平成11年9月13日(月)〜

缺けてゆく夜空 その四 ノート

37 電話



 

 少し戻る。
 バイトを辞めた。自由となり、この年の投稿作の下書きを六月二日日曜に終えた。そしてすぐ第二稿を始めて三日目の(ちなみにだが、一年に一作でこののち四五回投稿してすべて一次選考で落ちる。実家に退き戻ることもなく嫁さんももらわず、座して食らわば塵の哲理に従い、間宮は、生活のためただバイト仕事に励む三十男になっていくのだが、それは先の話で、まだ二回目のそれに励んでいた年の)六月五日水曜のことだった。
 部屋に、ナオ君から電話がかかってきた。半年以上、音沙汰がなかったのに。
「彼女と今月結婚することになりました」
「コンピューター会社に就職もしました」
 そういうことを言う。
 間宮は二課の移転、自分も辞めたこと、今はふらふらしてるだけ、などと話した。
「よくそんな難しそうな会社入れたね」
「販売の方ですし頭なんかいりませんから。どうせ結婚式のカッコつけのためですから」
「え、せっかくなんだから頑張れよ。金が一番大事だぜ。でも、結婚式もちゃんとやるんだ。ヘー」
「まあ、いちおうは」
「おめでとう。泣かすなよ」
 これ以上話してるとその式に呼ばれるかまたは祝儀をねだられるかしそうで、頑張れ元気でなど明るく言って早々に切り上げた。
 落ち着くところに落ち着いただけか、と、数日もしないで忘れ、投稿作の追い込みに間宮は忙しく没入していった。
 六月末、その投稿は済んだ。黴天の候云々のあの葉書を書いた。
 夏。誰とも話す必要のない毎日をノートにうわごとを書き連ねて暮らしていた。
 暇なので、小型リュックをしょって周辺地域を歩き回る、ということをし始めていた。
 七月二十一日日曜、手品師の息子と、群馬の計良さんを初めて訪ね、したたかに飲み、東京に帰ってきた。
 七月二十二日月曜、電話が鳴って出てみると、ナオ君だった。
「間宮さんとの約束通り、僕たち、結婚しました。アパートも借りられました」
 いい知らせだ、と思った。
 前回の電話のあとで反芻したときに、間宮は結婚相手は佳子さんだと決めつけて話したけれどナオ君は終始「彼女」としか言わなかったのでは、という不安を見つけていた。そこで、今回念を押した。
「佳子さんと、なんだろうな」
「あたりまえすよ。さっき言いましたよ、あの念書どおりになったって」
 お祝いに行くよ、住所教えてくれと言うも、言いよどむふうに渋っている。そこまではして欲しくないのかと思い、なら飲もう、と提案した。ナオ君は安心した感じでそれはいいですねと承諾した。
「佳子さんも連れてこいよ」
「ええ」
 おれは今無職だから勤め人である君がおごるんだぞ、と半分は本気で約束させた。
 電話が切れてから、今度は子供のことを聞き忘れたと思い出した。飲み会でそれとなく探ってみればいいか、と決めた。
 間宮から言った待ち合わせ場所は、新宿駅東口改札口の外、だった。昨年、耳にやさしいさんと同じ所で約束している。
 日時は三日後、七月二十五日木曜、午後五時四十分。五時終業で新宿まで二三十分かかるとのことでこの時刻になった。
 当日、愛用するようになった水色生地のリュックを背に、間宮は二十分前には着いていた。
 が、時間になってもそれを過ぎても、待ち人は来なかった。
 結局、彼らの居場所も、電話も、勤め始めたという会社の固有名詞も所在も、間宮は知らない。待つしかなかった。
 かったるそうに手を挙げるナオ君、言葉無く揺れるような頷くようなお辞儀をしてほほえむ佳子さん、そういう姿を思い描きながら、間宮は待った。
 雑踏の中、約束より一時間とあと五分越えるまでねばり、あきらめ、間宮は帰宅した。
「あの男を信じる方がバカだったか」
 と、書きつけた。

 物語ったけれど、これらナオがらみの三つの出来事は、間宮ノートには無い。当日近辺、その後でも年末まで、捜してみたが、事実・感想・派生なんであれ一行も見当たらない。
 残っていたのは冊子カレンダーの次の記載のみである。

 

6/5(水)
ナオ君よりTELあり、
コンピュータ会社にシューショク
今月、彼女(佳子嬢?)と結婚
  
7/22(月)
ナオ君よりTELあり、25日の約束
  
7/25(木)
◎新宿駅、東口改札口、外 5:40PM
ナオ君とのみ会。
→ 5:20PM〜6:45PM
  まで待つも会えず帰る。あの男を信じる方がバカだったか。
 

 六月五日と七月二十二日は電話を受けただけだから、当然家計簿の記載は無い。そして、七月二十五日待ち合わせの日にも、家計簿には何も無い。当日、飲み会とならず、かかったとしてもバス代程度のため、遊興費としての計上を見合わせたのだろう。ナオ君に払わせるつもりが強かったようで、いつもは事前にする仮払いも無い。
 わざと書いてこなかったが、間宮ノートには正式なタイトルがある。持ち歩く子バインダーの枚数がかさんでくると、部屋においてある分厚い親バインダーにページを移すわけだが、その親バインダーの背の窓に「心記」と紙が入れてある。
 たとえば、間宮の引越関連記録、昭和五十八年十二月十六日から昭和五十九年十二月二十六日までの記録、昭和五十九年投稿作の創作ノート、昭和五十九年後半の未完成作の創作ノートと下書き、昭和六十年投稿作の創作ノートと下書き、その他の反故創作ノート、これらが一冊の親バインダーに綴じてあって、タイトルは『心記 第二十四巻』である。旅行、引越などの臨時の資料、創作に関わるもの、これらは付け足しであって「心記」そのものではない。筆者が「ノート」とか「間宮ノート」として紹介したのもこの第二十四巻のうちなら「昭和五十八年十二月十六日から昭和五十九年十二月二十六日までの記録」の部分、すなわち心記の本体部分である。
 「心記」とはこの通りを意味する。つまり、ここに書かないということは、建て前から行けば、私の心にはなみかぜが立たなかったよ、ということになる。
 間宮よ。あれらをなぜ書きたくないのだ。どうして書く気が起きなかった。
 特に七月二十五日は、落胆が大きかったはずなのに、仮にそれほどではないとしてもほとんど外部との交渉がなくなっている間宮の日常にとっては十分珍事たりえたはずなのに。
 いわばコケにされた自分を、文字にして、定着しておきたくない心理が働いたのか。茶化すなり奴を罵倒するなりして気持ちを落ち着かせる、そういうこともできたのにしていない。
 おれの心にとってはもう瑣末なことさ、と言いたいのか。
 心の中でさえ、関わり合いはもうご免だと切り捨てたのか。
 現実界の重大事をわざとの如く落とすということは前にもあったが、似た作用と片付けてしまおうか。
 もうなんであれ「集中の外」だと決めた。
 それとも、こんなところに汚い字で書かなくても一生忘れようがない、ということか。
 第三の電話がある、いつかドアを叩く、これですべて終わりとは思えなかったためか。つまり、むしろ、ピリオドを打ちたくなかったのか。

 まさかとは思うが、このあたり一帯のうわごと類を精読しながら思うのだが、新宿駅に行ったことだけは事実だとしたら、ナオ君と話したと思った電話が「うつろ」なものだったということはないだろうか。
 電話を現実にはしていないナオ君であるなら、待ち合わせに現われるはずはないのだから。

 




[37 電話 了]




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