ジェニファー・K・ハーベリ著
「エヴェラルドを探して」

Searching for Everardo

新潮文庫 1988年

 

すさまじい愛の形

 

最初の読後感はこの一言である.
一見,あまりにも特殊で,おとぎ話のような観さえ受ける.それもグリム童話のとびっきり残酷なやつだ.

ハーバード大学のロー・スクールといえば,われわれにとって雲の上のような超エリート.エスタブリッシュメントそのものである.それが,40才にもなろうという分別盛りに,10も年下の,見るからに風采の上がらない先住民ゲリラ兵士と恋に陥る,それだけでも十分スキャンダラスな話題である.(差別と言われるかも知れないが,エベラルドの写真を見たときの正直な感想である)

それが20万人を虐殺したグアテマラ軍部と正面からやり合い,さらには背後で糸を引く米国政府の心臓部である国家安全保障会議(NSC)まで詰め寄るというのだから,ほとんど信じられない世界である.

もちろん彼女のエベラルドにたいする愛情が,それを成し遂げた原動力であることは間違いない. しかしその愛情は,最初から最後まで,彼自身と彼そのものであるグアテマラ人民に向けられていたものだろうと思える. そう考えると,彼女の行動を貫く原理が見えてくるような気がする.

 

「強い女」への変身

 

読後しばらく時間を置くと,印象は違ってくる.彼女の真心に打たれる場面と,彼女は我々とは異なる人間,正確に言えば異なった世界の人間という感じが強まる.

ハーベリは強い女性である.ランボーのようでもある.彼女はどうしてそんなに強くなったか.それを彼女なりに自己分析したのが,物語の前半である.

正直言って,エベラルドとの恋の顛末を語るこの前半部分は「面白い」とは言えない.文章そのものは,裁判所に提出された訴状のおもむきがあり,ところどころにサッカリンのような甘みがつけてあるのが,とってつけたように感じられる.本人にとってはとても大切なことでも,読む方にとってはいささかくたびれるような記述が,かなり延々と続く.

これが,エベラルドの「失踪」以来,俄然変わってくる.息を継がせぬほどの緊張感で読むものをぐいぐい引き込んでいく.重苦しい事実が次々と積み上げられ,読むのが辛くなるが,読まずにはいられない.何よりも事実としての重みと,著者の毅然とした姿勢が,読むものの襟首をつかんでしまうのだ.

とくに読み終わって感じるのは,ハーベリのエベラルドへの愛情が,敵への憎しみと比例して広く深くなっていくことだ.彼女を行動に駆り立てるものが,愛情一般ではなく愛情の広がり,深まりという日々の実感であることが,読み進むにつれ納得させられる. 彼女は優しくなることによって強くなり,心を広げることによって強くなっていく.

しかし,もちろんそれだけで,彼女が三回にわたるハンガーストをやり抜く強さを,いかに獲得したかを説明することはできない.なによりも彼女の出自,血の流れを見ておかなければ片手落ちであろう.彼女の母,二人の祖母たちはいずれ劣らぬ自立心旺盛な人たちであった.

彼女はこう書いている.「わが家の女性たちは,強く,賢く,ラバのように強情で,一般社会の規範に従うことをひどく嫌った.彼女たちは,まさに同じことを私に期待した」

だが,それは事態の半面に過ぎないかもしれない.彼女は東部エスタブリッシュメントの代表であった.いわば世界を支配する一握りの一族の出身でもあった.彼女の不正を憎む気持ちにはウソ偽りはない.しかし,それがウソ偽りを徹底的に拒絶できる身分の人にのみ発想される「正義」だったことも否定はできないだろう.アジアに住む黄色人種たる我々にとって,注釈なしに共有できる「正義」とは,それはいささか異なっている.

 

眠れなくなるような恐怖感

 

この本のもう一つの特徴,ある意味でハーベリがもっとも知ってもらいたかったこと,それは「ほんとうの恐怖」だったのではないだろうか.

エベラルドの死の背後には,20万人のグアテマラ人の死がある.その死は普通の死ではない.グロテスクな死である.首を掻ききられ,生爪を剥がされ,手足をへし折られ,体中を火で焼かれ,最後に頭を叩き割られた死である.道ばたに放置され,ごみ捨て場に投げ込まれ,海岸に打ち上げられ,川の流れにただよい,ヘリコプターから突き落とされる死である.

これみよがしの死体は,人々の恐怖感を増幅させ,神経をささくれ立たせる.「恐怖」は起きていようと寝ていようと,町に居ようと山に居ようと,空気のようにまとわりついている.人々はイヤでもその恐怖と同居していかなければならない.それこそが「ほんとうの恐怖」であろう.

ハーベリの強さは,まさにその恐怖感と正面から向かい合ったところにある.女性だから安全かといえば,決してそんなことはない.米国人だから安全だということもない.この本にも登場するディアナ・オルティスがその例だ.

彼女はキリスト教関係の人権擁護団体で修道女として活動していて,軍に引っ張られた.さんざん拷問を受け,兵隊のなぶりものにされた末,国際世論の力でやっと解放された経歴を持っている.他にもそんな例はゴマンと挙げることができる.(私のホームページのグアテマラ,エルサルバドル年表を参照していただきたい)

 

卓越した情報戦略

 

ストーリーを読んでいくだけでは分かりにくいが,事情に通じている人にとっては,彼女の情報戦略の巧みさに驚かされるだろう.三回のハンストは決して自殺まがいの行為ではない.さまざまな行動を多角的・重層的に積み上げ,機が完全に熟したところで思い切って賭けに出る.それだからこそ,三回のハンストが一気に情勢を打開する武器となっているのである.

とくに第二回目のハンストは,戦術としてのハンストの見本のようなものである.それぞれの情報や証言をつきあわせ,一つの結論を引き出し,それを敵に突きつける.そしてこの論戦で圧倒的な優位を確保する.同時に熱烈な支持者だけではなく,政府・関係機関内に好意的中立ないし消極的支持の立場の人間をたくさん作っておく.そのうえでハンストという衝撃的な形態で,全世界に向け事実を暴露する.これがハンストが成功した秘訣だったのではないだろうか.

ハーベリのこの本を一度読み返して,三回のハンストを表にしてみて,どのハンストがどのように力関係を変え,何を獲得できたかを整理してみるのも面白い作業かも知れない.

 

最後に

 

ハーベリは確かに特殊な強さを持った人間である.とてもわれわれに真似ができるものではない.同時に言っておきたいのは,ハーベリほどではないにしても,アメリカ人には「ロバのように強情」で,勇敢でタフな活動家が大勢いるということである.それは,アメリカが強大な統一した政治組織を持たなかった結果でもある.

アメリカにおいて,人が民主主義を貫くことは,ハーベリの歩んだ道のごとく厳しい.50年代の「アカ攻撃」はいまだに市民のなかに深い傷あとを残している.ハーベリを生んだ国は,グアテマラやエルサルバドル,ニカラグアにおける人権侵害の真犯人であるレーガンやブッシュを大統領に選んだ国でもあるのである.

 

なおハーベリについてもっと詳しく知りたい方は,彼女のホームページを参照されたい.

http://www-personal.engin.umich.edu/~pavr/harbury/index.html    

 

追記 2001年6月

 

アメリカ週報の五月号を読んでいたら,ハーベリーとエベラルドについて新たな情報が載っていました.要約をご紹介いたします.

アムネスティ・インターナショナルと,米国人弁護士ジェニファー・ハーベリーは,記者会見をおこない,オトニエル・デラ・ロカ・メンドサに対する脅迫事件を報告した.デラ・ロカは「復讐するジャガー」と称する連中から,彼自身と彼の家族に対する死の脅迫を受けた.

彼は,米州人権裁判所(CIDH)におけるある裁判の鍵となる証人である.この裁判は,かつての民族解放ゲリラ(URNG)の戦士エフライン・バマカ・ベラスケスの失踪に関して,グアテマラ政府の責任を問うものでである.

バマカはゲリラ名をエベラルドと呼ばれていた.エベラルドは90年代初めに政府軍に捕らえられ,その後行方不明となっている.彼こそはハーベリーの夫である.デラ・ロカもURNGの戦士で,エベラルドが捕まったのと同じ時期に捕らえられ,エベラルドが拘留され,拷問されたのを目撃している.

米州人権裁判所では,すでに昨年(2000年)12月6日に最初の判決がくだされ,ハーベリー側が勝訴している.この勝利にはデラ・ロカの証言が大きな力になっていた.

デラ・ロカは97年以降,米国内で生活している.彼の妻や子供も一緒に生活している.しかし彼の前の妻,そしてその子供たちは,今もグアテマラ国内で暮らしている.そして彼らのほかにもデラ・ロカの親類や友達が,同じように脅迫を受けている.

脅迫の電話は4月20日にかかって来た.「復讐するジャガー」を名のるその男はこう語った.「お前が過去にURNGに加わっていたという過ちは許してやろう.しかし今度は,お前とお前の家族に“愛情を込めて”代償を支払ってもらわなくはならない」

この脅迫電話を逆探知したところ,テキサス州サン・アントニオのバス・ステーションにある公衆電話から,かけられたものと分かった.

テキサス州にすむハーベリーの家にも,4月8日,何者かが侵入した.賊は彼女のコンピューターだけを盗んで行った.現金にも,クレジットカードにもCDプレイヤーにも,まったく手がつけられていない.

グアテマラでは、見知らぬ男たちがデラ・ロカの先妻の家の近くに駐車し,彼女と二人の息子をみつめているところが発見されている.

ある時は、軍人の格好をした人物が、彼女の後を追って隣の家まで入り,彼女に告げた.「お前は,これからずっと連中を見つめて行くことになるだろう」

ハーベリーによれば,デラ・ロカは「なにか強烈なことがまもなく起こる」と信じこんでいる.ハーベリーは「彼を一つの実例にして,他の潜在的な証人に沈黙を守らせる.そのために彼に罰を与えようとしているのだ」と語った.

ハーベリーは,ワシントンのグアテマラ大使館(202-745-4952)などに抗議し,証人の人権を尊重し,生活に干渉しないように要請するよう呼び掛けています.