|
|
|
あかやしお |
春になると散歩は街から野山に変わる。
日光へは度々行く。 五月の初め、木々が芽吹き出した人一人いない西ノ湖は神秘的だった。湖水の青さ、周囲の緑、そして静寂・・・小さな湖だが感動だった。
夏の終わりに湯の湖から戦場ケ原を通り、竜頭の滝に出た時は、高い澄んだ青空と太郎山と男体山を仰ぎながら、戦場ヶ原の湿地を木道で渡る景色には感じ入った。
三月に雪がちらつく中、今市から巨大な杉並木を歩き、今市の街中で滝尾神社の末社に詣でた。 社の前に紅白の梅が咲きはじめていた。健気にも、寒さの中ミゾレに濡れて花を付けていた。
杉並木の杉一本一本に企業の名前、個人の名前が付けられ、並木の保護対策のスポンサーになっているようだ。 並木が散策路から、突然車道になったりする変化に富んだ道を歩く内に東武日光駅に出た。 東照宮方面へだらだら坂を登る。雪模様で人出もなかったので、何時もは買えない時間なのに菱屋の羊羹が買えた。
大谷川を渡り、山の雪を踏みしめ、「古日光」と呼ばれる東照宮以前の信仰地に入る。 石段も整備されているが隣の東照宮の様ではない。鳥居の穴に石を投げ、輪の中に留まると良いことがあると言うので、石を三個投げたが、一個載ったので良しとした。
雪の積もった滝尾神社本社は神秘的だったが、拝殿裏の雪をかぶった三本の巨大な杉の御神体は、旧い信仰の形式を現しており、より神々しい。
五月に竜頭の滝から小田代ヶ原経由で、千手が浜に行き、ここで散りかけの山桜を見た。 林の中にポツリポツリと4、5本あり、背が高く、上のほうに控えめな小さな花をつけ、若々しい茶色の葉も良く釣り合っていた。染井吉野のように木全体が花であるのとは違う。 山の人のいない所で、寂しいほどの花の数だが、それよりほんの少し多い葉数が、花と調和しているのも風情があった。 中禅寺湖の湖畔の所々、険しい道を千手が浜から竜頭の滝に戻る途中、ムラサキヤシオとシロヤシオを見た。 其の時以来、ムラサキヤシオの花色が好きになった。 紫のツツジはミツバツツジとミヤマキリシマを知っているがムラサキヤシオは感じが違う。花びらが柔らかく、頼りなさが気を引き付けるのだろう。
イロハ坂をバスで登っている時、断崖絶壁でムラサキ色を見つけると、すぐムラサキヤシオではないかと凝視し、それとわかって感激した事もある。
|
|
|
鳴虫山のアカヤシオ(撮影/平野誠子) |
|
|
|
鳴虫山登山口 鳴虫山 |
つつじはムラサキヤシオが一番好きだと思っていた。 花は見頃の一週間を外してしまうと感激がうすい。 鳴虫山のアカヤシオとの感激の出会いには三度の登山が必要だった。 最初の年は花情報をどう入手するか知らず、六月に漠然と行ったのだが、若葉だけがきれいなだけで、花は何もなく、鳴虫山はなんと殺風景なところかと思ったものだ。登りも急で、特に含満ケ淵へ下るのは木に捕まりながら落ちるように下りてきた事だけが記憶にある。
二度目は、朝日新聞の木曜日の夕刊に連載の、ハイク&ウォーク情報を見て行った。 麓からつつじの葉ではないかと思える、小さな長刀状の葉が上向きに付いた木が山道の脇にあり、蕾はなく、また外したかな、と考えていたら、頂上付近にアカヤシオが満開に近く咲いていて、山道にはカタクリが踏みそうになるくらい咲いていた。 しかしどちらも感激するほどの色合いではなかった。新聞に投稿した人は一週間位前に行っているのだろう。
|
|
|
|
あかやしおつつじ |
|
|
戦場ヶ原 |
|
|
|
カタクリ |
|
|
三度目は三年おいて今まででは一番早い四月の五週だった。 鳴虫山は東武日光駅から歩いて行ける。 駅から直進すると川にぶつかる。 川に沿い右に進む道端では、桜が満開を過ぎたくらいだ。 桜が沢山残っている事はアカヤシオも若い花を付けているだろう。 前回登山の反省のおかげで、今回はグットタイミングではないかと期待に膨らむ。 鳴虫山への立て札に従い進む。登山口から若葉が萌えきれいだが、なかなか花に出会えない。 今までの経験で、ある程度は登らないと見られないと解っているが、とうとう中腹の神主山(こうのすやま)に着いてしまった。 ここは展望が利き、男体山、女峰山、赤薙山の残雪がまぶしく遠望出来る。 そろそろ見られるのではないかと思いながら急登を続けると、ついに、2m位の木のてっぺんに、ピンクの羽を付けた何匹もの紋白蝶がとまっている様にアカヤシオが見えた。
カタクリ |
|
|
|
|
|
ムラサキヤシオ (撮影/平野正) |
|
よく見ると葉はなく花だけが細い幹の上の方に賑やかに付いている。 真に変わった花だ。 今回のピンクは感激する色合いである。その後、右側の日の当たる斜面に次々と現れてくる。 しっとり濡れた感じで、また陽光に透かされて輝いている。
さらに登ると、其処にも此処にも鮮やかなピンクの花を木の最上位に付けたアカヤシオが見られる。 急登の途中で地面に目むけるとカタクリが可憐な花を見せる。 此処のカタクリはピンクより青紫が勝っていて地味だ。でも風に揺れている様は愛らしい。 アカヤシオは斜面に沿って中空に群生し、カタクリはカタクリで地面にしっかりくっ付いて、ともに咲き揃っている。こんないい気分はない。
その場所で枯れ木に腰掛け、更に陽光一杯の青空と神主山で見た山々を正面に遠望し昼食を取った。 日の光は花、景色を一段と引き立たせる。 我が師は人間社会(六合)を離れ、仙人社会に住んでいる自覚で七合・・・と言う随筆を書いているが、おそらくこの気分なのだろうが、こちらは俗人。いつもの様に食べ終わると七合の気分に浸る間もなく、直ぐに出発進行する。 なにかに急かされているような気持ちは何処へ行っても無くならない。損な性格だ。
アカヤシオは、ぬーっと幹があり、途中葉はなく、木の上の方に枝があり、枝に一つずつ花がつく。 花が咲いている間、葉はでない。不思議な花である。しかし此花の色には感激した。
急な下りを木につかまりながら下りる。下をむいている間はカタクリが、上を向くとアカヤシオ。こんなに堪能して良いのだろうかと思う。 春は戸外に出て草木を楽しみたい。
含満ケ淵に下りると、大谷川の急流が大岩にぶつかりながら、白い飛沫を上げている。 豊富な水量の流れは引き込まれるようだ。 対岸には東大の植物園があり沢山の種類の桜が咲いている。
|
アカヤシオ撮影平野誠子 |
|
|
|
|
|
|
今年も日暮里、上野、小石川の都会の桜。箱根の山桜、そして日光の一月後れの染井吉野と三度の花見ができたが、今日の桜は付録に感じた。
足を丈夫にしておけば、生命力の旺盛な自然に何度も会える。 含満ケ淵の化け地蔵を見ながら、続く公園で満開の桜の下を通る。 大谷川を渡り山を振り返ると、頂上の方にアカヤシオが一塊、また一塊・・・・・感慨を新たにする。
西参道を通り越し、車も人も多く通行している神橋の直ぐ隣の日光橋を渡る。 橋のたもとには太郎杉と呼ばれる大きな杉が、排ガスをまともに浴びながら何百年と生きている。その生命力に感歎する。
橋を渡った直ぐの、お土産店の横にある家康、秀忠、家光が帰依し、幕府の機密の政務を司った僧、天海の像を見て東武日光駅に向かう。 以前そばを食べたはいいが、特急の時間の迫っているのに気付き、駅まで一家五人で走った事もあった蕎麦屋や日光名物の羊羹屋、湯葉屋を何軒も通り越し駅に向かった。
アカヤシオに心洗われた一日だった。
|