こんにちは。
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【訂正です】
哀憐笑話(八) 『検証』 に、誤植がありました。
申し訳ありません。
「そうだよ。飼っているという言う方はまずいが。君は生命体とは違うのだから、使っているのだ。そこのところ、忘れてはいかん」
これを、
「そうだよ。飼っているという言い方はまずいが。君は生命体とは違うのだから、使っているのだ。そこのところ、忘れてはいかん」
と、読み替えてください。
恥ずかしいです。
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ROOTECさん (Re:1551)
お忙しかったようですね。
話題を振ってしまって、すんません。(^^)
> 哀憐笑話(八) 『検証』、大変楽しませてもらいました。
> あの作品が『哀憐笑話』のシリーズだとは、正直驚いています。
> でも、日本語で遊んでいるあたりは「和香さん節」を伺わせますね(笑)。
ありがとうございます。
ま、このシリーズはなんでもありですからね。
> 私はこのお話の「仕掛け」として、「博士」も実はロボット、あるいは宇宙船の
> “マザー(or マスター)コンピュータ”である可能性も感じました。
> その個性(または人格)に関しては、特定の個人(おそらくそのコンピューターの
> 開発者)のものが転写・入力されているか、生体器官の「脳」そのものを維持・
> 内包しているイメージです。
ううむ。奇抜です。
そういうことなら、もうひとひねりしたオチにできたかもしれません。
ただ両方ともマシンぽいと、ちょっと冷たい感じでしょうか。生身とマシン、対照の面白みも捨てがたいです。
> (1)会話以外の(補足)文がごくわずか記述されていましたが、これは冒頭と
> 結びの部分だけにし、中間のものに関してはいずれかの登場人物(?)の
> セリフの中に織り込んでしまった方がよかったのではありませんか?
そうですね〜
そういうすっきりした形もあると思います。
ただまあ、時間経過などそれとなくわかってもらう、そして、読み手にとっての息抜きという意味でも、地の文の利はある、と考えます。
一箇所か、二箇所はもしかしたら省ける(または会話に直せる)かもしれませんが、最初と最後だけというのはやりすぎでしょう!
> (2)主として「助手」のセリフだったと思いますが、「?」マークを付けた方が
> 自然な感じになると思われる個所が何ヶ所かありました。
鋭いです。
私の大原則は、
A) 文が、疑問文になっていれば、「?」はつけない。
B) 文は疑問文になっていないが、問いかけである場合は「?」をつける。
なんです。
もちろん例外がたくさんありますが、どちらかと言えば、「?」の使用は少なくとどめたいという感覚です。
「会議、さぼっちゃえよ。俺が適当に言い訳しておく」
と、課長は言う。
「いえ、行きます」
「いいのか」
強くうなずくと、そうか、とため息のようにもらした。
課長が行ってしまうと、何も知らないカオリがやってきた。
「センパイ、会議室行きます?」
「お、行くよ。ちょっと待ってて」
「ふふ、・・・・みたい」
「え、なに?」
「ううん、なんでもない」
この例文の場合、三行目の「行きます」は決断ですから疑問の意味はありません。
七行目、カオリの「行きます」は、疑問文ではありませんが問いかけていますので「?」をつけます。
四行目と五行目の「いいのか」「そうか」は疑問文でしょうが、「?」は不要と思います。
十行目の「なに」は、疑問文ですが、強調の意味を込めて「?」をつけたいです。
また、
「センパイ、行きますか?」
という風に、女性の疑問文であれば、あえて語尾上がりの味を出すため付けたいと感じるときもあるでしょうね。
『検証』の場合なんですが、助手は疑問文、あるいは問いかけを多用しています。
A)もB)もあるので、大原則に従うなら「?」が付いたり付かなかったりなんですけれど、ここでも例外の一種が現われているということだと思います。
当時の私は、前半での対話のパターンがもう十分読者にしみこんでいるだろうと感じて、後半では、大原則では付けるべきところを省略したとしても、特に支障はないだろう、という感覚なのだと思います。
文章が進むにつれ、説明は少なくて済みますので、後半に短く切りつめたセリフが多いようです。よって、B)であるが「?」を省いたところも後半に多いのですが、上でいう流れ(慣性)があるのでそれほど違和感はないか、と今の私も感じます。
↓
つまり、「?」マークについては、疑問かどうか混同される場合は付けるけれども、混同のおそれが無いか少ないと思えたらなるべく省く、でしょうか。昔も今も、私は。
> あとは和香さんご自身も「翻訳」しないとならないほどの難解な「音声・言語回路の
> 異常によるセリフ」も、ちょっとキツ過ぎたように思えます。
笑。
加減がむずかしいです、ここら辺。
> そのあたりについて、例えば助手----ロボット(?)が次第にイカレていく様を、
> もう少し段階的に表現し、「異常になる言葉のパターン」を読者が次第に慣れていける
> ように工夫されてもよかったのではないでしょうか。
一応、二段階にはなっているんですけどね(^^;
作品世界では、説明しすぎると(サービスが良すぎると)読者を子供扱いしているようになりますし、歯ごたえとか深みが不足します。
といって、説明が少なすぎると、理解してくれなくて元も子もない、ということになります。
この、どこまで書き込むかの兼ね合いは、ほんと悩みます。(どこまでほのめかすか、とも言えるでしょうか)
お分かりのように、私は省略できるならする、というたちです。
最近も、マスターのHPに掌編を投稿したのですが、省略が過ぎて、いまいち理解されなかったみたいです。(笑)
読んでその場でわかる、よりも、遅効性の作品が好み、ということでお許し願えませんか。
それに、注意書きを付けるにしても、すでに分からない部分があって、完全は無理ですからね((爆))
ただ、貴重なアドバイス、忘れません。独りよがりに流れないよう、より注意して、今後もこの微妙なところをつむいでいきたいと思います。
> こういった話での「アイデアが陳腐」という考え方は、私は間違いだと思います。
> それをいかに聞かせるか、でしょう。
> 読者に「読ませ」てしまうと、作者側の「負け」の感がありますので、
> ここは作者主導で「聞かせる」というあたりがポイントだと思います。
そうですね。読んでいることを忘れさせる、ということですね。
> これこそがSFファンの心を刺激する「センス・オブ・ワンダー」の
> 「もっていきドコロ」ではないでしょうか?
> この「聞かせ方」次第では、登場するものごとの(より正確な)理屈や「種あかし」
> すら不要かもしれません。
> 『検証』をSFとするならば、そういった点では成功しているのではないかと、
> 私は思います。
うれしいです。
ROOTECさんも褒めてくれたのだから、自信を持とう、と思ったんですが、誤植を出してしまっては、まだまだです。
「誤植」は、いっぺんでしらけさせてしまうでしょうから・・
> 欲を言えばラストで「食人」に至るブラックさを持たせていながら、それをあえて
> 踏み込まず、「オチ」に持っていくあたりは、和香さんが「正常」すぎたる
> 所以でしょうか? (笑)
あのオチは、強いオチではないですからね。
息切れ気味に終幕、という風でしょうか。(笑)
ま、機能停止して笑顔のまま固まっている助手君、胎児または種を育んでいる先生、というような残像がしばらくよぎってくれれば、私としては十分です。
刺激的なところを突っ込まなかったのは、「正常」というよりも「遅効性」ですか、やはり!
私の作品にアドバイスをいただけたのは、初めてですよね。
お忙しいところ、ほんと感謝です。
哀憐笑話シリーズについて (みなさんへ)
八作目まで来ることができました。
全て初公開の作品ですが、文末の初稿の日付でお気づきのように、ほとんどが平成四年の作品でした。この年にどうも、短編づいていたようです。
これ以前や平成五年以降も、書いてはいるんですが、中編長編に重点を置いていて、すくい上げておきたい短い作品が(探した限りではもう)見つかりませんでした。
旧作の掌編はほぼネタ切れです。
旧作の中編長編についてどうするかですが、このシリーズに強引に加えてしまってここで紹介しようか、順当にHPに並べておこうか、などといまだ迷っています。結論は先延ばし、となりそうです(^^)
ということで、そろそろ、新作にとりかかるつもりです。
地味で暗めで、短いお話。という予定ですが、例外もあるでしょう。
現在まだこの世に存在していませんので、必ずとはお約束できませんが、月に一つずつくらいでも続けていければ、と思っています。
引き続き、ご迷惑をおかけします ☆
では!