中南米年表 その3

1999.9 この年表は1945年以降を扱っています.1555年から1945年までの事項については中南米年表 その2へ,それ以前の事項については中南米年表 その1へお願いします.

1950年    1960年    1970年   1980年   1990年  2004年  2006年 2007年 2008年 2009年

 

1945年

2.21 メキシコ市のチャプルテペックで米州特別会議開催.「米州の連帯と相互援助に関する宣言(チャプルテペック憲章)」を採択.「米州のある一国に対する攻撃は,米州諸国すべてに対する侵略である」とした.

4 サンフランシスコで連合国全体会議.国連憲章を採択.集団的自衛権が認められたことで,チャプルテペック宣言に国連の支持が与えられる.

1946年

46 パナマの南方軍本部内に「米州学校」(School of the Americas)が設立される.

1947年

3.12 トルーマン大統領,冷戦状態宣言(トルーマン・ドクトリン).バーンズ国務長官を更迭し,マーシャルを指名.

8 米大陸の平和と安全維持のための米州特別会議議会総会,ウルグアイで開催.トルーマン大統領は原爆をつんだB29をウルグアイにさし向け総会を威嚇.

9.2 米州会議に引き続き,リオデジャネイロの郊外ペドロポリスで米州外相会議.米州相互援助条約(リオ条約)締結.「大陸のいかなる国に対する武力攻撃も,米州のいっさいの国に対する攻撃とみなす」(第3条).「加盟国間の紛争は国連安保理または国連総会に持ち出される前に汎米同盟で解決の努力がなされること」「外部からの侵略に対しては,国連憲章第51条に認められた自己および集団防衛の権利に基づいて必要な措置をとること」などを規定.また共同防衛措置に関連した「いかなる加盟国も,その同意なくして軍隊の使用を強制されることはないが,それ以外の措置が2/3以上の多数で決定された場合は,それに従わなければならない」とし,国交断絶あるいは経済的ボイコットなどの措置は2/3以上の多数が支持すれば全条約国に強制できることになる.のちの安保などのひな型となる.

1948年

2 国連経済社会理事会の下部組織としてLA経済委員会(CEPAL,英ECLA)発足.本部はサンチアゴに.ラウル・プレビッシュ(50年より事務局長)を指導者とし,LAを中心諸国に対する「周辺国」と規定.@大土地所有制と零細農の共存という二重構造が供給面での隘路を形成.A極端な特化による貿易のモノカルチャー構造.Bポピュリズム的政府による恒常的赤字財政.C不平等な所得分配による狭隘な国内市場.をLA経済の構造的問題とする。「一次産品の対工業製品交易条件の長期的悪化説」という輸出ペシミズムを基調とし,構造主義と呼ばれる.

4.30 ボゴタで第9回米州会議開催.トルーマン・ドクトリンにもとづくボゴタ憲章採択.第24条「米州の一国に対する侵略は,他のすべての米州諸国に対する攻撃とみなす」第25条「米州諸国による集団的自衛行動をとりうる」米州連合に代わる常設機構として米州機構(OAS)設立,米国を盟主とする反共軍事同盟となる.ブラジル共産党など相次いで非合法化.

1949年

49年 カリブ司令軍本部,米国からパナマのクオリー・ハイツ基地に移動.

1950年

1.18 米国務省、ハバナにおいてカリブ地域駐在外交官会議を開催。参加者は中米・カリブ紛争の原因が貧富の差にあるという認識で一致。

3 汎米同盟理事会の調査委員会,ドミニカに対する制裁勧告.

1951年

51年 AFLと国際自由労連の指導で,全アメリカ大陸地域労働者機構(ORIT)結成.労使協調主義をひろげCTALを分裂させるため,独裁政権と組んで反共攻撃を展開.

51 中米国家機構(ODECA)が成立.

51年 アルゼンチン,OASより脱退,中立政策をとる.

1952年

4 ボリビア,MNR武装蜂起,革命政権樹立.パス・エステンソロ,大統領に就任.

8 ECLAの支援の下,中米五カ国の経済相からなる経済協力委員会が発足.

1953年

7 グアテマラ,ユナイテッド・フルーツ社の農地を含む土地国有化法実施.

7.26 カストロら,モンカダ兵営襲撃,敗れる.

7.26 アイク,LA歴訪.アルベンス政権を共産主義者の集団と非難する一方,この半球には共産主義の入り込む余地はないと豪語.

53年 アレン・ダレス,三代目のCIA長官に就任.兄のJ.F.ダレス国務長官と結んでCIAの機構を一気に強化.

1954年

2 ダレス国務長官,米州外相会議を前にワシントンで記者会見.「モンロー主義は直接の武力侵略だけでなく,異なった政治制度の移入にも適用される」とし,「グアテマラに対してはリオ条約に基づいて適切な措置がとられることになろう」と発言.

3.1 第10回汎米会議,カラカスで開催.米国はグアテマラ情勢を念頭に置いて「国際共産主義によって中南米の1国が支配されるのは米州の脅威であり,リオ条約によって適切な行動がとられるよう要求する」との決議93号案を提出.共産主義浸透を防止するためには,相互不干渉原則を無効化してもよいとする.(グアテマラ年表参照)

3.28 アルゼンチン,チリ,メキシコなどの反対にあい,「条約に基づく措置は相手国に対する主権の侵害を意味するものではない」との付帯条件をつけ採択.米国は決議採択にあたり,グアテマラに武力行使をしないことを約束.ニカラグアは決議に反対.

6 グアテマラのアルベンス政権倒れる

8 米国共産党非合法化.

8 ブラジル,バルガス大統領自殺.ポピュリスモ政治の終えん.

11月 ブラジルでOAS経済社会会議が開かれる.各国の財務経済担当相が出席。会議はプレビッシュらECLAのエコノミストが主導.ラテンアメリカ諸国に輸入代替工業化(Import Substitution Industrialization:ISI)を訴える.アメリカと世銀はプレビッシュらに反対し,市場開放・自由貿易・経済安定化を主張.米政府はラテン・アメリカ側の援助要求を拒否。

1955年

9 アルゼンチン,アランブル将軍のクーデター.ただちにOAS復帰.

55年 ダレス長官,上院財務委員会でベネズエラ情勢について証言.「ヒメネス政府は,他の中南米諸国も採用すべき政策をとっている.中南米諸国はベネズエラにならって外国資本を積極的に導入すべきである.そうすれば中南米における共産主義の脅威や社会的混乱は消滅するだろう」と述べる.

55年 ボゴタで,ラテンアメリカ司教団会議(CELAM)結成.ローマ法王庁の呼びかけを受け,教会と社会の「刷新」(Aggiornament)を掲げる.

1956年

12 カストロら,グランマ号でシェラマエストラへ上陸,立てこもる.

1957年

57年 国際電信電話会社会長の渋沢敬三,藤山外相の要請を受け中南米移動大使としてラテンアメリカ諸国を歴訪.この後資本進出にドライブ.

1958年

4.27 ニクソン副大統領,2週にわたり南米8ヵ国を訪問.ウルグアイでは「米帝国主義者を葬れ」とのアジビラ,アルゼンチンでは公然と野次攻撃,ペルーでは投石攻撃,カラカスでは数千の大衆に取り囲まれ,車のガラスを破られ体中にツバをはきかけられる.

8.09 ブラジルのクビチェック大統領,米州外相会議を前に「パンアメリカ作戦」を提唱.低開発との共同の闘いを訴える.

9月 ワシントンで米州外相会議.アメリカはクビチェック提案を受け入れ,世銀のOAS版として米州開発銀行(IDB)を設立.LA諸国の経済的社会的開発の促進を目的とし,米国の独占資本の支配下に共同市場形成への足場を築く.業務開始は60年10月.

1959年

1 カストロ,ハバナに凱旋,キューバ革命成立.米国は7日新政府を承認.

5.02 ブエノスアイレスで第1回の「21カ国委員会」が開かれる.クビチェックの提案に基づくもので,経済・開発問題に絞った中南米21カ国の首脳会議.初の国際会議に出席したカストロは,「社会暴動が共産主義政権の誕生につながるのを防ぐため」,米国に対し10年間で300億ドルの対LA包括援助を要求.

カストロ演説のさわり
ある国が政治的に不安定であるとすれば,それは低開発の原因ではなく結果である.その国が民主的に改革を進めようとしても,財源がなければ政治的混乱に陥らざるを得ない.投資家はそれを嫌うだろう.彼らは民主的政権による混乱よりは軍事政権による安定を望むだろう.果たしてアメリカの言うように投資条件を整えることと民主主義的制度は両立しうるのだろうか.もし両立しないのなら,武力によってでも投資環境を整え,民主的理想は捨て去るべきなのだろうか.

8 サンチアゴで第五回OAS外相会議開催.第一議題のトルヒーヨによるベネズエラ大統領暗殺未遂事件では,全会一致でドミニカに対するドミニカに対する武器禁輸と国交断絶を決議.第二議題の「中南米に置ける共産主義浸透増大とその対策」では,米国が「キューバは中南米全域に共産主義革命を拡大させるためゲリラ部隊を訓練しており,中南米諸国はこの脅威を放置すべきではない」と訴える.キューバのロア外相は「ソ連と友好関係を維持したからといってキューバの主権が損われることはない.キューバは米国と紛争解決のために話し合う用意がある」と反論.メキシコなど8ヶ国は,キューバの受入れ可能な決議に変えるよう要求,さらに民主制の確立,内政不干渉の原則も折り込むべきと主張.米州の理想とする代議制民主主義の原理と人権尊重に関するサンチアゴ宣言を採択.

11 ガット総会開催.LA6ヵ国はLA自由貿易連合(西ALALC,英LAFTA)結成に向け共同声明.米国に対し協力を迫る.

12 米州開発銀行(IADB)創設.LAのナショナリズム高揚に対する対応.

1960年

2 モンテビデオ条約調印,LAFTA発足で合意.メキシコと南米10ヵ国が参加する。受益者が域内大国に偏った結果挫折.中米諸国はこれに参加せず、独自の共同市場形成を探る。

2月 グアテマラ、エルサルバドル,ホンジュラスは米国が提案する統合計画を受け入れ,Esquipulas(グアテマラ)で三国条約に調印.域内の自由貿易を確立.ECLACおよびニカラグア政府から強い異議を呼ぶ.

2.22 アイク,10日間にわたる中南米歴訪.キューバへの対応を協議.

5.01 ソ連上空を飛行中のU2機が撃墜される.

5.11 イスラエルの特務機関,アルゼンチンでリカルド・クレメントを拘束.イスラエルに連行.ゲシュタポの高官アドルフ・アイヒマンと判定.アイヒマンは「ユダヤ人問題の最終的解答」を指揮.敗戦後はオデッサ・ファイルの下,アルゼンチンに潜入していた.アイヒマンは62年5月31日,絞首刑に処せられた.

5.22 午前4時11分,チリ南部沖でマグニチュード8.3の大地震.5700人の死者,日本も津波の被害を受ける.

6.8 OAS外相会議,トルヒーヨ非難決議を採択.

7.11 アメリカ,ラテンアメリカ諸国に対する新援助計画を発表.

8 サンホセで第6回OAS外相会議.米国はキューバを特定して侵略者として認定し,OASの集団的措置の対象としようと画策.LA諸国は名指し非難には賛成せず,一般的原則にとどめる.会期中にトルヒーヨがベタンクール,ベネズエラ大統領暗殺未遂事件の黒幕であったことが暴露される.OASはドミニカとの国交断絶を決議.

9.06 ボゴタで第二回ラテンアメリカ21カ国経済開発会議開催.米代表ダグラス・ディロンの提案した「ボゴタ計画」が採択される.対キューバ封じ込めの立場から,クビチェック提案を大筋で受け入れ,対ラテンアメリカ5億ドル借款を提起.「進歩のための同盟」計画の下敷きとなる.

9 キューバ,第1次ハバナ宣言発表.基幹産業の国有化,米石油会社の接収,米国との軍事条約の破棄等を実行.

9 バグダードで石油輸出国機構(OPEC)設立総会.国際石油資本の原油価格操作に反発し価格決定に対する関与を要求.

10 米国は,対キュ−バ輸出禁止,大使召還,グアンタナモ基地への派兵等で対抗.

11 アイク,グアテマラ,ニカラグアでの共産主義侵略防止を支持し,両国の要請で海空軍をカリブへ派遣.

12.15 マナグアで中米4カ国が経済統合一般条約に調印.後にコスタリカも加わる.LAFTAの地域別統合として中米共同市場(MCCA)結成を確認.

60年 ブラジルの教育者パウロ・フレイレ,東北部で独自の教育活動を展開.その後,キリスト教共同体運動のひな型となる.

1961年

3.9 メキシコ市で民族主権・経済独立・平和擁護のためのLA会議開催.元メキシコ大統領ラサロ・カルデナス,元アルゼンチン副大統領アレハンドロ・ゴメス,カストロ夫人ビルマ・エスピンがよびかけ.「LA諸国民はキューバをまもることを強く表明する.それはわれわれ自身の運命をまもることにほかならないからである」と宣言.

3.14 ケネディ,特別教書で中南米開発援助十か年計画を提案.のちの「進歩のための同盟」の基本となる.米州21カ国経済社会会議の指導のもとに,各国が長期開発計画を策定.これにもとづきIDBなどが財政援助を行うというもの.CACMなど共同市場の創設,緊急食糧援助・教育インフラへの支援などが盛り込まれる.

6 グアテマラ、エルサルバドル,ニカラグアが中米経済統合一般条約を批准.翌年ホンジュラス,コスタリカも批准.域内貿易は60年の7%3300万ドルから70年の26%11億ドルまで増大.

61年4月

4.3 国務省「キューバ白書」を発表.キューバをソ連衛星国と断定.

4.17 ニカラグアより出発したキューバ反革命軍,ヒロン湾上陸作戦に失敗.カストロは社会主義を宣言.

4.24 ケネディ,キューバ侵攻失敗を認め,その責任は自分にあると声明.

5.27 ケネディ米大統領,ラテンアメリカ特別援助基金法に署名.

5.30 ドミニカの独裁者トルヒーヨ,暗殺される.

6.01 LAFTA,6ヵ国で発足.

61年8月

8 ディロン米財務長官,プンタデルエステ(ウルグアイ)で開かれたOAS経済・社会理事会で「進歩のための同盟」の具体案として中南米経済・社会発展十カ年計画(ディロン提案)発表.この提案を骨子とするプンタデルエステ憲章を採択.

8.17 「進歩のための同盟」発効.@十年間に2百億ドルの援助.A土地改革と税制改革など経済改革,B十年間2.5%の年間成長率と国民所得を維持,などを骨子とする.経済的には,LA諸国をたんなる原料供給国や販売市場ではなく,米多国籍企業の下請生産工場として垂直分業の中に位置づけ,そのための投資環境の整備をねらったもの.

10 中米共同市場(MCCA,英CACM)発足する.この後中米諸国は,「進歩のための同盟」路線に支えられ,5〜6%の高度経済成長を78年まで維持.コーヒーやバナナに加え綿花,砂糖,食肉なども加わり農業の多様化が進む一方,輸入代替工業化も進展.その後域内の「南北問題」が表面化し71年以降は無力化.

11.5 国際開発局(AID)発足.援助を武器にした中南米支配の道具となる.

1962年

1.22 第8回OAS外相会議(プンタ・デル・エステ),キューバ参加停止決議(除名)と武器禁輸等の制裁を決議.キューバは国連憲章違反としてこれを非難.ブラジル,メキシコ,アルゼンチン,チリ,エクアドルは米国の制裁案に反対.その後これらの国に対し,CIAの政府転覆策動が強まる.メキシコ議会はキューバ支持を再確認.

2 キューバ,OASからの脱退と社会主義を選択するという第2次ハバナ宣言を発表.同時にすべてのLAに武装革命路線を勧める.

2.3 ケネディ,対キューバ全面禁輸を命令.

3 米南方軍司令官ボガード,エクアドル政府に直接介入.アロセメナ政権,軍部の圧力に屈しキューバと断交.

8 南方軍司令官の直接指揮下に「中南米消防隊」創設.空挺部隊,上陸作戦部隊などで構成,暴動鎮圧を主要任務とする.中米機構内に中米防衛局を設置.ペンタゴンの指揮下に各国参謀長を結集.サンクリストバルのフォート・ガリック陸軍基地ではLAの将校を集め対ゲリラ戦略,反共対策などを訓練.

9.26 上下両院,キューバ封じ込めの合同決議.

10.22 ケネディ大統領,全国テレビ放送でキューバにソ連ミサイル基地建設中と発表.キューバ海上封鎖を声明.28日にソ連はキューバに無断でミサイル撤去を通告.(詳細はキューバ年表に)

1963年

3.18 ケネディも参加し,コスタリカのサンホセでラテンアメリカ6ヵ国首脳と会談.「進歩のための同盟」を宣言.

4.29 中南米5ヵ国の大統領が,中南米非核武装地帯化要求の共同声明を発表.

5.08 OAS緊急理事会,ハイチ・ドミニカ紛争を協議.

9 ドミニカでクーデター.ボッシュ政権打倒

11.16 サンパウロで米州経済社会理事会閣僚会議開催.「進歩のための同盟」路線,ブラジルなどの抵抗で破産の危機に陥る.グラール,「われわれが求めているのは,われわれを際限なく貧困状態に押し下げて行くような米国の借款という新規の負担ではない.われわれが求めているのは,それでもって発展の新しい段階に進んで行けるような資源である」と演説.以後「援助でなくて貿易を」が会議の主潮となる.

1964年

1 パナマ国旗事件.パナマは運河条約改訂を要求,米国と断交.

1 ブラジリアでLA労働組合統一大会.22ヵ国労働組合が結集,51年以来国際自由労連の手で分裂させられていたLA労働総同盟(CTAL)の再統一と,新たな中央労働組織の再建を決議.

3.19 ワシントンで米州公館長会議.トマス・マン米州担当国務次官補,他国に合憲的政府を強制することは,かならずしも米国の安全保障にとって有益ではないとし,「米国は,外交政策の面では,独裁政権と民主政府とを区別立てすることをやめなければならない」と声明.ブラジルのクーデター推進を示唆(マン・ドクトリン).

3 ブラジルで軍事クーデター,グラール政権から軍事独裁へ.

04 ベネズエラで第9回OAS外相協議会.キューバにおける全体主義の進行とラテンアメリカに対するテロ活動に抗議.ベネズエラのゲリラ支援をリオ条約違反と認定.直接,間接を問わずキューバへの経済封鎖を決議. @キューバの行動は侵略である,A加盟国はキューバとの外交関係を断絶する,B人道的理由にもとづく品目以外の貿易を全面禁止とする,C必要な場合には軍事力に訴えた個別的集団的自衛権の行使も可能である,という内容の決議を採択.メキシコ,チリ,ウルグアイ,ボリビアが反対に回る.

10.15 フルシチョフ首相兼第一書記が解任される.後任の第一書記にブレジネフ,首相にコスイギン.

11.3 米大統領選,ジョンソン現大統領が圧勝.

11 LA共産党大会,ハバナで開催.平和革命路線をとる各国共産党と,キューバ路線との調整をはかる.ベネズエラ,コロンビア,グアテマラ,ホンジュラス,ハイチにおける武装闘争を正規の路線として承認.

64年 第一回国連貿易開発会議(UNCTAD)開催.LA21カ国は特別調整委員会(CECLA)を開催し事前調整のうえ参加.援助よりも貿易の拡大を通じて経済発展をめざす立場から,製造工業品輸出に対する特恵,一次産品に関する商品協定,一次産品の価格低下に対する保障融資制度などを提案.事務局長にプレビッシュが就任.

1965年

4.25 ドミニカでボッシュの復帰をめざす軍部反乱,米国はこれに介入して2万の海兵隊派遣,政府を転覆する.

5,01 ハリマン,米特使として中南米を歴訪.ドミニカ問題への対応を協議.

5.6 (ド)OAS外相会議,米国に追随し「秩序回復と共産主義排除」のためOAS軍の派遣を決定.総指揮官にブラジルのウーゴ・パナスコ・アルビン将軍.ブラジル千2百,ホンデュラス250,コスタリカ22名を派遣.メキシコ,ウルグアイ,ペルー,チリ,エクアドルは反対に回る.

6 ペンタゴンの発案になるキャメロット計画暴露される.南米の「特定の国」で内乱の可能性や,それを鎮圧する力が政府にどの程度存在するかを調査するため,6百万ドルを計上.「特定の国」とはチリ,コロンビア,ペルー,ベネズエラ,アルゼンチンを指す.

65年 EC,共通農業政策を決定,域内での農業自給を図る.LAからヨーロッパへの農産物輸入は著明に減少.

1966年

1.05 第1回AALA三大陸人民連帯会議,ハバナで開催.100ヵ国が参加.15日,反帝・反植民地闘争強化を決議して閉会.

2 文化大革命深刻化,キューバは中国と国交断絶.

4 リマでキリ民党会議開催.LA19ヶ国と西欧10ヶ国のキリ民党代表3百人が参加.ヨハネ23世の回勅にもとづき政治のリベラルな改革の方向で意志統一.

6.27 日本輸出入銀行,米州開発銀行に36億円の円借款供与.ラテンアメリカ諸国の経済開発計画に協力するため.国際金融機関への円供与として最初.

 

1967年

2.14 メキシコ市郊外のトラテロルコにおいて「トラテロルコ条約」調印,中南米の非核地帯化宣言.参加11ヵ国が核兵器製造・使用・所有禁止を約束.

3.13 カストロ,ベネズエラ共産党の武装闘争中止の方針に対し公然と批判.ベネズエラ共産党は7項目にわたる反論を発表.

4.13 OAS総会,プンタデルエステで開催.米国はドミニカの経験から「緊急事態が西半球に発生した場合,米州の軍事行動をとるために,もっと効果的な機関となるよう米州機構を改組する」よう提案.米州平和維持軍の条項を盛り込むことを主張するが,LA諸国の反対にあい実現せず.LA諸国は米国に対し共同市場の創設を認めるよう迫るが,米国はこれを拒否.ジョンソン大統領は「今後はLA経済発展の主役にはならない」と「進歩のための同盟」路線に対する事実上の終結宣言.OAS理事会,常設理事会と経済社会理事会,教育科学文化理事会の三者に分割,実務的傾向を強める.

7.31 LA連帯機構第1回大会,ハバナで開催.フォコ(移動する根拠地)路線,一段階革命論を打ち出す.都市労働者や政党の役割,統一戦線思想は否定され,「革命の輸出」が公然とうたわれる.

7月 欧州経済共同体(EEC)を母体に欧州共同体(EC)が発足。

9 OAS外相会議,キューバ孤立化宣言.域外国に対し対キューバ貿易,金融,運輸の規制をよびかける.

10 ゲバラ,ボリビアでゲリラ戦展開し死亡.

68 カリブ海自由貿易連合(CARIFTA)発足.カリブを中心とする英語圏諸国で形成.中米共同市場はベリーズの加盟申請を却下.米国はベリーズが将来グアテマラの監督下に入ることを示唆する(ウェブスター提案).

 

1968年

8.20 ソ連・東欧5カ国軍,チェコスロバキア侵入.キューバはソ連を支持.その後カストロ主義を大きくソ連よりに修正.

8 コロンビアのメデジンで,第二回LA司教会議開催,「資本主義に基づく構造的暴力が存在し,貧困な大衆を抑圧している」と声明.その後さらにグティエレスらは「解放の神学」を提起.

10 ペルー,ベラスコ軍政成立,民族主義左派の立場から「国有化」政策を実施.

10 パナマ,トリホスによるクーデター成立,民族色の強い政策を打ち出す.

68年 ベネズエラ,エセキボ地方の領有を主張し,ガイアナに軍を侵入させる.

 

1969年

69年 米国,財政上の行き詰まりから「進歩のための同盟」を打ち切り.ニュヨーク州知事ネルソン・ロックフェラー(一説にデヴィッド)を団長とする超党派調査団,ニクソンの特命を受けLA諸国を歴訪.ナショナリズムの高揚に対し適切な処置が講じられなければ,反米革命運動の脅威がひろがるだろうと警告.同時に多国籍企業の進出をうながす立場からブラジルの軍事独裁を称揚する.

4.25 中南米11ヵ国の非核地帯化条約(トラテロルコ条約)が発効.

5.17 ラテンアメリカ調整特別委員会が開かれる.米を除く全OAS加盟国が参加.開発協力のピニャ・デル・マル宣言を採択.

5.26 ボリビア,チリ,エクアドル,ペルー,コロンビアの5ヵ国,カルタヘナ協定に調印.LAFTAのサブ・リージョナル機構として,アンデス地域統合(ANCOM)が創設.関税同盟,部門別補完計画,共通外資政策の実施などで合意.ベネズエラは参加条件に対する不満から直前になり参加取り止め.その後,チリが脱退,ベネズエラが加入.

6 エルサルバドル,ホンジュラス間に「サッカー戦争」勃発.

10 メディシ,ブラジル大統領に就任,強権政治を進める.この間経済は「ブラジルの奇跡」と呼ばれる高度成長を遂げる.

10 ニクソン,ロックフェラー報告にもとづき「成熟した協力」をめざす「ニュー・パートナーシップ」政策を発表.LAの現状維持,すなわち改革なき近代化と国際分業の発展,内乱防止の政策を推進することを最大目的とし,援助の主要対象をブラジル軍事独裁など反動政権におき,抑圧機構の強化に向け機敏かつ積極的に介入をはかることに戦略目標をすえる.ニクソン,「進歩のための行動」計画を発表.国際機構による社会経済開発を重視することにより米国の負担と責任の軽減をはかる.

11 全米で反ベトナム戦争の大デモ展開

69年 OAS外相会議,「米州人権条約」採択.

 

1970年

5.04 モンテビデオで中南米海洋法会議開催.200カイリ水域宣言.

5 ツパマーロスのよびかけで,LAゲリラ組織の調整会議開催.ベネズエラのFALN指導者ダグラス・ブラボは,ゲバラの構想に忠実にしたがい統一指令部構想を提案するが否決.都市ゲリラ戦術が優位を占めるなかで各国ゲリラの協調がうたわれる.会議に参加しなかったウルグアイの革命運動(MRO),アルゼンチンの解放軍(FAL),革命的ペロニスタ軍(ERP)なども呼びかけへの支持を表明.

8.09 ラテンアメリカ14ヵ国,領海の自主決定権を確認.リマ宣言を採択.

9 ルサカで6年ぶりに非同盟諸国首脳会議開催.政治志向を避け,経済をめぐる南北間の矛盾に議論を集中.南北問題解決に向け共同の政治行動を強化することで合意.資源ナショナリズムの出発点となる.LAからはジャマイカ,ガイアナ,トリニダード・トバコの旧英領3ヵ国が参加.

11 アジェンデ,チリ大統領に就任.銀行,銅山の国有化を発表.

11 OAS理事会,米国の新通商法案に反対する決議採択.

12.31 アンデス5ヶ国,カルタヘナでアンデス・グループ結成に合意.外国企業の利益持ち出しを制限,10〜15年で外国資本を国有化,インフラ部門での外国資本進出を禁止などをふくむ協定締結.

12月 ホンジュラスはCACMから撤退.

 

1971年

10.25 第26回国連総会,中国の国連参加と台湾追放を決定.キューバ,チリのほかペルー,エクアドル,ガイアナ,ジャマイカ,トリニダド・トバコ,メキシコがアルバニア・アルジェリア決議案賛成に回る.

 

1972年

4 チリのサンチアゴで第三回国連貿易開発会議(UNCTAD)総会開催.米国の金融危機をきっかけに「経済的自立」の声が強まる.エチェベリア大統領が国家間の経済権利義務憲章を提唱.

11 ペロン元大統領,17年ぶりに帰国.

11 トルヒージョ,ローマ法王庁の意を受けLA司教会議の事務局長に就任.以後,会議は右傾化.

72年 非同盟諸国機構に参加したカリブ3ヵ国,キューバと国交回復.

1973年

73 カリブ共同体(CARICOM),カリブ海自由貿易連合(CARIFTA)を母体に非英語圏諸国も加え発足.

3.15 パナマで国連安保理開催.米国はパナマ運河決議案に拒否権行使.トリホスは「植民地主義は自由人の監獄である」と米国を断罪.

5.12 ロジャーズ米国務長官,LA8ヵ国の歴訪開始.ブエノスアイレスではアジェンデ・チリ大統領と会談.

6 ウルグアイ,軍政に移行,共産党に対し激しい弾圧

7 第3次ペロン政権成立.

9 チリ,クーデター.アジェンデ死す.

1974年

2.13 チリMIRの提唱でパリで「革命派合同評議会」開催.アルゼンチンのERP,ウルグアイのツパマロス,ボリビアのELNなどカストロ派ゲリラ組織が参加.後にLA・ゲリラ組織の統轄機関となり,ゲバラの義弟でキューバ情報将校のフェルナンド・ルイス・アルバレスが指導.

3.05 パナマでバナナ輸出国会議開催.中南米7ヵ国が参加.

4 国連資源特別総会,エチェベリア大統領の起草になる「新国際経済秩序(NIEO)樹立に関する宣言および行動計画」を採択.外資規制の権利,技術移転の促進,一般特恵制度の改善,天然資源に対する恒久主権が認められる.

11.12 米州機構総会,キューバ制裁決議案を否決.

11.26 中南米砂糖輸出国会議,輸出国カルテルの結成を決定.

12.09 ペルー建国150周年記念式典出席の中南米8ヵ国首脳,中南米連帯宣言(アヤクチョ宣言)に調印.

12 第29回国連総会,エチェベリアのよびかけた「諸国家の経済権利義務憲章」が圧倒的多数で採択.

74年 第三次海洋法会議.ペルーの主張で2百カイリ経済水域の設定につき合意.

 

1975年

1.20 ワシントンでOAS特別理事会開催.ラテンアメリカ諸国,米の新通商法(1974年12月18日)の差別条項撤廃を要求するが,米政府はこれを拒否.

3.17 ペレス・ベネズエラ大統領,メキシコを訪問.SELA(ラテンアメリカ経済機構)設立を共同声明で提唱.

7 OAS第16回外相会議,リオ条約改定議定書を採択.不干渉原則を確認し,すべての国が政治・経済体制を自由に選ぶことができるとし,反共同盟としての性格をあらためる.また「各国がおのおのの政策と国益に従いキューバとの国家関係を改変することを認める」対キューバ「行動の自由」決議を採択. 経済封鎖の解除を決定.

7.31 パナマで中南米25ヵ国代表者会議開催.ベネズエラ,メキシコの呼びかけたSELAの設立を承認.

10.15 パナマでLA経済機構(SELA)設立総会.米国など域外諸国をふくまずキューバも含めた地域統合実現.米国に主導権を握られた米州機構に代わるものとして中南米諸国の経済協力をめざす.事務局をカラカスに置き,中南米26カ国が参加.

10.20 モンテビデオでラテンアメリカ軍部関係者会議開催.チリ秘密警察(DINA)のイニシアチブにより南米軍事政権間で「コンドル作戦」展開.国外亡命中の有力政治家暗殺を共同して進める.レテリエル暗殺,レイグトン襲撃などをてがける.

10 国連総会,ベリーズが単独で国家を建設することを圧倒的多数で可決.

11 キューバ,MPLAの要請を受け派兵開始.

1976年

1.20 フォード米大統領,韓国・中南米5ヵ国への無償軍事援助計画中止を表明.

2.17 キッシンジャー米国務長官,ペレス・ベネズエラ大統領と会談.6項目のガイドラインを提案.キューバによる新侵略認めないとする一方,中南米の多様な要求への配慮を表明.

3.13 23か国が参加するラテンアメリカの砂糖輸出国,メキシコで中南米・カリブ海地域砂糖輸出国機構(LACSEC)を設立.

3 アルゼンチン軍部クーデターによりイザベル・ペロン政権打倒,その後の弾圧により3万人の行方不明者(デサパレシードス)をだす.

5.03 カストロ,キューバの中南米諸国への軍事介入を否定.

11.3  米大統領選で民主党のカーター当選.

11.23 第13回社会主義インター総会.中南米の軍事政権に対する制裁の呼びかけを決議

 

1977年

3.1 カーター大統領,OAS会議で「人権外交」を提唱.これに反発するブラジル,アルゼンチン,ウルグアイの軍事政権は,米国の軍事援カーター次期戦略爆撃機B1の生産中止を決定助拒否.

4.08 カストロ,アフリカ歴訪のあと東独・ソ連を訪問.モスクワでAALA人民の反帝闘争にたいする支持を共同声明.

4.14 カーター,「人権外交」を具体化.(1)人権尊重(2)内政不干渉(3)経済協力ーの三つの柱からなる新中南米政策を発表.

5.26 カーター,トラテロルコ条約の第1議定書に署名.

8.05 ボゴタで,パナマ問題に関する中南米6ヵ国首脳会議開催.新運河条約を支持する立場を明らかにする.

9.07 カーター米大統領とパナマのトリホス将軍,新運河条約に本調印.ワシントンでの調印式には,中南米23ヵ国の元首・代表が参列.

77年 CEPAL報告発表.「地主階級の比重は低下したが,テクノクラートと工業・金融大利益集団が権力を分有する傾向にあり,また多国籍企業の参加が増大している」と警告.

77年 「白い手」とよばれる各国の反共準軍事組織の連合,LA反共連盟(CAL)大会,アスンシオンで開催.ボリビアのウーゴ・バンセル大統領の提案による「バンセル・プラン」を採択.教会の進歩的勢力を迫害する共同行動をとることで一致.

1978年

1 IDB(米州開発銀行)の年次報告.1977年のラテンアメリカの経済成長率は4.5%.

3 カーター米大統領,ラテンアメリカ・アフリカ諸国を歴訪.人権外交を訴える.

4 新パナマ運河条約,米上院を通過.同時に運河返還後も米軍の介入を認める修正案を可決.

5.18 メキシコ・ソ連首脳会談.ソ連はトラテロルコ条約の第2議定書に調印.共同声明では平和目的核爆弾も条約違反とする.

7.03 アマゾン流域の8ヵ国,ブラジリアでアマゾン開発条約に調印.

9.15 モスクワ放送,「ソ連のラテンアメリカ諸国友好文化協力協会が反ソモサ闘争に連帯を声明した」と報道.

 

1979年

2.01 メキシコで中南米司教会議.会議にはローマ法王も出席.

7.19 ニカラグア革命成功,ソモサはマイアミへ亡命.

8.08 西独経済相,ラテンアメリカ5ヵ国歴訪.メキシコに石油と原子力技術の交換を申し入れ.

8.12 エクアドルで民政移管,軍政終えんのさきがけとなる.就任式に出席したアンデス5カ国首脳(エクアドルのほかベネズエラ,コロンビア,ペルー,ボリビア),ラテンアメリカ全体の民主化を呼びかける「キト宣言」を発表.

8 園田直外相,ラテンアメリカ諸国を訪問.ピノチェトを国賓として招待する.

9 ハバナで非同盟諸国首脳会議開催.キューバはその後3年間にわたり議長国をつとめる.

79年 OAS内に米州人権裁判所設置.カーターの提唱により69年の人権条約をもとに発足.

79年 プエブラで第3回LA司教会議.法王ヨハネ・パウロはオアハカ州で土地の再分割と経済的正義を擁護.貧富の差を「非人間的,非キリスト教的である」と非難.

 

1980年

3.05 ブッシュネル米国務次官補代理,ラテンアメリカに対する軍事・経済援助の増大計画を公表.

4.11 SELA加盟25ヵ国,IMFに依存しない独自の通貨基金システムの創設に努力することで合意.

6.27 LAFTA代表者会議,あらたな経済統合を目指しLAFTAをALADI(中南米統合連合)に変える条約草案作成.

7 ペルー,民政に復帰,ベラウンデが大統領に就任.開放経済政策を実施.

7 共和党選挙綱領を発表.「マルクス主義サンディニスタ政権によるニカラグアの支配に反対し,自由を求める国民の努力を支持する」と宣言.

8 新モンテビデオ条約調印.破産したLAFTAからLA統合連合(ALADI)に改組するが,実体化せず.

8 メキシコとベネズエラとのあいだにサンホセ協定締結.中米・カリブに対して石油の廉価な提供と供給確保を約す.

9.4 CAL(WACL・LA支部)年次総会,アルゼンチン軍部の支援を受けブエノスアイレスで開催.アルゼンチン,ボリビア,パラグアイ3国の大統領の他,各国軍事政権幹部が参加.中米からはサンドバル,ダビュイソンらが参加.アルゼンチンの弾圧の徹底ぶりをほめたたえ,その経験を中南米全域に広げていく方向で一致.イエズス会の中南米からの追放を決議,OASと国連の人権委員会,アムネスティ・インタナショナルをマルクス主義的と非難.

11.4 レーガン,大統領選に圧勝.

12.16 ボリバル没後150周年を記念する中南米首脳会談,サンタマルタで開催.中南米8ヵ国・スペイン首脳が出席し,サンタマルタ宣言を採択.

80年 米国,サンタフェ委員会,「80年代の新しい中南米政策」作成.

 

1981年

2.03 レーガン,エルサルバドル軍事援助を強化すると発言.ヘイグ米国務長官,OAS総会でエルサルバドル援助強化を言明.

3 LAFTAに代わる経済協力機構としてラテンアメリカ統合連合(ALADI)発足.引き続き加盟11カ国による経済ブロック形成を促進することで合意.

9.01 メキシコのポルティーヨ大統領,米の中性子爆弾製造を非難.中南米親米政権としては初めてのこと.

9.02 米国の意向を受けたベネズエラ,カラカスに軍事独裁諸国を中心に9ヵ国を召集.フランスとメキシコがエルサルバドルの左翼組織を承認したことを「内政干渉」と非難する決議を採択.

9 ベリーズ独立.グアテマラの抵抗を押しきり,国連総会でベリーズの独立を承認.ニカラグアなども独立を支持.

10 メキシコのカンクンで第1回南北サミット開催.単なるショーに終わり何の声明もなく終幕.ラテンアメリカ諸国はさらに米国との対決姿勢を強める.

12.02 パナマで中南米14ヵ国外相会議,アメリカが第三世界との包括交渉を拒否していることを非難する宣言を採択.

81年 シングローブ退役少将,世界反共連盟(WACL)米国支部の議長に就任.破壊工作,テロル,ゲリラ戦などを組みあわせた「低水準の準軍事行動」を提唱.

81年 米国の肝いりで東カリブ海諸国機構(OECO)結成.グレナダ包囲網を形成.

 

1982年 メキシコ経済危機

2.24 レーガン,OAS会議で中米に対する武力行使を示唆.「米国貿易のほぼ半分,輸入原油の2/3,そして輸入戦略物資の半分以上がパナマ運河およびメキシコ湾を通過している」と発言,中米権益死守の姿勢を強調する.「新モンロー主義宣言」と言われる.

4.2 アルゼンチン軍,マルビナス諸島を占領,マルビナス(フォークランド)戦争はじまる.OAはイギリスによる侵攻ととらえアルゼンチン支持決議を採択するが,米国は決議を無視してイギリスを支持.6月14日には戦闘終結.17日にはガルチエリ大統領が引責辞任.以後,軍政は急速に自己崩壊.

7 米,加,墨,ベネズエラの各国がカリブ開発構想(CBI)で合意.対象国としてニカラグア,ガイアナもふくむ中米・カリブ27ヶ国を設定.

8 メキシコ,外国民間銀行に対し公的債務800億ドルの支払い猶予を申請.LAの金融危機一挙に表面化.銀行団は90日間の支払猶予を決定.後に1年に引き延ばされる.

9.21 エクアドル,外国主要債権銀行に対し,計63億ドルの債務の一部返済延期を要請.中南米諸国の債務返済行き詰まり5ヵ国に拡大.

10 トラテロルコ条約締結を推進したメキシコ外交官ガルシア・ロブレス氏にノーベル平和賞.ノーベル文学賞にガルシア・マルケス.

11.04 国連総会,フォークランド諸島の主権問題を解決するため,英とアルゼンチン両国に交渉再開を求めた中南米20ヵ国の修正決議案を可決.アメリカと日本も決議案に賛成.

11月 メキシコ,IMFから38億4000万ドルの緊急融資を受ける.見返りに厳しい財政緊縮策を受け入れ.

11.30 レーガン米大統領,ブラジルなど中南米4ヵ国を歴訪.

82年 中米経済統合条約が失効.各国は内戦と多額の債務のため,域内貿易の推進が不可能になる.

82 ブラジルのレオナルド・ボフ神父「教会…カリスマと権力」を発表.ローマ法王庁の批判を浴びる.

 

1983年

1 メキシコ,パナマ,ベネズエラ,コロンビアの4ヶ国外相がパナマのコンタドーラ島で会談.中米紛争の平和的解決をめざすコンタドーラグループ結成.

2.14 コスタリカ,ホンジュラス,エルサルバドルの三国,コンタドーラ提案を受けニカラグア情勢について外相会議.

2.25 ブラジル,83年度分の470億ドルの債務支払いが不能となる.債務支払いの延長と新たな融資44億ドルで合意.

3月 メキシコと銀行団の交渉.50億ドルの新規借款で合意.累積債務は850億ドルに達する.

3月 ウルグアイ,対外債務の支払いを90日間停止すると宣言.ベネズエラも債務支払いの延長を求める.

4.20 パナマでコンタドーラ・グループと中米五か国の外相会議開催.中米和平を目指す共同の努力を確認.

4 FMLN,FARC,MIR(チリ),バンデラ・ロハ(ベネズエラ)の4組織,エクアドルのエスメラルダで会談.国境を越えた統合的戦略の必要性で一致.

5.27 エンダーズ中南米担当国務次官補が更迭される.レーガン,ホンジュラスへの米機動訓練部隊派遣を決定.

5 CEPALとSELAの事務局長,エクアドルの要請に応じて「債務危機に対する対応のための基礎」を発表.

6.01 ストーン中南米問題米大統領特使,中南米10ヵ国歴訪.レーガン政権の意向を語るいっぽうエンダーズ問題への理解を求める.

7.28 コンタドーラと中米五か国の外相会議,パナマで開催.ニカラグア革命政府と親米国派のホンジュラスなどが対立.

7月 メキシコ政府と銀行団,債務繰り延べ交渉で合意.

8 米議会内に中米問題超党派諮問委員会(キッシンジャー委員会)発足.

8 CBIを具体化した「カリブ地域経済再建法」,議会で承認.中米およびカリブ地域の27ヵ国に特恵待遇を適用.受益国からの米国輸出に対し12年間にわたり関税免除.同地域の生産品の米国市場参入を容易にし,輸出志向型,民間企業主導型経済の発展をうながすとともにカリブ海をとりまく事実上のドルブロック形成をめざす.現実の援助はジャマイカとドミニカに集中.その後の経過では実効はほとんど上がらず,共産主義国家は対象からはづれるなど,たんなるニカラグア,キューバいじめに終わる.

10.25 グレナダで政変,ビショップ首相ら射殺.米国は在留米人保護を口実に侵攻,6日間で占領.OAS構成国の過半数はこの侵攻に対し反対の立場に回る.

12 アルゼンチン,800%のインフレ,3万人の行方不明者を残し軍事独裁終了.アルフォンシン急進党政権へ.軍部テロの追及始まる.

84年 国連で拷問禁止条約(拷問および他の残虐な,非人道的なまたは品位を傷つける取扱い,または刑罰に関する条約)が調印される.発効は87年.

 

1984年

1.07 パナマでコンタドーラと中米諸国外相の会議.ニカラグアを除く中米4か国は「新和平案」を逆提案.ニカラグアを含む中米サミットの開催で合意.

1 キッシンジャー委員会,報告を提出.@民主的制度の強化A経済安定B自立的経済成長C経済的平等の推進を目標とする.

1 LA首脳会談,キトで開催.CEPAL,SELA共同提案を受けキト宣言を採択.@債務問題は債務国側,債権国側の双方に責任があること,A債務問題と貿易問題が密接に関連していること,B債務の繰り延べ交渉においては輸出の所得の一定の合理的な割合以上は支払いに用いられるべきでないこと,などを主張.

2.9 アンドロポフ書記長,腎不全のため死去.後任にチェルネンコ.

3 SELA,キト宣言の具体化のため「LAの対外債務の再交渉のための基礎」を発表.債務国カルテル結成の動きに対し先進国に警戒感.

4 ブラジルのリオデジャネイロで,大統領選挙の直接投票をもとめ百万人がデモ.

4 CEPAL総会.英称をECLAからECLACにあらためる.

5.24 コンチネンタル・イリノイ銀行,LA諸国への貸付金の焦げつきから倒産の危機に.連銀は75億ドルの緊急融資.米国第4位の大手銀行マニュファクチャラーズ・ハノーバー・トラスト,第3位のチェース・マンハッタンにも経営不安説が流れ,株式・債券市場が大暴落.いづれも対外債務に悩むLA諸国に多額の融資残高を抱える.

5 アルゼンチン,ブラジル,メキシコ,コロンビアの大統領,米国の大幅な金利引き上げに対する抗議を共同で表明.

6.21 コロンビアのベタンクール大統領,中南米債務国をカルタヘナに召集.現在の債務は国家の返済能力を完全に越えており,国際的な対応が必要であるとし,LAの債務国カルテルを目指す.ドミニカ,ボリビア,チリ,ウルグアイなども加わり11ヶ国が参加するカルタヘナ・グループ結成.

6 デラマドリ大統領,訪米.歓迎式典で「米州のすべての国が,平和回復と戦争回避のため,最大限の努力をなすべきである.それは国際法の諸原則を遵守し,それぞれの国の国家主権を尊重することによってのみ達成される」と発言.

8.11 エクアドル大統領就任式出席のブッシュ米副大統領とアルゼンチン,ベネズエラ,コロンビア,ボリビア,エクアドル5ヵ国大統領会談.中南米の債務問題協議.

9.3 バチカン教理聖省「解放の神学の若干の側面に対する指示通達」を発表.長官のラツィンガー枢機卿は,「解放の神学がキリスト教の教義からはずれている」と非難.

9.7 法王庁,ブラジルの代表的な解放神学者レオナルド・ボフに対する査問をおこなうと発表.

9.13 カルタヘナグループ,マルデルプラタで第2回中南米債務国会議を開催.債務国と債権国との直接対話を提案.

11 チリとアルゼンチン,ビーグル海峡の帰属問題を解決,平和友好条約調印.

12 ニカラグア教育相のフェルナンド・カルデナル神父,ローマ法皇庁から破門される.

84年 米軍のスク−ル・オブ・ジ・アメリカズ(SOA),パナマからジョージア州フォート・ベニングに移る.

 

1985年

1 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世,12日間にわたり中南米諸国を歴訪,「解放の神学」を非難.

1 阿部外相,コロンビア訪問.コンタドーラの活動を支持すると表明.

2.07 第3回ラテンアメリカ・カリブ債務国会議がサント・ドミンゴで開催される.11ヵ国の蔵相・外相が出席

2 米政府,キッシンジャー報告を受け「中米の民主主義,平和および開発に関するプログラム(CAI)」を提案.

3.02 ウルグアイ大統領の就任式に出席したアルゼンチン・コロンビア・ニカラグアなど7ヵ国大統領が,域内の社会・経済危機克服を目指すモンテビデオ宣言を発表.

4.21 ブラジル,民政移管.タンクレド大統領,就任を目前に結腸ガンで死亡.サルネイがかわって大統領に就任.共産党など合法化.

6.19 ラテンアメリカ議会第7回総会,キューバの加盟を承認.

7 ペルー,アプラ党(アメリカ革命人民同盟)のガルシア,大統領となる.就任演説で「利払いは,輸出の10%以下にとどめる」と声明.IMF介入を拒否.就任式に参列したラテンアメリカ14ヵ国首脳,中米紛争の平和的解決・軍縮などを盛り込んだ「リマ宣言」を発表.

7.29 ガルシアの就任式に出席したブラジル,ウルグアイ,アルゼンチン,ペルーの4か国外相会議で,コンタドーラ支持グループ結成.

7.31 カストロの提唱で「ラテンアメリカ・カリブ債務問題国際会議」開催.債務国の一括モラトリアムを提唱.累積債務問題で中南米諸国首脳会議を呼掛ける.

8.23 コンタドーラ+支援グループ8ヵ国外相会議がカルタヘナで開催される.ニカラグア紛争などの調停支援策を討議.米政府にニカラグア武力不介入求める共同声明を発表.

9 パナマ運河代替案調査委員会設置のための協定調印.調査費用を日本,米国,パナマが均等負担することとなる.

10.08 ベイカー財務長官,ソウルで開かれた世銀・IMF合同年次総会で、累積債務問題に対してベイカー構想を提案.

ベイカー構想: 累積債務問題が、短期的な総需要抑制政策では解決できない構造的問題であるとの認識に立ち、債務国における一定の経済成長保障の必要性を認める.
 今後3年間にもっとも深刻な債務を負う15ヶ国に対し二百億ドルを貸与。中長期的な構造調整政策のために世界銀行、米州開発銀行などの新規融資を促す。
ただし,IMFへの債務の5割棒引きを柱とする構造調整と市場指向型政策の実施を条件とする。民間債権者はいっせいに反発。一般債務に関して手を付けないベイカー構想は,まもなく破産.

11.12 拡大EC12ヵ国と中米6ヵ国が協力協定に調印.

11 カルタヘナ・グループ,モンテビデオで会談.ガルシアの行動を支持せず.ベーカー構想を受け,ブラジル,アルゼンチン,ベネズエラ,メキシコの4ヶ国からなるフォローアップ・グループを創設.

11 コロンビアで火山爆発.死者2万人.

12.06 OAS総会,開催.75年に続きリオ憲章を再度改定(カルタヘナ議定書).米州諸国は政治・経済制度を自主的に選択でき,制度の違いに関係なく相互協力するとする.コンタドーラ+支援グループなど9ヵ国,米の対ニカラグア経済制裁中止を求めた提案提出

 

1986年

2 ハイチで,デュバリエ独裁打倒の蜂起開始.米国は,これに介入,デュバリエなき親米政権発足による延命を計る.(フィリピンのマルコスに対する態度と同じ)

2 カルタヘナ・グループによるプンタ・デル・エステ会議開催.ペルーの影響を受け,利払いを輸出高に比例しておこなうとする急進的提案.米国の意を受けたメキシコの退場により流産.以後グループとしての活動は休止状態に.

4 法王庁,ボフ神父への処分を撤回,その後徐々に「解放の神学」にたいする暗黙の支持へ態度を変換.

6.18 ALADI代表者会議,キューバのオブザーバー加盟を承認.

7 ローマ法王,コロンビアを訪問.解放の神学を評価するメッセージを発表.

10.16 SELA第12回評議会がリマで開かれる.「現在の条件では債務返済は不可能」とする決議を採択.

10 リオでコンタドーラ・グループと支援グループの合同外相会議.リオ・グループを結成.国連,OASと中米4ヵ国が共同で調停工作を再構築するとの共同声明を発表

11.13 レーガン,対イラン秘密交渉,武器供与の事実を認める.

86年 メキシコ,第2の債務危機を迎える.

 

1987年

1月 エクアドル,対外債務が110億ドルに上り,元利の支払いの一時停止を宣言.

2.20 ブラジル,クルザード計画の破綻から対外債務の返還不能となる.外国民間銀行の中期負債の利息支払にたいしモラトリアム宣言.

2.26 米大統領特別調査委員会,イランコントラゲートにおける大統領の責任を指摘.

5.19 米国のシティ・コープ(シティ銀行の持株会社),開発途上国への不良債権の償却に備え,貸し付け残高の22%(30億ドル)を貸倒れ引当金として設定.その後チュース・マンハッタンなどが追随.

5.30 カルタヘナグルーブ実務者会議,対外債務の貿易額に応じた返済などを盛り込んだ新提案.

6 パナマ全土に非常事態令.ノリエガ将軍の大統領選不正工作への関与を示唆した参謀総長ディアス・エレラ大佐を解任したことがきっかけとなる.

8 中米五カ国首脳会談.和平協定(Esquipulas II)が成立する.地域の平和・民主主義的統合システムの回復のため,協調行動の政治的な基礎となる.

9月 IMF世銀総会。ベーカーはメニューアプローチと呼ばれる追加提案をおこなう。民間中小銀行の保有債権の債券化を基本とし、債権者は一文の金も払わずに債務国政府への直接投資および回収が可能となる。債務国への真水の流入はなく、債務問題はまったく改善なし。

10 国連総会,エスキプラス合意を支持する決議を圧倒的多数で可決.米国のみが保留に回る.同時に総会は全会一致で中米諸国に対する技術・経済・金融援助を強化するとともに,国連事務総長が中米のための協力に関する特別計画を推進することを要請するとの決議を採択.レーガン,国連決議に対し停戦成立後もコントラ援助続けると宣言.

11.09 OAS年次総会.レーガン大統領はエスキプラス合意の枠組みのなかでニカラグアと交渉する用意があると演説.

11.27 CG+SG,アカプルコで首脳会議開催.中米和平のほか対外債務でも協議.対外債務に対する金利の上限設定,IMF貸出条件の緩和を骨子とする「アカプルコ合意」を採択.

11月 アルゼンチンのマル・デル・プラタで第17回米州陸軍会議が開かれる.米国をはじめ,アルゼンチン,ブラジル,チリを含む十五ヵ国の軍代表が秘密の合意文書に署名.ラテンアメリカにおける国際共産主義運動は米州の安全保障にとって主要な脅威となっているとして,米州各国の軍の間での国境を越えた共同行動をうたい,さらに軍の政治介入の可能性も示唆.翌年9月に暴露される.

 

1988年

2.17 デルバイエ・パナマ大統領とエープラムズ米国務次官補(中南米担当)がマイアミで会談.

2 南方軍司令官ゴーマン,「麻薬カルテルは米国空軍よりすぐれた装備をもっている」と上院で証言.

3.28 SELA,カラカスで特別閣僚会議を開き,パナマ問題について討議.米に対パナマ制裁の中止を要請する決議を採択.

4.29 中南米8ヵ国グループ,パナマ政府の要請あれば問題解決のため行動と発表.

4 ホンデュラスの麻薬王ラモン・マッタ,米国に引き渡される.

5.23 コザック米国務次官補代理(中南米担当),大統領特使としてパナマ訪問.

5 国連総会,国連開発計画(UNDP)LA地域局長アウグスト・ラミレスの策定になる中米協力特別計画を採択.亡命者の帰国援助を中心とする緊急プログラム,対外債務の軽減と中米共同市場の活性化を中心とする優先プログラム,インフラ建設や観光開発などの経済回復・開発プログラムより構成される.必要総資金額は43億ドル強.

6.25 コンタドーラ+支持グループ,メキシコのオアハカで会議.パナマを除名し,7ヵ国からなるリオ・グループとして再出発すると発表.

8.01 シュルツ米国務長官,中南米9ヵ国歴訪.

9 UNCTAD,民間銀行に対し債務国債務の3割を棒引きにするよう提案.

12.12 パナマを除くCG+SGの7ヶ国,リオで蔵相・経済相会議を開催.対外債務削減と経済開発用新規融資導入を目的として「リオクラブ」を結成.その後ボリビア,エクアドル,パラグアイ,チリ,コスタリカ,ジャマイカが参加,リオ・グループに発展.

12 コントラへの人道的援助物資輸送に,ラモン・マッタら四つの麻薬カルテルが使われていたことが,上院の調査であきらかに.

88年 ブラジルで第22回ECLAC総会開催.@貿易や関税の自由化が市場メカニズムの成立を保障するものではない.市場メカニズムが自動的に経済構造を調整するのではなく,寡占や対外従属を強化する結果となることもある.長期的な価格体系とも一致しない.A国際競争力強化は構造調整の下での効率化の推進や,生産性の向上を通じて中長期的に実現されるものであり,たんなる為替レートの切り下げによる低賃金にもとづく競争力の強化では長期的な輸出拡大効果は期待しえない.とする事務局提案を採択.

 

1989年

1月 ベネズエラ,債務の一部についてモラトリアムを宣言.対外債務は44億ドルに達する.年間物価上昇率は2倍を越す.

2.01 SELA,リオで「中南米連帯のための行動」会議開催.加盟国債務の50%削減計画を発表.

2.03 「リオ・グループ」非公式首脳会議,途上国の債務を買い取る国際機関の設置を提唱,日米欧諸国に対外債務に関する協議を訴える.

3.10 米財務長官ニコラス・ブレーディ,債務そのものの削減を含むブレイディ構想発表.IMF路線の一方的押しつけから,債務救済の方向に踏出す.ブレイディー構想で示された構造調整政策は、「市場をより合理的、効率的に機能させる」ことによって、経済成長と国際収支の均衡を図るものとされる。具体的には貿易と投資の自由化、国営企業の民営化、国内における土地・労働などの規制緩和、行政機構の合理化、社会サービス予算の削減など「ワシントン・コンセンサス」とほぼ同様な中身。

5.3 メキシコのソラナ外相,CGはその使命を全うしたと声明.

5.15 OAS外相会議.メキシコはパナマの主権を擁護しつつも,ノリエガの独裁については非難.米国のノリエガ非難決議に賛成.

7.5 ワシントン連邦地裁,ノースに対し罰金15万ドル,禁固3年,執行猶予2年の判決.

9.18 ブラジル,対外債務が1100億ドルに達し,ふたたびモラトリアムを宣言.

10.15 キューバ,国連安全保障理事国に選出

10 カナダ政府,カルタヘナ議定書を受けOAS加入を決定.

12.20 米軍2万5千名,ノリエガ逮捕を口実にパナマに侵攻.中米諸国はあいついで非難声明.ペルーは侵攻に抗議し,リオ条約からの脱退を決議.

11月 ワシントン国際経済研究所のジョン・ウィリアムソンが、中南米の債務削減戦略を提案。「ワシントン合意」と呼ばれる。債務削減の交換条件として、さらに厳しい経済統制を迫るだけでなく、債務の証券化により国営企業などの経営支配に乗り出す。

ワシントン・コンセンサス: 財政規律、財政支出の優先順位、税制改革、民営化、規制緩和、金融自由化、競争的為替レート、貿易自由化、外国直接投資の自由化、財産権の保護の10項目を柱とする。

 

1990年

1 メキシコ政府と日米欧の民間銀行団との交渉,債券残高の35%削減,残りを「国債化」することで合意.交換条件としての自由市場改革はこれまで以上の厳しさとなる。

1 ワシントンの黒人市長マリオン・バリー,コカイン吸引の現行犯でFBIにより逮捕.

2.15 カルタヘナで麻薬サミット開催.米国,コロンビア,ペルー,ボリビアの各国大統領が参加.3ヵ国に対する米国の経済援助強化で合意するが,米国の派兵については三国の一致した反対.

3.29 リオ・グループとECの合同外相会議.対東欧関係とパナマの扱いについて協議.

5.03 ECLAC,先進国にブレイディ構想(新債務戦略)への資金協力枠の3倍増を提唱.

6.12 ブッシュ・サリナス会談.両国間の包括的自由貿易協定の締結で合意.

6.27 ブッシュ大統領,カリブ海構想(CBI)をLA全体に拡大し貿易活性化と貿易・投資の自由拡大をねらうた米州自由貿易圏構想(EAI)を発表.

中南米支援構想(EAI)の骨子: 「東欧では自由が勝利を収めた。米州でもキューバを除いて民主化が達成された。自由市場経済改革が持続的成長、政治的安定の鍵であるとの認識がラテンアメリカで高まりつつある。EAIはこれを強化するために行われる」と目的を規定。
南北アメリカ全体を統合する西半球自由貿易地域(WHFTA)をめざし,投資の積極化,そのための債務軽減処置を柱とする.今後5年間に15億ドルの投資援助をおこなう米州多国間投資基金(MIF)設立を打ちだす.この基金には米国のほかヨーロッパ,日本にも出資をもとめ米州開発銀行が管理することとする.

6月 ベーカー国務長官、ブッシュ発言を受け、中米復興のための支援枠組を作ることを提案。「中米の民主主義と開発のためのパートナーシップ」(PDD)と呼ばれる。

6 グアテマラのアンティグアで第9回中米首脳会議.経済統合プロセスを再開することで合意.中米地峡経済共同体の結成に向け中米経済行動計画を承認.

7.20 エクアドルで第1回先住民大陸会議が開かれる.

7.23 ブッシュ,アンデス諸国に対しCBIタイプの特恵供与のほか,農業部門への援助,技術援助の意向を表明.麻薬対策の一環として位置付けられる.

10.12 カラカスでリオ・グループ首脳会議.米州自由貿易圏構想の支持で合意.

12.19 ECLAC,経済報告で「失われた十年」と表現.ラテンアメリカ24ヵ国の1990年のGDPはマイナス0.5%と発表.ラテンアメリカ全体で,10年間の経済成長はマイナス8%に達する.個別に見るとコロンビアとチリはプラス16%,これに対しニカラグアが38%,ぺルーが28%,アルゼンチンが20%のマイナスとなる.住民の39%が貧困ライン以下,とくに農村地帯では53%に達する.平均賃金は10年間で82%に低下,さらに最低賃金は66%に下落し都市貧困者を直撃.

90年 ブラジル労働者党(PT)の呼びかけで、ラテンアメリカの左翼48組織が参加してサンパウロフォーラムを開催。新自由主義経済政策に反対するとともに、その政策が生みだす矛盾へ対応していくことを決議。

 

1991年

2 カナダ,米墨間の自由貿易協定に参加する意向を表明.北米自由貿易協定(NAFTA)構想が浮上.

3 ブラジル,ウルグアイ,アルゼンチン,パラグアイの4カ国首脳会議(アスンシオン),95年からすべての商品の域内関税をゼロとする南米南部共同市場(Mercado Comun del Sur=MERCOSUR)の創設で合意.

4.07 米州開発銀行年次総会,名古屋で開幕.中南米諸国への経済支援を協議する.

4 ベイカー構想にもとづく「民主主義と開発のためのパートナーシップ(PDD)」計画が発足.先進十カ国、ラテンアメリカ十カ国、14の国際機関を結集。

6.12 米加墨によるNAFTA交渉始まる.

6.12 メキシコ市でLA反帝勢力の国際会議「サンパウロ・フォーラム」開催.22ヶ国から68の政党,団体が参加.FSLN,FMLNなどが中心的役割.中南米地域における覇権の再構築をねらうEAIに対抗するようよびかける宣言を採択.

7.15 第10回中米首脳会議,サンサルバドルで開催.パナマの加盟を承認.FMLNの武装解除促進,中米機構(ODECA)の再活性化,中米議会創設で合意.サンサルバドル宣言を発表.

7.19 メキシコで「第1回イベロアメリカ首脳会議」開催.中南米諸国と旧宗主国のスペイン,ポルトガルの計21ヵ国首脳が参加.

8 クエール副大統領,中南米諸国を歴訪.南北アメリカの自由市場化とキューバ排除の強化を説得.

8 サリナス大統領の呼びかけによりグアダラハラで第一回イベロアメリカ首脳会議開催.スペイン,ポルトガルの他,中南米19ヶ国首脳が参加.

9 グアテマラ,ベリーズの独立を承認.これを歓迎するカリブ共同体(カリコム)は,中米との自由貿易の会談を開始することで合意.

10.23 メキシコのコスメル島でメキシコ,ベネズエラ,コロンビアの三ヵ国首脳会議.ブッシュの米州自由貿易地域構想を支持し,三ヶ国による自由貿易市場の設立で合意.キューバも含めたLA全体の自由貿易化をうたう.会談にはカストロ首相も招へい.カストロは,国会議員選挙を直接選挙制とし非党員の参加を認めると発言.

10月 旧ソ連諸国,ソ連時代の対外債務を分担して引き継ぐことで合意.G7も旧ソ連時代の債務支払延期で合意.

11月 各国議会での批准を得てメルコスールが発効.

12.2 カルタヘナで第5回中南米首脳会談,11ヶ国が参加.キューバに対する民主的改革の要請,米州自由貿易圏の早期結成などの声明.西側資本主義国による環境破壊を非難する決議を採択.

91年 CARICOMの諮問機関「西インド諸島委員会」,スペイン語圏を含むカリブ諸国連合の結成を提唱.

 

1992年

1月 IMF,ブラジルへの21億ドルのスタンバイ・クレジットを承認.

2.27 第二回麻薬サミット,テキサス州サンアントニオで開催.米国と中南米6ヵ国が参加.取締まり強化や資金洗浄規制などでの協力で合意.

2 テグシガルパで中米首脳会談。ホンジュラスは中米各国と自由貿易協定に調印.中米経済統合システムに完全復帰する.中米統合機構(SICA)創設に関わる「テグシガルパ宣言」が採択される。

2月 欧州連合(EU)、マーストリヒト条約で創設される。域外関税を共通化した関税同盟が基本となる。ラテンアメリカの経済統合の指針となる。

5.13 日本電気,ブラジルにパソコン製造の合弁会社を設立.

6.3 リオで地球サミット開催.176カ国参加.

7 マドリードで第2回イベロ・アメリカ首脳会議が開催される.LA諸国とスペイン,ポルトガル両国が民主化,人権,経済統合などについて議論,EC統合を見ながら欧州との関係強化のため連帯と協力を約束.

8.12 第7回米加墨大臣会議,ワシントンで開催.94.1の発足後十年間で関税撤廃するとするNAFTA合意を発表.

8月 中米五カ国とメキシコの間に地域自由貿易の手続きに関する枠組み協定.

10.07 アムネスティ・インターナショナル,中南米諸国で先住民に対する不公平な裁判や拷問などの人権侵害が依然続いているとの報告書.

10.12 コロンブスの米州到達500周年.

12.16 世界銀行,1992−93年世界債務報告書を発表.中南米などの中所得国で10年前に始まった債務危機はほぼ終息したとする.

12.17 北米自由貿易協定(Tratado de Libre Comercio)締結.

 

1993年

3 ODECAにかわる中米統合をめざす共同体として中米統合システム(SICA)発足.コスタリカは参加を見送る.

7.15 第3回イベロアメリカ首脳会議,ブラジルのサルバドールで開催.米国の対キューバ経済制裁の解除を求める宣言.

11 中米経済統合条約締結.自由貿易地帯の形成,5千品目にわたる関税撤廃,人的移動の自由で合意.

93年 ハバナで第4回サンパウロフォーラムが開催される。この会議にはラテンアメリカとカリブ地域の112の参加組織と25のオブザーバー組織(中国共産党、ベトナム共産党等の他地域の組織を含む)が参加した。

 

1994年

1.01 NAFTA(北米自由貿易協定)発効.

1 クリントン,大統領教書で南北アメリカの自由貿易化をめざす米州サミット開催を提起.

6 パナマを除く元コンタドーラ加盟国であるメキシコ,コロンビア,ベネズエラの3カ国により,G3(グルーポ・デ・ロス・トレス)自由貿易協定が締結される.内容,構成ともにNAFTA協定に非常に似通っており,NAFTAの強い影響を受けている.現時点における域内輸出比率は非常に低く,将来の発展には困難があると思われる.

6 SELA総会,キューバ経済封鎖の解除を求める決議を採択.

7.24 CARICOM首脳会議,カリブ諸国連合の結成で合意.

8.29 キューバ,トラテロルコ条約への加盟を決定.

9.10 リオ・グループ(加盟14ヵ国)首脳会議,キューバの民主化を求めるいっぽう米国の制裁解除を要求する決議.またハイチの民政復帰を求める

10 IMF,世銀が創立50周年を迎える。本来貿易促進と発展途上国支援のための機関であるにもかかわらず,民間銀行に対する債務の支払いを行なうための構造調整を強いる機関となっている。その結果,発展途上国における貧困の拡大と深刻化に重要な役割を果たすようになった。

11 カリコムにメキシコ,キューバ,コロンビア,ベネズエラをくわえた環カリブ海諸国が,カリブ諸国連合(ACS)を結成.

11.08 カリフォルニア州,不法移民に対して社会保障と公教育の提供を拒否する「住民提案187号」が,住民投票で成立.ラテンアメリカ諸国は「人権を理解しない差別」と抗議声明.この時点で米国内のヒスパニック人口は2200万を越える.うち過半数をメキシコ系が占める.

11.16 ロサンゼルス連邦地裁,「反ヒスパニック法」に対し10日間の緊急差し止めを命令.

12.9 クリントン大統領の提唱によりキューバを除く北米,中南米諸国34カ国の首脳がマイアミで第1回米州首脳会議(西半球サミット)を開催.米州活性化構想(EAI)を基礎に,2005年までに米州自由貿易圏(FTAA)を設立することで合意.

12月 メキシコで財政不安から海外資本がいっせいに逃避.国内銀行のほとんどが破産状態となり,ペソ切り下げを余儀なくされる.

1995年

1.01 南部共同市場メルコスルが発足.域内関税の原則撤廃と60%のローカルコンテントを打ち出す.発足時点で,全輸出品目の約85%をカバーする対外共通関税が導入ずみ.域内貿易は90年の41億ドルから95年には143億ドルへと急速に拡大.

メルコスール加盟国: 創設時参加国はアルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ。また1996年にボリビアとチリ、2003年にペルー、2004年にコロンビア、エクアドル、ベネズエラが準加盟国となっている。人口2億人,GDP1兆ドルと,米州における地域統合としてはNAFTAに次ぐ規模を有する.

1.26 メキシコ,100億ドルの対外債務支払いが困難となる.IMFから77億ドルの融資を受けることで合意.さらに478億ドルのローン・パッケージが保障される.

1 南方軍司令部,パナマからマイアミへ移転することを決定.

7.10 中南米のコーヒー生産国,国際価格維持のために輸出を16パーセント減らすことで合意.

7.26 米国の呼びかけで初のOAS国防相会議開催..キューバ以外の中南米各国の国防相が参加.「民主主義の確保」を軸に米州における相互安全保障体制を構築することを確認.米国は舞台裏でNATO型の共同軍創設を工作.ペリー長官は「米州諸国の軍と軍との連携は,われわれの関与においてその通貨の役割を保ち続けるであろう」と発言.

8 トリニダードで第1回カリブ諸国連合(ACS)首脳会議.域内貿易と自由化の促進,対外経済政策の協調,エネルギー・環境問題での共同,観光業と運送業の振興のための行動計画を打ち出す.米国の対キューバ経済封鎖の解除をもとめる決議を採択.

9.11 米国防総省,「米州安全保障戦略」を発表. ハイチ侵攻を「この地域における民主主義の前進の証拠」と自賛.「民主主義制度を守ることが相互の安全保障を築く基礎である」と述べ,麻薬密輸・国際テロ対策で同地域各国軍隊との協力関係を重視.ナイ国防次官補は「民主主義的統治が脅かされた時は,米州機構(OAS)を通じて,友好諸国とともに適切な措置をとる」と依然米の軍事干渉の大枠を維持.またパナマ運河については内外の脅威がなくなったと認めつつ,「米軍駐留が同地の民主制度維持と麻薬撲滅に意義がある」として駐留継続の意志を表明. 運河自体の重要性は変わらないとしてその防衛に米軍が関与し続ける方針.         

10.17 イベロアメリカ首脳会議,バリローチェ(アルゼンチン南部)で開催.中南米諸国と旧宗主国(スペイン-ポルトガル)併せて21ヵ国が参加.1.中・仏の核実験を非難しCTBT交渉終了を提起,2.米の対キューバ経済制裁の批判等を盛り込んだ最終文書を採択.

10月 パリ・クラブとロシア政府,債務の組み換えで合意.ロンドン・クラブも322億ドルの債務について7年間の支払猶予を認める.

12 ボリビアがメルコスールとの間で経済補完協定(ACE)を締結.ベネズエラもメルコスール参加の意向を表明.

12 メルコスールと最大の輸出相手地域であるEUとの間で,将来的な貿易と経済協力に関する枠組み協定を締結.

95年 ウルグアイで第5回サンパウロフォーラム。新自由主義経済の改良をめざす。PRIのオブザーバー出席、社会主義インター、ECLAや世銀への参加招請など、右傾化傾向を示す。

 

1996年

3月 アンデス共同市場(ANCOM)がトルヒーヨ議定書によりアンデス共同体(CAN)に改組される。最高意思決定機関である首脳会議のもとに、加盟国国会の代表からなる議会、仲裁裁判所をもつこととなる。

6 メルコスールとチリの間で自由貿易協定が締結.(合意は三月)

9月 IDB、「開発思想と実践」と題する国際会議を開催。新自由主義路線に警鐘を鳴らす。ウィリアムソンは「新ワシントン・コンセンサス」を提唱し軌道修正。

 

1997年

5.08 中米諸国を訪問中のクリントン大統領,コスタリカの首都サンホセで開かれた中米首脳会議に出席

5.8 パナマの米南方軍,国際麻薬対策センターをパナマに設置,米軍兵力2千を駐留させると発表.麻薬を口実に,運河返還後も米軍の居座りを図る.バジャダレス大統領もこれに呼応して,ハワード米軍基地が麻薬対策センターとして活用される場合には2000年以降の駐留継続もあり得ると表明.

5.29 米南方軍,これまで大西洋軍管轄だったメキシコ湾,カリブ海域を管轄に加えるとともに,司令部をパナマからマイアミに移転.

8.1 米政府,中南米諸国への兵器輸出規制を緩和する方針.理由は「中南米の民主化が進んだため」という訳の分からない理屈.背景に景気が好転した中南米諸国がフランスなどから武器を買う動きが出てきたため.

9.13 中南米を訪問中の台湾の李登輝総統,エルサルバドルで中米6ヵ国の首脳と会談.中米開発資金として2億4千万ドルを出資するなど発表.

12.17 ラテンアメリカ・カリブ経済委員会、「経済速報」を発表。「1990年代、ラテンアメリカ経済は穏やかに経済成長を続けてきた」とする。その一方で、増え続ける対外債務に対し警鐘を鳴らす。

ECLAC報告の概要: 平均GDP成長率は3.2%、インフレ率も93年の883%から、97年には11%まで低下。輸出は97年に11%増加し、世界平均の7%を大きく上回る。しかし輸入はそれ以上に増加し、貿易収支の赤字は96年の80億ドルから97年には280億ドルに増加。さらに経常収支の赤字幅は600億ドルに達する。これはGDPの約3%に相当する。
いっぽう、海外からの投資は97年に総額730億ドルに達した。そのうち直接投資は440億ドルであり、短期資本は大幅に減少した。対外債務の総額は6440億ドルに拡大した。これはラテンアメリカ諸国の対外債務危機が発生した82年の3153億ドルの2倍以上にあたる。

 

1998年

4.18 チリで第2回米州サミット開催.2005年に予定されている米州自由貿易圏構想(FTAA)で本格協議.

7月 プエルトリコで、1ヶ月間にわたり米州諸国の共同軍事演習。米国「南方軍(Southcom)」が指揮をとり、アルゼンチン、ボリビア、チリ、パラグアイ、ウルグアイが参加。

8.26  ロシア通貨危機始まる.影響はただちにラテンアメリカ経済を襲う.世界的規模の需要の縮小やデフレ傾向により一次産品(原油,銅やコーヒ ーなど)価格が大幅下落し,その供給国であるチリ,ベネズエラ,メキシコやアルゼンチンなど各国経済に大きく影響.とくにブラジルは貿易収支赤字が増大,GDP比8%の財政赤字と外貨準備高の大幅減少で金融危機が深刻に.

9.05 パナマで第12回リオグループ首脳会議開幕.ブラジル,アルゼンチン,ウルグアイ,エルサルバドルの各大統領が欠席するなど,全体として低調.議題は経済問題に集中.「世界経済安定のためはG7の即時対応が不可欠」とする宣言書を採択.

10  IMF,ブラジル政府との間で,財政再建を条件として総額415億ドルの支援パッケージで合意.日欧米・カナダの先進20ヶ国も融資支援に入る.

12 IMF,予想を越える世界経済危機の進展により,10月に発表したばかりの「世界経済見通し」(WEO)をさらに臨時改定.ラテンア メリカの経済成長率予想を0.3ポイント下方修正.97年の5.1%成長からは大きく後退した.

1999年

4.18 カリブ諸国連合 先進国の核廃棄物輸送にカリブ海を使用することに抗議.

11.01 ベネズエラのチャベス大統領 南米の統一軍事機構の創設を提案.

11.05 ハバナでイベロアメリカ首脳会議 中米諸国・スペイン・ポルトガルなど16首脳参加.米国の圧力でエルサルバドル,ニカラグア,コスタリカなど数カ国が不参加.

11月 シアトルで第三回WTO閣僚会議。会場は3万人の「人間の鎖」で包囲される。会議はすべてのプロセスを凍結し閉幕。共同宣言も発表されず。

11 米議会,米州学校の廃止へ動く.国防総省は大規模な機構改革を条件として存続を強く求める.

 

2000年

3.07 バチカン当局,「過去に行ってきた暴力による改宗は過ちであり悔い改める」とする公文書をカトリック史上初めて発表.

3月 ペイス南方軍司令官、上院で証言。@ベネズエラなどの石油資源へのアクセス確保、A中南米の貿易市場へのアクセス確保、B自由航行権の確保を、南方軍が守るべき死活的利益とする。

6.10 アンデス共同体首脳会議 内政不干渉などの共同声明を採択.

6.16 中南米19か国を含むリオグループ首脳会議.通貨危機発生に迅速に対応するため,独自の通貨基金=ラテンアメリカ通貨基金構想を創設する構想などについて協議.

6.19 世銀,「機会とリスク:ラテンアメリカ・カリブ諸国」と題する白書を発表.「過去15年にわたってラテンアメリカに課されたネオリベラルな経済政策は成功を収めた」と評価する.

6.29 メキシコとグアテマラ・ホンジュラス・エルサルバドル三国,2001年からの発効を目標とする自由貿易協定に調印.

8 アルゼンチンを中心に家畜の口蹄疫が発生.

9.01 カルドーゾ大統領の提唱で,初の南米サミットが開催される.南米12か国首脳が出席,米国主導の2005年の米州自由貿易圏(FTAA)に対抗.2002年1月までに南米自由貿易圏を結成することなどを盛り込んだ「ブラジリア宣言」を発表.

南米自由貿易圏: ブラジルの提唱したもの。メルコスールとCANのFTAを柱に、チリ、ガイアナ、スリナムを加え、域内貿易の自由化と相互補完関係を強化しようとするもの。CANにとっての経済的メリットが不明瞭なため、その後の交渉は進まず。

11月 パナマで第10回イベロアメリカ首脳会議が開催され,児童の教育・福祉の向上のための「パナマ宣言」を採択.

12.14 メルコスール第19回総会,ブラジルのサンタ・カタリナ州フロリアノポリスで開催.チリは米国の圧力の下で正式加盟を保留.いっぽう南アフリカはメルコスールへの準公式加盟を発表.

12.16 ECLACのホセ・アントニオ・オカンポ理事長(元コロンビア蔵相),「10年のネオリベラルな経済政策は地域の外部依存を強化した.いまやラテンアメリカ地域は,新しい生産志向型の経済的戦略を必要としている」と述べる.

 

2001年

4.20 カナダのケベックで第3回米州首脳会議開催.FTAAについて、2005年1月までに交渉妥結、同年12月までに協定の発効というスケジュールを確認。米国が「民主主義憲章」の制定を提案.原則で合意し,6月のOAS総会で調印する方向となる.会議ではベネズエラやカリコム諸国から強い異議が示される.チャベスは貧困や飢餓、社会差別をなくすため、「米州社会憲章」草案を提示。ケベック市内では3万人が激しい抗議デモを展開.

6.03 サンホセで第31回OAS総会開催.事実上米国が提案した「民主主義憲章」は可決されずに終わる.

6.15 サンサルバドルで中米首脳会談.メキシコと中米7ヵ国が参加.メキシコ南部からパナマまでの地域を一体開発する「プエブラ=パナマ計画」(PPP)を承認.将来的にNAFTAに結合させること,全米サミット(ケベック・4月)の「民主主義憲章」を支持し,違反する国は計画から排除することを確認.

6.15 メキシコPRDの国際担当書記フアン・ホセ・ガルシア,80億ドルに上るPPPは,遺伝子産業のモンサント社などが,中米地域で「バイオ海賊」行為をするチャンスを与え,最後のゲリラーメキシコ南部の武装ゲリラを最終的に蹴散らそうとするものだと批判.PPPと闘うために,各国の左翼政党と連帯すると述べる.

8月 アルゼンチン北部のサルタ州で、1ヶ月にわたり大規模共同軍事演習「2001カバーニャス作戦」が展開される。アルゼンチン、ボリビア、チリ、パラグアイ、ウルグアイ、エクアドル、ペルーが参加。

9.12 ニューヨーク国際貿易センターのテロで行方不明になっているエルサル人が72人.この時点で42万人のエルサル人がニューヨーク在住と推定される.他にコロンビア人116人,ブラジル人26人,エクアドル人24人,ペルー人93人など.メキシコ人は100ないし500とばらつき.

12月 マルガリータ島で第3回カリブ海諸国首脳会議。チャベスはACLAに対抗する反米・民族主義的な地域統合の枠組みとしてALBAを提唱。

01 米州学校,「治安協力のための西半球研究所」と改称し存続される.

01年 バードセル、ワシントン・コンセンサスに対抗するものとして、「ワシントン・コンテンシャス」を提唱。付加価値税から所得税への再シフト、富裕層への課税と脱税取り締まりの強化、労働市場の柔軟化から労働者保護の拡大と反差別政策への転換を求める。

 

2002年

1.31 ブラジルのポルト・アレグレで第二回世界社会フォーラムが開催される.欧州諸国の労働組合や社会民主主義政党と第三世界の代表が,グローバリゼーションについて討議.

3.18 メキシコのモントレーで国連主催の「開発援助に関する国際会議」が開催される.171カ国が「モントレー合意」に調印.2015年までに世界の貧困人口を半減すること,そのために開発援助を2倍に増やすことで合意.国連とIMFなど国際金融機構との協力拡大などを掲げる。

3.21 カストロが総会演説.「いまや世界経済は巨大なカジノと化した」との持論を展開.国際投機に税を課す「トビン税」に賛意を示す.

3.22 カストロ,まもなくメキシコを訪れるブッシュの指示により,追い出されるようにメキシコを去る.アラルコン国会議長は「まるでシンデレラ姫のようだ」と表現.

3.23 総会最終日に演壇に立ったブッシュ大統領は,今後三年間で援助額を1.5倍化することを公約.「希望のグローバリゼーション」を掲げるNGO各組織が1万人を動員.

7.01 米連邦当局、ヒスパニック(中南米系)住民の数が3880万人に達し、黒人の3830万人を抜いて、米国で最大のマイノリティーになったと発表。

8月 米議会で新通商法が成立。WTOに代えてFTA交渉を前面に出し、米国流基準の押し付けを図る。

11月 チリで第5回米州国防相会議。ラムズフェルドは「テロは国境を越えた脅威」と強調。「各国の指揮・統制能力を高め、情報交換を強化する」ことを訴える。

02年 エクアドル・キトで先住民族アメリカ大陸会議が開かれる。米州自由貿易圏構想(FTAA/ALCA)を「われわれの領域、文化、良心、そして自然そのものを再植民地化する新らしい侵略(十字軍)である」と批判。

 

2003年

1月 ポルトアレーグレで開催された第三回世界社会フォーラム。チャベスはIMFに代わる「ラテンアメリカ通貨基金」や南米のOPECとも言うべき「ペトロアメリカ」(南米石油公社)の創設を提案しALBA構想を具現化。

3.20 イラク戦争開始。非常任理事国として採決に加わったメキシコのフォックス大統領は、「(武力行使の米英または戦争反対の仏独露の)どちらの側にもくみしない」との姿勢を示して平和的解決の姿勢を貫き、メキシコ国民の82%が大統領の決断を評価。同じく非常任理事国のチリも参戦に与せず。

ほかの中南米諸国の態度: ブラジルは対イラク攻撃に正当性なしとし、91年の湾岸戦争では戦闘にも参加したアルゼンチンは今回は不支持表明、ペルー議会は武力行使反対の国家決議を行った。他方、米国支持を表明したのは、コロンビア、エルサルバドル、ニカラグア、ボリビア、グアテマラとドミニカ共和国だったが、ドミニカ共和国ではメヒア大統領の米国支持表明に抗議して外相が辞任。
米国の市民権を求めて多くの外国人が入隊しており、ヒスパニック系の米軍兵士は約8万5
,000人という。

5月 米海軍、プエルトリコから撤退。司令部はテキサスとフロリダに移動。

6.10 チリで開催された米州機構(OAS)の年次総会.パウエル米国務長官が、キューバに人権侵害があるとして同機構でキューバ非難決議を採択しようと画策するが失敗.アメリカは、米州人権委員会の今年の選挙においても落選.

6.17 アスンシオンにて第24回メルコスール評議会.「2006年までにすべての差別を消滅させ、完全な共同市場を形成する」と宣言.

8.25 メルコスールとペルーのFTAが調印。ペルーはメルコスールの準加盟国となる。

9.10 メキシコのカンクンでWTOの第5回閣僚会議.14日には,先進国の不平等貿易を押し付ける「シンガポール・イシュー」にブラジルを先頭とする途上国(G21)側が反発.ケニア代表が席を立ち,その後多くの国が追随したことから,閣僚宣言を採択せずに事実上の決裂の形で終了.

9.19 アラブ首長国連邦のドバイで,IMFと世銀の合同会議.@IMFと世銀が先進国が途上国に対し設定している障壁の低減に努力するか,A不良債権国に対する対応,B富裕国が貧困国への援助拡大を始動するために何らかのイニシアチブを果たすか,が注目される.

10.09 モンテビデオでメルコスールと南アフリカの貿易交渉。将来のFTA締結を視野に入れ、対象を南部アフリカ関税同盟(SACU:南ア、ボツワナ、ナミビア、スワジランド、レソト加盟)に拡大。

10.16 メキシコ市で、社会主義インターナショナルの中南米カリブ海委員会が開催され、中南米各国から19政党が参加する。アルフォンシン元アルゼンチン大統領が議長を務め、米国の先制攻撃戦略に厳しい批判。

10月 ルーラがアルゼンチンを訪れ、キルチネルとのあいだで「ブエノスアイレス合意」を発表。「公的債務の返済は、富と雇用の創出、預金保護、貧困削減、教育と保健衛生の促進、持続可能な経済社会開発政策を前提として行われるべきである」とする。

10月 トリニダード・トバコでOAS第15回通商交渉委員会(CNC)。メルコスール側は、加盟国の経済発展段階の違いを踏まえ、農業部門の自由化については、各国に裁量を与える「選択型」とすることを提唱した。これに対し、米国およびカナダ、チリ、アンデス諸国は「一括交渉」の原則をあらためて強調し、主張は平行線をたどる。

11.06 ハバナでラテンアメリカ・カリブ海地域核兵器禁止機構の総会開催.トラテロルコ条約にもとづいてラテンアメリカの33カ国が参加.「ラテンアメリカおよびカリブ海域は核兵器禁止地帯である」と宣言.

11.13 ボリビアのサンタクルスでイベロアメリカ・サミット開催.「イベロ・アメリカ社会の発展の原動力、社会的包含」 をテーマに,社会から排除された膨大な国民の再統合を話し合う.先住民代表カルロス・エドワルド・メディナが,カルロス・ディエゴ・メサ新大統領の推薦を受け会議で演説.FTAAは国内を先進国の製品で溢れさせ,国民を溺れ死にさせるものだと非難.また先住民らの「対案社会集会」にはメサ大統領、ベネズエラのチャべス大統領、ブラジルのルーラ大統領も出席し発言.

11.20 マイアミで米州34カ国首脳会議が開かれる.FTAAの基本合意書に署名.ベネズエラのみが署名を保留.チャベスはルモンド紙に対し,「FTAAは地獄に通じる」と発言.

「基本合意」の真相: メルコスール側は、各国の市場をアメリカの補助金政策の影響からまもるため、保護関税の承認を要求。米国の主張に沿って,農業補助金の問題はWTOなどで交渉することで合意.これと引き代えに,投資ルールの制定と知的財産権の保護に関しても,全ての参加国の合意を条件としないこととなる.この二つが棚上げとなったことで,FTAAは事実上骨抜きとなる.

12.11 ブラジリアでG-20閣僚会議が開催される。ルーラ大統領は、途上国間での特恵関税協定の枠組合意と、G-20諸国での自由貿易協定締結を提案。

12.16 メルコスール共同市場審議会(CMC)がモンテビデオにて開催される.アンデス共同体(CAN)のベネズエラ、コロンビア、エクアドルとの間に統合協定が成立.2006年を目標に共同市場を発足させることで合意.

12.17 メルコスール、常設代表委員会(CRPM)と常設商事仲裁裁判所の設置を決定する。CPRM初代委員長にはアルゼンチンのドゥアルデ前大統領が2年間の任期で選ばれた。

12 カンクン・サミットの決裂を受けた米国のゼーリック通商代表,中米諸国を歴訪.グアテマラ、ホンデュラス、エルサルバドル、ニカラグアの4カ国とのあいだにCAFTA(米国・中米自由貿易協定)で合意.その後コスタリカとも合意にこぎつける.

12月 OAS貿易相会議、マイアミで開催。共同議長国である米国とブラジルが対立。米国が「一括交渉(SingleUndertaking)、早期終結」を唱えたのに対し、ブラジルは「分割交渉、交渉継続」を唱えた。いわゆる「シンガポールイシュー」と呼ばれる投資、サービス、政府調達、知的所有権などの分野を除いて交渉を進めることで妥協。

 

 2004年

1月上旬 ゼーリックUSTR代表、農業自由化に向けて先進国側の譲歩を促すとともに、先進国と途上国が対立しているシンガポールイシューについても、新ラウンドの議題から当面除外する考えも示す。

1.13 メキシコのモンテレーで米州首脳会議が開催される.マイアミ・サミットに引き続き、FTAAが中心議題となる。2005年1月に発効させることを再確認した。会議の席上、ボリビアのメサ大統領が太平洋回廊の返還要請を提出.チリとの間に緊張が高まる.

1.25 ルーラ大統領とドゥアルデCRPM事務局長が訪印。メルコスール・インド間の枠組合意がなされる。

1.26 ハバナで、西半球社会連合の主催で「FTAAに反対する交流会議」が開催される。32カ国から約1,000人が参加。最終宣言は、FTAA反対のたたかいが、主権と各国人民の尊厳のためのたたかいであることを強調。

2.03 二度のサミットを受け、メキシコのプエブラでFTAA次官級会議が開催される.カナダ、メキシコ、チリのG3は,農産物を除く分野での自由化促進を主張.これに対しメルコスール側は,@当初合意どおり、「シンガポールイシュー」は議論の対象からはずす。A農産物市場開放なしの自由化は片務的な押し付け、と反発したため、交渉は決裂。この後、米国は各国との個別交渉に軸足を移す。

5月 中米自由貿易協定(CAFTA)が政府レベルで協定署名。米議会は批准に抵抗。

6月 サンパウロで第11回国連貿易開発会議(UNCTAD)が開催される。

7月 フロリダ州フォート・ローダーデールで米州機構(OAS)総会。アメリカが米州人権憲章を修正して、「民主主義から徐々に離れつつある」国々を孤立させ、さらには介入できるよう提案。ベネズエラの離反を狙う。

7月 キューバ・ベネズエラ合意にもとづき、白内障患者の治療を援助する「奇跡計画」が始まる。

奇跡計画: 白内障患者が視力を回復するのは、素晴らしい奇跡のようだと名づけられた。毎年60万人、10年間で600万人の手術を行うこととし、医療費(8億ドル)はキューバが負担。渡航費用など5億ドルをベネズエラ政府が負担する。手術は眼内レンズを入れる最新方式で、治療費は約40万円。ベネズエラ国民の7カ月以上の月収に相当する。

04年10月

10.05 ワシントンの3つの独立機関が、ラテンアメリカの人権と進歩に関する報告を発表。

報告の骨子: アメリカ軍は、2003年に2万2855人のラテンアメリカ人の訓練を行った。これは1年前に比べ52%の増加となっている。経済援助の減少する一方で、軍事的支援は増加している(その大部分がコロンビア)。
拡大した軍事支援の結果として、本来警察など非軍事部門が扱うべき犯罪などの問題の処理が、軍に向けられている。軍事独裁からの移行が完全ではない地域において、軍と民の役割の間の境界がぼやけつつある。その結果、権威主義体制に対する政治的反対者まで敵に含まれてしまう危険性がある。

10.07 AFP通信、アメリカの警備会社が、エルサルバドルの元軍人らを訓練し、月4000ドルの「美味しい」報酬でイラクに派遣していると報道。

10.08 米州機構のミゲル・アンヘル・ロドリゲス事務総長(前コスタリカ大統領)が辞任。フランスのアルカテル社から賄賂(240万ドル)を受け取った疑惑が浮上したため。在任期間はわずか23日。中米諸国は後任を中米から出す権利があるとし、パウエル国務長官もこれを支持。

10.10 「国連先住民の10年」の終了にあたり、シンポジウム「先住民の10年の後:その評価と将来」が開催される。主催はメキシコ自治大学(UNAM)の多文化国家メキシコ・プログラムとリゴベルタ・メンチュー基金。

シンポジウムでの発言: 米州の20人の先住民リーダーたちは、このキャンペーンが失敗に終わった、「誰も何もしてくれなかった」と評価。アリゾナのヤキ族に属するアンドレア・カルメンは、「同じテーブルにずっと座っているが、食事がまだ出てこない」としつつ、双方の関係を変えるには1年や10年の時間は、大海の中の滴のようにわずかであると語る。

04年11月

11.07 米連邦最高裁、グアンタナモの軍事裁判を停止するように命じる。大統領に任命された「軍事委員会」は公平な裁判を進める法的要件を満たさず、ジュネーブ協定に違反とする。ブッシュ政権は下級裁判所で裁判所の判断に挑む姿勢。

11.10 ブッシュ大統領、司法長官にメキシコ系アメリカ人のアルベルト・ゴンザレスを指名。憲法人権センター(CCR)のマイケル・ラトナー会長は、「違法で非道徳的な政策の構築者を、我々の人権を守るべき地位に置くことになる。それはアブ・グライブへの道を舗装するようなものだ」と非難。

アルベルト・ゴンサレスの経歴: ゴンザレスはヒューストンの弁護士で、エンロンを顧客に持つ法律事務所の一員。テキサス州の長官、同州最高裁の判事を歴任。現在はホワイトハウスの法律顧問を勤めている。
対テロ活動においてはある種の拘束は正当化され、ジュネーブ協定には違反しないとの論陣を張る。さらに、ジュネーブ協定で拷問を禁じているのは「おかしな話」とし、アメリカ軍最高指令官としての大統領は、国際取り決めや国内法を守る必要はないと主張。

11.17 キトで第六回米州国防大臣会議。ラムズフェルドは「各国軍は自国の主権と領土を守ることから、テロ・麻薬絶滅の方向に任務を転換すべきだ」とし、「予防安全保障」構想を提唱。麻薬ゲリラと闘う多国籍軍の創設に関するコロンビアの提案を検討。軍の指揮権は米国防総省の下におかれる。ブラジルはこの提案に強く反対。エクアドルのエレラ国防相は、コロンビアの主権に干渉するつもりはないと発言。

ジョゼ・デ・アレンカール副大統領兼国防大臣(ブラジル)の発言: @南米にはテロを生み出す宗教的、倫理的な原理主義は存在しない。A各国が取り組むべきなのは、むしろ貧困や飢餓のような構造的問題だ。B多国籍軍の展開には国連の原則を守るべきだ。Cアメリカはイラクにおいて一国主義で活動しているが、これは認めがたい。

11.18 APECフォーラムに出席したロバート・ゼーリック米国通商代表、「米州自由貿易地域(ALCA)の中には、あまりやる気のない仲間がいる」とメルコスール諸国を非難。パナマおよびアンデス諸国とFTA交渉を2004年第2四半期以降に開始する(パナマ、コロンビア、ペルーとの交渉を先行)と発表。アンデス諸国との関係強化を図ることにより、メルコスール諸国の南米での孤立を狙う。

11.19 MERCOSURの常任代表委員長エドアルド・ドアルテ(前アルゼンチン大統領)、「自由貿易を妨げている農業補助金がある間は、ALCAの実現はない」と述べる。ブラジル大統領顧問マルコ・アウレリオ・ガルシアは、「MERCOSURはALCAの失敗とは何の関係もない。その責任はアメリカ国内で見つけて欲しい」と語る。

11.20 キューバ保健省、「奇跡計画」を通じ白内障手術を受けた人が28カ国50万人に達したと報告。うち30万人がベネズエラ。「奇跡計画」はALBA構想の一環としてすすめられ、2015年までに600万人を手術する目標。

写真

 

ハバナでの手術風景

 

11.30 「ラテンアメリカ問題に関するワシントン・オフィス」(WOLA)、ブッシュ政権の秘密文書を公表。ラテンアメリカにおけるアメリカの対麻薬戦争は20年に渡り、250億ドルが投じられたが、麻薬入手を困難にすることも、価格に影響を及ぼすこともできなかったとされる。コカイン50グラムの卸値は38ドルで、1982年の%以下。WOLAは、「この戦争は貧しいものをいたみつけ、民主制度を損なっている」と批判。

04年12月

12.09 クスコで第一回南米首脳会議。南米12カ国(アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、コロンビア、チリ、エクアドル、ガイアナ、パラグアイ、ペルー、スリナム、ウルグアイ、ベネズエラ)の大統領と代表が参加。

各首脳の発言: 開催国ペルーのトレド大統領は「われわれは単一の通貨、一種類のパスポート、直接選挙によって選出される一つの議会をもつことになるだろう」との見通しを明らかにする。またロドリゲス外相は「EUにならう」とのべ、共通の政策をもった国家間の統合をめざす立場を強調する。ブラジルのルラ大統領は、「ボリバルの夢見た統合を数年のうちに決定的なものとして具体化しよう」と呼びかける。チャベス大統領は政治的、社会的な地域統合にふさわしく「南米諸国連合」(UNASUR)と改称すべきだと提唱。

12.10 「南米国家共同体」(CSN)に踏み出すためのクスコ宣言に調印。パナマ、メキシコがオブザーバーとして参加の意向を表明。当面、年一回の首脳会議をもつこととし、第一回首脳会議を05年にブラジリアで開くことを決定。

クスコ宣言: @単独行動主義を拒否し、国家間の平等を基礎とし、紛争の平和的解決、民主的国際経済秩序を作り上げることを目標とする。A南米諸国共同体の設立を目指しつつ、当面、地域内の自主的な協力関係を強化し、MERCOSURとアンデス協定の統合を目指す。B2019年までに通貨、議会、パスポートなどでEUのような統一を目指す。

12.14 サン・サルバドルで中米とメキシコ、ドミニカの大統領が会談。メキシコ=グアテマラ国境地帯における、「マラス」などの犯罪集団取締りについて協議。

マラス: 「マラ・サルバトルーチャ」を筆頭とする犯罪集団の総称。内戦を逃れロス近辺に住み着いた中米人の青年を中核に広がった。元はロサンゼルスの犯罪グループに属していたが、1990年代に主要メンバーがアメリカから追放された。このあと中米・メキシコの広範な地域に版図を広げた。マラ・サルバトルーチャのメンバーは2万5千人といわれる。

12月 ハバナで第一回ALBA首脳会議。フィデルとチャベスが人民間通商協定(TCPに調印。この時点での参加国は二カ国のみ。 これと同時にベネズエラとキューバが石油協定に調印。キューバが2万人の医療スタッフを派遣し、ベネズエラは優遇条件で日量5万3千バレルを供給することとなる。

 

  2005年

05年1月

1.19 BBCが行った世界21か国の世論調査で、対象になった2万2000人の48%が「ブッシュの再選は世界をいっそう危険なものにしている」と答える。とくにラテンアメリカで反ブッシュの感情は強く、アルゼンチン人の79%、ブラジル人の78%がホワイトハウスの主に対し否定的。

1.27 米政府、米州機構の次期事務総長にエルサルバドルのフランシスコ・フローレス前大統領を支持する意向を正式に明らかにする。ノリエガ次官補は「フローレスを支持するのは、エルサルバドルがイラクに派兵している唯一のラテンアメリカ国家だからではない」ことを強調。

05年2月

2.06 アンデス三カ国とアメリカとの9回目の自由貿易交渉。アンデス三国は、アメリカが農業に対して多額の補助金を出している間は、市場開放をしないことで合意。

2.13 ALBAが具体化作業を開始。利潤最大化の論理ではなく、@公正と平等の原則、A最も疎外された人々の福利、B低開発諸国への連帯意識の再活性化を訴える。〔a win-win alliance〕

2.22 ブラジルのカルドーゾ前大統領、アメリカのカーラ・ヒルズ元通商代表が代表となり、ワシントンとラテンアメリカの「国際対話」。「米州のための計画2005」を発表し、FTAAの実現を呼びかける一方、キューバの孤立化政策をやめるよう求める。

05年3月

3.07 チャベスがインドを訪問し、シン首相と会談。「非同盟運動が多極的世界で主要な極となるため再活性化する必要がある」と強調する共同声明。

3.09 中米4カ国首脳会談がエル・フロリド(ホンジュラス)で開催。中米諸国の統一ビザとパスポートの発給を承認。刑事犯罪人の逮捕命令が域内の他の国で有効となる。これに先立ち、エルサルバドルとホンジュラスが中米・米国の自由貿易協定(CAFTA)を批准。

3.15 米南方軍のクラドック司令官が上院軍事委員会で証言。ベネズエラの警戒感、コロンビアへの支援を強調。

3.21 ラムズフェルド米国防長官、アルゼンチン、ブラジル、グアテマラを歴訪。合同軍事演習の再開を打診。アルゼンチンのパンプロ国防相は、米兵犯罪の裁判権をめぐり合同演習を事実上拒否。

3.23 ラムズフェルド米国防長官をむかえたブラジルのアレンカル国防相(副大統領)、「ブラジルは常に他国の自決権を尊重する」とし、ラムズフェルド長官のベネズエラ非難発言を無視。

3.25 カラカスで米「第四回社会債務サミット」(米州社会憲章検討サミット)が開かれる。

チャベスの開会演説: 「社会的債務」の根本的な解決が、資本主義モデルの枠内では困難だと指摘。解決の道は社会主義にこそあると主張する。@これまで各国で社会主義を掲げた実践はあったが、社会主義の体制はいまだかつて実現していない。A21世紀にこそ社会主義を構築していかなければならない。

3.26 ベネズエラは社会開発問題を優先課題として明記する「米州社会憲章」の採択をもとめる。歴史的に先送りされてきた貧困や飢餓などの「社会的債務」を解決し、諸国民が人間らしく生きる社会的な保障を確立することをめざす。

05年4月

4.07 世界銀行、昨年度ラテンアメリカ・カリブ諸国の経済成長率が5.7%に達したと報告。これは過去24年間で最高。ただし景気は減速傾向にあると警告。

4.08 米州機構の次期事務総長選で、米国が推していたフロレス候補(前エルサルバドル大統領)が立候補を取り下げ。フロレス派はメキシコのデルベス候補支持に回ることとなる。カリブ共同体12か国と南米6か国はインスルサを支持。

4.09 ライス国務長官、ブラジル、コロンビア、チリとエルサルバドルを歴訪。自由貿易や民主化促進をもとめる。

4.11 米州機構の次期事務総長選。チリのインスルサ候補(内相)とメキシコのデルベス候補(外相)が17票の同数。5度に及ぶ投票でも決せず。5月2日に再選挙が行われることとなる。

4.18 ALBA実施に向け、キューバ=ベネズエラ間の第一回会合がハバナで開かれる。南の「構造的結集」を訴える。(公式には04年12月に続き第二回首脳会議とされる)

ALBAの骨組み: @FTAAの主張する自由化・規制緩和・公共事業の民営化に反対する。それは必要不可欠な公共サービスを制限し、国家・政府の権限を規制するからである。A内発的発展を主張し、下請工場(マキラドーラ)を労働搾取工場と呼んで非難する。B全ての国の食の自給自足を優先させる。農業部門は市場の自由化に委ねられてはならず、利益創出の手段ととらえてはならない。C知的財産権制度は先進諸国の科学技術のみを保護し、生物の多様性や伝統的な知識を保護しようとしない。とりわけ後発医薬品製造の禁止は、発展途上国の生存可能性を抹殺する点で犯罪的である。

4.29 ライス長官と複数諸国(エルサルバドル、パラグアイ、コロンビア、チリ、カナダ)の外務大臣、デルベス、インスルサ両候補の間で会談が持たれる。会談の後、メキシコのデルベスは立候補を取り下げると発表。

05年5月

5.02 インスルサ、31票を集め当選(2票の棄権と1票の白票)。ルモンド紙によれば、「アメリカはチリ政府から、ベネズエラやキューバに対する政策に関して約束を取り付けた」という。

5.11 南米・アラブ連盟諸国の初の首脳会議がブラジルで開かれる。

5月 世界銀行、『先住民族、貧困、そしてラテンアメリカにおける人間開発:1994−2004』を発表。「先住民が多いボリビア、エクアドル、グァテマラ、メキシコそしてペルーにおいては、先住民族に生まれることは、貧困の生活を宣告されたのと同然である」と述べる。

6.20 アスンシオンでメルコスルの第28回首脳会議。メルコスールとアンデス共同体(CAN)が相互に準加盟国として乗り入れることが決定される。会議では域内最大国ブラジルが恩恵の大半を得ているとの批判が強まる。ブラジルは共同基金を設立し、基金の70%を拠出。使途の六割以上がパラグアイとウルグアイの開発計画にあてられる。

6月 カリブ海沿岸の15ヶ国の代表がベネズエラ東部のPuerto La Cruzに集まり、カリブ諸国エネルギー首脳会議が開催される。ペトロカリブ・エネルギー協力協定が締結される。トリニダード・トバゴとバルバドスは協定に加わらず。

ペトロ・カリブ: カリブ地域のエネルギー部門の統合を図ることで、カリブ諸国を油価高騰から守るもの。実施機関としてPetroCaribeを創設、トレーダー等を通さずに直接ベネズエラから石油を購入する。これにより、加盟国はバレルあたり6ドル程度安く石油を購入できる。

7.18 リマでアンデス共同体(CAN) の第十六回首脳会議。チャベス大統領は、「アンデス石油」(Petroandina)の設立を提唱。エネルギー資源の相互利用、エネルギー開発・生産プロジェクトへの共同投資、代替エネルギー源の開発など、エネルギーにおける各国の協力を目的とするもの。

7月 サンパウロ・フォーラムの第十二回会議、「地域統合は、発展と進歩、主権をめざすたたかいの手段であり、連帯し国民の利益を尊重する“異なるグローバル化”への根本的手段だ」と強調する。

7月 議会承認があやぶまれていた中米自由貿易協定(CAFTA)が、米下院によってようやく承認される。

8月 カストロとチャベス、「サンディーノの約束」を発表。奇跡計画が提案される。

9.14 ギャロップ、BBCが世界で世論調査。ラテンアメリカ14カ国では、政治家に対する信頼度は4%で、ほかの地域の平均13%を大きく下回る。また軍と警察指導者への信頼度9%と最低。

10.04 ブラジリアで第一回南米共同体に関する首脳会議。統合に向けた第一期計画を検討。当面は統合のための新機構を作ることなく、在来機構を活用しながら準備を進めることとなる。実質的な一歩後退。アルゼンチンのキルチネル、コロンビアのウリベ大統領は欠席。チャベス大統領は、経済・通商の統合より社会的、政治的統合を優先せよと主張。

10月 奇跡計画の対象国が、ブラジルとチリをのぞく中南米のほとんどの国に拡大される。30万人が手術を受け視力を回復する。

05年11月

11.03 アルゼンチンのマル・デル・プラタで第4回米州首脳会議(米州サミット)が開かれ、34カ国首脳が出席する。メルコスル四カ国とベネズエラは米州自由貿易地域(FTAA)交渉の再開に応じないとの立場をとる。

11.03 開催国アルゼンチンのキルチネル大統領は、ネオリベラリズムに疑問を示し、国際金融機関を批判する演説。米州開発銀行のルイス・アルベルト・モレノ総裁も、「雇用が民主主義の柱」と語る。

11.04 米州サミットに並行してマル・デル・プラタのサッカー・スタジアムで第三回民衆サミットが開催される。チャベスが演説しALCA(英FTAA)の死を宣言。デモには2万人が参加。参加者の一人ディエゴ・マラドナは、「ブッシュは人間のくず」と発言。極左集団はこれとは別に米国旗を焼き警官隊と衝突。

11.05 フォックス大統領は、チャベスに反対の意向を表明。賛成の国々のみで自由貿易を推進すればいいと仄めかす。

11.07 米州サミット、米州自由貿易地域(Area de Libre Comercio de las Americas=ALCA)について合意が出来ないまま終了。米提案には、ベネズエラ、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイなどが反対。

11月 19才から81才の29人の米国人平和活動家が、「アメリカ学校」(la Escuela de las Americas)における訓練に反対して、「平和的不服従運動」を行い逮捕される。

アメリカ学校は1947年にパナマに設置され、米軍人がラテンアメリカの軍人6万人に訓練を行ってきた。現在はジョージア州フォート・ベニングに本拠地を置く。拷問など人権を侵す技術も教えることから、内外人権団体の強い批判の的となってきた。

12月 マイアミ・ヘラルド紙、「米国が中南米を失ったことはいまや十分すぎるほど明白だ」と述べる。

 

  2006年

2.16 テレビネットワークTelesurがアル・ジャジーラとの協定に調印。米議会保守派は「Telesurとアル・ジャジーラはテロリストのためのグローバル・ネットワークを結んだ」と非難。

1.21 ハバナのラテンアメリカ医学学校で、ラテンアメリカとカリブ海出身の学生1610人の卒業式。ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領、パナマのマルティン・トリホス大統領、エクアドルのアレハンドロ・セラーノ副大統領、サンバンサンなどカリブ海諸国の首相が出席。

ラテンアメリカ医学学校: 1999年遠隔地にいる貧しい青年を募集し、医師として育て、ふたたびその地域で貢献してもらおうとするもの。1998年、ハリケーン・ミッチの襲来後のラテンアメリカの医療不足を見て、急いで軍施設の再活用をし、アメリカを含む米州大陸の若者たちに呼びかけた。現在、ラテンアメリカ・カリブ28カ国、33民族の1万508人が学んでいる。その71%は、貧困家庭の出身者である。

1月22日 サンサルバドルで中米首脳会談。中米地域の安全保障問題と中米対米国の自由貿易協定(CAFTA-RD)の早期発効を推進することで合意。

3.08 アメリカ国務省が人権に関する年次報告、キューバとベネズエラを非難。キューバについては、少なくとも333人が政治犯として囚われているとし、ベネズエラについては、報道の自由制限、反対派の迫害、司法システムの警察化が問題だとする。

3.16 グアテマラシティーで中米・カリブ11カ国の外相会議。ワシントンに対し、不法移住者の合法化を含んだ「総合的な移民改革」を行うよう要求。

3.27 国連麻薬取締り会議(JIFE)、2004年のラテンアメリカにおけるコカイン栽培面積は、前年に比べ15万8千ヘクタール(3%)増加したと発表。「需要が増加すれば、供給は減らない。麻薬対策が効果を上げるためには、保健サービスなど、国民に対する対策を推進する必要がある。また高い失業率、福祉の貧困などの社会要因に対応しなければならない」と強調。

3.28 世界銀行、ボリビア・ホンジュラス・ニカラグア・ガイアナの中南米4か国とアフリカの13か国の債務(総額370億ドル)の免責を承認。

3月 国連開発計画(PNUD)が世界各国のジニ係数を発表。ブラジル:59.3  パラグアイ:57.8  コロンビア:57.6  チリ:57.1  メキシコ:54.6  アルゼンチン:52.2  ペルー:49.8  ベネズエラ:49.1  ボリビア:44.7  ウルグアイ:44.6  エクアドル:43.7の順となる。最低のノルウェーは25.8で、日本とアメリカ以外の先進諸国では40に達していない。

3月 国連のラテンアメリカ・カリブ経済委員会(CEPAL)が、05年度ラテンアメリカの経済成長(PIB)を発表。全体として三年連続の経済成長。ベネズエラ(9%)、アルゼンチン(8.6%)、ウルグアイ(6%)、チリ(6%)、ペルー(6%)、パナマ(6%)となり、失業率、消費者物価など他のマクロ経済指標も良好な結果となる。しかし貧困は依然として途方もない高レベルで、40.6%が貧困状態の生活をしており、そのうち16%が極貧状態。

4.29 ハバナでカストロ、チャベス、モラレスの三者が会談。米帝国主義のラテンアメリカ支配に抵抗するために、3国の政治・経済・社会面での統合と連帯を強化することで合意。

5.03 イタリアの次期首相ロマノ・プロディ、「南米の左派政権はまだ相互に離れているが、その波は“新しい春”を形成するだろう」と述べる。

5.03 ライス国務長官、「アンデス諸国にラテンアメリカの新しいポプリスモが起こりつつある。座視することはできない時点に来ている」と述べる。

5.12 ウィーンでEU中南米サミットが開かれる。アルゼンチンとボリビアは、欧州の企業が中南米カリブ諸国で環境、人権、労働に関する法律を軽視しているとし約30社を名指しで非難。キルチネル大統領はパルプ工場での規制の甘さなどを非難。

5.12 サミットに並行して開かれた常設民衆法廷(PPT)は、「中南米で活動する多くの欧州合弁事業が法的倫理的不正を行なっている」と批判。

6月 奇跡計画が二年を経過する。20万人がキューバで治療を受け、視力を回復した。患者に付き添ってきた家族15万人も無料診察を受ける。

7月 メルコスール特別首脳会合。ベネズエラのメルコスールへの正式加盟が承認される。FTAAの創設に向けて、メルコスールはブロックとして交渉にのぞむこととなる。

12.08 コチャバンバで第二回南米共同体首脳会議。「南米統合促進のための特別委員会」の設置で合意。モラレス大統領は「国際金融機関や超大国の指図に耳を貸さなかったからこそ、天然ガスの国有化が実現し、それによって財政が黒字に転化した」と述べる。

 

2007年

1.18 リオデジャネイロでメルコスルの第三十二回首脳会議。加盟国間の「非対称性」の少ない統合という原則を再確認。キルチネル大統領は「ある国が他の国より生き生きする地域統合ではなく、連帯と公正の地域統合をめざす」と述べる。チャベス大統領は、「メディアはチャベスがメルコスルをイデオロギー化し、汚染するというが、われわれは新自由主義がもたらした汚染を浄化しているのだ」と反論する。

1月 ニカラグアでオルテガが大統領に就任。ただちにALBA参加を決定。大統領就任式に続いてマナグアで第4回ALBA首脳会議。

3.18 国際金融協会(IIF)、07年の中南米諸国の経済成長率が4.5%に鈍化するとの見通しを発表。ブラジル、メキシコ、コロンビア、ペルーの経済が好調だが、「内需の拡大が、成長の主要な押し上げ要因となっている」とし、物価上昇と貿易赤字の拡大に懸念を表明。

4.03 ECLAC、「過去三年間の南米諸国の経済的、社会的な実績はこの二十五年間で最良だった」と評価。

4.17 マルガリータ島で第一回南米エネルギー首脳会議。「南米諸国同盟」(UNASUR)の創設で合意。バイオ燃料をめぐるベネズエラとブラジルの「対立」は、チャベスが「諸国民の生活に否定的影響をおよぼさない限り、バイオ燃料に反対しない」と述べることで決着。

4.17 ワシントンの「米州対話」のMichael Shifterは、「UNASURは幻想に過ぎない。地域内の経済状態は、まだこの種の統合を考えるほど成熟していない」と批判。

4.19 第一回南米エネルギー首脳会議、「マルガリータ宣言―南のエネルギー統合の構築」を採択。「エネルギー統合は社会、経済発展と貧困根絶を促進する重要な手段でなければならない」とし、資源が多国籍企業などの食い物にされてきた歴史からの離脱を宣言。「南米エネルギー評議会」を設立することを確認。

4.28 「米州ボリバル代替構想(ALBA)」第五回首脳会議がベネズエラ西部のバルキシメトで開かれる。キューバ、ニカラグア、ベネズエラ、ボリビアの他、六カ国(エクアドル、ウルグアイなど)がオブザーバー参加。

チャベスの開会演説: 十年前はほぼすべての中南米諸国が米国にひざまずいていた。今日、状況は劇的に変わった。中南米はもう米国の裏庭ではなくなった。
ALBAは諸国民の熱情から生まれた。ALBAではどの国も平等だ。資本主義のもたらす貧困や圧制から日ごと離れゆく異なる世界を作ろう。そのためにエネルギー資源や医療、教育分野などでの協力関係を強化しよう。
ベネズエラは石油代金の
5割を負担する。残りは返済期間25年、年2%の低利融資を行う。さらに代金の一部をALBAの事業推進の基金に積み立てる。中国も「大戦略基金」(60億ドル)の設立に合意した。

4.29 ALBA首脳会議が「共同宣言」を採択。「ALBAのおもな原則は、利己的な民族主義ではなく、諸国民間の広範な連帯にある。根本目的は、政治と経済が国民に奉仕する共同発展を目標として、域内の変革を生み出すことである」

4.29 ALBA首脳会議にあわせ開かれた「第一回社会運動集会」、ALBAの原則を支持するとした最終文書を採択。挨拶に立ったチャベス大統領は、「国民不在のALBAはALBAではない。諸国民を団結させるのは大統領ではなく、自覚にもとづく諸国民自身だ」と強調する。

最終文書のさわり: だいじなことは、ALBAのモデルが人々の基本的な要求を満たし、中南米全域の諸国の選択の幅を劇的に広げた、という現実である。米国と同盟者によるモデルはそれに太刀打ちできないのである。

5.03 エクアドルで南米六カ国による経済・金融相会議。コレア大統領が提案した「南米基金」の設立を推進していくことを確認。ブラジルのマンテガ財務相は「地域統合を強化する方向は重要だ」と発言し、提案に同調。これにより「南米銀行」をめぐる困難が一定の解決。

南米銀行: 「南米銀行」構想は、もともとチャベスが提案していたが、その権限や、原資をめぐり議論がまとまらなかった。チャベスは各国の外貨準備金の一部を原資にして共同運用するよう主張。これに対しブラジルは過去の危機体験から「外貨準備は国家主権を保障する担保」と主張。エクアドルが南米銀行と南米基金の二階建てを提案し妥協を図った。一国一票制についてはブラジルが妥協した。
南米銀行は外貨準備金以外の財源を原資とし、インフラ整備などのために融資する「開発銀行」的な役割を持つこととなり、南米基金は外貨準備基金の一部を原資にして共同運用し、参加国が経済危機などに直面したときに対応することとなる。

8.01 OASのインスルサ事務総長、「この大陸で進んでいるのは選挙という民主主義だけではない。いま進んでいる変革は不平等と不公正の根底的な是正を目的とするものだ」と強調。

10月 第15回イベロアメリカ首脳会議、7年間でイベロアメリカ地域を「非識字者一掃の地」とすると決議。

12月 ルラ大統領がカラカスを訪問。南米防衛会議の創設でチャベスと合意。

12.09 ブエノスアイレスで南米銀行の憲章調印式が行われる。メルコスール4カ国とベネズエラ、エクアドル、ボリビアの「チャベス派」三カ国が加盟。資本金は70億ドル。うち30億をベネズエラが、20億をブラジルが負担。本部はカラカスに置かれる。

暗礁に乗り上げた南米銀行構想はキルチネルが積極的に動くことで打開される。各国の反応が面白い。「南米の金融的自立を強化する重要な一歩だ」(ブラジル)、「国際金融機関に縛られていた金融的従属性からの南米の解放に役立つ」(エクアドル)、「南米の独立のたたかいの続きだ」(ベネズエラ)

 

2008年

1.27 ALBA第6回首脳会議。新ALBA銀行の創設と加盟国間の一連の経済的、社会的合意に署名。

ALBA銀行 初期財政は約10億ドル。経済統合とインフラ整備の計画、貧しい人々への医療活動や識字教育などのALBAプロジェクトを促進することを目指す。世界銀行やIMFといったその他の金融機関とは異なり、ローンに条件を課したりせず、全ての加盟国による合意を基本として機能する。また他のラテンアメリカ諸国や世界に対しても開かれたものとなるとされる。

2.08 チャベス大統領はニカラグアのダニエル・オルテガ大統領との対談の席上、ALBA共同軍を設立することを提案。

3.25 カラカスでALBA銀行の設立協定書の調印式。ベネズエラ、ボリビア、キューバ、ニカラグアの政府代表が参加する。イセア財務相は「ALBA銀行は金融面で中南米を解放する手段だ」と強調する。

5.07 ラテンアメリカの左派政権でつくる「米州ボリバル代替構想」(ALBA)加盟国と中米カリブ海諸国などが、マナグアで「食料安全保障首脳会議」を開催。世界的な食料危機の打開に向けて共同行動を強めることを確認する。メキシコ政府も正式代表を送りオブザーバー参加する。

5.08 食料首脳会議。「国内農業生産を援助するために補助金を給付する」ことや「食料生産の発展に必要な資金にあてる基金を創設する」ことなどで合意。各国首脳は食料危機の現状を報告すると同時に、大土地所有制や不平等な所得分配、新自由主義路線など貧困を生み出す世界の経済構造を見直す必要性を強調する。

5.23 ブラジリアで開かれた第三回南米首脳会議で、域内関税の廃止と単一市場の形成を目指す南米諸国連合(UNASUR)設立条約(憲法条約)が調印される。連合本部はキトにおかれる予定。南米議会はボリビアのコチャバンバに、「南銀行」はカラカスに置かれる。

条約は「統合は多国間主義の強化に向けた決定的な一歩」だと強調。主権の平等に基づいた多極化世界、核兵器や大量破壊兵器のない世界を目標として明記。また、「社会的、経済的な不平等の根絶」を掲げ、貧困や社会的排除とたたかう決意を強調する。

5.23 ブラジル、南米首脳会議で、地域の協力強化と紛争予防を目的とした「南米安全保障協議会」構想を提案。コロンビアが国内事情を理由に不参加を表明したため、3ヶ月間の保留期間をおくこととなる。8月になってコロンビアは正式参加の意向を表明。

5月 奇跡計画にリビアが加わる。アフリカ諸国も対象となる。ベネズエラとリビアがキューバへの渡航・滞在経費を負担し、キューバが治療費を負担する。

8.25 ホンジュラスのマヌエル・セラヤ大統領、ALBA条約に加盟する文書に調印。調印式にはチャベス、エボ・モラレス、オルテガ、キューバのカルロス・ラヘが立ち会う。セラヤが加盟に踏み切ったのは、原油高騰で経済運営が限界に達したと認識したためとされる。ホンジュラスは既にペトロカリーベに加盟して、国際価格よりはるかに安く原油を輸入して恩恵を受けている。

8月 ホンジュラスのニコラス・マドウーロ前大統領、「米国こそが伝統的な同盟国であり、それに歯向かっているチャベスとALBAへの加盟は致命的」とセラヤを批判。ホンジュラスの輸出の90%は米国向けで、米国内で働くホンジュラス人からの送金は総額30億ドルに達する。

9.15 チリのバチェレ大統領、UNASURの初代持ち回り議長としてサンティアゴに加盟国首脳を招集。ボリビアのモラレス政権が政治危機に見舞われた時、政権転覆 に繋がる如何なる行動も容認できない、とする決議を採択した。

12月 中南米地域33か国の総生産は、3.1兆ドル。これはASEANの3倍。08年の経済成長率は4.6%を達成。ここ5年間、継続して5%前後を維持する。

12月 住宅バブルの終焉とともに、投機マネーはエネルギーや食糧市場へと向かい、価格の高騰を起こした。食糧、エネルギーともに輸入に依存している途上国に壊滅的な打撃を与える。

2009年

3月 エルサル大統領選挙。FMLNのフネスが当選。

6.01 フネスが大統領に就任。直ちにキューバを承認する。ALBAに対しては「参加の意思はない。中米統合に力を集中する」と断言。サルバドル・サンチェス・セレン副大統領は「ALBAへの参加はごく自然のこと」と発言し、フネスとの違いを見せる。(サンチェス・セレンについては私のレビュー「FMLN95」を参照のこと)

6.02 ホンジュラスのサンペドロ・スーラで第39回OAS通常総会。キューバ追放措置(62年)の効力取り消しを全会一致で採択。ホンジュラスのセラヤ大統領は閉会演説で、キューバ追放の措置が歴史的な誤りであったと強調。

6月 ベネズエラのマラカイで第6回ALBA特別首脳会議。正式名称を米州ボリーバル同盟に改称。略称は同じくALBA。

6月 キューバ、OASには復帰しないとの態度を明らかにする。

10 南米共同体、共通通貨「スクレ」の導入を決定。

11.29 ホンジュラス総選挙。野党国民党のポルフィリオ・ロボが大統領に当選。

ホンジュラスは米国との関係が深く、輸出額の89%が米国市場向けである。米国在住のホンジュラス人の送金は年間28億ドルに達し最大の外貨獲得源である。

12月 ハバナで第8回ALBA首脳会議。ラウルは5年間のALBAの成果を語る。ボリビア、ニカラグア、ベネズエラで非識字人口が解消されたこと、100万人の視力回復手術に成功したことを上げる。

12月 チャベスとラウルが2国間経済協力協定に調印。ベネズエラはキューバに対し30億ドルの支援を約束。

12月 オルテガ、ALBA閉会式で演説。我々は前ローマ法王が糾弾した「残忍な資本主義、新自由主義の破壊的な影響」を追放しようと決めた。我々は世界中に画一的な経済モデル、貿易体制、貧富の差を拡大させる発展モデルを強要することをテロと呼ぶ。ドン・キホーテは言っている。「犬どもがより激しく吠え、そして唸るのは、我々が前に進んでいるからである」

2010年

1.28 ロボが大統領に就任。ALBA諸国はロボを承認せず。

2月 UNASUR、ハイチ支援のためのキトでの特別サミット

5月 ブエノスアイレス郊外のカンパナにおけるUNASUR特別サミット、事務総長の初代にキルチネル前アルゼンチン大統領を選出。

11.26 ガイアナのジョージタウンで開催されたUnasurサミット。民主主義議定書(Democracy Protocol)が締結された。加盟国でクーデターが起きた場合、他加盟国は当該国との国境封鎖を含む制裁を行う、とするもの。Unasur憲法条約の付帯条項となる。条約上の新たな条項に加えられ、強制力が強 まる。またロビーでは、サントス、コレア(エクアドル)両大統領が、クリスマス前の大使級外交実現を確認した。

 

2013年

8月30日 スリナムで第7回南米諸国連合(UNASUR)首脳会議。パラグアイの復帰が実現。シリアにたいする米国などの軍事干渉にたいして反対する決議を採択。コロンビア、チリ、アルゼンチン、ウルグアイの大統領は欠席。

 

 

 

年表目次