悪しき運命(さだめ)のラセリア
第2部 サヴォイ砦の暗雲
6.長老ジャジール
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 森の木々を越えて、いくつかの屋根が覗いて見えた。緑色や茶色に塗られた木の屋根だ。二本ほど塔もある。とはいっても隠れ里という性格上かなり低めなものだ。
 いよいよエルミカスは目の前となった。一行が森を目指して歩き出そうとしたその時、前方に三つの人影が現れた。
 それは武装したエルフの兵士だった。陽光を反射してキラキラと輝く鎧をまとっている。
 先頭の者は海老茶色の鎧。位が高いのか両脇に続く兵士の物より細工が細かい。明らかに通常の金属とは異なる質感。
 色合いこそ違うが材質的にはモーズリット卿の青い鎧に近しい印象を受けた。やはり、あの鎧について語られる噂は本当なのかもしれない。
 ヴィンスは、三人の兵士がラセリアの救援に駆けつけたのだと思い顔を輝かせた。思わず駆け出そうとするヴィンスの姿を認めた兵士たちは、素早く弓を構えて矢をつがえる。
「そこにとどまれ」先頭の男が言い放つ。よく通る美声だが、抑揚に欠ける冷たい口調だ。
「なんということだ」バムティが気色ばむ。同胞の危機を前に弓で威嚇するなど彼にとって許せることではない。
 両手でラセリアを抱きかかえていなければ、思わず剣を抜きはなっていたところだ。
「落ち着いて、バムティ」ラセリアが、かすれた声を出す。「これは掟。仕方のないことなの」
「しかしっ」ラセリアの危機を前にしたバムティには、いかなる理由も意味をなさない。憤まんやるかたないという表情で顔を赤くする。
「バムティさん、冷静になってください。ここでいさかいを起こしても何の解決にもなりませんよ」ヴィンスが言った。
 今一番大切なのはラセリアを救うことだ。本当にここでラセリアを直すことができるのなら、土下座してでも頼み込む覚悟だ。
 そうこうするうちにエルフの群衆が森を抜けて、ぞろぞろと歩いてきた。大半は一般の民衆。中には兵士らしき者もいるが、武装はしていない。
 弓を構え続ける三人の手前で立ち止まり、ヴィンスたちを遠巻きにする。
 男女とも、それぞれに整った顔立ちをしている。淡いパステルカラーの布服を着ている者が多い。その上に薄い皮のベストを羽織っている者もいた。
 大半は無表情だが、幾人かは恐れ、あるいは嫌悪感を顕(あらわ)にしている。ヴィンスには、彼らの視線が、むき出しになったラセリアの額に浮き出た不吉な印象の紋様に注がれている気がした。
 ムフウ。妙な膠着状態に陥ってしまい、途方にくれたバムティが溜め息をもらす。
「皆さんとラセリアさんの間にどのような事情があるのか。僕は知りません」このままでは埒が明かない。ヴィンスは集まった人々に説得を試みた。「ですが、今は命に係わる事態です。一時(いっとき)でいいですから、わだかまりを捨ててラセリアさんを助けてください」
 ヴィンスの言葉に共感は感じたのか、困ったように顔をふせる者もいたが、実際には誰も動かない。
 その時、群衆をかきわけて一人の老人が現れた。
 ほとんど白に近い灰色のローブをまとい、がっしりとした木の杖をついている。その顔には深い皴が刻まれ、純白の髪は肩にかかるほど伸びていた。
 だが、その目は黒ぐろとして知性の輝きに満ちている。
 この老人は、いったいどれだけの歳月を生きてきたのだろうか。エルフは成人すると極めて緩やかにしか加齢しない。
 ヴィンスは、ラセリアほど若いエルフを見たことがなかったが、これほど高齢に見えるエルフも初めてだった。
「そう気色ばまずともよい」老エルフは、張りのある穏やかな声で言った。
 そう言われて、おとなしく引き下がっているほどバムティは冷静な状態でない。思わず怒鳴り返そうと口を開く。
 老人は、彼の行動を読んでいたかのように杖を持つ手を上げて押しとどめ、続ける。
「わしはエルミカスの長(おさ)ジャジール。ラセリアは掟によりエルミカスに入れるわけにはいかない。じゃが、心配は無用じゃ。決して悪いようにはせん」
 ジャジールは、どこか神秘的な笑みを浮かべる。
「ほう、その顔色。毒にやられたようじゃの」ジャジールは、バムティに抱えられ朦朧としているラセリアを覗き込んで言った。一変して鋭い目つきになっている。
「わしが診よう。毛布を持ってきなさい。とりあえず、このあたりに寝かせることにしよう」ジャジールは、エルフ兵に指示する。
 エルフ特有の柔らかくて光沢のある毛糸で織られた毛布が運ばれてきた。ジャジールは地面に広げた毛布にラセリアを横たえさせた。
 ラセリアの顔色は一段と悪くなり、ハッハッと浅くて早い息遣いをしている。
 ジャジールは、ラセリアの枕元に跪き目や口の中を調べ始めた。
 やがて懐から、いくつかの薬包を取り出し、新たに広げた紙の上にとりわけ始める。
 ジャジールは、水筒の水でラセリアに出来上がった薬を飲ませ、なにやらひとしきり呪文を唱えた。
 やがて彼が立ち上がったとき、ラセリアは眠りについていた。呼吸は穏やかになり、心無しか顔色も幾分赤みが差してきたように見える。
「これ以上毒の効果が進むことはない」ジャジールは、心配げに見守っていたヴィンスとバムティに告げた。
 次にジャジールは、兵士たちに三人が寝泊まりするためのテントを建てるように指示した。
「心配には及ばん。ラセリアは簡単に死んだりせんよ。呪われし者であるが、それゆえに光の民最後の希望でもあるのじゃからな」
 ジャジールは、謎めいた物言いをするとホッホッホッと笑い、立ち去っていった。
「チッ、食えねえじいさんだぜ」バムティが腕組みして毒づく。苦虫を噛んだような顏つきになっていた。
 ヴィンスは無言で老人の後ろ姿を見送っている。ジャジールは、とぼけた口振りだが目は笑っていなかった。それが気になって仕方なかったのである。

 一方、一旦は宿の外に逃れたレーニャたちは、近くの茂みに隠れ、様子を伺っていた。
 意識を失ったラセリアを抱えたバムティたちが森の中へと馬を駆るのも眺めていた。行く先を突き止めたい気持ちはやまやまだったが、あいにく馬は厩に繋いだままだ。
 第一、森林での追跡など得意ではない。街の暗部に住み着いた、自称都会派という連中なのである。
 とにかく深夜の森に踏み込むことは諦め、宿に取って返した。
 バムティの鬼神のような姿に怯え切った主人の言うことは、さっぱり要領を得ない。脅したりすかしたりしたあげく、分かったことは役に立つ情報など何も持っていないということだけだった。
 レーニャは、今になってようやく、あの女が邸のまわりで商売していた花売り娘であることに思いあたっていた。あの時とはかなり違う雰囲気ではあったが間違いない。
 あんな小娘にまんまとしてやられるとは。はらわたが煮え繰り返る思いだ。
 ただでさえ険のある目を一層吊り上げて瞳に暗い炎を燃やす。
「そうカッカしなさんな。姉御がナイフに仕込んだ毒で今頃は御陀仏しちまってるんじゃねえですかい」バスティスがニタニタと痴呆じみた笑いを浮かべながら言った。
「フン、奴らは侮れないよ。止どめを差さないかぎり安心はできないね」レーニャの激しい口調にバスティスは、タジタジとする。
 とはいえ、少なからずダメージは与えたはずだ。
 奴らは街道を外れ森に分けいった。そのままサヴォイ砦を目指すとは考えられない。
 人けのないところで女を治療しようというのか。さすがのレーニャもエルフの隠れ里があることまでは、思い到らない。
 あるいは応急手当だけしてヴルディアに引き返した可能性もある。
 いずれにしても奴らが足止めされたことは間違いない。
「すぐに移動してウーリア峠で待ち伏せするか」レーニャが思案げに言う。
 ウーリア峠は、ここから更に3分の1程サヴォイ砦に近づいた辺りに位置している。ここを迂回するためには、かなりの悪路を覚悟せねばならない。
 女連れで走破することは不可能に近い難所もある。ウーリア峠に直行すれば、再び奴らの姿を捉えることが出来るはずだ。
 ジグラスら3人は、あからさまに不満げな反応を見せた。
 来るかどうかも分からない敵を野宿しながら待ち続けるなど、生来の怠け者である彼らには言語道断な行為なのだ。
「奴らはヴルディアに引き返したにちがいありませんぜ。毒で弱った女を抱えて山の中でマゴマゴしているはずがねえ」ジグラスが慌てて言い返す。
 レーニャは考え込んだ。下心丸出しの提案ではあるが、一理はある。
 このまま、こいつらを引っ張り回しても、士気は下がる一方だ。一旦街に引き返し英気を養わせ、奴らがいないようならば一気にサヴォイ砦に向かえばいい。
 得体の知れない地下組織だが、毒を受けた女という手がかりがあれば、ヴルディア広しといえども捜し出す手段はいくらでもある。
「仕方ないね。ヴルディアを調べに戻るとするか」
 レーニャの言葉にジグラスたちは目を輝かせた。とどのつまり、ろくでもないゴロツキの集団。たとえ報酬目当てでも、苦難にたち向かう覚悟などハナからないのである。
「あの、2階にあるお仲間の死体はどういたしましょうか」出ていこうとするレーニャたち一行に、宿の主人がおそるおそる声をかけた。
「フン、適当な場所に埋めておやり。ポケットを探りゃ小銭ぐらい出てくるだろ。それが葬儀代だよ」振り返ったレーニャが冷たく言い放つ。
「ま、森にでもうっちゃって、カラスの餌にされても本人は文句を言わねえだろうぜ」ジグラスの茶化すような捨てゼリフとともに、一行は屋外へと姿を消すのだった。