題名について付しておく。
缺けてゆく夜空
どういう気持ちを込めた語句なのか、はなはだ無責任ながらよくわからない。
文中にある通り、この題名で一作書こうとしていたが、実際この年の暮れまでかかって二人の女が登場する冒頭部分を書いてはいるが、それで投げ出した。
下書き本文は昭和五十九年九月八日(落選の判明した日)に始まっている。ちゃんとこの題名がついている。創作ノートの開始は昭和五十九年七月十五日で、この日付の横に〈缺けてゆく夜空〉と大書きがあるから、この日に生まれたとするのが順当だが、この段階では内容が先にあって題名は未定だったということもありえるので、後日書き入れた可能性は残る。それでも、八月三日心記に「『缺けてゆく夜空』のため、荻原さんとはどうしても話したかった。荻原さんで十分」とあるから、このときまでに生まれていたのは間違いない。よって、ちょっと残念だが、この日以降の出来事のどれかにヒントを得たわけではないことになる。
創作ノートを見ると、構想では、最終章で、主人公が、同じ題名を持つかまたはこの語句を含む詩編を書くということになっている。肝心のその詩編はないので、最終章にさしかかったら作るつもりだったようだ。
創作ノート、七月十九日の日付つきで「荻原佳子さんをモデルにしようと思ったが、彼女の“生きる姿勢”は好きになれない。作品では、理想の“娘”を描くこと」とある。
そして七月二十八日、間宮は、荻原さんに無視される夢を見る。
辞書を引くと、夬(ケツ)というのは割れる音らしい。缺とはだから、
「かめ(缶)のかけるおと」
と解した。それが気に入ったのかもしれない。
文才がないというのも悪い場合ばかりではない。このときに完成しなくてよかったのだと思う。
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