こんにちは!4章小説第十八作『うたかた』の経過概略
いやあ、今回の『うたかた』は、完成まで長かったです。
二ヶ月かかりましたか・・
#1379 1999-04-02 第十七作『桜の樹の下で』結の章 市原勝美さん → れいむさんを指名
#1402 1999-04-06 「お題」 れいむさん → keitoさんを指名
#1441 1999-04-16 パス、指名振替 keitoさん → カオスさんを指名
#1473 1999-04-21 「起の章」 カオスさん
#1489 1999-04-26 ROOTECさんが「差別用語」についてクレーム
***** この辺り、紛糾 *****
#1496 1999-04-28 「起の章 改訂」 カオスさん → 花島賢一さんを指名
#1505 1999-05-04 カオスさんからの「休業」の伝言
#1525 1999-05-09 「承の章」 花島賢一さん
#1526 1999-05-09 和香が「著作権」についてクレーム
#1529 1999-05-10 同上
#1531 1999-05-11 「承の章 訂正」 花島賢一さん → 月花さんを指名
#1571 1999-05-26 パス、指名振替 月花さん → 市原勝美さんを指名
#1577 1999-05-27 「転の章」 市原勝美さん → 和香を指名
#1579 1999-05-31 「結の章」 和香
『うたかた』本編内容が色あせるほどの、波乱続きでした・・ ^^;
『うたかた』の感想
お題
想像ですが、このお題は、まずお題が浮かんだのではなくて、れいむさんが次に誰を指名するか考え、keitoさんと決めてから浮かんだのではないでしょうか。
ううむ、ぴったりと私も思いました。
keitoさんのHPにある読み物との類縁を感じます。
ですが、前にも書きましたが、その人に合わせたような「お題」や「題材」というのは、うまくいかない場合が多いのかな、と感じます。自分のテーマだと思えば思うほど構えてしまって、遊び心がわかないためでしょうか・・
(もちろん、想像は外れているかもしれません。どうでしょう、れいむさん? keitoさん?)
起
清濁で言えば、「濁」の世界寄りの情景でした。
でも、「美」は清にだけではなく、濁にもあるものでしょうから、それへのアプローチを丁寧な文章によって試みているのだろうと思います。
むなしく釣り竿を垂れるというのは、無目的の象徴でしょう。子どもたちにまで石を投げられて、孤独、排斥、疎外、あるいは無力、そういうものがあるようです。
低い姿勢からこの物語を立ち上げていこうか、という目論見だと思います。
この世の実相はこういうものなのか、人生とは無為か、・・・・・そんなふうに、まずは、お題を素直に受けての「問いかけ」だったのでしょうか。
承
かなり不思議な世界の幕開けと思います。
カオスさんの起の章では、現実からは離れないよう注意深かったと思うのですが、それが少しずつはがれていく音がきこえました。
> 側に腰を下ろして子供っぽく愛想を振りまく。それが本来自分が持ってる性格よりも男の娘であることを
> 見せるためである。
ここら辺が、まず怪しいです。
「男の娘であることを見せるため」ということは、そうではないということなのでしょう。
では、この女は何者なのか。謎ですが、この章では解明されない。
> 「たかイ、クぬぎ、まだあるヨ。今日にでも。ヨル?」
> 「さアア」
> 帽子のひさしに手をやり合図とも思える仕草をこなす。
> 「はイ、おべんとう、いツモノおトうふ、コんぶにきゃロっとと明かり用のデんち」
> 「アア」
暗号による伝達という体裁ですが、謎だらけです。
二人しかいないようですから、伝えたいことがあるなら小声で話せば済むはずです。
「いつものところで」というのは、それ自体第三者には意味不明なのですから、通常文で伝えてもいいのではないでしょうか。
一番の問題は、この暗号には、規則性が感じられないので、暗号化(意味ある言葉を織り込むこと)は容易でも、復号化(暗号文を通常文に戻す)は無理という印象があります。
↓
ということは、
複雑だがちゃんと規則性がある。
カタカナ部分は、特殊な発音がなされている。
実は、紙に書かれてやりとりされていた。
実際は、これそのままの会話はなかったのだが、こういうふうに秘密裏に情報が交わされたという「見立て」をしているのである。
そして、これらの情報は、(現実世界にか、二人の心の中だけにいるのかは不明だけれど)何者かから隠蔽しておかなければならない。
などなど、想像されますが、どれであれ、シュールです。 (^^;
女性が現われましたので、多少明るくなってきたようですけれど、基本の雰囲気は継承されています。起の章の「濁」や「無」がそのまま続いていっては、つまらないし、読者は気分が晴れないでしょう。転の章に期待したいところです。
転
もし月花さんが書かれていたら、「転の章」として自然に、起承の雰囲気とは対極にある世界を展開してくださったのではと推量しますが、市原さんは、老獪というか意地悪というか(読者の期待を裏切るということではまさに「転」なのですが)、さらに深めてくださいました。
でもそのおかげで、浮浪者か、スパイ程度かと思われていた男の実体に、なにか思想的な陰影、人間的な孤高、という味が出てきたように感じます。
でも、依然として、男も女も謎のままです。
誰なのか、目的はなにか、こういうことのヒントもない状態で、最終章に突入となりました。
> 外界というものとあまりに無縁に暮らして来たため、人に理解されないということが逆にその男を無垢で
> 気兼ねなく自由気ままに、男を内面世界の王者にさせ静かな諦観に満ちた空想を楽しんでいるかのようでもある。
この文末の「ようでもある」という曖昧さ!
あくまでも、内実には迫らず、状況説明を重ねる手法は、続きを書く者としては困り果てるところですが、読者をじらして引っぱるという手練手管としては成功していると思います。
結
まず、起承転の流れを断ち切って、次の幕を開ける。
男性性が濃すぎたので、女性性を主軸にする。
これらを結の章の方針としました。
いくつかは筋立てを考えたのですが、最初に浮かんだイメージを活かしました。
突拍子もないようですけれど、謎を謎のままバトンを渡されたのでこれを逆手にとって、思うままにさせてもらった、というところですので、お許しくださいね。
(^^)
なぜ最初に浮かんだかというと、男の造型が、起、承、転と揺れながらどうやら「無名」という辺りに向かっている、行き着くような気がしたため、と思います。
名のないもの、名が必要ないもの、・・その最たるものは、造物主、神様でしょう。
「神」と来れば、私の場合は『古事記』がまず浮かぶものですから、「水を浴びる(=みそぎ)→三人の子が産まれる→世界をつくる」という風に連想してしまいました。
イザナギイザナミ神話を踏まえています。
ご存じの方も多いでしょうが、あれによれば、この現世を導き育ててきたのは、父神であるイザナギの系譜(彼の子のアマテラス、ツキヨミ、スサノオ)です。母神であるイザナミは黄泉(よみ)の国で死をつかさどることになり、冒頭以降は登場しないようです。
そして、長い時が過ぎてから、この父神と母神が交替するというのがこの「結の章」の隠れた主題なのです。
しかしこれらは、私の「つもり」に過ぎませんから、「結の章」をお読みくださるときに、読者が『古事記』のことは全く思い浮かべないとしてもかまわないと思いました。
あの章のみでも、自立しているイメージと信じます。
☆
いかがでしたか?
起承転結、そしてお題と、合わせて眺めれば、あやうい均衡ではありますが、ある「美」が実ってはいないでしょうか。