西山正一郎さま、初めまして。
和香と申します。どうぞよろしく。
混迷を深めるわが国にあり、21世紀に小説は存在できるのか。などど、力んでみる。 .
存在できるでしょう! すくなくとも私が生きていれば! (^o^)/
労働現場を描いた作品が希少な存在とは悲しい事実である。 .
現代にあっては、働かずに毎日を暮らせるという人たちの方が、少数ではないかと思います。よって、この世にあふれている小説のほとんどには、労働が描かれているはずです。あえてそれを正面から取り上げるという例が、少ないだけで。
なぜなら、多くの読者は余暇時間に読書を楽しみますので、そういうときまで仕事一色の内容は勘弁、そう思ってしまうのではないでしょうか。
読んでもらうために、そういうことで主張を持つプロ作家たちは、真正面からは取り上げず、背景としたり、巧妙に伏流させたり、・・・などということもあるかもしれませんね。
難しいでしょうが、無視することのできない主題だと思います。
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西山正一郎さまの作品『ヨット』、拝読させていただきました。
ネット上のエチケットとして、個人への非難中傷は避ける、ということがあります。
しかし、ここは文芸フォーラムですし、切磋琢磨ということは技量向上に欠かせないと私は考えます。よって、批判は(いわれなき非難や中傷は論外でしょうが)必要であり、これを遠慮するというのは、何をしているのか、ということになってしまうと思っております。
以上御覚悟の上、続きをご覧くださいね。
(偉そうなことを言っていますが、私はマスターでもなんでもありません。一参加者ですから、誤解なきように!)
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『ヨット』は、一読して、好感が持てました。
だけでなく、練熟した描写力に、作者の並々ならぬ技量も感じました。
なによりも、実生活を基盤とした、堅実な、無理のない文章。率直な心情吐露。
魂を揺さぶるたぐいの、泣きはらさずにはいられないたぐいの激しい作品ではないと思いますが、鈍く輝く金属のような落ち着きと、自らを客観視できる冷静さが、私の心にどこかすずやかな安らぎを与えてくれました。
ああ、私だけではないんだなあ、というような。
いつかこういう心境にまでなれるのだろうか、という、あこがれのような。
特に、終結部近く、「夜の海を灯もつけずに航行している小さなヨット」に託した、小さなしかし屈しない勇気の描写、みごとだと思います。
そこまで持っていく構成の力にも、舌を巻きました。きっと、本当のすごさは、今の私の読解力では分かっていないのだと思うのですけれど。
また、主人公が幸田と同じヨットに乗る仲までになった事情を、あえて詳述していない点、さすがだと思います。読者の想像に任せて、それで十分という見切り。語らずに語る、ということなのでしょうが、理屈では分かっても、それをちゃんと作品の中に実現できる人は少ないのではないでしょうか。
次に、しかし気になった点も述べます。
私は、実に細かいことが気になる人間でして、本筋とはあまり関わらないことばかりです。
ふうん、そういう読み方もあるか程度ぐらいで、あまり深刻には考えないでくださいますよう。
※質問している項目もありますが、望まれないのなら、お答えいただかなくてもかまいません。
ア)「田村好男」さんというのは、西山正一郎さまの筆名なのでしょうか。あるいは逆?
イ)西山正一郎さまのホームページというのは、同人誌「窓」の紹介を主たる方針としていくのですか。それとも、貴方の作品を主としていくのでしょうか。
ウ)「片足づつ電柱に金具を打ち込みながら」→ これは、現代表記にのっとるなら、「片足ずつ」ではないでしょうか。
エ)「口中に、ウイスキーの臭いが広がり」→ どちらかといえば肯定的にとらえているので、私なら「匂いが広がり」としたくなります。あるいは、「薬臭い」という風な隠れた印象を植えておきたかったのですか。
オ)「氷がカラ々と硬質の音を立てた」「グラスの破片が、キラ々と光った」→ こういう繰り返し符号(々)の使い方は、あまり見かけません。カナの場合は「ゝ」の方が適当かと思いましたが、それにしても、「カラカラ」なのか「カララ」なのかが引っかかりました。一種の、シュールな表現かなあ、という気も。
カ)「幸ちゃんも、爪の垢でも貰ろたらどうや。」→ 本文中でも他に「貰う」という送りがなを使っていますので、ここはいっそかな書きにしてしまった方が、と思いました。
キ)「幸田の言う通りであった。ここ数日、梅雨の晴れ間が続き、」で始まる段落が、二字下げになっています。特別な段落ではないので、一字下げのミスでは?
ク)「怠かった」「把っときや」「手直の」→ 「だるかった」「つかまっときや」「てぢかの」と読み下すのでしょうか。私にはちょっと難しくて、辞書を引きました。「把っときや」が、辞書を引いても分からない。すぐ後に「ワイヤーロープを両手で掴んだ」という用法がありますので、「把っときや」の方は「にぎっときや」かもしれないと考えたりしました。正解は?
・・・というところです。
すでに述べましたが、ことさらな性急さや悲壮感無しに、夜の海そのもののように迫ってくる文章の姿、その本質には、以上のことはほとんどマイナスの影響は与えていないかと思います。ただ、私としては、惜しい気のするところもありましたので。
終わりにあと一行だけ。
これは労働を書いていると言うより、人生を書いている、読みながらしみじみ思いました。