平成11年9月13日(月)〜
缺けてゆく夜空 その四 ノート
少し戻る。
物語ったけれど、これらナオがらみの三つの出来事は、間宮ノートには無い。当日近辺、その後でも年末まで、捜してみたが、事実・感想・派生なんであれ一行も見当たらない。 |
6/5(水) |
ナオ君よりTELあり、 コンピュータ会社にシューショク 今月、彼女(佳子嬢?)と結婚 |
7/22(月) |
ナオ君よりTELあり、25日の約束 |
7/25(木) |
◎新宿駅、東口、改札口、外 5:40PM ナオ君とのみ会。 → 5:20PM〜6:45PM まで待つも会えず帰る。あの男を信じる方がバカだったか。 |
六月五日と七月二十二日は電話を受けただけだから、当然家計簿の記載は無い。そして、七月二十五日待ち合わせの日にも、家計簿には何も無い。当日、飲み会とならず、かかったとしてもバス代程度のため、遊興費としての計上を見合わせたのだろう。ナオ君に払わせるつもりが強かったようで、いつもは事前にする仮払いも無い。 わざと書いてこなかったが、間宮ノートには正式なタイトルがある。持ち歩く子バインダーの枚数がかさんでくると、部屋においてある分厚い親バインダーにページを移すわけだが、その親バインダーの背の窓に「心記」と紙が入れてある。 たとえば、間宮の引越関連記録、昭和五十八年十二月十六日から昭和五十九年十二月二十六日までの記録、昭和五十九年投稿作の創作ノート、昭和五十九年後半の未完成作の創作ノートと下書き、昭和六十年投稿作の創作ノートと下書き、その他の反故創作ノート、これらが一冊の親バインダーに綴じてあって、タイトルは『心記 第二十四巻』である。旅行、引越などの臨時の資料、創作に関わるもの、これらは付け足しであって「心記」そのものではない。筆者が「ノート」とか「間宮ノート」として紹介したのもこの第二十四巻のうちなら「昭和五十八年十二月十六日から昭和五十九年十二月二十六日までの記録」の部分、すなわち心記の本体部分である。 「心記」とはこの通りを意味する。つまり、ここに書かないということは、建て前から行けば、私の心にはなみかぜが立たなかったよ、ということになる。 間宮よ。あれらをなぜ書きたくないのだ。どうして書く気が起きなかった。 特に七月二十五日は、落胆が大きかったはずなのに、仮にそれほどではないとしてもほとんど外部との交渉がなくなっている間宮の日常にとっては十分珍事たりえたはずなのに。 いわばコケにされた自分を、文字にして、定着しておきたくない心理が働いたのか。茶化すなり奴を罵倒するなりして気持ちを落ち着かせる、そういうこともできたのにしていない。 おれの心にとってはもう瑣末なことさ、と言いたいのか。 心の中でさえ、関わり合いはもうご免だと切り捨てたのか。 現実界の重大事をわざとの如く落とすということは前にもあったが、似た作用と片付けてしまおうか。 もうなんであれ「集中の外」だと決めた。 それとも、こんなところに汚い字で書かなくても一生忘れようがない、ということか。 第三の電話がある、いつかドアを叩く、これですべて終わりとは思えなかったためか。つまり、むしろ、ピリオドを打ちたくなかったのか。
まさかとは思うが、このあたり一帯のうわごと類を精読しながら思うのだが、新宿駅に行ったことだけは事実だとしたら、ナオ君と話したと思った電話が「うつろ」なものだったということはないだろうか。
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[37 電話 了]