ぶらり根津


根津神社の大神輿
       神 幸 祭





   遠 州 屋 薬 局
 
       平野 正



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平成10年本家伯母の法事の時、築地に住んでいる従兄弟から今年は根津神社の大神輿が4年に一遍渡御
をする年と聞いた。
4年に一度の事と聞き暇が有ったら是非行こうと思っていた。

根津神社には4月のツツジの頃やその他の季節も谷中、千駄木、根津方面は良く歩くので結構行く事は
多い。

拝殿の棟続きに大神輿が飾られているのを見た事があり、それが並の大きさでない事を知っている。
もしこれが担がれるなら是非見物に行かなくてはと思った。
午前中用事があった為、普段なら早朝に山に行ってしまうところだが幸運にも大神輿見学に行けた。
昼時に上野に着いた。精養軒でビールと昼食を取った。
眼下の庭園では新郎、新婦に牧師、式場の職員が結婚式の予行演習をしていた。若い事はそれだけで羨まし
い事だと思った。食事が終わる頃には親族も大勢集まり本番が始まった。上から門出を祝いこちらは神輿を見
に退席した。
言問い通りは上野桜木町が頂上で根津に下る。坂の途中から古い町並みで和菓子屋、蕎麦屋、店頭で手焼
きをしている煎餅屋等年期の入った家が並ぶ。昭和33年からこの辺りは見ているが変わらない。
千駄木寄りでは一歩通りから入ると庭付きの二階家で感じの良い家が和風洋風混在し碁盤の目のように秩
序良く広がる。戦災に遭わないで昔から引き続き住んでいるのだろう。上品な家構えが多い。
親父が大正時代上野に有った薬専の学生だった頃に背広を作っていた根津の仕立て屋で私も初めて背広を
作った。
昭和36年の事である。

昔の人に多い自分の歩んだ道が一番良い事だと信じ私にもそこで背広を注文させた。
其の店も後継者が無く今は無い。 
平成14年はモーニングを着る機会があり、22年ぶりに洋服ダンスから出したら、其の仕立て屋さんのハンガー
だった。

自分の結婚式、母の葬式の時と今年 2人の子供の結婚式と32年間で3回目、4回目の着用だったが体にピッ
タリだった。

良く28歳の時つくって今年60歳に成ったのに寸ぷん違わず着られたものだ。
節制の賜物である。

しかし一生にこの位しか着ないのなら貸衣装の方がましだと思った。

今年から親戚になった国立大学医学部教授はモーニングを25回も着る機会があったという。
仲人をして自己新を更新している。有効に利用する人もいるものだ。
表通りは凄い勢いで十階以上のビルになりそこの一階が綺麗なレストランになったり新しい店に成っている。

通りから入った住宅地の落ち着いた雰囲気のよさと比べ在来の商店の中に高層ビルが建ち始め激しく変貌しようとしている。

今日は店先に提灯を飾り、お囃子も聞こえ、アンバランスの街にも祭りの活気が溢れている。
担ぎ屋さんの太腿はすごい。こちらは日曜ハイカー山歩きも月二回が良いところだ。足は細くなるばかりで普段トレーニングをしないといけないと反省した。

根津神社のツツジは有名で四月下旬は見頃である。桜の後、上野界隈の花見と言えば根津神社の
ツツジだ。ツツジ祭りや他にも何回となく通った道を急ぐとテキヤの屋台と人出でごった返している。

         拝殿周りの透かし塀         根津神社境内の乙女稲荷
            根津神社拝殿           楼門前の屋台
拝殿の前では三基の町内神輿が休んでおり町会の長老が神輿の前で頭を下げ学生さんのように若い神主の御祓いを受けていた。
当方の目当ては大神輿である。普段大神輿の飾ってある所は空っぽである。
そこの柱に渡御の地図と時間を書いた紙が貼ってあった。本郷方面の坂を登り本郷通りを通り越し白山方面に行き本駒込から日本医大方面に戻るような地図であった
池之端の法華クラブの裏にあるお稲荷さんに三時頃大神輿が来るように書き込まれてあった。
このお稲荷さんは境稲荷という。鳥居の額に向岡、忍岡と入っているからその境でそう命名されたのだろう。よく通る道をたどり境稲荷に着いたのが三時丁度くらいだったが祭りの気配もない。氏子と思われる人が餅を売っているのが普段と違う。
三十分も待ったが何も変わらない。
餅売りの氏子さんに大神輿はと声をかけると餅を買っていたおばさんが此処は町会が違うから此処へは来ない
              境稲荷
と言う。四時に神社へ行ったほうが・・良いと言う。じゃぁーそうしようと暑い中神社に戻る事にした。
四年に一度の貴重な行事だし、神社に飾られているのを何回か見ているあの大神輿が渡御しているのだ。
是非見なくてはまたのチャンスは無いと思った。

根津神社で見た地図と時間のほうが正しいと思っているし、心の中ではお稲荷さんで聞いた事は間違いではないかと感じ横丁横丁を注意しながら戻った。

半分の行程を戻った頃、馬に跨り衣冠を纏、柄の長い日傘を差してもらった神主が見えた。
やったと思いそこまで走った。その後馬車に乗った衣冠を身につけた年配の神主がやはり日傘をさされて通った。先程神社で御祓いをしていた神主より年の功だけありがたさがある。
御者の顔つきも野武士のようで良かった。
       馬車に乗った神主

子供が綱を引いて大勢歩いてくる。まだ何も見えない。近くに町内神輿が二基威勢良くソイヤソイヤとやっている。

突然木の茂った坂の上から小さな小屋が転げ落ちてきたかと思える物が現れた。

大きな神輿だった。耳にはソイヤ ソイヤがこだましている。神輿は肩の高さにあるが揺れて
いない。

ソイヤ ソイヤの声は益々大きく神輿は担がれてくる。!!

気持ちが高まってきた。!!

しかし見たものは台座に乗っかり子供達に引かれた大神輿だった・・・・・がっかりした・・・・
大神輿は担がれてくるとばかり思っていた。
                     渡御する大神輿
町内神輿が十基揉まれているよりも大神輿が肩にあるど迫力を見たかったのである。

              平成十年戊寅(つちのえとら)九月二十日記平成十四年一部加筆
              写真は平成十四年壬午(みずのえうま)九月二十二日撮る
  17年神田明神宮入                                                           

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