7日目
1999年10月10日(日)晴れ
アッシジ〜(176km)ローマ
午前:城壁に囲まれた中世の美しい町・アッシジ(Assisi)観光
12世紀に聖フランチェスコが生まれた町として世界中に知られ、その名を慕って巡礼に
訪れる人々は今も絶えないそうです。
1.サンタ・キアーラ教会(S.Chiara)
アッシジの名門貴族オッフェレドゥッチ家の娘キアーラはフランチェスコの熱心な信者
で、彼女が1253年に他界した後、1265年に教会が完成した。
2000年の大聖年に向けて修復工事中でした。
サン・フランチェスコ通りの途中に、聖フランチェスコが暮らしていた家がありました。
2.サン・フランチェスコ聖堂(Basilica di S.Francesco)
聖フランチェスコの死の2年後(1228年)に建設が始められ、まず下部教会がロマネスク−ゴシック様式で、
続いて上部教会がゴッシク様式で建てられた。
上部教会は、1997年の地震による破損修復中で見れません。
下部教会の入口は聖堂の左脇にあります。天井が低くて暗い堂内は冷たく厳しい印象を与えます。
下部教会では日曜のミサが行われていて大勢の人々で混雑しています。
下部教会の地下には地下礼拝堂(Cripta)があり、聖フランチェスコの遺骸が安置されています。
混雑していてゆっくり見れないので早めに切り上げて外で待っていたら、ツアーで一緒の
おばさまから「乾燥梅干し」をいただく。久ぶりの日本の味に疲れがとれます。
ラツィオ州(LAZIO) ローマ(ROMA)へ(約176Km)
途中、お土産屋さんに寄る。色々なチーズを試食して口に合うのを買う。
ソーセージも本当に美味しく買いたかったが(本当は日本に持ち帰ってはいけない)、試食
をたくさん食べて我慢する。
ローマ(ROMA)到着
とうとう到着です。日本の本土の半分の距離(青森〜名古屋)を走る。
昼食は、なつかしい日本食。(hamasei)
皆様、アルコールなし、話もしないでもくもくと食べていました。
またまた、私の近くにいたおばさまが海苔を持ってきていてご馳走になりました。
美味しかった。
ローマ半日市内観光
永遠の都ローマ。ローマは大都市です。ローマは1日では見れずの始まりです。
1.トレヴィの泉(Fontana di Trevi)
ビルの間を歩いていると、急に視界が開け人だらけ。何かと思えば泉ではないか。
ポーリ宮(Palazzo Poli)の壁面中央に刻まれた勝利のアーチを背に立つ海神ネプチューン、
左右の2頭の海馬と、それを操るトリトン。
建築と彫刻と水が一体になった、このバッロク芸術の傑作は、1762年に若い建築家ニコラ・サルヴィ
(Nicola Salvi)によって完成された。
”ローマへもう一度戻りたいと願うなら、後ろ向きにコインを投げよ”
ガイドさんはさらに、
”二枚投げると好きな人と結ばれる”
”三枚なげると嫌いな人と別れられる”
と言いました。本当かな?
ところで、どのコインを投げるか? リラか円か?
またまた、助っ人、Kさん夫妻が教えてくれたのは、やはり日本の5円。
何と言っても、日本人にはご縁(5円)が大切と。
ということで、5円をいただいて1枚投げたのでした。
2.サン・ピエトロ広場(Piazza Sun Pietro)
左右に2列、284本の柱が列ぶ、楕円形の大きなサン・ピエトロ広場。
なかなかそう簡単には造れそうにもない大きな広場です。
3.ヴァティカン市国のサン・ピエトロ寺院(Basilica di San Pietro)
カトリック教会の総本山として、規模、装飾ともに、世界屈指の荘厳な宗教建築です。
現在、サン・ピエトロ寺院の建つ場所は、ローマ時代には共同墓地で、64年頃にこの辺りで、
サン・ピエトロ(聖ペテロ)が異教徒の罪によりネロ帝によって逆さ十字に架けられたという。
その後、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝は、サン・ピエトロの殉教の地に聖堂を建てさせ、
アッピア街道沿いのカタコンベに安置されていた聖ペテロの遺体を聖堂地下の墓に埋葬し直した。
こうして、サン・ピエトロ寺院の前身のコンスタンティヌス帝の聖堂(Basilica di Costantino)は
315年に工事が始まった。
現在の聖堂は、1506年に教会再建に着手し、1626年に献堂された。
サン・ピエトロ寺院再建にあたっては莫大な資金が必要だった。
財政難に陥った教会は免罪符を売ることで、この危機を乗り越えようと考えた。
免罪符はドイツを中心に売りさばかれた。
やがて、免罪符は良心的な聖職者のカトリック教会への不信と造反を招き、宗教改革の引き金となった。
スイスの傭兵
寺院の入り口にスイスの傭兵(私服)が立っています。
ツアーの女性の方が1名検問に引っかかりました。傭兵いわく「スカートが短い」。
私には普通のスカートに見えますが、美しい方なので歓迎してくださったのかも。
しばらくして、無事通過できました。
とにかく大きい教会です。大きすぎて距離感がおかしくなります。
教会内部の装飾も凝っています。説明を聞きながら見ているとなかなか忙しくて印象に残りません。
4.コロッセオ(Colosseo)
大きな建築物です。時間がないため内部は見れないので、回りを一周ジョギングしてきました。
裏のほうが昔の面影を残しているようです。
コロッセオはヴェスパシアヌス帝の命で72年に建築が始められ、その息子ティトゥス帝の時代に完成した。
皇帝の家名を採って、当時はフラヴィオの円形劇場と呼ばれ、長径188m、短径156m、周囲527m、
高さ57m、5万人収容という、文字どおり巨大な(コロッサーレ)な建築物であった。
血なまぐさい見世物は次第に下火になり、6世紀の半ばには廃止された。
例に洩れずコロッセオも恰好の建築資材の提供の場となり、表面を飾っていた大理石や
上階部分の石材が持ち去られてしまった。
隣には、コンスタンティヌスの凱旋門(Arco Di Constantino 315年建築)があります。
夕食時、5日間一緒だったバスのドライバーのエジスタさんにお礼をする。
お礼は、使い古しのテレホンカード、穴の開いた小銭など。
イタリアでは、テレホンカードの収集が流行しているそうです。
また、穴の開いた小銭は珍しいのだそうです。
HOTEL SAN GIORGIO(ホテル サン ジョルジオ)に泊まる。
1999年10月10日(日)の支出
ベッドメイク L1,000
チーズ L10,000
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計 L11,000