みなさん。お疲れさま〜
それにしても、達者な書き手がそろっていると、今さらながら思いました。
『木枯らし』の感想
お題
れいむさんにとっての「木枯らし」という言葉は、たぶん、落ち葉の散っていく樹木のほうに人よりも意識が行っているのだろうな、と思いました。
そのまま、その木の描写からお話を始めるというのもあったのでしょうが、私は生来のあまのじゃくなのでした。
最初は、ご時世ですので、リストラのことを連想したんです。でも、メンバーに若い人も多いですし、転がりようによってはかなり深刻陰惨にもなりそうでした。では若い人のということで、会社訪問のことにしようかと思いましたが、これもよく考えたら同じことで、やめました。
「木枯らし」に何か熱っぽいものを対比させたいという気がしてきて、出てきたのが、冬の夜の徹マンという設定です。
これならいけそうと想像し始めていたところへ、テレパシーが通じたのかご指名がありましたので、ほぼ苦労なしでした。
※ ところで、れいむさん。
#498のあたり読ませていただくと、思いのほか前向きな感触があって、ちょっとうきうきしてるのですが。
正式参加、年明けぐらいには、でしょうか(^^)/
起
一時期、麻雀ばかりしていた頃がありました。「起の章」の描写は、事実ではないですが、一つ一つ覚えてもいませんので、あったかもしれないという夜です。
私の把握はこうでした。
僕と先輩たちで徹マンをしていた。僕はいつになく調子がよかった。
小腹が空いたということになり、皆で(先輩のうち一人の車に乗って)国道沿いの深夜もやっているラーメン屋に行く。
僕は、勝っているので食事を済ませたらすぐまた勝負を始めたい。
もう一つ乗れない先輩たちが、気分を変えたいという意味もあって、マユのことを思い出します。
「マユのところに行ってみないか」
先輩たちが話を決めていた。
深夜、国道沿いの中華店だった。
という流れなのです。
つまり、マユはまた別の所にいるのです。
麻雀については、知らない人も多いので、それまでそういうことをしていた程度の背景にして、退けておこうと思いました。
僕とマユの話になれば、まあ、誰でも繋げられるだろうと。
「まずいや」
車のウィンドウを降ろして、缶コーラを放った。
威勢よく跳ねて、転がっていった。
「寒いぜ。閉めろって」
これは、麻雀は一時棚上げして、「マユ」というどこかの遊び好きの女の所を目指し疾走している車から放って、ということになります。つまり、僕はすねているんですね。
(上の描写は、いい子であれ、悪い大人であれ、まねはしないで欲しい不良行為ですけど)
コーラ缶の音で、冬、深夜、木枯らし、そういう雰囲気が出てくれれば、と思いました。
説明すれば、こういうわけではあったのですが、4章小説は怖ろしいです。
やはり、制御などできませんでした。
言葉を省きすぎたかもしれません。(^^;)
承
もろ徹夜麻雀ですね。
マユのところには行かずに、勝負が再開して、と読めます。
ただ途中、「こんな所に食事に来たんだ」とありますので、まだ中華店にいるのかもしれない。ここら辺、もう一つよく分かりません。
「持ち牌」は「待ち牌」、「ボン」は「ポン」かなと一応読み替えてみました。
是非、花島さんの説明が聞いてみたいです。
女好き、酒好きの人でも、ひとたび「鉄火場」から声がかかると、みんな投げ出してすっ飛んでいってしまう。「起の章」の僕にもその気がありますが、どうやら花島さんもそうなのかなと思いました。
話の流れは流れとして、女のことは置いておいて、とにもかくにも麻雀の場面が書いてみたくなって、ではないでしょうか。
それぞれ個性ある先輩たち、賢の気持ちなど、注意が行き届いているなあと思いました。
それに、まさに気合いとともに牌が打ち出され、場が回っている、臨場感がいいです。眉間に縦ジワが浮いている。
しきりに首を手で揉んでいる。
切れかかった街灯に木々達が乱舞している、まるで協奏曲を奏でるように。
この辺り、特に好きです。
やはり、花島さんの当時のままがここに、などと思いました。
それにしても、天和と九連宝燈はやりすぎでは?
というか、結果的に生かされなかったので、浮いてしまった感じでしたね。
転
市原さんは、大人です。平常心を感じます。
私は、起と承ですでに微妙に矛盾が生じており、つじつまを合わせるのは難しいだろうなあ、と思っていました。承の場にどうマユをからませるのか、ちょっと思い付きませんでした。
なんのことはない、一旦朝にしてしまえば、という市原さんの答え、さすがです。
そして、マユを中華店の娘にしてしまえば、すでに登場しているようなものです。起の冒頭は、そう読みとれないこともないわけですから。
昨夜、先輩たちと行った中華店の娘マユからで、マユは賢より一つ年下の高校3年で 中学、高校と賢と同じ学校に通い、いつとはなしに自然と賢を慕っていたが 同時にマユは、賢の先輩たちのマドンナでもあった。
なるほどなあ、ほぐしたなあ、と思いました。
電話を切ると、賢は先輩たちをちらりと見渡した。
彼らがぐっすりと寝込んでいるのを見ると、そのまま一人で部屋を出た。
外は、すっかり秋が深まり昨夜の風で木々の紅や黄色の色づいた葉が散乱する中、冷やりとした空気が肌を刺し寒かった。
これ、やけに懐かしい風景です。
特に挨拶もせず、ふらっと出てしまう。先輩たちが起きて、いないことに気付いても、「行ったか」程度にしか考えない。
自由で、気ままで、どこか空虚で。そんな朝、そんな毎日でしょうか。
車は、賢の夜のバイト先のカフェ&パブ『ロマネスク』の駐車場へ乗りつけた。
賢も働き者ですね。
また、『ロマネスク』の描写の濃さ、実際にあるお店かなと思いました。調度のつやまで見えるようです。
賢は、『このまま、感情の赴くままに滑っていってよいのだろうか。マユの愛を受けとめてやりたいのだが。』
若い男にしては、臆病すぎる気はしますね。
でも、それが賢なのでしょう。
あるいは、別の賢もありえるでしょうが、それは市原さんの美意識が許さないのでしょう。
「転の章」は、眼血走っていたギャンブラーの世界から、きれいに転調してます。
しかし、このまま、愛の世界へなだれ込んでも、とは思っていました。
結
ひとこと。
やりますな、ぱられるさん!
携帯電話、ドライバーの視点、ラブホテル前など、珍しくもないという風(?)の描写に唸りました。
いや、ここまでは、しっかりしているなあ、ととても感心でした。
でも、「サンマー」が出てきてしまって、笑ってしまいましたよ ☆
あなたも、眼血走っていた口でしたか・・
(想像や下調べ程度では書けないという気がしました。それとも見事にだまされているのかなあ)
優柔不断、煮え切らない賢に不満なマユ、そのまま作者の心情かと読みました。
転のマユがまだ見せかけに過ぎなかったということにして、生きた女の血を通わせ、賢の世界を裏返しながら終章を奏でる。並ではない手際と思います。
(女性ならでは、という有利さはあったのでしょうが)
先輩たちの仕組んだシナリオという種明かし、最後のアパートでのやりとり、苦笑まじりの軽快さとでも言うのか、そつがないですね。でも水面下では、ここまですっきりさせるのに、相当いじりまわしたのかもしれない、と想像します。
それとも、すらすらと組み上がってしまった? 「創作上の秘密」かな。
悪人が誰もいなくて、後味のいい幕切れです。
とても筆力のある方だと、率直に思います。
でも、『ラブレター』の後だったという不運があって、綺麗事すぎるか、という思いがわずかながらですが残りました。
ひゅるるるー。
木枯らしひとつ。
・・・やっぱり、来なきゃよかった・・・。
それぞれの人の「木枯らし」の捉え方、その変移が、読み直してみるとまた興味深いです。