悪しき運命(さだめ)のラセリア
第1部 ヴルディアの青騎士
8.逃走のバナウェイ
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 夜明けとともにラセリアたちは荷馬車に乗ってバナウェイへと出発した。
 エドウィンとラセリアがバナウェイに荷を運ぶ老人と孫娘に扮し、幌(ほろ)に覆われた荷台にヴィンスが隠れている。
 バムティも同行を志願したが、彼のような逞しい巨漢がいたのでは相手が警戒心を抱くとの理由で却下された。
 エドウィンは背中を丸め、一回り体形を小さく見せている。
 変幻自在のラセリアは、ピンクのドレスを着込み、あどけない笑みを浮かべていた。花売り娘姿のときよりも、さらに数才幼く見えている。
 街道にでる通関所では、いつもより厳しい検問が実施されていた。
 係官も増員され、時間をかけて取り調べが行われている。
 とはいうものの非番のはずが明け方に刈り出された者もいて、それほど士気は上がっていない。
 ラセリアたちの荷馬車を担当した二人の係官も、欠伸(あくび)を噛み殺している始末。
 無害な市民にしか見えないラセリアたちの演技にコロリとだまされていた。
 それでも片割れが幌をめくって荷台を覗き込む。板張りの荷台の中央にはデンと大きな箱が置かれていた。
 色褪せ古ぼけてはいるが、重量感のある年代物。大人でも十分に身を隠すことができるサイズだ。
「念のためだ。箱の中を見させてもらうぞ」男は御者席のエドウィンに声を掛けた。
「ああ、どうぞ。鍵は掛かっておりませなんだ」とぼけた口調とは裏腹に目をギラリと光らせている。
 もともと小心で用心深い係官は、顎をしゃくって相棒を促す。
 二人して荷台に上り込み、箱の蓋に手を掛けた。顔を見合わせてゴクリと喉を鳴らす。思い切って蓋を持ち上げた。
 荷台の中に蝶番のきしむ音が響く。
 覗き込むと中には箱の縁から三分の二ほどまで、骨董品ともガラクタともつかない物が詰め込まれていた。
 これでは大の大人が隠れることは不可能である。にもかかわらず、係官の一人はガサゴソと箱の中をかき回し始めた。
 ややあって赤くて大きな宝石を付けたペンダントを取り出す。男はニヤリと笑い、そのペンダントを制服のポケットに仕舞い込んだ。
 付き合っている酒場女にプレゼントしようというのだ。
 実はこのペンダント、二束三文のまがい物なのだが、そんなことはこの男にも酒場女にも分かりはしない。
 それを見ていた相棒も、負けてはならじと箱の中を物色する。これまた安物のブローチを喜々として懐にしまい込む。
 この荷台、床が二重底になっていて下に人一人が隠れられるスペースが作られている。箱は、その蓋をカモフラージュするために置かれたものだ。
 下に隠れたヴィンスは、先程から気が気でない。上でゴソゴソと音がするたびに背中を冷や汗が伝う。
 だが、もともと小心な二人、こそ泥を見咎(みとが)められて訴えられたりしたら一大事と気もそぞろになってしまった。
「よし、行っていいぞ」顔を赤らめながら、せかすように言う。少々声も上ずっている。
 エドウィンは素早く鞭を打って荷馬車を出発させた。その横でラセリアは、してやったりとニンマリ相好を崩すのだった。

 途中は何事もなくバナウェイへと到着した。町の入口はいつもと同じ。検問もない。
 エドウィンとラセリアは、人通りのない路地裏に馬車を止めた。荷台へと上がり二人掛かりで箱をずらす。ラセリアが隠れ場所の蓋を叩いた。トントトンとあらかじめ打ち合わせておいたリズム。
「ヴィンス、バナウェイに着いたわよ」
 声に応えて幅50センチ長さ1メートル程の蓋が下から持ち上げられた。エドウィンが、その蓋をのけるとヴィンスの上半身が現れた。
「ふう、窮屈だった」言いながらヴィンスは身を起こす。両手を穴の縁にかけ身体を持ち上げた。床下部分に隠されていた足を抜く。
「ここでひとまずお別れね」ラセリアが、立ち上がって伸びをしているヴィンスに声を掛けた。
「あ、ああ」今度は足をさすりながら、ヴィンスは曖昧な返事を返す。
「戻ったら、すぐに荷物をまとめて身を隠しなさい。悪いことは言わない。モーズリットは手をこまねいたりしないわ」落ち着いた口調だけに説得力がある。
「もし私たちと行動する決心がついたら、あのヴルディアの商店街で゛ブローバスの壷゛を探してまわりなさい。たとえ私たちが今のアジトを引き払っていても、それ程時間をかけずに私たちのところにたどり着けるはずよ」
 今度は切々とした口調。ヴィンスが仲間に加わらないことが残念で仕方がないという様子だ。
 花売り姿の時に見せた頼りなげな面影が今のラセリアには宿っていた。
 自分の判断は正しかったのだろうか。再びヴィンスの心に迷いが生じていた。彼はバナウェイを出たら、しばらく山中で過ごすつもりでいた。もともと猟師である彼は山中で飢えることはまずない。雨風をしのぐ術も、どの植物が食べられるかも熟知している。
 ほとぼりが冷めたころにヴルディアを迂回して王都シャンダリアに入ればいい。シャンダリアは、ギャズヌール王国の中核だけあって人の出入りも多い。身を隠すにはもってこいだ。
 国王自ら統治する都市なのだから、もちろんクローディオの勢力も及ばない。
 早く身を落ち着かせて心を決めたい。ラセリアたちと別れたヴィンスは、いつしか早足になって自らの下宿を目指すのだった。
 一方、エドウィンとラセリアを乗せた荷馬車は大通りを町の中心にある広場へと向かっていた。
 いつもなら市場で賑わう早朝の広場。今日は少し様子が違う。
 ずらりと並んだ食料品や日用品の露店が、妙にひっそりしていた。店番も客も声をひそめてなにやら噂話をしている。
 ラセリアは、あちらこちらで様子をうかがう兵士の姿も見逃さなかった。
 広場の中央に人だかりがしている。胸騒ぎを覚えた二人は馬車を降り、人混みを掻き分けていく。人混みの先には町の掲示板があった。
 風雨にさらされて色褪せた板に真新しい張り紙が白く映えている。
 紙面に目をやったラセリアは、思わず息を呑んだ。ヴィンスの指名手配書だったのだ。
 領主邸に忍び込んだ盗賊にされている。賞金は1万ゴールド。はりこんだものだ。
 殺戮と略奪を繰り返した山賊の首領でさえ、この金額は付かなかった。
「まずいわ」ラセリアが血相を変えた。色白の顔が今は青ざめている。これほど早くモーズリット卿がヴルディア市兵を動かすとは予想していなかったのだ。
 エドウィンを促して雑踏の中を荷馬車へと踵(きびす)をかえす。
 すでに市兵たちがヴィンスの住み家を見張っていることは間違いない。
 エドウィンが馬に鞭を入れる。心配顔のラセリアを乗せた馬車は勢い良く走り出すのだった。

 一方、ヴィンスも町の様子がおかしいことに気が付いていた。それは微妙な空気の変化といった程度のものだった。
 いつもに比べ人影が少ない。そろそろ町も活気づく時間だというのに、妙に静かだ。
 不審な思いに捉われたヴィンスが周囲をうかがいながら歩いていると、塀の影から声を掛けられた。
「ヴィンス、気をつけなさい」その家に住む顔見知りのパクラという老婆だった。
「お前さんのところに兵隊が大勢入っていったよ。いつも親切にしてくれるお前さんが強盗だなんて、あたしゃ信じていないからね」パクラは励ますように言った。
 強盗という言葉に心当りはなかったが、どうやらすでにモーズリット卿の手が回っているらしい。こうなったら下宿に置いてある荷物は諦めたほうが良さそうだ。幸い失くして惜しいようなものは一つもない。
 ヴィンスが踵を返そうとしたそのとき、30メートル程先の下宿から一人の兵士が顔を出した。
 まずい、と思ったときには目が合ってしまっていた。
 ギョッとする兵士。慌てて警笛を吹く。それに応えて下宿と近隣の数軒から、わらわらと兵士が躍り出てきた。総勢20名近い。
 反対方向へと走り出すヴィンス。土煙をあげて追う兵士たち。
 さらにその背後から馬車が肉迫してきた。
「キャー、あぶない。どいてどいて」女の黄色い悲鳴。
 すわ暴走馬車か、と兵士たちは慌てて道の両脇に寄る。
 ガラ空きとなった道の中央を、一台の荷馬車が走り抜けていく。
 その御者台から少女が乗り出し、唖然と見送る兵士たちに舌を突き出してみせる。ラセリアだ。
 大まかな住所しか知らなかったため、あたりを走りまわり、ようやくヴィンスを見つけ出したのだ。
 ヴィンスに追いついたところで、エドウィンは一旦馬車の速度を落とした。
「さあ、乗って!」
 ラセリアの声に促され、ヴィンスは身を翻して御者台へと躍り込む。
 背後からは足の早い兵士数人が今しも馬車に追いつこうとしていた。
 先頭の兵士が荷台に取りつこうとした瞬間、間一髪でエドウィンは鞭をふるって馬車を加速した。
 チャンスを逃し、走り去る馬車を見送る兵士。くそっとばかりに気を取り直し、罵声を上げながら再び走り出す。
 とはいうものの重装備の身。全速力で走り続けられるものではない。馬車はぐんぐんと距離を開けていく。
 ラセリアたちがホッと一息つこうとしたとき、前方の路地から子供が飛び出してきた。
 慌てて手綱を操り方向転換を図るエドウィン。黒髪の子供は、恐怖のあまり顔を引きつらせて立ちすくんでいる。
 馬のいななきと車輪の軋む音が街角に響き渡った。
 なんとか子供は避けたものの、荷馬車はバランスを崩してしまった。ふわりと浮き上がる感覚。30度ほど傾いたところで一瞬止まり、何とか立て直すかと思ったものの無駄だった。
 今度は落下感覚が襲い、荷馬車は横倒しになってしまった。
 身軽なラセリアは、その前にひらりと身を翻して空中に跳んだ。すたりと鮮やかに着地を決める。
 ヴィンスは、エドウィンをかばおうと咄嗟に体を下に潜り込ませた。おかげで地面に叩きつけられたが、ニスで硬く固めた皮鎧のおかげで激しいダメージは免れた。
「大丈夫、エドウィン」ラセリアが素早く駆け寄ってエドウィンを助け起こす。
「うむ、ヴィンス君のおかげで助かったよ」年齢のわりに鍛えた体で無傷だった。
 続いてヴィンスも立ち上がる。後方を振り返ると、ヴィンスたちの状況に元気を得た市兵たちがスピードアップして駆け寄ってくるのが見えた。
「私についてきて」ラセリアを先頭に3人も走り始める。
 路地から路地へと、次々に曲がりながら進んでいく。この町に来てようやく3ヶ月のヴィンスが通ったことのない道ばかり。
 どうやらラセリアは、バナウェイでトラブルに巻き込まれたときの脱出経路をあらかじめ決めていたようだ。
 ヴィンスはすでに自分の位置を見失っていた。おそらく北東の町外れに向かっているのだろうという見当がつく程度だ。とにかく今はラセリアを信用するしかない。
 突然、3人の行く手を遮るように15人ほどの男たちが躍り出てきた。賞金目当てで追ってきた町のチンピラども。土地勘を頼りにラセリアの脱出路を予想し、先回りに成功したのだ。
 有象無象の集団。慌てて飛び出してきたという風情だ。
 全員がゼイゼイ息をきらせ、ろくな武器を手にしていない。短刀、ナイフ、棍棒。素手の者も幾人かいた。
 ヴィンスがスラリとブロードソードを抜く。ギラリと光る白刃の煌(きらめ)きにチンピラどもは息を呑んで一歩下がる。
 及び腰ではあるが、道を開ける気はないらしい。質より量で何とかしようという腹だ。互いに顔を見合わせるが、切り込む勇気のある者は一人もいない。
 ヴィンスもまた動きがとれないでいた。剣は抜いたものの、相手が問答無用で斬り捨てて構わないほどの悪党でないことは分かっている。
 その思いはラセリアも同様だった。殺傷力の強い攻撃魔法の使用はためらわれた。
 かといって眠りの魔法では、この人数には焼け石に水。敵が横に広がっているため、効率的には倒せない。
 そうこうするうちに追っ手の気配が近づいてきた。姿はまだ見えないが、それもあと僅かな時間と知れた。
 風の精霊を呼んで突風を起こせば、深手を負わせることなく、なぎ倒せるかもしれない。うまく行けば血路を開くことができる。
 意を決してラセリアが呪文を唱えようとしたそのとき、チンピラどもの背後から雄たけびがあがった。
 慌てて振り返ったチンピラどもは度ぎもを抜かれて、どよめく。
 そこには顔面を悪鬼のごとく紅潮させた大男が突っ立っていた。
 バムティである。市兵がバナウェイに派遣されたことを知って、いてもたってもいられずアジトを飛び出したのだ。そして、かってラセリアと決めておいた逃走路から逆に町へと入ったところで、この騒動に出くわした。
 どこから持ち出したのか3メートルはある丸太を頭上にかかげて、ぐるんぐるんと回している。
 その光景におじけづき、ひるんだ連中の間に振り下ろす。もちろん本気で当てる気はない。
 わざと無人の地点を狙ったのだが、バムティの迫力に圧倒されているチンピラどもには分からない。
「ひええ」思わず情け無い声を上げる。中には泣き出しそうな顔の者もいた。
 その時、後列にいた者4人がバタバタと倒れた。ラセリアが眠りの魔法を放ったのだ。
 バムティに気を取られていたチンピラどもは、何が起きたか理解できない。仲間が殺られたと思い込んでしまった。
 ただでさえ浮き足立っていた連中は、完全に戦意を失った。
 ヴィンスたちとバムティ、挟み打ちの形となってしまったため、逃げるに逃げられない。仕方なくチンピラどもは道の両側に別れ、民家の軒下にへばりつく。
 魔法で眠らされた4人を除くと、腰を抜かして失禁した男が一人残されたのみ。
 ヴィンスたちは、アワアワ言ってるその男の横を駆け抜けていく。
 その時、よせばいいのに一人の若いチンピラが、短刀を手にヴィンスに突っかかってきた。
 本人としては日頃吹聴している豪胆さを証明するため決死の行動に出たつもり。実際には、へっぴり腰で切っ先が震え、狙いも定まらない。
 ヴィンスは短刀を軽くよけると、ブロードソードの柄を男の鳩尾(みぞおち)に叩き込んだ。
 男はウッと呻いて崩れ落ちた。
 もっと不運なのは、女なら手に負えるとふんでラセリアに組み付こうとしたハゲの中年男。バムティに怒りの鉄拳をくらい、顎を砕かれて哀れ病院送りとなった。
 この光景を見て更に手出ししようとする者は、もう一人もいない。
「ご無事ですか、ラセリア様」
「大丈夫よ、それから様はやめて、様は」
 一行は町を抜け、北東に広がる森へと脱出に成功した。
 とんでもないトラブルに巻き込まれてしまったヴィンスだが、その顔付きは輝いていた。ラセリアたちと行動を共にすることになって、胸のつかえが下りた気分だったのだ。

                                第1部 終わり