4日目
2011年9月25日(日)晴れ
グラナダ(バス/約2時間30分)→ミハス(Mijas)(バス/約3時間30分)→セビリヤ(Sevilla)
夜、フラメンコディナーショー
3時に目が覚める。
4時ころまで通行人が大声で話すのが聞こえる。
8:03グラナダ出発
途中、高速道路で交通事故があり、自家用車が中央分離帯に激突して大破していました。
安全運転で行きましょう。
9:45白い村ミハス(Mijas)着
アンダルシア地方ならではの白壁が美しいミハスです。
毎年、夏が来る前に家に石灰を塗るそうです。
ミハスは自由行動で、添乗員さんから闘牛場に行くように勧められる。
添乗員さんから地図(おみやげ屋さんの地図)をもらうが、これが分かりにくく、迷子になる。
かなり遠回りしてようやく闘牛場にたどり着く。(それだけミハスを満喫したかな?)
ガイドブックの地図も見るのでした。
小さな闘牛場です。牛になった気分で。
おみやげ屋です。
11:20出発
途中に風力発電の風車や太陽光発電の大規模なソーラーパネルがありました。
12:50レストラン着
昼食:ペスカードフリートス(魚介のフライ)
リオハ グラスワイン 4.75ユーロ
13:50出発
添乗員さんより
アル・アンダルースの時代にコルドバ→セビリア→グラナダの順に栄える。
カルテドラは世界で3番目に大きい教会。
ちなみに1位はローマのサン・ピエトロ大聖堂、2位はロンドンのセント・ポール大聖堂。
セビリアはスペインのフライパン。(とても暑い)
セビリヤ(Sevilla)市内観光です。
古くは西ゴート王国の首都だったセビリヤが、ジブラルタル海峡を渡って来たモーロ人に
征服されたのは712年のこと。
以後500年以上にわたって町はイスラム文化繁栄の舞台となる。
レコンキスタを進めたカスティーリャ軍は1248年にセビリヤを陥落させた。
「カルメン」の舞台になった旧タバコ工場を車窓から見る。
現在は、セビリヤ大学の法学部となっている。
16:00スペイン広場(Plaza de Espana)着
1929年のイベロ・アメリカ博覧会の会場として造られた。
とても大きな建物と広い広場です。
そして、快晴なのでとても暑いのです。
半袖と半ズボンのほうがよいですね。
中央の建物をバックに、添乗員のYさんと。
この後は建物のテラスの涼しい所に沿って帰る。
現在、建物は政府機関の事務所になっているようです。
16:20出発
途中の黄金の塔です。
16:40カテドラル(Catedral:セビリヤ大聖堂)着
現地ガイドはエドアルドさんです。
「後世の人々が我々を正気の沙汰ではないと思うほど巨大な聖堂を建てよう」。
1401年に開かれた教会参事会の決定により、モスクの跡地に建設を開始、
約1世紀後の1519年に完成した。
スペイン最大、またヨーロッパの聖堂としてはローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンの
セント・ポール寺院に次ぐ規模を誇る。
カテドラルとヒラルダの塔(Giralda(風見):高さ97m)
オレンジの中庭
16:47ヒラルダの塔に登る。
観光客で混雑した螺旋の坂道を登ること約15分、高さ70mの展望台に到着。
展望台も観光客で大混雑で、写真を撮るのにも順番待ちです。
カテドラルの屋上です。
17:10集合
王室礼拝堂です。
コロンブスの墓です。
当時スペインを構成したレオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴンの4人の国王が棺を
かついでいます。
聖アントニオ礼拝堂のムリーリョ(1617-1682)作の「聖アントニウスの幻視」です。
大きな絵です。
1874年に右下の聖アントニウスは切り取られて盗まれたが、ニューヨーク見つかり
修復された。しかし、切り取られたあとが残った。
サンタクルス街(Barrio de Santa Cruz)です。
アルカサルの北側に広がる、かつてのユダヤ人街です。
狭い路地で日陰を作り、夏は涼しくなるようにしたそうです。
当初はキリスト教徒とユダヤ教徒の共存がみられましたが、14世紀半ばのペスト大流行の原因が
ユダヤ人に帰されるなど反ユダヤ主義の風潮が強まり、14世紀末にはユダヤ人追放が始まり、
その影響は他の地方へも波及していきました。
1492年にユダヤ人が追放されてからは、セビーリャの貴族が住みついた。
17:45トイレ休憩
歩いているとけっこう暑く、のどが渇きます。
ミネラルウオーター(0.5L) 1ユーロ
18:05出発
この後、ムリーリョ公園へ。
コロンブス記念塔です。
1485年頃、コロンブスはポルトガル王に航海の援助を求めるが失敗する。
1492年1月2日にムーア人の最後の拠点であったグラナダが陥落したことで、
スペインに財政上の余裕ができた。
コロンブスはイサベル1世の援助により1492年8月3日にサンタ・マリア号など3隻で出航する。
1492年10月11日、コロンブスは新大陸航路を発見する。
セビリアはコロンブスが新航路を探索に出発した地です。
サンタ・マリア号を模した船の舳先は新大陸(アメリカ)を向いています。
(その後、インディアンの大虐殺の歴史が始まる)
1493年5月4日、ローマ法王勅書は、アゾレス諸島の西100リーグの分界線を定め、
スペインはこれによって、新大陸を探検し植民する独占的な権利を手にした
1497年、アメリゴ・ベスプッチ(フィレンツェ生まれ、セビリアにあるメディチ銀行に出向)
がセビリア港から出航した。
その後、アメリゴ・ベスプッチはコロンブスが到達したのはインドでなく新世界であることを証明した。
そのため、新大陸にアメリカという名前が付けられた。
現地アシスタントは守部さんです。
19:07フラメンコディナーショー
フラメンコの発祥の地アンダルシアで情熱的なフラメンコです。
大きな劇場のような会場です。
20:36出発
現地アシスタントさんはホテルを間違ったので、かなり遠回りしてホテルへ。
21:50ホテル着
セビリア泊
宿泊は、ベルティー・セビリア(VERTICE SEVILLIA)です。
2011年9月25日(日)の支出
ミハスの闘牛場 3 ユーロ
グラスワイン(リオハ) 4.75
ミネラルウォーター(0.5L) 1
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計 8.75