のゼネスト。

11.12 メサ大統領、地方分権の要求に対し必要な法的手段を講じると発言。

11.17 議会、炭化水素法案の逐条審議で、井戸元での国家所有権回復と、ジョイントベンチャー契約の変更義務づけについて採択。フィレモン・エスコバル上院議員は「現政権の倒壊を招き、当国の民主政治を危機に陥れる」と強く非難。

11.17 ノリエガ米国西半球問題担当国務次官補、ボリビアをFTA交渉相手国として承認することは、現時点では困難と述べる。対米FTAについて国内の意見は割れ、製造業部門は推進を、農業部門及び製薬業界は反対の意を表明している。

11.17 政府、ディーゼル及びGLPガスへの補助金がこれまでに9000万ドルを超えたと発表。補助金は富裕層を利し、かつ隣国への密輸を引き起こすだけであるとして、見直しを行う可能性を示唆する。

11.18 メサ大統領が所有するテレビ局で小規模の爆破事件があり、4人が逮捕される。

04年12月

12.05 統一地方選挙。ラパスでは中道左派の「恐れのない行動」のフアン・デ・グラナドが勝利。エル・アルトでは進歩計画党、コチャバンバでは市民団結連合、サンタクルスでは21世紀連合、サンタ・クルス・デ・ラ・シエラでは「全員のための拡大戦線」など、いずれも先住民を基盤とする新興政党・市民団体が勝利。国会に議席を有する伝統白人政党が、議席を大幅に減らす。

12.22 選挙管理委員会が全国集計を発表。得票率では、MAS(社会主義運動党)が18.4%と最も高く、MSM(恐れなき運動党)8.7%、MIR(左派革命運動党)6.6%、と続いた。今次地方選挙から参加が可能となった市民団体及び先住民団体は、市民団体が、313議席(全議席数の17%)、先住民団体が105議席(6%)を獲得。

12.28 IMFとの現行のスタンドバイ協定が3ヶ月間延期される。フアン・アントニオ・モラレス当国中央銀行総裁は、「中期融資枠組である貧困削減・成長促進融資(PRGF)への移行作業は、新炭化水素法成立を待ってからになる」と述べる。

12.30 政府がガソリンの10%、ディーゼル燃料の23%値上げを発表。ガリンド長官は、「燃料価格に対する政府補助が国外への密輸を招いており、国内で燃料不足が生じている」と説明。

04年 ベクテル社は、ボリビアで2,500万ドルの損失を被ったとして、ボリビア政府を提訴。世界銀行の貿易仲裁所で非公開審理が始まる。外国の直接投資は、政治の混乱を嫌い、4億1600万ドルに減少。

 

2005年

2005年1月

1.04 サンタクルスの市民委員会(Comite Civico)、燃料価格引き上げを拒否し市民ストライキを決定。

1.05 運転手組合連合(CSC)が、12月30日に実施されたガソリンとディーゼル油の値上げの取り下げを求め、公共輸送での24時間ストを実施。

1.09 メサ大統領が国民向け演説。ガソリンの値上げは避けられないと発表。緊急雇用対策プログラム(PLANE)を50%増額することで弱者救済を図ると述べる。

メサ演説の内容: 巨大な力を持った非常に小さいグループにより、大統領が統治を行うことが妨害されている。公共秩序の維持のために同胞を殺すことを余儀なくされるようであれば大統領を辞職する。(自らの組織を持たないので仕方ないといえばその通りだが、これでは政治家の資格はない)

1.11 エル・アルト住民連合(FEJUVE)、市内の水道を経営する「アグアス・デル・イジマニ」社の追放を求め無期限ストに入る。(当初FEJUVEの主要目標はガソリン値上げ阻止だったが、諸条件にかんがみ、水道会社追放に切り替えたとされる)

アグアス・デル・イジマニ社: 世界第二の水道サービス企業のスエズ社(フランス)を中核とする国際コンソーシアムで、ラパスとエル・アルトに水道を供給している。同社が管理するようになってから、水道普及の進展が遅れていた。また水道管の接続料金が高額であったことから、住民の不満が高まっていた。

1.11 社会行動党のエボ・モラレスはエルアルト住民に対し、寡頭政治に奉仕しないよう求める。同時に大統領に対しては、「公の場で、アメリカとともに進むか大衆とともに進むかを明らかにして欲しい」と求める。

1.11 サンタクルスでは市民委員会が中心となり、燃料価格の引き上げ反対を訴え48時間ストを開始。数十万人の参加するデモは、外国の会社に水特権を与えないようもとめる。コカの栽培者は北方農業地帯のユンガス渓谷とラパスをつなぐ街道を封鎖。

1.13 メサ大統領、ガソリン代の値上げを確認。同時にディーゼル価格を10%引き下げガソリンと同価格とする。

1.13 エルアルト市民連合と労働センター、ガソリン価格引き上げ提案を受け入れ、ストライキを中止。ラパスへのデモ行進は予定通り行われ、「ボリビアは売らない」のスローガンのもとに1万人が参加する。

1.14 メサ大統領、「アグアス・デル・イジマニ」社の撤退を決断。5年前のコチャバンバでの水の戦いに続く住民側の勝利。ラパスではエルアルト住民も合流した2万人の勝利集会。

1.16 サンタクルスで、燃料価格の高騰に抗議して、企業・組合・政治家などが全市あげてのストを開始する。市民委員会派は州庁舎など公的施設の大半を抑え、サンタクルス州に自治政府を樹立する構え。メサ大統領は「寡頭政治を求める少数のグループの陰謀には我慢がならない」と言明。

1.19 メサ大統領はガソリン代値上げの大統領令を発布するとともに、国民向け演説を行い、事態の沈静化をはかる。

1.20午後4時 サンタクルスのビルビル国際空港、全ての従業員が空港外に去り、全便運行停止。州庁舎の占拠・ハンスト運動も継続。

1.20夜 下院、ガリンド大統領府長官、グレベ経済開発相、ヘミオ蔵相、トーレス炭化水素相に対する不信任決議案を可決。コシオ下院議長を長とし、MNR、MIR、MAS、NFR及びUSCの各党からなる仲裁委員会をサンタクルスに派遣することを決定。

1.20 メサ大統領を支持する超党派の議員17名のグループが発足する。

1.20 全国の宗教団体、社会運動団体、各種組合等が、メサ大統領に対する支持を表明。

1.21 メサ大統領は、4大臣の辞任を拒否。「戦略的観点から」軍のサンタクルス派遣を命じる。同時に交渉の道を開くため、大衆参加相ロベルト・バルベリを派遣。

1.21 サンタクルス市民委員会が市民集会に3万人(主催者側は5万人)を動員。ルベン・コスタス委員長は、サンタクルス州に「暫定自治政府」を創設すると発表。28日に公開の市民集会(cabildo)を開催し、そこで暫定自治政府が承認されれば直ちに機能を開始すると述べる。

1.21 コシオ下院議長を委員長とする議会仲裁委員会が、コスタス委員長と会見。コスタスは「自治に関する国民投票」を要求する50万人分の署名を提出。ガリンド大統領府長官は議会仲裁委員会を信頼しないと述べる。

1.21 MASのモラレスは、サンタクルスをめぐる裏工作に反対。制憲議会を実現するために、自治権もふくめた議論の進め方で合意する必要を訴える。このため、「統一と民主主義のための国民集会」を開くよう提案する。

1.21 サンタクルス州の先住民組織、農民団体並びに全国住民団体連合(CONALJUVE)が、メサ大統領を支持するデモ行進。

1.21 国軍がメサ大統領に対する支持を表明。

1.21 主要都市の9市長(ラパス、エルアルト、コチャバンバ、タリハ、オルーロ、ポトシ、トリニダッド、コビハ、スクレ)は共同声明。メサ大統領への支持を表明。サンタクルスの動きに対し憲法改正会議に対するテロであるとして非難。

1.24 ラパス市長フアン・デル・グラナド(中道左派)、サンタクルスの動きを「分裂主義」と非難。大統領への支援を明らかにする。「社会主義活動」のフィレモン・エスコバル上院議員は、サンタクルス市民や企業家の妥協しない態度は、「民主主義に反して動いている黒い政治利益」の反映だと述べた。

1.25 サンタクルスで、先住民のグループが市の公共施設を占拠し、自治を求める行動に対して抗議。全国の5州が政治と領土の統一を支持した。サンタクルス・民族的大衆連帯(CPSC)のスポークスマンは、「彼らの行動は排他的だ。我々が求めているのは、もっと多くの参加の機会だ。我々も自治を求めているが、それは憲法集会での場でのことだ」と述べた。

1.26 ラパス、オルーロ、ポトシ、チュキサカ、コチャバンバの市民委員会は、サンタクルスに反対する行動を呼びかける。

1.27 ガリンド大統領府長官、カトリック教会の仲介によりサンタクルス市民委員会と交渉。市民委員会が政府提案を受け入れることで合意。

政府提案の内容: ①各州知事を直接選挙により選出する。②各州の自治に関する国民投票(ただし議会による立法が必要)。③ディーゼル価格をリットル当たり2センターボ追加引き下げ。

1.27夜 サンタクルス市民委員会、独自の知事の選出はしないが、暫定自治会議(Asamblea Provisional Autonomica)を創設して、知事の新たな権限につき検討すると声明。また翌日の集会に総額10万ドルの費用をかけると発表。

1.28 人口約130万人のサンタクルス市が自治宣言集会。政府発表で12万人が参加。ルベン・コスタスはただ一人の演説者として90分にわたり演説。演台には、市内の活動家の代表が上がったが、ほとんど全てが白人だった。

1.29 メサ大統領は、7月12日に公選の知事を選ぶ選挙を実施すると発表。いっぽうサンタクルスが知事を選出しなかったことを是とし、「自治は憲法会議への第一歩だ」と述べる。エボ・モラレスは大統領が「サンタクルスに譲歩しすぎた」と批判。

2005年2月

2.05 メサ大統領、MNRのマリア・テレサ・パスを保健スポーツ大臣に指名。パスは旧体制復活阻止を叫ぶ組合のピケに阻まれ、庁舎にたどり着けないまま24時間で辞任。

2.09 中国政府、国家警察に対し120台の警察用オートバイを供与。

2.15 ライス次期国務長官、米国上院で証言。ボリビアの社会主義運動党(MAS)が、コカ農民により構成されており、その勢力の拡大につき懸念を有していると発言。

2.21 ボリビア検察庁、前大統領サンチェス・ロサダおよび当時の国防相、内相を大量虐殺で正式に告発。03年10月の暴動に際して少なくとも60人が軍・警察当局により虐殺された。

2.22 ボリビア検察当局、エルアルトでの反政府運動で軍・警察による56人の市民が殺害された事件で、米国に亡命中のゴンサロ・サンチェスら当時の閣僚15人に対して大量殺人容疑で起訴。

2005年3月

3.01 ラパス近郊のエル・アルトで、「アグアス・デル・イジマニ」社との契約の即時取り消しと完全撤退を要求して無期限スト。幹線道路封鎖による抗議行動。ボリビア9州のうち6州で道路封鎖が起こっている。

3.06 ボリビア闘争準備委員会のグレゴリオ・ランサは、社会的抗議がその段階に入ったとし、「闘争・行動の一週間を始める」と言明。ラパスとオルロ、コチャバンバ、サンタクルス、ポトシ、スクレをつなぐ道路、チリやボリビアの南部に向かう公共交通、アルゼンチンと結ぶ南東部のカミリ街道は途絶。

3.06 MAS、50%の採掘権料を要求する自らの石油法案を提出。採択を求め無期限ストを開始。

3.06 カルロス・メサ大統領、MASやエルアルト市民連合の道路封鎖を受け、「もはや大統領の職務を果たすことは困難」として議会に辞表を提出。5千人近くの群衆が大統領府前に集まり、メサ大統領に辞任しないように訴える。

3.07 ムリージョ広場にメサ続投を求める多数の群衆が集まる。このほかコチャバンバ、オルーロ、ポトシ、スクレ等においてもメサ大統領に対する支持を訴える集会。

3.08 議会は上下両院の全議員の出席のもと満場一致でメサ大統領の辞表を否認。同時に①炭化水素法の早期承認、②制憲議会の設置、③抗議行動・道路封鎖の解除を呼びかけなどで一致。

3.09 メサ大統領、炭化水素法案に関し、MAS党とモラレスに”国家”のための熟考求める。

3.10 メサ大統領の呼びかけで、1万人の市民がラパスのアルマス広場を埋め、「ブロックを辞めろ!」と叫んだ。ボリビアの最近の輸出は、道路封鎖の影響で昨年同期比10.3%の落ち込み。

3.14 COBは、48時間のストを15,16日に行うよう呼びかける。ラパスの農民組合とアイマラ族リーダーのフェリペ・キスペはチリ、ペルーとを結ぶアルティプラノの道路封鎖を宣言。教員組合は26の下部組織に対し、COBと呼応して2日間のストを行うよう命じた。

3.15 メサ大統領、全国民に向けた演説。検察が道路封鎖の実行者を訴追せず、下院が炭化水素法案を拒否する状況に危機感を表明。「議会は最早国民を代表しておらず、新たな選挙を通じ正当性を獲得する必要があるとして、総選挙の前倒しを要求。「この前倒しを行わないとボリビアは政治不能になる」と言明。

3.16 ボリビアの下院、総選挙を約2年繰り上げるという政府提案を否決。いっぽうでMAS案よりの炭化水素法案を可決し上院に送付する。ロイヤリティを18%とし、割引や補填を不可とする税を32%とする。

3.16 エネルギー相ギジェルモ・トレスはこの法案を受け入れられないとし、「もし議会が法律を採択しても半月と保たないだろうし、大変な問題を生じるだろう。これは国家にとっての自殺行為であり修正しなければならない」と言明

3.18 メサ大統領は国民向け演説で、「正統性のない者に対して大統領職を譲ることはできない」として、大統領の座に任期一杯止まると表明。メサが辞職すれば、自動的にバカ・ディエス上院議長が大統領になるため、これを阻止しようというもの。

3.20 下院議員エボ・モラレス、「もし上院が下院で可決した炭化水素法を修正した場合には、国民の大きな抵抗を受けるだろう。我々の戦いのやり方を、道路封鎖からより効果的な行動として議会周辺を取り囲み監視するよう変える」と述べる。

3.20 ボリビア炭化水素会議所は、新法はボリビアの利益に反し、反生産的なものだと評価。「法律が施行されれば、これまでの投資は撤収されることになるだろう」と述べる。

3.23 メサ大統領、アバロア広場において「海の日」演説。「海への出口」問題が解決されない限り、チリとのいかなるエネルギー交渉もありえないと語る。

2005年4月

4.08 バカ・ディエス上院議長(MIR)、メサ大統領が海外旅行中の臨時代理大統領として、県知事選を8月に実施するとする大統領令を公布。

4.15 ポトシの市民委員会、シララ川の水がチリ領内に入らないように水路をせき止めることを提案。これに対しシレス外相は、せき止め工事をすれば、チリが軍事侵攻する可能性があるとして、この提案を拒否した。

シララ川: ポトシに源流を発しチリに流れ込む河川。これまでボリビアはシララ川に対する領有を主張、チリに使用料の支払いを求めてきたが、チリ側はシララ川は国際河川であるとし、これを拒否してきた。

4.20 ボリビア下院、シララ川問題に関連してシーレス外相に対する不信任決議案を賛成56、反対33で可決。メサ大統領は、シーレス外相を信頼するとして、留任を決定。

4.30 ボリビア上院、石油法改正法案を可決。承認・公布に関しメサ大統領の署名を求める。天然ガス・石油関連の採掘権18%および税金32%の計50%を外国企業に課すもの。先住民、農民、労組などによる天然ガス・石油関連産業の国有化を求める反政府運動が全土に拡大。

2005年5月 第二次ガス戦争

5.06 炭素資源法がボリビア議会を通過。①過去10年間に締結された71件の契約を破棄し、炭素資源及び天然資源の正規な所有権を国に取り戻す、②使用料は18%のままであるものの税率を16%から32%に引き上げる、③資源開発を政府の管理下に置き、採掘会社の年度決算は政府が監査する、④先住民居住地域でガスを発見した場合、先住民族グループとの協議を義務づける、などを骨子とする。

5.07 メサ大統領はボリビア議会が承認した炭素資源法にはまだ議論の余地があるとして署名も拒否もせず。

5.12 退役軍人がコチャバンバでTRADEPA(愛国民主改革運動)を結成。腐敗した政党に対抗して、「革命的で自立した人道的なナショナリズム」「国の発展への軍の関与」を標榜。

TRADEPA: 「市民グループ」を名乗るが、実体は、国軍組織法第121条により政治活動が禁止されている国軍に代わって政治活動を行う組織。アンテサナ陸軍司令官をはじめとする複数の軍幹部も関わる。メンバーの一人リコ・トロ退役大佐は、独裁者ガルシア・メサ時代に情報局長を務め、社会党のキロガ・サンタ・クルス党首の暗殺事件に関与したとされる人物。

5.13 メサ大統領は「炭素水素法」に同意せず、承認も拒否もしないまま議会に送り返す。大統領は「ボリビアのための連帯」の集会を社会・政治団体に呼びかえるが、拒否され失敗。

5.16 「第二次ガス戦争」が始まる。「エルアルト統一隣人連合」(FEJUVE)に率いられた大規模な行進がラパスに下ってきた。完全国有化とメサ辞任を掲げる。

5.16 エボ・モラレス率いる社会主義運動(MAS)の旗の下に、多数の先住民農民組織が、カラコロからラパスへの四日間の行進を開始する。FEJUVEの要求とは違い、50%以上のロイヤリティを多国籍会社にもとめるという「穏健」な要求。「炭化水素税」は多国籍企業の脱税を前提としているという批判。

5.17 議会、新・炭化水素法を公布。大統領の署名を得ないまま、憲法の定めに従って上院議長のオルマンド・バカ・ディエス (Hormando Vaca Diez)が法案に署名し発効。これを機に「第2ガス戦争」と呼ばれる政治危機が深刻化。9県のうち8県で幹線道路が封鎖され、ガソリン・家庭用プロパンバスなど燃料や食料が不足して価格が高騰。公立病院では救急を除き休業、公立学校は冬休みが繰り上げられる。

5.23 アイマラ農民、鉱山労働者たちが続々とラパスに集結。街頭では連日、国家警察、後には軍との激しい衝突。ラパスは大量の催涙弾とゴム弾が降り注ぐ舞台と化し、麻痺状態に陥る。

5.24 ガス会社の完全国有化をもとめ、1万人を超すアイマラ人農民が20余りの高地農村から集結。エルアルト市のセハ地区からラパス市まで抗議デモ。ラパスにつながる道路が全面封鎖される。

5.25 エレーラ中佐とガリンド中佐が、「個人的見解」としてメサ大統領の辞任、国会閉鎖および天然ガスの国有化を求める。自ら新政府を率いることを提案するが、国軍主流はメサ大統領支持を表明。

5.31 エルアルトの住民とアイマラ農民が再びラパス市に集結。5万人を超える民衆が市街中心部を埋め尽くす。デモ参加者は、議員が議場に入るのを阻止する。

2005年6月

6.01 国家警察の第1部隊はデモ隊を鎮圧する事を拒否。

6.02 メサ大統領は、制憲議会のための総選挙の実施および地方自治権に関する国民投票を10月16日に行う大統領令を発布。最後の賭けに出る。

6.03 サンタクルス県の暫定自治議会、8月に独自の県知事選および自治権に関する住民投票の実施を決める。

6.03 数十人のCOB代表が参謀本部を訪れ、軍の介入を要請。ソラレス代表は「われわれには、チャベス大佐のような人物が必要だ」と語る。下部組合員はソラレスの動きを支持していなかったとされる。

6.05 抗議デモ参加者50万人がラパスの街頭に結集、道路を埋め尽くす。英雄広場は群集で埋まり、周辺道路も埋め尽くされる。

6.06 あらたに数千の鉱夫がダイナマイトで武装してラパスに到着。大統領府前広場で警官と対峙。警察は催涙弾を発射。鉱山労働者はダイナマイトで応酬。

6.06 3週間にわたり8万人が繰り出したデモと社会動乱の末、カルロス・メサ大統領が全国テレビ放送で辞意を表明。「自分の責任できることはここまで」と述べる。

6.06 民衆は新しい憲法と天然ガスの国有化を要求して、道路封鎖を継続。

6月7日 バカ・ディエス上院議長(Hormando Vaca Diez)、「スクレで臨時国会を召集し、メサ大統領の辞任の受理および後任大統領の指名を行なう」と発表。上院議長は大統領職の継承順位のトップであるが、MIRに所属するバカ・ディエスはサンタクルスの経済界の代表で、総選挙の前倒し実施や先住民の権利拡大に否定的なため、反政府派はいっせいに反発。

6月8日 スクレでバカ・ディエスの大統領就任に反対するデモ。鉱山労働者が治安当局(軍)から発砲されて死亡する。エボ・モラレスはスクレの町を封鎖せよと呼びかける。

6.08 米国大使館メンバーが国外に脱出を開始。

6.08 アランダ国軍司令官、「議会は、できる限り明白な形で、民意を反映させなくてはならない」と述べ、上下院議長の大統領就任を事実上拒否する声明。

6.09 深夜から早朝にかけ、ラパス市内の鉱夫たちが、スクレに向かい出発する。さらに数千の群集が、バカ議長の大統領就任を阻止するため、スクレを目指す。 

6月9日 国会召集は中止され、バカ上院議長は後任大統領への指名を辞退。マリオ・コシオ下院議長(MNR)も辞退表明。

6月9日 継承順位第三位のエドゥアルド・ロドリゲス最高裁長官が暫定定大統領に指名され、就任。MASやエルアルトの住民組織などと”休戦”合意。臨時国会の召集に漕ぎ着ける。

6.10 ボリビア共産党のマルコス・ドミッチ書記長、「大統領の辞任はこの国にのしかかる政治危機の解決にはならない」と指摘。「暫定大統領は、選挙管理にのみ機能を限定すべきだ。しかし天然資源の外国からの回復だけは行うべきだ」と主張する。またサンタクルスでの石油産業の手先となった極右の動きに警戒し、改革派の全勢力が統一することを求める。

6.14 国連報告によれば、04年度の南アメリカのコカイン密輸は過去5年の減少から増勢に転じた。コロンビアでの取締り強化を上回りペルー、ボリビアでの生産量が増えたことが原因。

6月 CSUTCBのロマン・ロアイサ議長、MASの動きに対し批判的見解を述べる。CSUTCBのフェリペ・キスペ派は「パチャクティ先住民運動党」(MIP)支持に動く。

05年7月

7.01 パラグアイに500人の米軍特務部隊が到着。「テロリズムと麻薬取引に対する闘いの」ため、パラグアイ軍の指導を始める。

7.19 国務省アンデス担当次官補チャールズ・シャピロ、モラレスが大統領になった場合も、合法政権を支持すると述べる。「我々にとって重要なのは民主主義だ。左であろうと右であろうと、いかなる大統領とも良い関係を築くことを望んでいる」

7月 AP通信によれば、ペンタゴンの高官は、「最近のボリビアの動きは、マルクス主義、大衆主義へと国家を転覆させようとするもので、チャベスが資金を、カストロが政策と組織の支援をしている」と述べる。

7月 FEJUVE-エルアルトのアベル・ママニ、先住民自治の実現と農地改革を主要目標とし、MASに代わる政党の樹立に動く。COBやCSUTCBのフェリペ・キスペ派と交渉するが失敗に終わる。

ママニは、大統領就任後にモラレスがブラジルのルーラのように右傾化し、MASが大衆闘争を忘れモラレスの翼賛政党になることを恐れていたという。その背景として、MASがカルロス・メサを支持し、天然ガス国有化の国民投票に賛成したことがある。

05年8月

8.16 ヘミオ国防副大臣が解任される。TRADEPAとの関係が疑われる。国軍の新司令官フスティニアーノは、ヘミオに賛同すると明言し、政府に対抗する構え。弟のルイス・へミオ退役将軍は、軍が政治的手段を持てないのであれば、「他の手段」に訴えるかもれしれないと公言。

8.16 軍は警戒態勢に入る。「エル・アルトの虐殺」を指揮した将校を出廷させるため、最高裁が軍事機密を解除するという情報が流れたため。アンテサナ陸軍司令官は「最高裁の決定は軍事法廷を意味のないものとしてしまう」と非難。

8月17日 フスティニアーノ国軍司令官、制憲議会で証言。軍内ではTRADEPA育成に関する支持は固まっていると述べ、大きな憂慮を呼ぶ。

8月19日 アンテサナ陸軍司令官、TRADEPAの結成を正当化する発言。

8.25 TRADEPA、全国選挙裁判所に法人格をもとめる12万人分の署名を提出。モラレス、「TRADEPAは、チャベスとは似ても似つかないファシスト運動である。社会運動、とりわけMASを抑え込むためにはクーデターも辞さない軍幹部の集まりであり、きわめて憂慮すべきものだ」と批判。

8月 フスティニアーノ国軍司令官、「チャベスやカストロとの関係について調査すべきだ」との主張に対し、「市民エボ・モラレスには、まったく自由に諸党派との関係を結ぶ権利がある」と反論する。

8月 ラムズフェルド国防長官、パラグアイを訪問。「キューバとベネズエラは、ボリビアがアメリカを支持しないよう策略している」と述べる。

8月 パラグアイの米軍特務部隊、ボリビアから250キロのマリスカル・エスティガリビア飛行場で3800メートルの滑走路を整備。B-52、C-130ハーキュリーズ、C-5ギャラクシーなど大型機が離発着可能となる。ここは「サンタ・クルスの自治運動」の要請を受けてボリビアに介入するには、理想的な位置にある。

05年9月

9.08 民族革命運動は日系2世のコンサルタント会社社長、ナガタニ・ミチアキを大統領選挙に擁立。

9.09 ボリビア、ブラジル、ペルーの大統領が会談。ブラジルの大西洋岸とペルーの太平洋の港をつなぐ8億1000万ドルのハイウェイ計画を5年以内に着工することで合意。

9.20 アマゾンの密林火災、247,000エーカー以上を焼き尽くし、ブラジル国境に近づく。

9.30 南米サミット会議。大陸自由貿易地区を確立することで合意。

05年10月

10.01 MAS、「10項目計画」を発表。大企業、地主、多国籍企業とも共同し、「民主主義の再生」と「アンデス資本主義」の創出を目指すとする。この計画に対し、左翼系活動家からは猛反発。

10.02 29基の中国製地対空ミサイルHN-5Aが、保管所の兵営から運び出され破壊される。米国大使館の指示により、米軍将校に統率された対テロ特務部隊が搬出作戦にあたる。マルセロ・アンテサナ陸軍司令官は「もう廃棄品だから」と理由を述べる。しかし20年の耐用年数のうち、実際には9年しか経っていない。

10.13 モラレス、立憲議会での公式化を通じ、「天然資源の国有化と回復」を行うと述べる。

10月 COBのハイメ・ソラレス、大衆闘争による情勢打開を目指しストライキを提起するが失敗。フェリペ・キスペも提案に応じず。

10月 MAS、アルバロ・ガルシア・リネラを副大統領候補に指名。ガルシアはゲリラとしてキスぺとともに闘った。白人であり、メディア・スターであり、言葉使いが丁寧な大学人である。これによりMASの中間層からの支持が急上昇する。

10月 モラレス候補、ボリビアのミサイル30基がアメリカ国内で解体されたことに関し、「ボリビアの防衛力を弱めるために、アメリカが指示した陰謀だ」と非難。米大使館は「旧式設備を解体するための要請に応えただけ」とコメント。

10.31 Constitutional Courtは、 議席が最も最近の国勢調査結果によって割当て直されなければならないと決定した。この結果、選挙は無期限に延期される。この10年間の高地から平原への人口移動は爆発的であった。

10.31 FEJUVE-エルアルトなどは、選挙延期に抗議し、ただちに街頭に出て抗議行動を開始。

11.01 エドゥアルド・ロドリゲス大統領は選挙が12月18日に開かれると発表。その間に議席の再配分を行うとする。モラレスをふくむ多くの大統領候補は定員変更を支持。

11月 アルゼンチンで米州首脳会議。ブラジルなどメルコスル加盟国は、米主導の米州自由貿易地域(FTAA)交渉再開に否定的姿勢を貫く。会議開催中に行われた反ブッシュのデモには、ボリビアの大統領候補モラレスも参加。

12.05 ロドリゲス大統領、MASがクーデターを計画しているとし、検事総長に対し調査を要請。

12.18 ボリビアの大統領選。モラレスが第一回投票で54%というかつてない大量の票を得て勝利。モラレスは「先住民が初めて大統領になった」と勝利宣言。対立候補のホルヘ・キロガ元大統領は敗北を認める。
 

選挙結果: 民主社会勢力(PODEMOS)の「ツート」・キロガが31%。中道右派の国民統一(UN)サミュエル・ドリア・メディナは8%にとどまり、左右の分極化が進む。革命的国民運動(MNR)日本人移民の息子ミチアキ・ナガタニを候補者に、ベニ県などの歴史的拠点で健闘し7%を獲得。かろうじて生き残りに成功。
パチャクティ先住民運動党(MIP)のフェリペ・キスペは2.16%にとどまる。 

12.18 議会選挙。下院では社会主義運動 (MAS)が過半数を占める。上院では民主社会勢力 (PODEMOS)と社会主義運動 (MAS)が拮抗。

12.18 県知事選挙では野党が圧勝。MASはオルロ、ポトシ、チュキサカのみを確保。ラパス県:ホセ・ルイス・パレデス(PODEMOS)、コチャバンバ県:マンフレド・レイジェス・ビジャ(ALIANZA UNIDAD COCHABAMBA(政治同盟)、サンタクルス県:ルベン・コスタス(APB(市民団体)、ベニ県:エルネスト・スアレス(PODEMOS)、タリハ県:マリオ・アデル・コシオ(ERCC(政治同盟)、パンド県:レオポルド・フェルナンデス(PODEMOS)。

12.20 モラレス、キューバ国営テレビに出演。カストロ議長を称賛。コカについては無制限の生産を許すつもりはないと言明。また外国会社の天然ガス探査の契約は違法であるとそして、再交渉を行う意向を表明。

12.22 ライス米国務長官、「新政権が民主的統治を行うかどうか注目する」と述べる。モラレスは「米国が民主主義国家なら、民主主義的なやりかたでの国民の決定というものを尊重すべきだ」 と反論。

12.24 ニューヨーク・タイムズ紙の社説「これまでとは違うラテンアメリカ」は、「南アメリカの三億六千五百万人のうち、ほぼ三億人は左翼政権の下で暮らしている」との事実を示し、「ラテンアメリカの政治的バランスは明らかに左翼に移っている」と指摘。その理由として、「ほぼ二十年におよぶ米国推奨の経済・貿易政策が、何百万もの都市と農村の貧困者に役立っていないこと」を挙げる。

12.27 モラレス、「コカ栽培の根絶が条件なら、アメリカの経済・軍事援助は拒否する」と述べる。

12.29 モラレス、「アル・ジャジーラ」との会見の中で、「第3国の問題に軍事介入するのはブッシュ大統領だけ。これは国家テロだ」と非難。 ブッシュ米大統領を「唯一のテロリスト」と呼ぶ。コンドリーザ・ライス国務長官に対しても、「コンドレンシアスさん」と呼んで揶揄(やゆ)した。これはスペイン語で「お悔やみ」を意味する言葉。

12.30 モラレスがキューバを訪問。キューバ政府は専用機でボリビアに迎えを出し、ハバナの空港ではカストロ議長が自ら待ち構え抱擁を交わす。カストロ議長は「歴史的な出来事だ。地図は塗り替えられつつある」と語る。

12.30 モラレス次期大統領、訪問先の各地で記者団の質問に答え、天然ガスについての政策を明らかにする。「国営化は貧困撲滅のカギ」とし、これまでの開発は「帝国主義者による略奪であり、現行の企業契約は違法」と語る。ただしボリビアに現在投資している外国企業は尊重し、資産の接収などは行わないと言明。ベネズエラ、ブラジル、アルゼンチンなどとの協力で、米国や世銀の支援なしで自国の天然資源を管理すると声明。

2005年 ボリビアは南米で最も貧しい国であり、一人あたり収入は年間960ドル、人口85万人の60%を占める先住民の多くが1日1ドル以下で暮らしている。長期債務は60 億ドル、政府開発援助の総計は約5 億8000 万ドルに上る。

 

2006年

2006年1月

1.02 モラレス次期大統領、アメリカのデイビッド・グリーンリー大使と会見。会談後、MASは「違法な麻薬取引の取り締まりの重要性、ラテンアメリカの民主化、主権の尊重、諸国民の尊厳と独立について意見が一致した」と発表。

1.03 モラレス次期大統領、ベネズエラを訪問し、チャベスと会見。モラレスはラテンアメリカにおけるネオリベラリズム、帝国主義との戦いでチャベスと手を結ぶと言明する。チャベスは「ワシントンとその同盟者は悪の枢軸である。我々は善の枢軸だ」と発言。ボリビアに対しディーゼル燃料、取引上の優遇、財政的援助を提供すると言明。さらに石油月15万バレルと農産物のバーター取引を提唱。

1.10 モラレス、中国を訪問し湖錦湯(Hu Jintao)主席と会談。ガス資源の開発で合意。モラレスは自身が毛沢東思想の信奉者であり、その著書から「プロレタリアートと人民」による社会変革のビジョンを獲得したと述べる。

1.10 シャノン米国務次官補(米州担当)、モラレス次期大統領およびボリビア政府と、理解増進に向けた対話に入る機会を望んでいると述べる。

1.10 チャベス大統領、「ラパスの米大使館員たちは既にモラレスに反対する策動を開始した。ボリビアにいる米軍人たちがモラレス打倒クーデターを起こそうと狙っているのは間違いない」と語る。

1.12 フォックス大統領、「もしボリビアがガスを輸出したくないなら、向こうで使い、それで食っていけばいい」と発言。モラレスは「私と国民に対する侮辱だ」と激怒。

1.13 モラレス、世界歴訪を終了。外国の投資を尊重すること、おりわけブラジルの国営油会社ペトロブラス社の資産を国営化しないことを明らかにする。

1.17 エドゥアルド・ロドリゲス大統領、アンテサナ軍司令官を更迭。中国製携帯ミサイル28基を米国にわたし廃棄したことに対する不快感を表す。

1.18 マルセロ・アンテサナ陸軍司令官、地対空ミサイルの破棄が、「モラレスの勝利が迫る中で」米国により強要されたものだと発言。

1.19 ゴンサロ・メンデス国防相、ミサイル解体疑惑の責任を取り辞任。アンテサナ司令官は解任される。

1.19 モラレス、先住民省と女性省を廃止することを明らかにする。省の存在自体が先住民と女性に対する差別だとする。

1.19 ブラジル、アルゼンチンとベネズエラの3か国首脳が、ブラジリアで会談。ボリビアの政治・経済・社会の安定強化のためモラレス次期大統領を支援することで合意。

1.21 モラレス次期大統領をたたえる先住民の儀式が執り行われる。米大陸12カ国の先住民代表ら約1万人が集まる。モラレスは「私の大統領就任は世界の先住民の勝利だ。人々が一つになり、チェ・ゲバラとトゥパク・カタリの夢を実現し、いまだに続く植民地状態と新自由主義経済を終わらせよう」と訴える。メキシコのEZLNはエボ・モラレスの大統領就任式出席を断る。

ティワナク遺跡: ボリビアの中心都市ラパスから西約70キロのティティカカ湖に近い標高3844メートルの高原にあり、インカ以前の紀元前1580年ごろから紀元1133年まで独自の文明があったとされる。ユネスコの世界遺産に指定されている。

1.21 モラレス新大統領、大統領特使としてラパスを訪問したシャノン米国務次官補と会談。シャノンは米国政府側に対話の用意があることを伝達。

1.22 9カ国首脳が見守る中でモラレスが大統領に就任。国会前のムリリョ広場で就任演説。

人民主権: 我々は疎外され、侮辱され、軽蔑され、絶滅を宣言されてきた。50年前、先住民にはこの広場に入る権利さえなかった。いまここで、我々は歴史を変える。
新自由主義反対: もう押し付けはたくさんだ。新自由主義のもと、公共サービス部門が民営化された。失業や移民が増えただけだ。電気のない学校、満足な道もない村…豊かな天然資源がありながら実に多くの国民が外国に働きに出かけている。
天然資源: 資源は人民の所有物であり、それを管理するのは国家である。しかし、ボリビアの法律を遵守している企業の差し押さえたり接収、追放するようなことはない。また一次産品の輸出だけに頼らず、工業化を進める。
コカ栽培: 多くの国民が伝統的に消費するコカ葉と麻薬対策は別問題だ。米国と共同で麻薬対策を徹底していく。

1.22 チリのラゴス大統領、エボ・モラレスの大統就任式に出席。隣国ボリビアへの歴史的訪問となる。両者の会談では、「例外なしに、現実的な、歩み寄りのためのアジェンダ」が合意される。外交関係の再開には触れず。

1.23 モラレス政権が発足。副大統領にはアルバロ・ガルシア・リネラが就任。16閣僚のうち4人が女性。既存の先住民省と女性省は”差別的”との理由で統廃合。

新閣僚の顔ぶれ: ガルシア副大統領は社会学者で政治評論家。90年代初頭にはフェリペ・キスペとともにツパク・カタリ・ゲリラ軍(EGTK)の指導者でもあった。外相に先住民活動家出身のチョケワンカ、炭化水素相に左翼ジャーナリストでエネルギー問題専門家のアンドレス・ソリス・ラダ。ソリスは国会議員時代、多国籍石油企業の活動に対し、最も厳しい立場をとってきた。水資源相は先住民運動指導者アベル・ママニ、法相にはカシミラ・ロドリゲスが就任。カシミラは少女時代にメードとして白人中産階級の家庭で働き、やがて全国メード組合を組織、「メード保護法」を成立させた。YPFB新総裁にはJorge Alvarado(半年で退陣)。

1.24 モラレス、陸軍及び警察首脳部を総入れ替え。新陸軍総司令官はウイルフレド・ヴァルガス将軍が就任。ロドリゲス前臨時大統領は、モラレス就任を前にして、中国製ミサイルを破壊のために米国へ引き渡した将官28名を予備役に編入していた。マルコ・バスケス陸軍参謀総長もこの問題で責任を追及されている。

1.26 モラレス大統領、大統領の給与を4360ドルから1900ドルに引き下げ。法律では、大統領が最高の給与を受け取ることになっているため、自動的に全ての公務員の給与が引き下げられることになる。浮いた財源は職場の創出、保険、教育に向けるとしている。

1.27 モラレス、社会運動組織、企業・市民団体との協議を開始。1ヶ月で300回に及ぶ協議をこなす。(休みなしでも1日10件、儀礼的なものと考えられる。それでもえらい)

1.29 モラレス大統領、フェリペ・カセレスを社会防衛副大臣(麻薬対策の最高責任ポスト)に指名。カセレスは、麻薬は「ノー」だが、コカ葉は「シー」だと述べ、コカ栽培をやめないと言明。

1月 ブッシュ大統領がボリビアに対する麻薬対策補助をカットすると発表。モラレスは麻薬対策に関する「真摯で責任のある戦略的同盟」を呼びかける。ボリビアでは、1万2千ヘクタールまでのコカ栽培が合法とされている。これと別に政府とコカ組合との2004年末合意で3600ヘクタールの栽培が認められている。

06年2月

2.01 ボリビアで洪水により約3万4,000人の被災者。キューバ政府は医薬品(15.7トン)を緊急支援。

2.02 ボリビア最大のロイド・ボリビア航空(LAB)のパイロット、解雇された15人の職場復帰を求めてストライキを開始。労働大臣がLABの正常化のため介入。

2.02 500人近くのコカ栽培者が管理当局者を人質にし、麻薬取り締まり警官を取り囲む。フェリペ・カセレスの介入により人質は解放され、48時間の休戦となる。

内輪の事情: カセレスはコカ生産者の代表の一人であり、モラレスの盟友。前チャパレ市長でもある。1週間前に政府コカ生産管理と麻薬取り締まりの責任者に任命された。チャパレの農民は最大1600平方キロメートルの土地でコカの栽培を認められたが、今回環境保全地域に栽培の許可を要求した農民は、エボが指導者だった組合に属していない。

2.03 モラレス大統領、サンタ・クルスの経営者と戦略的連盟に調印。経営者代表を前に、「石油企業への投資を尊重し」、ボリビアの金融システムの安定を保証すると言明する。

2.04 ボリビア下院、MASの賛成多数で議員給与の引き下げを可決。従来の月3千ドルが千300ドルとなる。

2.07 モラレス、米国に対し反麻薬計画に伴う援助の減額を再考するようもとめる。そして国際的な反麻薬の戦いの結束強化を訴える。

2.07 モラレス、7月2日に憲法改正議会の選挙を行うと発表。関連法案を議会に提出する。各選挙区3人選出による210名の議員、全ての国民の投票、女性の参加の重視などからなる。

2.08 ボリビアとアメリカは麻薬対策に関する「戦略的同盟」で合意。

2.11 制憲議会の選挙法案に対し、新たな国家像や議員選出方法などで批判の声が上がる。民間企業セクター、地方自治体、労働者組織が次々に見解を発表。

2.11 モラレス、コチャバンバ県熱帯地域コカ生産者六連合の代表を引き続き勤めると表明。またコカ栽培面積を一家族1600平米に限定するようもとめる。コチャバンバの農民組織はこれを受け入れ、モラレスの対麻薬戦争に協力すると表明。

2.11 ロイド・ボリビア航空(LAB)のパイロット、筆頭株主エルネスト・アスブンによる「重大な腐敗行為」を批判するストライキ。モラレス大統領は、投資家保護のためロイド・ボリビア航空に3か月介入すると発表。この会社はもともと国営で、96年に民営化され、03年以降アスブンが51%を所有、残りをボリビア政府が所有している。

2.13 モラレス大統領は、サンチェス・デ・ロサダ元大統領を引き渡すようブッシュ政権にもとめる。

2.15 モラレス大統領、DEAを退去させるよう求めたコカ栽培業者組合の要求を拒否。「政府であろうと軍であろうと、ボリビアの尊厳と自主性を尊重する限り、国際的関係を維持する」と述べる。

2.17 ボリビアの税関長、サンタ・クルス州のスペイン籍石油会社「Repsol-YPF」に「密輸の証拠がある」ことを明らかにする。これによると、Repsolの子会社アンディーナSAが、23万バレル(920万ドル相当)の石油をチリとアルゼンチンに不法に輸出したとされる。Repsol-YPF社はこれを否定。

2.19 モラレス大統領、アメリカのデイビッド・グリーンリー大使と会談。政府との協定を越えたコカ栽培は禁止することで合意。

2.21 労働者の権利保護のため労働組合特権法が承認される。

2.22 モラレスが国会で演説。①多様な文化をもち尊厳あるボリビア社会を忠実に代表する。②治安組織、軍隊、警察における国家主権を取り戻す。このため憲法に定められた権限に基づき軍幹部を任命する。③この歴史的な変革は社会運動組織の闘いと犠牲の下に実現した。彼らと距離を置くつもりはない。

2.24 サンタ・クルス検察、Repsol社の現地代表を逮捕。

2.25 米国、モラレス大統領側近でコカレーロ運動の指導者スリタ上院議員の入国ビザを取り消し。

2月 ボリビア議会、「簡素化政策の一環として」裁判関係者の給与を月1200ドルに半減する。司法の代表者は、「ボリビアの民主主義の歴史上前例のない攻撃だ」と非難。

2月 新政府、日本政府から債務の100%(6,300万米ドル)、スペイン政府から約1億4,000万米ドルの債務救済を得たと発表。また米州開発銀行と、HIPC枠内において約13億米ドルの債務救済について交渉中と述べる。

2006年3月

3.04 憲法改正議会選挙召集特別法と地方自治に関する国民投票法が、議会において全会一致で可決される。

3.05 ワシントン、モラレスの指名した軍最高司令官に関して信頼感の問題があるとして反テロ活動の支援を取りやめる。アメリカ軍の使節団は、「もはや両軍は同じ見解を共有していない」と述べる。

3.06 モラレスは、米国が他国の人事について意見を差し挟むべきではないと反論。

3.08 モラレス大統領、グリーンリー米国大使と大使公邸で会談。チリ大統領就任式に出席するライス米国務長官とモラレス大統領との会談で合意。

3.11 モラレス大統領が、バチェレ大統領就任式出席のためチリへの歴史的な訪問。歓迎式典には7千人を超えるチリ人が集まる。ボリビアは19世紀の太平洋戦争以来、領土問題でチリとの正式な外交関係を持たない。

3.11 チリを訪問したモラレス、ライス国務長官とも会談し、両国間の友好関係を確認する。

3.21 モラレス大統領、炭化水素の国有化とYPFB(ボリビア石油公社)の再編を前倒しして実施すると発言。

3.21 モラレス、識字教育プロジェクトをスタートさせると発表。

識字教育プロジェクト: 13%とされる文盲をなくすための運動。キューバとベネズエラが支援し、08年8月までの30ヶ月を期間とする。約1万の教育センターで70万人が学び、費用は1人当たり20$、全体で1400万ドルである。キューバの教育方式「そうだ、私は出来る」(Yo si puedo)が採用される。

3.22 ラパスの安ホテル2軒で爆弾テロ。二人が死亡し、10人が負傷。部屋の中にしかけたダイナマイトによるもの。

3.22 アメリカのパスポートを持ったカリフォルニア生まれの男性、ドルレアンス(一説では)が逮捕される。ドルレアンスはテレビに対し「弁護士の助言で有罪だとは言わない。しかし、無罪だとも言わない」と述べる。

3.22 一説によれば、犯人として逮捕されたのは米国人Triston Jayとウルグアイ人Alda Ribeiro。ジェイは以前に、自身を「貧者のスーパーマン」と名乗っていた。

3.23 エボ・モラレス大統領、爆発事件の背後にアメリカがいると発言。米大使館は「大統領のコメントに懸念を持つ。テロを予防することは両国の共通利益であるが、モラレス発言はこの努力を妨げるもの」とコメント。

3.23 第127回「海の日」記念式典。モラレス大統領はチリとの「海への出口」問題交渉につき、ミゲル・インスルサOAS事務総長のボリビア来訪を招請すると発表。

3.23 チャベス大統領、ラパスで起きた2件のホテル爆弾事件に関して、「米国がモラレス政権の不安定化工作を始めた」と述べる。

3.31 スト中の航空会社従業員が主要空港の滑走路を占拠。軍と警察は各空港に出動し統制下におく。

3月 エボ・モラレス、サンタクルスで演説。最低賃金の50%引き上げを発表する。ただしボリビアの労働者の60%は最低賃金制度の枠外のインフォーマル・セクターに頼っている。

2006年4月

4月初め ボリビア東部のプエルト・スアレスで、地元住民がブラジル鉄鋼会社の工場建設計画の承認を要求してストライキに入る。

プエルト・スアレスはボリビア東南部のブラジルとの国境の町。ブラジルの鉄鉱会社EBX(MMX?)が新工場の建設を計画。1500人の雇用を地元に約束する。この計画は、国境から50キロ以内に外国所有の会社の存在を禁じている憲法の条項に違反する。野党Podemosが指導する「市民委員会」は、EBXの意向を受け計画の実施を迫り、国境の無期限封鎖などの実力行動に出る。

4.01 ボリビア南部、タリハ県グラン・チャコとオコノルの住民が天然ガス、液化ガス、水、電力などの不足に抗議し、アルゼンチンに通じる道路を封鎖。人口20万人の州都タリハ市は、水道と電力の供給が制限される。

4.01 ロイド・ボリビア航空の労働者とパイロットがストライキ。ラパス、サンタ、タリハ,コチャバンバの空港滑走路を占拠。軍と警察により排除される。

4.02 ボリビアの世論調査で、エボ・モラレス大統領の支持率が80%に上昇。

4.03 モラレスは大統領、閣僚、議員の給与を引き下げ、これをベースに教員3千のポストを作るとともに、最低賃金を50ドルから80ドルに引き上げる。

4.03 モラレス大統領、米州開発銀行(IADB=BID)の年次総会に出席。「豊かな天然資源を持ちながら、国民が物乞いの状態にあるのは恥である」とし、天然資源開発は民間でなく、政府の手で行われるべきと述べる。

4.09 ボリビアの広域交通機関が48時間全面スト。モラレス政権は軍用機、軍車両、使用できる輸送機関を用いて、孤立状態にある数百人の旅客を救出すると発表。

4.10 カルロス・ビジェガス開発計画相、「炭化水素の収入を雇用、生産活動、建設、貧困との闘いに使うことが政権プログラムの中心である」と述べる。さらに、ボリビア経済の核をなしてきた鉱業に関する法規制と税制の改革も行うとする。

4.12 ボリビアの医療関係労働者が、賃金改善を求めて2日間のストに入る。

4.13 エボ・モラレス大統領、上院に対して予備費を廃止するよう求める。予備費は、明細を公表する義務がないため、その用途について疑惑を生んできた。モラレスは予備費は「盗みと殺し」に役立つだけだとして、その廃止を公約していた。

予備費: 04年の予備費は660万ドル、03年には1850万ドルが使われた。ロドリゲス前大統領は、モラレスが就任するまでの22日間で、20万ドルを使った。これは一日1万ドルの計算である(モラレスの演説による)

4.18 ビジェガス開発企画相、ビジャロエル鉱山相、ソサ中小企業相の三閣僚が、ムトゥン鉄鉱山の入札プロセス等につき現地説明するためプエルト・スアレスを訪問。

地元ではブラジルEBX Siderurgica - Bolivia社の子会社であるMMX製鉄が操業を続けてきたが、政府の環境許可(Ficha Ambiental)が下りないことから溶鉱炉の建設が中断。レイオフとなった従業員900人が環境許可の早期発効をもとめる。
溶鉱炉は木炭を燃料として操業するため、環境問題が危惧されていた。また、外国籍のMMX社が創業すること自体も憲法の規定に違反している。

4.19 プエルト・スアレスで3閣僚が市民委員会により拘束される。政府は、「石油会社や大地主の金を使った政府攻撃であり、いかなる状況であっても交渉はしない」と声明。

4.20 アスンシオンでパラグアイ、ボリビア、ウルグアイ大統領がミニサミットを開催。チャベスも参加する。天然ガスパイプライン敷設計画につき合意。タバレ・バスケス大統領は、「南米の大国がエネルギー統合の展開を決めて、あとで小国に伝えるようなやり方は好ましくない。小国も主人公を演じるべきだ」と述べる。

エネルギー統合プラン: ボリビアの天然ガスをパイプラインを通じてパラグアイとウルグアイに供給する計画。パイプラインは、ボリビアのタリハ州ビジャモンテスを起点とし、チャコを横切ってプエルト・カサドに達し、そこからタンク船によってパラグアイ河、パラナ河でウルグアイに運ぶとされる。

4.25 モラレス大統領、ペルーのトレド大統領が、米国との自由貿易協定調印を結んだことを非難。「ペルーのみならず全ラテンアメリカの先住民を裏切った」と述べ、CAN存続のために、米国との自由貿易協定を凍結するようもとめる。ペルー政府は、一国の大統領としての見識を疑わしめるものとしてモラレス発言に強く抗議。

4.25 モラレス大統領、米国のFTA政策への対抗措置として、チャベスの提案するALBAを受け入れ、ベネズエラ・キューバと人民貿易協定(TCP:Tratado de Comercio de Los Pueblos)を締結する予定であると述べる。

4.25 米国務省の麻薬対策次官アン・パターソン、ボリビアでのコカ栽培が増加していることに懸念を表明。「ボリビアはもはや単なるコカ生産国ではなく、欧米と同水準の消費国になっており、子供の未来が心配される」と警告。

4.25 ブラジルのEBX社、「ボリビア当局は、私たちの計画を友好的に聞いたり議論する機会を与えてくれなかった。いまやエボ・モラレス大統領の要請通り、同国から撤退する用意がある」と言明。

4.27 ボリビアのダビド・チョケウアンカ外相、海洋への出口について話し合うため、チリとの「予備的会合」を開催すると言明。

4.28 プエルト・スアレス市民委員会が指導する市民スト、「共産主義政府はいらない」と叫ぶ。MASのサンタ・クルス代表アルミンダ・メンデスは、野党Podemosが策動していると非難。

4.29 ハバナでキューバ・ベネズエラ・ボリビアの三国首脳会談。エボ・モラレス大統領は、「米州ボリーバル代替構想」(ALBA)への参加の意思を表明。キューバ及びベネズエラとの間に人民貿易協定(TCP)を締結する。

ALBA加入の見返り: ベネズエラは、ボリビアに対し石油化学を学ぶボリビア青年5千人の奨学金を送り、また開発プロジェクトに1億ドルを提供する。さらに、「エネルギー、石油、鉱業分野での広範な分野での協力」を約束。キューバは保健、教育の分野で支援を提供。

4.30 エボ・モラレス大統領、炭化水素の国有化を定めた最高令に署名。「外国企業による資源の略奪は終わった」と宣言。外国企業に対しては採掘業務だけを認める。180日以内に契約を更新しない場合はボリビアから撤退するよう要求。原油やガス田など56のエネルギー設備を軍の支配下に置くよう命じる。

炭化水素国有化法: 国家が取引する市場と価格を決定することとなり、外国企業が新しい契約を結ぶために180日の期限を与え、これに従わない企業を排除するもの。

4月 制憲議会選挙に当たり、MASが候補の枠を制限したことから、各派に批判が強まる。高地コミュニティの連合であるクリャスーユ先住民共同体評議会(CONAMAQ)は、MASの行為を「裏切り」とし、「先住民の権利尊重を求める行動」を呼びかける。エル・アルトの地域労働センター(COR)と住民連合も、MASを公然と批判。「女性連盟」も女性組織の提案が退けられたとして同様な声明。

06年5月

5.01 モラレス大統領、タリハ県サン・アンドレス・ガス田で、「炭化水素資源の国有化に関する大統領令第28701号」を読み上げ、直ちに署名。あいさつでは工業、林業その他の分野にも政府による統制を強めると声明。サン・アンドレス・ガス田はペトロブラス社が経営してきた。

5.01 ブラジル、国有化決定は「非友好的な措置で、これまでの相互理解をこわすもの」と反発。大統領顧問マルコ・アウレリオ・ガルシアは、ルーラ大統領がこの決定に「困惑」していると述べる。スペイン政府も「深い懸念」を示す。

ブラジル国営のペトロブラス社はサン・アンドレスなどボリビア産天然ガスの3分の2を生産し、ブラジルに輸送している。同社は製油所2基に加え、ボリビアの約25%のガソリンスタンド経営や、主なパイプラインの運営にも当たっている。このほかBGグループ(英国)、トタール(仏)、レプソルYPF(スペイン・アルゼンチン)が天然ガスの採掘に当たっている。

5.01 ブラジルのPetrobras、ボリビアからブラジルへの天然ガス・パイプラインの建設計画を中止し、訴訟を検討していると発表。ペトロブラス社はボリビア天然ガスに対する最大の投資者である。ほかにスペイン・アルゼンチンのRepsol YPF、イギリスのBritishi GasとBritishi Petroleum、フランスのTotalなどが、いっせいに抗議声明を発表。

5.02 軍が出動。天然ガス田と精錬所を統制下におく。

5.03 ブラジル当局、現在の契約が守られなければ、ブラジルからの投資を停止すると警告。

5.03 スペインのサパテロ首相、「ボリビアの炭化水素国有化はスペインの利益にとって問題ではあるが、ボリビア国民は常に友人であるから報復はしない」と言明。

5.04 プエルト・イグアスーでモラレス、ルーラ、キルチネルによる緊急首脳会議(エネルギー・サミット)が開かれる。チャベスもオブザーバーとして参加。モラレスはアルゼンチンとブラジル向けのガス価格を60%値上げしたいと表明。供給継続を約束し、価格についても「友好関係を失わない方向で交渉したい」と付け加える。

5.04 アルゼンチンのダニエル・モンタマト元エネルギー大臣、ボリビアの国有化政策に厳しい指摘。「これまでの2回の国有化は、豊かになるどころか、ますます貧しくなった。もし全ての収入を自分のものにしたいなら、その開発、技術、人的資源の能力を持っていなければならない」と指摘。

5.05 ルーラとエボ・モラレスが個別会談。モラレスは天然ガスの供給を保証。ルーラはボリビアが価格を上げた場合、ペトロブラスはコストを吸収し、価格転嫁をしないと言明する。いっぽうPetrobras幹部は「価格上昇は認めない」とし、ニューヨークでの国際仲裁に持ち込む意向を表明。

5.07 プエルト・イグアスー首脳会議が閉幕。会議は「ボリビアの主権に基づく決定」を尊重するとし、ガスの「供給保証」と「価格交渉実施」で合意する。

5.08 ユンガスで50人のコカ栽培者のハンストがはじまる。政府がカラナビに第三の市場を開いたことが、コカ栽培を規制する法律の違反だと主張。認可を取り消さなければ、11日から道路を封鎖すると警告。

5.09 サンタクルスの富裕層、54,000平方マイルの土地を再配布する政府計画に反対を強める。

5.10 工業相、ペトロブラス総裁などからなるブラジル政府代表団がボリビアを来訪。天然ガス国有化の実施に係る交渉。

5.11 EUとラテンアメリカ諸国のサミットがウィーンで開催。モラレスは、天然ガスと石油資源は無償で国有化されると声明。

5.12 ボリビア、国内にブラジル人が所有する農地を接収すると発表。両国関係はさらに悪化。

5.13 ルーラとエボ・モラレス、両国間の関係を修復するため、相互に努力すると声明。

5.16 ボリビア政府、土地改革の概要を発表。富農からの土地収用を否定し、国有地の再配分を提案。

5.21 アモリン・ブラジル外相がボリビアを訪問。モラレスらと会談。

5.26 モラレス大統領とチャベス大統領、軍事援助協定などいくつかの協定を締結。本格的援助に乗り出す。

06年6月

6.01 ボリビアの医師が、キューバ人医師600人の受け入れに反対し、24時間スト。

6.03 モラレス、徹底的な土地改革計画を発表。今後5年間の間に約9,600平方マイルの国有地を貧しい先住民に譲渡するというもの。これはポルトガルの全面積の2倍にあたる広さ。それまで続けてきたアグリビジネス指導者との交渉は決裂。

6.14 ベネズエラを除くアンデス4カ国、米国との新たな通商取り決めに同意。

6.16 モラレス政権、今後4年間で68億ドルを投資し、公共事業を起こす計画を発表。これにより飢えと貧困、ホームレス問題と戦うとする。

6.23 エネルギー相、サンチェス前大統領が天然ガスのパイプライン工事で事業費を着服したと非難。告発も含め検討中と語る。

6.28 国民投票を前に、「豊かな4州」で15万人が自治を要求するデモ。

6.29 キルチネル大統領がボリビアを訪問。天然ガスの47%引き上げに合意。(チャベスが手を回した?)

06年7月

7.02 制憲議会の議員選挙。モラレス派は255議席中、過半数の142議席を獲得するが、野党のPODEMOSも60議席を占めたため、改憲に必要な2/3には届かず、議会での妥協を強いられることとなる。

7.02 同時に州の自治権拡大の是非についても投票が行われる。与党の主張が56%を占めるが、「豊かな4州」では自治拡大派が圧勝。いっぽう、ラパスでは71.5%、オルロでは73.9%、コチャバンバでは61.6%、ポトシでは70.2%、チュクィサカでは63%が自治反対。

7.02 サンタクルス州では自治制支持票が71.6%に達する。市民委員会のジェルマン・アンテロは、「覇権的ボリビアは終わった。新たな地方分権的国家が生まれた」と語る。

7.10 ボリビア教育相、国内の学校での宗教教育を終わらせるようもとめる。カトリック教会はこれに強く反発。

8.06 スクレで憲法制定議会が開会。36の先住民による約3万人のパレードも実施される。

8.16 ボリビア医師会、キューバ人ボランティア医師を「法に反し、我々の職業を侵害している」と抗議。これに対しラパス駐在キューバ大使ラファエル・ダウサは、「この5ヶ月半の間に120万人の患者を診察、医師がいなければ死んでいた生命1800人を救った」と反論する。

ボリビアへの医師支援: モラレス左翼政権が発足して以来、1710人のキューバ人医師が支援を行った。キューバ人の医師は、112の県のうち109に存在する。さらにキューバは7つの眼科センターと15の病院を供与している。

06年9月

9.08 モラレス派は、制憲議会で、2/3ではなく単純過半数で改憲案を成立させようと動き始める。4つの都市で制憲議会の運営に反対し、罷業と道路封鎖行動が行われる。

9.19 モラレス、国連で演説。ボリビアを立て直すために協力を要請する。麻薬の製造・使用については反対しつつも、コカの葉について合法化の必要性を訴える。

9.23 ボリビアの可耕地の90%がわずか5万の家族によって所有され、地方住民の4/5は貧しいままにおかれていると報告。(Econ, 9/23/06, p.41)

9.29 チャパレで警察とコカレーロ200人が衝突。農民二人が死亡。警察は国立公園内に植えつけられたコカを撤去しようとしていた。

9月 米政府、ボリビア大使にフィリップ・ゴールドバーグを任命。ゴールドバーグは、セルビアからのコソボ分離独立で米国大使として現地で采配を振るった。

06年10月

10.04 オルロ県ワヌニ(Huanuni)鉱山において、ボリビア鉱山公社(COMIBOL)の鉱山労働者とCooperativista (鉱業協同組合労働者)の間で衝突が発生。ダイナマイトが使用されたことから、少なくとも16人の死者、80人の負傷者が発生する。

10.05 対立する鉱山労働者グループが休戦協定。ウアヌニ鉱山の損害は、200万ドルの損害を出し、一日当たり20万ドルの生産を失う。

10.06 モラレス、鉱山労働者衝突の責任を問い、鉱山・冶金大臣とボリビア鉱山公社(COMIBOL)総裁を更迭。

10.08 フリオ・モンテス駐ボリビア・ベネズエラ大使、「もしもボリビアにおける革命が脅かされれば、ベネズエラはその血と生命を賭けて助ける」と述べる。PODEMOSは、内政干渉であるとし、ペルソナ・ノン・グラタを通告する動きを見せる。

10.10 独立鉱業協同組合、ラパスでデモとストライキを展開。モラレスとの決別を宣言。

10.10 ペルーのガルシア大統領、「新たなアンデス原理主義」はイスラム原理主義と同様、南米地域の不安定化をもたらすとし、これと闘う決意を示す。また、世界規模での自由貿易が拡大する中、国家主導の経済モデルへと転換することは重大な過ちであり、国有化などの措置はその国の国民をより貧しくするだけであると述べる。(ここまで落ちるとは!)

10.19 ボリビア、アルゼンチン両政府が新エネルギー協定に調印。キルチネルがラパスを訪れ、調印式に列席。新協定調印により、天然ガスの輸出量は20年間で日量2700万立米まで増加されることとなる。

10.21 中部高原でバスが山道を転落。29人が死亡。

10.26 フィリップ・ゴールドバーグ米大使、モラレス大統領と会談。コカ栽培面積増加への懸念を表明する。

10.27 ボリビア石油公社(YPFB)、外国系企業10社との間で炭化水素資源国有化措置のための契約改訂交渉を終了。外国企業がすべてボリビア政府の統制下に入る。

10.29 モラレス、国際資本が国家の統制の下に天然ガスの採掘を続けることを認可。現在の政府には、完全国有化する能力はないとする。

10月 世論調査で、モラレスの支持率は50%に低下。

06年11月

11.03 モラレス大統領、油田の国営化により政府税収が20億ドルに増額したと発表。(モラレスの就任前は年間3億ドル)税収増額分は教育、医療、マイクロクレジット・プログラムに充てていると語る。

11.17 ウアヌミのポソコニ(Possokoni )鉱山が43日ぶりに操業を再開。政府はすべての労働者がコミボルの所属の下に働かなければならないと決定。

11.19 中央政府の会計監査権を強化する憲法草案に抗議して、ボリビア9県のうち6県の知事が中央政府との交渉決裂を宣言。2つの主要野党が上院をボイコット。

11.28 土地改革法改正案が僅差で上院を通過。土地なし農民のために、国土の5分の1が国家に収用されることとなる。天然ガス国営化協定も批准される。

土地改革法改正案の柱: ①サンタクルスを中心とした東部の土地を、貧しい西部の農民に再分配。②国有地の分配と土地の登記数の加速。③農地税からの収入の75%を農村インフラ整備や保健医療に使うこととなる。

06年12月

12.03 エボ・モラレスは、外国エネルギー会社の活動に対する政府統制の内容を定めた契約に署名。

12.09 コチャバンバで第二回南米サミットが開催される。エクアドルのコレア、ニカラグアのオルテガ次期大統領もオブザーバー参加。EUに学びながら南米諸国のいっそうの統一を模索する。

12.10 モラレス大統領とチリのミチェル・バチェレ大統領が個別会談し、コチャバンバ宣言に署名。ボリビア-チリ国境のタンボ・ケマードから、チリの港への道路整備が合意され、「海」へのアクセスが容易になる。

12.28 米上院議員6人からなる訪問団がエボ・モラレスと会談。関係修復の道を探る。

12月 制憲議会の運営をめぐり、自治権の拡大をもとめる東部4県(サンタクルス、パンド、ベニ、タリハ)でストライキや抗議行動が相次ぐ。サンタクルスでは、700人がハンガーストライキ。サンタクルス県グアラヨのサン・フリアンでは、警察との衝突で68人が負傷。

東部4県の経済的実力: サンタ・クルス州は最大の州で、ボリビア人口の4分の1が居住し、GDPの30%を占める。サンタ・クルス州に加えてパンド州、ベニ州、タリハ州の東部4州で天然資源の大半とGDPの60%を占める。

2006年 ユニセフが、世界各国の乳児死亡率を発表。ボリビアでは出生1000人に対し65人。ラテンアメリカではハイチに次ぐ高さ。最高はシエラレオネの282パーミリ、最低はシンガポールの3パーミリ。(カトリック教国では中絶率が低いことを念頭に入れても、なお高い)

 

2007年

07年1月

1.01 ボリビア政府、米市民に入国に際しビザを求める法律を提出。モラレスはこの法律が「相互主義にもとづくものである」と述べる。米国政府は、ボリビア人の入国に際しビザを要求している。

1.08 コチャバンバで、親モラレス労働組合とコカ栽培者が、保守派のManfred Reyes Villa州知事の辞任を要求し、州政府ビルを取り囲む。

1.10 モラレス、今年度中に鉱業の国有化を実現すると改めて誓う。

1.11 コチャバンバで両派の衝突により死者2人、負傷者60人を出す。モラレス派は並立地方政府の設立に動く。

1.12 モラレス、知事のリコール投票を可能にする新法を提出すると述べる。

1.13 ボリビア南部で空軍機が墜落。8人の乗員全員が死亡。

07年2月

2.02 ボリビア政府、モラレスを批判した亡命キューバ人のAmauris Sanmartinoを国外追放。

2.06 2万人以上の鉱山労働者が、鉱業税の急増に抗議して首都に行進。街頭でダイナマイトを爆発させるなどの示威。

2.07 ベネズエラ当局、合法的なコカ加工品であれば種類の如何を問わず買い付けると表明。コカインの生産を防ぐための努力と説明。

2.09 モラレス、ビント(Vinto)のスズ精練所が国営化されると発表。

2.14 ルーラとモラレス、天然ガスの新価格に関する交渉が解決したと発表。1年にわたる緊張関係に終止符を打つ。

2.16 ビントのスズの精練所の引渡し式。純白のリャマが生贄としてささげられる。

2.28 数ヶ月にわたる大雨。35人が死亡し7万家族が家を失う。被害総額は5千万ドルに上る。

07年3月

3.10 チャベス大統領が訪問。アメリカ「帝国」に対する社会主義的な反撃を呼びかける。大雨被害に対し、ブッシュ政府の10倍の援助を約束する。地元の指導者はボリビアの政治に干渉することに批判的な態度をとる。

3.16 米州開発銀行、ラテンアメリカの5つの最貧国(ボリビア、ホンジュラス、ニカラグア、ハイチ、ガイアナ)に対し、負債額のうち44億ドルを免除すると発表。

3.21 元ミス・ボリビアのソーニャ・ファルコーネ、米国からの退去を命じられる。彼女はParadise Valley(アリゾナ)に1千万ドルのマンションを持ち、不法入国者4人を使用人として雇い入れていた。

3.27 元ミス・ボリビアのRoxana Arias Becerra、ブラジル国境に1.8ポンドのコカインを持ち運んだとして逮捕される。

07年4月

4.10 ボリビア、米国の支援を受けたコカ根絶チームをアンデス山麓の密林地帯に派遣。

4.17 ヴィラモンテスのTransredes施設にデモ隊が押しかける。1人が警備に当っていた兵士に射殺される。

4.18 ボリビア南部国境の町ヤクイバで、約1万人の反モラレス派がロイヤル・ダッチ・シェルの子会社Transredesの施設に押しかける。群集はアルゼンチンへのパイプラインを占拠。施設・設備を破壊し、2千本の液化ガス・シリンダーを強奪。プラントの警備に当っていた警官47人を人質にする。

地名が多くてよく分かりませんが、ボリビア最南のタリハ県には、平原地帯にオコナーとグランチャコという二つの自治区があり、オコナー自治区のヤクイバという町の近郊にキメオという村があり、そこにマルガリタという油田がある、という関係のようです。

4.19 軍が出動してヤクイバの施設を奪還。この衝突で1人が死亡、数十人が負傷。

4.28 チャベス大統領、「キューバ、ボリビア、ニカラグア、ハイチへのエネルギー供給元になる準備が出来ている」と声明。

5.12 ブラジル所有の製油所の引渡し式。モラレスは石油・天然ガスの国有化のさらなる推進を誓う。

07年5月

5.28 最大規模のコカイン工場が南ボリビアの密林地帯で発見される。1日あたり245ポンドの麻薬を生産する能力を持つ。この工場はDEAの衛星写真により発見された。

5月 FIFA、ポトシやラパスを含む高地での国際試合を禁止する決定。モラレスはこの決定に対する抗議行動の先頭に立つ。

07年6月

6.05 司法省職員、モラレスが司法の独立を攻撃しているとし、24時間ストを打つ。

6.06 チャベス、ALBA4カ国による共同防衛機構、共同開発のための銀行の創設を呼びかける。

6.28 ボリビア政府、巨大地主の土地を接収するための法的手続きを開始すると声明。「資産は不正に得られたものであり、先住民の手に戻されなければならない」と述べる。

6.28 大豆油会社のBranko Marinkovic、政府が接収を狙う64,250エーカーは合法的に入手されたものであり、生産的に使用されていると反論。マリンコビッチを始め、巨大地主のほとんどすべてが反モラレス派の指導者となっている。

6月 ボリビア制憲議会内に憲法起草委員会を設置することで与野党間の合意。

6月 ラパス米大使館の武官が、スーツケースに45-口径弾薬500発を入れて入国しようとしたが発覚。

07年7月

7.13 モラレス大統領、「ボリビアとベネズエラは民主主義の危機にある」とする米政府報告書を内政干渉と批判。

7.20 右派野党が、政府機関をラパスからスクレに移そうとの動き。ラパスで首都移転に反対する集会。数十万人を動員し、アンデス諸国の歴史の中でも最大規模の集会となる。一説では人口の2割を超える200万人が結集。

7月 サンタクルスの東部農業会議所、「新土地改革を政府が推進するなら基礎的食料の価格を40%引き上げる」と声明。

07年8月

8.02 モラレス大統領、「インディオの日」の演説。「農業改革の日」と改称すること、土地を再配分する方針を提案。非生産的、あるいは不法に入手されたとみなされた土地は、政府による「回復」の対象となり、地元住民らに対して優先的に再分配されることになる。

モラレス演説: 国連の調査によれば、東部の低地地帯では、100家族が2500万ヘクタールを保有する一方、200万人の小農はわずか500万ヘクタールしか利用できないでいる。1400万ヘクタールの土地が遊休化しており、再分配可能である。これに対し、西部の高原では多くの農家が1ヘクタールの土地も所有することができない。

8.03 神話の湖であるチチカカ湖が、都市の生活廃水により汚染され、漁民の生活が困難になっていると報道(AFP)される。

8.08 モラレス大統領、太平洋岸へのアクセス問題でチリ政府と近く合意と発表する。

8.28 6つの州で保守派の組織する24時間スト。各地で暴動に発展し3人が負傷。

8月 ボリビア政府、アメリカによる援助のうち7割が一方的な援助(Cooperation unilateral)であり、一部は「民主化支援」としてアメリカ系のNGO や、現政権の反対勢力に与えられていると発表(地方分権化支援として直接地方自治体に資金援助を行っている)。そのような「援助」が続くならば援助を断ると警告。

8月 ボリビア、ベネズエラ、アルゼンチンの三国、総額10億ドル相当のエネルギー協定に調印。

07年9月

9.24 国連総会、「先住民の権利に関する国連宣言」を採択。世界の先住民3億7千万人の自決・自治権、伝統的に占有してきた土地・資源の所有権などを認め、国家は法的措置を含む必要な手段で、これらの権利を保護しなければならないと明記。先住民を強制的な同化政策や強制移住の対象としてはならないと規定する。

9月 モラレス、国連で演説。「資本主義には双子がいます、市場と戦争です。私は資本主義が人類の最悪の敵であると考えています」

07年10月

10.10 ぺルーのガルシア大統領、「アンデス原理主義」について言及。「先住民を動員したこれらの運動は、コカの栽培と結びついており、イスラム原理主義と同様、南米地域の不安定化につながる」と批判。「地域の安定のためアンデス原理主義と闘わなければならない」と述べた。また国家主導の経済モデルについても、「自由貿易が拡大する中で、これに逆行する国有化政策は、国民をより貧しくするだけ」と批判。

10.22 サンタクルスで、ベネズエラ領事館とキューバ人医療チームの宿舎にダイナマイト爆弾事件。人的被害なし。

11.03 イタリアを訪問したモラレス、インタビューで「パートナーがほしい。支配者はいらない」と発言。①石油国営化により税収が年間3億ドルから20億ドルに増えた。増額分は教育、医療、マイクロクレジット・プログラムに充てている。②「セカンドレベル」の病院40ヶ所、眼科病院11ヶ所が、キューバの援助で建設された。すでに10万~15万人が目の手術を受けた。③厚生、教育、零細企業、農業、法務担当の5大臣が女性だ。④「尊厳」(Dignidad)と名づけられた終身年金が発足した。60歳以上の人に毎月200ボリビアノス(約2.5ドル)を受け取る。また同額の教育資金(Juancito Pinto)も始められた。

 

07年12月

12.05 モラレス大統領、自身の信任を問う国民投票法案を提案。野党の県知事との交渉行き詰まり打開を目的とする。野党側は大統領の提案を歓迎。

12.15 新憲法草案に反対する東部4県が対抗して自治区宣言。サンタクルスでは宣言を歓迎する数万人のデモ行進。

12月 ボリビア制憲議会、新憲法草案の条項ごとの採択を行い、出席者の三分の二以上の賛成で可決。モラレス、制憲議会から憲法草案を受け取る。モラレスは、人口の多数を占める先住民に、より大きな政治的パワーが与えられるだろうと述べる。

 

2008年

08年2月

2.23 ブエノスアイレスでアルゼンチン、ブラジル、ボリビアの三カ国首脳会議。「エネルギーの見地から持続的な経済成長が維持できるよう」検討。ボリビアの天然ガス増産体制を「エネルギーにかんする連帯の原則」を基礎に作成することで合意。

2.28 ボリビア議会、野党議員の多くが欠席したまま、憲法草案を承認するための国民投票実施法案を可決。投票日は5月4日とされる。新憲法案は、先住民族の権利拡大、天然資源の責任ある活用、外国軍基地の設置禁止を盛り込む。

2.29 モラレス大統領が法案に署名。「国民の団結によって、国の統一と地方の自治を共存させる準備ができている」と述べる。

2月 無年金者を対象とする新年金法が施行される。野党勢力は、天然ガスの国有化による国家収入増を地方自治体にまわさず、年金の財源とすることについて猛反対する。

2月 米大使館の職員が、米奨学金を受けたボリビア人留学生にスパイ行為を依頼していたことが明らかになる。政府は、「大使館当局者がボリビア在住のキューバ人、ベネズエラ人の情報を集めるよう依頼した」と発表。その後のABCニュースの調査で、大使館がアメリカ平和部隊ボランティアに同じことを要請していたことも暴露される。

2月 モラレスはスパイ報道を受け、 「米国の覇権主義は、政治的支配だけでなく軍事的支配も望んでいる。だから、いかなる国もボリビア国内に軍事基地を置くことができないとする新憲法に反対するのだ」と語る。

08年3月

3.11 全国選挙裁判所、対話再開を優先させる立場から、新憲法案の国民投票を延期すると発表。住民投票についても延期を決めるが4県側はこれを無視。

3.13 中西部オルロ県で非識字問題を克服。二年間に3万人あまりが読み書き可能となる。そのうち85%が女性。全国では48万人が読み書き可能となる。記念式典に出席したモラレス大統領(オルロ出身)は、今年中に、非識字問題を克服する決意を表明。

3.16 政府、野党が対話を拒否し続けているとし、「野党には対話のための明確かつ真剣で、具体的な意思がない」と批判。

3.18 四県が他県も巻き込んだ「自治県連合」をつくる構想を打ち出す。

3.21 テレスル、「専門家の分析」をもとに、"米国際開発局の対ボリビア資金の約三割は、同国の「民主主義」を支持する非政府組織に充てられている"と報道。

3.21 政府は、全国規模ので住居建設計画を発表。

3.22 南部チュキサカ県のタラブコで新憲法案を支持し、右派地盤の四県による新憲法反対の動きを批判する集会に4万5千人を結集。「寡頭勢力が国の分断を脅しつけている時、国の統一を守る必要がある」と訴える。

3月 全国選挙裁判所、準備不足のため憲法草案に対する国民投票を5月から8月に延期すると発表。

3月 ボリビア各地に大雨被害。死者60人に上る。

4.07 ラパスで女性団体、教員団体、労働組合の三団体が、住民投票の中止を求めてデモ行進。ラパスの社会団体や地方議会議員、与党の社会主義運動(MAS)の国会議員らは、「ボリビアの統一のために」と題する文書を発表。モラレス政権への支持を表明する。

4.21 ニューヨークの国連本部で、国連社会経済理事会の第七回年次先住民問題常設フォーラムが開催される。エボ・モラレス大統領が基調演説。世界中の先住民がさまざまな攻撃や絶滅の脅威に直面しながら、土地や生活の権利の獲得をめざすたたかいを自ら組織してきた歴史にふれ、十項目の課題を提起する。

4月 サンタ・クルス州、「自治」法制定の住民投票を提起する。天然資源に対する支配統制権、土地の配分権、国際条約の締結権、州独自の警察と司法制度、などが含まれ、ボリビアからの事実上の分離を狙うもの。

4月 地域のボスやファシスト的「サンタ・クルス青年同盟」(UJC)などが暴力や恫喝で賛成を強要。モラレス派は「もうひとつのサンタ・クルス」運動を展開。棄権を呼びかけるキャンペーン。自治賛成派内の非分離主義派は「われらすべてのサンタクルス」運動を展開。住民投票に参加するが反対票を投じる。

08年5月

5.01 COB、メーデー集会において反オリガーキーの統一戦線を推進すると発表。モラレス政権支持の立場に移行。

5.01 モラレス大統領、国内最大の通信会社エンテル、および天然ガスの生産、輸送などの企業四社、計五社を国有化したと発表。ボリビアの石油公社YPFBがスペインのエネルギー会社レプソルとの交渉の結果、子会社アンディナ株の過半数を取得。英国系の天然ガス・石油生産会社チャコ、ガスパイプラインのトランスレデス、エネルギー輸送、保管のCLHB、エンテルは大統領令で国有化される。

5.01 ビジェガス炭化水素・エネルギー相、「大統領令による国有化」は「強制ではなく、交渉の枠内だ」と述べる。

5.04 サンタ・クルス州で、事実上の分離独立をめざす「自治」法制定の住民投票が、政府の反対を押し切って強行される(2006年に次2回目の投票)。全国選挙裁判所はこれに対し違憲判断を下す。周辺諸国や米州機構もボリビア政府を支持し、選挙監視団を派遣せず。

5.04 コチャバンバで、住民投票に反対し国の統一を呼びかける集会。50万人を結集。

5.04 モラレス大統領と与党MASは選挙裁判所の違憲判断にもとづき棄権を呼びかける。賛成85%(約484,000票)とされるが、棄権率は39%(約377,000票)にのぼる。

5.07 反政府派PODEMOSが多数を占めている上院は、サンタクルスの分離主義者の動きに反発し、モラレス大統領と9つの全州知事のリコール投票実施の提案実施に動く。モラレスは、自らの施政に関する国民投票を8月に行うことを受諾する。

5.28 オバマ上院議員、「米州諸国との新しい同盟」を打ち出す。キューバ封鎖の継続を約束し、ベネズエラを「独裁政権」と呼ぶなどこれまでと同じ。

6.01 サンタ・クルスに続き、パンド、ベニの2州も「自治」に関する住民投票を強行。

6.14 ボリビア南部タリハ州で、チャコ戦争の終結73周年を記念する式典。モラレス大統領は「国民や政府、大統領が仕組んだ戦争ではなく、外国の利害によって仕組まれた戦争だ。その暗い歴史を思い起こす機会だ」と強調。

6.29 チュキサカ県知事選挙。首都スクレを中心とする反モラレス派が、サビナ・クエジャール(前MAS制憲議会議員)を候補に押し立て勝利。

08年7月

7.01 トゥクマンでメルコスル首脳会議。原油や穀物の価格高騰の原因として無秩序な投機に厳しい批判が相次ぐ。

7.17 ペルーとの国交が正常化。大使が復任する。

7.19 ボリビア中銀、対ベネズエラ債務が1億ドルに達したことを明らかにする。

7.20 ベニ県リベラルタでベニ=ラパス間ハイウエイの起工式。大西洋と太平洋を結ぶ大陸横断道路の一部となるもの。ルーラとチャベスが列席しモラレスへの支持を表明。

7.23 コチャバンバでベネズエラ貸与のヘリコプターが墜落。乗員5人が死亡。

7.26 モラレス、選挙運動の一環としてサンタクルス県のモンテロを訪問。サンタクルスの学生ユニオンが道路を封鎖し抗議行動。

7.29 モラレス、ラパスで演説。国際金融機関の圧力を押しのけて、天然ガス国有化による収入増で最低賃金の引き上げや無年金者を対象とした新年金制度の導入などを実現した実績を強調。「主権は一部の集団ではなく国民にある」「変革は国民の歴史的な権利奪回だ」と語り、改革継続を訴える。

7月末 全国選挙裁判所と各県代表が協議。県知事の信任基準を50%に緩和することで合意。東部4県も投票参加を決める。

08年8月

8.01 オルロ県のカイワシで鉱山労働者と警察の衝突。死者2人を出す。

8.06 独立記念日。サンタクルスの集会では知事が演説し、モラレスを「裏切り者」「殺人者」などと非難する。

8.10 大統領と8人の県知事に対する信任投票。モラレス政権は67.4%の支持を受け信任される。9県中6県で過半数の支持を獲得。東部4県のなかでもパンド県では勝利。逆にラパス,コチャバンバの県知事は不信任に追い込まれる。

8.12 モラレス、信任投票を受け東部各県に対話を呼びかける。各県知事はこの提案を拒否。

8.13 コチャバンバのマンフレッド・レジェス・ビジャ知事が辞意を表明。信任投票の結果、6割以上の不信任を突きつけられる。

8.13 サンタクルス県のサンイグナシオ・デ・ベラスコの診療所で、キューバ人医師が学生ユニオンのメンバー40人に囲まれ、殴るなどの暴行を受ける。

8.15 フェルナンド・ルゴがパラグアイ大統領に就任。「パラグアイはきょう、排除、人種差別、汚職の国をやめる」と演説。

8.17 パラグアイでルゴ大統領が就任。「変わったのは選挙だけでない。これからが歴史的に重要な転換点になる」と演説。就任式にはチャベスやモラレスも出席。

8.19 東部5県で、モラレス政権の新たな年金政策に抗議する24時間ゼネスト。

表

 

(赤旗より転載)

 

8.20 サンタクルス、ベニ、パンドの3県、スト継続を決定。天然ガスの主産地チャコ地方では、天然ガスの権益の委譲を要求し、封鎖などの行動が続く。

8.20 チュキサカ県で、政府支持派農民のストライキ。クエジャール知事と対決する。

8.22 ブラジルのルーラ大統領、モラレス大統領の勝利を祝福。「対話のためのプロセスをまず、構築する必要がある」としつつ、東部の反発を間接的に批判。

8.24 モラレス大統領、「たとえ対話が行なわれないとしても、新憲法の国民投票を実施する」と述べる。

8.25 東部の石油産出地帯で分離派の道路封鎖が開始される。

8.28 チャコ地方の中心地カミリ、ヤクイバ、ビジャモンテスなどで道路のブロック封鎖が続く。このためサンタクルスとコチャバンバ、サンタクルスとアルゼンチン国境を結ぶ道路は、通行できない状況となる。

8.30 モラレス大統領、新憲法の是非を問う国民投票を12月7日に実施すると発表。

8.31 サンタクルス市内では反政府派と、政府支持派との間で暴力的な抗争が相次ぐ。ビジャモンテスでは反政府派が道路を封鎖。

8.31 YPFB、ブラジルへの天然ガス輸出量は10%の一日3百万立方メートルにまで減少したと発表。パイプラインや施設が反政府側に襲撃されたことが原因。

8月 赤旗がMAS議員団長セサル・ナバロと会見。新自由主義に反対し、ボリビアの民族的特色を踏まえた「独自の社会主義を探究するという立場」を強調。

08年9月

 

 

先住民の旗(La Wiphala) no solo es una bandera, es también la representación del calendario luni-solar de las Naciones Originarias Andinas. http://www.katari.org/wiphala/wiphala.htm

 

9.01 CNEのホセ・ルイス・エクセニ長官は、「法的な障害」があるとして、国民投票実施の政令を拒否。議会による承認を求める。同時にサンタクルスの知事が招集しようとした県機関の選挙も凍結、チュキサカでの県自治憲章についての投票を停止させる。

9.01 チュキサカ県のサビナ・クエジャール知事、自治憲章の是非を問う住民投票を行うと発表。サンタクルスなど東部4県に続くもの。県内の農村部の多くはこれに反対の立場をとる。

9.02 モラレス大統領、リビアとイランを歴訪。

9.02 ボリビア警察の薬物対策部、コチャバンバ県チャパレ地方でコカイン精製工場の大規模な摘発作戦を展開。3日間で163個所の精製工場を破壊する。

9.05 タリハで、自治拡大を目指すグループが、政府系の施設をトマトで襲撃。

9.06 MAS、選挙裁判所の法的不備との指摘に対し、国民投票のための特別法の制定を目指すと発表。「CNEが選挙プロセスを妨害するためにおそらく取るであろういかなる口実も回避するため」とする。

9.08 世論調査で、国民の86%が両派の「対話」を望むと応える。特にラパス、エルアルトでは対話を望む声が96%に達する。最も低いのはベニ県のトリニダで52%にとどまる。

9.08 新憲法の可否を問う国民投票、年内の実施が困難となる。野党や既存利権にしがみつく富裕層、東部の大地主が強く反発。

9.08 ボリビア政府、この2年間で、新たに65万4千人の国民が、字を読めるようになったと発表。非識字率は4.4%まで低下。

9.09 東部4県各地で、武装集団が一斉蜂起。政府事務所を襲撃、テレビ局や空港を占拠する。武装集団はガス・パイプラインを破壊。ブラジルとアルゼンチンへのガス輸送が一時停止する。

9.09 ベニ県で、キューバ人医師やベネズエラ人教師の排斥運動が始まる。

9.10 モラレス大統領は公式に、米国が暴動を助長し国の分断を画策しているとして、フィリップ・ゴールドバーグ駐ラパス米大使に国外退去を求める。モラレスは、「我々は、野党との関係は慎重にと再三にわたり要請した。しかし8月、攻撃の直前にゴールドバーグ大使は二人の野党派県知事と会っていた。暴動が激化したのは同会談以降である」と発表し、「我々は民主主義に対して陰謀を企むような人間にここにいてほしくない」と述べる。

9.10 ウーゴ・チャベス大統領、駐カラカス米大使の出国を命令。ワシントンもこれに対抗しボリビア、ベネズエラ両国の大使を国外追放。

9.10 モラレス政権が内閣を改造。ダビッド・チョケワンカ外相ら3人を除く、全員が入れ替えとなる。天然ガス相にはサウル・アバロス。ビジェガス前天然ガス相は、公共事業相に横滑りする。

9.10 タリハ県で反モラレス派の暴徒が地方の先住民組織事務所を襲撃し破壊。負傷者は少なくとも80名にのぼる。

9.10 エボ・モラレスの姉、エステル・モラレスを団長とする婦人団体の代表がチリを訪問。

9.11 ラパスで、約五千人が政府を支持してデモ行進。モラレス大統領は「クーデターが始まった」と批判。「民主主義と国の統一を守ろう」と呼びかける。

9.11 ブッシュ政権はこれに対する報復として、ボリビアの駐ワシントン大使の国外退去を求める。ショーン・マコーマック国務省スポークスマンは、「我々の大使に対する告発は虚偽である。ボリビア、ベネズエラ大統領もそれを知っている」と述べる。

9.11 ラジル、アルゼンチン、チリ、ベネズエラが相次いでモラレス政権への支持を表明。「ボリビア国民が選挙で選んだ体制を置き換えようとするいかなる試みも認めない」とする。UNASUR、アンデス共同体、メルコスルもモラレス大統領への支持と暴力の拒否を表明。

9.12 パンド県の県都コビハ近郊で、モラレス派先住民の農民グループが集会。待ち伏せ攻撃により少なくとも8名の農民と先住民が殺される。遺体は近くの川岸に放置される。事件はレオポルド・フェルナンド県知事に雇われた刺客によるものとされる。襲撃に機関銃が使われたとの報道もある。

9.12夕方 軍がパンドに入り、空港の封鎖を強制解除。この軍事行動で火器を用いた衝突が生じ、ジャーナリストを含む数名が負傷。

9.12夜 モラレス、パンド県に非常事態を発令。大虐殺を前にして、「命を守るため」であることを明らかにする。また事件を「人道に対する犯罪」と糾弾。

9.12夜 タリハ県のマリオ・コシオ知事がラパス入り。13日未明より、ガルシア・リネーラ副大統領との会談に入る。コシオは、「5人の野党側知事の代表として平穏を取り戻し、交渉を始めるための仕組みを探すことが自らの目的である」ことを明らかにする。

9.12 米財務省、ベネズエラ情報機関の高官と前内務法務相の三人を、資産凍結などの経済制裁の対象に指定したと発表。FARCを支援していることを理由としてあげる。

9.13 パンドに軍が入り、ガス・パイプラインを修復。ブラジルへのガス輸送は復旧する。

9.13 南米諸国連合(ウナスール)の首脳たちがあいついでボリビア政府に連帯の意向を表明。暫定議長であるチリのバチェレ大統領の提唱で、ボリビア問題に関する緊急首脳会議を開くことで合意。

9.13 モラレス、「ウナスールの会議を歓迎する。米州機構や国連などの協力に対しても感謝する。もちろん、米国は除いてだ」と語る。また「自治を要求する県知事たちが、国家の施設に対して危害を加えるのをやめるならば、非常事態をパンド以外の地域に広げる必要はないであろう」と述べる。

9.13 アルフレド・ラダ内務大臣、パンドでの犠牲者は16名に達したと発表。

9.13 チリのバチェレ大統領、パンドの虐殺報道を受け、48時間後の緊急UNASUR首脳会議を招集。バチェレはUNASURの暫定議長を務める。

9.15 チリのサンチャゴでウナスールの緊急首脳会議。バチェレ大統領は「ラテンアメリカは政治的危機によって痛ましい経験をしてきた。それは紛争は暴力ではなく、民主主義的形態で解決されなければならないことを教えている」と演説した。

緊急会議に出席した首脳: バチェレ(チリ)、モラレス(ボリビア)、チャベス(ベネズエラ)、コレア(エクアドル)、フェルナンデス(アルゼンチン)、ルーラ(ブラジル)、ルーゴ(パラグアイ)、バスケス(ウルグアイ)。これになんとウリベ(コロンビア)も加わる。ペルーは外相の派遣にとどめる。

9.15 モラレスは演説で一枚の写真を振りかざした。そこにはゴールドバーグがコロンビアのパラミリタリーの幹部と肩を並べポーズをとっていた。場所はサンタクルス、時は昨年のサンタクルスのあるお祭りの日であった。

9.15 会議は6時間におよび、満場一致で「ラ・モネダ宣言」を採択し、モラーレス政権への全面的支持を明らかにした。パンド州において行われた虐殺を最も強く非難するとともに、市民クーデターのたくらみを拒否し、認めない。

9.16午前 フェルナンド県知事を逮捕。ただちにラパスに移送。

9.16夜 コッシオ知事とガルシア・リネーラ副大統領の間で「和平」が合意される。野党側が公共施設や幹線道路の占拠をやめ、両者間で対話を始めることに応じる。合意内容には「対話の継続」とともに、「憲法承認プロセスの見直し」や「天然ガス利権の再検討」が含まれる。これらの点について、3ヵ月後を目処に結論を出すこととなる。

9.16 グルーポ・リオ、UNASURの緊急会議を受け、モラレス政権に対する支持を明らかにする。

9.17 英BBC放送、「以前は単に抽象的だった南米諸国連合が、今ではそれ以上のものになっている」とUNASURの実力を評価する報道。

9.18 コチャバンバで政府とパンド県を除く8つの県知事、知事代行が顔をそろえ、交渉が開始される。カトリック教会や国際機関のオブザーバも立ち会う。東部諸県ではブロック封鎖の解除が始まる。

9.21 サンタクルス県の農民数千人がサンタクルス市の中心部、9月24日広場をめざして各地でデモを開始。新憲法の早期制定を訴える。

9.21 ボリビア警察当局が捜査経過を発表。死者は少なくとも15人、負傷者も百人を超える。少なくとも反政府を訴える学生ユニオンが、政府支持者や中立的立場の市民を襲撃した。フェルナンデス知事は、早期の段階で適切な処置を取らなかった責任を認める。

 

 

2009年

 

2010年

 

2011年

 

2012年

5月28日 「国の一致」(CN)のロヘル・ピント上院議員、約20の汚職などの容疑で告発されラパスのブラジル大使館に逃げ込む。

6.21 大幅賃上げを求める警官ストが始まる。警官の10%に当たる3千人が参加。警官の月給は約200ドル、政府は30ドルの昇給を提案するが警官側は100ドル昇給を求める。

6.23 ラパスで警官スト部隊の一部が暴徒化。警察署を占拠して火を放つ周辺の道路を封鎖。刑務所の警備警察官、観光警察も業務を停止。

6.23 チュキサカで警官が給与値上げ、警官の安全など4項目の要求を掲げてストライキ。県知事は軍に出動を要請。

6.26 政府と警官スト指導者との交渉が不調に終わる。政府は警察の動きをクーデターの企て」とし、農民グループや先住民グループをラパスへ動員。

6.26 軍部隊が大統領宮殿周囲に出動し警備に当たる。モラレス支持派市民と警官スト参加者が衝突を繰り返す。

6.27 給与20%引き上げとスト参加者の不処分など9項目合意が成立。郊外に集結した反政府系先住民デモ隊は市内入りを保留する。

 

2013年

8月24日 ブラジル大使館在留中のピント議員、ブラジル大使館員に付き添われブラジル国内に移動。ダビド・チョケウアンカ外相は、外交官の不処罰特権を悪用したと批判。