平成12年9月4日(月)〜

うんこちびり
 
 
 
 千葉に生まれ横浜に親戚があった。幼いころ親に連れられこの親戚を訪ねるおりが幾度もあった。
 列車の全区間、私は靴を脱ぎ窓を向いて座った。嘆声をあげ効果音をつぶやき、去ってしまうわからないものを見送り、烈風に顔をさらしたり、閉められれば映るもう一つの像が景色の中を行くのを面白がったり、だから本当は好きなのだ、鉄道が。
 高校を出て二十代半ばまで東京に通勤した。新聞や本を読んでいればいい一時間とちょっとであり、じっとしていることはそれほど嫌いでもなかったので、たかをくくっていた。
 始発駅だから各駅なら座れた。が、それは時間によっぽど余裕があるときで一分を争う習慣になってしまうと毎夜遅い若者にはあまり縁のないこととなる。
 あえて書くまでもないだろうが、あの人いきれと何か読むことさえ遠慮がちにしなければならない雰囲気は、じっとしているということの本質を毎日毎日にまにまと私に教え込んでいった。後述する理由もあり、これが人間性無視の、家畜列車であるということがひと月もせずに納得できた。ほふられるためゆく家畜はこういう景色を見るのか、そんな想もわいた。
 スト権ストと言っただろうか、その季節になると特にひどかった。ある年、国鉄は止まったので暗いうちに出かけ私鉄に乗った。
 列車は動いたが、のろくかつ人が多すぎた。駅を経るごとにそれは、痛勤に慣れっこのはずの乗客にとっても異常の観を増していった。
 あまりの膨満に近代科学の誇る運輸車両も悲鳴をあげ走行中にガラスがぱりぱり割れた。車内では公然とわいせつ行為がなされ、女がたすけてくださいたすけてくださいと叫ぶのにだれも手を手、足を足として動かすことができない。私もたすけてくださいと言いたかった。みな息をするのがやっとなのだ。あろうことか、ええぞええぞという声まで飛ぶ。さすがに義憤にかられたそばの青年らがいたがこれも限度をこえ男は顔中血だらけにされていた。
 この車両、列車だけではなかったのだろう。家畜だとしても相当に粗末に扱われる等級であったと悟った。これ以上詰まらないはずなのに駅に停まるごとにホームからこぼれそうな人々が突撃してくる。降りたい人がいたとしても絶対に降りられなかった。何駅も何駅もの間どこにも行けない人間肉塊がその密度を高めながら順法速度でのろのろ進んでいった。ふだん三十分のところなら三時間かかる。しだいに何のためにこれら列車は走っているのか、わからなくなってくる。さながら、すべての狂気は東京に通ずという様相だった。


 いつもは、つまり運転手さんたちがちゃんと仕事をしてくれているときはこれほどではなかったが、苦行の箱であることに変わりはなかった。
 私にとっても、すべすべしたお尻が逃れようなく抑圧された股間に押しつけられた数刻など、ああなんて素晴らしいんだなど思うことはあったがこんなのは年に一度か二度。その他の二百何十日は辛抱の愚界だった。しかも、私の胃腸は神経性の不都合をもっていた。
 病気というほどではない。男でも女でも生まれつきのまともな神経さえもっていれば、たぶんもっているほど、そのけがあるだろうというやつだ。
 はじめ各駅電車でかよっていたが、快速電車にはトイレがついていることを発見し朝はそちらに替えた。が、決定的な意味はなかった。トイレから数メートル以内のところにポジションを取れなければ必要になってもたどり着くことはできない。たどり着けても今度は時間がなければ私の駅で降りることができない。なるほど、これは私のようなものたちの気分を安心させるためにある聖なる象徴なのだ、ということがわかった。停まる駅のすべてのトイレの場所を記憶し、ドア近くに陣取る。が、快速電車は駅間が長く、こらえる努力は何割か増しで必要であった。よって、快速電車は使うけれども、車内トイレに一番近い乗降ドアに張りついているという結論に達した。
 車両にドアは三つではなかったか。トイレは何両かに一ヶ所だったか。理想の場所には、私の降車駅の階段に近いドア、という条件もあったはずだ。
 朝家を出るまでに二度トイレに行った。痩せたいとかの理由ではなく朝食を抜くようにした頃もある。
 うんこちびり、と小学生の頃には言った。おしっこもらしは、笑われるけれど、そのうち忘れてくれそうだった。しかし、学校のトイレで大便をするだけでえんがちょを切られたから、うんこちびりなどしたらもう人間ではない人生は終わりであるということは明白であった。
 小学校で二度か三度ちびったことがある。隠しおおせた。自分で洗濯機を回した。大人になり、このように電車通勤するようになって、何度かちびった。が、うっすら匂うことはあってもおなら程度におさえられる量で、その場でもトイレに駆け込んでも取り繕うことは十分でき、昼頃には自分でも忘れられる程度のものだった。
 それまでは。
 いつもと違う日だったのかどうか、前の晩暴飲をしていたのか、私には重すぎる課題の渦中にいたのか、覚えていない。走って駅に着き、ぎりぎり乗れた。一息ついたがそれは理想的な場所ではなかった。汗が冷えてすぐ腹が痛くなった。たいしたことはなかった。次の駅で降り隣のドアに移った。次でまた移ったが、三度目はもう腹が痛くないのでやめた。
 そしてまた痛くなったときは、もうドアをかえても絶対に列車内のトイレに行き着くことはできない混雑区間になっていた。腕時計を見た。この電車をのがすと遅刻の可能性が多少生まれる。我慢した。つまずきの最初である。脂汗がにじんた。ドアが開いた。その駅ではトイレまでの距離がありすぎ次の間に合うためには最後の電車ものがしてしまうだろう。なんとか降りる駅までもちそうだったから、とっさに決断しホームから再び車内に戻り、さらに浮き沈みのなか一つ二つとやりすごして我慢を続けた。列車は最長区間を走り始めた。私のからだは後ろから扉のガラスにおしつけられ、それはわざとしている如く強く弱くもてあそんだ。回る洗濯機の水と泡が浮かび、そんなことが起こるはずはないと言い聞かせた。時計を見た。秒針の動きを一つ一つ数えた。思い切りエッチなことを想像した。が、救いにはならず、まず少量ちびってしまった。まだまだと私の経験が言っていた。これは案外染めてすらいないぜ。時計を見た。五分はある。が、いつになく列車が急いでくれるなら三分でつくかもしれない。希望を捨てるな。列車はいつになく途中で停まって、なにかアナウンスしている。動き出した。がんばれ、あと三分。
 しかしなにもかも遅すぎた。風景から間もなくであるということを察知しふと気が緩んだときだろうか、これほどの辛抱はしたことはないという大波が突然襲い暴れ歯が声を漏らしやっと引いたと思ったときに、あたりに変な低音が響いた。私の血が引いた。何が起こったかそれでも乗客はすぐには気づかなかった。そのうち身じろぎする感じが私の周りでした。
 駅の階段をおりながら、追加が生産されるのがわかりさっきまではまだ序章であり真の破滅が始まっているのがわかった。
 こういうとき個室のドアには必ず行列ができている。食いしばり青くなり視界が暗くうつろになりながら、力およばず分身どもがお尻でなまあたたかく増殖した。私は何百年も待った。自分に比べてこの人はもう超絶してしまっている、という畏怖のまなざしが行列にあっただろうが、それはこちらの意識の隅に過ぎなかった。
 順番が来て、ついにしゃがんだ。
 下着に描かれたものすごい金泥を見て、人間をやめたくなった。どれほどほうけていただろう。
 しかし会社を休むわけにはいかない。遅れることもできない。と考えた。私はぬぐい切れない下着を放棄し、ズボンの内側をていねいに最大限清潔にし、そして再び電車にのった。それでも数分遅刻してしまった。若い女性の多い職場だった。私の右隣りと左隣りと正面は、清楚で明るくてあしたにでも嫁さんにしたい娘たちばかりだった。だれかが首をかしげ鼻をくすくすした。私の耳は煮えたぎった。でも彼女たちはこころやさしい人たちでもあった。その日もそれからも、それ以上のことは何もなかった。


 心とからだは不可分である。苦しいと心がうめく。からだだってそれと同じで、噴き出したりたまらなく何か漏れ出したりするさ。
 生まれたばかりの頃はうんこちびりだし、元に戻る頃もうんこちびりだ。その短い中間の時間帯でも始源の我々の背景そのものの姿がたまに顔を見せるのは、ほとんど当たり前のことなのだ。
 なになに党まるまる派というのを作りたいわけではないが、同志よ、人間やめたくなることなど、このあといくらでもあるのだ。いちいちやめてたら百人分の命があっても足らないぜ。
 同志よ、少しは気がやすまったか。
 むしろ、何か辛い局面に立ち至っても、あのすごい金泥を思い浮かべれば、こんなことなにほどのことでもないと踏みとどまれる。そしてついでに言えば、これは、金泥ではもう慰めにならない惨劇にめぐりあうまでのつなぎに過ぎないのだ。次なる地獄を超えればそれがまたお前をささえる力になるだろう。
 我に苦難を与えよ、と古人は言ったそうだ。求める必要はないと思う。でもさいわいにも経験をつめたなら、どれほど質(たち)の酷薄な人間にも同情というものが理解できるようになる。良い例がここにいる。


 罪を憎むのはよしとしよう。相応の罰も与えよう。
 誰かある人がうんこちびりをし、うんこちびりをしなかった周囲の者がはやし踊る。しかし、これは断じて罪ではない。断じて罰ではない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
作品記録:
 平成8年3月18日(1996年)初稿。
 2000-06-18 小説工房談話室(第二期) #336 に「哀憐笑話(十四)」として発表。推敲有り、二稿とする。
 2000-09-04 本頁に掲載。二稿のまま。