平成11年3月31日(水)〜
☆ 夏 ☆
ねえ、ねえ、と揺すられた。
どうにか醒めて、どうしたとくぐもって答えた。
「螢よ」
天井にぼんやりと明滅して、一つ動いていた。
「なんだ」
「きれいじゃない」
湿った肌を抱いた。なにげなくさすっていると頭をこすりつけてくる。
二人して吐息を継ぎながら、見ていた。
「逃がしてやろうか」
「うん」
網戸を開けて、うちわで逐った。
いやがっていたけれど、そのうちに夜闇の中に飛んでいった。
ゆく螢雲のうへまで去ぬべくは 秋風ふくと雁に告げこせ
「へえ、それなに」
「教養見せちゃったかな。古い歌よ」
風鈴が、どこかの軒下で鳴った。
☆ 秋 ☆
いつからここはこんなにひなびたのか。
縁側に高坏を据えて、だんごを取りに台所に戻る素足。朝から機嫌がいいようだ。
聞くところによると、高坏もだんごもスーパーで売っているという。
お決まりの山型にお供えが積まれ、おりよくむらくもから名月が顔を出した。
「ふ、絵に描いたみたいだ」
命の限りと、虫たちが、鳴いていた。
「では一献。これがないとだめなんでしょ」
「ういやつじゃ」
「ばか」
酒の匂いに誘われたのか、ひとつまたひとつと、螢が現われた。
杯から、撒いてあげた。
星空は遠くかぼそくふるえ、地上でも精一杯の光がふるえる。
次々と仲間を呼ぶ。
夜が深まるうちに、沸き立つようにまでなった。
「夢の世界みたいね」
天の下を彩る幾重ものきよらな光たち。
たしかに、せまい庭にもろもろの神霊が遊んでいた。
☆ 冬 ☆
頭痛がすると言っていた。
一眠りさせたので、おさまったらしいが、完調でもないらしい。
「行きたくないな」
「だだこねるなよう。もう予約とか入れちゃったんだし」
「うん」
「お前が望んだんだろ」
地下駅から地上に出て、目的の店を探した。
イルミネーションが、冬枯れの街路樹を飾っていた。
「今年はずいぶんうまくできてるのね」
「そうか。いつも通りだろ」
「ううん。とってもやわらかい。どれどれ・・」
ひいっと言って、両手をひらひらさせて跳びのいた。
え、と思い、私もその「イルミネーション」に近寄ってみた。
二人して、思わず、笑ってしまった。
みんな、螢だった。
さすがに寒いのでじっとしているけれど、彼らの寝息のように、お尻を灯したり消したりしていた。
道行く人たちが、それとなく私たちを見て微笑んでいた。
よし、次はこちらが見物してやろう。
そんなふうに考えた。
手をつないだ。
☆ 研究室 ☆
どうだい。
素晴らしい発明だと思うぞ、わしゃ。
一年中平気だ。生命力も抜群。
でも、先生。
命をもてあそんでいるというか・・
自然のバランスとかもですね。
どうも、論旨ずれてるよなあ。
人間は今まで、生態系を無視してきた。
これこそが、それへのアンチテーゼなのだ。
ええ・・と。
弱いけれど美しかった生き物と、
強いけれど醜かった生き物と、交配して、
美しく強い生物を創造する、
それは、よくわかるんです。
でも、あたし、鳥肌が立って、・・・・
ええい。これだから女は。
あと二三世代すれば、きゃあきゃあ言うに決まってる。
ゴキブリぐらいなんだ。
嫌われ者だって、生きてるんだ。
☆ 春 ☆
「肩かして」
ふらつきながらパンプスを履く。
「酔ったか」
「ちょっとね」
皆に、私どもはこれで、と挨拶した。
裸踊りを披露した奴が、酒瓶に手をかけて頷いていた。
別の男は、月曜日なあ、と、手を振った。
ついこのあいだまで、こういうところも提灯に囲まれていた。
川沿いの公園だった。
宴はところどころでまだ続いていた。
肌寒い風が、一度つよく通り過ぎて、ため息のような花びらが辺りに舞った。
「疲れたな」
「でも、これしないとね。日本人だもん」
川面に螢がただよっていた。あいつらも酔いつぶれたのか。
または、酔いざましに水を求めるのか。
帰り道、はぐれ螢が私たちの行く手を導いた。
「ほいっ」
気張って、一匹つかまえてみた。
てのひらを開くと、それは淡い花びらだった。
隣から覗き込んで、細い肩をすくめ、おどけていた。
(了)