ラテンアメリカ 最近の動きをどうみるか

2005年 3月1日 
ポルトアレグレWSF総会の報告会に寄せて 

 

私は年代記のほうが専門で,最近の動きについては知る範囲ということでご勘弁願います.少し問題別に総論的に話し,その後各論として各国の状況も簡単に説明したいと思います.

 

総論

21世紀に入っての5年間,ラテンアメリカは大きく変わりつつあります.世界中の国々で,これだけの変化はないといってもよいと思います.

これを列挙すると,以下のようになると思います.

1.左翼政権のあいつぐ誕生.70年代前半、80年代前半に次ぐ,第3の民主化の波.

2.メルコスールの成長と域内経済の発展.盟主としてのブラジル.

3.ネオリベラリズムの失敗.財政破綻と社会的不公平の拡大.

4.グローバリズムの受容と、反米・反IMF感情を背景とする多国間主義の広がり。

5.農民・先住民運動の発展と先鋭化.その特殊状況としてのコロンビア.

ラテンアメリカといっても20数カ国にのぼり、一口でまとめることはできません。しかし、基本的な構図が共通しているところがあります。

軍事 リオ条約体制と軍事的対米従属。したがって、民衆の間に民族主義の志向。

南北アメリカのほとんどの国は、戦後まもなく作られたリオ条約に加盟しています。これは日米安保条約の雛型ともなった軍事同盟です。各国の軍事システムはこの条約に縛られ、リオ条約から離脱するには南北アメリカ諸国との軍事的対立を覚悟しなければなりません。

国家の権威は、つまるところその強制力である武力に由来しますが、その武力がリオ条約を通じて米国に掌握されていることは、国民の自尊心をいたく傷つけます。

これまで何回も、ラテンアメリカの進歩的・民主的運動は銃剣と軍靴により踏みにじられてきました。それらのほとんどが、米国の差し金であったことはなかば常識となっています。国家の軍隊は、自らの存在を守るためには、自らの政府よりも米国の意向に沿わざるを得ないという側面を持っています。軍隊は武器があっての軍隊ですが、その武器・装備・システムはすべて米国製だからです。

したがって政府と米国とのあいだが対立すれば、軍の中核部分は反政府の側に回るのが当たり前になっています。

経済 対米依存と資源輸出型経済。したがって自立型工業化社会への強い願望。

すでに19世紀後半から中米・カリブ諸国への米国資本の進出が始まりました。最初はプランテーションなど商品作物の分野に限られていましたが、1960年代から、生産・消費の全分野にわたり米国資本の支配が圧倒的になりました。

これにはいろいろな理由がありますが、なかでも開発問題が大きく作用しています。このころ中南米諸国は農業一本やりの産業構成では、米国への従属と貧困化を強めるばかりで、将来がないことに気づき、工業化による自立を目指しました。

ところが、新たに事業を起こすために先進国に借金し、その支払いに農産物売却代金を当てるという仕組みのため、むしろ換金作物の生産にドライブをかけなければならないという皮肉な結果になります。

輸出用農産物といえば、砂糖にコーヒー、バナナと相場が決まっています。これらの限られた作物をみんなが争って作れば、当然価格は暴落します。低下した価格に引き合う生産性を維持するためには、機械化・省力化が必要です。それはほんの一握りの勝ち組と、多くの負け組、さらに失業者の大群を作り出します。

さらに先進国に農産物を買ってもらおうとなれば、自国の市場も開放しなければなりません。そうなると、せっかく育てた国内産業はひとたまりもなく破産してしまいます。

そもそも自立的工業化社会を目指して始めて発展計画が、どうして対米従属の強化と借金、貧困、失業者という逆の結果を生んでしまったのか? 当然、そういう反省が起こります。その「計画」は、結局形だけ「発展計画」に似せた多国籍資本の経済侵略ではなかったのか? という疑問も生じます。

国民生活の全般的向上と就業機会の増加のためには、工業化が必須の課題です。それは今も変わりありません。だから、60年代以降の反省の上に立って、自立した工業化への新たな試みが始められなくてはなりません。それが今のラテンアメリカの動きの底流にあるのだろうと思います。

対外債務の問題に典型的に示された金融面における従属も重大ですが、煩雑になるのでここでは触れません。

政治 米国従属と暴力志向。したがって平和と人権尊重、公明正大な民主政治への願望。

このような軍事体制と経済システムの狭間で揺れ動くのが、ラテンアメリカの政治構造ということでした。

60年代

ナショナリズムの高揚。左翼勢力の進出。

キューバ、チリ

70年代

軍事政権の登場と失敗。人権抑圧と民主主義破壊。

ブラジル、チリ、アルゼンチン、ペルー

80年代

民主化と軍事政権時代の対外債務の重圧

ニカラグアなど中米諸国、アルゼンチン

90年代

ネオリベラリズムの実行と失敗

メキシコ、ペルー、アルゼンチン、

00年代

政治的自立・多国間主義と持続的発展

ベネズエラ、ブラジル、アルゼンチン

この対決軸が変化してきているのが、最近の特徴です。

かつてラテンアメリカの政治を牛耳った二つの勢力がありました。ひとつは大地主や商工業者を中核とする支配層です。そしてもうひとつが軍部です。これらのうち軍部は、新自由主義政策の失敗から、80年代までに勢いを失いました。残された旧体制派も、債務問題でIM路線を忠実に守った結果、国内経済に決定的なダメージを与え、いわば政権を投げ出した状態にあります。

総じていえば、ラテンアメリカは一種の権力の空白状態にあり、これにかわり、これまで抑圧されてきた旧左翼、土地なし農民(多くは先住民と重なる)、無党派の良心的知識人が政治の現場に躍り出してきています。

民族主義左翼勢力のめざすものは世界社会フォーラムの目標と一致している

安全保障面では、軍部やアメリカとの直接対決ではなく、国際間のルールにのっとった解決です。これは多国間主義(マルティラテラリズム)と呼ばれます。以前は国連中心主義と呼ばれましたが、それだけではなく、グローバリズムの進行に伴って生まれた、多くの国際機関や取り決めの枠全体を共通のルールとしていくことです。

経済的には、市場経済を受け入れた上で、地域間連携を通じてアメリカに頼らない持続的発展の実現を目指す道です。とくに米国が主唱する米州自由貿易市場(FTAA)に対抗するものとして、メルコスールを中核に打ち出された南米共同市場構想は、その鍵を握っています。

政治的には、国民の安定した支持を背景に、合法的な手段で民族自決と民主主義を確立する道です。かつてアジェンデがチリ大統領に当選したとき、得票率は40%未満でした。いわば保守層の分裂に乗じた勝利だったのですが、最近の選挙では、ベネズエラ、ブラジル、ウルグアイのいずれをとっても、過半数を上回る圧倒的勝利です。

それは、民族主義左翼勢力の訴え続けてきた自主的発展の道が、いまや国民の大多数から、発展のための唯一の道として認められていることの証明です。

もうひとつ、蛇足をあえて付言すれば、

文化的には自立・自決の精神、公正と清潔、ルール重視の精神の尊重です。これまでラテンアメリカの政治に、ともすれば付きまとっていた、前近代的な人間関係や慣行からの脱却です。ルーラを当選させた2002年のブラジル総選挙は、また左右を問わず、旧来の大物政治家を大量に落選させた選挙でもありました。

 


各論

中南米30カ国のお国めぐりをしても始まらないので、典型となっている三つの国について、三つのパターンの代表として簡単に紹介します。

パターン1 ベネズエラ型(対決型) 

革命のスタイルとしては、民族解放=社会主義革命に最も近いといえます。非常になじみやすく、わかりやすい闘いです。キューバやニカラグアを髣髴とさせる古典的変革です。

主要な階級的基盤は都市貧困層です。その強さは02年4月のクーデターを跳ね返したことで立証されました。カラカス市民(カラケーニョス)の強さは、58年にヒメネス独裁を倒したときからの伝統といえるでしょう。もちろん、200年前にラテンアメリカで初めて、スペインからの独立を掲げ、革命政府を立ち上げたことを忘れてはなりません。

チャベス政権の成立は、一種のブーム現象でした。政権当初の数年間はチャベスのカリスマ的魅力によるイニシアチブが、改革の推進力でした。米国はこれを軍人出身者によるポプリスモ政治、カウディージョ政権と見ていたようです。

しかし、政府が石油など既存利権に手を出し始めたことから、関係は一気に悪化します。アフガン戦争さなかの01年11月、チャベスはアフガン侵略を非難する演説をぶちました。これに激怒したブッシュは国家安全保障会議を召集。3日間にわたりベネズエラ問題を集中討議しました.このときの会議でクーデターにいたる計画が決められてと見て間違いないでしょう。

確証はありませんが、その後の経過がはっきり物語っています。そのプロットはチリのクーデターのときと瓜二つです。クーデターの引き金となった銃の乱射は、ダラスのケネディ暗殺作戦を彷彿とさせます。

クーデター失敗のあとも、02年12月からの2ヶ月にわたる資本家スト、国民投票を要求する挑発デモや暴動が続きますが、昨年8月の国民投票により一定の終止符が打たれました。

このようにベネズエラ革命は、三波にわたる激突を通じ、米国との正面対決、左右両派の全面的な政治対決となっています。今後の革命の前進には特別な困難が予想されます。

最大の問題は、極限まで高まった右派との対立を和らげ和解に向かうための方策です。キューバの場合は多くの人々が米国に逃れて行きましたが、ベネズエラではそうは行かないでしょう。緊張の火種が残る限り、国内の安定は難しいと思います。

米国との軍事的決別にともない、軍備をどう構築するかも、今後深刻な問題となる可能性があります。リオ条約を遵守するのであれば、コスタリカのような非武装路線もありえますが、CIAや国内の陰謀に対処するためには、自前の軍事力を強化することが死活的に重要です。

このような困難もありますが、いっぽうでベネズエラには、決定的な利点があります。

第一に、ゆるぎない政権の合法性です。この政権の成立過程は、選挙での圧倒的多数確保による平和的移行です。しかもその合法性が国民投票であらためて確認されています。

第二に、ベネズエラはほかのラテンアメリカ諸国と異なり、累積債務に苦しむ最貧国ではなく、豊かな石油資源を背景に持つ黒字国であることです。多くの民衆が貧困線以下に置かれてきたのは、支配者が富をむさぼってきたからにほかなりません。

国営石油会社のストライキのとき、チャベス政権は自力で操業を再開しました。それまで5万人の社員を擁していた会社が、その半分の人数でしっかり運営され、ストライキ前を上回る生産量を実現するに至っています。荒っぽくいえば、社員のうち半分は、何の役にも立たない無為徒食の高給取りだったことになります。

第三に、ベネズエラは孤立せず、ほかのラテンアメリカ諸国の支持を当てにできることです。これはキューバ、チリとの大きな違いです。象徴的な出来事がストライキのさなかに起こりました。ストライキによる石油欠乏で苦しむベネズエラに対し、ブラジルがガソリンを輸出したのです。

この決断を下したのはカルドーゾ前政権ですが、ルーラ大統領はさらに積極的に「ベネズエラの友」グループを結成し、支援に乗り出しました。「何故,ベネズエラ危機解決に力をいれるか」と質問されたルーラは,「チャベス大統領が倒されれば,明日は私の番であり,続いてアルゼンチン,チリに及ぶだろう」と答えています.

 

パターン2 ブラジル型(合意型)

ベネズエラのわかりやすさに比べると、ブラジルのルーラ政権はきわめて慎重です。国内では政治の清潔化に的を絞っているようです。財政政策は前政権のマネタリスムをそのまま踏襲し、きびしい緊縮型財政を続けています。これについてはルーラ当選を支持した革新勢力の中からもずいぶん不満が出ています。

しかしこれについては、財政の安全を守る上でやむをえない側面があります。小康を保っているとはいえ、ブラジルの債務事情はアルゼンチンにも劣らないほど厳しいものがあります。

大統領選挙の過程で、ルーラが優勢になったとたん、海外投資家は通貨レアルを売り浴びせました。それは革新政府の実現は許さないぞという多国籍資本の脅迫でした。しかし同時にブラジルの経済が破綻すれば、南米全体がガタガタになります。そのことは南北アメリカを最大の市場とする米国にとっても好ましいことではありません。

その結果、ギリギリのところでIMFが「救済」に乗り出しました。そのかわりにルーラをふくめたすべての大統領候補が、財政再建を最優先課題とすることを約束させられたのです。つまりルーラ政権は財政政策については、発足当初からがんじがらめに縛られているわけです。

財政に手がつけられない以上、選択の幅は支出抑制策にあります。ルーラ政権のやろうとしていることは、公務員年金の削減、国家予算に群がる利権政治家の排除、そして軍事予算の削減です。それは行政機構のクリ−ンアップにつながる民主主義的課題でもあります。日本で公務員というと、我々と同じ労働者というイメージですが、ブラジルにおいては特権層ととられているようです。

ルーラは選挙を通じて権力を獲得しましたが、支配層の力は依然としてきわめて強大です。軍政時代が長く、南米で最も民主化の遅れた国のひとつでもあります。警察やギャングによる暴力が依然はびこり、軍事独裁時代の人権侵害についてもほとんど追及されていません。

政治改革の前途は極めて厳しいものがありますが、そのことでルーラ政権を過小評価するのも間違いです。中南米諸国にとっては、ブラジル革新政権が存在すること自体が最大の貢献なのです。

2003年度、ブラジルは農業輸出の好調に支えられ、5%以上の経済成長を実現しました。各国の自立的発展と地域経済の形成は、ブラジルがいかに安定した成長を続けるかにかかっています。

 

パターン3 アルゼンチン型(開き直り型)

アルゼンチンの場合は、ある意味でさらに根底的です。キルチネルはもともと与党正義党の候補であり、権力の移動を伴わない政策変更です。すなわち権力そのものがひっくり返ってしまったともいえます。キルチネル政権は選挙で選ばれた正統な政権ですが、歴史的には財政再建と債務返還を任務とする暫定的性格をもっています。

総論のところで載せた表をもう一度見てください。70年代から今日までの変化を大づかみにした表ですが、そのことごとくにアルゼンチンの名前が挙がります。つまりアルゼンチンほど変化の振幅が大きく揺れ動いた国は、他にはないということです。

70年代初め、コルドバソと呼ばれる暴動を機に、ペロンの復帰までアルゼンチンは左に大きく揺れます。その後は南米史上最悪の軍事独裁がやってきます。それがフォークランド戦争の惨めな敗北により瓦解すると、民政に復帰します。しかしこの中道左派政権は空前のインフレを前にもろくも崩壊します。代わって登場したメネム政権は、ちぎれるほど尻尾を振って米国に擦り寄ります。

ペソをドルと連動させるペグ政策により、かろうじてインフレを克服することに成功しますが、その代償は大きいものでした。電気・ガス・水道から電話・航空にいたるまで、売れるものは何でも売りつくしてしまいました。そして売るものが何もなくなったとき、国家そのものが瓦解していきました。

IMFは、メネム政権の経済政策を支えたカバージョ経済相を、ネオリベラリズムの申し子として誉めそやしました。いよいよ国家が崩壊するという2001年10月22日、ニューヨークのIMF本部を訪れたカバージョは、「面会予定がない」との理由で門前払いを食いました。それはカノッサの屈辱にも比すべき国家的屈辱でした。その直後アルゼンチン政府は朽木が倒れるごとく崩壊したのです。

IMFを事実上仕切っているのは米財務省です。財務長官オニールはこう言い放ちました。「アルゼンチンの人々は70年以上もこうした時々の危機にさらされてきた.彼らには語るに足る輸出産業もない.彼らは好きでこうしているのだ.誰が強制したわけでもない」

さらに、アルゼンチンが世銀の支援を得てようやく再建に乗り出そうとした2002年3月、ブッシュ大統領は「IMFの援助再開はいかなる形でも反対」と追い討ちを浴びせました。

現在もIMFはアルゼンチンに「援助」を与え続けています。その援助とは何か、償還期限のきた債務を肩代わりすることです。つまり1億円の借金の支払期限が来たら1億円を援助し、それをIMFに振り込ませるのです。これをIMFは「援助」と称しているのです。

2001年をもって、アルゼンチンは一度死にました。瀕死の病人の布団を剥いで持っていくようなIMFに殺されたのです。

貧困階級は軍政時代前の6%から63%へ、国民の24%は日に1ドルの極貧生活.インフレ率は41%,必需食料品は1年間で70%の値上り.ブエノスアイレス郊外では,住民が牛肉の代わりにカエル,猫や馬車馬の肉を食べて飢えを忍んでいると報道されました.国家が死ぬというのはそういうことです。

アメリカの側から見ても、あれこれの政府ではなく、ひとつの国家そのものを見殺しにするというのは初めての経験でした。ある意味で、それは建国以来のモンロー・ドクトリン(南北アメリカは米国が責任を持って支配するという「原則」)の放棄にもつながるものでした。

03年5月大統領に就任したキルチネルは、こう語ります。

私の夢はアルゼンチンを普通の国へ戻すことである.公共投資によって景気を回復させ,雇用を創出し,貧困問題を解決し、社会的不正義の撤廃と汚職の一掃に取り組む.メルコスルを強化し,ラテンアメリカ諸国が社会正義に基づく安定的な繁栄を実現するよう連帯する. 

悲劇と災害を招いたIMFの処方を受け入れる愚は二度と繰り返さない.国民の飢餓と貧困という犠牲を払ってまで債務を支払うつもりはない.

キルチネル政権の経済政策には捨て身の迫力があります。一種の「凶暴性」さえ感じさせます。「煮て食おうと焼いて食おうと好きにしてくれ」と啖呵を切っているようです。「リメンバー・2001年12月・ブエノスアイレス!」 おそらくそれはキルチネルだけではなくアルゼンチン国民の、そしてラテンアメリカ人民の共通した思いでしょう。

補足 マクロ金融政策について

北海道AALAの2000年度総会の情勢報告で、下記のように述べています。金融問題を考える上での参考になると思いますので再録します。興味のある方は、http://ha6.seikyou.ne.jp/home/AALA-HOKKAIDO/jousei/2000soron.htm#「金融グローバリゼーションの行方」をご参照ください。

 ところでマネタリズム経済学の代表であるフリードマンに言わせれば,国際通貨システムに参加するため,おのおのの国家にとって三つの守るべき原則があるそうです.

(1) 国家間における資本移動の自由の保証: 資本が自由に移動できれば,より利潤率の高い発展途上国に資金が流れていく.

(2) 為替相場の(相対的)安定: 為替リスクがなくなることで,モノ作りの意欲が亢進する.

(3) 金利や通貨供給量などの決定権: 自国経済を順調にコントロールし,安定的に発展させるため不可欠の機能.

 だが、(1)から(3)までのうち、2つを同時に満たすことはできるが、3つとも満たす通貨モデルは理論的に不可能だといわれます.

 こう書くとひどく難しそうですが,(3)を前提にすれば理屈は比較的簡単です.国家としての自立性を保ったまま,資本の自由を無制限に認めれば,為替はめちゃくちゃになりますよ.それがいやなら,鎖国とは言わないまでも資本の自由な移動に一定の制限を設けるしかありませんよ,ということです.

  ここでアルゼンチンが選んだのは、(3)を放棄して、(1)と(2)を両立させる方法でした。すなわちドラリザシオンです。うまく行っているあいだはドル化政策もそれなりに機能しますが、それが財政の硬直化とデフレ・スパイラル、ペソの過大評価と金利上昇に行き着くことは一目瞭然です。ブラジルも金利の決定権を事実上放棄した形になっており、アルゼンチンと同じ性格のリスクを負っているといえるでしょう。

 IMFが強制している手法もこれと同じです。フリードマンすら「不可欠の機能」としている、金利や通貨供給量の決定権を放棄するよう迫っているのです。IMFはこの手法の強制を、グローバリゼーションと称しているに過ぎません。これではいったん国家が存亡の危機を迎えれば、その崩壊していく過程を拱手傍観するしかありません。

 


展望

T.ベネズエラを軸に政治は動く、

ラテンアメリカの今後の展望ですが、ベネズエラの動向を抜きにして語ることはできないでしょう。ベネズエラの左右対決を軸に、一方に米国、他方にブラジルをはじめとする南米諸国という枠組みで情勢を分析する視点が必要です。

その理由は、まず第一に米国との対立軸がもっとも明確だからです。米国の攻撃もベネズエラに集中しています。クーデター・ゼネスト・国民投票という攻撃が失敗した後、現在は多少鳴りを潜めてはいますが、世界石油戦略が背景にある以上、米国は必ず動き出します。

第二に、清潔な政治と自立的経済の発展を目指す政府に対し、国民の支持基盤がもっとも厚いからです。マスコミがすべて反政府系に握られ、連日反チャベス宣伝が垂れ流されている国で、国民投票で6割を獲得する組織力というのは驚異的です。

第三に、反チャベス勢力も三度にわたり政権を揺るがすほどに強力な力を持っていることです。そこには旧共産党系勢力も含まれています。とくにマスメディアを握っているということは、政権に対してボディーブローを連打できるということです。

この三つの力がぶつかり合う中で、ベネズエラの政治戦が展開されていくことになります。さらにこれに付随して、隣国コロンビアとの関係、FARCやELNなどゲリラとの関係、アンデス山中に分布する先住民組織との関係なども情勢に影響してくるでしょう。

もうひとつ老婆心ながら気になるのが、チャベスが一言多いこと。もはやチャベスの個人人気に頼って政策を展開する時代は終わったのだから、もう少し組織的に動いてくれないと困ります。とくにこれから国内での政治的和解が決定的に課題になっているだけに、余計痛感します。

U.ラテンアメリカ諸国はどう動くか

メキシコはおそらく数年のうちに進歩政党であるPRDが政権の座に近づくでしょう。PRDは、それ自体が元共産党から元PRI反主流派まで含む幅広い統一戦線政党ですが、PRIやPANとの競り合いの中で、発足当初に比べ革新色を強めているといえます。

PRDが政権をとった場合、経済の発展段階から考えても、ブラジル型のパターンをとることになるでしょう。しかし、米国の干渉は格段に厳しいものとなるでしょう。NAFTAからの脱退という政策選択は不可能に近いと思います。

米国との関係見直しという民族主義的課題よりも、公正と清潔、ルール重視、言行一致という「非メキシコ的」政府が登場することの意義が、当面は大きいと思います。軍・連邦警察・国営石油公社(PEMEX)の改革に成功するかどうかが最大の注目点となるでしょう。

エルサルバドルのFMLN、ニカラグアのサンディニスタもいずれ政権を獲得する可能性があります。ただしこれら小国政権の安定性は米国の出方と大きくかかわっています。

南米においてはベネズエラ、ブラジル、アルゼンチン三国の、同盟関係の強化に未来が託されることになるでしょう。とくに盟主ブラジルの金融・財政上の安定が不可欠の条件となるでしょう。ボリビア・エクアドル・パラグアイの改革が中折れ状態にあるのも、ネオリベラリズムに代わる新たな世界に確信がもてないでいるからです。

三国枢軸がその権威を確固たるものとすれば、これらの国もウルグアイに続いて雪崩を打って、この米国抜きの共同体に加わるようになるでしょう。それはただちに中米・カリブ諸国へも波及していくでしょう。アルゼンチンを冷たく突き放したあの一言が、アメリカ自らの身に降りかかることになるでしょう。

80年代初頭、レーガンが憂慮した反米ドミノが、あの時とはまったく別の形で実現する可能性があります。アメリカの強さの秘密であった南北アメリカ大陸における覇権がついえ去るとき、さしものアメリカ帝国主義にも斜陽の影が差し始めるでしょう。