松浦寿輝

「テレビに映ったナボコフ」   『青の奇蹟』    みすず書房 2006年

今ではもう終ってしまったが非常に人気の高かったフランスのテレビの書評番組があって、それに作家のナボコフが出演しているのを見たことがある。一九七七年の彼の死の、直前くらいに録画されたものだと思う。

(中略)

しかし、たぶん彼が晩年に暮らしていたスイスのホテルのスイートで録画されたと覚しいそのインタヴューの状況というのか、空間設定が実に面白かった。いつもはありきたりのテレビのスタジオでテーブルを囲むようにして行われるので、このときはたぶんナボコフ自身の希望でそういうことになったのだろうと思う。まず作家御大が、丈の高い豪華で巨大なデスクの向こう側にただ一人どっしり腰を落ち着け、卓上ランプに照らされた原稿のようなものに眼を落としている。インタヴュアー側の二人だったかは、それと真正面から向かい合うのではなく、やや離れて脇の方に置かれた低いソファに坐り、斜め上方を見上げるようなかたちで質問を発することになる。まるで王様の謁見といった按配で、しかも奇妙なことにそのデスクの上には本やら何やらがごたごた積まれていて、主役のはずの当の作家の顔がややもするとその陰に隠れて見えないという異常な事態が生じたりもするのである。 

対話は、肩の力の抜けた気軽なお喋りといったものではなく、彼の文学観・人生観をめぐって一つ一つ重い質問が投げかけられ、それに対して真っ向から答えるナボコフの訥々とした語りがそのつどかなり長いこと続くというかたちで進行した。その具体的な内容についてはもうきれいさっぱり忘れてしまったけれど、彼のフランス語でのパフォーマンスから受けた小さな感銘だけは今でもはっきり思い出せる。   

(後略)       206-210頁


このエッセイについては秋草俊一郎さんのご教示をいただきました。どうもありがとうございます。

松浦氏のご覧になったテレビ番組は、「おもちゃ箱」でご紹介したAPOSTROPHESにナボコフが出演した1975年のものだと思います。最近(2006年秋)までYouTubeに出ていたのですが、残念ながら見ることができなくなりました。

大学時代に第二外国語として勉強しただけのフランス語能力しかない(今はそれもほとんど忘れた)私の耳には、ナボコフのフランス語は英語に比較すると充分綺麗に流暢に聞こえたのですが、ご専門の松浦氏の評価はさすがに厳しく、「ロシア語訛りと英語訛りが混ざってそのどちらでもなくなってしまったかのごとき彼のフランス語の、何とも異様なアクセント」と評しておられます。さらに「実際、発音と同時にそのフランス語の文体もまた、構文にせよ措辞にせよ不自然な逸脱が多々あり、[あらかじめ用意した回答を]彼が自分の手で書いたことは疑いを入れないものだった」そうですが、「ただし、その癖の強いフランス語は、意味のはっきり伝わる格調ある立派な文章にはなってい」たということです。

ここから松浦氏の分析は、このインタヴューで外国語を話すことを選択したナボコフの、闘いとしての「国際的コミュニケーション」の「緻密な戦略」にうつっていきます。とても面白いので続きはぜひご本でお読みください。

「狷介で倣岸不遜な王様の謁見ふうに行われたこの会見」中、ナボコフは一度もインタヴュアーたちと眼を合わせていなかったとも松浦氏は書いておられます。確かにそうだったかもしれません。この時フランス語で話す(読む?)ナボコフは結構上機嫌で、時には笑いながらインタヴューに応じていたのですが、それも虚空に向けられた笑いだったのかもしれません。もう一度確認したいのですが、今となってはかなわぬ望みとなってしまいました。