平成10年1月1日(木)〜

缺けてゆく夜空

その一 間 宮

1 退職



 
 昭和五十八年、十三年前の春、会社を辞めた。
 間宮は、八年間無欠勤。有給休暇は退職前に数日だけ。惜しむらくはただ一回の遅刻七分間、という精勤だった。
 中規模の法経関係出版社だった。毎年、小説でも書いてみよう文芸的雰囲気にひたれたらという若者がたぶん数名は間違って入社してきていると思うが、扱っているのは例えば自己実現の法則とか賢い節税とかの実用書、源泉所得税法など内容のたまらなく堅い黒表紙の加除式法令集だった。間宮が配属になったのは直販する月刊誌の読者管理事務だった。
 仕事はもちろん楽ではなかったが、男女とも気立てのいい同僚が多く、しょっちゅう飲んだり遊びに行ったり年に幾回か若い連中で旅行したりもあり、居心地は決して悪くなかった。だけれど間宮は、失恋ばかりしていてちっとも良い目にめぐりあえないと感じていた。
 千葉の家の家業を継ぎたくなかった。
 東京に勤め先を見つけられて棺桶から片足は抜けたと思っていたのに、会社は別の棺桶であることを悟った、のかもしれない。いずれにしろ逃げられないのか、という憂鬱があった。
 経済誌を出している会社がそういうことにいい加減であっていいはずはない、という句がよくつかわれた。そういうこととは、縦横の一致、利潤追求姿勢、社内規律などを指した。
 未入金当初号数という用語がある。
 つまり月刊誌代金が充当されている最後の号数の次の号数という意味で、これが未来の号数ならまだ前受金があるということで、過去の号数なら売掛金となっている、ということ。これを目安に請求書などを発送する。入金になれば消しゴムで消して新しい未当号(未入金当初号数の略呼称)を書いた。
 月末、読者台帳の未入金当初号数をすべて拾うとその台帳分の資産あるいは負債(=対読者貸借金額)合計が出る。これと、前月末合計から、当月分入金、売上(=当月号発送冊数)、解約後売掛金合計、係や支店間の移管その他などを足し引いた計算上の今月末数字とを一致させる。これを月末統計と呼んだ。不一致があれば、何かしら誤処理があるのだ。たとえばある読者の入金記載が漏れているとか、読者を取り違えて解約扱いにしてしまったとか。一円でも不一致があるうちは新しい月の業務に入れない。管理している読者数は少ない担当者でも数千はあるので、二日三日、夜も遅くまでかかるのが普通なのに、間宮はたいてい一回目の計算で一致させ(イッパツという)統計初日定時で帰った。この種の仕事が性に合い好きだった。二日目三日目は他の担当者の不一致の世話を焼いたりする(頼まれなくても、ときには先輩にまで)。どこかに隠れているほんのわずかのミスを手間をかけ頭を絞り意見を交わし捜し出していく作業は、下手な推理小説など足下にも及ばないほどに面白かった。
 統計で未入金当初号数を拾うやり方は、方眼紙の縦に台帳の管内区分や頁を並べ横に未当号を並べ交わる四角に正の字を埋めていくというもので、限界近い根気と慎重さが要った。どこかで一件拾い間違えるだけでもう統計はおじゃんであったから。何枚もつかって拾い終わると、そろばんで集計し、管内ごとに縦計と横計の合計を一致させ検算していく。間宮は拾うのはひとよりも遅かったがまず絶対に間違えなかった。また、前述した通り、その一ヶ月の間の事務処理にミスがあれば統計は一致しないわけで、間宮はそちらの方でも年に一件弱しか誤処理が無かった。
 未当号の手拾いはあまりに難作業である、ということになり、セレクターという機械が入った。読者一件に硬質紙のマークカードを一枚対応させ、ここの該当する未当号の印を油性フェルトペンで黒く塗る(マークする)。未当号の変更があるときは駅員が使うのに似た鋏で旧マークをパンチして新未当号の印を塗る。月末に読者数分のマークカードをセレクターに通せば、機械が各未当号別の合計数をカウントしてくれる、というものだった。これは優れたシステムだった。統計に要する時間は半分以下となった。が、マークで現わせる情報量は限られ、台帳処理も今まで通り続けていたから、日々においてはマーク作業との二度手間になった。つまり、統計期間の繁忙を通常日に平準化したというのが実質で、この点だけでなら生産性が大きく上がったとは言えない。要は二重帳簿で、相互に突き合わせることで誤りが浮き上がりやすいとも言えるし、誤処理をする可能性が倍になったとも言えた。
 月刊誌の発送はそれまで、紙枠のついたパラフィン原紙に宛先を鉄筆で書いて読者カードとしており、謄写印刷機に連続して通して封筒を刷るという方法だった。これがセレクター導入後、リキッドデュプリケーター方式というものになった。直訳すれば湿式転写機だろうか。マークカードの上部は宛名欄となっており、各担当者が和文タイプで直打ちしたがこのとき、特殊なカーボンを当てるので、カード裏にその濃紺の染料が印字される。これを専用印刷機に通すと、アルコールが印刷面に一枚通るごとに吹きかけられここに染料が毎回少しずつ溶けて(転染して)複写がとれるというものだった。自分の筆跡はたいそう味があるが、業務用ではないなあ、と思っていた間宮は、くっきりした活字であることがまず気に入った。印刷は同じ手差しであったが、インクに汚れることがなく速度も格段に上がった。なにより、セレクターは任意の未当号のカードを抽出することができたから、今まで台帳を繰りながら印判とペンで書いてきた請求書の宛名が印刷で済ませられるというのがとても重宝だった(ただしカードを元の番号位置に戻すのは手作業だけれど)。
 セレクター時代になって、仕事は多少複雑になったが個々の処理はだいぶスピードアップをし、総じて言えば、省力化がうまく運んだ。同時に、まかされる読者数もしだいに増え以前の五割増しさらには倍となっていったから、各担当者の忙しさはあまり変わらず、間宮も依然として辛いけれどやりがいのある毎日を愚痴をこぼしながらも過ごしていくことができた。
 しかし、それからまた三四年経ってからか、今度はコンピューターを入れることになった。当時はオフコンと言った。方針説明と、新システムの「ここまでできてしまう」という概要に触れ、このあたりで間宮は、事務作業についてはもう自分みたいな職人芸の出る幕ではなくなっていくんだなという認識を持った。電話応対とかそっちに重心が移るかもしれないと感じた。セレクター導入時にあった混乱状態がまたしばらくあるのだろうと思い、これもおっくうだった。
 あと一年で台帳内容全部をオフコンの記憶に移すと決まった頃、夏の賞与支給額個別説明の際、支店の幹部に一年後の退職を申し出た。だから、新しい機械に逐われて、そういう退職であったという面は否定できない。
 けれども、この少し前の、ささやかな事件も無視できない。
 渉外の場合、一日回って契約が取れない取れても一件とか、継続誌の集金に行ったり他誌を勧めに行ったのに継続誌の解約を言われた、こういうのは〇一業務(ぜろいち業務。何をしに行ったのかわからない、経費をかけて損をしに行った)とみなされ、きびしいペナルティーが科せられた。
 ある日電話を取ったところ、前に解約を言ってあるのに本が送られてくる、という苦情だった。余計に届いた分は払わんよ。まず謝り、その時の連絡方法など確認し、次にそういう誤りのないよう万全を期しているのですが、などしばらく説明を続けていた。そうしながら間宮は、そのお客さんの話し方に特徴のある訛が混じっていることにふと気づいた。そういうつもりで聴いていると声にも覚えがあった。
 快活で人柄の温かい、四五年前に関西の支店から転勤してきた中年の社員がいて、その転居の手伝いでかなり振る舞われて以来何度も飲みに連れていってくれた。役職はまだ高くないのだけれど若い連中に慕われている人だった。間宮が酔いつぶれて電車の中で吐いたときは介抱してくれ自分の家の小学生の娘さんの部屋に泊めてくれた(つまり目覚めたとき赤いランドセルが見えた)、そんな恩まであった。
 そのお客さんの地区にはちょうどこちらの渉外が回っているはずで、書類を引き寄せるとその渉外担当者はやはり彼その人だった。
 まだお客さんとして接しながら、あまりに稚拙だ、と思った。向こうもこちらが誰だか聞き分けているはずだった。だからその時の彼の声は、親しい人をだます人のなまの声で、間宮はそれを聞いてしまった。人が良すぎて、慣れないことでもあって、悪事を周到に疎漏なく仕組めないんだ、とも思った。これはへたをすると懲戒ものだから知らぬふりをしてあげる、という考えは、よぎったかもしれないが一瞬も迷いはしなかった、若い間宮はそうはできなかった。人は人、この罪は憎まなければいけない、と。「少々お待ちください」といったん保留にし、そばにいた上司に事情を簡単に言って替わってもらった。上司は最後までお客さんとして応対して受話器をおいてから、間宮にうなずいた。この声は間違いないな、と。
 内勤者が解約電話を取って受理しても、それはなんらその内勤者の成績に影響しない。解約を通知するのは、お客さんの権利であるから。内勤の場合、たまたま解約を翻意させることができた件数が顕彰された。
 渉外と内勤を比べれば扱いに矛盾があるかもしれないが、だからといってこれをしてしまったら終わりではないか。それをしてしまって作った実績に数字にどういう意味があるんだろう。しようと思えばだれにだってできるだろうけど、それでもだれもしてないのに……
 お客さんのところを訪問したところ、解約を言われた。しかしそれはなかったことにして、そのお客さんが電話をかけたことにする。そのあとに訪問したことにすればよい。
 長たらしいようだが、間宮にとって初めてのことでもあったが、何年も仕事をしているのでからくりは一秒しないで見通せた。
 解雇にはならなかった。支店長の厳重注意ということでけりがついた。彼とそれからもなんの変わりもなく、間宮はしたしく酒を飲んだし同じ千葉方面なので帰り車内で一時間近くだべり笑い合うということもしばしばあった。が、あの時、電話線の両端でやりあったことについて、いつでもいつまでも互いに一言も口にしなかった。
 その月は特に苦しかったのかもしれない。解約率をこれ以上は上げられないと追い詰められていたのかもしれない。あの電話では知らぬふりをし、あとで酒の席ででも今度はかばえませんからときつく釘を刺しておく、そういう方法もあったのではないか。片方の目尻に皺を集め片手を立て、すまんかった、もうしないから、と約束してくれたにちがいない。間宮の上司が最初に電話を取っていればそうしていたかと思う。が、あのとき間宮は電話を替わるとき、言い捨てる感じで□□さんだと思いますと声に出しており、周りにも聞こえており、もう上司としてももみ消せなかった。むしろ消せないように反射的に間宮はそうしてしまっていた。
 自分がそういう酷薄な処置のできる人間であることを知ってしまった。
 どうしてそこまでしなければならないのか。あの人は。あるいは、自分は。この会社は、いや、ビジネスというものは人の心を苦しめるためにあるのか。
 明日は我が身。オフコンが軌道に乗れば人が余って、間宮も渉外に出されるかもしれない。良い成績が出せるわけないから追い詰められて嘘電話をし、後輩に斬られたりする。そんな風な見通しのほうもちらちらと見えてくる。
 自分で読みもしないものをひとに売るな、と言われているから、通勤電車の中などでも自宅でも、時間を決めノルマを決め気持ちを鼓舞しながら、世の経営者や経理マンのための月刊誌をいくつも通読し必要なら単行本も片付けてはいった。しかし、ほとほと嫌になった。利潤とか在庫とか損益分岐点とか民法とか相続税とか経営理念とかそういう活字のない本が読みたかった。

 




[1 退職 了]




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