キューバ年表その(7)

 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年

2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年

 

1995年

95年1月

1.12 InterNICは,CENIAI(自動情報交換全国センター)にB級インターネット・アドレスをあたえる.これにより,キューバがインターネットに加わることが可能になる.

1.18 難民協議再開.9月合意の履行状況と,グアンタナモに収容された2万人の難民の扱いについて検討.

1.24 政府,経済改革をさらに進めるため,リオネル・ソトら二人の閣僚会議副議長,アントニオ・ロドリゲス経済企画相,エクトル・ロドリゲス国立銀行総裁ら6人の閣僚級幹部を更迭すると発表.外国企業の不動産投資を承認,国立銀行は交換ペソの発行を開始.

1.25 ラヘ閣僚会議幹事長(国家評議会経済担当副議長),世界経済フォーラムで演説.94年度成長率は0.4%で,経済収縮は底を打ったとする.観光事業や原油生産が上向くなど積極的な兆候が見られるが,まだ経済は回復期に入ったとはいえないと言明.経済開放政策は後戻りできないとし,各国の投資を呼びかける.内閣改造については「今日の状況に合わせ,より合理的な,活力ある,有効で省力型のチームを作る」ことがねらいと語る.

1.30 米政府筋,パナマに抑留中のキューバ人7千5百人をグアンタナモに移動すると発言.

95年2月

2.7 国務省,キューバが渡米するキューバ人に千ドルを残すよう強制していると非難.

2.08 ジェッセ・ヘルムズ上院外交委員長,キューバ政府相手にビジネスを行う外国人を対象とするキューバ制裁強化案「95年キューバの自由・民主主義連帯(リベルタ)法」(S−381号法案)を提示.共同提案者13名.

2.14 ダン・バートン下院外交委員長,HR927法案を下院に提出.ヘルムズ法案と同様の内容.共同提案者はベン・ギルマン下院国際関係委員会議長,ロバート・トリセリ下院議員など.

2.14 「苺とチョコレート」,オスカーの最優秀外国映画賞候補になる.

2.19 イランとの間に年間百万バレルの原油と砂糖のバーター協定.

95年3月

3.1 ハバナ利益代表部のジョー・サリバン代表,昨年9月以降13,000のビザを発給したと報告.

3.2 OAS人権委員会,米国に食料と医薬品の輸出制限は国際法に違反するとして撤廃するよう要請.

3.3 第6回キューバ女性連合大会.ビルマ・エスピン議長,「女性が外国人に売春行為を働くのは国の恥である.売春が道徳心を持たない家族により,弱者としての少女にしわ寄せされることは悲しい」と訴える.

3.13 カストロ,ユネスコの招聘で訪仏.

3.14 化学兵器の禁止を目指すラテンアメリカ・セミナー,ハバナで開催.トラテロルコに続き化学兵器の分野でも地域条約締結を目指す.

3.15 カストロ,ミッテルラン婦人の要請にこたえ「自由フランス」とアムネスティの人権調査団のキューバ入りを認める.

3.22 下院国際関係委員会,「1995年キューバ自由民主連帯法」を採択.国際制裁を強化し,民主的政府への移行を促進しようとするもの.「92年キューバ民主法」以上に,キューバと交易する諸国への制裁を強化.

3.23 カナダ政府,自国企業が制裁の対象となることについて正式に抗議.アンドレ・ケレー外相は「カナダの企業が海外活動をすることについて他の国から規制されることは,とうてい容認できない」と語る.

3.31 米当局,「救援の兄弟」のグアンタナモ難民キャンプへの飛行を禁止.

3月 政府,新たな税関規定を発表.通関業務を大幅に簡素化.

3月 当局,C4爆弾を保持していたとして二人を逮捕.調査によれば二人は,CANFの指示で北部海岸に上陸した後,コスタリカ名義の旅券で国内を移動していた.

95年4月

4.03 グランマ紙,半年前から始まった農産物自由市場が食糧の増産に結びついていないと論評.

4.05 EU,「WTOの精神に反する」としてヘ・バ法の外国企業に対する適用を止めるよう求める.

4.06 観光省,外国人観光客の増加により今年の観光収入は10億ドルにのぼるだろうと予測.いっぽう砂糖生産は三年続きの不作により16億ドルの目標未達となる.

4.13 カナダ,フランス,英国,EUはヘ・バ法反対の共同キャンペーンを米国内で開始.

4.18 カリコム14カ国外相が,ヘバ法に反対する共同声明.

4.27 カナダとメキシコ,ヘ・バ法の成立に反対するため共同行動をとることで合意.

4 フランス人権団体代表がキューバを訪問し,政治犯の調査を実施.

4 米国控訴裁判所,キューバ側が提出した明白な証拠を無視し,キューバ艦艇乗っ取り事件の犯人マシアスに逆転無罪判決.

4 米国務省,ニューヨーク代表部の外交官二人に国外退去を通告.

4月 メキシコのグルーポ・ドモス,キューバでの電話事業から撤退.代わってイタリアのSTET社が進出することとなる.

95年5月

5.02 米玖共同宣言発表.米政府は「難民」受け入れについて方針転換.交渉に当たったジャネット・レノ司法長官,グアンタナモに残留する難民2万7千人の米国への入国を許可するかわりに,今後はイカダによる難民,グアンタナモ基地に進入した難民をキューバに強制送還することを明らかにする.送還された「難民」は米国利益代表部の係官がフォローすることとなる.9日には最初の適用者13人が送還される.国務省報道官は新方針を「正常でない」と批判.

5.14 政府,完全終身雇用の原則を撤廃.数十万人のレイオフを予定.

5.17 ペンタゴンのシンクタンク,軍部のカストロに対する忠誠はあつく,キューバの経済改革が進めばカストロは長期にわたり政権を握り続ける可能性があると報告.

5.18 ハバナ放送,最近40もの米企業代表がハバナを訪れ,うち12件については交渉が成立したと発表.

5.23 リオ・グループ外相会議,米議会に出されている,対キューバ経済制裁強化法案を非難.同法案は,カストロ政権に没収された旧米国資産を購入した企業に制裁を与えるもの.

5.31 キューバ,拷問禁止の国際協定を批准すると発表.同時に二人の「政治犯」を解放.

95年6月

6.1 アラルコン,小規模な家族経営や,経営コンサルタントの営業を許可すると発表.飲食サービス業の個人営業(12席まで)を承認.またヤミ料理店などを合法化するとともに,あらたに税を徴収すると発表.

6.13 政府,ペット美容師や電気器具修理など新たに19の職業について個人営業を認める.50万人にのぼる過剰労働力の吸収をはかりドル歳入を確保するのがねらい.12席以下の飲食業も認可される.

6.13 ウォールストリート・ジャーナル,米財務省がシェリット社などカナダ=キューバ系企業4社の米国との取引を禁止する予定と報道.シェリット社は「米国の保守的政治家が批判したからといってキューバでの活動を止めるつもりはない」と表明.カナダ政府はもし企業が米国の脅威にさらされるなら,責任を持ってその経済活動を保護すると発言.

6.15 フロリダ選出の各議員,キューバの原発建設は西半球の健康と安全にとって脅威とし,阻止のための運動を開始.

6.19 ラヘ副議長,今年度の砂糖収穫量が330万トンにとどまったと報告.これは過去50年間で最低の数字.

6.26 キューバ政府,雇用状況調査を実施.民間を含めた雇用の安定を目的とする.サルバドール・バルデス労働相は,「かなりの人々が失業状態となるだろう」と発言.

6.28 リカルド・カブリサス通産相,94年度の貿易額は前年比9%,輸出高は18%の伸びを示し,この傾向は今年度上半期においても持続していると報告.

6.29 キューバ政府,64億ドルの対外債務をめぐり,パリ・クラブとの協議にはいる.

6月 保税地区・工業団地法が制定される。

6月 税務行政を統括するため,全国税務庁(ONAT)が創設される.ホセ・ルイス・ロドリゲス財政・価格相,「税金を罰金とみなさずに,国民の利益のための経費をカバーする,連帯とみなす税観念を作り上げなければならない」と述べる.

6 エロイ・グティエレス,ハバナを訪問しカストロと三時間にわたる会談.

95年7月

7.01 ボリビアのマリオ・バルガス・サリナス将軍,「ゲバラと仲間の遺体はバジェグランデ郊外の滑走路のそばにまとめて埋められた」と証言.伝記作家ジョン・リー・アンダーソンらによる遺体探しが始まる.

7.03 キューバ,マリエル湾・シエンフエゴス湾・ワハイ・ベロアの四地区に自由貿易地区を設営する計画を検討開始したと報告.

7.03 司法当局,ニクソン元大統領の甥ドナルド・ニクソンJrを釈放したと発表.ニクソンは米国内で金融犯罪にかかわりキューバ国内に潜伏中を捕らえられた.

7.09 14,000の地方行政区で選挙投票が実施される.投票率は94%に達する.

7.11 米国とベトナム,国交を回復.

7.13 フロリダの亡命者たちの小舟艇が,キューバ領海内に侵入し反カストロ宣伝.キューバの監視艇との間に衝突.

7.13 4機の飛行機が米国より領空に侵入.ハバナ上空の飛行禁止空域を傍若無人に低空飛行し,キリスト教のメダルを撒いた後飛び去る.ホセ・バスルトが率いる「救出への兄弟」(Brothers to the Rescue)が実行。機内にはマイアミのNBC系列会社のカメラマンが同乗し、作戦を撮影。このフィルムはその晩にマイアミのテレビ局から放映される。

7.13 カストロ,官僚の腐敗や金融操作を厳しく批判.汚職や盗みに対して厳しい措置をとるよう指示.

7.15 統計局,95年3月末時点でのキューバ総人口は10,980,000人と発表.

7.16 アンネ・パターソン米州担当国務次官補を団長とする米国代表団,移民協定改訂のためハバナ入り.滞在中,反体制派二組織の代表と会見するがキューバ当局は黙認.

7.17 コロンビア,1千万ドル相当のキューバ製の髄膜炎及び肝炎ワクチンを購入すると発表.

7 米下院対外関係委員会,解放とキューバ民主連帯法(ヘルムズ・バートン法)を28対9の圧倒的多数で可決.・米国人は接収財産に関わる取引をした外国企業に対し所有権を要求する権利を持つこと,・接収資産と関わる企業は米国への入国を禁止することなどを規定.EU諸国,ラテンアメリカ諸国などは国際法違反であるとして相次いで反対声明を発表.

7月 大学卒で専門職の資格を持つ個人の営業についても部分承認.ほぼ全ての職業について個人営業が認められることとなる.

7 大企業幹部60人からなる米財界視察団がキューバ訪問.

95年8月

8.06 カストロ,青年集会で2時間半にわたる演説.海外の投資を受け入れドルの使用を解禁した結果,不平等と特権層が生まれつつあることを認める.

8.14 ラヘ,砂糖の不作にもかかわらず上半期の経済成長は+2%であったとし,その原因を電力,鉱業,国内産油の増加に求める.

8.17 トリニダード・トバコで,キューバをふくむカリブ諸国連合(ACS)の設立総会.

95年9月

9.03 反カストロ派,ハバナ近海で抗議の海上大会を強行しようとするが,うち1隻が沈没したため中止.

9.05 人民権力全国会議,外国投資法改正案(法律第77号)を承認.投資件数が200件を超えたことから,投資環境のいっそうの整備をすすめる.投資保護が明確にされ、100%外国資本の投資も認められる。この時点でキューバの累積債務は91億ドルに達する.

外国投資法の骨子
@外国企業が国内で100%出資の事業を行うこと,教育・医療・軍事以外のすべての産業に参入することを認める.外国企業の投資が事実上無制限に受け入れられることとなる.また海外在住の亡命キューバ人の投資も可能となる.
A合弁企業の所得税は30%に抑えられる.またキューバ国民が外国通貨建てで銀行預金口座を開設することも承認される.キューバ国民の直接投資は,今後の検討課題とされる.
Bいっぽうで,企業に必要な人材は,キューバ労働者派遣公団を通じて確保されることとなる.従業員への給料は,いったん政府にドルで支払われ,政府が改めてペソで従業員に支払うこととなる.

9.20 カーター元大統領,亡命キューバ人指導者と会見し,将来の米玖関係について議論.

9.21 米下院,圧倒的多数の賛成でヘ・バ法を採択.クリストファー国務長官はキューバの平和的改革の道を閉ざすものとして,法案に拒否権を発動するよう求める.

95年10月

10.06 クリントン,「民主主義に抵抗するキューバが,平和のうちに自由で開かれた社会に移行する」のを助けるためとし,民間レベルの交流を拡大するための施策を発表.亡命者や学者などのキューバ渡航制限を緩和すると発表.市民連帯グループがキューバへ資金援助することを認め,キューバ関連NGOにAID基金の利用を認可する.マスコミのキューバ支局開設を承認.しかし禁輸措置はさらに強化.ヘルムズ上院議員を中心とする議会反動勢力は,対抗案として制裁強化法案を提出.

10.12 ヨーロッパ議会,懲役15年の刑を受け服役中の「人権活動家」フランシスコ・チャビアーノ・ゴンサレスを解放するよう要請.

10.16 ロシアのソスコベツ第一副首相がキューバ訪問.石油、砂糖のバーター貿易を3年間延長するとの協定に署名.400万トンの砂糖と1千万トンの石油が等価とされる.またソ連崩壊により凍結中のフラグア原発の建設再開でも合意.3億4,900万ドルの信用供与を与える.

10.19 米州開発銀行(IDB)のエンリケ・イグレシアス総裁,カストロが民主化の方向を明確にしない限り,キューバへの財政援助はあり得ないと発言.

10.21 思い出の地ハーレムのアビシニア教会でカストロ歓迎集会.米共産党選出のニューヨーク市会議員ベン・デービスが主催し80団体1600名の市民が参加.

10.22 カストロ,国連創立50周年記念総会で演説.「いまも世界中で多くの人々が飢餓や貧困によって命を失っている.大国は時代遅れの拒否権によって安保理を悪用している.これは国連内部における新たな植民地主義ではないか」と,安保理の大国による私物化を非難.恒例のキューバ決議は117対3(38の棄権)という大差で可決.わずかにイスラエル,ウズベク共和国が決議に反対し米国に加わる.

10.25 カストロ,ニューヨークの代表部でNYタイムスの編集部,タイム誌の編集者などと懇談.

10.29 米上院,ヘルムズ外交委員長の提案した「リベルタ法」(対キューバ経済締め付け法案)を74対24で可決.

リベルタ法の柱
1.米でキューバの砂糖・糖蜜をつかった製品の販売禁止 2.キューバで情報収集施設を使用しているロシアへの援助二億・削減3.キューバの国際金融機関加盟を阻止 4.国連での世界的対キューバ制裁を目指す.

10.30 ハバナで第八回国際見本市開催,52カ国から1700社が参加する.

10月 国営外貨両替所(CADECA)が開設.国民が自由に外貨とペソを交換できるようになる.

95年11月

11.02 国連総会で対キューバ禁輸中止決議を賛成117,反対3、棄権38の大差で採択.反対は米国、イスラエルとウズベキスタン。キューバ外務省は「大変な勝利」と評価.

11.02 「ニューイングランド医学雑誌」にキューバで発生した視神経炎の調査結果発表.原因はまずしい食事とタバコの煙と結論.

11.30 カストロ議長が初訪中,江沢民国家首席と二度にわたり会談し,経済,貿易関係拡大で一致.その後ベトナムを訪問.

11月 キューバ国内でCANFとつながる「キューバ和解」(コンシリオ)が,「民主化を求める」活動開始.公称では130団体を結集.100名の政治家,労働運動指導者,人権活動家,専門家グループ代表が,五項目の合意.@非暴力,A全政治囚への恩赦,B民主主義への平和的移行,C人権を保障する司法 システム,D海外同胞の政治改革への参加権を主張.

11 日本企業45社からなる経済視察団がキューバ訪問.

95年12月

12.13 カストロ議長,ベトナムからの帰途,日本を非公式訪問し村山首相と会談.日本はキューバの非政府組織へ無償援助を開始.

12.16 FBI,キューバ系米国人レネ・クルスの「レマルク・インタンショナル」社を捜索.狙撃用ライフル三丁,AK-47ライフル18丁,銃弾14,000発,手榴弾多数,キューバ侵入計画書などを押収.

12.18 ロスアンジェルスで,FBIが三人の不正規兵を逮捕.報道によれば彼等はキューバ侵入して武装反乱を組織すべく,ロス市内の倉庫に武器を貯蔵していたという.

12.26 ホセ・ルイス・ロドリゲス経済相,経済危機からは徐々に立ち直りつつあり,96年の成長率は5%と見込まれると報告.

 

1996年

96年1月

1.01 所得税法発効.ハバナ市当局は自営業者の税率引き上げを発表.ドルを稼ぐレストランなど個人営業に対し,売り上げの2/3を税として徴収.税務局長のラファエル・ゴンサレスは自営業者の数が20万人に達したと報告.同時に,送金を除く個人の外貨収入への累進課税(10−15%)も開始される.

1.09 フロリダのオパロッカ空港からきた2機の「兄弟の救援」所属の軽飛行機が,低空でハバナ州上空に侵入.反政府ビラをまく.13日にも同様の事件.これに抗議するキューバ当局は,ヒロン国際航空路の民間使用を一時停止,バラデロ国際空港の使用を制限.

1.15 「兄弟の救援」機パイロットのホセ・バスルト,米政府の出資・運営するラディオ・マルティに出演.バスルトは、今回の飛行に関しては領空侵犯を否定するが、7月のハバナでのビラ撒きを認めるとともに,今後も同様の活動を続けると宣言.また、コンシリオ指導者に現金2千ドルを渡したことを明らかにする。さらに、筏に乗った難民をキューバに強制送還する決定について、米政府に抗議する。

1.15 キューバ政府,「キューバ和解」や「兄弟の救援」などの亡命者による反政府活動に厳しく望む方針を確認.米政府にこれらの活動を取り締まるよう要請.同時にCTC機関紙「トラバハドーレス」を通じて,「領空を侵犯する航空機は撃墜する」と強い調子で警告.

1.15 キューバ当局,反体制派ジャーナリストのラウル・リベロを一時拘束.報道内容について警告.

1.16 ジョセフ・モークリ−議員(D-S.ボストン)を団長とする米訪問団.企業経営者,環境活動家,人権活動家など20名からなる.

1.16 ラジオ・マルティの司会者ホセ・カシン,キューバ空軍には領空侵犯機を撃墜する能力はない.撃ち落とせるものならやってみろと挑発.

1.18 モハメッド・アリ,国際赤十字向けの人道的援助物資を携えキューバ入り.

1.18 ストラスブールの欧州議会,EUとキューバとの関係改善を349対16で決議.

1.18 連邦当局,ロスでカストロ打倒のため武器を備蓄していた亡命キューバ人3人を告発.

1.19 マサチューセッツ選出の下院議員,ジョー・モウクリー,ハバナで反政府運動家のエリサルド・サンチェスと会談.当局はこの会談に干渉せず.

1.21 フランスの観光業者「地中海クラブ」と,キューバのガビオタ社が提携.

1.26 大統領及び国務省のキューバ問題担当特別補佐官リチャード・ヌッキオ,キューバの自由社会への段階的移行を促す最適の方法を検討中と語る.さらにヘ・バ法の制定を遅らせることはキューバに対する米国の影響力を弱めることになるとする.

1.30 当局,ハバナの住宅地不動産に外国人が投資することを認める.

1.31 グアンタナモ基地に収容されたキューバ人の本土移送が完了.

1月 バスルトはセスナ機でグアンタナモ基地に弁護士を送り込む。米政府はバスルトのグアンタナモへの飛行を禁止。その後バスルトがハバナへの飛行をつつけたため、FAAはバスルトの操縦士免許を剥奪するが、バスルトは裁判所に訴え免許を回復。

1 政府当局,コンシリオの法的承認を拒否.コンシリオは2月24日に集会を開催するとし,許可を求める.マイアミの亡命者も24日に海上大会を開くべく,キャンペーンを開始.

1月 マタンサス=バラデロ間の高速道路が有料化される.

1 キュ−バ政府の公式ウェブサイト「Cubaweb」 http://www.cubaweb.cu/ が開設される.

96年2月 亡命キューバ人機撃墜事件

2.02 米税関,300台のコンピューターをメキシコ経由でキューバに持ち込もうとした集団を阻止.この集団はミネアポリスに本拠をおく教会関係者で,米国の封鎖政策を打破しキューバ国内の病院や学校にコンピューターを送ろうとしていた.

2.03 米国退役軍人が関係正常化に向けハバナでキューバ政府と交渉.代表のシーハン退役将軍は海兵隊出身で米大西洋軍総司令官もつとめた.キューバ空軍のアルナルド・タマヨ将軍(元宇宙飛行士)は代表団のユージン・キャロル提督に「兄弟の救援」機を撃墜した場合の米国の反応について質問する.キャロルは、「撃墜すれば国際社会から“折り紙つきの山賊行為”と非難されるだろう」と応えたと言う。

2.18 キャロルはタマヨ発言につき国防省とDIAに通告.クリントン政府はこの警告を無視.キャロルによれば、国務省担当者は「我々は聞いている」と応えたと言う。

2.08 南アフリカ,医師不足を補うためキューバに医師派遣を要請.キューバは120人の医師を派遣.

2.10 キューバ政府,ビル・リチャードソン下院議員の要請を受け,三人の反体制活動家を釈放.

2.19 コンシリオを中心とする国内の反体制勢力,マイアミの亡命者グループと連携し「キューバ会議」結成大会を称する大規模な集会を組織.政府当局は指導者10名を一斉逮捕,その後全土でコンシリオに対する一斉取り締まりを開始.その後の3ヶ月で200人以上の指導者,支持者が逮捕,尋問,嫌がらせを受けたという.

2.20 政府高官、カークパトリック元国連大使との私的な席で、「バスルトのために夜も眠れない。まもなく重大事件が起きるだろう」と語る。カークパトリックが事件後に語った内容。

2月23日 国務省キューバ問題担当局、「兄弟の救援機が反体制派との協力を誇示するためキューバ領内に侵入する動きがある」とFAA国際航空局に警告。国務省高官は「キューバ政府は険悪な雰囲気にあり、慎重さが弱まっている」と報告。

2:40pm FAA本部、国務省からの警告をマイアミの現地オフィスに伝達。「我々には事件を止めることは出来ない。しかし事件が起こった場合に備えて、我々は必要な手立てをとる必要がある」と指示。

6:00pm FAAマイアミ支局の軍事顧問、全国のレーダー・サイトに対し、兄弟の飛行機に特別な注意を払うよう勧告。パナマシティのTyndall空軍基地のNORADレーダー・センター、カリフォルニアの財務省関連施設が監視体制に入る。

2月24日 「救援の兄弟」機撃墜事件

2.24 マイアミに籍を置く「難民救援の兄弟たち」の操縦する小型機二機が,キューバ領空域近くでキューバ軍ミグ戦闘機により撃墜される.キューバ系米国人3人とキューバ人永住者1人が死亡.

9:00am 三機のセスナ機の乗組員がオパ・ロッカ空港に集合。FAAにバハマ行きの飛行計画を提出。

10:15am セスナ機が離陸許可をもとめる。FAAは衝突回避のためハバナに飛行計画を伝達する。

13:11pm 三機のセスナ機が警告を無視しオパロッカ空港を離陸。バハマに向かう。

14:00pm セスナ機が西に進路を変え、フロリダ海峡を飛行.ハバナの管制センターのレーダーがセスナ機を感知。マイアミに三機のセスナ機に関する情報を求める。

14:39pm サンアントニオ・デ・ロスバニョス空軍基地ではミグ戦闘機二機が滑走路上でのスクランブル待機を命じられる。(ICAO報告)

14:55pm  ミグ戦闘機が空軍基地を離陸。米軍レーダーが離陸・急上昇中のミグ戦闘機を捕らえる.米国側によれば、この時点でセスナ機はいずれもキューバ領空外にいた。

14:57pm バスルト、両国境界とされる北緯24度に接近。ハバナの航空当局に、5分後に境界を越えて進出すると通告。「兄弟の救援、そしてその代表である私、ホセ・バスルトは、あなたがたに心こもる挨拶を送る」と送信する。ハバナ当局は「了解。ハバナ北部地域は緊急態勢に入った。あなたは北緯24度を超えたことで危険になっている」と警告。

15:00pm セスナ機,ミグの警告に対し「これから領空に入る予定」と返答.さらに一機は「ハバナに向かう」と交信.この間バスルトの乗る司令機は領空外に待機.

15:01pm バスルのセスナ機が北緯24度線を超える、数分後には他の2機も「領空」内に侵入。この間ミグがセスナ機周囲を飛行。フロリダ州ホームステッド基地ではミグ機の「出撃準備」警報が流れる.

15:11pm  キューバ軍当局、ミグ機に対しハバナの北方20マイル(キューバ領空の8マイル外側)に進出し、目標に対応するようするよう指令。

15:16pm ミグ機がセスナ機を視野にとらえる。

3:16 PM 米国関税局のジェフリー・ヒューリハン少佐,ティンダル空軍基地に向け"911" 信号を発する.基地側からは「状況は把握されている」との返事.

3:20 PM ミグ戦闘機、ミサイル発射の最終許可をもとめる。キューバ空軍司令部はミグに対し撃墜命令.ミグはセスナに接近し最後の警告.

3:21 PM 最初の飛行機が撃ち落される.ロドニー・ケリー空軍准将によればこの時点で誤認情報が流され,スクランブルは解除される.

3:22 二番目のセスナ機が射程内に入る。

3:28 PM 2番目の飛行機が撃墜される.

3:41 PM バスルトの乗った3番目の飛行機が,北緯24度線を越え米国に向かう.

3:45PM ミグ戦闘機,バスルトの飛行機を視界に捕らえる.

3:47PM ミグ戦闘機,バスルトの飛行機をライトブルーのセスナ337機と視認する.

3:51 ミグ戦闘機に対し攻撃を停止し基地に戻るよう命令.この時点でミグ機は米海岸から3分の距離まで近接.

3:53PM バスルトの飛行機,米国の管理空域に入る.

5:09 バスルとのセスナ機がオパロッカ空港に着陸。

2.24 キューバ当局が領空侵犯を主張したのに対して,マイアミのキューバ人団体は国際空域で撃墜されたと主張.マイアミ・ヘラルド紙は、政府高官の話として、「ワシントンはキューバ人から度重なる警告を受けていた。この警告をバスルトに伝えたが、彼はこれを無視した」ことを明らかにする。

2.25 国連安保理,米国籍飛行機をキューバ軍が撃墜したことに関し討議.撃墜は遺憾な行為であるとの声明を採択.

2.25 撃墜されたセスナ機の生存者ファン・パブロ・ロケ、キューバのテレビに出演。「救出への兄弟」の真の姿を世界に向けて知らせるため、故国に戻ることを決めたと語る。(キューバ側も結構白々しいものです)

2.26 クリントン大統領,すべてのキューバとの商業航空路を遮断すると声明.また凍結されていたキューバ資産を遺族への補償のため用いること,キューバ政府関係者の渡米条件をさらに制限することなどを明らかにする.

2.28 ロバイナ外相が国連本部で記者会見し,「民間機は数度の警告を無視し撃墜するしかなかった」と述べる.また米政府の発表したキューバ軍機の交信記録はデッチアゲと主張する. 

96年3月

3.01 亡命者たちが船団を組んで「犠牲者」の死を悼む海上大会.保険会社は「戦闘行為への参加は保険料支払いの対象とならない」とし、支払いを拒否。

3.02 ニューヨークで米国とキューバの軍関係者による撃墜問題の会談.内容は極秘扱いとなっている.

3.03 連邦航空局,キューバ周辺を無許可で飛行することに強い警告を発する.

3.05 キューバ自由民主連帯法(Cuban Liberty and Democratic Solidarity Act),74対22で上院を通過.同時にロシアへの援助2億ドルを削減.フラグアの原発プラントに援助する国も援助削減の対象にする.翌日には下院でも336対6の大差で可決.

3.06 モントリオ−ルで国際民間航空機構(ICAO)の総会.アラルコン国会議長は,キューバこそ長年にわたる領空侵犯の被害者だと強調.米国に対してキューバ上空の国際回廊を閉鎖する可能性を示唆.総会は事務局に対し,今回の事故を全般的に調査することを要求.

3.12 クリントン,ヘルムズ・バートン法の外国企業提訴条項に対する反対を撤回.航空機撃墜事件を口実に,法案に署名.キューバと交易を行う外国企業にペナルティーを科す。

「キューバの自由と民主的連帯(リベルタ)」法(通称ヘルムズ=バートン法): @亡命キューバ人にもキューバ国内資産の米国での補償請求訴訟権を認める、Aキューバ内の旧米国人資産で営業を行った企業の幹部・家族の米国入国を禁じる。Bカストロ政権の国際金融機関への加盟に反対し、加盟が認められたら、同機関がキューバに供与した同額の拠出金の支払いを停止する。

3.12 カナダのアート・イーグルトン貿易相,北米自由貿易協定(NAFTA)第12条にもとづき,米政府とのあいだでヘルムズ-バートン法について協議を求める意向を明らかにする.まもなくメキシコもこれに同調.

3.12 バーミンガムに本社を置くインターネット・ファクトリー社,キューバの公式サイトとしてCuba Web ( http://www.cubaweb.com )のサービスを開始.

3.15 欧州議会,WTOや国際法に違反するとしてへ・バ法成立を強く非難.欧州委員会に対しへ・バ法の影響についてただちに調査するよう要請.

3.19 キューバ,ヘ・バ法をジュネーブのWTOに正式提訴.

96年4月

4.1 新所得税が発効.月額最低納税額が引き上げられ、私的専門職に対しても課税.自営業者への累進所得税が制定される.

4.11 オスマニ・シエンフエゴス観光相,キューバ観光客が昨年同期に比し50%増加,年間百万人を突破するだろうと発表.収益は10億ドル.これは5年前と比べそれぞれ2倍,4倍となる.観光客数はカナダ、ドイツ、スペイン、イタリアの順.

4.16 トマス・グティエレス・アレア(映画監督),肺ガンのためハバナで死去.

4.17 キューバの要請を受けジュネーヴでWTO総会.米国以外のすべての国(日本を含む)がへ・バ法に反対の立場を明らかにする.

4.30 EU30カ国の代表が,ヘ・バ法をWTOに提訴することで合意.

4.30 キューバ政府,「近代的かつ有効な経済環境づくりのため」雇用調整策を採ると発表.

96年5月

5.2 英国通産省の元高官イアン・テイラー,ヘ・バ法に対抗して米国人の入国制限を強化する用意があると発言.キューバに対しては債務繰り延べをパリ・クラブに提案する意思を表明.

5.3 EU,WTOに対し公式にヘ・バ法への不満の意を表明.

5.7 メキシコを訪問したクリストファー国務長官,ヘ・バ法は成立以前の対キューバ投資に対しては適応されないと表明.同時にヘ・バ法の友好国への影響を最小限にとどめるよう努力すると表明.

5.13 ハバナの米代表部,1ヶ月半の間に44万のビザ申請を受理したと発表.

5.14 今年度の砂糖収穫予想量は450万トンになると発表される.これは昨年の36%増.

5.16 米国務省,「救援の兄弟」創立者のジョセ・バスルトの飛行免許を剥奪すると発表.彼は航空局に無断でキューバ領空を二度にわたり侵犯していたことが発覚した.

5.29 キューバ保健省,報告書を発表.経済危機が保健システムを直撃.救急車がダウンし,伝染病が広がるなどの深刻な状況.目下サービスの経済効率を上げ,無償医療の原則を維持するため努力中と結ぶ.

5月 経済協力開発機構(OECD)総会,ヘ・バ法に対する非難が集中.

5月 EU,政治改革と経済自由化の失敗を理由に,キューバとの経済協力協定の議論を停止.

96年6月

6.4 OAS総会,ヘ・バ法の国際法上の有効性に疑問符を付ける決議を採択.

6.20 国際民間航空機構(ICAO)と国連の調査団,撃墜の現場は領空外9マイル,19マイルの公海上だったと結論.キューバ側主張は受け入れられず.

6.28 リヨンでG−7サミット開催.ヘ・バ法を批判する共同声明を採択.

6 政令165号(保税地区・工業団地法)が制定.マリエル,シエンフエゴス,ハバナ(ワハイ,ベロア)の4地区に,自由貿易地区と工業団地を設置すると発表.進出企業は利益の海外送金の自由を与えられ,12年間にわたり法人税が免除される.

6月 全国租税管理庁(ONAT)が設立される。

96年7月

7.7 キューバ軍幹部のホセ・フェルナンデス中佐がキューバ国営航空機をハイジャックし,グアンタナモ米空軍基地に強制着陸させる.

7.10 米政府,カナダのシェリット・インタナショナル社幹部のビザ申請を拒否.ヘバ法第4条(接収された資産で利益を得ている外国企業の幹部の米国への入国を禁止)を発動した措置.シェ社はキューバで鉱山開発を行っている.欧州連合外相理事会は,へ・バ法第三項が適応されれば報復措置をとることを決定.

7.16 ヘ・バ法発効.トリセリ法をさらに強化.第三条では,革命後キューバ政府に接収された資産の保持者で,米国籍を持つものは,それを買収した外国企業に対して補償の訴訟が起こせることとなる(外国企業提訴条項).クリントンは,実施にあたり,国際的非難が集中している第三条について実施を6カ月間延期すると発表.

7.26 国連安保理,撃墜事件に関してキューバを非難する決議を採択.

7 アトランタ・オリンピックを前にキューバ人選手の亡命相次ぐ.

96年8月

8.14 クリントン,商務省の国際貿易担当次官スチュアート・エイゼンスタットを「キューバ民主主義促進のための特別代表」に任命.キューバ制裁にカナダ,メキシコ,ヨーロッパ諸国などを動員することを任務とする.

8.19 米国務省,ヘバ法に基づき,グルポ・ドモス社幹部複数人に対し,入国を禁止すると通告.ドモス社はメキシコの通信会社で,キューバで電話設備に投資している.

8.20 キューバ政府,反体制勢力と接触を図ったとして,利益代表部の人権問題担当スタッフを国外追放.

8.26 米,加,墨を除くOAS加盟34カ国,ヘバ法は国際法に違反との決議を可決.

8.31 「ベルティジョン166」の作者ホセ・ソレル・プイグが死亡.

96年9月

9.1 キューバ・ペソの対ドル交換比率は1:22と発表される.兌換ペソのドルとの交換は全国24の交換所で可能となる.昨年までのヤミドル交換比率は80〜150であった.なおキューバ人の平均収入は月250ペソ.

9.5 米州防空司令官のハワード・デウォルフ空軍准将,ダン・バートン下院議員の質問に答え,「国防省のレーダーは国際空域における米民間機の航路を常時系統的にチェックしているわけではない」と弁解.

9 ボリビアでリオ・グループ首脳会議.キューバ制裁強化法を全面拒否する声明を採択.

9 欧州議会拡大議員会議,「へ・バ法は国際公法の基本原則に反する」とする決議を採択.

96年10月

10.01 メキシコ議会,「ヘバ法対抗法」を圧倒的多数で可決.メキシコ企業でヘバ法に従うものに最高30万ドルの罰金を課す.

10.18 マタンサスで「Thrips palmi」病が発生.この病気は昆虫により媒介されるもので,これまでキューバでは知られていなかったもの.その後キューバ西部各地でこの病気があいついで発生.今の所,当局はこの病気の制圧には成功していない.

10.19 ハリケーン・リリーがキューバを襲い,砂糖産業にダメージ.東部では収穫予想の2割,7万トンの被害となる.米政府,緊急支援物資を送る飛行機が,米国領土から直接出動することを認める.EUはキューバへの人道的援助1千万ドルの支出を承認.

10.21 キューバ,国連に「生物兵器が使用されている疑いがある」と提訴.これによればマタンサス上空を単発機が飛ぶのがキューバ航空乗務員により目撃された.この飛行機は間欠的に白い霧のようなものを噴霧していたという.キューバ管制官がこの飛行機にトラブルの有無を問い合わせたところ,否定する答えがあった.

10.28 EU閣僚会議,企業のヘバ法への順応と権利放棄を禁じる反ボイコット措置を決定.

10.31 コロンビアのゲリラ,ファンカルロス・ガビリア(前大統領の兄弟)を誘拐.Gaviriaはフィデルカストロにゲリラとの調停を依頼.フアンカルロスは解放され,誘拐犯はキューバに亡命.

10 キューバ当局,領海に侵入した「ライムリック」号を拿捕.6トン(史上最大)のコカインを押収.乗組員とともに米沿岸警備隊に引き渡す.

96年11月

11 その後のキューバ当局の調査では,この飛行機は米国籍で,米国務省がリースしている民間機と同定された.運行記録によれば,この飛行機はフロリダ州ココア・ビーチのパトリック米空軍基地から出発したものと思われる.同型機(SAR)は農薬の空中散布を目的に作られた飛行機で,麻薬農園を攻撃する際に用いられている.

11.12 第51回国連総会,5年連続でキューバ経済封鎖の停止を要求する決議.棄権国が減少し賛成国がさらに増加.全加盟国の2/3を超える.

11.15 カストロ,欧州歴訪の途上ローマで開かれた世界食糧理事会総会に出席.「飢餓は貧困と不可分であり,富める者は飢えを知らない」と先進国を非難.飢餓をよそに軍事費が増えていることや,食糧,医薬品まで含む経済制裁を批判.「今後20年間で飢餓人口を半減させる」とするローマ宣言を「破廉恥」ときり捨てる.

11.19 カストロ,世界食料会議の後バチカンを訪問.法王との会談でキューバ訪問を要請.ヨハネ・パウロ二世は招請を受け入れる.

11.19 WTO,ヘルムズ-バートン法律に対するEUの不満を受けて,調停機関の設置を決定.

11.24 カストロ,ハバナ市党会議で報告.「社会主義企業は資本主義企業のように上手に経営されなければならない.我々の願望は資本主義企業よりもよりよく働くことである」

11.28 カナダ議会,反ヘバ法を議決.米国法に従う会社に罰則,司法相が米国の裁判所の判決適用を阻止する権限を持つ.また,損害を受けたカナダ人が被害額を控除されることも認められる.

11 第6回イベロアメリカ首脳会議,「国際法を侵犯し,国家主権を無視するもの」とへ・バ法を非難する決議.一方でキューバ民主化を促す.

96年12月

12.2 EU,キューバに対し,政治関係強化,経済援助と引き替えに,人権尊重と民主化を要求する共同決議を採択. 

12.26 米国,キューバの照会に対し「飛行機は自分の位置を知らせるため発煙筒をたいた」と返答.キューバ機の目撃者は煙ではなく何らかの物質を放出していたとし,国務省の回答を否定.ラウル・カストロは国務省の回答を「西部開拓時代のインディアンでもあるまいし,20世紀の末に煙で合図するなど笑止千万」と批判.

12.30 カナダ,ヘ・バ法への対抗法を成立.カナダ企業が米国から提訴された場合,逆提訴できることを定める.

12 96年の砂糖生産は450万トンに回復.外国人観光客は100万人に増加.軍備は正規軍10万,予備役13万,青年労働者軍6万,市民防衛軍5万,地区民兵100万,ミサイル艦4隻,ミグその他の戦闘機130機.

12月 カナダ学生連合とキリスト教団体など,カナダの観光客への訴えを発表.冬の旅行の際にはフロリダをボイコットすること,その代わりの旅行地としてキューバを考慮することを訴える.

 

1997年

97年1月

1.03 クリントン,キューバ民主化を目指す米国の多角的努力が実りつつあるとして「キューバ自由・民主主義連帯法」(ヘルムズ・バートン法)のうち,外国企業提訴条項の実施をさらに6ヶ月間延期すると発表.

1.10 キューバ政府,キューバ市民が34年間の経済封鎖で受けた損害について,米国を告訴することを承認.

1.22 カナダのアクスワージー外相,キューバを訪問.カナダ・キューバ共同声明発表.「人権問題での協力を深める」ことなどを盛り込む.カナダはヘ・バ法を「国際法の根本を破壊するもの」と非難.米政府は不快感を表明.

1.28 クリントン,米国と国際社会の共同の努力こそがキューバに民主政府を生み出すだろうと声明.

1.29 米政府,報告を発表.カストロが退陣し民主主義の下複数政党制が復活すれば,キューバは経済援助を期待できるだろうとする.カストロは,米国は「私の降伏の日を金で買いあげるつもりのようだ」と非難.

97年2月

2.12 マカリー報道官,米国報道関係10社にキューバ支局の開設を許可すると発表.キューバ側はすでに準備が進んでいるCNNのみを設立許可.

2.15 CNNハバナ支局開設.

2.19 EU,へ・バ法をWTOに提訴.

2.20 WTO会長レナト・ルッジェーロ,EUの提訴に基づき三人のメンバーよりなる検討委員会を設置.

2.20 WTOの決定に対し,クリントンはただちに反論.「亡命キューバ人飛行機撃墜事件に関連した安全保障上の措置であり,経済上の政策ではない.WTOが取り扱うべき問題ではない」と抗議.審議そのものを拒否すると発表.

2.22 キューバ秘密作戦を示すCIA文書が解禁となる.

97年3月

3.3 キューバ政府,昨年8月以来米国人ウォルター・バンデルベールを拘留していることを明らかにする.バンデルベールはマイアミの亡命キューバ人組織「キューバ解放戦線」に所属.観光客として入国しながらキューバ批判のビラを撒いたため,国家反逆罪の容疑で逮捕されていた.

3.03 ドミニカ訪問中のフジモリ大統領,キューバのハバナに移動する.空港にカストロ首相が出迎える.カストロ首相は,正式な要請があればMRTAのメンバーを受入れる用意があると表明

3.4 サンテールEU委員長,ベルギー訪問中のオルブライト国務長官と会見.へ・バ法の見直しを強く求める.

4.11 米国とEUとの間に合意成立.EUはヘ・バ法に関するWTOへの提訴を取り下げる.EUは没収された資産に投資させないよう国際共同制裁を強化することに同意.クリントンは第4条の欧州企業への発動をさけることで同意.

4 ハバナ最新のホテル,メリア・コイーバのディスコで爆弾テロ.一連の爆弾テロのさきがけとなる.

97年5月

5.03 カストロ,グランマ紙との会見で,非効率な製糖工場の閉鎖を提起.「850万トン生産するためにコストが高くなるなら,,経済的計算を行い,もっと少なく生産するほうがよい」

5.12 オーストラリア人女性,フロリダ海峡横断遠泳に挑戦.ハバナを出発して24時間でキーウェストに到着.

5.17 アスンシオンでリオ・グループ(政策協議調整常設機構)外相会議.米国のキューバへの経済的締め付けや麻薬対策強化を口実とした一方的な制裁に対し「国際法違反」と拒否する声明.「麻薬取り引きとの闘いにおける合否判定プロセス」で「不合格」とされたコロンビアのメヒア外相は,「われわれは社会的,経済的な性格を持つ一方的な措置に全面的な拒否を準備している」と語る.

5.24 メキシコとバハマのキューバ観光事務所で爆破事件.

5月 住宅賃貸業が許可される.外国人滞在者への賃貸もOKとなる.

5月 ハバナ近郊のワハイとベロアなど4地区に保税地区がオープン.

5 「反体制活動グループ」,国内で外国人記者と会見.「故国はわれらすべてのもの」という文書を発表.国内の黒人反カストロ勢力,マセオ主義尊厳運動を組織.国連事務総長あての文書に千名以上が署名.「キューバ問題の根元はアメリカとの関係にあるのではなく,カストロ政府と人民との矛盾にある」と声明.

6.5 アンダーソン,NYタイムスに「バジェグランデで二人の遺体が発見された」と発表. 

6.11 ヘ・バ法のいっそうの強化を目指す「外交政策改革法」が下院を通過.

6.16 キューバ政府,新中央銀行の設立を承認.金融・会計業務の近代化を目指す.市場経済への移行については否定.

6.18 下院議員12名が超党派で「1997年キューバ人道貿易法」を提案.経済封鎖を緩和し,キューバへの医薬品や医療機器の輸出を認めるよう求める.政府は「現在キューバ国民が直面している人道上の事態は,野蛮な全体主義体制の性質から来るもの」と反論.

6.27 EU,人権状況に改善が見られないとして,キューバとの経済協力凍結を6ヶ月間延長.

6.28 ゲバラと6人の同志の遺骸が,バジェ・グランデの旧滑走路の下から発掘される.

6.29 マイアミ・ヘラルドがキューバ系アメリカ人を対象に世論調査。45才以下の大多数は、「キューバとの国民的な対話を確立すること」を支持。それより上の世代は反対の意向を示す。

97年7月

7.01 米国務省の外交資料「キューバ・62〜63」が解禁される.マフィアにカストロ暗殺を依頼したCIAの文書も含まれる.

エドワーズCIA治安部長(当時)のメモによれば,幹部の指令を受けエージェントがジアンカーナの腹心と接触して暗殺を依頼.「15万ドルは作戦終了後に支払う」と約束.ジアンカーナ側は「金は不要だ」と述べて作戦を受諾.支度金として1万1千ドルが支払われたという.さらにメモは「暗殺計画はホワイトハウスには報告されず,計画を知るのは6人だけ」と書かれ,ホワイトハウスには報告されなかったことなどが明らかになる.「依頼主がCIAであることは秘匿されたが,彼らは気づいたようだ」と述べている.

7.05 バジェグランデで両手を欠損した人骨を発見.ゲバラの死体は指紋照合のため両手が切断されていたことが確認されている.

7.12 ハバナのホテル・ナシオナルとカプリで,しかけられた爆弾が破裂.爆弾はロビー内の電話ボックス周辺に放置されていた.カプリ・ホテルではウインドー・ガラスが粉々になり,何人かがガラス片でケガ.

7.13 ゲバラの遺骨,ハバナのキューバ空軍基地に到着.カストロら党首脳が出迎え.

7.16 ブラディミロ・ロカら反体制活動家4人,複数政党制の導入など民主化を要求し,選挙への不参加を訴える文書「祖国はすべての人に」を撒き,反国家宣伝の罪で逮捕される.ほかアグラモンテ独立法律家協会,「キューバ和解」(Concilio Cubano)指導部にも一斉取り締まり.

7.16 クリントン,みたびへ・バ法第三条の発動を延期.

7 米国籍の飛行機,キューバ上空で害虫トリプス・パルミを撒布.農作物に大きな被害をもたらす.

7月 グルポ・ドモス社,「財政上の理由」で,キューバ電話業務への投資を中止すると発表.イタリアのステート社,グルポ・ドモスに代わりキューバの電話事業に進出すると発表.ヘバ法三条の適用を避けるため,ITT社と交渉に入る.ヘルムズ議員は,「キューバへの投資に米国の旧資本家の合意が必要になった」ことを歓迎.

7月 共和党タカ派のギングリッチ議員,ヘ・バ法の入国禁止条項が正確に適用されていないと,政府を非難.

97年8月

8.04 スペイン資本の経営するハバナのホテル「メリア・コイーバ」で爆破事件.建物の一部が破壊されるが怪我人はなし.

8.09 カストロ,ラジオ放送で演説し,社会主義体制の堅持を強調する.7.26に演説しなかったことから流れた重病説を否定するのが狙い.

8.13 CANF,マイアミの「ヌエボ・ヘラルド」紙に爆弾テロを支持する広告を掲載.「キューバ市民は,自由を求める他の国の市民と同じように,いかなる武器であっても手に取る権利を持っている」と.CANF総裁フランシスコ・エルナンデスは「これらの行動がテロかどうかは問題ではない.なぜなら自由を求め闘う相手がテロリスト国家そのものだからだ」と発言.

8.19 下院共和党議員で,国際経済政策・通商小委員会のイレアナ・ロス・レーティネン議長,キューバ制裁強化法案を提出.キューバと自由貿易協定に署名する国に対し,人道主義の援助以外の対外援助,通商特恵を禁止する内容.カリブ共同体諸国は,加盟国がこの法案によってなんらの影響を受けないことを強調する声明.

8.19 米政府,来年のローマ法王のキューバ訪問に合わせ,一時的に旅行制限を軽減すると発表.カトリック教徒は米本土からの直接渡航を認められる.また訪問にあわせた教会の慈善活動を認める.

8 キューバ,ソ連崩壊後中断していた第14回世界青年学生祭典を開催.日本民主青年同盟など,136カ国から1万2千人がハバナに結集.

8 サルサ・バンド「ラ・チャランガ・アバネーラ」,野外コンサートで好ましくない言動があったとして6カ月間の活動停止処分.

8 米国務省,「法王の訪問はキューバ国民に人権尊重の必要性と希望を与える」と声明.マイアミ大司教区による巡礼団の派遣を許可.

97年9月

9.01 8月8日以来公式の場に出なかったカストロ,市内の学校で45分にわたり演説.この間重病説,死亡説が飛び交う.カストロは「失脚した,誰が失脚した? 死んだ,誰が死んだ?」と切り出す.

9.04 もう一人のエルサルバドル人オットー・レネ・ロドリゲス・ジェレーナ,メリア・コイバ・ホテルに爆弾を仕掛ける.

9.05 未明,コパカバーナ,シャトー,トリトンの三つのホテルと料理店ボデギータ・デル・メディオで爆破事件.続いて革命広場,革命宮殿,ヘミングウェーの旧宅などに小型爆弾による連続爆破事件.コパカバーナ・ホテルのバーにすわっていた32才のイタリア人商用者一人が,飛んできたガラスの破片が刺さり死亡.手口は7月のものと同じ.

9.12 キューバ当局,ハバナのホテル連続爆破事件の容疑者としてエルサルバドル人青年を逮捕したと発表.彼を雇ったのはキューバ系米国人の団体であり,爆破が成功する毎に4,500ドルが支払われることになっていたと指摘.

9.16 連続ホテル爆破事件で,警察により逮捕されたエルサルバドル国籍の人物がテレビに出演.この男はラウル・エルネスト・クルス・レオンと名乗り,「エルサルバドル国内で観光施設のリストを渡され,行動を指示された」と告白.しかしボスの名は明かさずに終わる.クルスに代わり登場した防牒部のアダルベルト・ラベイロ大佐は,この犯罪が麻薬業者とテロリスト組織によるものであるとし,資金はCANFに供給されたと話す.

9.16 CANF(キューバ系米国人全国基金),爆破教唆の容疑を否定.「国内の反カストロ活動家の犯行をCANFのせいにしようとしている」と非難.キューバ情報部は「すでに爆破を指示したものの名前は聞き出しているが,現在証拠固めの段階であり,発表できない」と声明.

97年10月

10.08 ハバナで第五回党大会開催.カストロは7時間近くにおよぶ演説で,ソ連崩壊後の厳しい時期を乗り越えてきたこの間の活動を総括.キューバ共産党の思想を「マルティと民族解放の思想に,低開発・新植民地主義支配への唯一の対抗思想としての社会主義を融合したものである」と述べた.そして「生き残るためにあらゆる改革を進めるが,社会主義は放棄しない.最後の一国になっても社会主義を貫く」と述べる.また個人営業とドル使用を厳しく批判.中央委員会報告では砂糖生産700万トン,ニッケル10万トンの生産,観光客200万人,観光収入26億ドル以上を目標として提示.

10.09 カルロス・ラヘ政治局員が経済問題報告.「社会主義は正義であるだけであるばかりでなく,効率であり,品質でなければならない.効率的でないものは,社会主義ではなく,品質が悪いものは生産してはならない」と厳しく警告.

10.10 「団結した党,民主主義,人権こそわれわれの守るべきもの」という党大会決議案を採択.「自らの道と歴史的伝統を守り抜き,他国の自立を尊重するとともに,われわれの自立も尊重するよう」求める.

10.11 6人の新任をふくむ24人の政治局員と,150名の中央委員会を選出(前期より75名減少).8人の古参党員が引退.トレス政治局員(砂糖産業相)は砂糖生産低迷の責任を問われ解任.後任にウリセス・ロサレス第一国防次官兼参謀総長.

10.17 ゲバラの国葬.カストロはじめ数千の人々が見守るなか,サンタクララに遺骸が埋葬される.

10.27 米国船籍のヨット『ラ・エスペランサ号』,プエルトリコ南西のカボ・ロホ沖合いで故障・浸水.救難信号を発し,沿岸警備隊に保護される.乗組員の供述に疑いを持った沿岸警備隊は,アグアディージャの警察用ドックに曳航.税関が立ち入り検査を行う.船内の偽装された隠し場所から,50口径の軍用狙撃ライフル二挺と70ラウンドの弾薬,暗視スコープ,迷彩服,通信装置などが発見される.

10.27 武器の不法所持の疑いで逮捕されたアルフォンソらは,その後の尋問で,『カストロ暗殺のための武器』と自白.カストロは,11月7日からベネズエラのマルガリータ島で開催予定のイベロ‐アメリカ・サミットに出席ことになっており,そこでカストロを暗殺するため潜入を図っていたことが明らかになる.

ラ・エスペランサ号
全長46フィートの大型ヨット.乗組員はアンヘル・マヌエル・アルフォンソ・アレマン(58),アンヘル・エルナンデス・ロホ,フアン・バウティスタ・マルケス,フランシスコ・セクンディノ・コルドバの4人.キューバ当局の発表によれば,アルフォンソはユニオン・シティーの「元キューバ人政治囚協会」の会長で筋金入りの右翼活動家.ロホは70年代のマイアミにおけるCIAのトップ・エージェントであり,マルケスはフロリダからキューバに潜入するためのCIA所有の艦船「スーパーフリーザー」の船長である.セクンディーノはフロリダ在住のアルファ66活動家.
エスペランサ号は数週間前にマイアミを出港し,その後「行方不明」になっていた.船の持ち主はフロリダのノーティカル・スポーツ社の所有.社長はホセ・アントニオ・ジャマ(Llama).
船は出港直前まで,ジャマの友人マルコ・アントニオ・サインスの所有するヨット・ハーバーに係留され,ここで船底を二重にする改造修理を受けていた.サインスはドックは貸したが,エスペランサ号の航海目的については知らなかったと証言.しかし,サインスはフェリシアーノ・フォージョ(Foyo)とともにフロリダのファルコン・ケミカル会社を経営している.フォジョはCANFの会計責任者である.

10.28 ジャマ,プエルトリコに飛び,警察と面会.この船は,出港直前に売却されたものであると主張.ジャマはピッグス湾事件の参加者で,CANFの幹部.スペイン政府にヘ・バ法を認めさせるために,マドリードに作られたロビー団体の創設者の一人でもある.(10年後、ジャマは罪を公に告白した。この文書は現在翻訳中である)

10 ベネズエラで第7回イベロアメリカ首脳会議開催.「民主主義の推進」を謳う共同宣言と,経済封鎖の解除を求める決議.アルゼンチンとニカラグア,99年キューバ開催予定の首脳会議へ不参加を表明.

10 国連内でロバイナ外相とリチャードソン米国連大使が会談.

97年11月

11.2 国連総会,6年連続で経済制裁解除を求める決議採択.日本も初めて賛成に回る.

11.08 米国人ウォルター・バン・デル・ベールに懲役20年の判決.報道によれば彼は52歳で反共軍事組織「コマンドA」のメンバー.マイアミのコラル・ゲイブル社に籍を置いていた.昨年半ば,ゲイブル所有のボートに乗りマイアミを出発,キューバに潜入.カストロ暗殺をねらい活動を続けていた.観光客を目標にガソリン爆弾を仕掛けようと計り逮捕された.

11.10 米司法当局,エスペランサ号の容疑者の保釈を認める.ブエルトリコの連邦地検は彼らが危険な存在で逃亡の恐れがあるとして,保釈に反対.

11.18 米国防情報部(DIA)がキューバに関する調査報告を発表。「キューバは、アメリカおよび米州諸国への重要な軍事脅威とはなっていない」との結論。

11 マイアミ・ヘラルド紙,キューバ系米国人がハバナのホテル連続爆破事件に参加していたことを明らかにする.報道によれば爆弾事件の背後には「バンビ」と呼ばれる亡命キューバ人が存在.グランマの追跡報道によれば「バンビ」は本名ルイス・ポサダ・カリレス.

ルイス・ポサダとは?
 元バチスタ警察の幹部で,亡命後米軍のレンジャー部隊大尉を勤め,破壊活動と爆発物の専門家.エアロ・クバーナ機爆発事件の犯人で,一時ベネズエラ当局に拘留されたが,ボッシュ,マス・カノーサ,フェリックス・ロドリゲスらの手により,サンカルロス刑務所からの脱走に成功.
88年のイラン・コントラゲート調査では,オリバー・ノースはじめ米政府関係者が,脱獄とその後の活動に援助を送ったことが明らかになる.カリレスは米国務省職員として採用され,エルサルバドルのニカラグア人道援助局の局長補佐に任じられる.その後エルサルバドルのイロパンゴ基地に拠点を置き,CIA要員として中米各地で活動.エルサルバドルではラモン・メディーナ,グアテマラではフアン・リバスの偽名を用いる.紛争終結後は「バンビ」の偽名を用い,画家として売り出す.

11.17 国務省,イスラエルのB.Mグループをヘバ法侵害と認定.同社の関係オフィスを米国領土から追放.

11.23 CANFのボス,ホルヘ・マス・カノーサが癌のためマイアミで死亡(58才).

11月 クリントン政権,ミラマール保税地区にショッピング・センター建設を進めるイスラエルのBMグループに,ヘ・バ法に基づき警告の書簡を送る.

11月 ワハイ,ベロアにつぎ,マリエル港にも保税地区がオープン.

97年12月

12 今年度の経済成長率は砂糖の不作により2.5%にとどまる.前年度は7.8%.観光客は120万人に達する.石油採掘,鉱山開発,自動車販売,農漁業など広範な部門に中南米,ヨーロッパを中心に四十数カ国からの投資が実現.コメを除いてすべの農産物が市場で自由価格で販売され,流通量は大幅に増加した.運輸,生活関連サービスなど百数十種の個人営業が許可され,個人営業は20万を超える. マセタースと呼ばれる成金が現れ,国民の間にこれまでにない所得の格差が生まれている.国民の一割が現金の七割を所有し,6%の預金口座が全預金額の65%を占めている

12 フロリダ選出上院議員ロバート・グラハム,キューバを「国家の安全への脅威」とし,議会への定期的なキューバ情報の提供を国防省に義務づける法律を提案.

12 米政府,マイアミの大司教区から提出された「法王来訪にあわせてチャーター船をキューバまで走らせる」申請を認可.他の宗教団体やメディアから出されたチャーター便申請についても認める.

 

 

1998年

98年1月 ローマ法王のキューバ訪問

1.11 任期五年の国会議員選挙実施される.投票率は98%に達する.

1.17 クリントン,へ・バ法第三条の適用見送りを発表.同時にキューバ民主化の圧力を引き続き強める声明.

1.20 元ハバナ司教補佐で,亡命後カストロ批判をくり返してきたエドワルド・ボサ,一時帰国して「慈しみの聖母」教会でミサ.カストロ政権との和解を呼びかける.

1.20 米国防総省,グアンタナモ基地内に敷設した対人・対戦車地雷5万個を撤去したと発表.

1.21 法王,ハバナ到着.「国民が希望のある未来を目にすることができるように,キューバはそのすばらしい可能性をもって世界に向けて心を開き,世界もまたキューバを迎え入れるように」と挨拶.カストロは「あなたは平等で人種差別のない理想の国にやってこられた」と歓迎の挨拶.

1.22 サンタクララで最初の公開ミサ.20万人が参集.ヨハネ・パウロ二世は米国の経済封鎖とキューバの家族崩壊をともに批判し,ホセ・マルティの言葉を引用して家族の愛を説く.

1.22 クリントン,法王のキューバ訪問を「民主化の一歩となる可能性」の一つとして歓迎するとの声明.ハバナの政権が態度を改めるなら,関係修復もありうると示唆.

1.23 法王,カマグエイで野外ミサ.同時に発表された「青年へのメッセージ」では「米国の経済制裁は弱者を傷つけるだけ,いかなる場合であろうと嘆かわしいことだといわざるを得ない」と発言.

1.23 カストロ令嬢のリナ・フェルナンデス,スペイン政府に対し政治亡命を申請.

1.24 法王,サンチアゴで第三回目の野外ミサ.地元のペドロ・メウリセ大司教が現政権を厳しく批判.「キューバ人の多くは祖国と政党を混同している.偽りの救世主信仰を見抜くことが必要である」

1.25 ハバナのホセ・マルティ革命広場で百万人が参加する野外ミサ.「資本主義は人類を見えざる市場原理に従属させるだけ.それがふたたび台頭しつつある結果,少数の富める国はますます富み,多数の貧しい国は貧しくなる一方だ」と批判.また「他国からキューバに加えられている経済封鎖は正義に反しており,容認できない」と強調.集会にはカストロも列席し,式典は全国にテレビ中継される.

1 キューバ,三歳以下の児童50万人に対するポリオ生ワク撲滅作戦を開始.メキシコの国際ロータリー・クラブがワクチンを人道的供与.

1 米商務省の肝いりで,キューバとの人道的貿易を目指す米国人連合」が結成される.財界人,宗教界,ロビースト,下院議員,元政府官僚など多彩な人々が参加.

98年2月

2.08 ロバイナ外相,数百人の政治犯が釈放され,国内法規を守る限り行動の自由が保障されると発表.

2.13 「グランマ」,法王側から提出されたリストに基づき服役囚300人を釈放したが,70人については「テロリスト」「反革命分子」として釈放を拒否.

2.24 第二次独立戦争103周年を記念して第五回人民権力全国議会が開催された.フィデルが任期五年の国家元首に満場一致で再選された.議会はリカルド・アラルコンを議長に選出した.国家評議会にはフアン・アルメイダ革命司令官,アベラルド・コロメ内相,カルロス・ラヘ閣僚会議執行委員会事務局長,エステバン・ラソハバナ市共産党委員会第一書記,ホセ・ラモン・マチャド党組織担当書記,ホセ・ミジャル・バルーエコス国家評議会書記長など31人が選出される.

2月末 カナダのシェリット・インタナショナル社,キューバ国内で1億5000万ドルの天然ガスプラントの建設と,3800万ドルを携帯電話会社に出資する計画を発表.

2月 グラミー賞のトロピカル部門でキューバ国内制作の「ブエナビスタ・ソーシャルクラブ」が最優秀ディスクに選ばれる.またジャズ部門ではチューチョ・バルデスが結成したジャズバンド「ハバナ」が最優秀賞を獲得.

2 グアテマラとキューバ,国交を回復.ホンジュラスのカルロス・フローレス新大統領,キューバと外交関係回復に先立ち領事の交換を実現することで合意.

2 「トラバハドーレス」紙,97年度のタバコ輸出が約1億ドルに達したと報告.

2 オスマニ・シエンフエゴス観光相,97年度の観光客が117万人に達したと報告.これは前年比16.5%の伸び.カルロス・ラヘ,観光は外貨獲得だけでなく雇用や地方産業の振興のためにも最も重要な産業となっていると強調.合弁の観光事業は60社に達し,外貨収入は14億ドルとなり,砂糖による収入をしのぐ.

98年3月

3.15 ボストンのベルナルド・ロー枢機卿,ハーバード大学で講演.対キューバ経済封鎖をクリントンが再検討するよう要請.

3.20 オルブライト国務長官,経済封鎖の一部緩和案を発表.@キューバ出身者の里帰りと人道物資輸送のための直行便の再開.A米国からキューバの家族への年間1500ドルまでの送金許可.B食料供与のための法案作り.C医薬品の輸出手続の簡素化.

3.26 キューバ政府,日本の民間銀行団とのあいだに新協定.これまで通商,投資関係改善に関する主な障害となっていた,累積債務7億6900万ドルについて,リスケの方向を出す.

3.28 ロバイナ外相,米国政府が対キューバ禁輸を維持する限り,直接の人道援助を拒否すると述べる.

3.31 ウィリヘルム南方軍司令官,議会公聴会で「キューバの軍事力はもはや米国の安全にとって脅威ではない」と証言.高級幹部はキューバ当局との積極的な接触を求める.

3月 国防総省は『キューバにおける軍部と民政移管』と題する報告書を議会に提出.キューバが歴史的移行過程にあり、懲罰的制裁よりもむしろ現在進行中の経済・政治改革を支援すべきとし,経済制裁の緩和を提言.国家安全保障会議(NSC)もこの報告を支持.

3 プレンサ・ラティーナのルイス・バエス記者,退役した軍指導者546人との会見をもとに革命後の軍の行動についての書籍を出版.アベラルド・コロメ現内相が62年にアルゼンチンのゲリラに参加したことなどが明らかになる.

3 カンクンでキューバと米国民間企業代表との協議.アラマー・コンサルティング社の仲介で約40人の米企業代表が出席.

3 日本とのあいだでリスケジュール(債務繰り延べ)交渉成立.87年より停止している日本企業約180社への総額約1000億円の債務支払い条件で合意.

3 キューバ,カリブ諸国連合執行委員会の副議長となる.

3 カナダのシェリット・インタナショナル社,昨年度の売り上げが22%,利益が12%増加したと発表.主な理由はモアのニッケル鉱山が記録的な増産を達成したこと,原油生産が日産1万バレルに達したことを挙げる.今後は天然ガスのプラント,セルラーフォンの普及に向け3800万ドルを投資する予定と述べる.

98年4月

4.07 クリントン,キューバがカリコムに参加するかどうかは,参加国の意思次第であると述べる.この間の柔軟化政策の一環と見られる.

4.07 ヨハネ・パウロ2世法王によって釈放を要請された,キューバの政治犯11人が,カナダに送られる.

4.18 チリのサンチアゴで第二回米州首脳会議開催.米州全体にわたる自由貿易圏(FTAA)の創設が議題となる.NAFTAの拡大を目指す米国に対し,中南米諸国は自主的な共同市場作りを主張.中南米諸国からキューバ排除政策への批判が相次ぐ.

4.20 EU,ヘバ法に関するWTOへの提訴を取り下げる.

4.21 ジュネーヴの国連人権委員会,6年間可決しつづけたキューバ人権政策非難決議(米国提案)を,16対19で初めて否決.米外交政策にとって重大な打撃となる.

4.21 キューバ,ドミニカ共和国と国交回復.59年以来の復交となる.

4.25 カナダのジャン・クレティエン首相がキューバ訪問.カナダの首相がキューバを訪問するのは22年ぶり.相互投資条約の障害となっている,米国旧資産収用問題についての協議を開始.またカナダ側からは人権問題,政治改革についても問題提起.

4月 カストロ議長、作家のガルシア・マルケスを特使として、書簡をクリントン大統領に送付する。

98年5月

5.06 コーエン国防長官,「キューバ軍は地域の安全保障にとって有意の脅威となっていない」とするDIA文書を議会に提出.

5.07 キューバ制裁に関する議会公聴会開催.全米小麦協会のダン・ジェルドス会長,経済封鎖のためにこの10年間で5億ドル相当の対キューバ輸出を失ったと発言.他にも多くの経済人が「経済封鎖は冷戦の遺物であり,葬られるべき」と意見を述べる.

5.18 米政府とEU,キューバの被接収資産への投資に対する罰則で合意.信用供与その他の拒否を含む.これと引き換えに米国はヘバ法第4条の実質的放棄を認める.この合意は米議会が第4条の放棄に合意した後発効することとなり,また欧州諸国への第三条適用が廃棄されることを前提とする.実質的には米政府側の全面譲歩.

6 欧州諸国,対キューバ経済封鎖の終了を求める.とくにヘバ法第三条について、国際経済原則に抵触する怖れがあると示唆.

6 亡命キューバ人右翼,グロリア・エステファンにたいして共産主義を擁護する裏切り者と脅迫.原因は,エステファンがマイアミ・ヘラルド紙に「いま基本的な自由が政治的理由で踏みにじられている.キューバ在籍アーティストを排除するのはもはや止めるべきだ.…他の人たちはキューバ系米国人を心の狭い人間だと見るだろう.…キューバから逃れてきた人々が経験した苦しみは理解できる.だからこそ,私たちはすべての者の自由を守らねばならない.たとえそれが個人的に痛みを伴うものであってもだ」

98年7月

7.10 もう一人のエルサルバドル人爆弾犯人オットー・レネ・ロドリゲス・ジェレナ,爆弾1.5キロを隠し持ち入国しようとし,空港で逮捕される.供述によれば,彼はエルサルバドルでイグナシオ・メディナから指導を受ける.メディナは本名をルイス・ポサダ・カリージェスといい,CANFとつながる亡命キューバ人.

7.12 NYタイムス,ルイス・ポサダ・カリジェスとインタビュー.彼がCANFの指示の下に,永年キューバ国内における破壊活動とカストロ暗殺を企ててきたと指摘.ポサダはクルースが彼の配下にあったこと,ホテル連続爆弾テロがCANFの計画に基づくものであったことを認める.さらに現在もなお,いくつかの破壊活動が進行中であることを明らかにする.

7.26 カストロ,サンチアゴのモンカダ記念集会に出席.猛暑の中5時間にわたり演説.

7.30 カストロ,ジャマイカなどカリブ三ヵ国を歴訪.ジャマイカのパターソン首相はキューバのOAS復帰を支持する発言.ジャマイカではシアガ元首相とも会見.グレナダでは米軍侵攻時に犠牲となった労働者24人を慰霊.

7 米紙,カストロが脳疾患におかされていると報道.

98年8月

8.04 ハバナ市内のホテルに爆弾を設置しようとしたエルサルバドル人レネ・ロドリゲスが逮捕される.その後,彼の供述により,キューバに爆弾を持ちこんだ3人のグアテマラ人も逮捕される.

8.23 カストロ議長,CARICOM首脳会議出席(オブザーバー)のためドミニカ共和国を訪問.ドミニカ政府は「CARICOMにキューバ加盟は不可欠」と発言.訪問中,カストロとバラゲール前大統領が歴史的会談.その後カストロはジャマイカ,バルバドス,グレナダを歴訪.

8.24 CANF指導者の一人ホセ・アントニオ・ジャマ(67)をふくむエスペランサ号事件の7被告,プエルトリコで審理を開始.プエルトリコ当局はカストロ暗殺を企てた罪でキューバ人亡命者7人を起訴.

8.29 キューバ機,キト空港で離陸に失敗して市街地に墜落.乗員・乗客のほか住民合わせて死者83人を出す.補償金は1人最高2万ドル.

8.31 カストロ議長,ブラジル訪問.ブラジルの常任理事国入りを支持すると発言.

8月 政令187号「企業改革の一般的基礎」が発表される.*適正規模への企業の分割.*企業への経営決定権の分与.*独立採算制の厳守.*労働力の適正再配置.*一定の内部留保の承認,などを柱とする.

98年9月

9.01 世界食糧計画,キューバの干魃に対する援助として,総額2千万ドルの拠出を求める.米国は,援助がキューバの政府を通さない場合にのみ支援すると表明.カストロは,政府の手を通さない支援は拒否すると声明.

9.01 対日債務の返済でキューバ中銀と日本の債権企業28社が合意.返済は20年間で総額7億5000万ドルにのぼる.支払は10月から実施される.

9.07 米国務省,企業家グループ(65人)のキューバ視察への許可を取り消す.

9.07 女性反政府活動家4人を逮捕.翌日には釈放.

9.09 モハメッド・アリがキューバ訪問.医薬品を小児病院に寄贈.

9.14 FBI,キューバ側のスパイ10人を逮捕したと発表.

9.15 元INRA事務局長ヌニェス・ヒメネス,心臓病で急逝.埋葬にはカストロ議長も参列.

9.16 砂糖省,98/99年度のサトウキビ収穫予想を発表.目標達成は厳しいが前年度実績を上回る見込み.対外協力省,外国投資の現況報告.外資合弁企業340以上が活動,また120プロジェクトが検討中という.また東南アジア市場向けの医薬品の製造販売の拠点作りでマレーシア投資を検討していることが明らかになる.観光省,今年8月末までの旅行者数は93万6400人で,年末には143万人に達する見込みと発表.

9.16 オルギン県などキューバ東部地方でエルニーニョによる干ばつ被害.農業被害は1700万ドルに達する.政府は農民救援に300万ドルを手当てするとともに,世界食糧計画機構に協力を要請.世界食糧計画機構は61万5000人に対し総額2000万ドル相当の食糧援助を10月から実施へ.

9.21 チェ・ゲバラと共に戦死した女性「タニア」の遺骨,バジェグランデで発掘される.遺族の希望でキューバへ搬送されることとなる.

9.22 フランスとのあらたなバーター取引協定が成立.ニッケルおよび砂糖をフランス穀物と交換.

9月末 EUのレオン・ブリタン国際局長,米=EU合意の議会での批准を推進するため訪米.ヘバ法支持者は,「新協定はキューバの旧米国籍企業への誤った投資を防ぐためには不十分」として反対.

9 レネ・ロドリゲス,キューバにダイナマイトを持ちこもうとして逮捕される.

98年10月

10.13 ジョン・ワーナー共和党議員ら23人の上院議員,「現在のキューバ政策が米国の利益とキューバ国民にもたらす効果について,多くの米国人が心配している」とし,(1)安全保障におけるキューバの危険性、(2)キューバが接収した米資産の補償、(3)制裁措置が米国にもたらす影響,について見直す超党派委員会の設置を求める.

10.14 国連総会,米国がキューバに対して単独で行っている経済制裁の撤回を求める決議を賛成157,反対2(米国とイスラエル),棄権12で採択.ロバイナ外相は,「キューバは米国の制裁により計600億ドルの損失をこうむった.1千万国民の物資が不足し,正常な発展を妨害している」と非難.バーリー米大使は,「キューバ政府が人権と自由を否定している.制裁は平和的な民主化を促す政策の一環」と反論.

10月 キッシンジャー,イーグルバーガーら3名の元国務長官と20名の国会議員が,対キューバ政策の見直しを求めるクリントン宛の共同書簡.キューバ系米国人らが強く反対したため,政府は設置を見送る.

10月 米国内においてキューバ国籍を持つ10人が逮捕される.容疑はフロリダの米軍施設とCANFに対するスパイ活動.

11.5 CANFとキューバ人権基金,キューバの独裁体制による犠牲者数は1万8000人に及ぶとし,カストロ兄弟やシエンフエゴス観光相らを大量殺害,拷問で裁くようスペイン最高裁に提訴.

11.19 スペインの全国管区裁判所のモレノ判事,カストロの人権抑圧疑惑は大量殺害,拷問や国家テロに当たらないとの判断を示して,キューバ人権基金がスペイン当局に出した訴えを却下.

11月 ニューヨーク・タイムス,禁輸措置の早急な解除と,対キューバ政策の見直しを求める社説を掲載.

98年12月

12.13 プエルトリコで米国への帰属を問う国民投票実施.「その他」が50.2%で,「州昇格」の46.5%を超える.「独立」派は93年の4.4%から2.2%に下がった 

12.24 マンサニージョ労働者党の幹部としてキューバ共産党の創設にかかわったホセ・メンドーサ(94)が死亡.

12.25 クリスマス休日が正式復活.

 

1999年
99年1月

1.01 サンチアゴで革命40周年記念式典.カストロ議長は,「投機的資金がこの天体を巨大なカジノに変え,経済危機を引き起こしている」と述べて資本主義からの革命の防衛を国民に訴える.

1.04 キューバ中銀総裁フランシスコ・ソベロン,今年7月1日から決済通貨をユーロに切り替えると発表.「ユーロは価格の透明性を増し,金融コストを下げ,年間26億ドルに達する為替差損をセーブし,交換レート変動のリスクを解消する.何よりも決済にドルを使わずにすむのは福音だ」

1.05 カストロ,革命40周年を迎えて国家警察(PNR)5000人を前に演説.6日未明まで5時間におよぶ.犯罪が革命の脅威となっているとし刑法改正を訴える.

1.05 米政府,対キューバ制裁を大幅に緩和する第二次規制緩和措置を発表.またオリオールズ球団とキューバ・チームが,ハバナとボルチモアで試合を行うことを許可.当局はキューバ政府との関係改善を意図したものではなく,制裁は今後も維持すると語る.上院が提起した「キューバ政策の見直し」委員会の設置については拒否.

第二次緩和策の柱
@教会,レストラン経営者など非政府組織を対象とした食品・農産物販売の許可,A郵便物の直接配達の再開,B米国市民のキューバ送金を許可,C農産物・農業資材(種子・肥料など)の売却許可,Dチャーター便の運行数と離発着都市のマイアミ以外への拡大など.
これまでキューバに親族を持つ者に限り,月額300ドルまでの送金が認められていたが,今後はすべての米国人と非政府組織のキューバ送金(年1200ドルを上限)を認める.
米国市民がキューバに親族訪問する場合は,自動的に渡航許可が与えられ,1日183ドルまでのドル使用が認められる.

1.06 米下院議員ホセ・セラーノ,トリセリ法とヘ・バ法の撤回をもとめる法案256号を提出.下院国際関係委員会で審議開始.

1.08 キューバ政府 米の「一部制裁緩和」は実際には制裁強化であるとし,評価を拒否の意向 全面解除を要求へ.

1.14 米国農業連合は,米政府による対キューバ制裁の解除を求める決議を採択.

1.14 コロンビアのパストラーナ大統領,3日間の日程でキューバ入り.ゲリラとの和平プロセスでカストロ議長が重要な役割を果たしたと評価.

1.17 カストロ,チャベスとパストラーナとの会談がハバナで行われる.カストロとチャベスはコロンビアの和平交渉に強い支持を表明.

1.18 モスクワ訪問中のロバイナ外相,米英のイラク攻撃を非難するイワノフ外相との共同声明を発表.

1.18 ハバナで4日間にわたり「グローバル化と発展」と題するフォーラムが開催される.呼び物はカストロが議長を務めたシンポジウム.ダニエル・ミッテルラン,ルイス・イグナシオ・ルーラ,メキシコPRD幹事長のポルフィリオ・ムニョスなどがシンポジストを勤める.

1.20 米司法省,プエルトリコ地区判事に,カストロ暗殺計画事件の裁判をマイアミに移動しないよう要請.7人の被告はいずれもマイアミに本拠を置くキューバ系アメリカ人.被告の弁護人は裁判をマイアミに移動するよう申請,判事もこれを認める.

1.23 ローマ法王,教書を発表.グローバル化が単に市場原理だけに支配されるものなら,それは米国のネオリベラリスムを力づけるだけであり,世界の人民にとって否定的な結果をもたらすだろう.それがイデオロギー的な押し付けとなれば,社会的弱者を苦しめる武器となるだろうと警告.

99年2月

2.12 フランス裁判所,カストロが麻薬取引に関与しているとの告発を受理.告発は89年に処刑されたアントニオ・デ・ラ・グアルディア大佐の娘によるもの.

2.16 国会,刑法改正および新法案「国家独立・経済保護法」を承認.米国による破壊的情報にアクセスし,所有し,配布することを犯罪と見なす.麻薬,強盗などの一般犯罪にも死刑適用する.爆弾犯への適用を認められる.

2.17 キューバ政府,国内の反政府活動家に対する取締りを開始.

2.18 米下院黒人議員連盟(Black Caucus)の一行,経済封鎖の影響調査のためキューバ訪問.メンバーはカリフォルニアのウォーターズとバーバラ・リー,テキサスのジャクソン・リー,インディアナのジュリア・カーソンその他.

2.22 キューバ検察当局,クルスに対して死刑,共犯者ロドリゲスに30年の禁固刑を求刑.

2.23 「キューバとの人道的交易を目指す米市民連合」(AHTC),クリントン政権に対し食糧・医薬品を禁輸品目から除外するよう要請.元下院議員の有志もこれに同調.ジョージ・フェルナンデス議長は語る.「キューバに対する禁輸は最も厳しいものである.イラクさえ,米国から食物や薬を買うことができる.キューバ系アメリカ人の多数派代表として,キューバ国内の家族や子供が生活の基本を否定されることを座視はできない」

2.23 キューバ国内の五つの反体制派からなる「穏健反対派円卓会議」,併合主義者との批判を拒否.

99年3月

3.1 ロカら反体制派活動家4人に対する裁判で,禁固5〜6年が求刑される.罪状は扇動により国家の安全を損なったこと,選挙を妨害しようとしたこと,米国の反カストロ・テロリストからの支援を受け取ったことなど.裁判を傍聴しようと外国外交官やマスコミが殺到したが入廷は許されず.キューバ人権と和解委員会のヘラルド・レジェスによれば,裁判開始を前に,国家独立防衛法を発動.反体制活動家,反政府派ジャーナリストなど34人が予防拘束.29人に外出禁止勧告.

3.02 当局,反体制派裁判の終了に伴い,検束中の支援活動家90人を釈放.

3.2 ハバナ利益代表部のマイケル・コザック代表は反体制派とのいかなるかかわりも否定.

3.8 キューバ国営テレビ,爆弾テロ事件のラウル・エルネスト・クルス・レオン裁判を1時間以上に渡って放映.クルスは,5つのホテルとレストランに爆弾を仕掛けたことを認めた.検察当局は死刑を求刑.同じくサルバドル人で同様の罪に問われたオットー・レネ・ロドリゲス・ジェレナムは30年を求刑される.

3.11 キューバ人民議会,刑罰を強化する刑法改正.死刑の適用が拡大され,懲役の最高も20年から30年に延長される.欧州議会,キューバの刑法改正に反対する決議を可決.ロカらの釈放をキューバ政府に要請.

3.15 反体制派活動家に懲役刑の判決.懲役5年の判決を受けたウラディミル・ロカは戦闘機パイロットでブラス・ロカの息子.懲役4年のフェリックス・ボンネは大学教授,同じく4年のレネ・ゴメス・マンサノは法律家,3年のマルタ・ベアトリス・ロケはエコノミスト.かれらは国内反対派の作業グループを形成していた.

3.15 各国の反応:カナダのクレティエン首相,キューバとの関係を見直さなければならないかもしれない.スペインのホセマリア・アスナル大統領,国王夫妻のキューバ訪問に影響を与える可能性がある.その他多くの国が,この秋のイベロアメリカ首脳会議への出席について再検討すると発表.

3.19 リオグループ外相会議,キューバの反体制派弾圧をめぐり意見が分かれる.南米諸国がキューバを非難したのに対し,メキシコ,コロンビア,パナマは内政不干渉を主張.

3.21 キューバ国内反対派「キューバの道」指導者メノヨ,キューバの人権抑圧は自己封鎖に等しく,ただちに止めるべきと発言.

3.23 クルスに対して銃殺刑の判決.エルサルバドルのカルデロン大統領,キューバと国交を持たないため,メキシコ政府を通じてクルースの減刑を要請.

3.28 ハバナのラテンアメリカ・スタジアムで,キューバ代表とボルチモア・オリオールズとの親善試合.延長11回,4時間を超える白熱した試合の末,オリオールズが3対2でサヨナラ勝ち.観客5万人.試合はキューバ全土にTV生中継される.

3 マイアミのキューバ人連合(反カストロ派50団体を結集)は,中米首脳に対し,イベロアメリカ・サミットに参加しないよう訴えるキャンペーンを開始.

3月 規制緩和措置にもとづき郵便サービスの再開.

99年4月

4.16 第2回カリブ諸国連合サミット,サント・ドミンゴで開催.ヘルムズ・バートン法の廃止を訴える.カストロ議長の護衛隊長が米大使館に亡命.

4.23 ジュネーヴの国連人権委員会(53か国),チェコおよびポーランドが共同提案したキューバ政府の人権侵害の非難決議を賛成21,反対20,棄権12で採択.メキシコは「決議案の内容が不十分」として反対し,これにペルーおよびベネズエラが同調.他方,エルサルバドルおよびコロンビアなどが棄権にまわる.

4.21 グアンタナモ収容中のキューバ人亡命者のうち12人がウルグアイに移住.ウルグアイ政府は国連人権委員会でのキューバ非難動議(チェコの提案)に賛成する方針を明らかにする.

4 「キューバ人地位調整法」改正.アメリカ領土に到着したキューバ人に,自動的に居住権を与える法律であるが,「いかなる手段で到着したキューバ人であっても」と解釈が拡大されて,キューバからの違法出国をあおる.キューバに高速艇で違法に入国し,一人8000ドルで違法移民を輸送するビジネスが生まれる.

99年5月

5.05 ボルチモアでキューバ代表とオリオールズとの親善試合.キューバの打撃コーチら6名が米国に亡命.キューバ側審判員ルイス・セサル・バルデス,球場内に乱入した反カストロ派を捕らえ投げ飛ばす.事件後の記者会見で,バルデスは乱入者を放任した警察を批判.

5月 学術・宗教関係者に対し,2年間有効の数次渡航許可.

5月 観光省傘下の多くの公団で,売春ツアーの容認など規律の乱れや腐敗が摘発され,幹部が更迭される.

5月 ロシアとの間で,フラグア原発の工事再開について合意.米政府は安全性に問題があると抗議.

6.20 革命後初めてプロテスタントが野外礼拝 5万人が参加する.

6月 政府,イベロアメリカ首脳会談を前にロベルト・ロバイナ外相を更迭.反政府活動家への対処問題からとされる.後任にフェリーペ・ペレス・ロケ.ロバイナは,02年にはキューバ共産党からも除籍される.

99年7月

7.11 米政府,米商業会議所ドナヒュウ会頭のキューバ訪問を許可.ドナヒュー(Donahue)会長は,共和党党員で,対キューバ制裁も含め一方的経済制裁の反対論者として知られる.同ミッションには複数の共和党議員らが参加し,キューバの企業関係者と会談するほか,カストロ議長との会談を希望.

7.15 フェリーペ・ペレス・ロケ外相,イベロアメリカ首脳会談のテーマを「経済のグローバル化」とすると発表.

7.24 当局,海上からの侵入を図った米国人4人を領海侵犯で逮捕.

7月 ユーロ通貨発足.キューバはユーロを貿易の決済通貨として採用すると声明.

8.03 米政府,ハバナ=マイアミ以外の路線について,直行チャーター便の就航を許可.ニューヨークとロスからキューバ行きチャーター便が就航.

8.04 米上院,医薬品と食糧のキューバへの輸出を解禁する提案を70対28で承認.

8月 オスマニ・シエンフエゴス観光大臣,省内の規律の乱れを理由に解任される.

8月 トーマス・ダシュル上院議員(民主党・サウス・ダコタ)とバイロン・ドーガン上院議員(民主党・ノース・ダコタ)がキューバを訪問.カストロと会談.「禁輸措置は米国農民に損失となっており,医療と食糧について直ちに封鎖を解除するべき」と語る.またニック・ランプソン下院議員(民主党・テキサス)も,同州農民代表とともにキューバを訪問.食糧輸出の開始を訴える.

10.25 キューバを訪問中のイリノイ州のジョ−ジ・ライアン知事,キューバ経済封鎖による孤立化政策は逆効果,と批判.

99年11月 エリアン君事件の始まり

11.10   米国務省のルービン報道官は「1999年央までのところキューバがコカインの密輸中継国とはなっていない」とし,密輸中継国リストからはずすむね発表.

11.14 イベロアメリカ首脳会議に出席するためキューバを訪問した,メキシコのロサリオ・グリーン外相,キューバ人権擁護国民仲裁委員会(CCDHRN)代表のエリサルド・サンチェスと会見.同じく会議に参加したスペインのアスナル首相は,反政府活動家のエクトル・パラシオスと会見.

11.15 ハバナで第9回イベロアメリカ首脳会議が開催.スペインのフアン・カルロス国王夫妻ら21か国の元首が参加する.エルサルバドルなど5か国の元首が欠席.「イベロアメリカとグローバル経済における金融情勢」をテーマとする.

11.16 イベロアメリカ首脳会議に出席したドミニカ外相,キューバと投資促進保護協定および麻薬防止取締り協定に調印.

11.22 13名の大人と6歳の子供一人(エリアン・ゴンサレス)を乗せた小型の船が,カルデナス近くからマイアミに向かう.キューバの沿岸警備隊は,この船を停船させ,航海を見合わすよう説得するが,一行はこれを拒否.警備隊は移民協定に基づいて,アメリカの沿岸警備隊に連絡.同船を保護し返還するよう依頼.

エリアン君密航のいきさつ: 首謀者ラサロ・マウネロ・ガルシアは,エリアン君の母エリザベスの内縁の夫.99年に違法出国して,その後再度違法入国し,キューバの刑務所に入っていた人物.

11.23 午後10時ごろ,エリアン君を乗せた船が転覆.エリアン君の母ら10人が水死.

11.25 タイヤのチューブにつかまって漂流していた大人2名が米キー・ビスケインに漂着.洋上を漂っていたエリアン君が漁船に救助される.

11.26 フロリダの移民帰化局は,「キューバ人地位調整法」は子供にも適用されるとして,審査の結論が出るまでエリアン君を親族に預けて「保護」する裁定.親族の名はラサロ・ゴンサレス,エリアン君の父の叔父に当たる.

11.27 キューバ在住の父親フアン・ミゲル・ゴンサレスはエリアン君の返還を求める.

11.29 カストロ議長,エリアン君の父親と面会.父親は密入国の計画について何も知らず,米国から要請を受けても,渡米して親権をめぐる法廷に立つ意思はないとする.

11.30 移民帰化局(INS)は,在マイアミの親族宅の保護の下でエリアンちゃんの永住権を認める.

11月 日本から政・財・官の60人を超える大型使節団(団長:三塚博代議士)が訪問.懸案事項だった短期公的債務問題に決着の見通し.

99年12月

12.04 ハバナで行われた抗議集会.カストロがメッセージを寄せる.「ただ一人,子供の未来に関する決定権を持つ」父親を支援し抗議運動を続けると宣言.

12.05 カストロ議長が72時間以内にエリアンちゃんを送り返すよう通告.ハバナでは,キューバ市民が米利益代表部の前で抗議行動.

12.05 マイアミで1日早い誕生日パーティー.エリアン君には自転車や野球グラブなどがプレゼントされる.

12.05 ニューヨーク・タイムス,97年11月のカストロ暗殺未遂事件に関して報道.一味のうち7人がCANFと関係を持ち,うち二人は過去にCIAの要員だったことを明らかにする.

12.06 エリアンちゃんが満6歳の誕生日.カストロ議長は,エリアン君が通っていた学校に行き,「学校へ,教室の机の前へ戻ってくるだろう」と演説.

12.07 米政府,エリアンちゃんの保護権は実父にあると認知.ハバナの米利益代表部前でキューバ市民1万人以上による抗議行動.

12.10 大おじがエリアンちゃんの米国亡命を申請.

12.15 エリアン君,マイアミのキューバ人街「リトル・ハバナ」にあるリンカーン・マルティー小学校に入学(1年生).同校は,エリアンちゃんが12年生になるまでの奨学金を出すことになる.

12.22 ハバナでエリアンちゃんの帰国を求める5万人の大規模な抗議行動.

12.23 米移民帰化局の担当者がキューバに渡り,父親のフアン・ミゲル・ゴンサレスと面会調査.父親の証言によれば,マイアミ在住の親族が,エリアン君を引き渡すよう電話で説得してきたという.その際現金200万ドル,車と家を提供すると提案.

12.30 エリアン・ゴンザレス君を訪ねた祖母2人が帰国.カストロ議長らに英雄扱いで迎えられる.

12月 ハバナ市でサンパウロ・フォーラム第5回会議が解される.ネオリベラリズムへの批判が集中.

 

 

2000年

00年1月

1.04 「グランマ」紙,エリアンちゃんを”国民の英雄”と評する記事を掲載.

1.05 移民局(INS),エリアン君を14日までにキューバに送還する決定.マイアミの親族に対して引き渡しを命令.CANFはエリアン君をマイアミに引きとどめるキャンペーンを開始.

1.07 親族が裁判所にエリアンちゃんの一時保護を訴える.

1.10 マイアミ・デイド巡回裁判所,祖父の一時扶養権を認める判決.

1.10 クリントン大統領=エリアンちゃんの帰還を決めた移民帰化局の判断を擁護.

1.12 ジャネット・レノ司法長官,入国の可否は移民局に関わる権限であり,巡回裁判所の判決は無効であると声明.

1.12 地方テレビ局,エリアン君が友達と遊んでいる場面を撮影.この中で「エリアン君がキューバに帰りたい」と言ったと紹介.CANFはテープを取り寄せ分析した結果,「キューバに帰りたくない」と言っていると強弁するが,視聴者の大半は帰りたいと聞こえると返答.キューバの放送局はこのテープを繰り返し流す.

1.14 ハバナの米国利益代表部前に10万人が集まり,エリアン君の返還を求める.

1.18 アルゼンチンのマラドーナ選手,コカイン中毒の治療を受けるためハバナ市のラ・プラデラ病院に入院.

1.18 米政府が40年ぶりに対キューバ制裁を緩和.食料品と医薬品について輸出制限を解禁.

1.19 親族がエリアンちゃんの送還に反対してマイアミの連邦地裁に提訴.

1.21 エリアンちゃんの父方と母方の祖母2人(在キューバ)が全米教会評議会の支援で米国入り.

1.25 反政府活動家のオスバルド・パヤ(教会関係者)とエクトル・パラシオス夫妻が,当局により拘留される.

1.26 祖母(2人)とエリアン君がマイアミで面会.

1.27 米移民帰化局,400ページ以上にも上る報告書をマイアミ連邦裁判所に提出.父親のゴンサレスは「親戚が提供するという現金は,恐らく教会から出たもので,彼らの生活は苦しい」と語る.

1.30 祖母たちは10日間の米滞在で,エリアンちゃんをキューバに連れ帰るとの目的を達成できないまま,キューバへ帰る.

00年2月

2.03 日本 対キューバ短期貿易保険を再開へ.

2.04 実父ゴンサレスさん,リノ米司法長官に「米移民帰化局が1月5日に”エリアンちゃんを実父に戻すべき”と判断したことに基づいて,息子を返して欲しい」との書簡.

2.08 ウルグアイのサンギネッテイ大統領,エリアンちゃんの処遇問題で仲介役を行う用意があると語る.

2.17 ベネズエラとの間で,シエンフエゴスの精油所近代化に関する覚書に調印.チャベス大統領は「この覚書は,ラテンアメリカとカリブをつなぐ土台となるもの」と語る.ベネズエラ国営石油(PDVSA),キューバ石油関連市場の半分を供給する合弁会社設立の検討にはいる.

2.25 昨年から審議中の裁判で,反体制活動家らに禁固刑の判決.

2.26 米政府,反体制活動家の有罪判決に抗議し,キューバ外交官を国外追放処分 カナダに追放.

00年3月

3.18 キューバ東部のフロリダ市でエリアンちゃんの帰還を求める抗議行動.6万人以上の参加.

3.21 マイアミの連邦地裁(モア判事),エリアンちゃんの亡命申請を却下.本件の権限は司法省および移民帰化局にあるとして,裁判所の管轄外との判断.

3.27 親族による社会へのアピール目的でエリアンちゃんがABC放送でインタビューを受ける.カストロ議長はこれを”非道なこと”と酷評.

3.30 ゴア副大統領,ボブ・スミス上議(共和党),ボブ・グラハム上議(民主党)およびコニー・マック上議(共和党)から提出されていたエリアンちゃんとその直属親族に永住権を与える法案を承認するよう議会に強く要請.

3.30 キューバ政府,エリアンちゃんの在キューバの家族,教師,クラスメイトや心理カウンセラーら28人の米入国ビザの発給を要請.

00年4月 エリアン君事件の終幕

4.03 キューバ政府,ハバナの米利益代表部前を,エリアンちゃんの帰還を求める記念広場とする.

4.03 移民帰化局,親族にエリアンちゃんの保護権はなく,在キューバの実父にあるとの結論.

4.04 米商務省は,エリアンの実父ゴンサレスさんと直系の家族5人に米入国ビザの発給を認める.

4.06 フアン・ミゲル・ゴンサレスさん,現在の妻と息子(エリアンちゃんの異母兄弟)と一緒にワシントン入り.「これが本当の家族」と語る.

4.07 米司法省 キューバ人少年を父親に引き渡すよう命令.

4.07 米政府,ゴンサレスさんとエリアンちゃんが対面できるよう,親族に同意を求める.

4.07 ワシントン・ポスト紙によれば,政府は親族が引き渡しを拒否すれば,警察官による強硬措置を採ることを決定.

4.08 ラス・トゥナスで,10万人以上の市民が参加して,「エリアンちゃんを実父に返せ」と訴える集会.

4.09 ギャロップ社の世論調査.回答者の60%がエリアン君のキューバ送還を支持し,また親族が拒否した場合に「実力行使を認める」とする人は59%に上る.

4.11 移民帰化局は,13日までにエリアンちゃんの実父に引き渡すよう親族に通告.

4.12 リノ米司法長官,マイアミのカトリック系大学の学長宅で,約2時間半にわたって引き渡しの件で交渉するが,結論出ず.

4.13 リノ米司法長官,午後2時までに,エリアン君をマイアミ郊外のオパラカ空港に連れて来るよう,親族に最後通告.エリアン君の返還阻止を叫ぶ亡命者の集会に4千人が結集.大伯父の家の周囲は“人間の鎖”で囲まれる.「エリアン・ゴンサレス防衛信託基金」には一週間で24万ドルが集まる.マイアミ市長は「連邦政府がエリアン君を強制的に送還しようとしても市警は協力しない」と言明.郡当局者も「混乱が起きた場合,責任は司法長官と大統領にある」と発表.

4.14 親族は控訴裁判所に,米政府の引き渡し命令の差し止め請求.同裁判所は,亡命裁判の判決が出るまで米国から連れ出しを禁止する仮決定.

4.14 エリアンちゃんが「キューバに帰りたくない」と語ったビデオ映像(親族が撮影したもの)が米国でTVで放映される.

4.19 アトランタの連邦控訴裁判所も,亡命申請審理が終了するまで米国内に留めるよう命じる判決.

4.20 クリントン大統領,「エリアンちゃんは実父のゴンサレスさんと対面すべきと思う」と述べる.

4.22 ジャネット・リノ司法長官,強硬措置をとることを決定.午前5時15分,武装した連邦警察部隊130人が親族宅に侵入.エリアン君を連れ出す.エリアン君はアンドルーズ空軍基地で実父と再会.

4.22 キューバ系市民が放火などの抗議行動を行い,警察は催涙ガスを使って鎮圧.260人以上が逮捕され,警官も含め多数の負傷者.

4.22 クリントン大統領,強硬措置について「それ以外の選択肢がなかった」とし,リノ司法長官の決定を支持.

4.22 アンドリュース基地の軍当局,エリアンちゃんとの対面を求める親族の訴えを拒否.

4.22 カストロ議長,ハグエイ・グランデのピッグス湾事件記念集会で演説.「革命から41年の間で,今日は唯一の休戦日」と語り,米政府による措置を評価.早期帰国の実現を求める.

4.24 ギャラップ社の世論調査で,57%が政府の強硬措置を支持.反対は37%にとどまる.また「エリアンちゃんは実父とともにキューバで暮らすべき」と考える者が59%で,「米国に留まるべき」の27%を上回る.

4.25 マイアミのキューバ人街「リトル・ハバナ」で抗議のゼネスト.このストに呼応して,マイアミ・マーリンズのキューバ系選手やコーチらが試合に不出場.

4.25 司法当局は,エリアンちゃんら家族をワシントン郊外のワイ・リバーの農場に移したと発表.リノ米司法長官は,強硬措置を命令したことで上院議員代表に事情説明.

4.26 エリアンちゃんの従兄弟(10歳)と幼稚園の先生が,メキシコ経由で訪米.

4.26 ヒラリー・クリントン夫人,「エリアンちゃんの実父が最終的に米国内に留まるよう期待している」と述べる.

4.27 アトランタ連邦控訴裁判所,親族のエリアンちゃんとの面会申請を却下.同時に,外交特権の及ぶ施設へのエリアンちゃんの移送を禁ずる.

00年5月

5.01 カストロ,メーデー集会で演説.「革命は、平等、自由、人間の解放であり、嘘をつかず、倫理の原則を犯さないこと、真実と理念の力以上のものはこの世には存在しないことを深く確信することである」と述べる。携帯電話を使って訪米中のエリアンちゃんの実父と話し,早く帰国できるよう支援することを力説.その後,市民とともに米利益代表部まで行進.

5.09 米商務省,キューバ人少年の祖父母らのビザ発給を拒否.

5.11 アトランタ連邦控訴裁判所で,エリアンちゃんの亡命申請審理がはじまる.

00年6月

6.02 少年の米国からの帰国求めて,ハバナで女性50万人がデモ行進.

6.27 キューバ経済制裁の一部を解除する法案が米下院を通過.

6.28 米連邦最高裁,エリアン君の親族による控訴を棄却.エリアン君が米国から7か月ぶりに帰国することが決まる.

7.01 ハバナで行われたエリアン君歓迎集会に30万人が参加.

7月 下院で食糧と医薬品を経済制裁から除外する決議が採択される.共和党が,輸出信用とバーター貿易を禁止するという条件を課すことに成功したため、事実上、輸出は不可能のままとなる.

8.28 キューバ政府 スウェーデン人ジャーナリスト3人を拘束.

8月 JALが大阪からキューバへ初の直行便(チャーター便).キューバの大手旅行会社「クバナカン」の企画によるもの.

10.22 キューバ政府,米国からの電話に対し10%の税を徴収すると発表.またイタリア・テレコムの出資したキューバ通信会社への保証金の積み増しも提案.今月,米上院が「救援の兄弟」パイロットの遺族に弔慰金を支払うため,凍結キューバ資産から1億2千万を拠出することを議決したことに対する報復措置.

10月 クリントンは食料と医薬品のキューバ向け販売を、現金で対価を支払う場合に限って認める。食料移送は2001年12月以降実施される。

00年11月 パナマのカストロ暗殺未遂事件

11.09 国連総会で9回目のキューバ制裁非難決議,167ヶ国の賛成で採択.米国の他イスラエルとマーシャル諸島が反対.エルサルバドル,ラトビア,モロッコ,ニカラグアが棄権に回る.

11.17 パナマ当局,市内のサンフランシスコ・ホテルに滞留中の亡命キューバ人テロリスト4名を逮捕.テロリストの名はルイス・ファウスティノ・クレメンテ・ポサダ・カリーレス,マヌエル・ディアス,ペドロ・レモン,ギジェルモ・ノボ.

11.19 パナマで第9回イベロアメリカ首脳会議開催.「イベロアメリカとグローバル経済における金融情勢」をテーマに議論.カストロはエルサルバドルが提案したETA非難決議に異議を唱える.彼はETAと同時にキューバに対するテロ活動も非難すべきだと主張.「エルサルバドルからここに,紳士(ポサダ)がやってきた.エルサルバドルの政府は,彼がそこに住んでいることをよくご存知のはずだ」と述べる.

11.20 パナマ警察当局,トクメン国際空港の近くでC4プラスチック爆弾8キロを発見.4人がカストロ襲撃に使う目的で秘匿していたものと見られる.警察によれば,サミット終了後パナマ大学で講演予定だったカストロを,車で移動中に襲撃する計画だった.

11.20 キューバ政府,暗殺計画の概要を発表.4人がホテルで逮捕された際,室内には数万ドルの現金があった.彼らの計画はカストロの飛行機を地対空ミサイル2機で撃墜するというものだった.計画のスポンサーはマイアミの不動産業者サンチアゴ・アルバレスだった.

暗殺計画の概要
彼らは,パナマで開催されている第10回イベロアメリカ・サミットに出席中のカストロを,「肉体的に抹殺しようと」していた.ポサダは60年代からのCIA工作員で,76年のキューバ航空機爆破事件でベネズエラ当局から告発されている.ベネズエラで9年の刑務所生活を送った後,脱獄に成功.エルサルバドルでコントラに物資を補給する秘密任務についていた.パナマにはエルサル人“フランコ・ロドリゲス・メナ”の名で入国している.NYタイムスとの会見では,98年のキューバ観光施設に対する一連の爆弾事件を指揮したことを認めている.
レモンは79年12月にキューバ国連代表部に爆弾を仕掛け,80年3月には当時の国連代表ラウル・ロアを殺害しようと図った.86年に,これらの罪を認め10年間にわたり連邦刑務所に収監されている.84年の裁判での証言では,レモンはキューバ人外交官フェリックス・ガルシア・ロドリゲスをマシンガンで射殺した犯人とされている.
ノボは,表向きはフロリダの家具商.76年のレテリエル暗殺事件では,一審で有罪を宣告されたが,控訴審で無罪となった.彼は64年に国連本部をバズーカ砲で攻撃し逮捕されている.このとき総会でゲバラが演説中であった.後に告訴は取り下げられた.FBIによれば,レモンとノボは,今は活動を停止したオメガ7のメンバーとされる.マヌエル・ディアスについてはいまだ正体不明.

11.22 マイアミ・ヘラルド,「マヌエル・ディアス」の正体を報道.本名はヒメネス.マイアミで長いあいだ反カストロ行動に加わっていた人物.

11月 ETAメンバーとされる2人が,マドリードのキューバの大使館で亡命者保護を求める.キューバはスペイン当局に容疑者を引き渡す.

2000年12月

12月 ハバナ市でサンパウロ・フォーラム第5回会議が開かれる.グローバル化の名のもとに世界中に浸透しているネオリベラリズム体制こそテロの温床と非難.

12月 ロシアのプーチン大統領がキューバを初訪問.旧ソ連時代を含めてロシア元首として11年ぶりの訪問となる.旧ソ連邦の解体で冷え切った両国関係の修復と再構築を目的とする.旧ソ連の債権の確認,経済や文化交流などの5つの二国間協定に調印したほか,軍部の協力関係を確認.プーチンは「ラテンアメリカとロシアの政治的なつながりを再活性化したい」と述べる.

00年 総労働人口の30%以上が非政府部門となる.失業率は2000年現在で約6%.さらに,高学歴が必要とされる社会的エリートが経済的に最貧層を形成するという矛盾.

 

2001年

1.12 キューバ当局,イワン・ピリプ前蔵相ら2人のチェコ人を拘留した.彼らはシエゴ・デ・アビラで反対派と会談しているところを捕まった.

1.27 共和党選出のライアン・イリノイ州知事,キューバを再訪.「わが州の農産物がキューバに到着した」と喜びをあらわす.ヨーロッパ諸国のキューバ進出に焦りを感じている米国の経済界の事情を反映したもの.

1 綿貫民輔・衆院議長がキューバ議会の招待によりキューバを正式訪問.カストロ議長らキューバ要人と会談.

2.15 米政府,95年の[兄弟の救出]機事件の遺族に,キューバの凍結在米資産を取り崩して補償を行うと発表.クリントンが辞任の前日に執行したもの.

2.23 チリ上院のFPMR問題調査団,ハバナを訪問.キューバがチリのテロリストを支持していないとの説明を受ける.

4.26 米国国務長官コリン・パウエル,「カストロは時代錯誤ではあるが,国民のために何かを成し遂げたと言える」と,議会で証言.

4.30 ウォルヘンゾーン世銀総裁,年次総会の挨拶で「キューバは,教育と医療に関して大きい成果を残した」と述べる.また世銀の年次報告では,キューバの成果を強調し,「キューバは他国の模範となり得るか?」と題する特集を組む.

5.01 カストロ,メーデーで演説.FTAA構想を,「米国への併合に帰結するのは避けられない.現在のラテンアメリカの経済状況の下では,関税引き下げは輸出を増やすのではなく,低賃金と低開発を導くものでしかない」と批判.

5.21 FARCに爆薬を提供したIRAメンバー3人のうちの1人Niallコナリーが,コロンビアで逮捕される.コナリーが長年ハバナに本拠をおいていたことが明らかになる.キューバの政府は、コナリーがシンフェイン党(IRAの政治組織)のハバナ代表であったと声明.

5月 国務省のテロリズム白書,「カストロはいまもテロを革命戦略のための合法的手段とみなしている」と非難.

6.23 カストロ,ハバナ市のエル・コトロ市役所のミーティングの際に気を失う.

7月 ブッシュ,ヘルムズ・バートン法第3項の適用凍結を継続することを決定.

7月 アルバロ・ロペス・ミエラ参謀総長を団長とする軍事使節団が北朝鮮を訪問。友好を深めたとのみ発表されるが、おそらくミサイル輸出も議題に上ったものと見られる。

8.22 ボッシュら,マイアミ・ヘラルド紙上で「あらゆる手段・方法を用いて暴力的活動を続ける」と宣言.

2001年9月

9.11 国連貿易センターへのテロリスト攻撃.キューバ政府は、ただちに攻撃を非難して、“distressingかつ不当な人命の喪失”を悔やむ声明を発表.

9.11 カストロ,国際貿易センター事件に関してテレビで演説.犠牲になった米国民に心からの哀悼を捧げ,援助が必要であればすぐにでも駆けつけると述べる.ついで革命以来テロの危険に晒されてきた国民として,テロの犠牲がどんなにつらいものかはよく知っており,キューバはテロに反対であることを強調.同時に,テロは戦争という手段では解決できないことも主張する.

9.16 キューバでテロに反対しアメリカ人民を支持するデモ行進.ラウルカストロは、米軍輸送機の領空通過を許可すると演説.

9.22 カストロ,全てのテロリズムを「道徳的に弁護し得ない現象であり,根絶すべきもの」と非難.「キューバはアメリカ人民に対するテロ活動の場所となることは決してない.我々はテロを防ぐためにすべての力を注ぐ」と声明.

9月 DIAアナリストのアナ・ベレン・モンテス,キューバのスパイとして逮捕される.告発によれば,彼女は16年間にわたりキューバのためにスパイ行為を働いた.モンテスは85年にDIAに入り,ニカラグア専門家として活動した.その後,90年にキューバ担当に移り,分析チームのトップとして働いていた.その後モンテスは罪を認め25年の刑に服した。

2001年11月

11月初め 57年ぶりの巨大ハリケーン「ミシェル」が襲来.10万戸が全半壊,70万人が避難を余儀なくされる.サトウキビなどが大打撃を受け,食糧不足が深刻化.

11月 米国,災害救援物資の提供を申し入れ.キューバ側はこれを断ったうえ,あらためて食糧輸入を要請.米穀物大手3社と小麦,トウモロコシ,コメなど20万トン,約3000万ドルの購入契約を締結.米政府はこれを黙認.

11.13 国連総会でフェリペペレスRoqueが演説.この戦争[アフガン]は,子供たち,民間人,国際赤十字の医療施設を目標としているように見えると発言.

11.19 ボルトン軍備担当国務次官補,ジュネーブで講演.生物兵器の開発能力が憂慮される国としてイラン、イラク、リビア、北朝鮮、スーダンとシリアをあげる.キューバはふくまれず.

11.21 リマでイベロアメリカ首脳会議.カストロは「ハリケーンの被害対応に専念するため」会議を欠席.

2001年12月

12.16 食糧を積んだ米貨物船2隻がハバナに入港.冷凍鶏肉500トンとトウモロコシ2万4000トンが陸揚げされる.

12月 キューバ西方の海底約700メートルで,長さ400メートル、高さ40メートルの巨石建造物が発見される.この海底遺跡は6,000年前のものと推定される.

2001年 中国の江沢民前主席が,2度目の訪キューバ.(一度目は93年)

 

2002年

02年1月

1.04 カストロ議長,スペクター米上院議員らと会談.アル・カーイダやタリバンの幹部をキューバ領内にあるグアンタナモ米海軍基地に収容することに反対しないと言明.

1.13 ヘミングウェイの「老人と海」のモデル,ほらふきフエンテスが死亡.享年104歳という.

1.21 カストロ,仏大衆誌パリ・マッチとのインタビュー.自身の進退問題に触れ,「革命家は年金をもらってまで生きるようなことはしない.わたしは地獄に落ち,そこでマルクスやエンゲルス,レーニンと出会うだろう.地獄の熱さなど,実現することのない理想を待ち続けた苦痛に比べれば何でもない」と述べる.また米国への難民流出についても「貧しい国民が裕福な国に向かうのは自然なことだ」と理解を示す.

2月 メキシコのカスタニェダ外相、「メキシコはキューバに門戸を開いている」と発言。このあとキューバ人23人がハバナのメキシコ大使館に亡命を求めて突入。メキシコ政府はこれを政治亡命と認めず逮捕・拘留するが、強制送還はせず。

02年3月

3.07 キューバ内の反体制組織,表現や結社の自由、選挙法改正などを要求、法案提出に必要な1万人の署名を集める.代表のオスワルド・パヤはこの行動を「バレラ計画」と呼び,カストロによる事実上の独裁統治に対する異議を唱える.CANFは「体制内改革」として、積極的な支持はあたえず.

3.12 英デーリー・ミラー紙,グアンタナモ米軍基地から釈放され帰国したジャマル・アル・ハリスの談話を報道.拘束状況は極めて非人道的で、「基地内の動物のほうが良い扱いを受けている.我々は人権を要求することを止め、動物の権利を望むようになった」と述べる.ハリスはマンチェスター出身のアラブ系英国人で,タリバン兵士としてアフガンで捕らえられ,グアンタナモ基地内の捕虜収容所に送られていた.

3.19 元DIAアナリストのアナ・ベレン・モンテスにスパイ容疑で有罪判決.

3月 キューバ,米国から指名手配されたコロンビアの麻薬密売人を逮捕.麻薬密輸とテロリズムに対する相互協定を結ぶようもとめる.国務省はこの提案を拒否する一方,キューバをテロとのたたかいに非協力的な国として非難.

02年4月

4.19 国連人権委員会,キューバに人権状況を監視するための担当官を派遣する決議を採択.ウルグアイの提案によるもの.

4.23 ウルグアイのバジェ大統領,「キューバ国民が平和と自由をもてるようになるまで」国交を断絶すると述べ,外交関係を絶ったことを明らかにする.キューバ政府は「米国にひざまずく政策」と反論し,カストロ議長はバジェ大統領を「卑劣なユダ」と呼ぶ.

4.24 コロンビア国軍のFernando Tapias司令官,下院国際関係委員会で証言.今日キューバがコロンビアのテロリスト活動に関係しているとの情報はない.むしろキューバの当局は平和への活動を強化している,と発言.

02年5月

5.04 ホセ・アルバレス大使がモンテビデオから出国.

5.06 John Bolton軍備担当国務次官補,保守派のヘリテージ財団で講演.「キューバは、少なくとも限定攻撃のための生物戦争の研究開発をすすめていると信じる」と述べる.半年前の話と食い違うとのあいつぐ質問に対し,根拠を提示せず.

5.12 カーター元大統領,カストロ国家評議会議長の招請に応じキューバを訪問.カストロ議長が背広姿でホセ・マルティ国際空港に出迎える.ハバナ大学で行ったスペイン語による演説は国営テレビ・ラジオを通じてキューバ全土に生中継される.

5.13 Colin Powell国務長官はボルトンの講演に対し,「実際に武器を持っていると主張したのではなく,そのような研究を行なう能力があるといっただけだ」と事実上修正.

5.21 国務省,「テロリズム白書」( Patterns of Global Terrorism)を発表.イラク、イラン、リビア、シリア、スーダン,北朝鮮がテロリスト国家にあげられる.キューバはテロリスト国家のリストから外される.

5月 反政府主義者は「ベレラ・プロジェクト」を発表、1万人の署名を集めて、キューバで異なる体制をスタートさせるための国民投票を要求する。

5月 バスク自治共和国議長,国賓としてキューバを訪問.ETAまたはそのメンバーを拒否することを相互に確認.

02年6月

6.16 ボッシュ,Diario las Americas紙に寄稿.「バレラ・プロジェクトの背後にいるキューバ人亡命者は“反戦主義者の裏切り者”である」と非難.

6.17 ナショナル・リーグの最終4試合が米国でテレビ中継される.

6月 市場での供給過剰から砂糖価格が暴落。砂糖工場の再転換が進められる。

02年7月

7.02 下院,キューバに対する取引と旅行規制を緩和することを圧倒的多数で可決。

7.22 ベネズエラのラモン・ロサレス生産商業相,キューバを訪問.キューバ石油公社(CUPET)とベネズエラ国営のPEDEVESAが石油輸出交渉で合意したと発表.

7月 ポーター・ゴス下院情報特別委員長(RFL),キューバがもはやテロリズムのスポンサー国家でないと保証したBush大統領を批判.旅行禁止のどんな自由化でも反対すると述べる.

8月 下院与党指導者 Dick Armey(R-TX),たとえ制裁が今年生き残ったとしても、“これが最後の年”であると予測.

8 第27回夏季シドニー五輪.キューバは今大会で金11個、銀11個、銅7個のメダルを獲得.ボクシングのヘビー級では、サボン選手がオリンピックで3大会連続の金メダルを獲得.しかし国技ともいわれる野球の決勝戦では米国に完敗.

02年9月

9.11 キューバ軍、グアンタナモ基地内の拘留キャンプ近くのキューバ領地区を内外のジャーナリストに公開.

9.12 ウリベ政権は、キューバでELNとの予備折衝を開始.

9.17 旅行制限の緩和に反対するゴスの修正案,下院総会で否決される.

9月 米利益代表部の代表にケイソンが任命される.キューバ国内の反体制派と系統的に接触,金銭や物資を提供し反体制派の結集を訴える.ケイソンはイラン・コントラ事件にも関与していた人物.

9月 ワシントン(DC)でキューバ問題全国会議.議会・軍・情報当局関係者を招き,キューバの安全保障上の影響評価を行なう.チャールズ・ウィルヘルム将軍(南方軍の前司令官)、「キューバはわが国の麻薬対策における “47,000平方マイルの盲点” であった.キューバは違法な薬と移住者の流れを止めるための重要なパートナーでありうる」と語る.会議で講演した国務次官補ダンフィスクは,「キューバはテロの危険のひとつを形成している」と述べ,参加者をいらだたせた.農業と事業家たちが通商・旅行制限の解除を求める.

10月 キューバ野球代表のエース,ホセ・コントレラス投手が,メキシコ遠征中にコーチらと共に亡命.ヤンキースに入団.

11 キューバ,トラテロルコ条約とNPT条約を批准.

02年12月

12 在キューバ米利益代表部職員ガジェーゴス,キューバ国内の反体制派の家を訪問.キューバ当局はあえて抗議せず.

12 CARICOM会議,キューバ政府はコトナウ合意への参加意思を表明.

12月 12回イベロアメリカ会議.ババロ宣言の第6項でアメリカの経済封鎖反対の決議が挿入される.

12月 この年の経済成長、米国同時多発テロの影響、砂糖価格暴落、原油価格高騰とベネズエラからの石油供給中断にもかかわらず、1.1%のプラス成長。

 

2003年

03年2月

2.09 ジョン・ショー財務長官,対キューバ経済封鎖政策に違反する10企業の活動を制限すると発表.

2.11 キューバ国家評議会,「クバナカン」の不正疑惑に関しイブライム・フェラダス観光相を更迭.後任に国軍管轄の旅行会社「ガビオタ」グループの代表マヌエル・マレロ.

2.26 ブッシュ大統領,キューバを世界社会の不安定要因となっていると非難.米国からの船舶に対する監視体制を強めると発表.

2.26 ハバナのレストラン「フロリディータ」の姉妹店が英ロンドンにオープン.

2月 キューバ政府,バレーラ・プロジェクトの提唱者オスワルド・パヤのヨーロッパ訪問を認める.

2月 キューバ出身の亡命投手ホセ・コントレラスがヤンキース入団。松井より高額の契約料。コントレラスは昨年10月のメキシコ遠征中にコーチらと共に亡命していた。

03年3月

3月 シージャック事件が連続して発生.ハバナ港内では,小型フェリーが亡命を狙う11人組に乗っ取られる.3月末までに29件の未遂事件.

3.21 キューバ当局,反体制派活動家75人を一斉逮捕.国家の独立と統合への反逆容疑で略式裁判により有罪判決(最高27年の禁固刑)が下される.議会は社会主義体制は「後戻りできない」と宣言する。

3月 カストロ議長が日本を訪問。「日本国民は勤勉であり、献身的であり、高い知性を有している」と発言。

03年4月

4.01 ウィルソン・ゴンザレスがCubana航空会社機を乗っ取り、キーウェストに着陸する。

4.08 シージャック犯の首謀者3名に簡易裁判で死刑を宣告.3日後に執行.サラマーゴ、チョムスキー、ベネデッティ、ガレアーノ、ガルシア・マルケスなどが,性急な死刑の執行を批判.

4.17 ジュネーブの国連人権委員会,非難決議を賛成24、反対20、棄権9で採択.キューバの人権状況を調査するための人権高等弁務官の受け入れを求める.提案国はペルー、コスタリカ、ウルグァイ.ベネズエラは反対し、ブラジルとアルゼンチンは棄権。

4.30 アメリカ国務省の年次報告書『世界テロの諸形態』,イラク、イラン、シリア、スーダン、リビア、北朝鮮とならんで、キューバを国際テロ支援国と規定.カストロはブッシュ政権を「ネオ・ファシスト政権」と規定.「イラクの次はキューバだ」として警戒心を強める.

4月 キューバ、ハバナの乗っ取り事件で主犯格の3人を処刑。

4月 国際的な反キューバキャンペーンに対し、「世界の良心へ」と題する文書が発表される。ガルシア・マルケス、メンチュウ、エスキベルらノーベル賞受賞者とナディーン・ゴーティマー、ハリー・ベラフォンテらの著名人が署名。

03年5月

5.05 パウエル国務長官は、NBCとのインタビュー.「カストロ政権の倒壊には、イラクの場合のような武力行使は必要ないだろう。カストロ政権は、米大陸で生きながらえている最後の独裁制で“時代錯誤的”だから」ときめつける.

5.24 ペルーで19カ国が参加した第17回リオグループ首脳会議が開催される.キューバのリオグループ参加を今後検討することで合意.

5月 ブッシュ大統領,自由な選挙による民主的政府が作られない限り,経済封鎖を解除しないと発表.

03年6月

6.05 EU,人権問題でキューバへの圧力を強める.@高級レベルの交換を限定、A文化行事への参加を制限、B反体制派を招待するなどの制裁案を決議.さらに対キューバ政策を再検討することを提起.カストロ議長は「もしキューバ駐在のEUの大使館が、反革命分子との恒常的な接触を維持するならば、内政干渉とみなす」と反論.キューバ政府は欧州大使館の前で100万人の抗議デモを組織する。

6.10 米州機構(OAS)の年次総会がチリで開催.パウエル米国務長官は、キューバ非難決議を採択しようと動くが,失敗.米州人権委員会の委員選挙では米国候補が落選.

6.12 キューバが大量の反対派を投獄.また3人の誘拐犯を略式裁判で銃殺.EUはキューバへの代表レベルを下げ、文化活動に制限を加えるとともに、反対派をハバナのEU祭典に招待する.キューバは,欧州共同体の大使との接触とその活動を最小限に制限することで応える.

03年7月

革命広場(ハバナ)にあるホセ・マルティ記念碑の前で演説するフィデル・カストロ(2003年9月27日)

 

ホセ・マルティ広場で演説するカストロ
2003年9月27日

 

7.08 全国農業経営連合、Freedom to Travel to Cuba Actを成立させる運動を展開。

7.11 キューバ当局、ニューヨークで7月14日第-20に開かれる世界アーチェリー選手権にキューバ・チームが間に合うことが出来ないと述べる。アメリカ側の手続きの遅れのため。この大会は、アテネ2003のオリンピック予選として位置づけられている。

7.12 アメリカ貨物船が40年ぶりにキューバに入港。1,500トンの紙、6トンの材木を搬入する。

7.16 亡命キューバ人のスターだったセリア・クルスが死亡。コンパイ・セグンド(95歳)も同じ頃死亡。年末にはブエナ・ビスタのルベン・ゴンサレスも死亡。

7.26 カストロ,「EUとの外交的対話は必要ない」と述べる.あわせて,年平均約420万ドルの人道的援助を拒否.EUがキューバ政府を人権侵害事件として批判し、外交的制裁を発表したことに対する対抗措置.キューバのEUからの輸入額は年間約15億ドルに達する。

7.26 式典出席のため、「Venceremos部隊」のアメリカ人80人が無許可でキューバに入る。

7月 キューバ政府、90年代に進められた経済改革による経済・社会の歪みを是正するため、再び、経済の中央指令型の政策を採用。

8.08 Eloy Gutierrez Menoyo、「反対派の合法化を目指すために」ハバナにとどまることに決める。キューバ政府のコメントなし。

8.15 カストロは、パラグアイでドゥアルテ大統領の就任式に出席。

8.21 ベネズエラの法廷は、417人のキューバの医者が不法に働いているとして、カラカスのスラムで働くことを禁止する判決。ベネズエラ医師会はキューバの医師が正規の訓練を受けていないと非難。保健相は判決に対し「人々に健康と幸福を与える約束より上にある判決はありえない」とし、これを拒否する。

9.09 米下院、米国人のキューバ訪問禁止解除の法案を賛成227、反対188で可決。これは4回目の可決となる。10.23には上院でも賛成59、反対38で可決。さらに11.06には、上院外交委員会が渡航禁止解除を決議。ブッシュは拒否権を発動。連邦財務省の試算によれば、2002年に合法的にキューバを訪問した米国人は約16万人で、うち半数はキューバ系米国人。これとは別に、罰金・禁固刑(25万ドルの罰金と10年の懲役)のリスクをかえりみず、カナダメキシコ経由で違法にキューバ渡航する者も多い。

9.20 米政府当局、2003年度のキューバからの移民のためのビザ割当てが、20,000の予定に到達したと発表。

9.27 Perez Roque外務大臣、ハーレムの教会で演説。在米キューバ人でキューバのパスポートを所有していれば入国ビザは不要だと述べる。

9.30 エルDiario/ラ・プレンサ、CANFの圧力を受け、カストロ執筆のコラム掲載を拒否。編集長Gersonボレロは抗議の辞任。エルDiario/ラ・プレンサはニューヨークの主要スペイン語新聞。

9月 ブラジルのルーラ大統領,第58回国連総会の帰路キューバを訪問.総額2億ドルに上る観光産業などへの投資計画をはじめ教育、医療や経済分野での二国間協力協定に調印.

9月 チューチョ・バルデスがグラミー賞を獲得。米政府は身辺の安全が保障できないとの理由でバルデスの入国を拒否。

03年10月

10.23 米上院、キューバ渡航制限を撤廃する”新・運輸法”を賛成59票・反対36票で可決.下院が先月に承認したもの.ホワイトハウスは拒否権発動の構えで臨むが,結局採決を許す.

10月 ブッシュ大統領,「自由キューバ支援委員会」を設置。渡航制限の強化とキューバ人亡命受け入れの増大方針を発表.大統領選での再選を念頭にした選挙戦略の一つと見られる.

10月 イラクの大量破壊兵器捜査チームの団長デビッド・ケイ、ABCニュースとインタビュー。北朝鮮ミサイルがキューバに送られた証拠を発見したと述べる。

03年11月

11.04 国連総会でアメリカのキューバにたいする「経済・通商・金融封鎖の解除」について12度目の決議.179対3で可決.反対はアメリカ,イスラエル、マーシャル諸島.

11.04 キルチネルとカストロ,「中南米の諸問題を大陸全体の状況のなかで話し合う上で,アルゼンチン/キューバ/ベネズエラ/ブラジルの関係を力強い四つの足を持った一つのテーブルとして重視する」ことで合意.

11.04 ハバナで国際農業ビジネス・フェア。71のアメリカ事業が出展。ALIMPORTのペドロ・アルバレス長官は2500万ドルの購買契約に調印したと語る。カーギル社は小麦、大豆など400万ドルを受注。

11.06 上院外交委員会,13対5で米市民のキューバ渡航制限を解除する決議を採択.ブッシュは拒否権発動も辞さないと反撃.

12月 キューバの経済成長、プラス2.6%に回復。失業率は年平均2.3%.観光客は190万人、観光収入23.2億ドルで、キューバ最大の外貨獲得元。

12 キューバ最大の観光産業グループ「クバナカン」を舞台とする不正疑惑が発覚.

2003年 カストロ議長が2度目の中国訪問.(一度目は95年)

 

2004年

1月 米国防総省高官、キューバは米国に関する情報をサダム・フセインに提供し、その見返りに石油を得ていた、と語る。

1.26 ハバナで、西半球社会連合の主催で「FTAAに反対する交流会議」が開催される。32カ国から約1,000人が参加。最終宣言は、FTAA反対のたたかいが、主権と各国人民の尊厳のためのたたかいであることを強調。

2.26 ブッシュ大統領,キューバが世界社会の不安定要因となっているとして、米国からの船舶の監視体制や基準の強化策を命じる.

3.29 第60回国連人権委員会(ジュネーブ)でキューバ糾弾決議が採択される。キューバのペレス外相はコスタリカを、同委員会における米国の「従僕」であると発言。

3.31 パチェコ大統領、「従僕呼ばわりするといい。コスタリカは過去もこれからも“人権”の忠実な下僕かつ擁護者であり続ける」と反論。

4月 パナマの裁判所,ポサーダとその仲間を公共の安全紊乱、文書偽造などの罪で禁固8年の刑に処す.キューバは犯罪の重さに比べて刑が軽すぎると批判.

5.05 マタンサスに設置された国内最大の発電所の故障による停電。深刻な電力供給不足の影響で1 日12 時間の停電を余儀なくされる。

アントニオ・ギテラス号: この発電プラントは、マタンサスで虐殺された革命英雄にちなんでギテラス号と名づけられていた。フランス製の最新鋭火力発電機で他の発電機に比べて効率が高い.しかし使っているキューバ産石油が塩分と硫黄分に富んでいるため、その汚れによってボイラーが突然停止したといわれる.

5.20 ブッシュ大統領,C−130機からのテレビ・マルティの放送を再開すると発表.大統領選を控え,フロリダ州のキューバ系アメリカ人の票を得るためとみられる.

5月 「自由キューバ支援委員会」が具体的なキューバ敵視政策を提出。キューバ側は直接侵攻の計画だとして警戒。

5月 アメリカ、旅行、送金などの制限を強化。反政府主義者への公式な支援を強める。在米キューバ人は毎年帰国が可能であったが、この後は3年に1回だけとなる。

6月 ホセ・ラモン・バラゲール厚生大臣,政治局から辞任.

7月 収監中のマルタ・ベアトリス・ロケら反体制派活動家14人が超刑法的な(extrapenal)許可で出所.残り60人は依然拘禁が続く。

7月 スペイン石油企業レプソル社、メキシコ湾岸に高品質の石油を発見。

04年8月

8.11 ブッシュ大統領、Porter J. GossをCIA長官に任命。ゴスは1962年にCIAに入り、マイアミの対キューバ秘密作戦(JMウェーブ:キューバ革命史を参照されたい)で活動、その後、メキシコ、ハイチ、ドミニカで情報部員を経験。ブッシュは発表に当たり、「CIAの内外を知り尽くしており、最も優れた長官となるだろう」とコメント。

8.17 キューバ,ハリケーン・チャーリーにより甚大な被害.米国、5万ドルの人道支援の提案。キューバ外務省は「シニックでうわべだけの申し出」で、全く受け入れられないと拒否。

8.17 マイアミ紙によれば、パウエル国務長官がパナマのモスコソ大統領に、ポサダら4人の釈放を要請。キューバは、もし4人を釈放すればパナマとの外交関係が自動的に破棄されると警告。

8.19 ブラジル、リオグループ会議で「キューバを参加させる方策について検討」するよう提案。ルーラ大統領によれば,リオグループの会合にオブザーバー参加したアメリカ政府代表も提案を検討したといわれる。結局、メキシコ、チリ、コスタリカ、エルサルバドル、ニカラグアが拒否したため流産。

8.23 キューバ周辺を飛ぶC-130機からテレビ・マルティの放映開始。第一回目は首都ハバナ市の停電などで不調に終わる。

8.24 キューバ政府,もし4人を釈放すればパナマとの外交関係が自動的に破棄すると警告.

8.24 パナマ政府、キューバの内政干渉に抗議し、ハバナ駐在の大使を引き上げると発表。モスコーソ大統領は、「ポサーダらの赦免など考えたこともなかったが、キューバの発言で、いまはそれを検討しているところだ」と述べる。

8月25日 ポサダ釈放

8.25 1週間後に任期切れを控えたミレーヤ・モスコーソ大統領が,ポサダ・カリレスら4人のテロリストに「人道的理由」から恩赦の決定.「彼らをベネズエラかキューバに引き渡した場合、彼らに死刑が宣告されるだろう」と述べる.

8.25 マルティン・トリホス次期大統領は,「現在進行中のことは全て現政権の責任である」とだけコメント.コロン州(パナマ)知事ガサン・サラマは、パナマの尊厳と誇りと名誉のために辞任すると表明.「マイアミの極右系キューバ人とアメリカ政府の圧力があった」と述べる.

8月26日 ポサダ釈放に対する各方面の反応 1

8.26 キューバ,パナマとの外交関係を断絶すると発表.モスコーソは「カストロの内政干渉には耐えられない」と反論.

8.26 アメリカ国務省は、「今回の経過は全てパナマ政府の判断によるもので、アメリカはいっさい関わっていない」と釈明.

8.26 エルサルバドルのエリアス・アントニオ・サカ大統領、ポサダらが自国内に入らないよう必要な措置を取ると述べる。ポサダはエルサルバドルのパスポートを所有し、同国に住んでいた。

8.26 アメリカの支援を受けた謀略放送テレビ・マルティ,キューバ周辺を飛ぶC-130機からの発信を始める.米当局は「キューバの民主主義体制への移行を加速するため、ブッシュ大統領主導のもとで行われた」と発表.

8.26 ブラジルのセルソ・アモリム外相,リオ・グループ第8回外相会議に先立ち、「キューバを兄弟として迎え入れよう」と呼びかける.

8月27日 ポサダ釈放に対する各方面の反応 2

8.27 パナマ政府,ハバナ駐在の大使を召還.モスコーソ大統領は「カストロがすべきことは、パナマの内政に干渉することではなく、キューバの民主化を進めることである」と述べる.

8.27 トリホス次期大統領,現政府がとった行動を大統領権限の濫用と非難し,9月1日の就任後はハバナとの外交関係を再構築すると述べる.トリホスはオマール・トリホス将軍を父に持つ41歳の企業家.

8.27 ベネズエラ政府,4人の「テロリスト」を赦免したことに抗議し,在パナマ大使を引き上げると通告.副大統領、外相は「テロに対する戦いについて世界中のコンセンサスができているとき、テロで断罪されている人間を赦免するとは理解できない.マイアミが彼らを受け入れるなら、アメリカはこの上ない責任を負うべきである」と糾弾.

8.27 ベネズエラ政府,在パナマ大使を引き上げると通告.

8.27 メキシコ政府,キューバにおけるパナマ利益代表部の役割を引き受けると提案.

8.28 モスコソ大統領の妹,パウエル国務長官が,共和国100年を機に4人のテロリストの釈放を要請したと語る.彼女はマイアミ在住の右翼ヒスパニックと深い関係にあるとされる。

8.29 リオグループ会議,ブラジルが提案したキューバの「兄弟としてのあつかい」について議論.メキシコ、チリ、コスタリカ、エルサルバドル、ニカラグアが、ブラジル提案を拒否.

8.30 パナマ大学国際法教授のフーリオ・エリアス・ベリオス・エレーラ,赦免は法手続き的に誤りと主張.@恩赦はパナマ憲法で政治犯に限られており,一般犯罪については刑の軽減か条件づき保釈しかない.A恩赦の対象は刑の確定が前提だが,4人は控訴中である。B4人は偽造パスポートしかなく、公式な書類による確認がすんでいない、ことなどを指摘する.

8.30 キューバのテレビ局,マイアミのある局がとった録音を放送。モスコーソ大統領が、アメリカのシモン・フェーロ元パナマ大使に赦免を伝える会話が明らかにされる.「大使、こんにちわ。大統領です。4人のキューバ人は昨夜釈放され、パナマを離れました。3人はマイアミに向かい、もう一人は行き先が不明です。さようなら」

8月末 ハリケーン・チャーリーがキューバを襲う。4 名死亡、全壊家屋4,425 戸、農地5万4,000ha が被害を受ける。被害総額は12.23 億ペソ。火力発電機2基が故障中に、ハリケーン・チャーリーによってさらに一基が故障。また高圧線の鉄塔が20本以上倒され、通常の送電が不可能になったため。ピナール・デル・リオでは11日間電力が来なかった.

04年9月

9.01 民主革命党(PRD)のマルティン・トリホス,第59代のパナマ大統領に就任.「一方は刑を受け、他方は許されるというような、2種類のテロがあるはずがない。テロに対してはそれが何であれ、戦うべきだ」と演説.キューバやベネズエラとの関係を改善すると明らかにする.

9.11 キューバの長期に渡る停電が頻発。アントニオ・ギテーラス号は、9月上旬に操業を再開したが、別のプラントが定修に入ることになっており、12月までは電力不足が続く予定。

被害状況: キューバ政府は農業への電力供給を止め、学校や職場の時間を30分短縮.ハバナ市の少なくとも二つのホテルが一時的に閉鎖される(リビエラとネプトゥーノ).両ホテルの宿泊客はトリトン・ホテルが受け入れ.リビエラの方は11月に再開される予定だが、ネプトゥーノはそのまま閉鎖に追い込まれる可能性もある。ほかに鉄鋼、セメント、紙など118の企業が操業を停止。被害期間は220 日間にわたり、被害総額は2 億ペソ超におよぶ。

9.15 アメリカ政府,6回目の宗教の自由に関するブラック・リストを公表.ワシントンが各国の宗教の自由をどう見ているかを示したもの.信教の自由がない国として、キューバとグアテマラを上げ、次いで「特定の懸念の対象となる国」として、ミャンマー、中国、イラン、北朝鮮、スーダンのほか新たにエリトリア、ベトナム、サウジアラビアを加えて、8カ国をあげる.また,パキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンは、公認されていない少数宗教に敵対的な国とされる.占領下にあるイラクとアメリカ自身は対象になっていない.

9.18 ドキュメンタリー「Looking for Fidel」を製作したオリバー・ストーン監督、「キューバ国民はカストロを支持し、アメリカの侵攻に対し戦う用意がある」と述べる。

9.19 プラハでキューバに関する3日間の国際会議。スペインのアスナール前首相、チリのアイルウィン前大統領、チェコのハベル前大統領らは「プラハ宣言」を発表、キューバ反体制派の囚人を直ちに釈放するよう要求。

9.20 マラドーナ、麻薬中毒の治療を受けるためキューバに向かう.

9.26 ハバナで、キューバ−ベネズエラ共同委員会の第5回会合。健康福祉、教育、スポーツ、農業など15分野における116協力プロジェクトが承認される。ベネズエラのエネルギー鉱山相ラファエル・ラミレスは、両国の通商は05年度に10億ドル近くになるだろうと発言。カストロは「この会合は、キューバ経済が破壊しつくされることを避けるために不可欠のものだ」と感謝の挨拶。

9月下旬 チャーリーに続いてハリケーン・アイバンがキューバを襲う。被害総額9.23 億ペソ、全壊家屋935 戸。

9.27 ベネズエラはキューバのハリケーン被害に対し食料、医薬品、飲料水、電気関係プラント、建設用の機器と機材など、2000トンの救援物資を積んだ船2隻と飛行機一機を送る。

9.30 ペレス外相が国連総会で演説。40 年以上にわたる制裁によって被ったキューバの損害は約793 億ドルに達すると述べる。

04年10月

10.01 ハバナ市内のリビエラとネプトゥーノ・ホテルが、電力不足から閉鎖される。と。、学校や職場の時間が30分短縮される。

10.02 アメリカ、ハバナの利益代表部を通じ、今年度2万3750人にビザを発給したと発表。「キューバは、医師と情報の専門家を差別的に出国を認めない措置を辞めるべきだ」と主張する。キューバは国内で大学教育を受けたものの出国は認めていない。

10.04 パウエル国務長官、「この半球の他の国にとってカストロほどの問題人物はいない。だが、彼は脅威だったと言った方が良い」と語る。CANFなど亡命キューバ人団体はいっせいに反発。

10.07 反体制派アンヘル・モヤの母親と妻,ハバナの革命広場で24時間の野営抗議活動.モヤは昨年に有罪判決を受けた75人の活動家の一人で、国際アムネスティから政治犯と認められている。

10.14 キューバ国家評議会,マルコス・ハビエル・ポルタル・レオン基礎産業大臣を解任.キューバに長期間の停電をもたらした電力危機の責任を問うもの.ポルタルは20年間基礎産業省を率いてきた若手の逸材.フィデル・カストロの姪、タニア・フラガ・カストロと結婚している.

10.20 カストロ,サンタ・クララのチェ・ゲバラ革命広場でおこなわれた芸術科中等学校の卒業式で,演説直後に転倒.右上腕と左膝関節を骨折.数秒後、椅子に座ったカストロは,「私はピンピンしている。自分がどのように倒れたか写真を見るのが楽しみだ.間違いなく明日の新聞の一面を飾るだろう.私はこのことで君たちを心配させることだけが辛い.気に入らないが、これで皆さんと失礼しよう.楽しんで下さい.悲しみは嫌いだ」

10.21早朝 カストロは病床から長ぁーいメッセージを発表.自らの病状について説明。

メッセージのさわり: 転倒した瞬間から、私がなすべき仕事を止めることはなかった.国の現状から重要な問題が山積しており、これに対処するために全身麻酔を拒否した.そして手術中も手術室の近くにいたそれぞれの部署の長とコンタクトを取り続けた.
一分たりとも無駄に出来ないこの状況の中、専門家と患者が一緒に状況を分析し完璧に協力した.整形外科医は破片の一つ一つを元の位置に納め、織物職人のようにきっちりと固定し、ステンレス・スチールの細い糸で縫い合わせた。金細工師のような仕事だった.これは全く忘れることの出来ない経験だ。

10.22 米国務省の当局者,「ずっと前からカストロが倒れるのを待っていたが、我々の頭にあるのはこの倒れ方ではない」と語る.アメリカのテレビ・ネットワークは、数回にわたり転倒場面を報じる.

10.21 国務省のバウチャー報道官,アメリカはカストロの速やかな回復を望まず、キューバの政策変換を要求すると言明.グランマは、「ワシントン政府の中で共通していることは、ためらいと良心の咎めに欠けていること」と論評.

10.25 カストロ議長,キューバでドルの流通を停止すると発表.ドルの所有は引き続き許される.これにともない,ペソ・オルディナリオ(通称ペソ・コムン)とペソ・クバーノ・コンベルティーブレ(兌換ペソ・CUC)の2種類のペソが流通することとなる.コムンのオフィシャル・レートは1ドル27ペソ,CUCは1ドル1ペソとなる.(つぶやき: 95年にキューバに行ったときは,ヤシの木の模様の「1ドル」硬貨をだいぶつかまされましたが,あんなものでしょうかね)

10.26 フランシスコ・ソベロン中銀総裁,ドルからペソ・クバーノ・オルディナリオへの交換は通常の30倍に達し、ドル口座の開設は10倍を超えたと述べる.また新政策の狙いが退蔵ドルの吸出しにあることを認める.

10.27 キューバへの観光客は、第1位カナダ(全体の28%)。以下イタリア、イギリス、スペイン、ドイツ、フランスの順。最近はアルゼンチン(90%増)やチリ(28%増)が急増。

10.28 ブラジルのドルマ・ロウセフ鉱業エネルギー大臣がベネズエラを訪問.キューバとベネズエラのエネルギー大臣との会合を持ち、支援策を検討する.「キューバは深刻な問題を抱えており、我々はそれを解決するための支援をすることが出来る」と述べる.

10.27 アメリカ国務省, 「(キューバのドル流通停止は)経済的に絶望的な行為であり、ブッシュ政権の対キューバ政策がカストロ体制を痛めつけるている証拠である」とコメント.

10.29 国連総会,アメリカによるキューバの経済封鎖を「できるだけ早期に」解くよう求めた決議を圧倒的多数の賛成で可決.フェリペ・ペレス・ロケ外相は、「これはアメリカの政策の孤立を示すものだ」と述べる.

10月 電力危機の責任をとわれ、マルコス・ポルタル基礎産業大臣が更迭される。閣僚ポストとしては国防大臣、内務大臣に次ぐ位置を占める。ポルタルはカストロ首相の姪と結婚しているエリート。

04年11月

11.01 国内でのドル流通を禁止。米ドルを兌換ペソに両替する場合10 %の課徴金が課せられることになる。さらに外貨商品が平均15.4 %値上げされるなどの引き締め策。

11.07 チャベス大統領が突然のキューバ訪問.車椅子のカストロ議長と8時間半にわたって会談.ブッシュ再選後の情勢分析が会談の主要テーマとされる.

11.08 在米専門家、ドル流通禁止は中長期にはマイナスとなる可能性があると指摘。「キューバ通貨のレートは、経済制裁措置ではなく、キューバ経済の非効率性、国際競争力の欠如、世界貿易への過度依存によって決まっている」のであり、通貨規制はドルへのアクセスを不便にし、キューバ系アメリカ人が故国に送金するうえで障害となるだろう。

11.17 欧州議会,キューバの人権と自由に関する進展がない間は、制裁解除をしないよう求めた決議を可決.賛成376,反対281,棄権26.左派系の議員が出したEUとキューバの対話を求める決議は否決される.

11.20 サンホセでイベロアメリカ・サミット(第14回)、「ヘルムズ・バートン法の適用はやめるべきであり、国際的に認められた権利を侵すこのような治外法権に対して、力を込めて拒否する」との宣言を採択。

11.22 胡錦濤中国主席,ブラジル、アルゼンチン、チリに訪問のあと、最後の訪問国としてハバナに到着.企業家200人が同行.「キューバは途方もない圧力に抗して国家の主権と独立を守り、独自の環境に合致した発展の道を切り開いた」と挨拶.カストロは中国の経済拡大を「世界経済のエンジン」と賞賛.

11.23 胡錦濤主席,約5億ドルを投資して2 か所のニッケル生産工場及びフェロニッケル工場を建設するプラントに調印。これによりニッケル生産量は二年間で7.6 万トンから12.1 万トン以上に引き上げられる予定。ほか数百億ドルの投資を約束.これを契機に中国との二国間協力関係が急激に進展。

11.29 ブッシュ米大統領、亡命キューバ人グティエレスを商務長官に指名。

カルロス・グティエレス: パイナップル栽培農家の息子としてバナナ市に生まれ、1960年家族とともに米国に亡命した。2000年ケロッグ社の最高経営責任者(CEO)に就任している。

11.30 キューバ当局,反体制派活動家12人を保釈.このなかには,プレンサ・ラティーナの元モスクワ特派員のラウル・リベロ・カスタニェーダ(59)もふくまれる.国連は今年リベロに「ギジェルモ・カーノ表現の自由賞」を贈っている.米当局、キューバの反体制派の出所は国際的な圧力によるもので、スペイン政府の行動の成果ではないと言明。

04年12月

12月3日 ラウル・カストロ、共産青年同盟の第八回大会で演説。徴兵に積極的に応じるよう求める。90年代始めには30万人であった軍人数は現在5万5千人まで減少。

12.07 反体制グループのマルタ・ベアトリス・ロケ,「キューバの民主主義確立を視野に市民社会を再建する」ため、来年大規模な集会を開こうと呼びかける.

12.08 ウルグアイのガルガーノ次期外務大臣,新政権が発足したときには、キューバとの国交を再開するだろうと言明.

12.13 キューバで86年以来の戦略的な軍事訓練「バスティオン(砦)2004」が開始される.この訓練には100万人単位の民兵が参加する。一週間の訓練の最初の5日間は通常兵と予備兵10万人が加わる.

フィデルの演説: 我々にとって戦争を避けることが戦争に勝つことだ。そのためには汗の川を流すことだ。それは血の川よりはましだ。
ラウルの記者会見: アメリカはこの訓練をつぶさに見て欲しい。イラク国民に比べ格段に団結し力を持っているキューバ国民を低く評価しないでもらいたい。

12.13 共産青年同盟のオットー・リベロ・トーレス第一書記が、閣僚協議会の副議長に任命される。ほかの副議長はオスマニ・シエンフェゴス、ホセ・ラモン・フェルナンデス、ペドロ・ミレットと経済計画大臣のホセ・ルイス・ドロリゲスである。

12.16 ハバナで米国の農業企業との商談会が始まる。キューバ外国貿易省はアメリカからの食料輸入が、今年4億7000万ドルに達する見通しと発表.アメリカはベネズエラ、スペイン、中国、カナダ、ホンジュラスに次いで6番目の通商相手になっている.

12.17 アメリカ利益代表部が敷地内にクリスマスの電飾。反体制派への支援を掲げる。キューバ政府はこれに対抗し、代表部の正面にアブグレイブの写真を掲げる。

12.24 カストロ議長,ハバナの東60キロ、サンタ・クルス・デル・ノルテの海岸で,少なくとも数億バレルの原油資源を発見したと発表.従来のキューバ原油よりも軽質で、硫黄分は5%未満、自力で噴出していると述べる.

12.29 キューバ中央銀行、外貨及び兌換ペソでの収入及び支出は中銀が一元的に管理すると発表。

12月 ベネズエラとの間に各種の経済・貿易協力協定。キューバの年間石油消費のほぼ半分にあたる470万トンの石油の供給が保障される。

12月 政府、経済成長率を5 . 0 %と発表(CEPALの推計では3.0 %)。5月の大停電事件、過去74 年間で最悪の干ばつ(被害額8.34 億ペソ)、ハリケーン・チャーリーなどの被害にもかかわらず、観光(2004 年約25 億ドル)とニッケル輸出(約10 億ドル)を中心に順調な経済の回復。ニッケル生産は、対中国輸出の増加もあり前年比7.5 %の伸び。国際価格の高騰に支えられ収入も増加した。

 

2005年

1.20 ディーゼル油の消費者価格が通告なしに値上げ。これまでの8か月で66%の上昇となる。ガソリン価格は昨年5月以来維持されている。

1.30 メキシコのベラクルスに入港したギリシャ船が、キューバ難民18人を降ろす。彼らは10日も漂流し、5日前に食糧も尽き、ギリシャ船に救助された。18人は移民局に引き渡され、キューバに送還される予定。これとは別に、メリダ沖で、2人のキューバ難民遺体が発見される。遺体は手作りのボートで漂流していた。死因は脱水症で死後4日と推定される。ユカタン半島近海ではこの10年に202人のキューバ人が救出され、そのうち14人が亡くなっている。

1.31 EU外相会議、キューバとの外交制裁の一時停止を承認し、関係正常化を図ることを決議。政治・経済・人権や協力問題などについて建設的な対話を図る用意があることを表明。政治犯の即時無条件釈放など人権問題について、引き続きキューバ政府に要求。

1月 キューバ企業間の外貨による取引を禁止。兌換ペソのみの取引として、中央銀行の管理体制を強化する。

2.01 カストロ国家評議会議長、米政府のキューバ攻撃に抗議。ブッシュが政権を転覆するつもりなら、「核兵器を50個使って滅ぼすよう助言する。われわれは恐れない」と決意を強調。

2.02 ハバナで世界識字大会が開催される。メキシコのミチョアカン州ではキューバの援助の下に識字運動が取り組まれ、2年間で非識字率が14%から8.5%に低下した。会場では、55才で字を覚えたサトウキビ農家の男性が、カルデナス州知事とカストロ、そしてキューバの人々に感謝の言葉を述べる。「ラサロ・カルデナス将軍(知事の祖父)の時代から、メキシコとキューバの関係は不滅です。たとえメキシコをキューバから引き離そうとする人がいても、この絆はビクともしない」

2.07 キューバのレストラン、カフェテリア、劇場、映画館、オフィスなど公的な場所では禁煙となる。キューバの葉巻はこの国の輸出収入の10%を占める。

2.10 ディック・ラガー上院外交委員長、ラリー・クレイグ議員など20人の上院議員が、農産物のキューバ輸出振興法案を提案。財務当局などが輸出代金の送金を複雑化する手段を取らせないようにし、通商目的のキューバ人のアメリカ入国を許可する内容。クレイグ議員は、「EU、中国などにキューバ市場を譲ることになる」と危機感を強調。キューバはアメリカから3億6000万ドルの農産物を購入している。

2.11 カストロが、グロバリゼーションに関する国際エコノミスト会議(ハバナ)で演説。42カ国からの参加者1400人を前に、5時間にわたる演説。「キューバは不死鳥のように再生した。我々は常に革命を続けている」と語る。

@特にあなた達に言っておくが、もしチャベスが暗殺されたら、その責任は全面的にブッシュにある。これは世界の世論に向かって言っているのだ。他国のリーダーを好きな方法で殺そうとする帝国とは戦わなければならないからだ。
A1990年代の限定されたドル流通政策を回顧し、「これほどの後退と不平等が起きたことはない」と述べる。また1990年代の企業自治について、「この制度はお互いに盗りあいをし、我々を地獄に連れて行こうとした」と非難。このシステムを放棄することによって、幹部1300人が不要になったと述べる。
Bルーラ政権について、「不満な人々がいることは知っているが、これは率直に言っておこう。ブラジルの労働者党にもルーラにも、私は希望を失っていない」

2.11 観光省、観光産業に従事するキューバ人が、外国人から個人的な贈呈品や招待を受けたり、外国人が主催するパーティへの未許可参加を禁止する。

05年3月

3.04 キューバ政府とカナダのシェリット・インターナショナル社、ニッケル生産の増大を内容とする契約に調印。調印式にはカストロも出席。

2.14 国営企業が「中銀外資承認委員会」の事前承認なしに外国企業との取引を行うことを禁止。

3.10 ルイジアナ知事、キューバを訪問。1500万ドルの食料売買契約などに調印。

3.16 干害によるサトウキビ収穫の激減。今年の砂糖生産は20世紀初頭以来の150−170万トンに落ち込むと予測。

3.18 カストロ議長、兌換キューバ・ペソを7%引き上げると発表。年金と社会保障受給者への給付金の倍増を発表。また演説の中で、労働者の賃上げの可能性を示唆し、2年以内にはエネルギー不足による停電が完全になくなるとの見通しを明らかにする。

3.18 国際アムネスティ,キューバには今もなお70人の思想犯がいるとし,彼らを直ちに釈放するよう要求。

3.19 キューバの反体制活動家で、ヨーロッパ議会サハロフ賞の受賞者オスワルド・パヤー、キューバの人権侵害を激しく非難。キューバ政府は繰り返し人権侵害を否定し,反体制派はアメリカの情報機関に雇われたものだと主張。

かなりデマっぽい内容: 「キューバには行方不明者がいる。誰が不明者かも分かっている。手足を切断されたり血管を切られたりした受刑者がいる。また石油を注射されたり、恐怖から逃れようとして自殺したりしたものもいる」

3月 米政府、キューバへの輸出はキューバ側の支払が確認されてからの出港のみ認めると発表。米国からの食糧輸出は、04年度には4億ドルまで増大。

3月 ポサダ、マイアミに密入国。偽造書類や偽証などによる不正入国をはかる。

05年4月

4.02 カストロ議長、ハバナ大聖堂で行われた法王ヨハネ三世の告別ミサに出席。国会議長アラルコン、副議長のカルロス・ラヘとエステバン・ラソ、外相のフェリペ・ペレス・ロケらが列席。アメリカ利益代表部のジェイムズ・ケイソンも出席。

4.09 キューバは兌換キューバペソの8%切り上げを実施した。中銀はこの措置を通貨の購買力を反映させるためのものと述べる。

4.12 米紙報道によれば、ルイス・ポサダ・カリレス(77)が、メキシコから米国に30日前に不法入国し、政治亡命を申請。顧問弁護士は、「ポサダは約40年にわたってCIAに協力してきており、保護されるだけの要件を備えている」と強調した。

4.15 国連人権委、米国提案の反キューバ決議を賛成21、反対17、棄権15で可決。ラテンアメリカではグアテマラ、ホンジュラス、メキシコとコスタリカが賛成。

4.17 キューバ地方選挙。投票率は96.6%、有効投票は90%を超える。

4.22 ジュネーブの国連人権委員会でキューバ弾劾決議が可決される。キューバはグアンタナモ米軍基地の査察を受け入れるよう求める決議。

4.23 カストロ議長、農業・工場労働者ら約165万人を対象に、最低賃金を100ペソ引き上げて225ペソ(10ドル)にすると発表。

4月 融資・貸付が認められたキューバで最初の外資系銀行であるベネズエラ産業銀行支店が開設。

4月 ドル使用に当たっての課徴金が18 %に上乗せされる。さらにその他の外貨についても8 %の課徴金。

05年5月

5.17 ポサダ、マイアミで記者会見。米政府は会見後にポサダを不法入国容疑で拘留。ブッシュ政権は、ポサダの亡命申請を却下するが、ベネズエラの引渡し請求に対しては、「送還すれば拷問が行われて公正な裁判が見込めない」として送還を拒否。

5.18 バウチャー国務省報道官は、テキサス州の移民裁判所による移民法違反での審理が優先するとし、「これは政治問題でも外交問題でもない。法律に基づいて処理する」と語る。ポサダのテロリストとしての活動は、CIAなどの公開資料で確実であるにもかかわらず、たんなる密入国者として対処することとなる。

5.18 ベネズエラ政府、ポサダの引渡しを求める。チャベス大統領、ポサダの身柄引き渡しに応じなければ「米国との外交関係を見直す」と述べる。また「米国にはよいテロと悪いテロがあるようだ」と皮肉。

5.18 ハバナでポサダの引渡しを要求する120万人のデモ。カストロ議長はポサダの身柄引き渡しを求めるとともに、ブッシュ政権の対テロ戦争を「偽善」と厳しく批判。

05年7月

7.26 テキサス州エル・パソ移民留置センターのウィリアム・アボット判事、「ポサダ・カリレスは76年にテロの罪状で留置された前歴を持ち、逃亡のおそれもあるため、保釈を認めない」と発表。

7.26 マイアミ・ヘラルド紙、「ポサダ・カリレスは、00年4月26日に偽造パスポートを使用してマイアミ入りしたことがある」と報道。ポサダ・カリレスは、フランコ・ロドリゲス・メナの名でエル・サルバドルに在住し、3回にわたって入国記録を残さないようにアメリカに入国していた。同紙は、「テロの目的で偽造パスポートを使うことは、25年の刑になる」とコメントする。

7月26日 カストロ議長が革命記念日の演説。5億ドルを投じる大規模な電力設備改善が進行中と強調。「2006年下期には停電の恐れはなくなっている」と公約する。

05年8月

8.15 ラムズフェルド米国防長官が南米を歴訪。ボリビア政情不安にキューバとベネズエラが関与していると非難する。チャベス大統領は「世界を破壊しているのは米帝国主義だ」と反論。

8.20 キューバとパナマ、昨年8月以来断絶していた国交を回復。ハバナでの調印式にはカストロ、トリホス大統領のほか、ベネズエラのチャベス大統領も列席。

8.21 チャベス大統領、「アロー・プレシデンテ」をキューバから生中継。カストロをゲストに5時間近い“トークショー”を演じる。二人は揃って緑色の戦闘服姿で登場。

05年9月

9.28 ウィリアム・アボット移民担当判事、「ポサダ・カリレスをハバナやカラカスに送れば拷問される恐れがある」とし、身柄を引き渡さないことを決定。移民関税当局は、「第3国に引き渡すことを妨げるものではない」と言明。

9.24 ハバナと中国の首都・北京が姉妹都市として提携。

9月 ハバナで非同盟諸国首脳会議が開かれる。116の加盟国から50人の首脳が集まり、新たな世界状況における原則と目的について話し合う。

10月初め 非同盟諸国首脳会議に続き、キューバとベネズエラの経済協力会議。来年の経済協力は、先週カラカスで行われた第6回合同委員会。25分野に及び、金額は8億ドルに達する。キューバは日量9200万バレルの石油をペトロカリベの一環として受け入れる。

10.28 アメリカ国務省は、ハリケーン・ウィルマで被害を受けたキューバに人道支援を行うと発表。カストロは「キューバが望んでいるのは相互支援である」として、これを拒否。

10月 バラゲール厚生相、キューバの制裁による被害額は820 億ドルに達すると述べる。

10月 キューバ当局は、ハバナ市内の交通事情は、1988年以降市内バスが75%減少していることから、危機的事態にあることを明らかにした。

ハバナの交通事情: 1988年当時、2700台のバスが走り、一日340万人が利用。現在は700台に減少し、利用客は60万人に過ぎない。中国から供与された200台のバスと機関車は、州間交通のみに使われる。政府は約100万台の自転車を購入したが、何キロもの道を往復して通勤するのは困難であったため、姿を消した。

05年11月

11.01 フィデルがマラドーナとテレビで対談。「キューバは決して米州機構(OEA)に戻らない。あれは悪臭がする」と発言。

11.08 国連総会はアメリカに対し、トリチェリ法・キューバ民主化法・ヘルムズ=バートン法の三法廃止と経済封鎖解除を求める決議を14年連続で採択(賛成184ヶ国 米国、イスラエル、マーシャル諸島、パラオは反対、ミクロネシアが棄権)。

11.17 ハバナ大学法学部でカストロの入学60年の記念式典。カストロが自ら演説。

演説の骨子: アメリカはキューバの政治体制を倒せない。しかしキューバ人自身が腐敗などの原因でそれを崩壊させる可能性がある。
悪習、横流し、汚職、不平等、不公正が社会にはびこっている。ハバナではガソリンやセメントなどの横流しが、流通量の半分にも及んでいる。外貨ショップでは電気製品、生活物資その他の物資が横流しされている。私営のレストラン、タクシーが暴利をむさぼっている。
賃金制度、価格制度、年金制度、補助金制度を合理的に改革する必要性がある。配給制度も廃止すべきだ。

11月 アメリカがキューバの6番目の通商相手となる。ベストファイブはベネズエラ、中国、スペイン、カナダ、オランダ。主要な貿易産物は食料。

11.30 パナマのマルティン・トリホス大統領、キューバを訪問。眼の「奇跡の手術」を受ける患者78人に同行したもの。「パナマの貧しい人々が、視覚を回復する機会を与えられたことに感謝を示すのが義務だと考えた」と述べる。

奇跡計画: キューバが全ての医療施設と眼科医を提供し、ベネズエラがそれぞれの国からハバナまでの航空運賃を負担するプロジェクト。すでにベネズエラ、ウルグアイ、ボリビア、パラグアイからの患者が来ている。

05年12月

12.23 フェリペ・ペレス・ロケ外相、定例人民議会の最終発言者として、カストロのハバナ大学発言についてコメント。「社会に国家財産の盗みを否定しない傾向がある。これは生活物資の不足ではなく、信念の不足による」としたうえで、体制を守るための3つのポイントを示す。1.軍と指導者の道徳的権威を維持すること 、2.共産党へ結集し、国民大多数の支持を得ること 、3.所有階級を生み出さないこと。

ペレス・ロケ 発言の時点で40歳。大学生連盟の会長、国家元首協力支援チームのメンバーを歴任、99年外相に任命された。今回は外相の役割を超えて、極めてセンシティブな戦略的テーマに触れたことになる。

12 キューバ中央銀行総裁フランシスコ・ソベロンが国会で報告。賃金や配給制度が国民生活の需要を十分カバーできなくなり、深刻な不公平を生み出していると述べる。そして現体制を維持するためには、国民生活のレベルを高め、再生可能な発展が必要だとし、配給制度の廃止と賃金改革を提言する。

12月 ベネズエラとキューバ、米州ボリーバル代替構想(ALBA)にもとづく社会経済統合プロジェクトに調印。アメリカ主導の米州自由貿易協定(ALCA)に反対する立場を明らかにする。

12.22 ホセ・ルイス・ロドリゲス経済計画相、05年の経済成長率が11.8%に達したと発表。これはキューバ革命以来、最高の成長率。貿易額は2年前の4倍近い約30億ドルに膨らむ。外国人観光客が昨年初めて年間200万人を突破して外貨収入が増え、ニッケル生産も中国向けを中心に順調なため。最大の貿易相手国ベネズエラ(26%)からは毎日9万バレルの石油を輸入。次いで中国(15 %)、スペイン(9 %)

キューバにおけるラテライト鉄鉱石の埋藏量は20億トン、その中に包含されるニッケルは1.7億トンであり、世界最大の規模といわれています。ニッケルの輸出はいまや全輸出の46%に達しています。最大仕向地はオランダで28 %、次いでカナダが20 %を占めています。日本はヘルムズ・バートン法以来、輸入ゼロとなっています。

2005年 2004/2005 年度の砂糖生産、1908 年以来最悪の130 万トンとなり、輸出国から輸入国に転じる。長期に亘る干ばつにハリケーン・デニスが追い討ちをかける。

製糖産業の状況: キューバには156カ所の製糖工場があるが、工場の平均圧搾能力は、世界の標準と比較すると小さく、1日当たりさとうきび約4,200トンである。そのほとんどは1925年以前に設立されており、緊急に近代化する必要がある。98/99年度に操業したのは113工場であった。現在の生産量の水準で競争力を維持するために、キューバの砂糖産業は莫大な資本の投入を必要としている。政府は、外国の資金供給を希望しているが、同時に外国の資本提供に対する強い抵抗も存在している。

 

2006年

06年1月

1.06 ケネディ暗殺はキューバによるものとするドキュメンタリー「死とのアポイントメント」が。ベルリンで上映される。ドイツ外務次官ヘルムート・シェーファーは、「キューバの秘密機関が米大統領へのテロを企てるなど絶対にあり得ないことで、まったく政治的論理性を欠いている」とコメント。

1.08 「グランマ」紙、「死とのアポイントメント」の内容を否定し、作者ウィルフリート・フイスマンを非難。ポサダ・カリレスを釈放するために、その関心をそらそうとするものだと指摘。

1.09 マイアミ連邦地裁、フロリダ大学職員のカルロス・アルバレス61歳とエルサ・アルバレス55歳の夫妻を、キューバの秘密エージェンシーのために働いていたとして拘留。検察側は、夫妻がデイビッドとデボラの名で、反カストロ体制のグループや個人を監視する役割を果たしていたと主張する。

1.15 中国との機関車・バスの売買契約による第1期分として、機関車12両とバス1,200台が到着。受領式にはカストロ議長が出席。カストロ演説によれば、機関車1台あたりの価格は130万ドルで、米国製300万ドルの37%。燃料効率、コストともアメリカ製より優れているとされる。

1.16 ハバナの米利益代表部が電光掲示板を設置。「今日はマーティン・ルーサー・キングの誕生日です。私は夢がある。いつの日か国民が立ち上がることを夢見ている」などと反革命をあおる宣伝を流し始める。
 

電光掲示板: 代表部ビルの5階部分の壁に据え付けられたもの。長さ約30メートル、高さ約1メートル。マレコン通りのさまざまな方向から見ることができる。

1.17 カストロ国家評議会議長、「明白な挑発だ」と電光掲示板に強い不快感を表明。「米外交官はゴキブリ」などと反発。

1.18 キューバ、アメリカから70万トン(1億ドル)のトウモロコシを購入することで合意。01年のミシェル・ハリケーン以降の農産物購入額は、累計で670万トン(18億ドル)に達する。

1.21 米財務省、「ワールド・ベースボール・クラシック」に参加するキューバ代表チームの米入国を認める。

1.21 ハバナのラテンアメリカ医学学校で、ラテンアメリカとカリブ海出身の学生1610人の卒業式。ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領、パナマのマルティン・トリホス大統領、エクアドルのアレハンドロ・セラーノ副大統領、サンバンサンなどカリブ海諸国の首相が出席。

ラテンアメリカ医学学校: 1999年遠隔地にいる貧しい青年を募集し、医師として育て、ふたたびその地域で貢献してもらおうとするもの。1998年、ハリケーン・ミッチの襲来後のラテンアメリカの医療不足を見て、急いで軍施設の再活用をし、アメリカを含む米州大陸の若者たちに呼びかけた。現在、ラテンアメリカ・カリブ28カ国、33民族の1万508人が学んでいる。その71%は、貧困家庭の出身者である。

1.23 政府がアメリカに抗議するデモ(マニフェストドロモ)を呼びかける。ハバナの米利益代表部前に約140万人が集結。カストロ議長やニカラグアのオルテガ元大統領も集会に参加する。

1月 イラン国会議長がキューバを訪問。アラルコン国会議長は「誰も、どの国民に対しても、核エネルギーの平和的利用の権利を否定できない」と述べ、イランの核開発を支持。

06年2月

2.02 欧州議会、キューバにおける人権問題に改善が見られないことから、キューバとの関係見直しをEUに勧告。また03年キューバ制裁を凍結した昨年の決定の見直しも示唆。732議席のうち、賛成が560票、反対が33票、棄権が19。

2.03 メキシコシティーのマリア・イサベル・シェラトン・ホテル、宿泊中のキューバ通商代表団を追い出す。3日分の前払い料金も没収。

キューバ政府通商使節団: ラウル・ペレス・デ・プラド基礎産業省第一次官を団長とする16人のメンバー。メキシコ市内で米民間企業ビジネスマンとのエネルギー・ビジネス・セミナーを開催していた。

2.04 米国大使館のジュディス・ブライアン報道官、シェラトンホテルの措置が米国財務省の指示で行われたものであることを確認。米国企業にキューバとの取り引きを禁じたヘルムズ・バートン法に違反したためだとする。

マリア・イサベル・シェラトン・ホテル: シェラトン・ホテルの系列だが、直営ではなくフランチャイズ方式をとっており、所有主はアリゾナ州フェニックスを本拠とするスターウッド・ホテルズ&リゾーツ・ワールドワイド社。

2.07 ハバナのアメリカ利益代表部、「過去47年のテロ犠牲者を悼む」ため黒い旗を掲げる。これに対抗し「米国政府によって組織され、資金提供され、支持されたテロ行為の犠牲者3千人以上」を悼む集会が開かれる。カストロ議長は、ポサダ・カリレスのベネズエラ引渡しを要求。

2.19 カストロ議長、イランの核問題について「核エネルギーを利用する権利を確固として支持する」と表明。

2月 経済犯罪が深刻化する。報道では総額650万ペソ、26万ドルに達した。この問題の責任を取り、バルバラ・カスティージョ経済相が国家協議会によって解任される。

06年3月

3.08 国務省、人権に関する年次報告を発表。キューバについては、「深刻な人権侵害」と非難し、政治的動機から少なくとも333人が囚われていると指摘。監獄は「途方もなく厳しく」、しばしば家族との会見、適切な栄養、陽光を浴びることも拒否されるとされる。ベネズエラについては、「市民社会と独立メディアが攻撃され、「表現、組織、集会の自由が損なわれている」とする。

3.15 国連総会、人権理事会の創設を圧倒的多数で決定。アメリカ、イスラエルが反対。ベネズエラ、イラン、ベラルーシは棄権に回る。

国連人権理事会: 国連人権委員会(53カ国)はアメリカよりと批判され、理事国の選出方法も必ずしも民主的ではなかった。国連総会はこれに代わるものとして、47カ国からなるの創設を提起した。米国は重大な人権侵害があるとされた国が選出される可能性があるとして、理事会の創設そのものに反対の態度をとる。

3.23 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で準優勝となったキューバ・チームが帰国。国家スポーツ院のアンヘル・イグレシアス副総裁は、「最も重要なことは全員が帰国したことだ」と述べる。

3月 キューバ政府、2006年のGDP成長率見通しは、昨年に続き10%を超えると発表。ニッケル輸出や観光産業が好調だったことが理由。

06年4月

4月初め キューバ、チェコ大使館ののスタニスラフ・カゼツキー参事官がアメリカのために働いていたと非難、ビザ延長を拒否する。ペレス・ロケ外相は、「カゼツキーが反体制派に金銭と情報を渡していた」と述べる。チェコは「キューバの人権について開かれた政策を展開してきた」と反論。

4.03 メキシコ連邦政府、マリア・イサベル・シェラトン・ホテルに約11万5千ドルの罰金を科す。海外法律を国内に適用したことに対する制裁とされる。フォックスは、ホテル自体に責任があるとして、ホワイトハウスに対しては抗議せず。ホテルは数時間閉鎖されたが、メキシコ法を順守すると約束して再開した。

4月3日 キューバ当局、アメリカへの密出国を図った7人の女性を逮捕。7人はいずれも子持ちで、総勢37人。ピナル・デル・リオ州で高速ランチに乗ろうとしているところを摘発された。

4月6日 ライス国務長官、国連人権理事会の選挙に向け声明。「人権を体系的に侵害している国家の選出に反対する」とし、イラン、キューバ、ジンバブエ、ビルマ、スーダン、北朝鮮をあげた。

4.11 キューバ司法当局、不法出国を幇助するメキシコ人組織を摘発。組織の本拠地はカンクンにあり、2005年には200人を輸送、200万ドルの収入を得ていたとされる。

4.12 ブッシュ政権、キューバの「移行コーディネーター」にカレブ・マカリーを任命。5900万ドルの予算をつける。マカリーは、「47年間の野蛮な専制政治から、キューバ人に自由を取り戻させるため、ラウル・カストロ、カルロス・ラヘ副議長、フェリペ・ペレス・ロケ外相らにフィデルの地位を継がさせないことを目指す」と述べる。

4.12 キューバは、ロシアからイリューシン96-300、イリューシン96-300など7機の航空機を購入を決定した。

4.15 ライス国務長官、人権理事会選挙に向け@人権に対し真にコミットする国家、A人権を体系的に侵害している国家を支援しない国家、B人権侵害やテロを行わない国家、の三条件を上げる。イラン、キューバ、ジンバブエ、ビルマ、スーダン、北朝鮮を当選させないよう工作を開始。

4.16 「ALCAに反対する第4回西半球会議」がハバナで開催され、36カ国から約400人が参加。「ホワイトハウスの軍国主義的思考が、ラテンアメリカを危険に陥らせている」とし、軍事的脅威の強化に対抗し、ラテンアメリカの結集を呼びかける。

会議の主要な論点: 「ALCAをいかにして決定的に葬るか」について討論。「米帝国主義、ネオリベラリズムとたたかうためには、民衆によるたたかいに勝つことが決定的」との見方で参加者が一致。また組合・農民・先住民指導者は、思考と行動のレベルをより高度なものとする必要があること、ACLAの代替策として、米州ボリーバル代替構想(ALBA)やエボ・モラレスの「大衆貿易協定(TCP) 」に留意すべきであるとする。

4.23 ラウル・カストロ、退役軍人などを前に演説。「我々の世代が全てこの世を去ることは、生き物の常として当然ことであり、そう先のことではないが、その後の革命の将来については楽観している。我々の領土は国民と軍との団結により維持されるだろう」

4.27 タララでチェルノブイリ20周年記念式典。ウクライナ大使がユシェンコ大統領の感謝のメッセージを伝える。「キューバ国民はウクライナ国民の苦しみと痛みに初めて応えてくれました。そしてその助けを、最も感じやすく最も保護されていなかった人々、ウクライナの児童に向けてくました」

チェルノブイリ・キューバ・プロジェクト(06年報告): 90年3月未曾有の経済危機の中で開始された。このプロジェクトはキューバの資金負担によって行われ、90年代の経済危機の間も維持された。ハバナ東方20キロのタララ保養地区で、年間約800人、16年間で延べ1万8546人の児童が、45日から1年滞在して治療を受けている。これまでの死者は15人で、16件の骨髄移植を行った。

4.27 アラバマ州議会、連邦政府に対し対キューバ貿易と渡航の制限を廃止を要求するよう求める決議を採択。

4.28 フアン・カルロス・ロビンソン・アグラモンテ政治局員(50才)、「権力の濫用」と「不正直な行為」を理由として解任される。党は汚職に対するキャンペーンを強化すると発表。ロビンソンは学生運動の指導者から大学教授(社会学)を経て1997年に政治局員に登用された。数少ないアフリカ系キューバ人指導者の一人だった。

4.29 武器の不法販売で逮捕されたロバート・フェーロ(61才)の自宅から、狙撃用ライフル、サイレンサー付きピストルなど1571挺の火器、手榴弾が発見される。フェーロは「アルファ66」のメンバー。キューバ生まれで米国籍を持つ。

4.29 ペンタゴンのスポークスマンのジェフェリー・ゴードン中尉、フェーロの発言を根拠のないものと否定。

フェーロの発言(ロサンジェルス・タイムズ紙): フェーロは「自分もふくめ50人のアメリカ市民が、カストロを倒すためにキューバに行こうとしていた。武器はワシントンから供給された。カリブ海の軍事演習に合わせて使うと言われた」と自白。さらに「自分が生まれたキューバを解放したい。ブッシュとイラクでしたことと同じことをしたのに、どうして私がこのような問題に巻き込まれるのかわからないと語る。

4.30 ハバナでカストロ・チャベス・モラレスの三国首脳会談。相互補完の経済協力を定めた「人民貿易協定」に調印。ボリビアはこれを機にALBAにも調印。これにより、キューバやベネズエラからの優遇措置を受けて、大豆、コカの葉、穀物などを輸出できる。ベネズエラはボリビアに対し、石油化学を学ぶボリビア青年5千人の奨学金を送り、また開発プロジェクトに1億ドルを提供する。

4.30 パナマの汚職担当主席検事メルセデス・デ・レオン、ルイス・ポサダ・カリレス釈放に関わった、ミレジャ・モスコソ前大統領時代の関係者を捜査すると発表。当時の官房・司法大臣、警察情報調査部長、国家警察長官、移民部長などが対象。

06年5月

5.01 カストロ議長、メーデーの演説。石油需要の45%を国内生産していると発表。キューバの生産は一日平均7万6千バレルで、このほかベネズエラから9万8千バレルを輸入している。またベネズエラとの緊密な関係により、経済が活性化しているとのべる。

5.03 ライス国務長官、「アンデス諸国にラテンアメリカの新しいポプリスモが起こりつつある。座視することはできない時点に来ている」と述べる。

5.07 ブッシュ大統領、グアンタナモの拘留センターを閉鎖する意向を表明。

5.09 国連人権理事会、119カ国の投票で理事国39を選出。理事国にはチュニジア、中国、サウディアラビア、ロシア、キューバなど人権保護団体の批判の的となっている国が含まれる。ラテンアメリカでは、アルゼンチン、ブラジル、エクアドル、グアテマラ、メキシコ、ペルー、ウルグアイが選ばれたが、ニカラグア、ベネズエラ、ホンジュラス、コロンビア、コスタリカは当選最低票の96を得られなかった。

5.09 アメリカのジョン・ボルトン国連大使は、キューバの当選に対し皮肉をこめて「喜び」を表する。キューバは135票を獲得したことは、国際的に権威づけられたと、当選を祝う。

5.11 キューバの反体制派活動家オスワルド・パヤ、「全キューバ国民計画」を発表。政府と反体制派、亡命者による対話を求め、多党主義にもとづく選挙実施を提案。経済面では私企業の育成と市場開放を要求。バヤはキリスト教解放運動(MCL)の党員で、EU議会のサハロフ賞を受賞した。

5.15 「フォーブス」誌、カストロが9億ドルに及ぶ個人資産を保有していると報道。カストロは特別番組で4時間以上に及ぶ反論。「フォーブス」誌に証拠を示すよう要求し、「もし外国口座が発見されたら、自分は辞任する」と発言。同誌は、カストロが国家企業や貿易会社をコントロールしていること、多くの国家からの贈答品があることを理由としているが、情報源は明らかにしていない。

5.17 フォーブス誌、各種国営企業の財産から議長の持ち分を算出したと説明。カストロが外国の預金口座に資金を隠している事実はないことを認めたが、「もしカストロのような人物が、国外に逃れようとし、巨額の金を持ち出そうとすれば、それは出来るだろう」と釈明する。

06年7月

7.01 ライス国務長官のもとに置かれた「自由キューバの支援委員会」、2年間に8千万ドルの予算を充てて、キューバの民主的変化を促すための経済的圧力をかけるべきだと答申。

7.31 カストロ議長、急性腸管出血にて手術。ラウル(75)が党書記長、 軍最高司令官、 国家評議会議長・閣僚評議会議長の権限を代行。カストロは長期休養を予測して、政府指導部に政策の継続を要請。「アメリカ帝国主義とたたかい、祖国の独立を維持する」ことを強調。

7.31 マイアミでは数千人が街頭に出て、カストロの重病を祝う。

06年8月

8.01 キューバの国内テレビネットワークが、ピーク時の番組を中断して、カストロの病状を伝える。「極度のストレスから出血を伴う急性の腸障害を起こし、複雑な外科手術が必要となった」とされる。

8.03 カストロ重態との報道を受けたブッシュ米大統領、「われわれは民主主義を約束し、キューバに移行政権を樹立する努力を支持する」と「政権転覆」を呼びかける。ラウルとの交渉の可能性を否定。

8.04 キューバ政府、ブッシュ声明に反論。「アメリカの軍事的侵攻に対する準備が出来ている」と声明。

8.06 ハイメ・オルテガ枢機卿、キューバへの外国の干渉を絶対に受け入れないと発言。「祖国のために祈ろう。現在のキューバとそれを率いる人々のために祈ろう」と呼びかける。

8.07 ライス国務長官、アメリカはキューバには侵攻しないと言明。キューバ人に対し、冷静さを保ち、不安のあまり米国に逃げ込まないよう訴える。

8.16 ボリビア医師会、キューバ人ボランティア医師を「法に反し、我々の職業を侵害している」と抗議。これに対しラパス駐在キューバ大使ラファエル・ダウサは、「この5ヶ月半の間に120万人の患者を診察、医師がいなければ死んでいた生命1800人を救った」と反論する。

ボリビアへの医師支援: モラレス左翼政権が発足して以来、1710人のキューバ人医師が支援を行った。キューバ人の医師は、112の県のうち109に存在する。さらにキューバは7つの眼科センターと15の病院を供与している。

8.24 ニッケル国際相場、史上最高値のトン当たり34,750ドルを記録。

06年9月

9.06 ボリビアのエボ・モラレス大統領、急遽ハバナを訪問。フィデル・カストロ議長と二時間以上に渡って会見し、二国間問題、自国の憲法議会について話し合う。

9.12 ハバナで第十四回非同盟首脳会議。正式参加国は前回より2カ国増えて118カ国。このうち50カ国の首脳が出席する。

9.20 「ハバナ宣言」は、「国連憲章と国際法の擁護、多国間主義の促進」を強調。また、「グローバル化の結果として低開発、貧困、飢餓、疎外が重大化している」とし、「米国の一国覇権主義と対峙し、団結した行動を強めることが、かつてなく求められている」と述べる。キューバのペレス外相は「非同盟運動が事実上、再生した。新しい段階の始まりだ」と強調。

06年10月

10.01 キューバ共産主義青年同盟の機関紙「フベントゥ・レベルデ」など、ハバナ市の国営サービス業22,700店のうち11,700店が不正行為を行っていると報道。

10.11 アメリカ政府、「キューバ制裁推進作業グループ」を新設。キューバに対する通商制裁の実行を監視し、それを犯した者に対する追及を厳しくすると発表。「カストロ体制を経済的に孤立させ、民主主義への移行を早める」ためとする。

10.11 ブッシュ政権、キューバ民間航空機に対するテロについて、ルイス・ポサダ・カリレスの責任を認める。しかし「テロリスト」であると認めることは拒否した。

06年11月

11.15 連邦法廷、サンチャゴ・アルバレスに46ヶ月の刑を下す。アルバレスは05年11月、禁止されている武器を保有し逮捕された。また、パナマにおけるポサダの裁判やアメリカへの入国に際し資金を援助。

11.15 連邦政府が「反体制派」を支援する基金7600万ドルを調査。キューバの体制変換を促す「秘密兵器」の中には、ゴディバ・チョコレート、高級なウール・セーター、ニンテンドーのビデオゲームが含まれていた。

06年12月

12.02 フィデル・カストロ議長の80歳の誕生を祝い、グランマ号の上陸50年を記念する軍行進。ラウル・カストロ暫定議長が「人民、軍、党の一体感」を確認。また「米国とキューバの間の相違を解決するために交渉する用意がある」と述べる。その際の基本条件として、「我々の独立に影を落とさず、平等、相互主義、非干渉、尊重を基礎とする我が国の条件を尊重すること」を強調する。

12.15 CEPAL、今年のキューバ経済は、国内総生産が12.5%増加、物価上昇率は5%と発表。対外医療サービス、ニッケル、医薬品などの輸出が好調、観光は競争力の低下により不調。

12.15 民主・共和両党の国会議員10人がキューバを訪問。マイアミ亡命のキューバ人は、経済より人権が先だとして、この訪問を批判。

12.22 キューバの財務省当局、GDP伸び率が12.5%を記録したと発表。これは革命以来最高といわれた昨年を上回る数字で、中米地域では最高。

財務報告の内容: 第三次産業、サービス産業は、GDPの75.9%を占める。第一次産業、農林水産業は、GDPの4.7%、第二次産業、工業・建設業は19.5%。サービス輸出の増大と、ニッケル価格の高騰により国際収支は2年続きの黒字。
当局は「90年代の経済苦境からはまだ完全に脱出していない」とし、経済効率や労働生産性の向上などを課題とする。また「過去2年で35%増となっている食糧輸入の低減が急務」と強調。

12.26 ホセ・ルイス・ガルシア・サブリード医師、帰国に当たって記者会見。「議長はガンではない。新たな手術も必要ない」と述べる。

12.28 コスタリカのアリアス大統領、カストロ議長をチリのアウグスト・ピノチェット元大統領にたとえ非難する。「カストロは処刑場で反対者を殺害することから始めた。(ピノチェットと)何らの違いがない。イデオロギーは異なるが、二人とも野蛮で、残忍で、血なまぐさい」と発言。

12月 ラウルが国会で演説。「余りにも禁止や規制条項が多すぎる」とし、不要な条項は直ちに改革すると述べる。また農業問題の重大さを指摘。「国が買い上げた農産物代の支払を怠っている」と批判した。「各政府責任者の弁解はもうあきた。革命は嘘をつくことではない。不明確な報告、意識的あるいは無意識的な粉飾データーは継続してはならない。審議し承認したことは断固として実行しなければならない」と強調する。

 

キュー バ経済 現状と改革の課題 狐崎 知己より

 

 

2007年

2.27 カストロ、チャベスのテレビ番組に電話出演。中国株式市場の大幅下落の話題に触れるなど、30分にわたり会談。

3.08 ブッシュ大統領が1週間にわたり中南米五カ国を歴訪。自動車燃料のバイオ・エタノール使用の拡大をアピールする。

3.12 カストロ、ガブリエル・ガルシア・マルケスとハバナ市内で対談。ジャージ姿のカストロの写真が掲載される。キューバ共産党政治局員のジャディラ・ガルシア(基礎産業相)、「カストロの公職復帰は近い」と語る。

3.24 チャベス、「カストロ議長は過去に何日間も危篤状態にあった」ことを明らかにする。

3.28 カストロ議長、党機関紙グランマ紙上で「最高司令官の所見」と題する所感の連載を開始する。初回は「世界の30億人が飢えと喉の渇きにより早死へ」との表題で、ブッシュ米大統領が押し進めるバイオ燃料政策を”忌まわしい考え”と断言。

4.06 テキサス州エルパソの連邦地裁、ルイス・ポサダ・カリレスの保釈を認める。保釈金は35万ドル。キューバ紙は、「エルパソ連邦地裁は、アルファ66などのテロ組織の圧力に屈したと報道。ベネズエラ政府は「判決の責任はすべてホワイトハウスにある」と非難する。

4.03 スペインのミゲル・アンヘル・モラティノス外相がキューバを訪問。2003年より中断していた両国関係の改善に向けた協力協定に調印する。

4月 キューバ政府、当面する諸困難の調査に着手。実質賃金は80年代末の188ペソから、40ペソ程度に下落。平均的な市民の場合、賃金は生活費の4分の1程度しかカバーできないことなどが明らかになる。

4月 ラウル・カストロ副議長、キューバ経済研究者、知識人を対象に、現状の問題点とその対策を提言するようもとめる。

6.18 革命英雄の一人ビルマ・エスピンが死去。77歳。エスピンはラウルの妻で、キューバ女性連合の創設者。

6.25 カストロ議長、党機関紙グランマに「キューバ人民への論証」を掲載。ブッシュ大統領が就任前からカストロ暗殺命令を出していたと非難する。さらにCIAを殺人マシンだと非難。

7.11 カストロ議長、「キューバの自己批判」を党機関紙グランマに掲載。ドル所持やエネルギーの浪費による社会的不平等を批判する。

7.26 革命記念日。カマグエイでの記念集会ではラウル・カストロが演説。

ラウル演説の骨子: “ペリオド・エスペシアル”はまだ終わっていない。農業・製造業の生産性は低く、低賃金も解決されていない。(二重通貨、そこからくる賃金の問題にふれ)賃金は、生活のすべてを満足させるには明らかに不足している。すべての指導者、労働者が問題を徹底して評価し、それぞれの分野で最も適切な方法でそれらに対処しなければならない。
さらに、新たな外資導入による経済構造の改革、官僚主義の是正や汚職追放を訴える。また米国の次期政権との対等の立場での対話を提言する。

7.31 ラウル・カストロ副議長、サンチアゴで開かれたフランク・パイスの没後50周年式典で演説。「革命は永遠に続く」と宣言。「社会主義を建設する」という決意以外はすべてが変革の対象と強調する。

全国民討論: 500万人のキューバ人が参加し、120万件の明確な批判意見が提出された。ラウルは討議を踏まえ、キューバ社会の問題点を下記のごとく総括する。この呼びかけを受けて職場や住民組織で討議が始まる。@賃金は、生活費のすべてを満足させるには明らかに不足しており、社会主義の原則を保障する役割を失っている。A生産を増大させ、輸入を削減し、自給できていない食料生産を増大しなければならない。そのためには、構造的変革が必要である。B過去の過ちを犯すことなく外国投資を再活性化しなければならない。 

7.31 カストロ議長、党機関紙グランマに「それでもなお」という論評を掲載。「革命の最大の成果は、約半世紀にわたる米国の経済制裁とあらゆる窮乏に対峙してきたことだ」とのべる。

8.04 ブラジルで開かれたパンアメリカ選手権大会に出場したボクシング選手二人が脱走。まもなく発見され本国に送還される。ほかにハンドボールの代表選手が、ブラジルに政治亡命を申請。

8.23 エクアドルのコレア大統領夫妻が非公式にキューバを訪問。フィデルと会見。

07年10月

10.08 イグナシオ・ラモネによる「フィデルとの100時間」(Cien horas con Fidel)が出版される。出版にあたっては、フィデル自らが肯定したといわれる。ミサイル危機の最中にフルシチョフとのあいだに交わされた往復書簡が公表される(ただし一次資料そのものではないことに注意)。

10月26日 カストロからフルシチョフへ: 「帝国主義の攻撃的性格は極めて危険である。もし彼らがキューバを攻撃するような、野蛮な行為をし国際的な法とモラルを侵す事態になれば、合法的な防衛という行為によって、この危険を永久に取り除くチャンスになるではないか」
10月30日 フルシチョフからカストロへ: 「あなたは、敵の領土に対して核兵器を向ける最初の国になろうと提案した。もちろん、あなたはそれが何をもたらすかを知っているはずだ。単なる敵に対する打撃ではなく、世界大戦の始まりとなろう。同志フィデル・カストロ、あなたの考えの動機は理解するが、その提案は正しくない」
10月30日 カストロが再び書簡: 「この危機において、ソ連に攻撃するよう仄めかしたわけではない。帝国主義者の攻撃のあとにソ連がためらうことなく行動すべきであること、あるいは敵が最初の核攻撃をするような状況を許すべきではないと言うつもりだった。その意味で、同志フルシチョフ、私は自分の見方を変えない。これが限定された状況についての現実的かつ正しい評価だからだ。私を納得させずに、私が間違っているとは言えないはずだ」

10.14 カストロ議長、チャベスのTV番組に電話出演し、順調な回復ぶりを示す。

10.15 キューバ訪問中のチャベス大統領、国内の石油探査など14協定に調印。

10.24 ブッシュがキューバ政策について演説。カストロ政権を「恐怖と悪夢の体制」と中傷。政権転覆のため封鎖と制裁を継続すると宣言。キューバ国民、兵士、警察、政府職員に「自由キューバ」をめざして決起するように演説。「昨年度は、2億7000万ドルを反体制派に供与した」ことをあきらかにする。

10.28 カストロは手術後初めて、テレビカメラの前でゆっくりと歩行、死の噂を物笑いのタネだと打ち消す。

10.30 キューバ、国連総会にあて「米国の対キューバ経済封鎖・通商・金融封鎖を解除する必要性」決議を提出。キューバの説明によれば、経済封鎖による経済的損失は約900億ドルとされ、とくに食料や医療分野での制裁は人権侵害そのものだと批判。国連総会、米国の経済制裁に対する非難決議案を圧倒的多数で可決。16年連続となるこの決議には、184か国が賛成、4か国(米国、イスラエル、マーシャル諸島、パラオ)が反対、棄権1(ミクロネシア)。

10月 ラミーロ・バルデス情報・通信相が演説。「集団で現在の解決の道を探る」ことが必要と述べる。

11月 第17回イベロアメリカ首脳会議、米国の経済封鎖解除を求める特別決議が、満場一致で採択された。

12月 ラウル副議長が国会の閉会演説で、大衆討議の結果について報告。「10月末までの3ヶ月で問題の追求と解決策の検討のため215,687回の会議が開催され、500万人が討論に参加した。会議では、3,255,344回の発言が行われ、130万件以上の提案が行われた」とする。

 

2008年

1月 フィデルが正式に引退表明。ラウルが国家評議会議長、閣僚評議会議長、革命軍最高司令官の地位を引き継ぐ。

1月 国会議員の選挙。614名の国会議員が新しく選出された。

2.02 公務員の賃金の最高限度額を除去し、管理部門、技術者、専門家は30%を限度に増額できることとなる。

2.18 フィデル、国会開催を前に発言。国家評議会議長選出を辞退することを明らかにする。

2.19 ブッシュ大統領、「フィデルの引退がキューバ国民の民主主義的な移行の始まりとなるように望む」と語る。国務省報道官代理、ジョン・ケイシーは、「一般的な分析では、ラウルは、単なるカストロ独裁体制の継続であり、小型フィデル、小型独裁者である」と述べた。

2.24 国会が開会される。ラウル議長が演説。@革命の最高司令官はフィデル・カストロただ一人である。A共産党のみがキューバ国民の団結を保障し、フィデルの事業と思想を継続する。B問題の解決には資源と深い分析が必要。時間をかけて分析しなければならないものもある。

2.28 人民権力全国議会において、ラウル・カストロが国家評議会議長・閣僚評議会議長、マチャド・ベントゥーラ(共産党政治局組織担当)が第一副議長に選出される。

五人の副議長: ベントゥーラのほかフアン・アルメイダ(革命司令官)、アベラルド・コロメ(内相)、カルロス・ラヘ(共産党政治局経済担当)、エステバン・ラソ(共産党政治局思想担当)が再選され、新たにフリオ・カサス(新国防相)が選出された。
国会議長にはリカルド・アラルコン(元外相)が再選される。フィデルに残された権限は、キューバ共産党中央委員会第一書記のみとなる。

2月 キューバはそれまで署名を拒否していた国連人権委員会に合意。これにより、重要な司法改革を義務づけられる。

3.06 ホセ・ルイス・ロドリゲス経済・企画相、「今後はモノに対する補助金でなく、困窮者に対して補助金を支給する」と述べる。

3.13 パソコン、ビデオ、DVD、電気がま、電子レンジなど家電製品のキューバ人市民への販売を許可する。

3.14 『グランマ』紙、読者の率直な議論を掲載するため毎週金曜日に特別の論壇のページを開設。未使用地の問題、ごみ収集、家庭電気の不正使用などの特集が組まれ、キューバ社会の現状について、広く読者の意見が掲載される。

3.24 キューバ政府、農業の分権化を進めると報道。小農が消費資材を外貨店で自由に買えるようにした。

3.25 キューバ政府、段階的にキューバ・ペソの切り上げに踏み切ることを決定。公定交換レートは1CUP=1CUCだが、外貨交換所ではその4%の交換価値しかない。これにあわせ共産党は「キューバにおける二重通貨がなぜ必要であったか」に関する全党討議を呼びかける。

3.27 キューバ市民に前払いカード方式で、携帯電話の使用を許可すると発表。

3.31 キューバ人が外貨支払観光ホテルで宿泊することを許可する。

多くのキューバ国民は、この改革路線を歓迎している。しかし、多くのキューバ国民には、こうしたモノやサービスを手に入れるための金がない。平均所得は月に20ドル程度にすぎない。コンピュータは750〜1600ドル、数年分の年収に匹敵する。

3.31 農業省、「基礎行政区事務所を全国に設置し、管轄地域の農業政策を決定する」と発表。

基礎行政区: 平均6万人の人口を持つ行政区画。日本の市町村レベルとほぼ同等だが人口が日本の1割であり、より比重は大きい。農業政策の決定権が委譲され、栽培作物、買付価格などについての裁量権を持つ。

3月 メキシコのエスピノサ外相がキューバを訪問。関係正常化を確認する共同声明を発表する。

4.03 全国小農協会(ANAP)、「病院や学校などへの社会的消費を保障するための割り当て以外は栽培品目も自由に決定できるようにする」と発表。これまで農民は生産の大部分を国に販売し、残りを自由市場で販売してきた。さらに農機具、トラクター、各種資材の購買も自由化した。

4.09 外国投資相、米や牧畜などの農業部門で合弁企業の設立の可能性があると述べる。

4.09 キューバ政府、家庭医制度を再編成すると発表。

キューバ家庭医療の現状: 家庭医−総合診療所−総合病院と3段階に整備されており、全国で1万4千余の家庭医診療所がある。しかし7万人の医師のうち3万人が海外に派遣されており、80年代は医師一人当たり500-700人だったのが最近では3倍になっている。このため診療所の閉鎖、家庭医の過重労働が問題となっている。

4.10 労働・社会保障省副大臣がグランマ紙とのインタビュー。「平等主義がこれまで存在したが、しばしば丸抱え主義、事なかれ主義との温床となっている」と批判。

4.11 20年間居住した国家所有の住宅の所有権が居住者に与えられることとなる。

4.14 「キューバにおける二重通貨の問題」、「21世紀における社会主義」などに関する全党員議論が開始される。

4.28 キューバ共産党第6回中央委員会総会が開催された。ラウルは党が率先して現在の改革に取り組む姿勢を示した。党大会を2009年下半期に開催することを決定。ラミーロ・バルデスら3名があらたに政治局員となる。

4.28 政治局内に常任委員会が設置された。ラウルのほかホセ・ラモン・マチャード、フアン・アルメイダ、アベラルド・コロメ、カルロス・ラヘ、エステバン・ラソ、フリオ・カサスの7名が就任する。

4.28 共産党政治局の提案に基づいて、国家評議会は、死刑を減刑にすることを決定。無期懲役は、懲役30年とする。しかし、米国の対キューバ・テロが行われている現在の状況では死刑制度を廃止するものではない。

4.28 キューバ政府、年金と社会扶助額を平均20%増額すると発表。賃金の増大は部門別、優先順位別に行われると発表。

4月 キューバ作家・芸術家同盟第7回大会(UNEAC)に、400名の代表が出席し、ラウルの出席のもとで4日間開催された。キューバの文化と社会の現状を批判した討論が行われ、青年の問題、テレビ、教育制度への厳しい批判、知識人の議論の場所の必要性、新たな技術へのアクセスの必要性が強調された。

5月上旬 メキシコ企業七十六社でつくる代表団がキューバを訪問。農業や化学、電化製品などの分野で六百以上の交渉を行う。

5.15 キューバ共産党、「21世紀における社会主義」を全党で討議すると発表。タブロイド版の資料が発行される。

5.18 グティエレス商務長官がCNNとのインタビュー。「キューバには270名程度の政治囚がいる。刑務所の状況は極めて劣悪で、立つ場所もないような場合もある。経済封鎖は、テロ支援国家に対して考えられたものである。米国の政策が問題ではなく、共産主義がいけない」と語る。

5.21 ブッシュ大統領、「キューバ国民との連帯の日」を記念して演説。「現在、キューバで行われている改革は、単なる化粧にすぎず、長期間苦しんでいる国民への残酷なジョーク以上のものではない」と非難。フィデルは「マケインとブッシュの下品な嘘でもって、半世紀の間帝国の侵略に耐えてきた国民からは何も得ることはない」と反論。

5月 マルティネス国会経済委員会委員長、「大きな格差が生まれれば所得税で対処すればよい」と述べる。

5月 米利益代表部主席マイケル・パームリーが反体制派のマルタ・ベアトリス・ロケに金品を渡して支援していることが暴露された。キューバのテレビ番組は現場を写したビデオを放映。国務省は「反体制への援助は、経済的に困っている政治囚の家族への人道的援助で、これは米国の国内法に準じて行っている」と反論。

6月 EU27カ国外相会議、キューバ経済制裁を解除し、キューバ政府との対話の促進を決議。

7.08 白タクの営業を公認。闇経済活動を表に引き出し、ガソリンを割りあて、税金を課すこととなる。

7.10 国会開催を前に、共産党政治局と国家評議会の合同会議が開催される。議題は集約されてラウルの国会演説に反映されることなる。

7.11 ラウル議長が国会で演説。一律平等の公的雇用制度を廃止。国有部門を簡素化し、自営業の拡大により雇用の拡大を図るなどラウル改革の方向を指し示す。

賃金に関する提起: 「労働者の収入は貢献度、職場の達成度、社会的目標に応じたものであることが大変重要である。社会主義は社会的公正及び平等を意味するが、権利の平等、機会の平等であり、所得の平等ではない。平等主義は、いきつくところ一種の搾取となる。つまり、怠惰な労働者による良い労働者に対する搾取である」と述べる。
具体的指標として、@所得に値する労働を行っているかどうかの評価、A盗みや横流しを行っていないか、B補助金の不当な受給がないか、C納税、掛け金などの納付が滞っていないか、などのチェックが必要と強調する。

7.11 ラウル議長、「農業生産を即座に行う条件があるものに、未使用地の使用権を与える」と表明。政令により、個人には10年間、法人には25年間ずつ2回、50年間延長可能とされた。

7.11 労働・社会保障相、「2020年より高齢化社会に入るので、社会保障の改革が必要」として、@定年制を延長し、女性60歳、男性65歳とする、A自営業者の年金を創設する改革案を提示。

7.18 グランマ紙が投稿の内容を発表。93件の意見が寄せられ、過剰禁止条項に対する批判・苦情、二重通貨問題、賃金と購買力の均衡化、労働意欲の向上、農産物の販売価格の自由化、公私混同と横領、海外からの送金受領者などが取り上げられる。

7.26 ラウルの演説。「社会主義経済発展モデルの『調整』と『改善』は『盲目的な突進』でも、『外国の圧力への屈従』でもない」と強調。

7月 ラウルがベトナムと中国を訪問。

7月 キューバ政府は、反体制派の「キューバ人権委員会(CCDHRN)」の集会を阻止。参加者23名余を拘留する。

10.01 キューバ政府、ハリケーン被害のため16品目(米、豆、ニンニク、イモなど)を市場で統制すると発表。年末の厳しい食糧不足に直面するため、「全員の犠牲」を呼びかける。

10.23 キューバとEUが2国間協力に調印した。2003年以来のことである。

10.29 国連総会、キューバに対するアメリカの経済・通商上の制裁に対し廃止を求める決議。賛成したのは185カ国で、反対が米国、イスラエル、パラウで、マーシャル群島、ミクロネシアが棄権し、エル・サルバドルとイラクは投票に参加しなかった。

11.04 ラヘ国家評議会副議長、「世界はアルコール中毒でも痴呆でもないアメリカ大統領を望んでいる」と述べる。

11.12 メドヴェージェフ大統領がロケ外相と会談。キューバはラテンアメリカの「カギとなる同盟国」であると言明した。ロシアは1000万ドルの信用を供与した。

11.19 胡錦湯主席がハバナを訪れ、フィデルと会見。

 

2009年

1.22 カストロ前議長、オバマ大統領は誠実な人物だと評した。しかし「その高潔は意図とは別に、多くの疑問に答えていない」と注文をつける。

4月 オバマ政権がキューバ「関与」政策を発表。ブッシュ政権が課した制裁強化策を全て白紙に戻し、キューバ系米国人の親族訪問や送金制限を緩和する。また情報通信産業の対キューバ投資を認める。

4月 トリニダード・トバコで米州首脳会議が開催される。

4.19 ラウル、米州首脳会談を受け記者会見。「両国関係改善のための対話の用意がある」こと、「人権問題や政治犯の問題など、総ての事柄について何でも話し合える」と言明する。オバマはこの発言を「進歩が見られる」と評価。

4.21 フィデル、グランマの「書簡」で、「オバマはラウルの発言を誤解している」とし、人権問題での対話には応じるが、政治改革の意志はないことを強調。さらに「オバマ政権は過去50年間の政権と何ら変わるところがない」と非難する。

6月 ホンジュラスで米州機構総会。キューバの米州機構への復帰を認める決定。決議は62年総会の決議を無効とするものであり、復帰そのものはキューバ政府の要請があった場合考慮されることになる。

7月 ラウルがベネズエラ、ボリビア、イラン、アルジェリア、アンゴラを歴訪。

9.04 米財務省、アメリカ市民が近親のキューバ人を訪れ、また送金することを可能にする。キューバ国内でのドル使用は総額で3千ドルまで許可される。

9.11 フアン・アルメイダが死亡(82歳)。葬儀には数十万人が参列する。

9.13 オバマ大統領が「ヘ・バ法」の1年継続を定めた法案にサイン。「アメリカは敵に対する通商上の制裁を延長することが国益だと判断した」と声明。

9.14 ラウル・カストロ国家評議会議長が呼びかけた大衆討議が始まる。

9.18 米国国務省のビア・ウィリアムズ西半球担当次官補がキューバを訪れ、郵便の直接化について交渉。現在は第三国を通じているため、数ヶ月を要する。

9.20 コロンビア出身の人気ロック歌手フアネスが、ハバナで「国境なき平和コンサート」を開催。100万人以上が参加し、世界のテレビに生放送される。在米の亡命キューバ人は「宣戦布告」だと批判しフアネスのレコードを壊すなどの示威行為。(コン サート会場では毎度、ファンからのブラジャーの投げ込みが 恒例となるほどの人気とか)

 

2010年

6月 ドミニケ・マンベルティ バチカン大使がキューバ訪問。キューバ政府は、「教会の建設的な役割を評価し、キューバにおけるカトリックの宗教的自由と役割をキューバ憲法は認めている」と述べる。アメリカ司教会議議長の、フランシス・ジョージ枢機卿がキューバ訪問。昨今の両国関係はポジティブな面が見られると発言した。

9月 国家公務員50万人以上を削減する方針を発表。これまで新規開業を事実上、凍結していたものを含め、自営業を認める178の業種も明らかにした。個人経営のレストランは座席制限が12から20に緩和された。

大量の公務員を自営業に振り向けるには業種をもっと増やしたり、小口の無担保融資制度などを充実させなければならないとされる。

10月 自営業の免許受付が開始される。1カ月足らずで約3万人に食品の加工・販売などの自営業免許が交付された。

雇用不安とコメなどの物価騰貴、治安の悪化について不安が広がる。市民は自営業免許を求めて役所の窓口などに詰め掛ける。

12.01 経済改革計画案について、3ヶ月にわたる国民的議論を開始する。公務員の大幅削減、企業の自主経営の拡大、個人経営を認める分野の拡大、住民手当や生活必需品支給の段階的廃止、外資への開放、税制改革などを柱とする。

2011年

4月16日 ハバナでキューバ共産党第6回大会が開かれる。ラウルは冒頭の基調報告で、政府や党の幹部ポストに10年間(5年2期)の任期制限を設けることを提案した。

4.18 第6回共産党大会、今後5年間の指針となる「社会経済政策」を承認。ラウル政権が08年以来実施してきた規制緩和などの改革を追認する内容。マリノ・ムリロ前経済相を「経済社会政策方針」の実施状況および経済改革監督の責任者に任命。

4.18 フィデル、政府のウェブサイト上で要職から退く意向を改めて表明。「キューバ共産党指導部は世代交代を進めている」と指摘し、「革命の原則の堅持」を新指導部に強く求めた。

4.19 党大会最終日。ラウルが第1書記に昇格。第二書記には、ホセ・マチャド国家評議会第一副議長が就任。

ホセ・マチャド・ヴェンチュラ: 1950年代のゲリラ戦を戦った革命の第1世代。一貫して“ラウル派”として支えてきた。年齢はラウルより1歳上の80歳。

4.19 ラウルが閉会演説。「社会主義を守り、より完全なものにするのが第1書記の使命だ。決して資本主義への後戻りは許さない。誤りを正し、官僚主義や教条主義を排する」と決意表明。この日、フィデルも大会に参加したが、発言はなし。

5月 ラウル政権が新たな経済改革計画を発表。理髪店や美容院など一部業種の民営化を認可。

 

2012年

この年の年間観光客数は284万人にのぼる。GDPは2000年の305億ドルから710億ドルに躍進。1人当りGDPは6300ドルに達する。

 

2013年

 

2014年

9月 国内流通省、国営レストラン計9000軒の民営化を進めると発表。

 

2015年