今回はつらかった〜
その分、やりがいはありましたけど。
『邂逅』 こうたろうバージョン 感想
お題
『邂逅』ということですから、初めて巡り会って、そして、お話が始まる。
または、長い時を隔てて、再び巡り会う。つまり、再会。
しかも、自然にというより、偶然の重なりによって、運良く、というシチュエーションで。
そういうストーリーが、ほぼ想定されるところでした。
起
ここで、「まーちゃん」という子が夢に現われます。
そこで、以下、再会の物語となるのだろうという流れができました。
未来に会う子供が、現われる、または、これから産まれる子供に夢で会っている、そういう展開もなきにしもあらずで、実際、結でちょっとは検討したのですが、うまく整合しませんでしたね。
> 夢なので、
> はっきりとしたことはよく覚えていない。
> ただの風景だ。
> そう、ただの風景・・・。
「ただの風景」が曰くありげに繰り返されているため、これを「ただの『ただの風景』」にしたくないという気持ちが、あまのじゃく和香の心に起こりました。一見すると「ただの風景」なのだけど、よくよく見れば冗談じゃない、というような。・・・かなり難しくて、この点についてはあきらめかけていました、最終段階まで。
承
> 1999年の新年を半月余りに控えた師走のこの日
主人公は、SE技師で、この日、東京の神田に仕事のため出向している。
しかも、年月もここまではっきりしてしまう。これらは相当につらかったです。
後でも述べますが「神田」という土地の特定には苦しめられました。
しかし、まあ、4章小説ではよくあることですから、なんとか克服しなければなりません。
相手役であるらしい女性が登場します。
「起」で主人公が現われ、その主人公にからむ女性が「承」で登場し、このまま、主人公と女性が再会する(お互い素性を知る)という展開にだけはしたくない、と私は思ったのです。あまりにひねりがないですからね。あまのじゃくですし。
文章としては、「承」で二ヶ所ある、女性の描写がややしつこいかな、と感じました。
また、
> 彼女の後ろ姿の甘い臭いに私は暫く包まれていた。
ここは、「甘い匂い」にしたいと思いました。
「起」にある過去がらみの幻想的な前提、「承」にある最新で詳細な現実、この対比をうまく生かす工夫があれば、物語は成功するだろうとは思いました。
(言うは易く行うは難しです。いかがでしたでしょうか)
転
すでに「再会」という流れは動かすのが難しくなっており、「起」「承」で二人しか登場人物が現われていないので、このままでは、避けたく思っているこの男とこの女の「再会」以外、お話のけりが付かなくなってしまいます。
頼みは、「転」での三人目の登場だったのですが、これがありませんでした。
これでは「結」はやりたくないなあ、と読みながら怖れたのですが、順当なところでもありやはり指名を受けていました。
当初は、腕組みでしたね。
仕事が忙しいこともあったので、いっそギブアップして、どなたかにお願いしちゃおうかとまで考えました。
> 昼間だというのにほの暗い店内。オレンジ色のカンテラがふらりと揺れる。
> そのたびに、壁のレンガの凹凸が、ゆらゆらとさざめく。
「転」では、上の描写が気に入りました。
> 会社で話しているときも感じていた。今も、少しでも目が「遭う」と
> くらりと意識がゆらぐ。
> 視線が、はずせない。
ここらへんを伏線にどうぞ、というのは分かるのですが、しばらく答えには至りませんでした。
結
ありきたりの「再会」を避けるにはどうしたらいいか、といのが、ここでの私のメインテーマとなりました。
1) 「結」ではありますが、強引に三人目を登場させてしまう。という案で、数日検討しました。「まーちゃん」は女の元恋人であった。しかし、行方不明。女と話して、その思い出話の中の「まーちゃん」と、男は再会する。・・・これでほとんどお話はできたのですが、結局は「だからどうしたの」と考えると、偶然が面白い、奇遇というだけの物語です。これをきっかけとして、男と女は親しさを増すというふうですけど、イマイチ満足できません。没としました。
2) 次に、「人」と再会するのではなく、「物」と再会する、という線で検討しました。
「転」の店内の場面を続けて、そこにある小物が、実は「まーちゃん」の作品であった。女は「まーちゃん」という創作家を知っていた。・・・これは、つまり、1)から色恋を除いたような設定です。そのうち、再び、色恋のことも加味したりしました。
「転」で使われている小物は「カンテラ」程度なので、「カンテラ作家」ということをまず考えましたが、まったく無知で、そういう人がいるはずなんだけど、物語に登場させることができません。ほかの小物もいろいろ考えたのですが、無知無力を感じて、そのうち没としました。
3) 「人」でも「物」でもうまくいかない、ということになって、いろいろ考えているうちに、「場所」に再会するのはどうかと思い付きました。
この視点を発見してすぐ、「暗渠」というアイデアがうまれました。
これは面白そうと、乗ってきました。
次に「まあちゃん」ですが、「動物」にしようと思いました。川、川辺で遊ぶ動物、ということで、カワウソなど考えました。カワウソの死骸が今も、暗渠の中にというストーリーでしたが、これに女をからませているうちに、いっそのこと「カワウソ=女」というすっきりした線はできないかと思い、「まあちゃん=カワウソ=女」を考えているうちに、本編通りの水性妖怪という答えとなりました。
これならば、「起」でも述べた「ただの『ただの風景』」を避けるという点もクリアできそうです。
結局は、男と女がお互いの素性を知るという話に戻ってしまいましたが、予想された線であるだけに「すわり」はいいでしょう。あまのじゃくな部分は、他で満たされているだろうと、妥協でした。
以上で、ほとんど出来上がったのですが、最後にネックとなったのは、地名「神田」でした。今は、秋葉原とかの電脳街であり、ビジネス関係のビル建ち並ぶ通りです。
男が子供の頃に、ここは暗渠ではなく、普通に川が流れていた、という事情は「東京都千代田区神田」でもありえるでしょう。
しかし、当時、水性妖怪が生息できるような清浄な流れであったとまで言えるか、これは、大疑問です。
> 「待って。あれは、せい、せいぜい、二十年前だよね」
> ここがあんな田舎だったとは思えなかった。
> 「忘れたの、あなた。 ・・あの頃は、おさむらいさんがいたでしょ」
ラスト近くでこれ以上の複雑さは必要ないと感じたので、できれば上の部分は加えたくなかったのですが、しかし「神田」です。致し方ありません。
物語は、幻想界との壁のみならず、時間の壁も超えてしまいました。
男の前世でのことだったのか、異様な長寿を保てる妖怪だったのは女だけではなかったのか、女の情念の前には男などちりあくたなのか、・・・そういうところは、読者の想像にまかせて、という終結でした。
とはいえ、日常の平穏から、異常の滝壺へと流れ落ちていく様子、まあまあではと思うのですけれど。
そして、私たちが心の奥底に抑えつけてしまった様々のコトやモノ。彼らからの声が、多少でも聞こえるものになっていれば、と思います。