秋 の 江 戸 川                        
  















   ミゾソバ

 遠 州 屋 薬 局

 
平 野   正  
                                                        15年8月10日  写真は10月1日まで追加しました。 

                                                                                                                           
8月8日から早朝に江戸川を歩いている。
年齢がそうさせているのか5時には眼が醒めてしまう。
8月10日は日曜なのでジョギングしたりウォーキングをしている人が多い。
若い人が多いが老人もかなりいる。
昨日、日本列島を縦断した台風10号は水源の群馬方面に雨を大量に降らせなかったのか水量(かさ)は余り増えていない。。
背の高さ位の雑草(後一月もすると一面のススキに変わるのでススキか?)が満つに生えている。
其の雑草のため川原からは水面も対岸も見えないが埼玉側から上手い尺八が聞こえてくる。
尺八の音に天保水滸伝を想った。
つい最近まで建物が残っていた平潟の遊郭には平手造酒の刀傷跡が柱に有ったと言う。
江戸時代将軍家の鹿狩が小金原であり、江戸から大勢の見物人が来て平潟遊郭は対応できない客数に大混乱だった。例えに女郎8人に100人の泊り客と言っている。

現在はラーメンに行列をつくり江戸時代は女郎買いに徹夜で行列をした。我慢強い国民性である。

将軍吉宗の時、狩の獲物は鹿826疋、猪5疋、狼1疋等相当の数が獲れたという。
吉宗は捕獲したうちの数百疋の鹿を逃がしたと言う。

また小金牧と称し野馬を放牧していた。良馬が育ちさる大名がその良馬で浅草〜鎌倉間を2往復し宝井馬琴が本に書き、更にその他5匹の馬が鎌倉往復をし小金牧は有名になり江戸落語界に小金牧にちなみ金原亭馬生の芸名がうまれたと昔、読んだ事がある。

また江戸時代は江戸川の舟運は盛んで米、栃木の材木、銚子の魚等が利根川から江戸川経由で江戸に運ばれていた。
夜の舟遊びも賑わい屋形船に酒、肴を商う小船も流行ったという。

小生が子供のころの昭和20年代は砂、汚わいを積んだポンポン蒸気が行きかっていた。
現在はレジャーのウォーターバイクだけが川を滑っている。

土手の雑草は6月に刈られてしまい残った野草は春4月の草が季節感もなく残っている。
春には天を衝く勢いのあったヘラオオバコが細く弱弱しい。

寂しさをさそう秋ならではの植物も多くなってきた。待宵草、カヤ、クサネムと
えのころ草、メドハギ。

ハギの一種が江戸川にもあった。

9月も下旬ともなるとコスモスも満開になりススキも美しい。

10月1日には100羽はいるだろうと思える鵜の大群に会った。

参考図書 渡辺幸三郎著「松戸の魅力を探る講義録」
         あかばなゆうげしょう                のげし
           せいたかあわだちそう           はまはなせんぶり  
                たかさぶろう             ひがんばな
               こあかざ              めがるかや
             おがるかや            しますずめのひえ
               く  こ            ちからしば
             つるまめ                           ほうきぎく
            のらにんじん              あれちまつよいぐさ
               やはずそう           べにしじみ蝶の♀
     きんしばい(古ヶ崎の花畑の垣になっている)
              あれちのぎく 
            こせんだんぐさ               くさねむ
             めどはぎ            けありたそう
             うんらん              ぶたくさ
             ひめじそ                ススキ
           やまとしじみ蝶                 おおにしきそう
           あめりかせんだんぐさ              いぬたで(あかまんま)

春の江戸川

戸川ノスタルジア

江戸川の鵜                                                          戻る