ナキウサギとは
ナキウサギの仲間は地球上に18〜25種いるが,1科1属とされているように,互いに形態などがよく似ていてよくまとまったグループである.地理的分布をみると北アメリカに2種がいて,他はすべてアジア大陸にいるが,特にヒマラヤ山脈近辺に多い.
北海道でナキウサギが発見されたのはそう昔のことではない.置戸町で山火事の跡地に植林されたカラマツを加害する害獣として,1928年(昭和3年)10月に捕獲されて以後のことである.日本では北海道だけに生息しているエゾナキウサギは1930年に新種として発表されたが,現在はキタナキウサギの1亜種と位置づけられている.エゾナキウサギという名は標準的な和名で,学名はOchotona hyperborea yesoensisと言う.キタナキウサギOchotona hyperborea はウラル,シベリア,モンゴル,中国北東部,朝鮮北部,カムチャツカ半島,サハリンに広がっている.8亜種があるが,その分け方や分布についての研究は十分ではない.サハリンに住むものはエゾナキウサギと異なる亜種だとされているが,検討が必要である.
エゾナキウサギ(写真−1;×4[4倍の大きさで表示])は耳介が丸く短く,一見尾のないネズミである.実際は5〜7ミリメートルの尾があるが,約10ミリメートルの長さの体毛にかくれている.ネズミの仲間ではなくウサギの仲間である証拠は,上あごの切歯(門歯)が2対あって前後に並ぶことである.足は短く,前足の指は5本,後足の指は4本である.前足でものを押さえることはできるが,つかむことはできない.成体の体長は15〜18センチメートル,体重は120〜160グラムである.年2回毛変わりし,夏毛は赤褐色,冬毛は毛がより密になり灰褐色から暗褐色である.
分布
北海道での分布域の北限は北見山地渚滑岳の少し北で,南限は日高山系のほぼ南端の豊似岳南東の三枚岳である.東限は置戸町勝山付近,西限は夕張岳である.山塊で言うと,北見山地,大雪山系,日高山系,夕張山地で,北海道全体からみると限られた地域に分布している.標高でみると幌満の50メートルから旭岳頂上2290メートル近くや北鎮岳頂上の2244メートル,白雲岳頂上の2230メートルにわたるが,主な生息地は山岳地帯だと言える.
さて,エゾナキウサギは現在の分布を大昔からずっと保ってきたのではないし,もとから北海道にいたのでもない.氷河が発達して海面が下がり,間宮海峡と宗谷海峡ともに陸橋があったヴュルムI期,3.5万〜4万年前に大陸から北海道に渡ってきたと考えられている.その後,氷河が北へ後退していった後も,山岳地帯に生き残ったので遺存種といわれる.ヴュルム氷期の最盛期には津軽海峡にも陸橋があったが,本州への進出どころか石狩低地帯を越えて分布を広げることはできなかったのかもしれない.あるいは1度分布した後絶滅してしまったのだろうか? 現在でも石狩低地帯以南の山にも生息しているとの情報があり,現地調査をしたが確認できていない.たとえばイワオヌプリ山にはいてもよさそうな岩礫地があるが,いないとすれば夏の温度が高すぎるのかもしれない.同じく生息情報があった徳舜瞥岳は,岩礫地の数が少なくまた広がりが小さいので,永続的に個体群を維持するには難しいように思う.
すみ場所
すみ場所は露岩帯とかガレ場とかいわれる,岩礫が積み重なったところ(写真−2;×4)か,その上に森林ができたところである.このような岩礫の堆積地はナキウサギにとってどういう意味をもっているのだろうか?
ナキウサギにとっては12℃前後という低温が好適だといわれ,20℃以上だと食欲が減退するといわれる.寒冷な気候に適応してきたためか,高温に弱い.アメリカナキウサギの体温は40℃前後と高いが,低標高地において太陽にさらされたままだと6時間後には死亡してしまう.
幌満の50メートル,豊似湖の250メートル,置戸の400メートルといった低い標高においても分布しているので,標高そのものは分布を制限しない.しかし,高温に弱いという生理的性質による制限はあるはずである.ナキウサギに好都合な低温条件を自然において提供するのが,露岩帯か岩礫の上に成立した森林である.岩礫の隙間の温度は,夏では気温よりも10℃前後も低い.とくに林中の穴からはかなりの冷気が吹き出している場合がある.北見地方では風穴とよばれる天然の氷室があるが,そのほとんどにナキウサギが生息しているという.
岩礫の堆積地は,地下では4方8方に道が通じていて,捕食者から逃れるため,そして巣として利用するための場でもある.だからすぐ崩れてしまうような堆積ではだめで,隙間があるが固定して動かないようになっていなければならない.さらにまた,全くの岩ばかりではだめで,食物となる植物がなければならないが,たいていの場合は,岩礫のところどころには土があって草本や灌木が生えるし,多くの場合森林が近くにある.たいていの植物が餌となるので,食物条件はあまり制限要因とはなっていないようである.
繁殖
交尾期は5月から6月で,出産は5月中旬から8月上旬である.妊娠期間は調べられていないが,他の種を参考にすると30日前後だろう.胎児数あるいは産子数についてもあまり資料が得られていないが,いままでに調べられたものをまとめると,3がもっとも多く7例,2は4例,4が3例,5が2例,1が1例だった.年2回出産する雌もいるが,ふつうには年1回出産し,2〜4個体の子を生むのだろう.
出産直後の個体は体長6センチメートルで体重10グラムほどで,急速に生長し,2週間ほどで離乳する.その後もしばらく親のなわばり内にとどまるが,8月以後に体重120グラム以上の成体となり,9月(2〜3ケ月令)には成体の鳴き声とほとんど区別できなくなる.この頃,親に追い出されて分散していく.あるいは雄は父親を雌は母親を追い出して,親のなわばりに定住する.分散していった個体は,なわばりを持った成体が死亡して空きにならなったところに定着する.そして翌年繁殖に参加するのである.しかし,そのようにして定着できなかったものは死亡する.うまくすると新天地を見つけて入植することになる.この過程をくりかえして,エゾナキウサギは北海道へ渡ってきたのである.
地上活動
ナキウサギが地上に出て行なう活動は,採食,日光浴,鳴き,排糞が主なものである.他に頬こすりがあるが,めったに見られない.頬こすりは,頬の後方にある頬腺からの分泌物を頭を横にして岩などにこすりつける行動である.ほんの1瞬の動作である.どういう機能があるのかわからない.なわばり維持に役立っているのだろうか?
鳴き活動
ナキウサギはその名のとおり,キツッという高くて金属的な声の鳴き(コール)で有名である.聞き慣れていないと鳥の鳴き声と間違えることがある.この金属的な鳴き声は多く場合単音であるが,連続的に数音から10数音発せられる場合もある.
等間隔に連続的に数音発する鳴きを長鳴と言うが,これは雄だけが発し繁殖期によく聞かれる.発声は岩の上に立ってするが,のどもとを伸ばしてやや上空を向き,1音ごとに口を大きく開けて耳を後ろに倒す.まさに金切り声を張り上げていますよといった風情である(写真−3;×4).繁殖期にはキツッ,キツッ,キツッ,キツッ,キツッ,キツッ,キツッ,キツッ,キツッ,キツッ,キツッ,キツッ,キツッ,キツッ,キツッ,キツッ,と最大16〜17音も続けることがあるが,夏から秋にかけて1長鳴あたりの音数は減っていき,4〜8音の場合が多くなる.
短鳴はふつう単音で,雌雄ともに発し,地下から発する場合もある.雌の多くの鳴きは短鳴である.ソナグラムという声紋を示すような図でみると,長鳴の音と短鳴の音とは異なっているが,ヒトの耳で聞いての区別は難しい.ソナグラムを用いると,長鳴の音で雄を個体識別できて,しかも季節によっても声紋は変わらない.
他にときたま聞かれるものとして,穴へ逃げ込むときにピュルルルルと尻下がりに発する鳴きがある.これは雌雄ともに発する.
鳴き活動は日の出前後と日没前後にピークがあるが,天候にも左右される.風があるとほとんど鳴かなくなるし,風がなくて雲っているときには昼にも結構鳴く.また真夜中にも鳴くことがある.夕張岳の標高1390メートルのところの大きい岩の近くでは,真夜中に1頭の雄がときたま鳴いた.気づいた鳴きを記すと,7月31日16時15分10音,16時31分11音,18時46分12音,20時19分11音,22時20分11音,翌日2時15分9音以上(11音?),2時30分4音,6時3分4音である.すべて雄に特徴的な連続音だった.しかし応答の鳴き声はなく,他の個体の鳴き声も聞かれないので,一体何のためなのだろうと思ってしまった.
応答鳴きは,2頭間で,多いときには数頭が互いに鳴き交わすものである.1頭が鳴くと数秒以内に他の個体が応答し,それが数回繰り返される.ほとんどの場合地上に出て鳴き,多くは番いでの鳴き交わしらしい.エゾナキウサギには,個体別ではなく番いでのなわばり制が見られる.
鳴きの機能は何だろうか? ケージ内で飼育すると全く鳴かないので,社会的な機能,すなわち番いや親子間,あるいは近隣他個体間でのコミュニケーションの機能をもっていると思われる.ナキウサギどうしの直接的争いはまず見られない.音声のよるコミュニケーションによってなわばり宣言し,牽制し合っているのだろう.冬にはその必要があまりないためか,鳴き活動は低い.
日光浴
日光浴は,風がなくて日光がほどよく暖かく当たるような時に見られる.日の出後2〜3時間ほどの頃に多く,2,3分から10数分間続く.日が当たる岩の上にしばらくじっとしていたり,ときどき向きを変えたりする.そのうちに,両足をのばしてベタンと腹を岩にくっつけたり,ゴロンと横になってしまうこともある(写真−4;×4).鳴くことはほとんどない.
採食
ナキウサギの採食はまことにせわしない.岩穴から出てすぐ近くのコケ類を食うとすぐ中に入る.とすぐに出て口で草を切り取り,近くの岩の上にのぼってもぐもぐと食う(写真−5;×4).ピタッと動きを止める.そしてまたすぐに切り取りに行き,再び同じ岩の上でもぐもぐとする.これが数回繰り返される.次には数メートル走って同様のことをする.ナキウサギが摂食する植物の種類は「植物なら何でも食べる」と言われるほど多い.
フン
ナキウサギはウサギと同様に盲腸フンと呼ばれたりする暗緑色の柔らかくて細長い軟便をする.ふつうは直径約3〜4ミリメートルの丸いフンをする.排出直後は表面がぬめっていて黒褐色だが,乾くと黄土色や薄茶色になったりする.岩や苔の上,まれに倒木の上にフンは見つかる(写真−6;×4)が,雨や風で岩から土の上に落ちたりする.地上での採食旅行のとき,1回に3〜10粒を排出し,1〜2段に積む.飼育下でみると1日にするフンの量は300〜1300粒である.
ところどころ,200〜1000粒も多量にフンが積まれているところがある.古いものではまれにその上にコケが生えていたりする.ナキウサギはハナゴケなども食べるが,そのとき胞子もいっしょに食べてしまうのかもしれない.フン場付近ではコケの下の土をよく見ると,ナキウサギの古いフンが固まっていて,下のほうでは土と区別がつかないようになっていたりする.
軟便は岩の上にしたり,貯食物の間に多数あったりする.多くはすぐにあるいは生乾きのときに食べるようだが,消費されなかった貯食物といっしょにそのまま残っている場合もあって,カビが生えていたりする.軟便はビタミン類が豊富なので食べると言われていたが,最近ではタンパク質を補うのだという報告がある.イエウサギでは軟便を食べさせないとビタミン類を与えても栄養失調で死んでしまう.そして,軟便は盲腸を通らないためにできて,普通のフンのほうが盲腸を通ってできると言う.ナキウサギでもそうだとすると,盲腸フンという呼び方は誤りだということになる.軟便についてはまだ多くの謎が残されている.
貯食
ナキウサギはまた貯食することで有名である.採食のときに何でも食べるように,色々な種類の植物を貯食する.草本類が多いが,木本類,シダ類,蘚苔類,キノコ類も運ぶ.地上から届くような草本や低木の枝は切り取って運ぶ(写真−7;×4)が,ナナカマドのような高木は登っていくのではなくて枯れて地上に落ちた葉や中肋を運ぶ.
近くのものを何でも集めるためか,地域によってまた貯食場によって貯食植物種がかなり異なってくる.多い場合では1ケ所に20種以上もあるが,数種類程度の場合が多い.クマイザサ近くの貯食場ではクマイザサ1種だけということもある.
貯食場としては,日光に当たるような岩の下の場合もあるが,あまり当たらない岩の下の隙間(写真−8;×4)や岩の間のかなり奥とか,あるいは日光がまず当たらない森の中の木の根の下の岩の上や岩の間が多い.日が当たらず湿度が高いところに置いてある場合は新鮮な緑色が長く保たれている.とくに植物を乾燥させているようにはみえない.
貯食は早い場合には7月末から始められるが,本格的には9月から10月である.ナキウサギは冬眠せず,貯食場は冬の間の食料庫なのである.雪の下にトンネルを掘って,ときには針葉樹の葉や皮をかじりに行ったりもするが,あちこちに貯食した植物を食べて冬を越す.十分な量よりかなり多くたくわえるようで,翌春に貯食場をみると,結構の量が残っている.
ガレ場にて
ガレ場の岩穴を巣穴の出入り口あるいは通路として使っているのは,エゾヤチネズミ,ミカドネズミ,ヒメネズミなどのネズミ類,シマリス,そしてオコジョである.ときにはウサギ,キツネ,シカやヒグマがガレ場に現われるが,個体数としては少ない.クマゲラやヤマゲラ[もとのアオゲラはまちがい]は上空を通過し,ルリビタキや多くの小鳥たちが近くの森でさえずる.ときたま岩場にやってくるのはミソサザイ.しかしすぐ去ってしまう.
シマリスの食物は木の実が主なもので,ナキウサギの食物とは重ならない.秋,シマリスはナナカマドの実をせっせと頬袋につめこむ.一方,ナキウサギは枯れ落ちたナナカマドの葉や中肋をせっせと貯食場に運ぶ.両者はかなり近くまで接近しないと知らぬふりのようだが,1〜2メートルほどの距離になるとナキウサギのほうが逃げる.どうもナキウサギのほうがシマリスよりも弱いようである.
ときたま朝や夕方前に,捕食者として知られるオコジョがガレ場に出てくる.ナキウサギよりもすばしっこく,1ケ所にじっとはしていない.オコジョそのものがめったに見られないのでどれほどの関係があるのかわからないが,ナキウサギはオコジョが5メートルほどの距離に近づいても岩上にいたことがある.
ナキウサギの生活はガレ場だけで完結してはいないが,ガレ場だけででも色々な生物と様々な関係をとり結んでいる.
ナキウサギと人とのかかわり
地球表面の裸地化とアスファルト化や森林の草地化が日本でも急速に行なわれているが,野生動植物にとっては個体数削減を意味する.かつてはほとんど人が訪れることのなかったナキウサギの生息地が,近年の道路開発や森林伐採のために破壊されるようになってきた.ダム建設のために糠平の黒石平で,交通量増加のために然別湖畔で1部の個体群は絶滅したと言われる.
1989年7月,道道鹿追糠平線の白樺峠の駐車帯上で幼体のぺしゃんこになった死体が見つかった.道路を横切ろうとして車に轢かれた可能性が高い.分散する時にほとんど死ぬのだから,この死亡自体はそれほど取り立てていうほどのことではないかもしれない.しかし,分散を実質的に阻止しているとなると問題である.現在の交通量でどれほど影響があるのかわからないが,鹿追糠平線での分断のうえに,計画中の士幌然別湖線ができるとさらに分断することになる.分断されると個体数が小さくなるし,相互の交流がないと遺伝的変異も小さくなって,不健全になりやすいし絶滅しやすくなる.車道ではなく,身近な自然を歩いて楽しむための散策路がよいように思われる.
人によってナキウサギとのかかわりは様々だろう.姿を見たことも鳴き声を聞いたこともない人,そもそも存在を知らない人,山に登ったとき岩場にいた姿を目にして印象づけられた人,写真をとるために何時間も静かに待つ人,あるいは餌付けしようとする人,研究のためとかで捕獲する人…….いずれにせよ,神秘的なと言われるナキウサギの生活も,右に述べたように今ではおびやかされつつある.
人間は自然の利用,広い意味での開発をせずにはおられない.しかし,今や人間の自然改造力は強大になり,規模が過大で,やさしさを欠いている.人間は知らずして自然に守られ,様々な自然の恵みを受けているというのに.
自然や動物とのつきあいにはルールがあるだろう.支配的地位にいる人間は弱者を思いやり世話をする義務がある.ある動物を取りあげれば,その動物の単なる生存だけでなく,健全な生活ができるように配慮することである.自然度の高い地域には人間の利便的な生活様式を持ちこむべきではない.野生動植物の生息地を最大限に尊重したいものである.これからは自然に学ぶことそのものがレクリエーションとなるだろう.そのような場を確保するためにも.
参考文献
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川道武男.1971.ナキウサギ社会への探検(一),(二). 自然,(1971/1): 54-62,(1971/2): 98-104.
Kawamichi, T. 1976. Comparative ethology and sociology of pikas (Ochotona, Mammalia). 北海道大学理学部博士論文.vi+216pp.
Kawamichi, T. 1981. Vocalizations of Ochotona as a taxonomic character. Myers, K. & MacInnes, C. D. eds., "Proc. World Lagomorph Conf. 1979" : 324-339.
Naess, A. (translated and revised by D. Rothenberg) 1989. Ecology, Community and Lifestyle: Outline of an Ecosophy. xiii+223 pp. Cambridge University Press, Cambridge.
**写真の説明**
写真−1 ×4[4倍の大きさで表示] 岩の上にたたずむエゾナキウサギ
写真−2 ×4 ナキウサギが生息するガレ場(裏白雲山)
写真−3 ×4 口を開け耳を倒して鳴くナキウサギ
写真−4 ×4 ゴロンと岩の上に横たわって日光浴するナキウサギ
写真−5 ×4 ただいまお食事中
写真−6 ×4 倒木の上のフン
写真−7 ×4 秋,ミネカエデの枝を口にくわえて脱兎のごとく貯食に走る
写真−8 ×4 岩下の貯食場.ナナカマドやアスヒカズラ,イソツツジ,ツルツゲなどが蓄えられている