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 「タムワース問題」
1973年以降、ナボコフは初代伝記作家・研究者・作家のアンドルー・フィールドとその3冊目の伝記的著作の内容に関して不仲となる。ナボコフが指摘した事実に反する部分(250箇所以上に及ぶ)の訂正にフィールドが頑として応じなかったためである。手紙から判断すると、二人の間が決裂状態になるのは『透明な対象』を出版した翌年の8月であり、この小説を執筆していた当時はまだ平穏な関係が続いていたのであるが、あたかも未来を透視する能力をナボコフ自身が備えていたかのように、「ベーコン用に飼育される豚」の名で呼ばれるタムワースには近い将来のフィールドの面影が感じられる。ただし、Boyd教授によれば、実際にこの小説を書いていた時のナボコフには、ただでさえ気難しいフィールドを刺激するようなことを書くつもりはまったくなかったはず、とのことである。「季節を遡」って「今」の地点から見るとどうしても奇妙な偶然の一致に見えてしまうのだが……。
 フィールドはナボコフ研究の初期における第一人者であったが、1990年代初めにブライアン・ボイドの浩瀚かつ詳細緻密な2巻本の伝記が出るに及び、フィールドの著作の信憑性が否定され、現在ではその権威は地に堕ちている。


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「パラフィン紙の小袋」
ナボコフは採集した蝶を保存するのにもっぱらこの小袋を使っていた。


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「恋路の図」か「虐めの図」
「恋路の図」は小説中の恋愛の過程を寓意的に示した図で、マドレーヌ・ド・スキュデリ(1607−1701)の小説『クレリー』(1654−1660)に挿入されて人気を博したもの。「危険海」や「無関心湖」が見える。


La Carte du Tendre


「恋路の図」
La Carte du Tendre, gravure, 17e siecle - Paris, B.N.F.

http://www.ac-rouen.fr/pedagogie/equipes/lettres/tendre/debut.html


 アルマンドの心を勝ちとるためのヒューの奮闘は、現実にはケーブルカーの乗り場までの山道をみなと同じペースで登ることにすぎなかったのだが、この小説の別のレベルにおいてはドラゴンに囚われた姫を助けるおとぎ話の冒険談でもあり、「恋路の図」に描かれるにふさわしいものであった。
 短篇「ランス」においても、未踏の惑星を探検する科学者ランスは、アーサー王伝説の騎士「湖のランスロット」でもあり、両親が宇宙を眺めながら想像する息子の探検は、惑星間の峡谷を渡り、切り立った断崖を横切る体の古典的な危険に満ちた冒険として描かれる。
「この物語(私のつもりでは一種の天空図)で役割を演じるのは、点の一つ一つ、ピリオドの一つ一つなのである」(若島正訳「ランス」『ナボコフ短篇全集II』)でナボコフ自身が語っているように、物語のテクストをこのような図として考えることは、ナボコフのお気に入りの手法の一つであった。『透明な対象』に何度か登場するゲラをめぐる語りも、その手法のヴァリエーションと見ることができる。

「大きな白い蝶」
 子供時代から蝶に対する人並みはずれた強い興味、愛情を生涯持ちつづけたナボコフは鱗翅類学者としても有名である。興味深いのは、鱗翅類学者としてのナボコフが文学者のまったく別の一面というわけではないことであり、ナボコフの残した蝶に関する文献が最近のナボコフ研究の新しい主題の一つとなっている。ナボコフがやはり生涯情熱をそそいだチェス(この小説の表層には単語として2箇所に登場しているだけであるが)、より正確にはチェスプロブレムも鱗翅類学同様ナボコフ文学の中枢と深い関わりをもっており、ナボコフを理解する上でこの二つは欠くことのできないジャンルであると言われている。

「ヴィッテンベルクに雨が降っていても、ヴィトゲンシュタインには降らない」
 ヴィッテンバーグはハムレット王子が留学して哲学を学んだ地として知られる。ヴィトゲンシュタインと頭韻を踏むことと、哲学とのからみで引き合いに出されたものであろう。
 ヴィトゲンシュタインは雨にまつわる忘れがたい断章をいくつか残している。「たとえば、わたくしは、いま雨が降っているか、降っていないかのいずれかであることを知っていたとしても、天気について何かを知ることにはならない」(『論理哲学論考』4.461)。これなどはまるで「雨が降っているか、降りそうか、降っていないかのいずれか」の書き換えであるかのように思われる(書かれた時代からして順序は逆であろうが)。
 ナボコフが自分よりも10年早く同じ月に生まれた(ヴィトゲンシュタインは1889年4月26日生まれ)この奇矯な天才についてどう思っていたかは知るすべがない。この小説以外に、公表されたものとしてはヴィトゲンシュタインについて何も書き残していないからである。
 1966年のインタビューで、ナボコフはヴィトゲンシュタインの著作については何も知らないと答えている。二人ともケンブリッジ大学のトリニティ学寮の卒業生であるが、専攻も在学期間も異なっていた。ヴィトゲンシュタインは1912年から13年にかけて哲学科の学生として在学し、その後特別研究生として29年にケンブリッジに戻り、その年に博士号を授与されている。ナボコフは1919年に入学し、フランス文学とロシア文学を専攻して22年に卒業している。ケンブリッジ時代にはヴィトゲンシュタインのことは聞いたことがなく、50年代までは名前も知らなかったとナボコフは述べている。その後両者は、1949年の9月から10月にかけて、コーネル大学のあるニューヨーク州イサカにそれぞれ滞在していたが、邂逅の機会はなかったらしく、記録は残っていない。
 しかし『透明な対象』を読む限り、ナボコフはおそらくこのインタビューの後にヴィトゲンシュタインを読んだということを確信せざるを得ない。たとえば21章のR氏の手紙の最後に書かれた「その書物でも、一瞬のうちにしか理解しえないことを一閃のもとに表現することは決してできない」は、「すべての命題の形式について、およそ前もって語りうるところのものは、ことごとく、一瞬のうちにかたられねばならぬ」(5.47)を思わせるし、24章の最後に出てくる「奇怪な覚え書き」は「人間の魂の時間的な不死、いいかえれば、魂が死後も永遠に存続するということ、これにはどんな保証もないし、それどころかこれを仮定したところで、ひとがそこに託した希望はけっして満たされない。そもそも、わたくしが永遠に生き続けることによって、謎が解けるというのか。そのとき、この永遠の生命もまた、現在の生命とひとしく、謎と化さぬか」(6.4312)の「翻案」であるかのように見える。以上の引用はすべてヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』(藤本隆志、坂井秀寿訳、法政大学出版局)からであるが、この書物の原題は『トラクタートゥス・ロジコ=フィロソフィクス』である。これまた『トララティションズ』という難解なタイトルへのR氏のこだわりを思い出さずにはいられない。
 「奇怪な覚え書き」を書いた人物、ヒューが精神病院で一緒だった末期状態の患者についての「悪い人間ではあっても良い哲学者だった男」という人物評は、彼と関わりのあった一部の人々にとってのヴィトゲンシュタイン像そのものではないだろうか。また最後まで明らかにされないR氏の本名「二つに分けた古城と奇岩の間に貴族小辞が付い」た「長ったらしいドイツ系の名前」にも「フォン・ヴィトゲンシュタイン」のかすかな木霊が聞こえるように思える。Rを裏返した文字Яはロシア語で「私」を表すが、確かにR氏には鏡に映ったナボコフの面影もある。ナボコフが作品の中で自分らしき人物を登場させることはよくあるが、その人物を実在する他の人間と分かち合っていることは非常に珍しいことである。
 ヴィトゲンシュタイン濃度が突然高くなるこの23章、24章に至るまで、そしてこれ以降も、この小説のあちこちにヴィトゲンシュタインへの言及が散りばめられている。一つ例をあげると、ヒューがアルマンドのアルバムを見ているところで、ルイス・キャロルをわざわざ「ラトウィッジ」と記していること。R氏の衒学趣味もあろうが、おそらくこれがルートヴィッヒの英語名であるためであろう(ただし、ヴィトゲンシュタインには少女愛好癖はなく、ゲイであった)。
 明敏なナボコフ読者から細部に隠された鍵を発見する喜びを奪うことは大罪であろうから、これ以上見え隠れするパズルのピースをあれこれと指さすことはやめておく。
(参考文献 中田晶子「死と隠蔽――Transparent Thingsを中心に」"Wittgenstein Echoes in Transparent Things"

「塵は塵に」
 The Book of Common Prayersの中の葬儀に際しての文句。「灰は灰に」と続く。この英語の祈祷書は古くからいろいろな版が出ているが、日本ではまとまった本としては出版されておらず、当日教会で参加者にその時々に必要な部分がパンフレットの形で配布される。

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「わたしは思い出す、わたしは思い出す」
 トマス・フッド(1799―1845)の同名の詩(1827)のフランス語訳。グッドグリーフはフッド(Hood)をロシア語に転記したグッド(Good)に、プルーストの『失われた時を求めて』を英訳したC. K. スコット・モンクリーフの姓の後半を連結して作った名前である(LoA版の註による)

「ボー・ロメオ」
 ストレザに実際にあるホテルは、マッジョーレ湖畔に建つグランド・ホテル・デジレ・ボッロメー(Grand Hotel des Iles Borromees. http://www.borromees.it/index2.html)。ストレザから遊覧船が出ているボッロメオイレ諸島は、この地に宮殿を持っていたミラノ貴族ボッロメオ家に由来する。ヒューはこのホテルを「美貌のロメオ」と記憶していたわけである。
 LoA版の註ではこのホテルの名前が少し違う形で記載されている。Boyd教授に問い合わせて上記のホテルの名前を確認していただいた。

「ムシュウ・ウィルド」
 オスカー・ワイルドのパロディらしき人物。ウィルドはワイルドのフランス語読み。ワイルドには、愛する女をベッドで殺してしまった男をうたった詩The Ballad of Reading Goalがある(LoA版の註による)
 ナボコフはワイルドを12歳までは大いに楽しんだというが、長じて後はあまり評価していなかった。「脱領域作家」においてナボコフをその多言語性ゆえに時代の精神の代弁者と論じたジョージ・スタイナーについても、ワイルドをナボコフやベケットら多言語作家の先駆者と位置づけたことに対して「ワイルドのフランス語の能力を理不尽なまでに過大評価している」と述べている(Strong Opinions、288)
 7章の註にもあるように、短篇「ヴェイン姉妹」(『ナボコフ短篇全集II』)の交霊会にはワイルドの霊も現れている。
「オスカー・ワイルドが登場して、いつもの英語風フランス語で早口でまくしたてたのは、どうやら私のメモによると「剽窃[プラジャチスム]」のかどでシンシアの死んだ両親を非難していたらしい」

「ドール・ワイン」
 スイス産最高級赤ワイン「ドール・ド・シオン」。


「小犬を連れた奥様」
 この泊り客の女性は、アントン・チェーホフの「犬を連れた奥さん」のヒロインのパロディである。
 ナボコフはチェーホフを高く評価し、彼が他のロシア作家に与えた評価としてはトルストイのAプラスに次ぐAをプーシキンとチェーホフに与えている。他の作家の評価は、ツルゲーネフがAマイナス、ゴーゴリがB、ドストエフスキイはCマイナス(かDプラス)で、「チェーホフよりもドストエフスキイが好きな者にはロシアの生活の本質は決して理解できないだろう」とウェレズリー大学の女子学生たちに話していた(Hannah Green, "Mister Nabokov," 37)
『ナボコフのロシア文学講義』は、ナボコフがコーネル大学で教えていた1948年から約10年間の間に行った講義の草稿をまとめたものだが、チェーホフの章では他の2つの作品と共に「犬を連れた奥さん」が論じられている。
 短篇「フィアルタの春」は「犬を連れた奥さん」のナボコフ版というべき作品。


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「セリカネット」
 セリカは中国の古名。ここでは中国産の絹を指していると思われる。ナボコフが作っていた用語ファイルでは、「セリカナ」という語が中国の地名となっており、『透明な対象』で使ったという印がついている(LoA版の註による)


「アミルカー」
 アミルカーはフランスのスポーツカーで、会社は1920年代に創業、フランスだけではなく、当時ナボコフが居住していたドイツでも人気を博していた。アミルカーの名前をナボコフが知っていた可能性は充分にある。この場面にインスピレーションを与えたように見える下の写真(もっとも犬はさほど悲しげではない)は60年代のものである。ナボコフの息子ドミトリーはヨーロッパでオペラの仕事をしていたが、カーレーサーでもあったためスポーツカーには詳しかった。ドミトリー経由でナボコフが下の写真を見ていた可能性は十分に考えられる。



Courtesey Eric Favre

 アミルカー(あるいはハミルカー)はカルタゴの将軍ハンニバルの父親の名でもある(LoA版の註による)。この犬とペットショップの夫人の場面には直接の関連はないものの、ハンニバルのアルプス超えのイメージはこの小説全体に繰り返し出てきている(Boyd教授の指摘による)。
 ハンニバルは第2ポエニ戦争の際、象を率いてアルプスを超え、イタリアにはいってローマ軍に打撃を与えた。スペインの鉱夫の採掘技術にならって、アルプス踏破の邪魔になる岩盤を燃やした上で酢酸をかけ、もろくなった岩盤を砕いて通った話も有名である。ケルト人やゴール人がアルプス山中でハンニバルの行く手の邪魔をしたが、ケルト人は上から重い石を転がし落とすという戦法で兵士や象をパニックに陥れた。これらのエピソードは、たとえば、ヒュ−の父が晩年に見た夢を思い出させる。またハンニバルの隊列を襲ったゴール人の一族アロブロージのテリトリーにはサヴォワと高地サヴォワが含まれている。


「そこで瞬間的に思い出したのは……旋回していたのである。」 
 第24章にも登場するこの「絵本」は、イギリスの児童文学作家フローレンス・ケイト・アプトン(1873―1922)の絵本『野菜人間の復讐』The Vege-Men's Revenge(1897)を下敷きにしている。この絵本の物語は、菜園に野菜を取りに行ったポピー・コーンフラワーという少女が、野菜の王国に入り込み、そこからたまねぎのひくかぼちゃの馬車で地面の穴を通って地下世界にはいり、ジャガイモの王様、マーフィー王の宮殿に到着する。王様は日ごろ野菜たちに対して残酷な人間への復讐としてポピーを地面に植え、野菜たちのための食物として育てることにする。復讐心に燃えた野菜たちは、輪になって踊るうちに次第に速さを増し、光の輪になり、最後にはすべてのものが崩れ去り、ポピーは夢を見ていたことを知る。『透明な対象』の中でヒューが思い出す絵本とは違って少年は出てこないし、野菜たちの輪の中心にパジャマ姿の子供もいないが、ナボコフがこの絵本を思い描いていたことは絵本のクライマックスの数行を読めば明らかであろう。
「もう野菜たちは色のついたうずまきにしか見えません。ひゅーんひゅーんと回る音は、あらしがさけぶ声のよう。きいろい光がぼんやりかすんで見えてきて、『なにこれ、こわい悪夢みたい』」


「色とりどりの恐怖のダンスはいまやたけなわ」(『野菜人間の復讐』より)


「もう野菜たちは色のついたうずまきにしか……」

 なお、ジャガイモの王様「マーフィー」は、目覚めている時のヒューの世界では、睡眠薬の名前として存在している。
 少女が地下の世界に行き、そこで奇妙な冒険をするという物語の枠組みや晩餐会の場面、さらに最後にすべてが夢だったとわかる結末など、ルイス・キャロルの二つのアリス物語を思わせる部分も多い。野菜たちが踊りながら光の輪になってしまうところは、『ちびくろサンボ』のトラたちが木のまわりを走り回るうちに溶けてバターになってしまう場面にもよく似ているが、『ちびくろサンボ』は一年遅い1898年の出版である。
 アプトンの代表作は処女作でもある『二つのオランダ人形の冒険』(1895年。日本ではほるぷクラシック絵本の一冊として出ている)。この絵本の中に出てくる黒人の子供の人形ゴリウォグは独立したキャラクターとして人気を博し、ドビュッシーの『子供の領分』の一曲「ゴリウォグのケークウォーク」にもなった。この絵本は子供時代のナボコフがくりかえし読んだ一冊であり、自伝の中でも語られている。
「わたしが特に気に入っていたのは、青い上着を着て赤いズボンをはいた、石炭のように真っ黒な、シャツのボタンの目をつけたゴリウォグ人形で、5人の木の人形たちのちっぽけなハーレムを持っていた。アメリカ国旗を裁断してドレスを作る(ぺグは母親らしくストライプの部分をとり、サラ・ジェーンは可愛らしい星の部分だった)という違法なやり方で、二人は無性的な人形の関節の部分を服で隠してしまい、やわらかな女らしさを身につけていた。」(『記憶よ、語れ』第4章)。
 The Vege-Men's Revenge については、ナボコフのウェブサイトZemblaに掲載されているD. Barton Johnson氏の論文 "Nabokov's Golliwoggs: Lodi Reads English 1899-1909" にくわしい。
 この絵本は共訳者の若島正氏がひそかに所有しておられ、昨年「ノート」を作成するにあたって貴重な(高価な!)実物を初めて見ることができた。ここには絵本の文字の部分を載せていないが、文字は手書きで、野菜たちの足のような、傾いた独特の形をしている。

 <附記>翻訳の出典を記していない引用は、すべて注釈者の試訳による。


Works Cited
*「ノート」に出版情報のない英語の文献のみをあげてあります。

Appel, Alfred, Jr. Nabokov's Dark Cinema. Cambridge: Oxford UP, 1973.
Boyd, Brian. Vladimir Nabokov: The American Years. Princeton: Princeton UP,
  1991.
- - -. Vladimir Nabokov: The Russian Years. Princeton: Princeton UP, 1990.
Fowles, John. The French Lieutenant's Woman. Boston: Little, 1969.
Green, Hannah. "Mister Nabokov." Vladimir Nabokov: A Tribute . Ed. Peter
  Quennell. New York: Morrow, 1980, 34-41.
Johnson, D. Barton. "Nabokov's Golliwoggs: Lodi Reads English 1899-1909."
  Online. Available at Zembla
  (http://www.libraries.psu.edu/iasweb/nabokov/forians.htm).
Nabokov, Vladimir. Conclusive Evidence. New York: Harper and Brothers, 1951.
- - -. The Gift. New York: Vintage, 1991.
- - -. Lolita. New York: Vintage, 1989.
- - -. Nabokov: Novels 1969-1974: Ada, Transparent Things, Look at the
  Harlequins!
Ed. Brian Boyd. New York: Library of America, 1996.
- - -. The Stories of Vladimir Nabokov. New York: Vintage, 1997.
- - -. Speak, Memory: An Autobiography Revisited. New York: Vintage, 1989.
- - -. Strong Opinions. New York: Vintage, 1990.
Nakata, Akiko. "Boundary-Crossings in Glory and Transparent Things." Journal
  of Nanzan Junior College 28 (2000): 1-16.
- - -. "Wittgenstein Echoes in Transparent Things." The Nabokovian 45 (2000):
  48-53.
Steiner, George. Extraterritorial: Papers on Literature & the Language
  Revolution.
New York : Atheneum, 1971.
Upton, Florence K. The Vege-Men's Revenge. London: Longmans,Green & Co, 1897.