中国外交史ノート
多極化論の軌跡
2004年8月作成
8.29 第1回増補
9.12 第2回増補
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多極化論が情勢認識から,時代認識へ抽象化され,戦略課題となり,安全保障部門における多極外交を特徴付ける言葉となり,多国間主義に包摂されていく経過をあとづける.
背景として,米中武力対決を避けることが中国自身の安全と発展にとってだけでなく,世界の平和と安全にとっても最大重要事であるという認識.しかし一極支配=米中対決,多極支配=平和という図式は多少無理があった.
多極化も多国間主義も別に中国の専売特許というわけではなく,とくに多極化という言葉は以前から用いられている.フランスはドゴール以来,多極化の本家みたいな国だし,中国がソ連とケンカしたときも「社会主義の多極化」などといわれた.
いっぽう,多国間主義は非同盟諸国が中心となって主張してきたものであり.MultilateralismはアメリカのUnilateralismに抵抗するというニュアンスをはっきり持っている.だからこそ,中国はその言葉を用いることを躊躇し,あえて多極化といってきた経過もありそうである.
中国は現在も多極化という言葉を捨ててはいない.とくにアメリカを意識した文章では,多極化の考えをかなり強く押し出す傾向がある.ただ確かなのは,多極化論が多国間外交政策のなかで整序されたことである.
阿片戦争までの中国は,「中華思想」のもと自らを最上位に置き,国際関係を上下関係としてとらえていた.その後第二次大戦が終わるまで,欧米列強及び日本への屈従を続ける.
第二次大戦終了後,引き続き国共内戦となり,49年10月に全土を掌握した中国人民軍が中華人民共和国の成立を宣言した.
中国政府は,華夷秩序を放棄し,主権独立国家の対等平等を基本原則とするあたらしい国際関係を受け入れた.
同時に,80年にわたる民族的苦難と屈辱をバネに,猛烈な強兵政策をとる.その強さは100万の犠牲者を出しながら3年にわたり米軍と対等に闘った朝鮮戦争で立証された.
@親ソ: 毛沢東主席と周恩来外相はソ連を訪問.滞在は3ヶ月におよぶ.ソ連との同盟関係を結ぶと同時に,経済・技術援助を取り付ける.
A反米: 当初トルーマンは,台湾の中国帰属を容認したが,朝鮮戦争勃発と同時に態度を硬化.「台湾の領土的帰属は未決定」と声明.第7艦隊を台湾海峡に送り込む.この背後にマッカーサーとダレスの陰謀があったことは朝鮮戦争年表に.
B民族運動への友好: 54年,インドを訪問した周恩来が平和共存五原則を提唱.平和共存,平等互恵,内政不干渉,相互不可侵,領土保全の5つの原則を国家間関係の基礎にする.独立直後のアジア諸国に共感を呼ぶ.
平和五原則ではなく,あくまでも平和共存五原則であることに注意.平等な国家関係という点では評価できるものであるが,その役割は主権を持った2国間関係に限定されている.
その後,55 年のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)を通して普遍化される.バンドン10原則は次のようなものである.@基本的人権および国連憲章の尊重,A国家主権と領土保全の尊重,B人種の平等と国家の平等の承認,C内政不干渉,D国連憲章に基づく個別的,集団的自衛権の承認,E大国の特殊な利益のための集団的防衛協定と他国に対する圧力行使の防止,F侵略行為,脅威その他の実力行使の抑制,G国際紛争の平和的手段による解決,H相互の利益と協力の促進,およびI正義と国際義務の尊重である.バンドン宣言については別の機会に触れたい.
これらの外交路線の集大成が58年,毛沢東による「二つの中間地帯」の提唱だった.「第一中間地帯」(AALA)に依拠し,「第二中間地帯」(欧州)を寄せ付けて,両超大国の覇権主義に反対するというもので,@従来の社会主義諸国における国際連帯の思想,A中国独自の第三世界論,B封じ込め打破を目指す中国側の外交路線の複合体とされる.
この中国の考えは60年にモスクワで開かれた81ヶ国共産党会議にも反映された.世界の共産党が結集する最後の会議となったこの会議の「声明」は,長いあいだ国際共産主義運動のひとつの規範となった.
そこでは,世界の進歩を担う三つの勢力として,社会主義諸国・民族解放運動・資本主義国における労働者階級があげられた(平和・進歩勢力を加え4大勢力という場合もある).
60年7月,中ソ対立が破局を迎えた.ソ連は突如一方的に中国援助を打ち切った.1,390 名の専門家が撤収し, 12 件の政府間協定と300 件あまりの専門家契約, 200 件以上の科学技術プロジェクトが破棄された.
中国は「外資・外債・外援」を拒否する「三無」政策と「自力更生」政策を採用したが,大躍進政策の失敗や連続した飢饉などで危機を迎えた.
アメリカは中国封じ込め政策を強化した.60年6月に日米安保条約が改定され,安保条約の適用範囲である「極東」に台湾が含まれることとなる.中国が台湾を攻撃する場合には,アメリカ軍がその防衛に当たる.日本も自動的に戦争に巻き込まれることとなる.
60年には,韓国に朴軍事政権が成立した.61年には南ベトナムでCIAによるクーデターが起き,やがてベトナム戦争へと発展していく.ASEANが結成され,東南アジアを反共の防波堤にしようとする策動が強まった.
中国は困難な中でも対米全面対決の姿勢を崩さず,民族解放勢力を支援する態勢をとり続けた.
中国は「三つの世界」論の立場から,決定的な場面で決定的にベトナム人民を裏切った.しかし解放戦争の全期を通じてみれば,もっともベトナム解放戦争に貢献したのもまた中国であった.中国の対ベトナム援助は 200 億ドル以上にものぼり,その大部分が無償援助であった
63年,アフリカ諸国を歴訪した周恩来は,「援助 8 原則」を提唱した.そのモデルケースがタンザン鉄道である.
@平等互恵の原則に則って対外援助を行う.受入国の主権を厳格に尊重し,如何なる条件をも付けず,如何なる特権をも求めない.A援助を提供する目的は,受入国の対中依存をもたらすことではなく,それらの国々の自力更生・独立発展への歩みを手助けすることにある.
こうした努力が国際的に認められ,71年,中国は国連復帰をはたした.中国は,多数の発展途上国からの熱烈な支持を得て,西側諸国の封鎖作戦を打ち破ることに成功した.
65年に始まった文化大革命は,国内的にもあらゆるルールを無視する野蛮なものであったが,国際的にも「極左」的,「大国主義」的な押しつけは不信を生み,中国外交に壊滅的なダメージを与えた. 文革の「主役」であった「紅衛兵」は,毛沢東一派の扇動を受け,「造反」精神を無限に広げて「世界革命」を夢想した.歴史精神の無残な荒廃というほかない(とりあえず浅井氏の言葉を借りておく.語ればキリがない).
当時文革に参加した多くの若者は,「大民主」に夢を託したという.大民主とは,「広大な労働人民の経済民主と政治民主」をさす.それは当時の権力の政治的・経済的「非民主性」に対する抗議としての側面を持っていた.
抗議されるべき権力の非民主性が,はたして文革終焉に伴い解決されたのだろうかという問題は,いまもなお中国内部に横たわっている,ようである.74年,突如ニクソン訪中に応じた毛沢東は,「三つの世界」論を展開する.
「米国,ソ連は第一世界である.中間派の日本,欧州,オーストラリア,カナダは,第二世界である.我々は第三世界である」とされた.そして,三つの世界のうちソ連を除くすべてが,反ソという“一本の線”を形成していかなければならない,というのである.
79年,文革が終了し,ケ小平が指導者の立場についた.この後国内的には突っ込んだ文革の総括が行われる.その頃「世界政治資料」誌で読んだ中国共産党中央委員会の総括文書は,感動的とすら言える中味だった(現在,「世界政治資料」捜索中)
「改革・開放」政策がとられた.「中国の特色ある社会主義市場経済の建設」を目指す.そのために有益と判断する限りで資本主義経済の長所の選択的導入を行う」とされた.資本主義経済体制の長所と認める要素とは商品概念と市場原理,利潤,効率,私有企業などである.
必ずしも,その建前通りにことが運んでいるようには見えなかったが,中国独自の国内問題であり言及するものではない.しかしベトナム「懲罰」といい,ポルポト支援といい,その軍事・外交政策,国際活動は,文革以前の中国外交を知るものにとっては容認できるものではなかった.
これらは経済活動をめぐる前提条件があまりにも厳しかったことから来ていると,今では理解される.おそらく,現代中国は80年代中国の実情を知ることなしには理解できないのだろう(といっても私は知りませんが).
国交回復にあたり日本から約三兆円の円借款を受け入れた.これが中国経済回復の最大の資金源となった.このODA援助は,初期においては戦後賠償の色彩を持ち(中国は国交回復にあたり事実上賠償権を放棄した),後期においては中国に対する政府投資としての側面を強く持っていた.
文革後の中国は,自己バッシング論とも言うべき「小国意識」にとらわれていた.80年代の中国外交は,全方位独立自主外交と名づけられてはいたが,大国への「ご機嫌うかがい」のレベル以上には何もしなかった.第三世界の唱導者としての役割が省みられることはなかった.
主要敵を設定せず,経済発展に有利な国際環境と,祖国統一(香港,マカオ,台湾を対象)に有利な国際環境の形成に専念した.それは先進国に顔を向けた外交であり,いわば中国版「脱亜入欧」路線である.
ケ小平の「二十四字方針」 というものがある(国分氏の紹介).天安門事件とソ連解体をうけて, ケ小平が党内指示として出したもので,ケ小平の遺言ともいわれるようになった.処世術を書き連ねたようなもので,そのままどこかの家の家訓になりそうである.
24字とは, 「冷静観察」 (冷静に観察し), 「穏住陣脚」 (足場を固め), 「沈着応付」 (落ち着いて対処し), 「韜光養晦」 (でしゃばらずに力を蓄え), 「善於守拙」 (分相応にふるまい), 「絶不当頭」 (絶対にリーダーとならない),である.このなかでもケ小平が最も強調したのは, 「韜光養晦」 だったといわれる.
92年,銭基深外相は中央党学校での講義で,この間の全方位外交の取り組みを以下のように総括している(中居氏による).
1.アメリカの「唯一の超大国」としての台頭という「客観的現実」を直視しなければならない.
2.一方で「冷戦体制の崩壊」は北からの脅威の消滅をもたらした.これは中国にとって有利な国際情勢である.
3.中国は体制の危機をケ小平の「16字方針」で乗り切り,国内政治の安定を世界に印象付けた.また中国が制裁に屈しないことを世界に示した.
今後の方向としては次の三つが柱となる.
@脱イデオロギー「全方位外交」: 具体的には対米協調、日本など周辺国との友好関係、より多くの国との国交回復。
A経済建設のための環境づくり: 具体的には湾岸戦争やPKOなどへの参加、APEC、ASEANなど地域機構への参加、市場の対外開放。
B中・米・日三国関係維持: 具体的には米国を外交の主要な対象とし、日米間の矛盾を利用し,三国関係を外から牽制するためにロシア、欧州、アジア太平洋諸国との関係を調整する.アメリカに対しては中国市場の開放、日本に対しては戦争責任問題を活用する.
89年4月に天安門事件が発生した.80年代は経済的に大きな発展が見られたが,それによって急激な社会変化と混乱が生じた.政治体制の変化を望む声も高まった.それがひとつの頂点に達したのが天安門事件であった.
天安門からソ連崩壊に至る 1990 年の激動は,意外にも中国外交にさしたる影響を与えていない.胡燿邦・趙紫陽体制の成立と挫折,江沢民体制の成立という経過はあるにせよ,ケ小平が事実上の指導権を握り続けていたのがひとつ,政策決定の合理化と脱イデオロギー化=没思想化がさらに進められたことがもうひとつの理由であろう(胡燿邦はもっとも熱心な脱イデオロギー論者であった).
しかし根本的には経済が上昇傾向にあったことが理由である.ソ連・東欧は経済危機の中で政権が失速し自壊していった.したがって主要な敵は自由化論者よりも経済至上主義の浸透にあった.
経済が復活の道を歩み始めたのを契機に,国内には経済中心主義の考えが急速に浸透した.「普通の国家関係」論が広まり.過去の援助が国力を超えたものではなかったかという議論も展開された.「友好」援助よりもビジネス・ベースの対外関係を強調する傾向が顕著になった.外交は「対等で普通な国家間関係」へと収斂され,対外援助に否定的な傾向が強まった.
一方,天安門事件を契機として,欧米諸国から経済制裁と厳しい人権問題批判を受けたことから,経済的に急成長しており,かつ人権問題に寛容なアジア諸国との交流を模索するようになる.
このような全方位外交路線の上に,多極化論はきわめて座りの良い情勢認識パラダイムだった.多極化論はひとつのイデオロギーというより,情勢認識による無思想性=バランス・オブ・パワーの表現となった.「白猫でも黒猫でも何でもいらっしゃい」の世界である.
もともと,情勢認識パラダイムとしての多極化論は,集団アイデンティティーおよびアイデンティティー要求を出発点とする逆立ち観念論である.実際に衝突するのは「文明の衝突」(サミュエル・ハンチントン)ではなく,現実の生産諸関係の利害である.
ハンチントンが各方面に影響を与えたのは,「文明の衝突」論(1993年)によってではなく,一超大国対複数の強国という冷戦後世界の枠組み概念(一極・多極論)提起によってである.ハンチントンは1927年生まれのハーバート大学教授.カーター政権で米国国家安全保障会議のコーディネーターをつとめたCIA史観の持ち主であり,「文明論」を語るような高尚な人物ではない.
91年,湾岸戦争で米国の圧倒的軍事力を目の当たりにし,全方位外交は大国中心主義外交へとシフトしていく.悪く言えば大国への「すりより外交」である.
クリントンはソマリア介入の失敗のあと,国益重視・国連軽視政策に移った.アメリカ国内経済はかつてないほど厳しい状況におかれた.いっぽう中国の経済は順調に発展していたが,それは外資に大きく依存しており,脆弱性は依然としてつきまとった.国内の政治的安定を続けるためにも,対外協調路線はとり続けられなくてはならなかった.
ガリ国連事務総長は,国連軍強化をふくむガリ構想を提案したが,集団的自衛権概念の無原則的拡張は大方の不評を買った.当時において多極化論は明らかにひとつの情勢認識そのものでもあった.
大国中心外交路線は「一超四強」との言葉で表現される.超は米国,強はロシア,中国,日本,欧州である.指導部は,現状は一超多強という状態から多極化へ移行する過渡期であると規定した.
それは没階級的なパワーゲームの思想でもある.その階級的性格は,何をしなかったかを見ればはっきりする.すなわち,途上国側の重要な国際組織である国連内のG77,非同盟諸国会議,OPEC(石油輸出国機構)などには参加せず,独自の地位を守り続けたのである.
中国指導部はこの大国中心外交路線を是としていたのか? そうでもなさそうである.99年7月訪日した李鵬全人大委員長は,小渕首相との会談で次のように述べている.
@グローバリゼーションが世界の大きな趨勢となり,各国の繋がりが緊密になっている,これにより中国にも利益がもたらされている.したがって我々はグローバリゼーションに賛成する.
A我々は多極化は一極化よりもマシだと考えている,一国が他の国に命令を出す体制よりはマシである.世界は多様化しており,社会,歴史,文化の発展段階は異なるので,一つのパターンで発展してはならない.「人権は主権を凌ぐ」との論調があるが,それは侵略者が他国が侵略する口実だ.
B我々はこの地域,特に北東アジアの平和を願っている.もし衝突や戦争が起これば真っ先に被害を受けるのは日中である.
これに対し,小渕総理より,「グローバリゼーションには光と影,つまり長所と短所がある.日中を含め良い面が出ると良い,グローバル・スタンダードにはアングロ・サクソン・スタンダードの面がある.うまく組み合わせていかないと影の部分が大きくなる」むね述べたという.これではどちらが社会主義か分らない.「多極化=よりマシ論」も整理されず混乱している.
日本では,このような議論は「冷戦終結=一路平和論の誤り」として厳しく批判された.ただそれが「冷戦終結論の誤り」と主張されたことで,無用な混乱を呼んだことは記憶に新しい.
日本における多極化論=21世紀論はペシミスティックな色合いを帯びている.電通 ・電通総研所長の福川 伸次氏の文章を引用する.
21世紀には,どんな変化が待ち受けているのであろうか(A) 経済のグローバル化
情報通信技術の革命と市場機能重視の価値観の定着によって,経済のグローバル化が定着しそうである.経済のグローバル化は,経済活動を活発にし,情報化は,知的活動を拡げる.他方,多くの矛盾を発生させるおそれもある.
@情報社会においては,情報が情報を呼び,情報に強いものはますます強くなり,情報独占の弊害を招く.Aモノ,カネ,情報の自由流通 が投機によって大きな経済変動をもたらす危険性がある.B世界経済が拡大すれば,地球環境の破壊や食料,エネルギーなどの供給不安が拡がる.C経済発展の条件が十分に整っていない発展途上国は,さらに経済格差に悩むことにもなるだろう.(B) 世界の多極化
経済のグローバル化は,先進国およびそれに近付きつつある国々の間では,経済力の平準化をもたらし,世界は,多極化構造に向かう.恐らく,日本,欧州が停滞し,中国,アジアが経済力を拡大するだろう.今日,絶好調に見える米国も,社会の統合力を保てるかが国力の維持に大きく影響するだろう.
世界が多極化するということは,それだけ,国際合意を得ることがむずかしくなることを意味する.12月のシアトルでのWTOの合意失敗は,それを如実に物語っている.
経済のグローバル化が世界経済の発展に必要だという認識に立てば,自由貿易の維持,地球環境の保全,通貨の安定,資金援助・技術協力などが必要となる.しかし主要国の間にそのような政策協調が保てるかどうかは未知数である.(C) 危機の多様化と拡散
国際政治は,パックス・グローブス(協調による平和)の時代を迎えることになる.秩序運営に参画するプレーヤーが多様となる.これは,世界が多極化する帰結でもある. 大きな流れとしては,世界の秩序は,国際機関を中心とした共同運営体制とならざるを得ないが,その合意形成は複雑でかつ難しい.信頼と協調をつなぐ新しい理論が不可欠である.
経済のグローバル化が進むと,一方で民族,宗教などのアイデンティティが高まり,地域的な対立や民族的な緊張の火種となる.場合によっては国家の再編成につながり,危機や脅威は,むしろ多様化し,拡散する可能性がある.(D) 人口の動態変化が世界のパワー構造を変える
さらに,人口の動態変化は,世界のパワー構造を変え,世界秩序の枠組みに大きな影響を与えるに違いない.発展途上国の人口爆発は,地球環境の破壊,健康被害,貧困の深刻化などをもたらす.その過程で,発展途上国は二極分化を起こす可能性がある.
一方,日本や欧州で顕著にみられる先進国の人口停滞と高齢化は福祉負担の増加,財政構造の悪化,技術革新の停滞,援助能力の低下,保護主義の再燃につながる可能性がある.こうした要因は,経済のグローバル化や,国際政治秩序の運営に深刻な影響をもたらす.21世紀には人類はさまざまな課題に遭遇するであろう.21世紀は,20世紀の延長では考えられない不安定な世紀になるかも知れない.それを乗り越えることができるとすれば,人類が英知を結集し相互信頼を発揚するときである.それに,日本は,どれだけ貢献できるであろうか.
92年,ケ小平が広東省など南部地域を巡回,「九二南巡講話」を発表.「大胆に市場経済化しよう」と訴えた.10月の第14回党大会で「社会主義市場経済」の新たな概念を導入.
同じ年,天皇が訪中し,「近年,ごく短期間に非常に不幸な事件があったことについて,私の深く悲しみとするところ」と述べた.82年の教科書問題以来の歴史問題に一応の決着がついた.
翌93年には,APEC の非公式首脳会議で江沢民がクリントン大統領と会談.クリントンは,中国は投資・貿易相手先としても非常に重要な市場であると述べた.
97年11月には,江沢民が初の米国訪問.米中共同声明では,努力目標として「建設的戦略パートナーシップ」があげられるまでになった.
ただし,この訪問には強烈な米議会の反応があった.反中国法案11本が全て可決された。中国の人権調査強化法案は416対5、強制収容所の監視法案は419対2,中国向け「自由アジア」放送の強化法案は賛成401、反対21の圧倒的多数で可決された.
中国にとって重要な二つの大国との関係が軌道に乗ったこと,市場経済を飛躍的に発展させる上での必要から,中国は小国意識を捨て,「責任ある大国」として自らを規定するようになった.「責任ある大国」の根拠として@人口大国,A核保有国,B安保理常任理事国,C高度経済成長,があげられた.
それまでの中国対外政策は,二国間外交をとり,多国間外交は信用しないという立場であったが,大国意識が拡大するのに伴い,中国は多国間関係に次第に参加し,やがて多国間外交を非常に重視する方向に変わっていった.
90年代前半,中国はとくに東南アジアとの連携を深めた.90年にはインドネシア,シンガポールと,91 年にはベトナムと国交回復,92 年には韓国と国交を樹立した.さらにAPEC,ARF(アセアン地域フォーラム)のようなアジアの国際機構の多国間協議に積極的に関与し始めた.とくにASEAN+3(中,日,韓)の活動を重視するようになった.
この時期の特徴としては,@経済先行,A中国の過去の干渉に対する警戒,B互いに人権問題で弱み,などから実務先行型の外交だった.「責任ある大国」路線が打ち出された後でも,ASEANなどの地域機構は中国外交の主要舞台と位置づけられ,中国の国際的地位の向上に利用しようとする意図がかなり濃厚であった.
外交政策はおおきく言って安全保障外交と経済外交の二つの柱からなる.この二つの柱を根元から揺るがすような事態がほぼ同時に発生した.
ひとつはユーゴ内戦,とくにコソボ紛争であり,もうひとつはアジア諸国を襲った金融危機である.ケ小平の死亡により,江沢民に政策決定のフリーハンドが与えられたことも背景になっている可能性がある.まずコソボから取り上げる.
99年,北大西洋条約機構(NATO)はコソボ問題に介入し,「人権は国境を越える」という口実で,ユーゴ全土に大規模な爆撃を行った.このなかでユーゴ駐在の中国大使館が爆撃されたことは,中国に深刻な衝撃を与えた.それは孤立した偶然のことではなく,アメリカのグローバル戦略の必然的反映であるととらえられた.
中華全国総工会の白立文は,当時の雰囲気を次のように伝えている.
闘争をつうじて国民は,中国にたいするアメリカの認識をよく理解しました.国際社会はかならずしも太平ではなく,覇権主義や強権政治があいかわらず存在しています.発展途上国,とくにアジア諸国が連帯しなければならないことをあらためて認識しました.
実際この頃から,アメリカは軍事・経済を一体化したグローバル戦略のテンポを速めた.西側では,NATOの「戦略新概念」を打ち出し,冷戦時期の防衛的軍事ブロックを,地域を越えた攻撃的,軍事的,政治的機構に変えた.
東側では,「日米防衛協力のための指針」(いわゆるガイドライン)において,台湾をも「周辺事態」対象地域にふくめた.さらに「戦域ミサイル防衛(TMD)システム」の開発に拍車をかけている.
00年10月に発表されたアーミテージ報告では次のように述べられている. 「(日米)同盟関係の漂流状態は,1990年代半ばまで続いたが,94年の朝鮮半島危機,さらに96年3月の台湾海峡の危機は,日米両国をして日米同盟関係を再確認させた」
中国が唯一の超大国アメリカの究極的標的とならざるを得ないことを覚悟しつつ,アメリカをどのように国際的に包囲しその手を縛るかを,外交活動の根本的価値観として据えなければならないことが痛感された.これが多国間主義の導入につながる第一の転換の背景である.
00年初めに江凌飛論文「二十一世紀初めの中国の安全環境」が発表された.江は国防大学の国際関係教学研究室副主任という肩書きの人である.このなかで「アメリカのグローバル戦略とは,新たな干渉主義を推し進め,世界に覇権を唱えるもの」ととらえている.
江のいう新たな干渉主義とは,「人権が主権より高い」という思想攻撃である.西側諸国はコソボ事件の中でこれをうち出し世論の支持を勝ち取った.今後中国に対する新たな攻撃の武器となる可能性がある.
私の人権に対する考え
人権には@人間が生得的に持つ権利と,A近代法の中で形成されてきた権利がある.人類は社会を形成するにあたり,タブー・義理・社会道徳などさまざまな形で生得的な権利を制限・調整し,それにより人類としての力を築いた.権利をどのようにどのくらい制限するかは,それぞれの「文明」によりニュアンスを異にする.
近代法の中で形成された権利には,A-a 不当に制限された生得的な自由を奪還する権利の部分と,A-b 弱者を保護し,人類社会の基礎となる人間の平等・多様性を維持するための権利の部分がある.形成の途上にあるこれらの権利は,本質的には近代社会にとってユニバーサルなものである.
もうひとつ,国家の非常事態(民族の危機)においては人権は全般的に制限される.国民が目下の状況を危機ととらえ納得するか否かで,人権制限に対する許容度は変わる.逆もまた然りである.いずれにせよそれは一種の緊急避難措置であり,一時的な権利の委託である.多極化論はこの時点ですでに破綻したと見ることもできる.すくなくとも情勢認識としては,文字通り多極化が進んでいるとは言えなくなった.このとき以来,多極化論は情勢認識ではなく,多極化戦略論となった.
別の論文ではこう書かれている.ソ連の解体と冷戦の終結は,両極世界の枠組みが終結し,世界が「多極化」の方向へ発展することを示した.しかし多極の枠組みがすでに形成されたと見るのは間違いである.いっぽう,この世界はやはり単極世界だとする見方もあるがそれも間違いである.
江凌飛論文は米グローバル戦略への対応として,「新多極論」の舞台裏をかなり率直に語っている.彼は.@ヨーロッパとアメリカ相互間の矛盾と食い違いが依然として存在している.Aロシアの反感は強まった.B長い目で見れば,日米の矛盾も発展する,という三つの条件を前提として次の三つの安全保障外交の柱を提起する.
@国連安保理: 中国が国際的に自らの役割を発揮するためには国連に頼る必要がある.安保理の拒否権は中国の「大国」たる所以である.もし国連の役割が弱くなれば,中国の大国としての役割も弱まることになる.
A発展途上国: 発展途上国は経済グローバル化の過程で利益が損なわれ,一極世界を確立しようとするアメリカの覇権行為が大きな脅威を与えている.中国は安全と経済利益の面で,発展途上国との共通点が増えてきている.
Bヨーロッパ: 中国の安全にとって,ヨーロッパはつねに味方になることができる要素である.中国はヨーロッパ諸国の理解を得られることを望んでいる.それによって,アメリカが他の国と提携して制裁を加える局面を組織できなくなるようにさせる.そのため,中国はヨーロッパを経済利益の面でさらに中国と結びつくようにさせるべきである.
つまり大国中心外交から,国連・途上国・欧州の三本柱への戦略転換が図られていると見ることができる.同時に,外交の基本的な立場が,パワーゲーム的な発想からまだ抜け出してはいないことも見て取れる.また,この時点ではアジア諸国が戦略的視野に入っていないことも注目される.
そこにアジアを中心とする金融危機の大波が襲ったのである.ある論文ではこう述べられている.
国際金融危機がアメリカを持ち上げ,ロシア・東欧の金融危機はドルの支配力を高めた.これらのことから大国の力関係がバランスを失った.アメリカは金融危機に際してなんら実質的な援助をおこなわず,投機資本のなすがままに任せた.そしてASEANの勢いがそがれた機に乗じて,IMF支配の手を伸ばした.
アジア金融危機の天王山は,香港市場での人民元をめぐる攻防にあったというのが,現在では定説になっている.東南アジア経済は,華僑経済との二重構造であり,華僑経済の総本山が香港であった.また香港は,法規制を嫌う日本の海外資産運用の市場であり,中国新興資本のオフショア市場ともなっていた.
97年7月の香港の中国返還は,タイの市場破綻と時を同じくしていた.香港ドルへの売り圧力は7月、8月、10月と繰り返された.10月末にはついに通貨切り下げの危険ラインを割りこんだ.
香港政府は金利の大幅引き上げで対抗したが,それは不動産価格と株式価格の暴落を招いた.香港特別行政区政府は、金融システム防衛のために株式市場に対する介入をおこなった.折からのバブル景気は吹き飛んだ.
ヘッジファンドの攻撃は香港ドルから中国通貨「元」にも波及した.中国政府は香港と中国を合わせて2000億ドルの外貨準備を駆使してペッグ制の維持にまわった.(98年末,中国は約1500億ドルの外貨準備を有していた.これは日本に続く世界第二位であり,香港と合わせれば日本の外貨準備と匹敵する)
中国は手痛い打撃を受けたが,何とか持ちこたえた.アジア金融危機を通して、中国の実体的な存在感…中国がアジアの金融・市場大国となってすでに登場しつつあるという事実が世界に確認された.米フィナンシャル・タイムズ紙は,「人民元の防衛に成功した中国は,世界の金融政策形成に対する影響力を持つものとして登場した」と述べている.
いっぽう対外債務の増大からIMF管理への移行,さらにはインドネシアのような政権の転覆という図式は恐怖の的となった.ここに至り,先進国の意向をそのまま受け入れるようなこれまでの大国中心外交路線に深刻な反省が迫られた.
中国は否応無しにアジアの一員であり,アジアの諸国と団結することなしに自国の,とくに経済的自立は確保し得ない.しかもアジアはひとつの大国ではなく諸国の連合であり,国家間の協調なしにひとつの極を形成することはできない.
これが「脱亜入欧」路線からアジア重視・途上国重視という外交路線転換の第二の背景となった.
康暁光は,「今後3−5年の中国大陸における政治的安定性の分析」 という文章で,当時の政権の姿勢を痛烈に批判している.天安門の運動が,胡燿邦のプラグマティズム路線復活を目指したのとは逆の方向からの批判である.この論文がどの程度の支持を受けているかは不明である(時田研一氏のページより引用).
康暁光は1963年生まれ.大連工学院応用数学系卒業ののち,中国科学院生態環境研究センター理論生態学修士課程で修士号.30歳で『農業と発展:中国農業の若干の問題の研究』を北京大学から出版した.この報告書は早速党中央指導部に「参考資料」として届けられたという.
その後北京大学教授から最大のシンクタンクである中国科学院の研究員を経て,02年8月から清華大学国情研究センターの主任研究員というとびっきりのエリート.中国は今後3〜5年間にわたる権力の交代過程で『危険な平衡状態』に入っていくだろう.
全党,全軍,全国で腐敗の風はますますひどくなり,普遍的な社会現象にすらなっている.その腐敗はガンのように急速に全社会に広がりつつある.今後,中国の改革と現代化の歩みは,党内の悪性腐敗によって中断される危険がある.
今日中国共産党は「権威主義体制」へと変化してきている.その「社会的基礎」を成しているは政治エリート,経済エリートと知識エリートとの「同盟」なのだが,実のところこの「政治エリート」は誰をも「代表」していない.
あらゆる政治はエリート政治であり,中国が特殊なのではない.・・・中国政治の特徴は,党と政府の官僚集団そのものが統治階級だということにある.統治集団すなわち統治階級ということである.
元々のイデオロギーは破産したが,新たなイデオロギーはまだ生み出されていない.マルクス主義,レーニン主義,毛沢東思想はただその正当性を粉飾するものでしかない.その手中にある精神的資源としては『ケ小平理論』すなわち『実用主義』があるだけである.
イデオロギーの終焉は一連の重大な結果をもたらした.その一は,中国共産党が『革命党』から『執政党』へと変貌したことである.現在,中国共産党の組織目標は『資本主義を消滅させる』ことではなく,ただただ『執政』あるいは『統治』である.
その二は,中国共産党の正真正銘の『理性的経済人』への変化である.大統治集団の既得利益を維持ないし拡大できさえすれば,いかなる理論,進路,原則,価値をも受け入れ可能である.
その三は,個々の党員,幹部たちに道徳なく,理想なく,人生の意義を知ることもないことである.絶大多数の党と政府の幹部を仕事に駆り立てているのは,人類の最も原始的な生物学的欲望である.
その肩書き・経歴から見て,康暁光が反体制の立場とは考えられない.それは党の団結と理論水準の低下に対する警鐘の乱打と読むべきであろう.「危険な平衡状態」というのは,文化大革命で「大民主」を求めた大衆のエネルギー,天安門で民主化を唱えた民衆の怨念はそのまま残されているぞ,という警告である.その背後に剛腕首相朱熔基の顔がちらつく感じがしないでもない.
あえていえば,これもふくめ国内・党内要因が第三の背景である.
こうして多極化論,さらにいえば79年以後20年続いてきた改革・開放の路線が全面的に見直されることになった.
そのひとつの集大成といえるのが,2000年の国連ミレニアム総会における江沢民演説である.
江沢民はまず,「国際的多極化は時代の要求であり,世界の平和と安全に資するものだ」とし,思想としての「多極化」の概念を展開する.そしてミレニアムにふさわしく,「かつてのように大国が互いに争い,勢力範囲を分割するのではなく,大国が小国を尊重し,強国は弱小国を支え,富める国家は貧しい国家を援助するべきである」と多極社会の哲学を展開する.
ある意味で多極化論は「21世紀論」に抽象化された.それは民族,宗教,文明の多様性が「世界発展の活力」として強調されたことにも示されている.多極化が多元化・多様化に近い言葉としてとらえられるようになっている.
いっぽうで,多極化論と並べて,「公正で合理的な国際経済新秩序」の樹立が提唱された.このことは従来の大国間外交重視とならべて,途上国との連帯も重視されるようになったことを示している.
さらに多極論の中心に国連中心主義と安保理重視を据える.
一見,あい異なる潮流が「多極化論」の名の下に混在しており分りにくいが,国連総会を控えた7月に発表された劉華秋(元外務次官)の論文「ケ小平の外交思想」は,その背景を明らかにしている.
論文は,「中国指導部の多極化に関する認識はより深められていている」と述べ,コソボ後の理論的前進を強調する.覇権主義については次のように書きこまれた.
冷戦終結後,とくにユーゴの中国大使館爆撃事件を契機として,中国は超大国アメリカの覇権主義が一段と進んだことを理解した.それによって世界の力のバランスが深刻なまでに失われ,世界の平和と安定に主要な脅威となっている.しかしアメリカの野心は内外から多くの制約を受けている.20世紀が“アメリカの世紀”にならなかった以上,21世紀が“アメリカの世紀”になることはさらにあり得ないことである.
そして「多極化はまだ傾向・流れの段階にあるに過ぎない.多極化の局面が最終的に形成されるまでには長い過程が必要」とし,間接的に現代世界を一極支配構造ととらえる立場を示した.
それはまた「多極化は必然的な歴史の流れであり,それを世界平和と発展の促進に有利になるように発展させていくべきだ」とし,単純な「多極化万歳論」はとらないことを明らかにした.
そして@多様性の承認は一極支配を拒否することにつながる,A多極化は覇権主義を牽制する,と多極化を評価するポイントを提示した.
00年10月,北京で中国・アフリカ閣僚会議が開かれ,アフリカ諸国首脳が勢ぞろいした.会議は直前に南アで非同盟首脳会議が開かれたこともあり,非同盟運動とのすり合わせという性格を持つ.とくに非同盟運動の看板ともいうべき「新国際経済秩序」を意識的に取り上げ,自らの主要戦略課題として位置付けたことは重要な意味を持つ.
「公正で合理的な国際政治経済新秩序」の内容が具体化されたことが重要である.同時に多極化という言葉は影を潜め,多様化という言葉がこれに代わる形で頻用されるようになっている.
江沢民は冒頭演説で「公正で合理的な新国際政治経済秩序」を樹立することは,人類が新世紀に入ろうとしているこの時期において緊急に必要であり,かつ,全世界の人民の一致した要求である,と述べた.多極化論が抽象化され哲学的表現となったのとは対照的である.
新国際政治経済秩序では以下の4つの権利が保障されるべきである,とした.すなわち@主権の平等,内政に干渉されない権利.A各国が平等に国際問題に参与する権利.B各国が平等に発展する権利,C各民族・文明が共同で発展する権利である.とくに第四の権利は注目される.
江沢民は,@世界は多種多様であり,それぞれが特徴をもっていること,A各国の歴史と発展の道は異なり,民族・文明間の違いは必然的なものであること,Bこのことこそが世界に活力が充満していることの根本的な原因だという認識を示す.
「世界の多様性を認め,相互に学びあい,尊重しあい,平等の立場で接しあうことが重要なのであり,彼我の違いこそが,共同して発展することを促進するための動力になるべきだ」
新国際政治経済秩序の樹立を推進するための行動として,@団結を強化し,積極的に南南協力を推進すること,A対話を促進し,南北関係の改善に努力すること,B進取,平等の立場で国際問題に積極的に参与すること,C長期にわたって安定した平等互恵の新しいタイプのパートナーシップを樹立するこを提案している.
過去20年間の中国の実務一辺倒型外交を見てきたものには,目を見張るものがあっただろう.
会議の宣言は以下の項目を掲げた.
@国連憲章,OAU憲章,平和共存5原則その他の国際原則を尊重すること.A国際紛争の平和的解決.B安保理の役割を尊重し,強化する.(安保理,国際経済金融機関における途上国の代表権を強化する.国際関係の民主的原則を確固たるものとする)
C普遍的人権と基本的自由を尊重し,同時に世界の多様性という原則を擁護する.(各国の人権保障のありかたは,政治制度,発展段階,歴史文化的背景,価値観が異なることに基づく違いがある.各国は異なる方式・モデルを選択する権利がある.人権問題を政治化し,経済援助提供にあたって人権上の条件を課すること自体が人権に違反するものである)
D互恵的協力及び共同発展の原則.(先進国は途上国に対し,資金・技術などの分野で平等互恵の協力を行う責任がある)
01年初め,ブッシュが大統領に就任した.直後に出されたMD構想の根本は,対中国封じ込め戦略である.新戦略に基づき台湾へ向け大量の武器が販売された.中国側には強い危機感が漂った.
中国政府は以下のようにコメントした.
MD構想をめぐる議論の本質は,いかなる国際秩序をつくるか,という点にある.一極か多極的国際秩序かという選択である.アメリカがこのシステムを配備すれば,アメリカ中心主義および武力行使の傾向が助長されるだろう.世界に真の安全はなくなり,不安が支配するようになる.
かつての多極化論がアメリカとの対立を避けるための理論だったとすれば,新多極論は一極支配を拒否し,米国がそれを推進しようとすれば対立する決意と構えを内に秘めた理論となった.ならざるを得なくなったというほうが正確だろうが….
新多極論の真価を試す最初の事件が,早くも4月に発生した.米軍偵察機が海南島に不時着したのである.領空侵犯の有無は別として明らかな挑発的偵察行為である.
当初ブッシュ政権は居直って,居丈高に機体の返還を要求した.これに対し中国当局は冷静に対応し,原則的かつ柔軟な態度をつらぬいた.結果として,米国側の横暴がおのずから世界に印象付けられた.それ以上に,中国のあらたな外交姿勢は世界を括目させた.
これに引き続く9.11事件では江沢民の積極的な首脳外交が注目を集めた.
事件の後,江沢民はただちにブッシュに打電した.電報は,「アメリカ政府及び人民に対し心からの弔意を表明し,死傷者の家族には哀悼を示す」とし,「中国政府は,すべてのテロリズムを一貫して非難し,これに反対している」と述べた.
翌日夜,両首脳は電話会談を行った.この中でブッシュは,米中両国が国連安保理での協力を強化したいという希望を表明した.この時点ですでにブッシュは軍事報復の意向を示していた.
これに対して江沢民は,テロ活動を「強烈に非難」したうえで,@アメリカにすべての必要な支援と協力を提供,A国際社会と協力して,すべてのテロリズム打撃を与える,B両国の外相及び国連代表団が協議及び協力を強化すること,の3点を明らかにした.テロリズムに関する従来の中国の政策・方針を踏まえ,国際協力を強調する発言である.
事件の翌日,緊急安保理が開催され,決議1368号が採択された.中国代表は,「安保理は国際平和と安全に第一義的に責任を負っており,国際テロ活動に打撃を与える上で,主要な役割を発揮するべきである」と発言.
9月18日の午後から夜にかけて,江沢民は,イギリスのブレア首相,フランスのシラク大統領,ロシアのプーチン大統領と意見交換を行った.26日にはエジプトのムバラク大統領,30日にはパキスタンのムシャラフ大統領とも意見交換を行った.
ブレアとの意見交換では,テロリズムを「深刻な国際的公害」と形容した上で,テロに対する打撃を加える上で満たすべき要件として,@確固とした証拠と具体的目標,A人民に被害が及ばないようにすること,B国連憲章の精神と原則及び公認の国際法の原則に合致すること,C世界の平和及び発展という長期的利益に有利であること,を指摘した.
シラクとの意見交換では,中東和平プロセスの促進が重要だとするシラクの指摘を賞賛した.ムバラクとの意見交換では,シラク発言を積極的に紹介している.
プーチンとの意見交換では,@直接的な結果だけではなく,地域の情勢への深刻な影響,世界の平和と発展という長期的利益をも考慮する.A安保理常任理事国間の協議を強める.B中ロ両国はテロ問題で共通の利害を持っており,協力関係を強める必要がある,と発言.
10月7日,アメリカは事件の首謀者をビン・ラディンとし,アフガニスタンのタリバン政権をそれをかくまっていることを理由に攻撃開始した.アメリカは,自らの軍事行動を自衛権の行使として正当化した.NATO加盟の欧州諸国は,集団的自衛権の行使としてその行動を正当化している.国連のアナン事務総長も,米欧諸国の立場を受け入れる認識を表明した.
翌8日,江沢民とブッシュはふたたび電話会談を行った.会談後,江沢民はこう語った.
「ブッシュ大統領は,今回の作戦はテロリストの具体的目標にのみ限定したものであり,行動にあたっては無辜の人民に被害が及ばないようにする,と何度も表明した.我々はそのことに留意している.そのような原則を堅持することは,テロリズムに対して有効な打撃を与える上できわめて重要である」
11月には上海でAPEC首脳会談が開催され,反テロ決議を採択した.これに出席したブッシュは,中国との「建設的パートナーシップ」の形成にむけて努力すると表明した.半年前と比べれば,ほとんど180度の転換である.
多極外交が見事に展開されたと見るべきだろう.@アメリカの一国行動主義には多極(とくに仏・ロ)の形成で対抗する.A国連,とくに安保理の場を最大限に利用する.Bアメリカとはどんなことがあってもことは構えない,しかししっかり批判はする,という立場だ.
01年11月,ドーハのWTO 閣僚会議において,中国のWTO 加盟が承認された.中国は,WTO を「経済の国連」と見なしている.
途上国の集まりである「グループ77」と中国は,ドーハ会議に向け共同声明を発表.途上国に不利な現行ルールを見直し,途上国の要望に沿って交渉を進めるよう求めた.中国は依然慎重ながら,途上国と連帯し先進国と対立する立場に一歩を踏み出した.
新安全観とともに,経済開放政策についても社会主義の観点からの理論的整理が行われた.雑誌『現代思潮』2002年第一号が,グローバル化と社会主義の関係について展開している.「労働通信」のサイトから引用・紹介する.
資本のグローバル化は,全地球的に生産の科学化をおしすすめた.資本は剰余価値の追求という絶対的法則に駆られ,不断に運動し,多国籍資本へと発展し,さらに多国籍資本からグローバル資本へと拡張してきた.
グローバル化は社会主義の存亡にかかわっている.社会発展をグローバル化に合致させなければ,旧ソ連・東欧などのように社会主義は崩壊する.二〇世紀はじめに社会主義国が誕生したのも,二〇世紀末に社会主義が受けた挫折も,グローバル化の結果である.中国は主体的にグローバル化に取り組み,特色をもつ社会主義発展の道を探求してきた.だからこそグローバル化の進行の中で巨大な成果をおさめることができた.
グローバル化は社会主義の存在と発展を制約している.しかし,グローバル化は資本主義滅亡という歴史的法則を変えてはいない.マルクスが予見した社会主義実現の二つの条件―生産力の高度な発展と,世界の普遍的な交通の高度な発展―は,ますます成熟している.
グローバル化と社会主義には内的な同一性がある.グローバル資本は現代的大工業を打ち立てる.そして大工業はまさに社会主義確立の物質的基礎である.私的資本を中核として確立した資本主義は,資本の社会的所有への転化と物質的富の社会的占有によって,最終的により高い段階の社会主義にとってかわられるのである.
社会的分業にもとづく生産の本質は,生産手段の社会的所有への変化を必然的に要求する.経済のグローバル化は,ある期間,ある程度,西側資本主義諸国の国内の矛盾を緩和させるが,世界的な不平等と矛盾をいっそう激化させる.それは資本主義のさまざまな矛盾と弊害を全地球にまきちらすことによって,さまざまな社会的衝突と危機をつくりだしている.
それは,世界的範囲で@生産と消費のあいだの矛盾,A独占ブルジョアジーとプロレタリアート,勤労人民とのあいだの矛盾,B発達した国と発展途上国とのあいだの矛盾,C発達諸国間の矛盾を激化させている.さらに経済グローバル化には生態系破壊のグローバル化,資源破壊のグローバル化,さらに犯罪,飢餓,堕落のグローバル化がともなう.
社会主義はきびしい発展の谷間におかれている.「一球両制」(世界に二つの社会制度)の現象は長期的に存在せざるをえない.社会主義国が資本主義国との関係,とくに西側先進資本主義国との関係をどう取り扱うかは,一つの長期的・戦略的な課題であり,その結果は直接社会主義の盛衰,成功と失敗にかかわる.
社会主義は資本主義を基礎に発展してきたものである.それは資本主義への否定でもあり,資本主義の継承でもある.両者の関係は時間上の因果関係における「代替関係」にとどまらず,空間上の同時的な「依存関係」でもある.
社会主義は,生き残るか,滅びるかという大きな圧力に直面している.ソ連・東欧社会主義国の瓦解のおもな要因は,これらの諸国が進めていた社会主義近代化のなかで犯した一連の誤りにあり,とくにゴルバチョフの自由主義的改革がもたらした.
社会主義は,歴史によって与えられたものではなく,実践の中でつくり出されるものである.ソ連の失敗は社会主義の必然的な失敗を意味するものではなく,社会主義にはまったく他の道があるのである.
21世紀の社会主義は,各国の現実と結びつき,国際環境に合致し,時代の特徴を反映した多様化の道を歩むであろう.社会主義の多様性は,道の多様性,方式の多様性,体制の多様性と戦略の多様性としてあらわれる.
社会主義は,搾取を消滅させ,階級を消滅させ,全人類を解放しなければならない.このような革命の性質と任務は,人民の長期にわたる曲折した苦闘を求めている,さらに現存する社会主義国はすべて,経済的に立ち遅れた国に生まれていることを理解しなければならない.
02年の初頭にあたり唐外相が記者のインタビューに答え,次のように語った.
2001年の国際関係には,一部ではあるが積極的な変化が現れている.この変化は世界の多極化の発展にプラスとなり,世界の平和と安定にプラスとなるものである.
@各国が利益の接点を積極的に求め,対話と協力を強める変化.
A大国間の関係が緊張から緩和に向かうようになったこと.特に「9・11」事件の後においては,各大国は共通の認識を求め,協力を強める関係が発展した.
B各国のハイレベルの相互訪問と会合が増え,ホットラインで意見交換を行うことが頻繁となったこと.このような指導者間の直接の接触と交流は,国際関係促進の役割を果している.
急変する国際情勢(アメリカの無法なアフガン侵攻)に直面して,われわれは冷静に観察し(第三者的に傍観し),落ち着いて対応し(意味のある行動はなにもせずに),チャンスをつかみ(人の不幸をもっけの幸いに),物事を有利なほうに導き(自分のために利用し),外交の新しい局面を切り開き(帝国主義者と仲良くなり),わが国の国際的地位と役割を高めた.
世界の構造と情勢の発展の基本的な態勢は「9・11」事件がゆえに変わってはいない.平和と発展はやはり現代の基調である.世界の多極化は発展し続けている.
外相の新年の辞という特殊な状況であるにせよ,あまりピンとくる文章ではない.この時期,何らかの理由で隠忍自重しなければならない事情があったのかもしれない.
たいへん重要な逸話がある.02年10月に不破哲三氏が中国を訪問した時,唐外相と会見した.唐外相は相当突っ込んで本音を吐露したようである.
不破氏は「平和な国際環境づくりのもっとも重要な要として,安定した中米関係への強い要望,そしてまた,それに矛盾するアメリカの一国主義的な行動は抑制しなければならないという現実政治の要請――このなかで,的確な道を模索する努力が,そこには,にじみ出ていた」と述べた.そのとき,唐外相が“臥薪嘗胆”の故事を引き合いに出したという.
その場の雰囲気が分らないと,言葉の意味は了解困難だが,不破氏の解説によれば,「平和をまもるために必要とあれば,たえがたいことでも,がまんすべき時がある」ことの例えとして用いられたようである.普通なら「隠忍自重」位の言葉で済ますところを,会稽の恥辱まで持ち出すところに「口惜しーい」気持ちを込めているのだろう.
いずれにせよ,おりから第16回党大会の準備作業の中で,公式の文書からはうかがうことのできない,中国外交幹部の苦悩が赤裸々に語られたようだ.
理由のひとつとして考えられるのは,1月のブッシュ演説で,「敵」がテロリストから「悪の枢軸国家」に据えなおされたことである.その究極に中国があることは,MD構想ひとつを見ても分る.
同じ月,米国防総省の核見直し報告では,核先制攻撃の対象になりうる国家として名指しされた.理由は,“中国がやがてはアメリカの軍事上のライバルになる可能性をもっている”ということである.
アフガンの次は北朝鮮かもしれない.ここは絶対に動けない,というような状況が考えられる.
もう一つ考えられるのは,3月の全人代を前にしたトーンダウンの要請の可能性である.全人代は朱熔基首相がとりしきり,議題は経済調整政策に終始した.景気の過熱,貧富の差の拡大,国有企業の経営危機,農業の立ち遅れなど経済規模の拡大にともない,矛盾はむしろ拡大している.
国務院報告 「経済運営の不均衡の深層に潜む原因」 では以下のように分析している.
現在の経済運営には,過大な投資,過大な成長率,環境や資源,社会の負担増大などの問題が見られる.
第一の理由は産業構造の激変による混乱である.とくに国民の消費改善がもたらした不動産業や自動車産業の急速な発展である.この新たな分野では,従来型の業界に比べて,中間製品を提供する重化学工業やエネルギー・運輸産業へのニーズが格段に高い.これにより市場での新たな需給の矛盾が生まれ,価格の上昇と高利潤を引き起こした.
情報環境や政策の指導が十分でない場合,市場によるさまざまな調整の動きには,見過ごせない代償が伴う可能性がある.現在のマクロ経済運営での問題は,新しい産業間バランスが形成されるまでの過渡的な構造矛盾を反映している.
第二の理由は,無計画な投資と価値の低い事業拡張が規制されていないことである(乱開発).その背景には,@土地開発コストが低いこと,A資金導入コストが低いこと,B環境・資源コストが低いこと,などがあげられる.
第三の理由は,金融バブル現象が出現していることである.この3年余りで,貿易による利益は700億ドル,外資導入額は1789億ドル,外貨準備高は2930億ドル増加した.
為替レートが実質的に固定され,中央銀行はドル買い支えのため人民元を大量に放出している.このため銀行の資金供給が大幅に増え,資金貸付が急速に増加した.一方,経済過熱と物価上昇にかかわらず,金利は変動していない.
現在の経済運営における問題は,本質的には構造,体制,成長モデルの問題であり,構造的な矛盾と体制的な欠陥を総合的に反映したものである(法的整備と規制の立ち遅れが深刻であるということ)
そこへWTOがやってくるのでは大変である.市場を開放した後,アメリカのグローバル経済の餌食となるのはどうしても避けたいところ.またアセアン諸国とのFTA交渉も待ったなしの課題となっている.
朱鎔基は「2001年の国際情勢には変化と起伏があった.しかし,平和と発展が時代の主題であるという点には変化はなく,世界が多極化に向かっているという点でも変化はない」とひたすら強調した.それは「変化しないでくれ」という祈りにも聞こえる.
なお,この時期に中国を訪問した日本共産党の不破議長は,江沢民との会談で,「私たちは,中国が,ソ連解体後の世界平和の新しい枠組みとして,軍事同盟によらない,そして国連憲章のルールをまもることを柱にした“新安全観”を提唱してきたことに注目してきた」と発言している.
たしかに“新安全観”も中国がよく用いる言葉であるが,少なくとも中国が枠組み概念として自称している「多極化論」という言葉を用いなかったことも確かである.
02年11月,第16回中国共産党大会が開催された.江沢民は最後となる基調報告で,世界の流れの基調が多極化とグローバル化にあるとしつつも,マイナス的要因の存在を強調した.
その背景となったのは,9月に米国防総省が発表した国家安全戦略である.趙駿傑(中国社会科学院)は米国のネオコン新戦略を以下のごとく規定した.
@国際関係における無秩序な状態は米国に歴史の重任を担う新帝国を求めている.米国は悪の枢軸を更迭し,米国式民主主義を推進する.A国際テロリストや悪の枢軸に対し,必要な時には単独でも対処する.必要とあらば先制攻撃も辞さない.B予見できる将来において,誰も匹敵出来ないような主導的地位を維持する.
大会は対外活動の4つの柱をすえた.
(1) 歴史の潮流に従い,全人類の共同利益を擁護する.(2) 公正合理の国際政治経済新秩序(新安全保障体制)を打ち立てる.(3) 国際関係の民主化と発展モデルの多様化を提唱する. (4) あらゆるテロリズムに反対.
外交の視点となる「新態勢」については,@世界平和擁護,共同発展の促進を前面に打ち出す.A国際社会への積極的参加.B多様な国際協力の形態,があげられる.
多極論は,大国間調整・構造としての「多極体系」観ではなくなった.途上国も多極化推進の重要な力とされ,大国のみならず,多様な力量を持つ諸国の調和的共存がうたわれるようになった.これは事実上多国間主義と重なる考えである.
さらに「多極化自体は一つの客観的プロセスだが,多極化の目標は主観的意思を反映する」とされ,枠組み概念としてよりも実践概念として捉えられるようになった.
なお「全人類の共同利益」はどこかで聞いた言葉だが,ペレストロイカを提唱した頃のゴルバチョフの「新しい思考」との関連は不明である.ただ,ゴルバチョフ理論も相当突っ込んで検討はされているようである.
朱建栄は,第16回党大会前後の変化を「中国第三の革命」と呼んでいる.第一の革命は中華人民共和国建国であり,第二の革命はケ小平が打ちだした「改革・開放」政策である.
2002年末に発表された『2002年の中国の国防』白書はかなり厳しい調子に貫かれている.
@世界はまだ非常に不安寧である.不公正,不合理な国際政治・経済旧秩序は根本的には変わっていない.世界経済の発展は非常にアンバランスで,南北の格差がいちだんと拡大されている.
A国際関係の民主化はまだまだ実現していない.覇権主義と強権政治は新しい行動をとっている.一部の地域では,民族,宗教,領土,資源などを理由に,武力衝突と局地戦争が発生している.
B世界の軍事的変革は急速に進み,新しい深刻なアンバランスが現れている.ミサイルによる中・長距離の精確な打撃は重要な作戦形式となり,戦争の形態はますますハイテク化・情報化しつつある.発展途上国と先進国との軍事技術格差が拡大し,発展途上国は厳しいチャレンジに直面している.
Cアジア太平洋地域は依然として不安定である.アフガニスタンの情勢はまだ完全には安定していない.朝鮮半島の和解プロセスは進んでいない.一部の国(日本)は引き続き軍事同盟を強化し,行動範囲を拡大している.
D世界の安全に対する脅威は多次元,グローバル化しており,各国の共通の利益が増えている.共同の安全を促進し「新しい安全観」を樹立することが要請されている.中国は覇権主義と強権政治,あらゆる形式のテロリズムに反対し,世界各国と共に安定した平和環境を作り出すことに努力する.
E中国は世界平和を擁護し,侵略と拡張に反対する.中国は覇を唱えず,軍事グループに参加せず,勢力圏を求めず,戦争政策,侵略政策,拡張政策に反対し,軍備競争に反対する.中国は国際社会が公正かつ合理的に国際紛争を解決するために払う努力を支持する.中国は積極的な防御的軍事戦略を実行し,まず防御・自衛,後から反撃に出て相手を制圧する原則を堅持する.
この「白書」の特徴は,冒頭に枕詞のように「多極化」が使われるだけで,多極化も多国間主義もまったく用いられていないことである.
党大会の開かれた02年10月から翌年3月にかけて,世界はまさに激動の中にあった.世界で一千万の人が抗議したのを振り切り,安保理も無視してアメリカはイラク戦争を強行した.同時に,先制攻撃戦略が採用され.アメリカの覇権主義はますます強化された.
中国は慎重な外交姿勢を貫いた.フランスやドイツのように前面に立って反対することもなかったし, ロシアのような牽制姿勢を示すこともなかった.アメリカを名指しするような直接の非難は公式にはなかった.中国は一貫して武力行使に対する慎重姿勢を示すと同時に, 国連の枠組みでの問題解決を訴え続けた.
いうまでもなく,背景には北朝鮮問題がある.日本政府が朝鮮半島有事を理由に日米同盟関係を強めたのと同じように,中国も6カ国協議成功のために,米国との関係を悪化させるわけには行かなかった.
そのような状況の中,4月に王立勇論文 「多極化から多国間主義へ」が発表された.
論文は,米国の強大化と狂暴化の中で,多極化論への疑念を率直に提起した.すなわち(1) 現実に米国による「単独覇権」が優位となっている状況の下でも多極化論は有効性を持っているのか,(2) 多極化論は大国中心外交に過ぎず,それを一面的に強調することは途上国の要求と利益を軽視していないか,(3) たしかに多極化と呼びうるような一定の状況もあるが,それがはたして世界の平和と安定に貢献しているのか.
そしてすでに多極化論の果たすべき役割は終わったとし,これに代わるものとして多国間主義を提唱する.それは重要な影響力のある国際メカニズムに積極的に参画し,より大きな役割を果たすなかで,国際社会の 「平和と発展」 「多様性を認めた新たな秩序作り」 などに積極的に関わることを内容とする.
それは実質的には,すでに江沢民のミレニアム演説で示唆されており,その後の多くの議論を通じて確認済みの路線である.むしろ論文の意義は,多極化という規定にこだわるのはもうやめようというものである.
ただし多国間主義は多極化と1対1で照応しているわけではない.多極化論は文明の多様性など,「現代世界」観や「近未来」観などをふくめて,いわば「多元論」と同義で語られるようになってきているからである.これに対し多国間主義は国際問題処理のメカニズムとされることで,多極論の生き残りが図られる.
多国間主義の背景には非同盟運動やASEANの動きがある.2003年初めクアラルンプールで開催された非同盟諸国首脳会議は,イラク開戦を間近に控え以下のような宣言を発している.
@冷戦終結で一極化が進む中,非同盟運動は国際関係の礎となる多国間主義を創出し,発展途上国の利益を擁護する.Aグローバル化と科学技術の急激な進歩に伴い,先進諸国が国際関係の決定に過大な影響力を行使し,発展途上国を犠牲にしている.B国際機関での対話や外交を通じ世界平和を創出し,紛争解決には武力を避ける.C平和や人権,社会経済発展などに不可欠な組織としての国連を強化し多極的世界をつくり出す.
以下の文章は,北海道AALAの2003年度総会に提案された情勢報告の一部である.我々が中国外交に注目するきっかけとなった文章である.ただし,今読むと当時の認識の浅さが痛感される.
まず5月27日に発表された中ロ共同宣言をちょっと長めに引用します.
平和と安定,発展は世界各国人民の共通の願いである.しかし天下は依然として太平ではなく,強権政治と単独行動主義が世界に新たな不安定要素を加え,国際テロリズムが地球的脅威となっている.地球的に共通の挑戦に対応するには,各国と各国人民の共同の努力に依拠し,国際協力を強化しなければならない.
国際法の原則を基礎とし,多極・公正・民主の国際秩序を確立し,調和の取れた共存を実現しなければならない.対話と協力を通じ紛争を解決し,国際関係の体系を固め,国連の現代世界における主導的地位を保証し,発展モデルの多様化を実現しなければならない.
国連は世界平和を守り,共同発展を促進するため,他に取って代わることのできない役割を果たしている.新たな情勢の下,国連憲章の目的と原則を厳守することは非常に重要で,両国は国連体制の強化のために努力を続ける.
イラク問題は国連の枠組みの中の政治的解決の軌道に戻すべきである.国連はイラク戦後復興の中で核心的役割を果たすべきである.国連の枠組みの中で,安保理決議を踏まえるなら,イラク問題を適切に解決できると確信する.イラクの主権・政治的独立・領土保全を確保し,イラク人民の意志と自主的選択および自国の天然資源を支配する権利が尊重されなければならない.
一見さらさらと読み流してしまいそうな文章ですが,これをアメリカの一国覇権主義に立ち向かうための対抗思想としてみると,俄然おもむきが変わってきます.
この宣言の基礎をなしているのは中国新主席の胡錦涛のイニシアチブです.胡主席は,共同宣言の少し前,五項目にわたる「国際政治・経済新秩序」を提唱しています.@すべての国家が平等に国際問題に参加する A文化の多様性の尊重 B平和達成の手段としての武力や強権の排除 C世界経済の均衡発展 D国連の権威の尊重 です.
これを裏側から読むと,アメリカの政策は,@国家の自決の否定,A文化の多様性の否定,B武力干渉の肯定,C貧富の差の拡大の肯定,D国連の否定の五つにおいてとらえられており,これを21世紀における人類史発展のための主要な障害と見ているのです.
…会議(エビアン・サミット)中に行われたシラクと胡主席の会談は,二つの「多極型国際秩序」構想の対話という点で注目されました.両者は,「多極的で均衡の取れた世界,多国間協力に基づく国際システムを強く支持すること.文化的な多様性を尊重した国際的対話の重要性」で一致したと伝えられていますが,今後どのように展開されるかが期待されます.
一超多強論に始まり,一貫して中国外交の主柱となっているのはEU,ロシア,日本の三つであり,とくにフランスとの関係である.米国の一極支配への対抗軸を形成する努力は,中仏の全面的パートナーシップを基軸として展開されているといっても過言ではない.
ただし以前と違うのは,EU,あるいは仏・独の極形成にすべてをかけていたのが,多国間主義を打ち出す中でEU自立論の意義が相対化されていることである.そしてもうひとつは,急速な経済成長により中国側に持ち札が増えたことである.
欧州の極形成の可能性は,突き詰めればEUがアメリカに対抗しうるほどの力をつけていくのかという問題,アメリカに対抗するほどに両者の矛盾が発展するのかという問題に帰結する.中国はそのいずれについても「然り」と考えている.そしてその判断が多極化論の最大の根拠にもなっている.
趙駿傑(中国社会科学院)はイラク戦争後の米・欧関係を以下のごとく分析している.
仏独を中心とした「古い欧州」諸国と米国との矛盾が顕在化した.それは政治や安全,経済,社会・文化などすべての面にわたっている.EUはもうひとつの世界の形成を目指している.それは「自由で,公正かつ安定した新たな世界の柱のひとつ」(ソラナEU上級代表)となることである.
そのために欧州は,@多国間主義を強化し安定した国際秩序を形成.A大国間関係においては,平等な相互関係と共通のルール作りを重視.Bテロや“ならずもの国家”に対する単独主義的な武力干渉に反対,を基準としている.
これに対し米国のグローバル戦略は,唯一の超大国の地位を確保しようとするものである.「新しい」,「古い」欧州といった政治概念は米国がEUの独立自主を望んでいないことを示している.「大欧州」をめざすEUの構想と対立するのは必然である.
この対立の戦略的要素は,@一極論対多極論という戦略上の矛盾,A米欧が相互に承認してきた政治・文化に対する価値観と基本的な世界観の乖離,Bアメリカの自国至上主義・二重基準の押し付けによる経済摩擦の拡大,があげられる.
この対立はEUの東欧への拡大に伴い先鋭化しつつある.米国は欧州において獲得した主導的地位を放棄することはない.NATOの東欧拡大プロセスを推進することで,EUに対抗しようとしている.EUは即応部隊の再編により欧州の安全問題を主導しようとしている.このため米国がコントロールするNATOとの間に矛盾が生じつつある.
イラク戦争が始まった際,米欧政界の要人とメディアは大規模な舌戦を繰り広げた.ライス補佐官は「欧州一部では,米国が“悪の枢軸”国より危険だと考えている」と強い不快感を示し,ラムズフェルド国防長官に至っては“恥知らず”とののしった.
だがこの違いを度外れに強調してはならない.今日,米欧関係はむしろ緩和された.双方は米欧共通の利益が食い違いより大きいことをさとった.シラク大統領は,「多極化の実現は米国への挑戦ではなく米欧関係を強化することである.欧米は互いに敵視すべきではなく,改めて連合すべきだ」と指摘している.
03年11月,鳴り物入りで発表された.中国発展の道を示した文書.
益尾知佐子氏によれば,「平和的台頭論」は,「国際社会における中国の役割と姿勢を提示した,胡錦涛政権の政治構想」とされる.提唱者の鄭必堅は全国の有識者を集めて大掛かりな研究グループを立ち上げ,提案を作成したという.
柱としては@グローバリゼーションへの積極的な参加.A自主・独立の経済発展.B平和と国際協調の道,ということになっているが,正直に言えば大々的な宣伝の割には正体不明のところがある.ニュアンスからすると,多極化論者の巻き返し?のようにも思える.
阿南大使による「中国脅威論」の説明(2001年): 鄭必堅は「平和的台頭論」の狙いは,特に米国で強い中国脅威論への対応だといっている.中国脅威論については阿南大使が、大変要領よく説明している.
「中国脅威論」の多くは,中国の現実を正しく認識していないことに原因があるようですが,敢えてその根拠を考えれば,次の諸点を挙げることができましょう.
第一点は,中国の急速な経済発展,特にいくつかの産業分野で国際競争力が強化されつつあること.
第二点は軍事力の増強,即ち国防費の増加,兵器の近代化等々,将来軍事大国になるのではないかとの懸念.但し近年では,このような安全保障面での中国の脅威よりは,近隣諸国にとって経済面での手強い競争相手としての脅威の方が現実のものとなっています.
第三点は香港,マカオの祖国復帰や本年のオリンピック主催決定等の際に顕著にみられる民族主義の昂揚.
以上に加え,第四点として,中国が依然として社会主義国家として西側の国々とは思想,価値観を異にしていることに起因する漠然とした不透明感の存在も要素の一つとして指摘できます.
いずれにしても,「中国脅威論」は中国の重要性に対する認識の裏返しとも言えましょう.2004年3月の全人大における温家宝首相の報告も,多国間主義へと向かう全体の流れとはややニュアンスを異にしている.
平和と発展は依然としてこの時代の主なテーマである.世界の多極化と経済のグローバル化は曲折しながらも発展をとげており,平和と発展を目指し,協力と進歩を促進することは阻むことのできない歴史の流れである.
しかし,一国行動主義の傾向には新たな発展が見られ,局地的衝突は絶えることなく,国際テロリズムの活動が頻繁に発生し,南北の格差はさらに大きくなり,新旧の安全問題がからまり合っており,各国人民は厳しいチャレンジに直面している.
われわれは世界の多極化を促進することを堅持し,国際関係の民主化と発展方式の多様化を提唱し,経済のグローバル化によって世界各国がともに繁栄にむかうよう促進する.相互信頼,互恵,平等と協力という新たな安全意識を堅持し,覇権主義と強権政治に反対し,いかなる形のテロリズムにも反対し,引き続き公正で合理的な国際政治・経済の新秩序の構築を推し進める.
われわれは積極的に多国間の外交関係を進展させ,国連その他の国際組織,リージョナル組織において建設的な役割を果たさなければならない.
温家宝首相は,訪米中にハーバード大学で「平和的台頭論」をレクチャーしているが,鄭必堅よりはるかに具体的な内容だ.ただ最近の「人民網」のニュースを拾っていくと,多国間主義や多様性という言葉はかなり整理されているようだ.例えば温首相は8月末にこう述べている.「現在の国際情勢は大きな変化の中にある.多国間主義はグローバルな脅威と課題に対応する唯一の道だ.多国間主義を実践する主要な舞台は国連である」
また銭其深前外相は多様性についてこう語っている.「異なる文明が共存することは,国際社会が直面している新たな課題だ.世界の多様性は人類社会の基本的特徴の一つであり,世界の多様性を尊重して初めて,人類の文明が進歩できる」
6ヶ国協議問題は一項で展開するにはあまりにも多くの内容を含んでいる.「中国外交史ノート」,「ASEANと東アジア共同体構想」というふたつの論文とならべ,「朝鮮半島と北東アジアの安全保障の展望」と題するもうひとつの論文が必要であろう.
ここでは6カ国協議の歴史的位置付けをめぐる,中国の考え方を紹介する.これは今年6月,第三回6カ国会議に前後して,ソウルで開かれた安全保障フォーラムでの,郭震遠(中国国際問題研究所)の発言である.
北朝鮮の核危機は,朝鮮半島問題が北東アジアの安保問題の最も核心的なものであることを示している.この問題の「平和的解決」は,北東アジアの安保情勢に前向きな変化をもたらし,多国間安保協力機構創設の出発点となる.
6カ国協議の枠組みそのものが北東アジアの安全保障の枠組みであり,朝鮮半島問題の平和的解決の過程そのものが,すなわち北東アジアの安保協力機構の創設の過程となっている.
米・日・中・露の協力と競争関係の中で,朝鮮半島問題の平和的解決を出発点として,北東アジアにおける安保協力機構が発展していくことになるだろう.
米国も,6カ国協議の役割に注目している.ケリー次官補は7月の上院外交委員会で以下のように証言している.「各国とも6カ国協議の結末には重大な関心を抱いている.現在は核問題に焦点をあてているが,将来はそれが拡大される可能性がある」
04年8月,原水禁世界大会に出席した中国外務省の牛強は次のように発言している(赤旗報道).
(例えアメリカといえども)一国だけが自己中心的に自国の安全を保障することはできない.多国間協力なしには不可能となっている.
米国が自己の利益のみを徹底的に主張するため,国際軍縮の諸条約は効果を失いつつある.アメリカは核の相互検証を拒否している.相互検証を含む二国間軍備管理条約の締結は一切認めない.このため核軍縮は暗礁に乗り上げている
核保有国は@核兵器の完全で包括的な廃棄の約束を明確に実行する.A新型の核兵器の開発を行わない.B包括的核実験禁止条約を批准する,C核の先制不使用を明言する,などの措置をとるべきである.
1964年第一回目の核実験に際して中国が発表した声明には,先制不使用宣言のほかに次の一節がある.「核の多極化」論ともいうべきものである.現在はどう評価されているのだろうか?
彼らが持ち,あなたがたが持っていなければ,彼らはますますいばりちらす.彼らに反対する人びともまた持つようになってしまえば,彼らがそんなにいばりちらすことはなくなり,核脅迫もそれほどきき目がなくなり,核兵器の全面禁止,完全廃棄の可能性が増大するであろう.
この文章を脱稿した後,赤旗に非同盟諸国外相会議(南ア・ダーバン)の報道が掲載された.「会議が多極化推進を決議した」というのでびっくりした.早速非同盟運動サイトをあたってみると,多極化(Multipolarization)ではなく多国間主義(Multilateralism)となっている.8月20日の「人民網日本語版」は,「地球規模の問題,多国間主義こそが解決方法」と題し報じている.
第14回非同盟諸国外相会議が開催された.テーマは「21世紀の多国間主義が直面する挑戦」である.中国代表団はオブザーバーの立場で会議に出席.王毅団長が,多国間主義の発展推進や世界の多極化プロセスの促進について,中国の立場を説明した.
@多国間主義は,地球規模の問題の解決に向けた唯一の選択である.A多国間主義の発展推進のために,公正で合理的な国際政治経済の新秩序の構築,国際関係(機関)の民主化の実現,世界の多極化の促進が(三つの)必然的条件となっている.
中国が主張する多極化は,多様な力が調和よく共存し,バランスよく発展し,相互に尊重し合い,平等に話し合い,ともに国際社会の安定を維持していくものだ.発展途上国は現在,重要な勢力であり,多極化プロセスにおける重要な構成部分にならなければいけない.また国際関係(機関)の民主化は,最終的には国際政治経済の新秩序の構築によって実現されなくてはならない.
B広大な発展途上国の幅広い参加と平等な地位がなければ,多国間主義の発展はあり得ない.
中国はこれまでと同じく多国間主義の推進に力を注ぎ,発展途上国との団結と協力を強化し,世界の恒久的平和と安全,発展と繁栄の促進に向けて努力していく.
この発言では,中国外交の基軸を多国間主義に据え,その三つの条件として国政政治経済新秩序,国際機関の民主化,世界の多極化が上げられる形で,きわめてすっきりと整序された.中国政府全体としてここまですっきりしているのかどうかは,もう少しフォローする必要があるが,とりあえずの到達点と評価するべきだろう.
最近開催されたアジア政党会議で,ホストを務めた曹慶紅副主席は「歴史的責務」という言葉を強調している.かつての控えめで目立たないことを旨とする外交から,アジアの平和と発展を先頭に立って担う立場への転換を宣言したとも言える.結局,この転換こそが最大の意味を持っているのだろうと思われる.
曽慶紅国家副主席は日本共産党代表団との会見でも,「現在の中日関係はカギとなる重要な時期に差し掛かっている.中日両国の政党と政治家は,中日関係の発展に対する歴史的責任を引き受けるべきである」と語った.
いささか性急なこの提起に対し,不破議長は「両党関係が両国関係に直結するものではない.問題解決には一定の時間がかかるだろうが,やがて解決されることは世界の流れから言って間違いない.中国の皆さんにお願いしたいのは,雑音を出している部分と,国民全体とを区別してほしいということ」と応えた.
文章作成にあたっては浅井基文氏のサイトを大いに参考にさせていただきました.
残念ながら最近の情報が少ないようです.引き続きご健闘をお願いいたします.