ぶらり早川

石橋山古戦場跡の桜

遠 州 屋 薬 局

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    平野 正



 平成15年3月30日
                 早川観音の枝垂れ桜
天気予報で桜の開花が報道されるようになった。
靖国神社でも桜が開花し都内の開花は3月28日になった。開花とは花が開いた事で見頃に
は一週間はかかる。

幕山梅林と吉野梅郷の黒潮流れる海辺と内陸では2週間の差は有ったので以前桜の花吹雪
に感激した東海道線「早川」ではひょっとしたらあの桜が見頃ではないかと散歩に行く事にした。
早川観音の枝垂れ桜の鮮やかな記憶と海沿いは暖かいのでひょっとしたらとの期待と石橋山
古戦場跡へも行ってみたいとの思いからだ。

前回其処を通った時は箱根の入生田で長興山紹太寺の枝垂れ桜の大木を見てから秀吉の
一夜城で有名な石垣山を越え早川に行った。
表示に観音様の2.4Km先に源頼朝の旗揚げの戦の所「石橋山」があるのを知ったが疲労の為
行かなかった。
今日は頼朝、緒戦の地石橋山に行って後石垣山から箱根登山鉄道「風祭駅」に出ることにした。
風祭に出るのはいつも電車から見ているだけの地ビールの看板のあるビール蔵で生ビールを飲
む為である。
おおいに汗した後では地ビールの生は大変うまかった。
母親の口癖をまねする次女に一杯で止めといたらと静止されながら三杯飲んだ。

ほろ酔い加減での帰りの電車は春の花鳥と海、空の残照でまさに夢心地であった。
早川観音から海と山に挟まれ湯河原方面に行く高速道路沿いを石橋山に向かった。
現在は湘南地方の丘陵地帯と同じくみかん畑になっている。
石橋山古戦場跡の立て札が無ければ歴史の転機(以後太平洋戦争終結までの武家政治
の始まりとなる。)になった所とは解らない。
しかし思い込みが感慨を呼ぶ。
佐奈田与一なる武士が敵将を組み伏せたが血糊の付いた脇差が抜けなくて首を取れ
ないでいるうちに敵の助っ人に討たれてしまったと言う話が残っている。その場所は佐奈田
霊社となっている。
頼朝軍300敵は3000であった。

             佐奈田霊社

           佐奈田霊社
石橋山で破れた頼朝は真鶴から海路房総に逃れるが下総、上総の豪族に助けられ
館山から東京湾沿いに北上し鎌倉に幕府を開き終に平家を滅ぼす。

房総への渡航は動力が無い時代、船を漕ぎ続け二〜三日は懸かったろう。資料によるとかなりの沖合いを
通ったと推測している。相模湾沿岸は平家の支配下にあり又潮流が時間ごとに変わり良い潮流を待つ必要
があった。
そこで沖合いの海流に乗るのが一番早くて安全だった。

今日は穏やかな天気とやはり海沿いは暖かく桜は満開に近く、道端の野草も種々咲いて春爛漫だった。
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