PROFILE | |
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11 | これまでの軌跡など… 1964年、九州は宮崎県・宮崎市。じいさんが経営する自動車修理工場のレース好きな三男・幸三の長男坊として、へその緒を首に巻きつけ誕生。 当時から、自分でレースカーを製作し、ジムカーナ・レースに興じていた親父の影響で小さな頃からサーキットに親しむ。 じいさんに可愛がられながら、すくすく育ち、車に興味を持ちつつも、友人の剣道を見て、「かっこいい・よし、自分もやる」と不純な動機から礼を重んじる武道の世界へ。 小学校1年から5年間剣道を続けるも、やはり車に戻り、レーシングカートを始める。 無駄に思われる5年間だが、後にこの剣道というスポーツは、礼などの基礎はもちろんだが、相手の裏をかいたりという面では、レースでの駆け引きなどの場面では大きく役に立つことになる。また、メンタルな部分でも冷静さを失わないという精神力を身につける事が出来た。 そして、レーシングカートから、本格的なモータースポーツの世界へ。当時、カートはあまり子供がやっていなかったので、大人が相手のレース。スタミナ不足から苦い思いをしたり、足にボルトを入れる程の大怪我を負ったりと色々あった…。親父のスパルタもドンドン増してきた頃だ。 18歳で免許を取り、4輪のレースへ。 トヨタ・スターレットKP61で、レースカーを制作し、西日本サーキット(現・美祢サーキット)にてデビュー。いきなり、3位・優勝と、この頃は「怖いもの無し」「負ける気無し」まさに破竹の勢いだった。 九州では、チャンスも少ないし、やっぱりプロを目指すなら「関東」でしょ。という事で友人を頼って上京。輸入車の改善(珍しい並行輸入車等を日本仕様に合わせる仕事)や、なんと分析の機械を製作する会社で働きながら、社長の好意でレースに参戦(もちろん、レース費用は自腹)。 当時からアルバイトをしていた、超有名レースカー制作ガレージに転職。レーシングカー製作の基礎を徹底的に習得。その後、アルバイトに戻り、他のガレージでレースカーを制作。入魂して制作したギャザズ・ドライダーシビックで2年連続チャンピオンを獲得した。 アメリカでのレース参戦や、韓国のレース視察など経て。念願のガレージ「オペラ・パフォーマンス」設立。名付け親・ロゴデザインは「グランツーリスモ・シリーズ」のプロデューサー山内氏。カッコイイ名前とロゴマークに負けないよう日々勉強・精進しています。 「自分のマシンを作るように」1台1台・丁寧な仕事を心掛けて頑張っております。 |
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http://yasukichi.net
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