1999.9 この年表は1555年から1945年までを扱っています.それ以前の事項については中南米年表 その1へ,
それ以後の事項については中南米年表 その3へお願いします.
1500
56 ビルガニョン,リオに上陸しフランス領を宣言.
57.1 スペイン王室,銀行に対する支払い停止.実質上の破産.植民地に対する収奪強化に乗り出す.
57 銀精製に水銀アマルガム法導入,効率飛躍的に上昇,銀輸出量は10倍に.
1559年
9.24 フェリぺU世,フメキシコ副王ヴェラスコにフィリピン征服を命令.
59 ラプラタにアウディエンシアが創設される。
1560年
60 メキシコ司教モントゥファル,スペイン国王宛に書簡を送り黒人奴隷貿易に異議申立て.
60 ブラジルで旧世界からの病気が最初の重大な流行。先住民が次々と倒れる。
1562年
10 ホーキンス,黒人奴隷3百人をサント・ドミンゴ総督に売り込むことに成功.(以下海賊史は英領カリブ年表に一括)
62 フランスでユグノー戦争始まる.新教徒は本国を逃れ海外進出をはかる.ジャン・リボーのひきいるユグノー教徒の一団,サウスカロライナに入植.
63 キトにアウディエンシアが創設される。
64.10.18 スペイン,新大陸貿易のための定期護送船団制度を確立.
64 ユグノー教徒,サウスカロライナから南進.フロリダのセント・ジョンズ河口にカロリーヌ砦を建設.
1565年
4.28 メキシコを出発したスペイン艦隊,フィリピンのセブ島に上陸し,レガスピを司令官として征服を開始.ポルトガルはフィリピンの権益を主張し,レガスピに退去を要求.
8.25 ペドロ・メネンデス・デ・アビレススらペイン人千5百名,フロリダにセント・オーガスティンを建設.イエズス会,フロリダでインディアンへの布教開始.
9.20 メネンデス,カロリーヌ砦を襲撃.フランス人全員を虐殺.
65 アンドレス・デ・ウルダネータ(Urdaneta)、東アジアからメキシコまでの北回りルートを開拓。(おそらくメキシコからフィリピンを攻撃した艦隊の帰り道のことだろうと思います。詳細はこれから調査します)
65 フェリーペ2世,ペルーでの銀貨鋳造を許可,リマに造幣局を設置.
66 スペインの統治に対するオランダの反乱が始まる。
70 シエラ・レオネとブラジルとのあいだに大規模な奴隷貿易路が作られる.
1571年
9.24 インディアス枢機会議の権限強化.新大陸の実質的支配権を委ねられる.
71年 フィリピンとアカプルコとのあいだに交易路開く.
71年 ラスカサス,スペイン本国で死亡.インディアス会議総裁のフアン・デ・オバンドは,ラスカサスの書籍が流布することを恐れ、厳重に保管し,閲覧を制限するよう措置.
72 イエズス会,ヌエバ・エスパーニャにおける布教開始.リマに最初のイエズス会士が入る。
73 フェリペ二世,「新発見と植民に関する基本的法令」を公布.アメリカ先住民に対する抑圧を否定し平和政策を強調.
74 パトロナスゴの勅令発布.修道会系のレグラより在俗のセクラを優遇する方向を確認.インディオ教化の終焉にともないLAでの修道会系の優位は消失.
74 新大陸における人口調査.16万のスペイン人が200の町に住み,そのうち400人がエンコメンデーロ.
75 スペイン,債務増大のため国庫破産.支払停止令を発す.ヌエバ・エスパーニャとグアテマラのエスパーニャ人に10%税(アルカバラ)を課す.
4 ポルトガル,アルカサル・エル・キビールの戦闘で惨敗.国王ドン・セバスチアンは戦死.
1580年
81 フェリペ二世,ポルトガル王をかねる.黒人奴隷貿易権を握ったスペイン王室は,アシエント制度を復活.ポルトガル商人ガスパル・ペラルタにアシエントが与えられる.
83 西インド諸島でタバコの商業栽培が始まる.
83 マニラにアウディエンシアが創設される。
85 ウォーター・ローリ,ロアノークに最初の植民地を建設.
87 ロアノークに植民地を再建.三年後には廃墟と化す.
88 英国で,奴隷貿易のための「ギネア会社」が設立される.
1590年
90 ニューヨーク近郊の五つの部族がイロクオイ連合を形成.イギリスやフランスとの交易の窓口となる.
98.9.13 フェリーペ2世没(71歳).フェリーペ3世が即位.
98 オランダ艦隊,アフリカのサントメ・プリンシペを攻撃.このあとポルトガルの海外拠点に攻撃を集中する.
99 オランダ、南米のギアナ海岸に最初の植民。
99 オランダ,胡椒の価格を2〜3倍に値上げ.英国はこれに対抗して独自の東インド会社を設立.80の商社が参加.
99 この時点で約90万の黒人奴隷がアメリカに存在.ほとんどが砂糖生産に従事.
00 LAからの銀の輸出は年間270トンに達し,最高となる.3分の1がヌエバ・エスパーニャから,3分の2がペルーからの産出.ヨーロッパにおける物価は,金銀の大規模な流入のために,1世紀のあいだに6倍に跳ね上がる.貴族の多くが零落し,新興階級に土地を譲渡.
00 原住民人口が激減.これに伴い大農園制(アシエンダ)が発展.
01 王室,工業以外の分野でのレパルティミエント制を廃止.現地の抵抗が強く,改革は表面的なものにとどまる.
04 スペイン,ロンドン条約でインディアスの独占的領有を断念.
07 イギリス,ジェイムスタウンにバージニア植民地建設.
09 オランダの東インド会社に雇われた英国人ヘンリー・ハドソン,北西部への航路を求めニューヨーク近郊を探検.ハドソン川をさかのぼる.
09 スペインとオランダとのあいだに休戦が成立。21年まで休戦が続く。
1610年
10 サンパウロから奴隷狩り部隊(bandeiras)が次々と進出。イエズス会はこれに対抗し,パラグアイに教団国家の建設を計画.
18.11.08 ウォルター・ローリー,英国において処刑される
1620年
20 マサチューセッツ州プリマスの植民地建設.
21 オランダ,西インド会社を設立.アフリカや新大陸のポルトガル権益への介入を図る.
24 英国とフランスの植民団,リーワード諸島のセントキッツ島に入植.
25 グロティウス,国際法の必要性を提唱.
26 オランダ人,ニューネザーランド(現在のニュージャージーとマンハッタン)を建設.
28 ピート・ハイン(Piet Heyn)の率いるオランダ艦隊,スペインの船団をキューバのマサンタス沖で捕獲.大量の財宝を獲得.
1630年
30.2 オランダ,70隻,7千人の兵力でペルナンブコ占領,東北部一帯を支配下におさめる.レシフェはオランダ領ブラジルの総督府となり人口7千の都市に発展.
30 オランダ,奴隷貿易の支配を狙い,西アフリカのアクシム,シャマ,アンゴラのポルトガル奴隷基地を占領し,奴隷供給を抑える.その後ヨーロッパ各国が争って奴隷貿易に参入.
30 パリでレモネードが大流行.砂糖の大衆化にともなう新たな嗜好品となる.
33 レパルティミエント制廃止の目標を達成.その後アシェンダ制が主流となる.
34 オランダ,キュラソー島を占拠.カリブ進出の戦略拠点とする.フランス人はMartinique とGuadeloupe を占領。
35 フランスでタバコの販売を制限する法律が作られる.タバコを吸うのに医師の処方箋が必要となる.
36 オランダ人,砂糖キビをブラジルからバルバドスに持ち込む.イギリス人入植者は綿,インディゴ,生姜,タバコなどを栽培.
37 オランダ,ポルトガルからエルミナを奪取.黒人奴隷の集散地として黄金海岸沿いに複数の基地を建設.
1640年
12 ポルトガルで,ブラガンサ王朝の流れを引く貴族が反スペイン蜂起.30年戦争においてハプスブルグと対立するフランスの支援の下にスペインより分離.ブラガンサ公がジョアン2世として即位.
41 英領バルバドスにおいて,最初の本格的な砂糖プランテーションの開始.英領西インド諸島の黒人奴隷は2万に達する.ほとんどがサトウキビ農園で働く.
41 ポルトガルの東洋における最大の交易拠点マラッカが,オランダの手により陥落.
1650年
52 第一次英蘭戦争開始.オランダ,イギリスの航海条例を不満とし開戦.三年後に敗れ講和.
54 フランス人,マルティニクに砂糖栽培を導入.
54 ポルトガル,オランダとの海戦に勝利.ブラジル,アンゴラの植民地を回復.
55 イギリス軍,ジャマイカを占拠.ポート・ロイアルは海賊の一大基地となる.その後の150年間で75万人の黒人奴隷が輸入され,砂糖農園開発に使われる.
59.11.17 西仏戦争,スペインの敗北に終わる.フランス私兵団,エスパニョーラ島の西部(現ハイチ)を占拠.
1660年
65 フランスがオランダに干渉し,ネーデルランド戦争開始.これと並行して第二次英蘭戦争.英国,ニューネザーランドを奪取.オランダは英領スリナムを占領.
65 スペインのフェリペ4世が死去。これにかわりカルロス二世が即位。
65 フランス、初代Tortuga 島知事を任命。サンドマングへの入植を奨励。
67 第二次英蘭戦争終結.ブレダ条約締結.イギリスはニュー・ネザーランドを獲得.スリナムは蘭領となる.チャールス二世はニュー・アムステルダムを弟のヨーク公に与える.
1670年
74 海賊モルガン船長,ナイトの称号を受け,ジャマイカ副総督に任命.
76 この年,オランダの奴隷商人は,1万5千人をアンゴラでかき集めアメリカ大陸で売りさばく.売値は買値の10ないし15倍にのぼる.
1680年
80 カルロス2世,全9編218章6377箇条からなるインディアス法集成を公布.
80 ニューメキシコでプエブロ族先住民の反乱。14年間にわたり続く。
80 奴隷貿易の主役がオランダからイギリスに.ロイヤル・アフリカ会社は,1680から1700年にかけて14万人の黒人奴隷を輸出.さらに私営の奴隷会社は16万人を輸出.
89 ルイ14世,英国の王位継承問題に介入.ウィリアム王戦争開始.9年間にわたりつづく.新大陸でも植民地争奪戦を展開.
90 ロイヤル・アフリカ会社の独占事業だった英国の黒人奴隷貿易は,すべての英国籍の会社に開放される.
96 ブラジル,ミナスジェライス州奥地のボルバ・ガトーで金鉱発見,1世紀近くにわたり栄える.
97.9.30 プファルツ戦争およびウィリアム王戦争終結.ハーグ近郊のライスワイク(Rijswijk)で停戦条約.スペインはエスパニョーラ島西半分をフランスに割譲.サン・ドマング(ハイチ)となる.
00 フェリペ五世が即位.ボルボン王朝が始まる.
00 1700 〜1786に61万のアフリカ人奴隷がジャマイカに「輸入」される.ジャマイカを中継基地として,さらに南北アメリカ諸国に転売される.
01.9 スペインの王位継承戦争が勃発.
01 スペイン,フランス王立ギニア会社にアシエント権(スペイン領への一定の奴隷供給権)をあたえる.
03 イギリスとポルトガルのあいだにメスエン条約締結.ブラジルへのイギリス進出強まる.
04.2 英仏間で五大湖南岸周辺の植民地をめぐるアン女王戦争.9年間にわたりつづく.戦争に勝利したイギリスはニューファウンドランド,ノバスコシア,ハドソン湾を獲得.
1710年
13.4.11 王位継承戦争およびアン女王戦争終了.ユトレヒト条約締結.
ユトレヒト条約
フェリペ5世の王位継承権は認められたが,フランス・スペインは領土の一部を失う.戦争に勝利したイギリスは海上覇権を確立.イギリスの南海会社はアシエント権(年間4800人の黒人奴隷をスペイン領アメリカに輸出する特許状)を獲得し、さらにパナマ北岸のポルトベーリョへの定期寄港も認めさせる. これによりイギリスが,新大陸への黒人奴隷貿易を独占.14 オランダ,インドネシアのコーヒーをスリナムに移植.
14 フィリップ5世、インディアス相を新設。新大陸への統制を強化。
17 列強の進出に備えボゴタにヌエバ・グラナダ副王配置,ベネズエラ,コロンビア,エクアドルを統轄する.いったん廃止されるが,39年再建.
17 通商院,セビリアからカディスに移動.
1720年
20 エンコミエンダ制,正式に廃止.これに代り大土地所有者に農奴の使役権を認めるアシエンダ制が認められる.
27 コーヒー,スリナムからブラジルへ移植.
28 スペインでカラカス会社(Guipzcoa)が設立される。
1730年
30 アルトペルー(ボリビア)のコチャバンバで、メスティソの指導する反乱。
32 モラビア派,カリブの英語圏で布教開始.腐敗した国教会にかわり黒人のあいだに影響力を広げる.
1739年
1.14 新大陸への奴隷供給契約(アシエント)をめぐる英西間の交渉が不調に終わる.英国は武力による強制の機を伺う.スペインはコロンビアにヌエバ・グラナダ副王領を創設し、これに対抗。
10 ハバナでイギリス人船長ロバート・ジェンキンスが,スペイン人のファンディナ船長に捕らえられ,耳を削ぎ落とされる事件.英国議会はスペインがイギリスの密貿易業者や海賊を不当に扱っていると攻撃.
10.19 英国,スペインに宣戦布告.ジェンキンスの耳戦争とよばれる.オーストリア継承戦争と連動し、48年まで10年にわたる.エドワード・バーノン提督のひきいる56隻の軍艦,130隻の輸送艦がパナマとサンチアゴ・デ・キューバを攻略.さらにカルタヘナを攻撃するが奪取に失敗.
1740年
40 フェリペ五世,イギリス船の相次ぐ襲撃を前にフロータ船団制貿易を一時中断.そのままフロータス制度は終わりを告げる.
42 メキシコの独立運動家,イギリスにたいし運動への援助を依頼.
42 ジェンキンスの耳戦争の山場となったフロリダのブラディ・スワンプのたたかいでスペイン軍は大敗.
42 ペルーのアンデス山間部でサントス・アタワルパ(Juan Santos Atahualpa)の反乱が始まる。
43 スペイン,イギリスの圧力により,制限つきで植民地の自由交易を認める.
43 ホセ・カンピーリョ・イ・コシオ,「アメリカに対する経済政策の新しい体系」を発表.カルロス3世による改革のひな型となる.
48 パナマ行きの最後のガレオン船団。メキシコ行きのフロータス船団は残る。
1750年
50 マドリード条約締結.スペインはサクラメント(現ウルグアイ)を手に入れるかわりに,ウルグアイ川流域のシエテ・ミシオネスをポルトガルに割譲.ブラジルはアマゾン,パラナの領有を認められ,版図拡大.
50 ジョゼ1世即位.セバスティアン・ジョゼ・デ・カルバリョ・イ・メーロが外相につく.カルバリョはボンバール侯爵となり宰相に就任,カピタニア制を廃止,ブラジル全土を国王の直轄下におく.
50 英国船に積み込まれた黒人奴隷350人が,グアドループ島付近で反乱.船を乗っ取り脱出を図るも,軍により捕獲される.
51 スペインの新大陸行政制度改革が始まる.アウディエンシアが廃止される.
54 イエズス会,マドリード条約に反対し,パラナ河流域のグアラニー族をスペインとポルトガルに対して武装蜂起させる(グアラニー戦争).2年後に敗北に終わる.
54 メキシコ行きのフロータス船団が復活.
56.02.10 グアラニー族の蜂起部隊,スペイン・ポルトガル連合軍3000人とその火器の圧倒的威力のまえに全滅.
56 七年戦争開始.新大陸では並行して英仏間のフレンチ・インディアン戦争が闘われる.当初スペインは中立の立場をとる.
59 カルロス3世がスペイン国王に即位.疲弊した経済建て直しのため,各種の改革を断行.
59 ポルトガル,イエズス会を王国全域より追放.
1760年
61.8.15 カルロス三世,フランス王室との「家門協約」(フォンテーヌブロー条約).フランスは条約締結のためルイジアナをスペインに譲渡.
1762年
1.02 スペイン,フォンテーヌブロー条約にもとづき対英宣戦布告.七年戦争に参入.ジェンキンス戦争の失地回復を狙う.七年戦争にともない,ポルトガルとのあいだのマドリード条約も破棄される.
8月 イギリス海軍,ハバナを占領.サント・ドマング,イギリス人により占領.ベリース地方,英領ホンデュラスとして植民地化.
10月 マニラも英国軍の手に落ちる.
1763年
2.10 7年戦争終結,パリ条約締結.またしてもフランス=スペイン軍の敗北に終わる.
パリ条約の骨子
イギリス対スペイン:イギリスはハバナを含むキューバを返還し,代りにフロリダを獲得.
イギリス対フランス:フランスは,仏領カナダとミシシッピ以東のルイジアナをイギリスに割譲.ドミニカ,グレナダ,セント・ビンセントをイギリスに譲り,グアドループ・マルティニク・セントルシアの支配権を確保.
フランス対スペイン:フランスは開戦時の密約により,ミシシッピ以西のルイジアナをスペインに割譲.フランスは北アメリカ大陸から全面撤退.7月 イギリス軍,ハバナから撤退.英国は撤退の交換条件として黒人奴隷輸入の独占権(アシェント)を獲得.以後黒人奴隷の輸入は急増し,これを基礎に砂糖生産のプランテーション化がすすむ.
63 ブラジル南境をめぐるスペイン=ポルトガルの戦闘が始まる.スペインはリオグランデ・ド・スルとサンタカタリナを占領.ポルトガルはスペイン軍に対抗するため,ブラジル総督府をサルバドルからリオに移転.
64 カルロス3世による植民地制度の改革始まる.カリブ海貿易,カディス(セビリアにかわって独占港となっていた)の独占をはずし9港(バルセロナ,サンタンデル,ラ・コルニャなど)に拡大.これまでの密貿易を公認することにより積極的に増収をはかろうとする.新大陸各地で経済改革が進む(啓蒙の時代).
65 カルロス3世の意を受けてメキシコに派遣された巡察吏ホセ・デ・ガルベス,メキシコ副王と正面衝突.カルロスはメキシコ副王を更迭.ガルベスは71年まで、メキシコに滞在し財政改革に当たる。
65 キトで財政的圧力の強化に対する反乱。
66 イギリス,マルビナス諸島を占領
67.3.17 王権至上主義をかかげ教皇庁と対決したカルロス3世,全イエズス会派の僧を新大陸から追放する命令.LA全体で2630名の僧が追放され,120にのぼる学校が教師を失って機能を停止.約70万のインディオが教化集落を失う.
68 ホセ・デ・ガルベス,タバコ専売制とアルカバラ税(町外れの街道筋に関所を設け,往来する貨客から税金を徴収するもの.売買税にあたる)を導入.軍事力を強化し英・露のカリフォルニア・テハス進出に備える.
1770年
73.7.21 ローマ法王クレメンテ14世,ブルボン家の圧力によりイエズス会の解散を宣言.
75 カルロス三世,ホセ・デ・ガルベスをインディアス長官に任命.ガルベスはメキシコでの経験にもとづき,インテンデンテ制を立案.82年にラプラタ,84年にペルー,86年にメキシコとチリに導入される.最終的には12地方で実施される.行政,司法,軍事の権限を大幅に委譲.
インテンデンテ
フランスのアンタンダンを輸入した概念.これまでの副王/総督⇒コレヒドール(市長/代官)に代え,機能的な行政単位としてインテンデンテ(州/県知事)を新設することとなる.同時に悪徳代官による腐敗を一掃するねらいも込められている.76 メキシコ行きの最後のフロータス船団。この後護送船団方式の交易は消滅。
76 ラプラタ副王庁設置.メキシコ,ペルー,ヌエバ・グラナダとならぶ副王領.このほか,チリ,カラカス,グアテマラ,サントドミンゴに総督庁.
76.7.4 大陸会議,独立宣言を発し共同闘争開始(独立記念日).
77.10.01 サン・イルデフォンソ条約締結.マドリード条約を追認.ウルグアイ,パラグアイはスペインに帰属.内陸部はブラジル領とすることで妥結.
77 ボンバル,首相を解任され失脚する.
77 スペイン,新大陸植民地に民兵制を導入.各地方でインテンデンテの指揮の下に民兵隊が組織される。これらは後の独立運動の主力部隊となる.
77 ペルーにも視察吏が派遣される。ホセ・アントニオ・デ・アレーチェ(Areche)が赴任。
78.10.12 自由貿易令.スペインのすべての港と,ヌエバ・エスパーニャ,ベネズエラ以外の植民地すべての港が直接交易をゆるされる.その後の十年間に通商量は7倍となる.
79.06.16 スペイン,ジブラルタル包囲作戦を開始.戦費調達のため植民地に増税を命ずる.
1780年
80 ペルーでツパク・アマル(インカ皇孫)による反乱.
81.3.16 ヌエバグラナダで,重税と独占に抵抗するコムネーロスの反乱
83.9 ベルサイユ条約締結.アメリカ13州,イギリスより独立.スペインはフロリダを奪還,英領ホンデュラスやバハマ諸島を占拠.
86 インテンデンシア(代官)制導入.副王の権限を縮小し,民兵制を導入するなど各地での自立性を高める.
88 カルロス三世が死去。カルロス4世が即位。
89 フランス大革命.スペインは自由主義に対する警戒を強め,植民地の自主的な動きを弾圧.そのいっぽうで,@ヌエバ・エスパーニャ,ベネズエラも自由貿易に開放,すべての地域で本国とのあいだの自由貿易が許される.同時に植民地間の貿易にも許可.Aラテンアメリカ全域で奴隷貿易の独占(アシェント制)廃止.
89 フロータス船団廃止後も残ったメキシコ行きのガレオン船団,自由貿易制実施に伴い最終的に廃止される.
89年 ジャマイカ出身の奴隷制廃止論者ウィリアム・ウィルバーフォース,英下院で証言.「西インド諸島に到着した黒人奴隷の三分の一は,1,2ヶ月のあいだに死亡する.その多くは自殺である」と述べる.
1790年
90 貿易独占の根拠となっていたカディスの通商院が,287年の歴史を閉じ廃止される.
92 アダム・スミスの国富論,西訳される.自由主義思想に基づく「国民友好協会」が各地で設立.科学の普及,青少年の教育に力を注ぐ.
96.10.05 仏西同盟成立,スペインはイギリスに対し宣戦布告.英海軍,全てのスペイン植民地を海上封鎖.トリニダード島を占拠.フランス,オランダを占領.オランダに代りイギリスが全ギアナを領有.
97 スペイン,戦費調達のため中立国に対しスペイン領アメリカとの貿易を許可.
97 LAの独立運動家,ミランダの提唱により革命下のパリで政務委員会設置.
99.6.05 プロシアの科学者アレクサンダー・フンボルト,スペイン王の許可を得て南米北岸のクマナに上陸.5年間にわたりラテンアメリカ全土を探検.旅行記がヨーロッパで広く膾炙される.
00.10.1 スペイン,秘密協定に基づきルイジアナ地方をフランスに譲渡.
02 ハイチ(フランス領サントドマング),フランスより独立,黒人共和国をつくる.LA独立の第1号.
03.12 米国,戦費捻出に苦しむナポレオンよりルイジアナを買収.国土は2倍に拡大.
05年 トラファルガー沖海戦.スペイン艦隊はほとんどの艦船を失い.新大陸との交易にも支障をきたすようになる.
06 ブエノスアイレス,イギリス軍に占領される.市民は武器を取り,占領軍を放逐.
06 イギリス議会,自由貿易と自由労働を主張する勢力が多数となり,奴隷貿易廃止を決議.これに続き米国(08年),オランダ(14年),フランス(18年)が奴隷貿易の廃止を宣言.
1809年
8.10 エクアドルのキトで,新大陸初の自治委員会が成立.以後各地に続々と自治の動き.
9 摂政府,植民地代表63名も参加した国民議会を開催.憲法制定委員に任命.スペイン王国における本国人と植民地人の対等の資格を認める.
1810年
4 カラカスでフェルナンドへの忠誠を誓う政務委員会設置.5月にはブエノスアイレス,10月にはサンチアゴでも同様のフンタ設立があいつぐ.
10 メキシコのイダルゴ神父,独立戦争を開始.
1811年
7 ベネズエラ,諸都市の連合会議をひらき独立宣言.合衆国憲法を真似た憲法を制定.
1812年
3.19 カディスのコルテス,立憲君主制のもとに言論・出版の自由,異端裁判所の廃止などをうたった自由主義的憲法(カディス憲法)を採択.ペニンスラールとクリオージョの法的平等,インディオの状況改善なども盛り込まれる.クリオージョは特権が侵されるとみてこれに反発.
7.22 イギリス軍がスペインのサラマンカでフランス軍を破る.
8.12 イギリス軍がマドリードを占拠する.スペイン王ジョゼフ・ボナパルトは逃亡.
9.19 スペインのフランス軍が,ブルゴスから撤退.
11.02 ジョゼフ・ボナパルトがマドリードを再び占拠.
1813年
2.24 米英戦争.ガイアナ沖で,イギリス船ピーコックがアメリカ船に撃沈される.
13年 スエーデン,オランダで相次ぎ奴隷制を廃止.
1814年
5 フェルナンド7世,カディス憲法の破棄を宣言し,国民議会を解散.LAの失地回復につとめる.15年末までにほぼ独立運動の制圧に成功.
6.14 トーマス・ククラン海軍大尉,詐欺で有罪判決.禁固1年と罰金のほか,1時間にわたりロンドンのさらし台に晒される.摂政皇太子は,判決にあたり,「ロード・コクランが軍務にとどまる限り,軍の名誉は汚され続けるだろう.そのようなことを私は許さない」と述べる.
15年 米国,フロリダをスペインから購入する思惑のため,LA諸国の独立戦争に対し中立を宣言.
16.7 アルゼンチン,リオ・デ・ラ・プラタ連合州として独立
17 英西両国間で奴隷貿易廃止に関する協定.三年間で奴隷貿易を廃止することで合意するが,スペインは長期にわたり実施をサボる.
18.11.28 英海軍将校コクラン,チリ海軍の司令官を委託され,これを引き受ける.
19.2.24 オニス・アダムス条約締結.スペイン,フロリダを米国に割譲.
1820年
1.01 スペイン本国で自由主義革命勃発.
21 メキシコ,イトゥルビデの下に独立.一時帝制をとるが23年には共和制へ移行.
21 中米連合,メキシコとほぼ同時に独立.
21 ベンジャミン・ランディ,奴隷制廃止を唱え「Genius of Universal Emancipation」紙を発刊.
1822年
1 ドン・ペドロ,ブラジルの再植民地化を策す本国議会の帰国要請を拒絶.議会から「ブラジルの永久防衛者」の称号を受ける.
12 米国,他国にさきがけメキシコとグランコロンビアの独立を承認.
22年 William Wilberforce と Thomas Fowell Buxton,ロンドンで反奴隷制協会を設立.
23.12.2 モンロー米大統領,年次教書のなかで外交政策の基本を発表.モンロー宣言と呼ばれる.
モンロー宣言
米大陸は今後欧州列強によって将来の植民地とみなされてはならない.欧州の神聖同盟諸国の政治制度は米州諸国とは基本的に異なっている.
米国は欧州諸国が米州のいかなる地域にもその政治制度を移植しようとするなら,これは米国の平和と安全を脅かすものと考える.
米国は現存する欧州諸国の植民地についてはこれに干渉しないが,もし欧州諸国が独立を達成した米州諸国を抑圧し,その運命を支配しようとするなら,これを非友好的行為とみなすだろう.1824年
12.7 ボリーバル,ラテンアメリカ各国にパナマ会談への参加をうながす手紙.ラテンアメリカ5原則を提示.最低10万からなる連合軍の創設,外交権の一部委譲,国家間紛争の仲裁などの機能付与を提案.
ラテンアメリカ5原則
@経済,政治,文化の面で密接な関係に基づく共通のアイデンティティーの確立, A経済,貿易,防衛面での域内の協力, B紛争の平和的解決, C各国の法律を遵守し,国民によって自由に選出された政府を共同して擁護すること, D外交政策での協力と国際政治が提起する諸課題に共同して交渉に当たること.12.09 アヤクーチョのたたかい,スクレ軍がスペインを最終的に打ち破る.ギニアを除く南米諸国,総て独立をかち取る.
24 ロバート・オウェン,奴隷制廃止と女性解放を訴える.
26 ボリーバル,パナマにLA諸国を召集,連合同盟を呼びかける.アルゼンチンを先頭とする強い反対の前に流産.チリ,ブラジルもボイコット.
29 LA諸国,イギリスからの融資に対し返済不能に陥る.ロンドン市場は大暴落.
1830年
30 ボリーバル死す.コロンビアよりベネズエラとエクアドル分離する.
32 米海兵隊,アメリカ市民の生命と財産保護を理由に,フォークランド諸島に上陸.
34.8.01 イギリス,全植民地での黒人奴隷制を廃止.さとうきび農園へのインド人クーリーの移入始まる.80年間に25万人が流入.
34 インディアス会議,三百年の歴史を終え最終的に廃止.
35 テキサス州の米国人入植者,メキシコ政府に対する反乱開始.翌年3月には独立を宣言.
35 キューバへの奴隷密貿易に業を煮やした英国,協定の完全実施を迫りキューバ沿岸に監視船を配置.
36.12.10 ポルトガル政府,アフリカのポルトガル植民地からの奴隷の輸出を禁止.
1840年
45 オサリバン,「マニフェスト・デステニー(天命)」論を発表.以後,米国の膨張主義を合理化する「理論」としてひろまる.
46 米国=メキシコ戦争,メキシコは敗れ国土の北半を割譲.オレゴン(現在のオレゴン,ワシントン州),米国に併合.リンカーンらのホイッグ党左派は「弱国に対する強盗戦争」とポーク大統領を強く非難.
48年 フランス,仏領西インド諸島で奴隷制を廃止.マルティニクだけで7万4千人の奴隷が解放される.
1850年
4.19 中米地峡地帯の中立をうたったクレイトン=バルワー条約締結.
1854年
10 ヨーロッパ駐在の3人の合衆国外交官がベルギーのオステンドに会合し「合衆国は人間ならびに神の名によるすべての法律によって,キューバを実力で手に入れる権利を持っている」と宣言.欧州列強の強い警戒感を呼ぶ.国内でも北部の奴隷制反対論者を中心にオステンド宣言に反対する声.
54 メキシコの自由主義者,独裁と腐敗を極めるサンタアナを追放.その後内戦に移行.
55 パナマ地峡横断鉄道完成.
1856年
56 サンチアゴで,アメリカ大陸会議.米国の侵略に対する防衛手段が討議される.
1860年
11 リンカーン,大統領に当選.
60 ファレス,メキシコ大統領に就任,レフォルマ始まる.
1861年
4 米国,南北戦争にはいる.LAへの進出は中断.
63 フランス,メキシコを占領,マクシミリアンを皇帝とする.ファレスの抵抗運動を米国が支援,3年後にフランスを撤退に追い込む.
65 パラグアイとブラジル,アルゼンチン,ウルグアイとのあいだで5年間にわたる戦争始まる.敗れたパラグアイは,人口の6割が死亡.
67 米国,ロシアよりアラスカを購入.
1868年
68 キューバ,独立をめざす10年戦争開始.
1869年
69 スエズ運河開通.インドの砂糖がヨーロッパに大量に流入.キューバは北米への販路拡大で窮地をしのぐ.この間に蒸気機関による砂糖キビ圧縮機の導入,大規模精糖工場の建設,鉄道や港湾の整備,賃金労働者の導入などの近代化を図る.
1870年
75 LA諸国への中国移民の導入,国際的問題となり受入れ中止.
77 メキシコにディアス独裁政権登場,「上からの資本主義化」を促進.
79 チリとペルー・ボリビアとの間で,硝石資源をめぐる「太平洋戦争」始まる.
79 レセップス,コロンビアとパナマ運河建設契約を締結.米国のヘイズ大統領は,運河が米国以外の国によって管理されることを認めるわけにはいかないと声明.
1880年
80 イギリスの海外投資の1/2がアルゼンチンに流入,開発進む.パンパス平原で大規模なインディオ狩が行なわれ,エスタンシア制が確立.
1881年
11.22 国務長官ジェームス・ブレーン,ラテンアメリカ諸国を汎米会議に招請.
84.11 ベルリン会議開催.14カ国が参加しアフリカ分割に関し議論.奴隷制度を抑制して、西洋文明の信条を進めることで同意.翌年2月ベルリン条約に署名.
85 レセップス,パナマ運河開削を開始.
88.5.13 ブラジル,奴隷制を廃止.以後,労働力として大量の移民を受け入れ.
89.10 ジェームス・ブレイン国務長官のよびかけで,初の米州諸国会議開催.最初ワシントンで,その後インディアナ州サウスベンドに移り,半年にわたるマラソン会議となる,ドミニカを除くすべてのラテンアメリカ18ヵ国が参加.本部をワシントンに置く米州諸国国際本部,通商委員会結成.米国務長官が理事長に就任,事務総長ポストもアメリカ人が独占.以後5年に1回の開催.後に汎米会議と改称.米国はさらに西半球全域にわたる関税同盟の結成も提唱するが,認められず.
89 ブラジルで革命,帝政廃止
91.12.31 スペインで新しい関税率を定めた政令が公布され,保護関税策が強化される.
93 ハワイ女王,民族的な新憲法制定をねらうが,米国人により脅迫され退位.
95 英領ギアナとベネズエラの国境に金鉱発見.英国が領土権を主張したため紛争となる.ベネズエラにより調停を求められた米大統領クリーブランド,「調査の結果イギリスが米大陸の権益を侵害していれば,全力を尽くしてこれに抵抗する」と声明.英国の妥協により紛争解決.国務長官オルニーはイギリス政府宛の文書で「今日では,事実上合衆国がこの大陸全域の主権国となっている.いわば合衆国はこの大陸に関しては調停権を依託されているわけで,この大陸の各国民にとっては合衆国の命令がすなわち法である.米州の無尽蔵な資源は,米国がその支配者としてあくまで外部勢力と闘うことを要請している」と宣言.
95 ホセ・マルティ,キューバ独立を目指す蜂起開始.
98 ハワイ,米国に併合される.
98.4.25 米西戦争開始,勝利した米国はキューバ,フィリピンを取る.初代フィリピン総督のアーサー・マッカーサー(ダグラスの父),アギナルドら民族解放勢力に対する大虐殺を指揮.ルソン島住民の6分の1が殺害される.
99 西インド諸島を基盤とするアンドリュー・プレストン社とコスタリカ,パナマ,コロンビアを基盤とするマイナー・キース社が合併.バナナ産業の8割を支配するユナイテッド・フルーツ社が誕生.本社をボストンに置く.中米5ヵ国の他キューバ,ジャマイカ,コロンビアに土地を所有.カブレラと結託し,グアテマラのバナナ独占に成功.
99 ニカラグアの詩人ルベン・ダリオ,ヨーロッパにわたる.ダリオやマルチらの提唱する「モデルニスモ」LAの知識人を巻き込む.
99 日本から最初のLAへの移民,ペルーに上陸.
00 ニカラグア運河法案,アメリカ下院通過
00 ウルグアイの作家ホセ・エンリケ・ロド,小説「アリエル」を発表.「LAは米国の拡張主義の脅威に対してその独自性を維持するために闘わなければならない」と鼓舞する.
01 キューバ,プラット修正条項によりアメリカの属国となる.
01 ヘイ=ポーンスフォード条約.クレイトン=ブルワー協定を破棄し,西半球における米国の独占的権利を認める.
1902年
02 アメリカ,ニカラグアよりパナマ運河に方針転換
02 日本,アルゼンチンから軍艦リバダビア号(日進丸)とモレノ号(春日丸)の二隻を譲渡される.チリからはエスメラルダ号が贈られる.
02.12.9 ドイツ,ベネズエラの債務不払いに対し英,伊の協力を得て艦隊を派遣.港湾を封鎖し関税収入を押収しようとする.米国はこれに介入,ベネズエラ沖合で54隻の軍艦に演習をさせて圧力をかける.翌年3月仲裁裁判に付託させるよう三国の合意をとりつける.以後LAにおける米国の事実上の決定権が確立.アルゼンチンのルイス・ドラゴ外相,ベネズエラに対する列強の干渉を機に「債務返済においては債権国の強制力の行使をともなうべきではない」と声明.その後,LAの基本理念となる.
1903年
11.12 パナマ,コロンビアより独立宣言,アメリカは翌日直ちに承認
11.18 アメリカ,パナマのエージェント,ビューノ・バリーヤとのあいだにパナマ運河条約締結,幅16キロの運河地帯を百年間租借
1904年
5.9 パナマ運河着工.
5月 ルーズベルト大統領、米国は米州の国家が悪政を続けるならば、これに対し干渉する義務があると主張。ハーグの国際司法裁判所が、ベネズエラのカストロ政権に対する欧州債権国の権利を守るため、介入することができると裁定したことに対する反応。モンロー主義を拡大解釈したもの。
12 ルーズベルト大統領,年次教書で「モンロー主義の系譜(コロラリー)」を発表.「西半球の諸国の失政に対しては国際警察力として行動せざるをえない」と宣言する.ルーズベルト・コロラリーとよばれる.
06 リオで第4回汎米会議.米国の反対を押し切って内政間諸問題が議題に上げられる.
08.4 日本から初のブラジル移民.笠戸丸に8百名の移民.
1909年
4 ノックス,米国務長官に就任.ルーズベルトの棍棒政策に代え「ドル外交」政策をうちだす.LA諸国の乱脈財政を予防するという口実で保税権をとりあげることが目的.
1910年
10 米州連合発足.
10.11 メキシコ革命勃発.ディアスにかわりマデーロが政権につくが,革命はこれを乗り越えて発展.
1911年
11 デ・サパータによる「アヤラ計画」,奪われた土地の奪回と農奴の解放をうたう.
12 タフト大統領,年次教書「現政権の外交は,近代的な通商観に即したものでありたい.この政策は弾丸に代えるにドルをもってするところにその特徴が見出せよう」
14 マーカス・ガーベイ,ジャマイカで万国黒人地位向上協会を創立.16年にはアメリカにわたる.
1914年 第一次世界大戦
8.15 パナマ運河開通.
10 アグアス・カリエンテス会議開かれる.サパタ派とビリャ派の連合により,カランサ派を押し切り「アヤラ計画」を革命の共同綱領として採択.
15.7 米国,ハイチの動乱に乗じ軍事占領,以後19年間保護領とする.
16.5 米国,ドミニカに介入し軍事占領.武装農民は5年半にわたり抵抗運動を展開.
1917年
3.1 ツィンメルマン事件.独外相ツィンメルマンが駐メキシコ大使にあてた電報が傍受・暴露される.メキシコに対米謀略への参加を呼びかけたもの.米国の対独世論,一気に悪化.
4.6 米国,対独宣戦布告.
1919年
9 メキシコでLA最初の共産党結成.ルーセンバーグに指導された米国社会党左派,シカゴで共産党を創設.リードらはこれとは別に共産主義労働者党を結成.
1920年
21 COPA第3回大会,米国海兵隊のサントドミンゴからの即時撤退要求を決議
21 モスクワでプロフィンテルン結成.LA書記局をモンテビデオに設置,書記局の指導の下にLA労働者連合(CSLAのちに38年CTAL)結成.諸国で左派労組の闘争開始,急速に影響力拡大.
23 サンチアゴで第5回米州諸国会議開催.米国が独自の判断でモンロー主義を中南米に適用するのは間違いとの意見が続出.
25 パナマ全土に反政府運動起こる.米軍はこれに軍事介入し鎮圧.
26 パナマとのあいだにアルファロ・ケロッグ協定締結.米国が第三国と戦闘状態に入れば,パナマも自動的に戦闘状態に入ることを確認.
1928年
1.16 ハバナで第6回米州会議.メキシコをはじめ数か国から「いかなる国も他国の内政に干渉しない」とするカランサ・ドクトリンをもりこんだ不干渉宣言の提案.採択をめぐり,米国のヒューズとLA諸国のあいだに激しい対立.結局不干渉宣言は米国の反対により成立せず.
11.19 フーバー,1ヶ月半にわたる中南米11カ国歴訪.ハバナ会議で険悪となったLA諸国との関係修復をはかる.
28 ホセ・カルロス・マリアテギ,ペルー社会党(共産党)を創立,LA革命の理論的支柱となる.
1929年 世界大恐慌
5.18 モンテビデオでラテンアメリカ労働組合会議開催.
6.1 ブエノスアイレスで第1回LA共産党会議.アルゼンチン,ブラジル,ボリビア,コロンビア,キューバ,エクアドル,エルサル,グアテマラ,メキシコ,パナマ,パラグアイ,ペルー,ウルグアイ,ベネズエラの代表が出席.チリ代表は官憲により参加を阻まれる.理論機関紙「ラ・レビスタ・コムニスタ」を創刊.二段階革命論とトロツキズム排除については一致するが,武装蜂起戦術の是非をめぐり激論.マリアテギの路線をトロツキズムとして退ける.
10.24 ウォール・ストリートで株価の大暴落(暗黒の木曜日).世界大恐慌勃発,砂糖暴落.LA全体の輸出額は,年50億から15億ドルへ減少.
12 ハイチで反米闘争高揚.米占領軍は武力により弾圧,多数の死傷者.
1930年
3 LA全域で,失業者のデモ闘争展開.
10 ブラジル革命成立,バルガス大統領就任.「ポピュリスト路線」をとる.
12.17 クラーク米国務長官,内政不干渉を柱とするラテンアメリカ政策を発表.
31 ローマ法皇ピオ11世,共産主義を非人間的として糾弾する一方で,労働組合を是認,キリスト教労働者に中立的な組合への参加をうながす(回勅「社会秩序の再建」)
1932年
6 チャコ戦争開始.
1933年
33.1.30 ナチス,政権をとる.ヒトラーが首相に就任.
3.4 ルーズベルト,大統領に就任.善隣政策を発表,LAへの武力干渉を停止するとともに,パナマ,ドミニカへの干渉権の放棄,ハイチからの撤退,メキシコ駐兵権の放棄を決定.
9 キューバ急進勢力により,マチャド独裁を打倒,サン・マルチン政権誕生.4カ月後にバチスタにより打倒.
12 モンテビデオで第7回米州会議開催.ハル国務長官は,セオドア・ルーズベルト以来の干渉政策を公式に放棄し,内政不干渉宣言に調印.海兵隊のLA各国からの撤退,選挙への不干渉と,各国政府の無条件承認を打出す.「ある国の政策が他国に重大な影響を与える場合は,…これは米国と他の諸国との共同の問題となろう」との付帯条件をつける.
1934年
5 プラット修正条項,正式に廃棄される.
10 モンテビデオでLA共産党合同会議.農民の土地革命と結合しながら広範な反帝人民戦線を作り上げる路線を確認.改良主義政党とも共同するたたかいを重視.
1935年
1 メキシコ,カルデナス大統領,石油会社など一連の国有化と農地解放推進.
7.25 コミンテルン第7回大会,人民戦線テーゼを採択.反帝人民革命政府をめざすブラジル民族解放連盟の綱領をLA諸国にとっての模範であると規定.
1936年 スペイン人民戦争
1.15 世界に反ファシズム人民戦線広がる.共和党左派,共和同盟よりなるスペイン人民戦線結成.
38.9 ハバナで第2回米州諸国外相会議開催.米州内の1国の領土の保全と,主権・政治的独立を脅かす非米州国による企ては,全締結国への侵略とみなされることを宣言(ハバナ宣言).メキシコ労働総同盟がイニシアチブをとってLA労働総同盟(CTAL)結成.LAの労働者の4分の3を組織.反ファシズムの立場から,諸勢力の結集をめざす.
12.24 第8回米州会議,リマで開催.ハバナ外相会議の内容を確認し,リマ宣言を発する.リオ条約の前身となる.年1回の外相会議開催と,経済諮問委員会の設置を決定.協調関係の緊密化へ.
38 チリ,共・社・急進党よりなる人民戦線政府が誕生.
1939年 第二次世界大戦開始
10.2 パナマで汎米会議.米州諸国の中立を宣言.リマ宣言を受けて発足した経済諮問委員会,米州諸国間の経済協力体制作りを進める.米国は軍事基地の設置などと引き換えに,軍事援助,軍事顧問の派遣,公衆衛生の普及計画への支援,経済開発のための資金と技術の提供など支援活動を展開.
1940年
7 米政府,独伊両国に対し「現在いかなる国の所有下にあっても,米州の一部があらたに米州外の勢力によって侵略することは認めない」と通告.
40 ハバナで米州外相会議開催.「外部からの侵略には共同行動をとる」と決議.モンロー主義がラテンアメリカ全体に適用されることになる.領土不変更をうたった「ハバナ宣言」を採択.
40 米国共産党,ブラウダーが指導し解党主義に転換.コミンテルンから脱退.米国市民権を持たない党員を除籍する.
40 メキシコ中西部のミチョアカン州パツクアロで第1回米州インディヘニスモ会議開催.インディオの固有の文化と伝統を尊重し,そのうえに国民統合をめざすことで合意.
1941年 米州諸国の参戦
1 ルーズベルト大統領,言論および信仰の自由,恐怖および欠乏からの自由という四つの自由を提唱.LAの自由化運動に拍車をかける.
1942年
1 リオデジャネイロで第3回米州外相会議開催.米州諸国が日独伊三国と国交を断絶すべきであること,また共同防衛処置をとることが確認された.この決議により米国は中南米諸国への軍事援助を開始し,軍事顧問団を派遣し,軍事基地を建設することになる.
42 パナマに米南方軍総司令部設置