みなさん!
おつかれさまでした。ほんとに。
これはもう壊れたかな、まとまりきらないだろうな、という感触を持っていたのですけれど、不思議なものですね。苦もなく、では失礼なのでしょうが、終わってみれば、自然に昔からそうであった如く川は流れている。さながら、曲水の宴、という風でしょうか。
実際に担当された方たちの意気込みと、読むだけであった私との落差を、今回は特に感じました。
(または、私の心にひどく足りないものを、見せていただけたのかも・・)
『バケーション』の感想
お題
出題が八月四日でしたから、時期的にはぴったりでした。
太陽光線がいっぱいの、青春グラフィティーが展開するかもなあ、と思ったのですが、ここに集われているみなさんは月光に寄り添うほうの好みをお持ちなのかもしれません。
現実生活ではどちらかと言えば「疲れ」の中にある、ということでもあるのでしょうか・・
ちなみに、季語的なお題の場合は、ストーリーはストーリーとして、匂いや雰囲気をつないでいくという傾向が付随しやすいですか。
『バケーション』はこれが顕著で、「小説」というよりは「叙情詩」の趣で結ばれたと見えました。
起
叙情ただよう章と最初は思ったのですが、振り返ってみれば、その発端となった一節で、むしろ一番叙事に近かったよう。
人と動物の関係性ということでは、カオスさんの『Silent Love』を思い出します。
「御主人」を中心にして、彼を観察する「僕」というお話が進むかのように、月花さんは織り出したのだろうと思います。喪失した「細君」を心に住まわせ続けている「御主人」とそして「僕」の、一つの転機となる日。「年に一度のヴァケイション」という舞台。
これはこれで、一話がありそうなのですが、本作のように、重心がどんどん「僕」に移って、「御主人」が霞んでいく、消えていくという流れも、また捨てがたいですね。
すっかり消えてしまったようになると却って、いつしか話者は、「僕」に憑依してしまった「御主人」ではないかしら、とも思えてくる。文芸の霊妙なところでしょうか。
承
そういう流れを決定づけた章だったのでしょう。
前半の「御主人」の奇行編と、後半の「僕」の夢想編と。それぞれ切り離せるのかもしれませんが、つなぎにある午睡からの覚醒の味わいがしっくりして、意識することなく上でいう「憑依」のようなものを私の心の下地でうなずかせてくれていた。
ですから、転、結が唐突ということなく、読者へ流れ込んでいける。そうだったのかも。
> 鍵のなくなった南京錠へ何度も爪楊枝を差し込んでみたり。
ここらへん、おもしろいですね。
私の実家には、東に正門、南に木戸がありました。でも、正門のほうは立派な構えなのに、ほとんどいつも鍵がかかっている開かずの門。誰もが、他への通行にも便利な南の木戸で出入りしました。どうやらこの配置は、祖父か父が、占いで決めたものらしいです。
あの正門の錆びついた鍵など、連想してしまいました。
> 大人が5人がかりでも届かないほどの、悠然たる幹。
>生い茂る緑の天井。その上にかすめる小さなのぞき窓。
公園などで寝転がっていると、同じようなものが見えるときがあります。
葉裏のほうが空で、隙間で光っているもののほうが風に揺れていて、・・そういう錯視もたびたびです。
転
これまでが、前奏とするなら、いよいよ本番の「ヴァケイション」、心の遊行は冒険へと深まっていくようです。
これを、NONTANさん独特の、硬めの言葉遣いと述べられる異界情緒とのないまぜになった筆が運んでくれる。とはいえ、とても抑えてくれているので、ああ、もう少し聴きたい、読みたい、という想いが残りました。
相反するものの、融合の妙があると感じます。
> ふと、明るい空間に出た。後ろを振り返ると、そこには、もともとは
> 小さな穴であったが、自分が通り抜けてきたことで大きくなっていた穴があった。
> よく通り抜けてきたものである。自分が小さくなったような気がした。
結ではっきりと説明されることなく終わりましたが、この部分、粋な着想でしたね。象徴的とか暗示的、と言うのでしょうか。
さまざまに味わえます。
結
私は、「御主人」が再び現われて、「僕」を正気に戻す、連れ戻すというまとめ方を、安易にも予想していました。
見事に、うっちゃられました。
書かれてみれば、この結び方のほうが数段上のような気がしてしまいます。
言ってみるなら「結ばれない結び」でもありますか。
その品位もさることながら、決行する勇気にも、感服です。
そして、場所を得たようなkeitoさんの世界のあふれように唸りましたよ。
色彩の鮮やかさみずみずしさ、多様さがうれしかった。
> 深い水底から、彩りのあざやかな生き物たちがつぎつぎに現れる。
> 苦しみのとけた僕のまわりを、まとうように、はやすように踊りはじめた。
祝祭へと昇っていく道取りであったのかと、小さく驚きました。「結の章」の結の情景は、こちらの緊縛をも解き放っていってくれるようです。
少なくとも当フォーラムでは、他に真似ることのできないエンディングではなかろうか、と感じます。
結ばれたあとの空行にはしだいに、私の心にはということですが、祭りのあとのあの静謐が訪れてきました。
・・単に清浄ということではない、たくさんの色が盛んに生きて、ほんの少しを残しことごとく消え去ったあとの、あれが、たしかに。