悪しき運命(さだめ)のラセリア
第1部 ヴルディアの青騎士
3.花売りとならず者
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 ヴルディア市の入り口には関所が設けられていた。
 街道は、この関所の直前で隣国シャティナスとの貿易路と合流している。そのため関所はいつも混雑していた。
 それほど厳しい審査があるわけではないが、とにかく人数と荷物の物量が多い。順番待ちに小一時間かかることはざらだった。
 その関所をモーズリット卿は、旅人の列を尻目に堂々と通り抜けていく。役人たちは、その姿に気付くと一様に頭を下げる。
 後ろに続くヴィンスも、誰に止められることもなく馬を進めた。本来なら自分も並ぶはずの列を素通りしていく。嬉しいような気恥ずかしいような複雑な気分だ。
 検閲を待つ人々の列から好奇の眼差しが向けられていた。
 中には「ほら、あれが有名な青騎士モーズリット卿だ」などと連れにささやく者もいる。
 もしかしたら自分は、モーズリット卿の従者と見られているのかもしれない。ヴィンスは、ますます複雑な心境になった。
 市街に入り、モーズリット卿は人馬の行き交う石畳の大通りを中央広場へと進んでいく。
 中央広場から北へ2キロほど進んだところに領主クローディオの屋敷がある。いや、正確にはクローディオ邸の広大な敷地の入り口に到達するのだ。
 やがて見えてきた黒い巨大な鉄門の両脇には、鎧に身を固めた番兵が立哨していた。左右には石壁が見渡す限り広がっている。モーズリット卿は軽く右手を上げて合図した。二人は慌てて門の閂を外し、両側に開く。
 門はいかにも重量がありそうだが、手入れが行き届いているようだ。軋む音も立てずに開いた。
 道は庭園を突っ切り、彼方に見える屋敷へと続いている。屋敷は周囲を樹木に囲まれ、屋根だけを覗かせていた。
 その林までは、よく刈り込まれた芝生と、各国から取り寄せられた色とりどりの薔薇の植え込みが道をはさんでいる。
 屋敷に到達するちょうど中間の地点で道が円形に大きく膨らんでいた。その中心には馬に跨る武人の銅像。
 領主の祖先、セオドール・クローディオの勇姿である。150年ほど前、彼はギャズヌール国王の命を受けて王軍を率い、この地の守備に当たった。そしてコボルト、オークなどの半獣人族や北の荒地や山間に棲む蛮族の侵略を退けたのである。
 国王は、その武勲を認め、この地を与えて彼を領主に任命した。ティルナと呼ばれていたこの地は、それを機にヴルディアと名を変えたのだ。
 以来クローディオ家は代々ヴルディアを治めている。そしてヴルディアは東の国との貿易窓口として繁栄を続けた。
 モーズリット卿とヴィンスは、屋敷の正面を迂回して裏手に回った。そこに厩(うまや)があるのだ。
 モーズリット卿の姿を認め二人の馬丁(ばてい)が飛び出してきた。一人は小柄で五十がらみの男、もう一人は逞しい若者。二人とも日に焼けて浅黒い顔をしている。
 ホワイトアローから降り立ったモーズリット卿は年配の馬丁に手綱を渡した。かいつまんで事情を説明し、二人にガディスの死体を引き上げて来るよう命令する。
 屋敷の裏手には厩と馬場の他にいくつか別棟の建物があり、ガラス張りの温室も建てられていた。ガラス越しに色とりどりな花が咲き誇っている様子が窺えた。
 裏手の出入り口から入ったモーズリット卿は、備え付けられた呼び鈴を鳴らして執事を呼んだ。
 現れた執事は、見事な白髪の老人。背筋はピンと張り、濃紺のお仕着せには糊(のり)を効かせシワ一つない。ズボンにはスラリと筋が通っている。
 モーズリット卿は、自分が前もって領主に事の成り行きを説明するといって立ち去った。
 ヴィンスは今しばらく待つこととなり、執事の先導で控え室へと案内された。面会者が顔を合わさないための配慮か、小さめに区切られた控え室が並んでいる。
 待たされること、およそ20分。ようやくお目通りがかなうとのことで領主の執務室へと通された。
 さすがのヴィンスも少々緊張気味だ。先ほどモーズリット卿に言われたときは反発を感じた。しかし、領主に面会できることは、確かに駆け出しの冒険者にとって滅多にないチャンスなのだ。
 好印象を与えておけば、とりあえず損になることはないだろう。
 ヴィンスは背筋を伸ばし、頼りになる冒険者という立ち居振る舞いを見せようと試みた。少々ギクシャクした動き。端から見れば操り人形の勇者といった有様ではあった。
 領主クローディオは重厚な楢材のテーブルの向こうにデンと構えて座っていた。
 シルクのシャツに金糸銀糸で刺繍を施した上着という、きらびやかな服装。しかし、本人は灰色がかった顔色で、皮膚がたるみ、特に目の下には目立つ隈(くま)が出来ていた。
 隆盛を誇ったヴルディアの領主も年齢には勝てなかったようである。クローディオは先月67歳を迎えた。奥方は10年前に他界しており、子供はいない。
 最終的にはモーズリット卿を養子に入れて跡を継がせるのでは、というのが市民間におけるもっぱらの噂だった。
 精気に欠けた顔の中で、青灰色の目だけがギラついて光っている。
「お主が先ほどモーズリットから聞いたヴィンス・ラングホーンか。わしへの書状を守ってくれたこと、礼を言うぞ」もともとは深みを持った声質なのだが、かすれ気味で聞き取りにくい話し方になっている。
 クローディオは促すように右手を差し出した。ヴィンスは肩から外して左手に抱えていたバッグから書状を出す。
 クローディオは受け取った書状をじろりと睨んだ。封蝋の無事を確認したのだ。彼は中身は見ずに、そのまま書状を懐に入れた。そして、引き出しを開け皮の小袋を取り出す。
「これは礼じゃ、取っておけ」クローディオは机上に袋を置いた。20枚の銀貨が入っている。
 もともと礼金目当ての行動ではなかったが、遠慮する気もない。ヴィンスは、ひと言礼を述べて袋を取った。
「今宵は会食の日、お主も列席するがよい。部屋も客間を用意させよう」
 過分な光栄というべきだろう。だが、堅苦しいのが苦手なヴィンスにとっては嬉しさ半分というところ。まあ、断わって気分を害してもいけない。ありがたく受けることにした。
 ヴィンスは、モーズリット卿とともに領主の執務室を辞した。彼は本来の目的である書類を届けるため、一旦屋敷を出なければならない。
 一人で屋敷に戻ったときには通行証が必要になる。モーズリット卿は、執事にヴィンスの通行証を用意させた。
 彼が預かってきた書類の届け先は、サントレア通りにあるグスカニコフ商会。
 ヴィンスは街道の事件と領主の屋敷で、かなりの時間を食ったように感じていた。が、実際には予定より30分以上早く目的地に到着した。後半の行程に馬を使ったことと、普段は時間のかかる関所の審査をパスできたためだ。
 そのため、冒険ギルドから気難しいと聞かされていた店主は上機嫌。手間賃に少々イロを付けてくれた。
 ふう、ますます子供の使いだな。ヴィンスは思ったが、駆け出しの身にとっては多少の小遣い銭でもありがたい。しかも領主邸の客間に泊まれるのだ。宿代を浮かすために慌ててバナウェイへと取って返す必要もなくなった。
 明日は久しぶりにヴルディアで遊んでいこう。命を落としたガディスには申し訳ない気もするが、波乱の一日も、ようやく終ろうとしていた。
 足取りも軽く、ヴィンスはクローディオの屋敷を目指す。
 屋敷の長い石壁づたいに歩き、鉄門が近づいてきた。
 門の少し脇に、なにやら人だかりが出来ていた。見ると若い花売り娘が4人のチンピラにからまれている。
 花売り娘は、14、5歳だろうか色白の透き通るような肌をした美少女だった。透き通るような青い瞳が不安で大きく見開かれている。紺色のスカートにベージュのワンピース、頭をすっぽりと赤い頭巾で覆っていた。その頭巾からは柔らかそうなブロンドの髪がはみ出している。
 4人は、その少女を取り囲み、「花を買ってやるから付き合ってちょーだい」「たっぷり仕込んでやるからよう」などと口汚い言葉を吐いている。
 ひどいガニ股で平べったい顔をした年配の男、ドクロのような顔つきで痩せぎすな30代後半の男、乱杭歯の出っ歯という貧相な顔つきで30代とおぼしき男、20代後半だろうかニキビ面で目の感覚の離れた愚鈍そうな表情の若者。
 人間見た目ではない、とは言っても出て来るセリフがこれでは中身も最低ということだ。
 ニキビ面が少女の手首をむんずと掴む。ニタァッと笑った顔は、今にもよだれを垂らしそうだ。
「やめてください」少女は白い顔の頬をピンクの染めて、悲壮な声をあげた。
 もちろん、この手の連中は、か弱い相手が嫌がるのを楽しむ手合いだ。4人揃ってヘラヘラと笑い、娘ににじり寄る。
 鎧を着た番兵は見て見ぬ振りをしていた。門を守ることだけが役目と思っているのか。
「お前ら、やめないか」ついに見かねて、ヴィンスが怒声を上げた。
 ヴィンスを振り返った4人は、揃いも揃って表情を一変させていた。汚い顔を凶悪そうに醜く歪め、凄みを利かせる。
 もちろんヴィンスは、この程度でビビりはしない。獰猛な肉食獣ディゴラの鼻づらを目の前にしたこともあるのだ。
「その子が嫌がっているじゃないか」落ち着いた口調で言い放つ。
 チンピラどもには、他人の戒めを聞く気など毛頭ない。
「ヘヘッ、かわい子ちゃんの前で、いいとこ見せようなんて思うと痛い目見るぜ」乱杭歯の男が、ツバを飛ばす。言うが早いか短刀を抜いた。
 他の連中も、それぞれに自分のエモノを手にした。長剣、ナタ、投げナイフ。どれもさほど高級な代物ではないが、よく使い込まれている。人の血を吸ったことも、一度や二度ではないのだろう。
 またしてもヴィンスの心に逡巡が走る。
 一人一人は取るに足らない相手だ。しかし、四人一度に相手にするとなれば事情は違ってくる。手加減する余裕はなくなってしまう。
 こいつらは間違いなく場馴れしている。おそらく人を傷つけ死なせることにも禁忌を持っていまい。一歩間違えればヴィンス自身が命を落とすことになる。
 人を切ることへの抵抗感が、ヴィンスの動きを鈍らせる。心を落ち着かせようと深く息をついた。
 チンピラたちは、ヴィンスの様子を単に腕に自信がなくてビビっていると判断した。相手が弱気になれば、とことん付け込む習性の連中だ。
 血への期待に冷酷な笑いを浮かべ、ヴィンスに向かって踏み出していく。
「およし!」そこに鋭い女の声が響いた。
 いつの間にか男たちの背後に一人の女が立っていた。褐色の肌に漆黒の長い髪、スラリとした体型で、しなやかな身のこなし。黒い細身のパンツに黒革のジャケット。一度闇にまぎれたら、簡単には見出せない出で立ちだ。キッと鋭い茶色の目をしている。
「その人はクローディオ様のお客だよ」
 女の言葉に、4人はチッと舌打ちをした。残念そうにエモノを懐へとしまう。
 ヴィンスに鋭い一瞥を投げると身を翻してゾロゾロと屋敷に入っていく。
 最後に残った女もジロリとヴィンスを睨んでクローディオ邸に姿を消した。
 全員が、ふてぶてしい態度で、番兵など完全に無視している。二人の番兵も、うつむき加減でじっとしていた。触らぬ神に祟りなしという様子だ。
 残されたヴィンスは呆然としていた。このような、ならず者が領主の屋敷に堂々と出入りしているとは。しかも、何か特権でも与えられているかの傍若無人ぶり。
 ヴィンスは、理不尽な思いに歯をギリッと噛みしめるのだった。