平成12年9月4日(月)〜

願 い
 
 
 
 夏の終わり、白鷺が神田川の川床に休んでいた。巨鯉が来て、こう話しかける。
― もう水の冷たくなる季節でしょうか。
 白鷺は嘴を振って、
― まだじゃないかしら。雨の季節。も、まだみたいですしね。
 午後の、傾いてはいたが暑い日ざしがあたりに注いでいた。
 暗い青みある鱗を水面に光らせて言う。
― ずいぶん生きてきました。わたくしはここで育ちまして、上流も下流もよく知っています。先輩同輩、子供等はわたくしの宝ですし、皆さんのようなお客人たちも大切に思っています。
― どうも。
― 幸い、水の溢れることはあっても、涸れることはなくて、それにほとんどはこういう穏やかな毎日でしたんで、大過なく来ました。
― よかったですわね。
― ただ、残念なことがあります。若いころは食うことや寝ることやそればかりに気を取られて、本当の充足ということを知りませんでした。物思いすることが多くなって、この頃になって、恥ずかしいことに、あの石壁の向こうが知りたくなったのです。
― ああ、それならいくらでもお話しいたしますわ。
― ええ、ええ、お話しは、お客人たちから何十回もうかがいまして、おおよそどうなっているかは知っているのですよ。ただ、おわかりいただけるでしょうか、おなかが満ちることや、お話しで疑問が解けることや、そういう充足というのは浅いものなのです。このおなかの中や頭の中で満足するだけの、小さなことです。
― はあ、なるほど。
― 生き続けるというのは、どう言ったらいいのか、安穏に生き続けるというのは、つまり、そういう浅い充足で仕方ないと諦めることに要諦があるらしい、と、このごろ気づきまして。
― 善いお話しですわね。私どもの知り合いにも、分不相応な願いを持って、無残な終わり方をしたものがおりますわ。
― お恥ずかしいですな。実は、わたくし、その分不相応なものでして。
― あら。どういうことですの。
― お笑いくださいますな。ぶちあけた話し、ぜひお力をお借りしまして、あの向こうに連れていってほしいのです。
 白鷺は数度羽根を宙に打った。
― 馬鹿も休みやすみ、ああ、ごめんなさい。あなたはお魚なんですから。向こうは、あの石壁の縁まで地面がせり上がっていましてね、簡単に言えばこのお川の筋だけが落ち込んでると言いますか、とにかく、水などないんですよ。
― 存じております。
― 存じていてどうしてですか。干からびてしまうか、人間に切り刻まれるかだけですよ。
― 信じていただけないかもしれませんが、わたくし、それでいいんです。同じようなこの毎日を暮らしていくのが、どういうことか、本当のところがわかりましてね。たくさんの毎日はもういらないのです。一つの、素晴らしい体験のためなら、毎日は藻屑に等しいのだとわかりました。
― まあ、困ったことですわ。ええと、そう言われましても、あなた様のお身体の重そうなこと。とてもとても私だけでは。
― お仲間が、おそばに。あちらにもたくさん降りて休んでいらっしゃる。
― はあ。
― わたくし、この日のためと、用意してまいりました。布切れが流されてくることがありまして、適当な大きさのものをいくつか川底にかけてあります。同輩共にはもう十分言い含めてありますから、今持ってこさせますんで、
― ああ、でも。
― 大丈夫、大丈夫。あなたが心配することはないんですよ。ここらまではくわえて来れますから、そちらでその乾いた洲に広げてください。わたくし、若いころに鍛えた要領で、えいっと跳び乗ります。あとは皆さん端をくわえて、えいえいと上へ上へ。
― 残念ですわ。日が陰ってまいりました。もしかしたらもう夕暮れでしょうかしら。
 それは本当だった。堤防の底で、日陰になるのが早くもあった。ふいと涼しい風も吹き出すようだった。
― そんな、まだ平気ですから。
 石壁はまだまっ白く輝いているじゃあありませんか、と口を動かしたのだけれど、白鷺は大きく羽根をひろげると、舞い上がった。

 仲間たちのところに一旦降りて、しばらくすると、一羽二羽、そしていっせいに飛び立つ。水上を低く低く滑空し、上をかすめるようにして、この淀みには風紋だけを残して、皆、上流のほうへ去って行った。
 あたりはひっそりとした。今更のように水音が満ちていた。
 その鯉は、溜め息をついて、いつまでもあほづらをさらしていてもな、と自嘲してから、尾びれを揺らした。深いほうへ沈んでいった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
作品記録:
 平成5年1月3日(1993年)初稿。
 2000-05-22 小説工房談話室(第二期) #325 に「哀憐笑話(十三)」として発表。原文の記号「− 」など若干推敲。二稿とする。
 2000-09-04 本頁に掲載。二稿のまま。