老人性肺炎は今でも老人において最大の死因であり、その死亡率は30年前とほとんど変わっていない重要な疾患です。 老人性肺炎の発生機序
お年寄りの肺炎は、口腔内の細菌によって起きるという若い人の肺炎とは異なるメカニズムがあり、特に脳血管性障害を持った老人に多く発生します。
そして、大脳皮質に障害のある老人よりも、大脳基底核に脳血管性障害がみられる老人に特に発生します。
大脳基底核に脳血管性障害がありますと、黒質線条体で作られるドーパミンの合成能が低下してきます。ドーパミンの合成能が低下すると、舌因神経あるいは迷走神経の知覚枝の頸部神経節で作られるサブスタンスPの合成能も低下致します。
サブスタンスPは、合成されると知覚枝を逆行性に咽頭あるいは気管に運ばれて、嚥下反射または咳反射を正常に保つように働いています。
そのため、サブスタンスPが少ないと、嚥下反射あるいは咳反射が正常に働かないようになり、本人が知らず知らずのうちに口腔内の雑菌混じりの唾液を気管に誤嚥致します。これを不顕性誤嚥といいまして、毎日のように不顕性誤嚥を繰り返すことにより、いつか体調の悪いときに肺炎を発症するようになります。
カプサイシン投与による嚥下反射の改善
以上のような仕組みと経路により老人性肺炎が発症することから、これを防ぐためには、発症に至るまでの経路において不足している物質を補充するという方法が考えられます。
その一つはカプサイシンです。これは周知のごとく唐辛子の元であり、昔からサブスタンスPを強力に放出する作用を持っていることが知られています。すなわち、カプサイシンを口腔内にほんの少しだけ入れただけで、若い人と同じ位に直ちに嚥下反射が改善してきます。ちなみに、嚥下反射は、細い管を鼻から咽頭まで入れて、仰向けの姿勢で蒸留水を1ccだけ注入して判定致します。蒸留水1ccを入れてから3秒以内に飲み込んだ場合は、嚥下反射が正常と判断します。そして、8秒といった嚥下反射の非常に延びている老人たちが、カプサイシンを入れることにより正常にまで短縮してきます。つまり、お年寄りといえども時にはカプサイシンの入った辛いものを食べて、嚥下反射あるいは咳反射を正常にしてしておくことが不顕性誤嚥の予防のために大事なことであり、介護の面からも積極的に行われるべきと考えられます。
ACE阻害剤による老人性肺炎の予防
サブスタンスPの濃度を上昇させる物質として、高血圧の治療薬であるACE(アンギオテンシン変換酵素)阻害剤があります。ACE阻害剤は、ACEだけでなくサブスタンスPの分解酵素も阻害するため、サブスタンスPが分解されずに咽頭または気管に残りますので、サブスタンスPの濃度が最初は低くてもだんだん高くなってきます。そうしますと、嚥下反射と咳反射が正常になってきて、不顕性誤嚥を起こさなくなります。実際に、ACE阻害剤を2年間投与した患者さんの肺炎の発生率を、投与しない群より約1/3に減らすことができたというデータが得られています。
アマンタジン投与による老人性肺炎の予防
アマンタジンは、パーキンソン症候群やA型インフルエンザなどの適応となっている治療薬なのですが、その外にドーパミンの合成能を促す作用を持っております。アマンタジンを3年間にわたり投与した群のほうが、投与しない群に比べて老人の肺炎を1/5に減らすことができたという成績がみられます。
このような薬物を用いることにより、老人性肺炎の発生率をかなり減らすことができます。
口腔ケアによる老人性肺炎の予防
老人の口腔内の衛生状態は、加齢とともに悪化します。不顕性誤嚥は、口腔内雑菌の混じった唾液を飲み込みますので、不顕性誤嚥を完全には防げないとしても、口腔内雑菌が少なければ肺炎が少なくなるのではないかと考えられます。そこで、口腔衛生を2年間行った群と全く行わなかった群とを比較してみますと、口腔ケアを行ったグループの方が、肺炎の発生を40%減少させることができました。また、肺炎による死亡率を減らすことができたという成績もあり、口腔衛生の改善が老人性肺炎の予防に非常に有用であると言えます。
そのほか、ご飯を食べた後は胃食道の逆流現象が生じやすくなりますので、食後のケアにも気をつける必要があります。食後2時間は、寝たきりの老人でもできるだけ坐位に保つことにより肺炎の発生率を半分に減らすことができたという成績が出ており、このような看護が日常生活において大事なことであると考えられます。
無症候性脳梗塞による老人性肺炎の発生頻度
65才以上の老人の脳ドックの成績をみますと、約半分の人が麻痺などのはっきりとした症状を示さなくても、いわゆる無症候性脳梗塞などのなんらかの脳血管性障害が生じていることが知られています。65才以上で無症候性脳梗塞を起こした人たちは、2年間で20%近くが肺炎を発症するいうデータが出されており、しかも同じ無症候性脳梗塞でも旧皮質である大脳深部皮質に脳梗塞がみられると、2年間の間に30%の人たちが肺炎を起こしてくるといわれます。従って、65才以上であれば、何らかの脳血管性障害があって肺炎を起こしやすい状態にあることから、食事、運動療法などにより高血圧などを日頃から治療しておくことが肺炎の予防対策として大事になります。
夜間睡眠中の嚥下反射
老人の肺炎は、夜作られると言われます。健康な老人であれば夜ぐっすり寝ていても嚥下反射は全然低下しないのですが、基底核に脳血管性障害のある人は熟睡していますと嚥下反射が極端に落ちます。すなわち、夜間睡眠中に不顕性誤嚥を起こしてくるということが当然考えられます。
夜間睡眠中の咳
もう一つの防御反射である咳反射ですが、よく咳がでて眠れないと患者さんが訴えられますけども、熟睡しているときには基底核も寝ていると見えて、咳は全然起こりません。従ってこれらの防御反射が、夜間熟睡しているときに非常に無防備になってしまうと言えます。
日中の睡眠傾向
夜寝ることが老人にとって重要なことであります。よくお年寄りが眠れないといいますが、実は老人は若い人よりもたくさん寝ていて、調べてみると夜6時間、昼は3時間半も睡眠をとっているという成績が出ています。
その特徴にあげられるのは、日中よく寝る人は実は生存率が悪いのです。昼間うつらうつらしている老人をしばしば見かけますが、そういう人たちはあまり先が長くはないのではないでしょうか(ジョークです)。
睡眠薬の投与によるドーパミンの阻害作用
そうはいっても不眠の訴えがありますので、睡眠薬を投与します。強い睡眠剤は、ドーパミンの阻害剤でもあります。すなわち、ドーパミンの阻害剤を使いますから、嚥下反射が夜寝ている間に極端に落ちます。そして、よく眠れたと感謝されますが、1週間もたたない内に嚥下反射と咳反射が落ちまして、誤嚥と不顕性肺炎を起こしてかえって面倒になります。老人の睡眠剤の使用というのも、薬の習慣性を心配する以上に、このような注意をしなければいけないと思います。
インフルエンザの接種効果
老人は寝たきりでも液性免疫は保たれており、インフルエンザワクチンにより抗体価はしっかりとあがります。インフルエンザワクチンを行った寝たきりの老人は、インフルエンザのみならず肺炎の発生率も入院の回数も低くなります。
このように肺炎の発生機序に基づいていろいろな対策を立てることにより、肺炎の発生をかなり予防することができるようになります。特に、基底核に脳梗塞を起こした老人は、それが細かな梗塞病変であっても肺炎の発症には、常に十分気を付けることが大切です。
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