この「考える会たより」は『会』発行の「考える会だより」を引き継ぐものとしてHPで公開するものです。行事などのお知らせやニュース、会の訴えなどを掲載するコーナーです。


石田さんの死を悼む、30年門前追悼



 事件から30年目の2020年7月6日(月)、靴の中がびしょびしょになる程の大雨の中
門前追悼のため20人程の人たちとさすがに30年という節目か、新聞社やテレビなどの
報道関係の人も多数参加していました。花束を持参し拝む人などもいて、校門前が混雑
するため教師が登校する生徒の通行整理をするほどでした。 
 8時半から一分間の黙祷をした後、詩の朗読やこの30年間の教育関係事件のことこれ
からの取り組みなどの発言がありました。

門前追悼の様子









石田さんの死を悼む、27年門前追悼

 事件から27年目の2017年7月6日(木)、門前追悼のため沢山の人たちが集まりました。
 今年も「羅針」さんが沢山のカーネーションを持参され、門前に手向けられました。
 新聞社やテレビなどの報道関係の取材もありました。
 元高塚高校教師から、事件当日の遅刻指導の状況が話され、原因究明の不十分さが指摘されました。
 不登校の問題やいじめの問題、教育の右傾化に対する発言などもありました。
 また、事件当時生徒だった女性から、子どもの命の大切さが訴えられたのが心に響きました。


門前追悼の様子



石田さんの死を悼む、26年門前追悼

 事件から26年目の2016年7月6日(水)、門前追悼のため沢山の人たちが集まりました。
 参議院選挙の投票日を4日後にひかえた中、新聞社の取材もありました。
 発言の中で、選挙の争点である憲法改正の危険を訴える方のお話が印象的でした。
 今年も先生の声掛けの風景に心が和みました。
 また、今年は門前に手向けられたカーネーションを生徒達に配られることが報告されました。

 


門前追悼の様子



梅雨なのに良く晴れて暑い朝でした。



東京の多摩から来られた「中村羅針」さんは自作の歌で追悼されました。




石田さんの死を悼む、25年門前追悼

 事件から25年目の2015年7月6日(月)、今年も沢山の人たちが門前追悼のため集まりました。
 新聞社やテレビ局が多く取材に来ていました。
 校門前で先生2名が子ども達に、「おはよう」と声を掛けていたのが印象に残りました。
 8時半に1分間の黙祷の後、参加者が随時それぞれの思いを述べ追悼しました

午前8時15分頃の門前の様子。
遠く歩道の右側が校門。左側に集会参加者やマスコミの人たちが、真ん中に登校する生徒達が見える。


少し見えずらいですが、時計は動いていました。


門前の追悼の様子。
それぞれ、事件当時のことやこれからの課題などを述べました。




石田さんの死を悼む、24年門前追悼


事件から24年目の2014年7月6日(日)、門前追悼のため各自花を持って集まりました。
今年はNHKの神戸放送局が取材に来ました。
この模様は当日お昼のニュースで報道されました。



午前8時半前の門前追悼の様子
今年は日曜日なので登校する生徒はいません。
グランドでは野球部の練習中の元気な声が聞こえていました。


校門の時計は今年は動いていましたが
残念ながら桜の木が生い茂り、時刻を確認することはできませんでした。
当時あれほど時刻を重視していたのにと、複雑な気持ちになりました。


随時参加者が、この事件について意見を述べました。
この後、毎年カーネーションをいっぱい持って参加されている
中村羅針さんの演奏がありました。



石田さんの死を悼む、23年門前追悼

事件から23年目の7月6日(土)追悼のための花束を持って集まりました。
マスコミも参議院選挙中にもかかわらず取材に来ていました。

午前8時半ごろの門前の様子
校門の時計は止まっていました。




花を順次手向けていく



今年も会代表はお嬢さんと共に参加し、決意を述べました。



石田さんの死を悼む、22年門前追悼 

事件から22年が経ちました。今年もまた門前追悼のために花束を持って集まりました。

2012年7月6日(金) 午前八時半頃の県立神戸高塚高校の校門前の様子
















石田さんの死を悼む、21年門前追悼

2011年7月6日(水) 午前八時半頃の県立神戸高塚高校の校門前

この様子は神戸新聞でも報道されました。

以下神戸新聞から抜粋

「市民ら黙とう 神戸高塚高校門圧死から21年 

校門前に献花し、黙とうする市民ら=6日午前、神戸市西区美賀多台9、県立神戸高塚高校

 神戸市西区の県立神戸高塚高校で1990年、1年生だった石田僚子さん=当時(15)=が、
登校指導の教師が閉めた門扉に挟まれ死亡した事件から、6日で丸21年になった。校門前では
市民ら約20人が追悼集会を開き、祈りをささげた。
 集会は、市民グループや教育関係者らが毎年開催。午前8時すぎ、生徒が次々に登校する中
校門前にカーネーション約500本を手向け黙とう。集まった人たちは「いつまでたっても、事件を
忘れることはできない」「二度とこんな事件が起きないよう、若い教師らに伝えたい」などと思い
を述べ合った。
 また当時、同校2年だった鈴木陽子さん(37)=同市垂水区=の家族も訪れ、「遺族の無念さ
を思うと、やりきれない気持ちでいっぱい。子どもたちを守る世の中にしなければ」とする陽子さ
んの手紙を読み上げた。」


以下は門前追悼の様子



考える会代表鈴木の挨拶





石田さんの死を悼む、20年のつどい開催

2010年7月4日(日) 午後1時30分から
西区民センター 第5会議室(2F)で
 20年のつどい
   石田さんの死を悼む、20年のつどい
   もっと知りたい!学校のこと、子どものこと
を開きました。
今年は駅頭でのビラまきや集会の紹介をしていただいたおかげで
20名近くの参加者がありました。
 鈴木代表の開会あいさつと黙祷 の後
 集会に寄せられたメッセージが紹介されました。

 その後、[記念講演] 
  「高校は今どうなっているの? −現場からの報告」
 がありました。

 高校の現状
現社会の「格差と貧困」の構図が子ども達に押し寄せている。
クラスで5〜6名の授業料減免を受ける子達がいる。
修学旅行に行けない子どももいる。
就職もきびしい。

 県の教育委員会は学区の拡大を一貫して推し進めている。親や教組の反対で
遅れているが、教科書の無い総合学科は14校になっているし、全県1学区の単位制
は7校になっている。
 さらに問題なのは複数志願制度による選抜の仕方です。通学可能かどうかや本人の
希望が無視されている。
 少子化ならもっとゆとりの持てるクラス編成になったり、希望校に入学できたり、子ども
達に有利な環境になっても良いのに、反対になっている。
 本来の学校は 1、学習 2、部活動 3、行事への参加でバランス.のとれた教育を
なされるべきで、そういう環境の中で子どもは成長することができると思う。教師も集団
で関わり、一人ひとりの力を出す場面を作ることができる。
子どもの一人ひとりに、もっとお金をかけて、手厚い教育をすべきだと思う。

以上要約を掲載します。

この後質疑討論がありました。

 質疑・討論

・高塚事件が起きたとき、挟まれた子が悪いと世間が言った。私はこの事件が発端で
教育に感心を持ち、ジャーナリストとしていまだに関わっている。
事件後教育委員会で話し合いがあった。参加した人に聞くと、高塚事件のことは5分
コウノトリの事は色々議論したと聞いた。これが彼らの正体だと分かった。

・学校は閉鎖的で軍隊の学校の伝統を受け継いでいる。

・教育は国の基本だ。今日本全体で明治維新に戻そうとしている。

・日本で暮らすベトナムの子ども達の中で親が日本語を話せなくて子どもを教育できない
家庭が神戸では東京と比べて多いと思う。高校でしっかり勉強できる子は家族もしっかり
教育できる状況にある。日本の子どもを高校で教えて、もっとしっかりして欲しいと感じた。

・子どもが高塚に通っていたとき、長田高校から替わってきた先生に馬鹿にされて、からに
閉じこもってしまった。子ども達にもっとやさしく接して欲しいと思った。

・尼崎から神戸に越してきて、市立高校に行ったが、先生方は皆一生懸命で教えていたから
県立高校の管理教育が知り合いの親にも広がらなかった。

・石田さんが門で亡くなったけれど、子どもの殺し方には色々ある。事件の頃の1学年の
クラス数は11クラスで1540人の生徒がいた。消防署の避難訓練があって非難時間に
遅れた生徒は840人にのぼった。すし詰めの状態だった。1990年という年は世界で
いろんなことが起き、事件は一つの象徴だと思う。背景を引っ張り出していく努力をこれか
も続けていかなければならない。

       集会の様子


 
「20年のつどいに寄せられたメッセージ」
    [到着次第、先着順に紹介します]---お名前はイニシャルです

 石田さんの死を忘れたことはありません。
「兵庫県の教育をよくする会」を結成し、兵庫県政に対し働きかけ、真に
憲法を守る教育を求め子どもの立場に立って闘っています。全県に配布
する機関紙「自由の風」読者は久しく支持しはげまして下さっています。
そのお仕事、立場はさまざまでも子どもの教育を思う志は厚く、読者欄に
順次登場していただいています。わたしたちは、石田さんにみまもられ闘
います。   H・N


 あの事件は、日本の教育のあり方について、どのような教訓をもたらし
たのでしょうか。私たちは、もはや語る口を持たない石田僚子さんから、
何を聴き取らなければならないのでしょうか。少なくとも、私たちは、かけ
がえのない彼女のいのちの重みを真摯に受けとめなければなりません。
20年を経た今もなを、彼女の声なき叫びが衰えていない現実に対して、
わたしたちのなすべきことを改めて考えなければなりません。   
         A・M                                 


誰のための学校か、何のための教育なのかを考えさせる事件でした。
何のために門に立っていたのか。何のために門を閉めたのか。
ある「目的」を達成するために一つの「手段」が有益だとすると、ついこの
「手段」を「目的」そのものと勘違いして、この「手段」のために一所懸命努
力する傾向に陥り、結果一人の大切な命が奪われました。「手段」と「目
的」を履き違えない教育を望みます。
         K・M




20年の校門前追悼 
























高塚高校事件19年のつどいと
校門前追悼報告


19年のつどいを7月5日(日)西区民センターで開きました。


 色んな行事が重なったため、参加者は少なかったものの、地域の活動報告などもあり有意義な追悼のつどいに
なりました。

 まず、鈴木代表から最近の子どもに関わる事件などを例に、地域での連帯の重要性が訴えられました。
そして、黙祷の後、各自からの報告に移りました。

 ・モンスターペアレントの問題について
 ・格差社会の広がりによる子どもたちの状況について
 ・地域の老人化による孤立化について
 ・地域社会作りの必要性について、特に横の連帯を広めることの重要性について
 ・朝の体操を通じた地域の連帯の再生について
 ・高塚事件を考える会の役割について

 これらの意見提起に基づき、議論を深めました。

 さらに、来年は事件後20年にあたることから、行事を計画すべきとの提案があり、役員で論議することを決め閉会になりました。

2009年門前追悼

年もまた校門の花壇には沢山の花が植えられ、良く手入れされていました。
黙祷に続いて、参加者一人ひとりから思いや訴えがあり、改めて追悼継続の大切さを噛み締めました。

 今年の校門追悼の様子










2008年の門前追悼

 2008年7月6日(日) 午前8時30分 門前追悼開催

門前追悼にはマスコミの取材もありました。
また、久しぶりに参加され、改めてこの事件の重要さを確認してほしいとの報告もありました。

以下は2008年の門前追悼の様子










 




2007年の門前追悼

2007年7月6日(金)の石田さん門前追悼には多くの人たちが集まり、献花とともに、自らの事件への思いや教育界の動きなど様々な問題提起がありました。また、県教育委員会への要請を行うなどの報告もありました。
以下は2007年の門前追悼の様子。







                                      


2007年7月7日(土)、高塚事件17年のつどいを西区民センターで開きました。
今年も昨年同様に、テーマを決めて話し合う集会の形式ではなく、参加者の自由討論とし、会員の親睦をはかるような形式にしました。会員の中心的なメンバーが70歳を超えている現状を勘案した結果のことです。しかし、引き続き会の活動は継続し、事件を語り継ぎたいと考えています。これまで同様、ご意見はメールへお願いします。


 お断りとお詫び。
 昨年の春まで掲示板を置き、色んなご意見を頂戴してきましたが、残念なことに教育と無縁な書込みが急増し、悪意ある誹謗の場所になってしまいました。今の拝金主義の弱者を切り捨てる世相を反映しているようです。
 子どもの命を大切にし、育んでいく大人の使命を忘れている人が増えつづけているのでしょうか。
  掲示板を出会い系ーサイトに利用し、金儲けを企む人のために閉じなければならないことは非常に残念ですが、閉じました。今後はメールにご意見をお願いします。メールも相当ひどい目にあっていますが、まだ耐えていけそうです。よろしくお願いします。
 







ここからは過去に開いた集会の模様の報告などを掲載します。

2005年7月10日(日)に石田さんの死を悼む、15年のつどいを開きました。以下にその模様を報告します。

 まず最初に、代表の鈴木の挨拶と黙祷の呼びかけ。

<挨拶要旨> 
 今年の高塚は色んな意味で考えさせる高塚だったと思います。一つは6月6日のA新聞の切り抜きのコピーなんですけれど、久しぶりに取材を受けたものです。何でかと聞いたところ、「JR西日本のあの事件で時間的な正確さを追求したために尊い命を失ったとというこのことについて、その根源は高塚事件にあったような気がして高塚事件に関係した方のご意見を伺いたいと」いうことでした。私はこのような見方に教訓的なものを見ました。この校門圧死事件と言うのは忘れてはいけない教訓を含んでいるということを思いました。

もう一つ、今年の高塚を考えさせられましたのは、7月6日に西神中央駅前でビラを撒いておりましたら、民主党の候補者が、「前日の郵政民営化の票決で5票差で負けたんだと、今日は校門圧死事件の15年目にあたり、神戸高塚高校事件を考える会の皆さんがビラを撒いておられます。私の組織とは関係ありませんがぜひお取り頂いてお読み下さい。などと、高塚も一緒になって頑張りましょう。」と何回も言ってくれました。この5票差と高塚事件が結び付けられるというように、高塚事件というのはその時、その時の時代を何らかの形で反映している気がいたしました。

15年もたって、私の娘も二人の母親になってしまいましたけれども、高塚の問題を親子共々切って離せないということでやっております。  

《黙祷》

講演

教育基本法の「改正」と高塚事件

<要旨>

高塚事件とは何だったのかを振りかえると、刑事事件としての細井元教諭の裁判は一審で終了したが、判決を読んでも、学校全体の問題であると思います。学校に落ち度があるということは明確に判決文に書いてある。

もちろん教諭個人の過失も認定されているが本質はどこにあるかということになる。裁判というのは訴えられていないものを判じることは出来ないが、裁判官のできるぎりぎりの所で明らかにされている。

それは、校門を閉めるマニュアルの作り方の問題。トップダウンで、しかも生徒指導協議会というのがあって、高塚高校はそのモデル校だった。校長も生徒指導部長も生徒指導協議会の役員で作られたマニュアル「鳴りはじめに門を閉める」という、他に先駆けてマニュアルどおりの遅刻指導をやっていた。

しかし、「高塚高校のマニュアル」には子どもの安全は配慮されていなかった。スカートを挟んだ、鞄を挟んだなどの現場の声は吸い上げられず、事件後明らかにされた。門扉の構造も押すところからは駆け込んでくる生徒は見えない死角になっていた。入ろうとする生徒を門の前で静止するなど、子どもの安全確保の方策は議論さえされた形跡さえない。こういうことが明らかにされた。

そして、生徒側からすれば、試験の時は遅刻したくない、ランニングなどの罰則はいやだから駆け込もうとする。教師の方は閉めようとする。

当時管理教育と言われましたけれど、生徒も教師もからめとられていった結果、悲劇が起こってしまう。生徒は倒れた生徒を遅刻しまいと飛び越え、校長も生徒指導部長もポイント稼ぎのためにマニュアル通りの事をやろうとする。まさにJRと同じ事が起きていた。事故後、見直しが県の教育委員会で言われましたが、15年経った今、高塚のような構造的な問題が日本社会全体に蔓延している状態になっている。今こそ、15年前を振り返ってちゃんと反省をしていかないと、社会全体がとんでもない方向へ行ってしまうのではないかと危惧している。

次に、親の知る権利とテープ公開訴訟に関してですが、

親が教育に関わる権利、情報を知る権利は少しずつその方向に行っているかなと思います。実際形式的には色々ありますが、テープは出てきたし、実質的には成果を上げてこられた。

最近いろいろ不正が暴かれていますが、この点でも一定の扉を開けてこられたし、成果を上げてこられたと思います。

尼崎のセクハラ事件でも教育長が率先して隠し、追求した教師を強制配転するなど10年に及ぶ裁判もその教育長が市長になっていたのが落選したりで、最後には和解をし、定年前の教師は元の職場に戻る事が出来た。このように粘り強い闘いで成果が上がってきている。

教育基本法の「改正」問題

現在憲法改悪の問題など大変な状況ですけれども、一方で保守の方も危機的状況にある。その中で出てきたのが教育基本法の問題で、本来ならこの教育基本法の改正はこの三月にされてしまうんではないかと言われていた。文部科学省の方も法案が出せない状況に追い込まれている。色んな闘いの成果でもあります。

  それでは教育基本法改悪への経過からはじめたい。2001年の文部科学大臣の中教審への諮問から始まった教育基本法の改悪は、画一的「愛国心」の強要、差別・選別の教育、支配と管理の教育への大変換を図ろうとするものであり、これを踏まえて、20002年11月14日中教審「中間報告」が出され、さらに、2003年の中教審「答申」そして、2004年の与党検討会議「中間報告」が出され、10条規定の本質的な改悪=教育行政の独善化=まさに教育を行政の言いなりにしようとしている。

更に、今国会の2005年の5月には文部科学省は「与党・教育基本法改正に関する検討会」(座長=保科耕輔元文相)に対し、教育基本法改悪の「仮要綱案」を提示しました。この、「仮要綱案」は公表されず、一部報道で「愛国心」が自民党と公明党の主張の両論併記になっているともあります。

この様に、いよいよ国会提出を目指す動きが具体化していることになる.


教育基本法「改正」の歴史

そもそもは、2001年の文部科学大臣の中教審への諮問が教育基本法改悪の端緒になるものです。この遠山敦子という文部大臣が教育基本法を「改正」したいので、纏めてくれと依頼をしたとことです。この内容ですけれども、親の教育権とは全く正反対の国民の義務を押し付けるもので、民族主義、復古主義、管理主義と表せる。具体的に言えば、教育基本法と言うのは、昭和22年に出来、もう50年以上使ってきたのでもう古い。問題は次で、これからの教育を考えるには、個人の尊厳や真理と平和などの普遍の原理を大切にするとともに、

「新しい時代を生きる日本人の育成」=これは民族の優位性を強調する民族主義

「伝統・文化など次世代に継承すべきものの尊重、発展」=天皇制を敬う復古主義

「教育振興基本計画の策定など具体的な方策の規定」=親の教育権などと正反対の親の義務を押し付ける管理主義

という内容になっている。

この「諮問」がベースになり中教審中間報告になっている。この内容に関しては日弁連が纏められた「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画のあり方について(中間報告)に対する意見」という資料が一番まとまっているようです。

この中で、「日本人のアイデンティティ」を育成するとあります。伝統や文化の尊重など一定受け入れやすい風潮がある。日本人としてのアイデンティティ。日本人を強調するのはまさに愛国心を植え付ける教育が必要だということ。

憲法「改正」にみられる戦争する国家、戦争に協力する日本人を育成しようと思えば、他民族と日本人は違うんだという差別的な意識が不可欠。それが無ければ人を殺せないわけですから。まさに先取りしているのが、扶桑社の「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書。  

これはまさに戦争放棄の憲法を平和放棄の憲法に変えるという教科書だ。

教科書は義務教育の場合4年に一回選定する。4年前にはこの教科書はほんの数校しか使わなかった。4年後扶桑社も赤字では仕方が無い、止めようということになった。それで「つくる会」は世論を盛り上げるのは無理だ。政治家を使い教育委員会なり、県の権限のある所に働きかけると言うような露骨な形で採択をさせようとしてきている。実際に教科書を見る機会は少なくて、微妙な内容になっていますが色んなところに仕掛けが入っており、結局第二次世界大戦はやむおえなかったんだと。日本は神国で、という神話の話が出てくるということです。今年どれくらい採択されたか分かりませんが、今年採択されなければ扶桑社も撤退してしまう。しかし、目標が突破されれば、じわじわ浸透する恐れと、他の教科書も「つくる会」のものにだんだん似てきているという問題も新たに出てきています。

教育基本法の動きも、事実としてこの教科書問題のように先行している部分があります。

ここで元の教育基本法に戻りますが

「一人一人の個性に応じたきめ細やかな…….」「一人一人の多様な才能を開花させ…..」というような非常に耳障りの良い言葉が並び、習熟度教育が取り入れられている。

小学校の入学時から「ウサギさんコース」「カメさんコース」というように分かれる。そうするとカメさんコースの親御さんは、うちの子はウサギさんコースに行けるんだろかと心配し、小学校1年の時からクラス分けにぴりぴりしないといけない。学校が楽しいという雰囲気がなくなってきている。

高校入試も変わってきており、第三学区でも、「北須磨高校」は単位制になっており、「友が丘高校」は総合学科、その前は英語コース、理数コースと言うのがありましたが、これはやめました。目まぐるしく入試制度も変わってきている。

例えば総合学科ですが、西宮に導入しようとしていて、その説明に教育次長が来て言ったのには、「まだ進路が決まっていない、ボーとした子が来てください」と。

PTA主催の会でして、出席していた親御さんは皆エーって言っているわけです。高塚でも同じようなことを言っていたんだろうと思います。

以前でしたら、全日制なら同じカリキュラムで学んでいたのが、今はぜんぜん違うわけです。伊丹での総合学科ではジャズの授業があって、教室にピアノやオルガンが置いてあって、生徒が自習していてたまに先生が来るというような授業。まあ放し飼いのようなものだと聞いている。その教室にいれば、楽器を触っていれば単位をあげましょうというようになっている。またペン習字の授業というのもあります。それなりに力がつけばいいと言う人もいますが、実態は非常勤講師の先生にマル投げされていて、就職や進学に役に立つかといえば疑問です。

武庫之荘総合というのも二年前から出来ているんですけれども、工業高校と普通科を一つにして、まさにお金を使わないために創った。

工業高校の時には建築や設計や電機の資格が取れたのに、国の決めた単位を取らなければならないため、結局何にも資格が取れない。就職にも不利だし、進学にも不利、こんな学校を安上がりだからどんどん作っていいのかどうかということです。耳障りのいいことを言うんですが、その本質を見極めて考えていく必要がある。

しかも、高校間差別を固定化するこのような動きは、以前、高塚高校で本当にひどいことを言っていたようなことが、もっとひどくなるんではないかという危惧を感じると共に、今検討している教育基本法の「改正」の中に出てきている。

子どもの責務

「教員その他の指導に従って、規律を守り、真摯に学習に取組む責務を規定すべき」とありますが、在日外国人が増えていく中で日本人、日本人ということで、つらい思いをすることがでてきたり、学校が改変されて差別的になっていく中で、文句を言うなと言うのは無理強いをすることになる。ルールのよしあしに関わらず、規律を守れと言うのは管理教育そのものと言う気がいたします。


学校・家庭・地域社会の連携

お互いに連携して情報交換していくと言うのは悪いことではありませんし、耳障りはいいんです。

ところが、実際にどんな連携をしているのが問題で、「風の子学園事件」の問題で考えてみますと。警官が学校の中に入りこんで、給食費を盗んだと濡れ衣を着せられた子が教師を殴ってしまった。家庭裁判所に連絡が行かなくて、濡れ衣が晴らされないまま、学校の中で、けしからんやつだと言うことになって、どこかにやろう、親も信じ込まされて、金儲け主義の「風の子学園」にいれる。

生徒指導と園長との癒着などがあって、さらに県の機関や警察、学校で、文句を言うやつは排除するというような連携があった。

兵庫県と姫路市の責任を公にしたという判決があった。連携を言うのであれば、問題が発生したことへの反省から得るものであればよいのですが、反省の弁も全く無しの連携はどういうことかと思います。


神に対する畏敬の念、宗教心の汎用

宗教を持つ持たないは自由だ。これは現在の憲法、戦争をしたことへの教訓だと思いますが、60年前がいいんだというような復古的な考えがハッキリ出ていて、注意すべきことだと思っています。

新聞社は批判的な論説が多い。保守的な新聞は賛成していますが、地方新聞は押しなべて批判的です。

「答申」は「中間報告」とほぼ同じ内容です。

この後も「改正」を諦めたわけではありません。

もっとも、注目すべきなのが、現在の教育基本法の10条では「教育は、不当な支配に屈することなく、国民全体に対し、責任を負って行われるべきものである」となっています。そして、「答申」も「中間報告」も「教育は不当な支配に屈してはならない」というのは適当だとしていました。

ところが、与党の「中間報告」では「教育行政は、不当な支配」に変えて来た。例えば高塚事件を考える会が教育委員会にこんなことあかんでしょうと言いに行ったら、それは不当な支配だと言えるように変えている。これまでは、教育の不当な支配ということですから、教員が住民から子どもの安全を守っていないと言われ、教育委員会に安全を守るための意見を言えていたのが、「教育行政は」になると、教育委員会をまもることになっていて、親の会やPTAが学校に文句を言うと、一民間団体が何を言っているんだということ、ほんの「行政」という文字が入っただけで根本的に違うことになり、とんでもないことになると思っています。


今年の「仮要綱案」の意味

文部科学省が2005年5月11日「与党・教育基本法改正に関する検討会」に「仮要綱案」を提示しました。しかし、国会内の議員要請にも応えず、公表されませんでした。

文部科学省は国の機関で国民のための全体の奉仕者で無ければならないのに、与党のためだけに働き、秘密裏にして、国会内で公表することを拒む。色んな批判が湧き上がっていて、批判を恐れてのことと思いますけれども、ここまで秘密裏に改正しようとしているのが6月までの動きです。

まさに、日本が平和国家になっていくのか、戦争をしようとする国家になるのかという岐路に立っていると思います。

これからの子どもたちが、自尊心を持って、自分自身を大事にしていける社会を作っていこうと思えば、こういう、高塚高校事件を考えるのは大事なことだと思います。

子どもの学習権を大事にする。この中には安全に登校し、下校し、社会全体に大事にされるということは当然のことですし、子どもは誰が育てていくかというときに、親の教育権という、親のかかわり、学校の下請け機関では駄目なんで、ちゃんとした対等なパートナーとしての教師と親のかかわりを構築していけば、さらに、事件の風化を許さず、その教訓を未来に生かす取り組みが出来たらと思います。    




2005年開催した「15年のつどいの参加呼びかけ」

神戸高塚高校「校門圧死事件」から15年

この4月25日に起きたJR西日本の福知山線の事故後、事故の原因や背景が明らかになるにつれて、あの1990年(平成2年)の「校門圧死事件」を思い出された方も多いのではないかと思います。

 

54日の報道によりますと、この大惨事で亡くなった方々は107人にのぼり、その直接の原因は列車が100キロ以上でカーブに入ったため転覆脱線したことによるが、背景に阪急電鉄(私鉄)との乗客獲得競争に打ち勝つために列車運行の余裕の時間を削り、安全運行を怠ったためであったとあります。さらに、この過密ダイヤを守らせるために運転手への見せしめ的懲罰(日勤教育)がおこなわれていたことも明らかにされ、そして、更にこの電車に乗客として乗っていた2人の運転手が現場復旧の手助けもせず、日常業務に就いていたことも明らかにされました。
 このように、JR西日本の徹底した管理による儲け主義的体質がこの事故を引き起こした原因であることがあきらかにされました。

 1990年の「校門圧死事件」当時、「管理主義教育」が批判されました。それは、子どもたちを校則で縛り付け、物言わぬ体制が事件を生んだのだということでした。遅刻後のペナルティーである「校庭を2週走らされる」ことを恐れ、倒れた生徒を飛び越えてまで期末試験を受けた生徒を作り、「教育的観点から」と、血痕を洗い流した教職員を生み出したと言うことでした。

そしてまさにこの状況と同じようなことが、JR西日本の民営化後、黒字化を至上命令とし、公共交通機関の担うべき使命をなおざりにしながら、社員には徹底した評価を楯に管理強化することで起きたのでした。まさに、物言えぬ体質がこの事故を引き起こしたのです。

このように「管理体制」の危険が明らかにされているにもかかわらず、いま、盛んに憲法改正や教育基本法の「改正」が着々と進められています。今年はこの危険な動きを知り、高塚事件がなぜ起きたのか等を振り返るために、最近の教育基本法「改正」について知る学習集会を計画しました。ぜひご参加ください。



石田さんの死を悼む、15年のつどい

 〔シリーズ〕

もっと知りたい!学校のこと、子どものこと


《講演》
 

教育基本法の「改正」と高塚事件

   「講師」 高校教師(全国教育法研究会 常任委員    



と き  7月10日(日)
       午後1時30分から4時頃まで

ところ  西区民センター
       第6会議室

 参加費  無料

主催  神戸高塚高校事件を考える会
 








2004年開催した14年のつどいの報告

「石田さんの死を悼む、14年のつどい」を7月3日(土)
に西区民センターで開きました。

 
「14年のつどい」の様子



 73日(土)に「校門圧死事件」−石田さんの死を悼む14年のつどい−を西区民センターで開きました。
 今年は相次ぐ低年齢化した子どもによる子どもへの加害事件や親による虐待等、子どもにまつわる事件の頻発は何故なのか。この疑問をテーマにし、元神戸市立竜が台中学校教諭の臨床心理士で「こころの相談室Sora」を拠点に心のケアに取組まれている福村徳重氏を講師にお迎えしました。題は「最近の子どもの事件をめぐって」と言うものになりました。福村氏にこのテーマに沿った形でお話ししていただき、講演後参加者で討論しました。
 お話しでは、『知と情から成り立つ心はいじめ等の何らかの要因で痛めつけられると、それを外に放り出そうとする。その外とはまず身体であり、熱を出したり、腹痛として表現される。次に心で感じないようにし、最後にはストレスの発信源である相手をつぶすことで自らを守ろうとする。しかし、人間には知性があり、対人関係を作り出す情と連携し相手をつぶす行為の前にうまく付き合える方向性を見つけたり、犯罪を押しとどめたりする。
 人は人として成長する過程でまず身体を通しての関わり、例えば母乳を飲みながら母親を見つめ、そして抱きしめられるという幸福感を味わうことが第一に必要で、次に模倣段階といわれる親や兄弟と同一体験をしたがる段階を経て、象徴段階である心の情の部分を通して対人(他人)との関わりを持つようになる。この発達の道筋でつまづくと、周りとうまく付き合えなくなったりして、引きこもりになったりする。
 最近の佐世保の事件では詳細に報道されていないので判断がつきにくいが、先ほど述べたプロセスを経て、ホームページやメールで傷つけられた心を正常に保つため、外に向かっていったということが言えると思う。』ということでした。
 レジュメを基に報告が終わった後、最近の子どもを取り巻く状況を背景に自ら取組んでいるフリースクールや寺小屋、地域教育の報告があり、有意義な集会になりました。

熱心な討論が続いた。





(2004年)の門前追悼の様子



門前追悼の様子ー1
 2004年7月6日(火)



門前追悼の様子ー2
 2004年7月6日(火)








門前追悼の様子ー3
2004年7月6日(火)
 この日神戸市営地下鉄長田駅で人身事故があり、地下鉄が遅れたため、8時30分を過ぎたこの時点でも沢山の生徒が登校している。以下の写真も同様である。










門前追悼の様子ー4
 2004年7月6日(火)





門前追悼の様子ー5
 2004年7月6日(火)












7月6日について
〜神戸高塚高校学年通信(1993:十回生)より


 七回生は卒業しました。1990年7月6日の本校の生徒通用門で起きたあの痛ましい事故について語り継ぐのは、教師のみになってしまいました。
 あれから3年、現在の神戸高塚高校を根底の所で支えているのは、あの事故の与えた教訓であるはずです。生徒の自立、職員の自戒、……道は遠くても、その方向が示されている限り、一歩ずつでも、歩いていけると信じています。
 亡くなった石田僚子さんと同じ学年だった人の作文をいくつか紹介します。(92.7.6 七回生の作文より)



  忘れないで
 2年過ぎて改めて考えてみると、あの事件で何が変わるべきであったのか。靴や鞄が自由になる、そういう事を変えるのがあの事件だったのか。今の高塚は、自由と言いながら、何か間違いをしている。タバコを吸うとか、遅刻をするとか、飴やガムを食べるとか、そういう事が自由なのか、と私は言いたい。石田さんの死をもっと真剣に考えて欲しい。校則が緩くなったからそれでいい、こんな考えでこの学校が良くなる筈がない。今、何もかも自由にすればいい、というような考えがあるような気がする。私はそんなことより、石田さんの死を忘れずに、先生と生徒のもっと信頼し合った学校をつくっていきたい。あの事件で何を変えるべきなのか、よく考えて欲しい。そして、何よりも石田さんを忘れないでいて欲しい。



  後輩へ
 2年前の今日、私は、3階の窓から、地面いっぱいに広がった血を見ました。それは、私が生まれてはじめて見た血の海です。一体何があったのか、私は一切知りませんでした。先生は一言もその件に関して伝えてくれる事もなく、学校を終え、校門を見た時は、血は、水で流されていました。事実を知ったのは、その日の夕方、部活を終えて帰る時、校門で、普通じゃない泣き方をしていた何人かに訳を聞いたときでした。……
 私達はもうすぐこの学校を卒業します。でもいつだってこの閉じられた門の意味を胸にしまって生きていくつもりです。……忘れてはいけない事を胸に、学校を少しでも盛り上げて、強くて、楽しくて、元気で、最高の高校生活を送れるような学校にして下さい。もう二度とない高校生活のために。そして自分自身のために。



  二年たって
 ……八回生・九回生は、話し合いも、全校集会も他人事だと思っているのではないかと思います。石田さんの校門事故がきっかけで校則を見直したけれど、その話し合いや、中身についての全校でのLHRのクラス討議、それと、しんどかった時期があったとわかってほしい。本当は、同級生の私達が遅刻をしたり、校内を荒らしたりなどしてはいけないのに、そういうことがあって、後輩に伝えようとしても、その誠意や真剣さが欠けてしまいます……
 後輩にも、高塚の生徒である限り、この事故の事を忘れてほしくありません。そして、管理教育の問題、生徒の自立ということを考えてもらいたいです。
 石田さんの死は、校則見直しの代償としては大きすぎるという事をわかってほしいです。



  後輩に伝えたい事
 あの日以来、7組は真剣に話し合った。みんな、自分の意見を出し合った。いったい自分たちは何をすればいいのか? どうすれば学校はよくなるのか? 今、自分たちのできることは何か? みんなで考えた。といっても、まだ、中学を卒業し高校へ入学したばかりの自分達だけでは、たいした意見もでないし、40人以上もの意見をまとめるのは、とても難しいことだった。しかし、何とかしたい、何とかしなければならない、という気持ちが、学校内に広がり、生徒会、先生方とも話し合い、やっとここまでこれたのだ。
 一時は、高塚は荒れている、とか、高塚はもうあかんとか言われた。そんなとき、自分は、とてもつらかった。自分達がしていることは、外の人たちには、わかってもらえない。別にわかってもらおうとも思わなかったが、一部の生徒だけで判断されて、自分達の高塚高校が悪く言われるのがいやだった。
 いろいろありながら、今の高塚がある。今の高塚は、確かに明るい学校にはなっただろう。しかし、まだまだ問題点がある。自分達7回生は、春には卒業だ。しかし、8回生以下、ずっと、今の高塚が、どのようにして作られてきたかをわかってもらい、これからも、話し合い、より良い高塚を作っていって欲しい。



  後輩に残せるもの
 ……外見では生徒の自立、自主性をあれこれ言っているが、実際には生徒の勝手になっているように思う。去年、遅刻が非常に多い時期に、集会で先生がおっしゃった言葉には深く傷ついた。「石田さんの死を利用している。」本当にその通りだと思った。事故が起きて最初の何ヵ月かは、生徒も先生も一緒になって頑張ってきた。しかし、1年たつと、様子が違ってきていた。私達3年生は今でも覚えている。あのとき、生徒が一緒になって頑張った事を覚えている。覚えている限り、まだ頑張っていける。私達は、その頑張りを後輩に残していかなければならない。
 今の2年、1年は、何故事故が起こったのか、何故生徒手帳の内容が変わったのか、についてテレビとかで言われてきたことしか知らない。自由になったから入ってきたという生徒も多いと思う。その後輩たちに、この事故の重要性を忘れさせてはならない。ただの自由、自分達の勝手にできる学校ではないという事を言わなければならない。そのためには、私達3年生が頑張っていかなければならない。その頑張りを見れば、きっと後輩たちの心にも何かが残ると思う。……


 3年前の7月6日、神戸高塚高校は、その存在意義を問われました。「あるべき高校生活とは何か」を皆で話し合い、考えてきました。その辿りついた道が、例えば生徒手帳の生徒心得Uの前文であり、学年集会等で生徒に訴えている「自立」ということです。七回生の作文の一部を掲載いたしました。私共の心にはまだ生々しく、正視に耐えない文章も多く、また逆に、それだからこそ、その後輩である十回生に読んでもらいたいと思ったりもします。「石田さんの死を利用している」という言葉に反論できずに傷ついた先輩がいます。自分達の頑張りが後輩達に受け継がれると信じ、願った先輩もいます。一部の生徒の勝手気侭な行動に、悔し涙を流した先輩もいます。みんな、心から神戸高塚高校を愛した先輩達です。どんな流言に対しても自分の気持ちをしっかりと持ち、神戸高塚高校を再生の道へと導いてくれた先輩達です (1993.6.26発行)

生徒心得(平成5年版より)

 (前文)この基準は、生徒会・学校・育友会が真剣な討議を重ねて成立したものであり、生徒は、これを誠実に守るよう努力する。
 なお、当基準は、神戸高塚高校の主役である生徒が自立の道を歩むために定められたものであり、三者はその精神を充分理解しなければならない。

 (付則)本校生徒心得は、平成2年7月6日の校門での事故を契機に見直し、改正されることになった。改正の精神を生かすために、生徒心得は毎年7月頃の適当な時機に三者会議で見直すものとする。