原題 ; CROSS OF IRON(1977) |
監督 ; サム・ペキンパー |
脚本 ; ジュリアス・エプシュタイン、ウォルター・ケリー、ジェームズ・ハミルトン |
音楽 ; アーネスト・ゴールド |
出演 ; マキシミリアン・シェル、ジェームズ・メイソン、センタ・バーガー |
サム・ペキンパーにとっても、ジェームズ・コバーンにとっても最高作の一つと思うのだが、ヒットしたのはドイツと日本だけだったらしい。 ジェームズ・コバーン扮するシュタイナーは、サム・ペキンパー作品中でも、とりわけヒロイックなキャラクター。ところが描かれる戦場は悲愴感あふれ、裏切りに満ちている。 戦争は人間の尊厳など通用しない愚かな行為だという実感がひしひしと伝わってくる傑作。 アメリカでは完全に黙殺されたらしく、サム・ペキンパーの研究書ですら正当に評価せず、撮影中のトラブルくらいしか紹介していない。ちなみに、この作品は公開国によってバージョンが違い、アメリカ公開版はかなり短縮されていたようだ。 第二次大戦末期、敗色濃いソ連軍との前線に配備されたドイツ軍のシュタイナー伍長(ジェームズ・コバーン)は敵小隊を駆逐、少年兵一人を捕虜にする。 シュタイナーは闘いにおいて数多くの戦友を救った伝説的戦士であり鉄十字章の持ち主だった。 その頃本部のブラント大佐(ジェームズ・メイソン)の元にシュトランスキー大尉(マキシミリアン・シェル)が着任していた。プロシア貴族出身の彼は戦うためではなく、家の名誉のため鉄十字章を得ることを目的に志願してきたのだ。 帰還したシュタイナーにシュトランスキーは捕虜の処刑を命じる。シュトランスキーはシュタイナーを懐柔しようと曹長に昇進させるが、シュタイナーには肩書きなど興味のないことだった。 次にシュトランスキーは副官トリービヒ少尉の男色癖を暴き、脅迫して配下に引き込む。 翌朝早くシュタイナーは少年兵を森に連れて行き逃がすのだが、味方であるソ連兵の発砲を受け殺されてしまう。 続いてソ連兵による攻撃が開始されるが怖じ気づいたシュトランスキーは全く役に立たない。シュタイナーたちは多くの犠牲を出しながらも戦線を維持する。犠牲者の中には昨夜誕生日を皆で祝ったばかりのマイヤー少尉もいた。 負傷したシュタイナーは赤十字の施設へと送られ、エヴァ看護婦(センタ・バーガー)の介護を受ける。慰問に来た軍幹部たちは、負傷した兵士の65パーセントを前線に送り返すよう命じた。 エヴァと愛し合うようになるシュタイナー。傷痍軍人として帰還することもできたのだが、部下たちの出撃を知って前線に戻ることを決意する。 この場面でシュタイナーが幻覚に襲われる描写があることから、シュタイナーを怪我の後遺症で精神に異常をきたし戦闘行為の中でしか生きられなくなった男と評した評論家もいたが、これは作品の本質を完全に見誤っているように思う。 シュトランスキーは手柄をでっち上げ鉄十字章を手に入れようとしていた。それには2名の証人が必要。一人はトリービヒに署名させ、もう一人にシュタイナーを指名する。シュタイナーにとって勲章など鉄屑にすぎなかったが、卑怯者に栄誉を与えるわけにはいかない。 シュタイナーは、ブラントに当日の指揮を取っていたのは戦死したマイヤーだったと真実を告げる。調査の結果もシュタイナーの証言を裏付けるものだった。 ドイツ軍の敗色は更に濃くなり全隊の退却が決まるが、シュトランスキーはシュタイナー小隊への連絡を取らせず、敵の包囲に残してしまう。 シュタイナー小隊は敵の猛攻に反撃、敵戦車を破壊するが多勢に無勢。塹壕から工場に逃げ込み、坑道を抜けて脱出する。 そのころシュトランスキーにパリ転任の命が下っていた。シュタイナーの反証がなければ鉄十字章も手にすることになる。 決死の敵中突破を試みるシュタイナー小隊。敵兵のいる農家に攻め込むが、そこにいたのは全員女兵士だった。女に襲い掛かろうとする部下を制止するシュタイナー。 作戦地図を入手したシュタイナーは、変装のためソ連軍服も手に入れる。 ナチストのツォルは女に暴行しようとして性器を噛み切られてしまう。ツォルの卑劣な行為にあきれたシュタイナーは、ツォルを女たちに引渡して出発するのだった。 一方、ブラントは副官のキーゼル大尉(デヴィッド・ワーナー)を前線から撤退させていた、敗戦後のドイツが復興するためにはキーゼルのような思想家が必要と考えたのだ。 シュタイナーたちは奪った軍服で変装、捕虜護送中と偽って近づき敵兵を倒して前線を突破した。 残るは味方の前線突破のみ。無線連絡で敵軍服を着た者がいることを伝える。 だが、シュトランスキーとトリービヒは情報を握りつぶした。 伝言を知らない者がいるかもしれないとソ連軍服を着た者は両手を頭で組み、捕虜のふりをしてドイツ前線に向かう。 シュタイナーの姿を確認したトリービヒは発砲命令を下す。 味方の銃撃に次々と倒れていく兵士たち。射撃兵の中にはドイツ軍人の存在を認める者もいるがトリービヒは攻撃命令を出し続ける。射撃がやんだのは兵士たちがシュタイナーの姿を見つけたときだった。たとえ上官の命令でも、戦場の勇者に対して引き金を引くことはできなかったのだ。 マシンガンを手に詰め寄るシュタイナーに、トリービヒはシュトランスキーの命令だったと逃げ口上。シュタイナーの脳裏に戦死していった仲間たちの姿がよぎる。シュタイナーはトリービヒを蜂の巣にした。 この一連の場面はサム・ペキンパーのスロー・モーション・シーンでも最も見事な泣かせる名場面だと思う。 たった二人生き残った部下に別れを告げるシュタイナー。 ロシアの猛攻にドイツ前線は崩壊を始めていた。ついにブラントも銃を手に死地である戦場に赴く。 シュトランスキーは移動命令をたてに離脱しようとしていた。マシンガンを向けたシュタイナーは、シュトランスキーに「あんたが俺の小隊だ。鉄十字章の取り方を教えてやろう」というと彼を戦場に引っ張り出す。 ドイツが空しい反撃を続ける中、へっぴり腰で弾倉の交換もままならないシュトランスキー。ソ連の少年兵もあきれるほどの無様さ。その姿にシュタイナーの高笑いが響く。 この作品を批判する場合、真っ先に書かれるのはジェームズ・コバーンがドイツ兵らしく見えないという意見。これは見当違いという気がしてならない。典型的なドイツ将校はマキシミリアン・シェルが演じきっているし(「遠すぎた橋」など当時ドイツ軍服の一番似合う俳優だった)、シュタイナーのキャラクターには、前線に駆り出されて命がけで戦う兵卒はドイツも連合軍もそれほど変わるところのない連中なんだ、という表現が込められていると思う。 シュタイナーのキャラクターのユニークさは、まさにこの点にあり、自分と仲間を守るために殺しあってはいても敵兵を憎んではいないと感じられる。彼にとって前線に駆り出され命を賭して戦う兵卒は敵も味方も根本的に同類と考えているのではないだろうか。彼が憎んでいるのは兵隊を前線に駆り立てて自分たちはのうのうとしている将校たちなのである。 そういう意味でラストの高笑いはシュトランスキーだけでなく、ついに戦場へと出たブラントに対する表現としても使われている気がする。 余談=大ヒットしたドイツ向けに続編の企画が持ち上がったが、サム・ペキンパー監督は断った。予算超過で資金を打ち切られ、ロケ先ユーゴスラビアのスタッフはギャラを貰えずに終わった、という作品が完成したのが奇跡と思えるくらいの状況だったようなので、当然の行動といえるかもしれない。結局、続編は「大いなる決闘」のアンドリュー・V・マクラグレン監督、リチャード・バートン、ロバート・ミッチャム主演で製作され、日本では「戦場の黄金律/戦争のはらわたU」としてビデオ発売された。 |