悪しき運命(さだめ)のラセリア
第2部 サヴォイ砦の暗雲
3.最果ての宿
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 「最果ての憩(いこい)亭」。それは文字通り辺境へと向かう街道で最後の宿。バナウェイからサヴォイ砦への3分の1ほどに位置している。
 ヴィンスたちの旅は、その最初の行程において順調だった。
 3日目、一行は「最果ての憩亭」に一泊することを決めた。もう少し歩を延ばすこともできたが、これから先は野宿のみとなる。そこで無理をせずに英気を養うことにしたのだ。
 「最果ての憩亭」は、その名に似合わぬ、がっしりとした無骨な外観の造りだった。石積みの建物は巨大なトーチカを連想させる。
 万が一、獣人や山賊に攻められても、立てこもれるように堅牢な造りが必要なのだ。どの窓にも頑丈そうな鎧戸が取りつけられている。
 3人が中に入ると、構造的には通常の宿屋と同じだった。1階のラウンジは酒場兼食堂として営業している。
 客は2組だけだった。
 片方は狩人風の3人組。北の森で一仕事した帰路といった風情。荒れた身なりが、過酷な環境下で狩猟した証といえる。
 ジョッキを手に豪快な飲みっぷりだ。つまみにしている串焼きの肉は、今回の遠征の成果なのだろう。
 もう片方は若い男の二人連れ。今は平服だが、剣を携えている。
 客ではない。この宿に日用品を届けにきた若い冒険者だ。ヴィンスよりは多少経験を積んでいるというレベルか。今は慣れない手つきで何やら台帳を書き込んでいる。
 今日のヴィンスたちは変装していない。このような人里離れた宿に手配書が届けられることは通常ありえないのだ。
 一行はクロークを兼ねたカウンターに立つ宿の主人ベンゲルに声をかけた。
 ベンゲルは、まだ50に届かない年齢であるが、辺境に近い過酷な環境が老いを運んでいた。カサカサとした肌に深いシワが刻まれている。その目も疲労に淀み、炎の消えかけた薪を思わせた。
 ヴィンスたちは、安全を考えて一つの部屋に全員が泊まることにした。安物の鍵を受け取り奥の階段を昇っていく。
 ベンゲルは、その後ろ姿を見送りながら、そっとカウンターの下にしつらえられた引き出しを開ける。そこにはヴィンスの手配書がしまわれていた。
 半日早く出発して先着したレーニャたちから渡されたものだ。
 レーニャたちとヴィンスは、領主邸の門前で顔を合わせている。彼らは客室に身を潜め、買収したベンゲルからの吉報を待っていた。
 この宿は辺境に向かう者にとって屋根の下で安眠できる最後の場所だ。
 たいがいの旅人は、この宿に引き寄せられる。それが人情というものだろう。例え地下組織の反逆者といえども例外ではあるまい。
 レーニャの読みが見事に当たったのだ。
 ダルトンを確実にまいたという自信が、ヴィンスたちに油断を起こさせたことも事実である。
 ベンゲルからの報告を受けたレーニャは、自分の目論見が図に当たったことに満足してほくそ笑んだ。荷物の中から茶色の小瓶を取り出して彼に渡す。
「これを、ほんの少し奴らの料理に混ぜておやり。そうすれば明け方まで火事が起きても目覚めないくらい、ぐっすり眠っちまうよ」
 遅効性の眠り薬だった。レーニャは、今夜3人とも片付けてしまい、サヴォイ砦にいるモーズリット卿への土産物にする算段でいた。
 毒を盛る手もある。だが、毒はその場で気づかれてしまう可能性が高い。そうなれば、最初に食べた一人しか殺せなくなってしまう。
 夜中になって寝込んだところを闇討ちにかける方が確実なのである。それが暗殺集団である彼らの得意とする手口だった。

 そんな陰謀は露知らぬヴィンスたち。ここから北に向かえば、もうひとかどのディナーなど口にできないとばかりに晩餐を楽しんだ。
 キノコのスープに山鳥のソテー、山菜のサラダ。慎ましいメニューではあるが、このあたりではご馳走といえた。
 部屋に引き揚げた3人は、久方ぶりにくつろいだ気分になっていた。
「そういえばバムティさん。ラセリアさんとは、どういう縁で行動を共にするようになったんですか?」ヴィンスは以前から気になっていたことを尋ねた。
 ヴルディアで古物屋のアジトを引き上げて酒場に移った夜、ラセリアと地下組織の馴れ初めについては聞かされていた。
 地下組織は、もともと領主クローディオに身内を暗殺された者の集団だった。
 殺人事件の捜査に当たった役人たちは、上層部からの圧力もあって物盗りやら酒のうえでの喧嘩やらで済ませてしまう。そして結局は未解決のまま片付けられるのだ。
 その中で息子を殺されたエドウィンは疑惑を抱き、独自に調査を始めた。
 そして彼は、自分と同様な身の上の者が少なからずいることを知る。被害者の共通点が、領主クローディオにとっての邪魔者ということも分かってきた。
 こうしてエドウィンは同志を集め、密かにクローディオを監視する組織を作った。だが、所詮は素人の集団。やがて領主邸の監視中、その存在をガディスに気どられてしまう。
 ガディスたちは組織の正体を暴こうと計画した。その計画に、いち早く気づいたのはラセリアたちだった。
 ラセリアとバムティは、エドウィンが行動をおこすよりもずっと以前から、モーズリットがヴルディアに姿を現す前から彼を監視していた。もちろん、敵に気づかれるようなヘマは決してしない。
 ラセリアたちは、エドウィンの組織にもハナから気づいていた。彼らの行動に共感し、いかにも素人然とした動きをハラハラしながら見守っていたのである。
 だが、ついに組織の存在は、ガディスたちの知るところとなってしまった。そうなると見捨ててはおけない。
 二人は風のようにエドウィンたちの前に姿を現し協力を申し出た。そして組織を見事地下に潜らせてしまったのである。
 あまりにも忽然と姿を消したため、ガディスたちは怖気(おじけ)づいた組織が解散してしまったのではないかと考えたほどだ。
 こうしてラセリアたちは組織と行動を共にするようになった。
 シャルムが率いる傭兵が加わったのは1年ほど前のことだ。組織の活動に共感を覚えたとのことで、食事代程度の報酬で働いている。皆、腕は確かなようだし、態度も悪くない。
 1年の間にエドウィンたちは、すっかり彼らを信頼するようになっている。
 だが、ラセリアだけは、シャルムたちを手放しで信用してはいない。漠然としてではあるが、精霊呪文の使い手として研ぎ澄まされた霊感が、時折警告を発するのである。
 あの日の夜、ヴィンスは、ここまでの話を聞かされた。
 だが、ラセリアとモーズリット卿の間にどのような因縁があるのか。あるいは彼女とバムティが行動を共にするようになった所以(ゆえん)についてなど、聞きたいことは山ほどある。
 久しぶりの、くつろいだ雰囲気にヴィンスの好奇心が頭をもたげてきたのだ。
「うむ、ラセリア様は私の父の恩人なのだ」バムティは、ちょっと遠くを見るような表情で言った。「ずっと、ずっと昔の話だ。ラセリア様がいなかったら、私がこの世に生を受けることもなかったわけだ」
 ヴィンスは、溜め息をついた。ともすれば忘れてしまいがちな現実を突きつけられた気分だ。
 時には少女のように見えるラセリア。だが、彼女は自分より遥かに長い年月を生きてきたのだ。
 その人生には安穏な日々ばかりではなかったことも、すでに分かり始めていた。
「だから私は、従者として一生ラセリア様を守り続ける決心をしたんだ」一本気なバムティらしい力強い口調で言い切った。
「やあねえ。ホントに大げさなんだから」話を聞いていたラセリアが口を挟んだ。
 わざと力の抜けた口調にしている。閉口だわ、という表情。どこか悪戯っぽさがにじんでいた。
「バムティは従者じゃないって言ってるでしょう。それから様はやめて、様は」言いながらラセリアは、ふぁああと欠伸をした。
 つられてヴィンスとバムティも大きな欠伸をする。どうやら宿の主人が盛った眠り薬が効き始めたようだ。